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今週の記録

6km 45分49秒

先週、先々週と雨で走れなかったので、
(さぼっていた訳ではないのだ)
だいぶ体力が落ちてるんじゃないかと心配していたんですが、
なんとか6km完走。

東京マラソンはエントリー受付が開始されましたが、
Nさん情報によると3万人の定員に対し、
10万人はエントリーするんじゃないかという噂。
その前に練習として、世田谷区のハーフマラソンに出ようかと思ったのですが、
ハーフで制限時間150分。速いよー。

『ロボットの天才』

ロボットの天才
『ロボットの天才』
高橋智隆・著
メディアファクトリー

自称ロボットクリエイター、高橋智隆によるロボット本。
というより“俺様”本?
『ロボットの天才』というタイトル、表紙に自分とロボットの写真というのも
そうとうだが、冒頭カラーにもポーズをつけた著者の写真が何枚か……。
(くーさんは「きっとナル男なんだよ」と言っていたが)

著者は「ブログのように楽しく読んでもらえる文章をこころがけた」と書いているが、
その俺様文章が非常に読むのが辛い。
彼のやることなすこと、すべてすばらしい成功を収めているように見えるが、
正直なところ私は彼の作ったロボットをほとんど知らなかった。
唯一知っていたのは『鉄人28号』。
特許技術“SHIN‐Walk”によって、従来のロボットのようにヒザを曲げずに
歩けるというのがポイントなのだが、『鉄人28号』のガチャーンガチャーンという
歩き方なら、確かにヒザは曲げない方が様になるが、
ロボットがヒザを曲げて中腰で歩くのはそんなにいけないことか?
私はASIMOが歩く姿を生で見たとき、ものすごく感動した。
歩き始める瞬間にちょっとヒザを曲げる姿はむしろ人間味があると思うのだが。

ASIMOやAIBOに始まるロボットブームは、ROBODEX、愛・地球博で頂点を迎えた。
著者はそれを参加者の側から見てきたのだから、
そこらへんをもっと書いてほしかったところ。

テムザックの『援竜』やココロの『アクトロイド』、
『鉄人28号』を売っているヴイストンなどは私も知ってる。
ここらへんの人々も仕事の関係者として登場するのだが、
ロボット業界って狭いんだなーとも思う。

ミントティー

植え付けをしてまだ1週間なのだが、成長期にあたるらしく
ハーブがぐんぐん伸びている。

写真だとわかりにくいけど、
Herb3
1週間前。

Herb4
今日(左がペニーロイヤルミント、右がレモンミント)。

間引いたほうがハーブにもよいらしいので、
初めての収穫に挑戦。
一番問題のなさそうなレモンミントを一枝切って、
葉っぱをミントティーにしてみた。
もともとミントの香りってそんなに好きじゃないんだけど(笑)、
お茶はさっぱりとして飲みやすい。でも青くさい。
紅茶に入れるとか、レモンやライムを入れると飲みやすくなるらしい。
デトックス効果もあるそうですよ!ねーさん。


『ゴシックとは何か』

ゴシックとは何か―大聖堂の精神史
『ゴシックとは何か 大聖堂の精神史』
酒井健・著
ちくま学芸文庫

ゴシックの教会堂内部は森のようだと言われるが、
12、13世紀、人口が増え、農民たちは森林を開墾し、
あるものは都市へと移住し、そこにゴシック大聖堂が建てられた。
そのため、異教と自然信仰がゴシックには現われている。
ノートル・ダムとは聖母マリアを意味し、
ゴシックは聖母マリアの死、昇天、復活という民間信仰に根ざしている。

といった感じで、ゴシックはなぜ建てられ、
醜いものとして非難され、ゴシック・リヴァイバルとして復活したのか、
政治的、歴史的、背景を語った本。

おもしろいのだが、世界史に疎い私にはちょっと難しい。
まず、建築様式がちゃんとわかっていないので、
ガウディもゴシックなのかーという感じ。
グロテスクな怪物=ロマネスクのイメージが強いので、
ゴシックの異教ぶりもいまひとつ。
(ノートル・ダムのガーゴイルはグロテスクか。)
それでも、建築が人々の精神と密接に関わっていることはよくわかる。


グリーンフィンガーズ?

土曜日に買ったハーブたちを植え付け。
プランターの古い土を捨てるところから作業を始めて、
植木鉢を洗ったり、ベランダを掃除したり。

園芸店に土を買いに行くと、小サイズと大サイズしかなく、
「女性に持たせるのは申し訳ないんですが」
と散々心配されながら、大サイズを家まで運びました。

Herb2
植え付けが完了したレモンバーム。
しかし、ハーブって草にしか見えないよな。

以前植えたラベンダーはちゃんと花が咲いたけど、
その後ほうっておいたので、枯れてしまいました(当たり前)。
こんどはちゃんと咲くといいなー。

ハーブガーデン

NHKで放映していた『ターシャの庭』を見て、
80ぐらいになったらガーデニングもいいかもと思い、
手始めとしてラベンダーの苗でも買おうと考えていたのですが、
気がついたらもう6月。植え替え時期を逃しちゃったなと思っていたら
駅前のスーパーでハーブの苗が投売りされてるのを発見。

Herb
レモンミント、マリンブルーローズマリー、ラベンダー、タンジー、
ローマンカモマイル、レモンバーム、ペニーロイヤルミント
7株で410円。

1株で十分だったのですが、植え替え時期を過ぎてるので
お店としても投売りで1列単位での販売。
「今日これ持って帰れないんですけど、いつまでやってるんですか」
と聞いたら、「本日8時まで」との答え。
徹夜明けに何をやってるんだかと思いましたが、
片手にハーブの苗、片手にスーパーで買った食糧をもって、
とぼとぼ歩きました。

ターシャの庭
イギリスの絵本作家ターシャ・テューダーの庭(といっても30万坪もある)
を季節の移り変わりとともにつづったドキュメンタリー。
私は何回目かの再放送を偶然見て、思わず母に「見ろ」と電話しました。
90歳にして「今がいちばん幸せ」と言い切れる人生ってすばらしいけど、
それなりにいろいろ乗り越えてきたから言える台詞なんだろうなー。


『電器屋さんの本音』

電器屋さんの本音
『電器屋さんの本音』
電器屋ミキストリ・著
PHP研究所

現役の電器屋店員が日々の出来事をつづったサイトを書籍化。
『生協の白石さん』、『暴れん坊本屋さん』を見ていても思うけど、
接客業はお客さんとの地道なバトルだ。
ここらへんは私も日本料理店のバイトをしていたのでよくわかる。
バイト仲間たちと「あの客むかつく」とか「あのテーブル変じゃない?」
といった噂話もよくしたけど、そういった感じで電器屋のドラマが書かれている。
そのぶん、“本音”といっても客に対してその書き方はあまりに失礼じゃないか
と思う部分もなきにしもあらず。事実そのままではいろいろまずいので
多少加工して“フィクション”としているが、あとがきには
「ひょっとしてあなたのことも載っているかも」と書かれていて
私がこの店の客だったら嫌だなとも思う。
「まだ1、2回しか使っていないプリンターが故障したから、
タダで交換しろ」ぐらい家の親だって言いそうだしね。
(年に1、2回しか使わないからインクが詰まるんだよってのもわかるんだけど)

まあ、そういう点を差し引くと、十分楽しい。
「お客様の無理は極力聞く。無茶は聞けないとはっきり言わなくてはいけない」
という接客態度は正しいと思うし、バトルだけでなく、
老夫婦との交流など“ちょっといい話”は泣ける。

接客業は、店員=店のイメージそのもの。
バイトの経験があるから、私は料理が出てくるのが遅い程度は怒らない。
店側にだって都合はある。努力してるのがわかればそれでいい。
だけど、目の前に客がいるのにレジを打ちながらおしゃべりしてたり、
商品をまちがえたのに「失礼しました」のひとこともないと、
この店はダメだと思って、二度と行かない。
そこらへんをこの電器屋さんはちゃんとわかってるなーと思う。


『俺が近所の公園でリフティングしていたら』

俺が近所の公園でリフティングしていたら
『俺が近所の公園でリフティングしていたら』
矢田容生・著
小学館

2ちゃんねるに連載されていたサッカー小説。
高校生である主人公が、モニカという少女と出会ったことから、
ワールドユース、そしてワールドカップをめざす物語。

実際の選手やチーム名がざくざく出てくる、らしいのだが、
正直、サッカーを見ない私には全くわからない。
ルックアップ、ハーフウェイ、サイドバックといった用語もさっぱりなので、
かなりていねいに描写されている試合場面もいまひとつイメージできない。
そんな奴がこの小説を読んで感想を語るなという感じであり、
おそらくこの小説のおもしろさの8割ぐらい、私はわかっていないのだが、
まあ、それを差し引いても楽しく読めました。

アナウンサーの絶叫だとか、ゴールのあとのパフォーマンスだとか、
サポーターたちのよくわからない共感だとか、
サッカーというスポーツにまつわる熱狂がとても苦手で、
ワールドカップも早く終わんないかなーぐらいな人なんですが、
この小説を読む限り、サッカーとは熱狂しながら見るべきスポーツであり、
それがサッカーのおもしろさのようだ。
サッカーファンが求めるであろう“熱さ”をこの小説はちゃんと描いており、
そこが多くの2ちゃんねらーに支持されたのだと思う。

以下、欠点。
無名の選手や弱小チームがあるきっかけで頭角を現わし
あと一歩というところで挫折し、そこから立ち直り、栄光をつかむ
というのはスポーツもののセオリーで、そこはきちっと押さえているが、
その分、予定調和すぎるかなという気もする。
そして、きっかけや立ち直り方が安易で
後半『スクール・ウォーズ』みたいな展開になっちゃうのは惜しい。

何よりもキーポイントであるモニカがきちんと描かれていないので、
主人公が彼女をきっかけとして、サッカーへの情熱を深めていくあたりが弱い。
モニカをガイジン(正確にはハーフ)にしたのも、なぜなんだろう。
ガイジンがよくないと言ってるのではなく、
金髪で青い眼で、とびきりかわいくてサッカーがめちゃくちゃうまくて、
胸とお尻の大きなチャーミングな女の子、なんてほとんど漫画である。
(おまけに彼女の台詞が「カモン、ボーイ」に「ジャアネ、スケベサン」だ)
モニカにリアリティーがまったくないので、
いくら選手やコーチ、試合設定をリアルにしても、全体は漫画ちっくだ。
熱い台詞の数々も現実感にかけ、どうしてもクサくなってしまうのだが、
著者は元々、素人だと考えると、それはしかたないだろう。
まあ、この漫画っぽいノリが良いという人もいるかもしれないけど。

「抜ける技術があっても、勝負に行かなきゃ抜けっこない。
すごいシュートを打てる技術があっても、シュートを打たなきゃ点は入らない。」
という台詞には納得。
サッカーの場合、選手選びや試合の運び方について
みんな監督みたいな調子で語っているのも私には不思議なんだが、
それもサッカーのおもしろさのひとつなんだろう。
サッカーファンにとって、「もし俺がワールドカップに出場できたら」
という夢を描いてくれた小説なんだと思う。


『ホテル・ルワンダ』

ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション
『ホテル・ルワンダ』
at 下高井戸シネマ

1994年に起こったルワンダの虐殺の際に、難民たちをホテルにかくまい、
1200人の命を救ったホテルマンの物語。

ルワンダの虐殺はそれほど昔の話ではないので、名前だけは私も覚えている。
フツ族とツチ族の民族間の対立から、100日間で100万人が殺されたという。
映画では残虐な場面はトーンを抑えており、テレビの映像を通してだったり、
霧の中の死体の山といったように、ぼかして描かれている。
これは監督が意図したことで、「これはホラー作品ではないし、多くの人に
映画を見てもらうことが何より大切だから」と言っている。
『母たちの村』もそうだったけど、伝えたいメッセージがある場合は、
感情的に訴えるよりも、静かに語るほうが効果的なのだ。
「ナタで殺されるよりは飛び降りろ」とか
「殺す前にツチ族の女を味わえ、フツ・パワーを見せつけろ」
といった台詞だけで十分怖い。

映画だけだと、悪いのはフツ族の民兵のように見えるが、
実際には、ルワンダの支配国だったベルギーが、フツ族とツチ族の対立を利用し
ツチ族がフツ族を支配していた歴史なども背景にあるわけだが、
そこらへんはあえてくどくど説明していない。
虐殺はフツ族とツチ族の間にだけ起こるものではなく、
映画が伝えたかったのも過去の事件の恐ろしさではないので、
これはこれでいいのだろう。

ポールを英雄ではなく、家族を救おうとしたら、
結果的に1200人の命を背負うはめになってしまった普通の人として
描いているのも好感がもてる。
数々の難関を乗り越えてどうやって安全地帯へ逃れるか、
サバイバルゲームのような緊張感も映画として最後まで飽きさせない。
(不謹慎な言い方だが、映画はエンターテイメントなのだから大事なことだ)

無力な国連の象徴という、あまりおいしくない役ながら、
ニック・ノルティの存在感は抜群。
ホアキンは悪い役じゃないのだが、クレジットをみるまで気がつかなかった。

『セックスと嘘とアダルトビデオ』

セックスと嘘とアダルトビデオ―村西とおるの七転八起人生
『セックスと嘘とアダルトビデオ 村西とおるの七転八起人生』
丸茂ジュン・著
幻冬舎

ananの『セックスできれいになる』特集で
黒木香は「朝にするのも良いものですよ」みたいなコメントをしていて、
村西監督は「女優さんを悦ばせるのもすべて愛なのです」みたいな
コメントをしていたなーということを思い出しました。
さすがにこの人たちのAV作品は見たことないのですが、
当時はめちゃくちゃ有名だったので、メジャーな雑誌やテレビの露出も多かった。
どちらも濃いキャラクターだったけど、
特に村西監督はいかにも“エロおやじ”っぽくって苦手だったので
永沢光雄の『AV女優』で、ある女優さんが「村西監督を愛してたけど、
監督にはすでに黒木さんという方もいらっしゃったし」と語っていて、
なぜあのおやじがそんなにモテるんだと思ったものでした。

中1で初体験(相手の女の子は小6)とか、
監督自身が言ってることなので、どこまでが事実でどっから演出なのか、
よくわかりませんが、バーテン、英会話教材のセールスマン、ゲーム機販売、
ビニ本を経てAV監督へという半生はバラエティに富んでいる。
白眉はやっぱり黒木香との出会い。
「撮影までに川上宗薫でも読んでおけば」という監督の言葉を真に受けて
ノートに官能小説の台詞を書き出して勉強してきたというエピソードや
会社が危なくなると「私をエイズで死んだことにして、監督が蘇らせて
宗教法人を開きましょう」という話など、
いかにもまじめで一途でぶっ飛んでる黒木香らしい。
黒木香が笛を吹くAVって、話には聞いたことがあったけど、
その『SMぽいの好き』誕生秘話も載ってます。

著者は元々、女流ポルノ作家らしいが、
「私はあえて監督に意地悪な質問をしてみた」
といった感じで、著者がちょこちょこ本文中に登場するのは興ざめ。
回想シーンがやたら官能小説風なのも、そんなサービスいらないんですが。

ググってみたら、ananの特集は'89年。
「セックスはホルモンのバランスを保つ最高のエステティックでございます」
「舌、あごを使いますフェラチオは、お顔を締める効果もございます」
なる黒木コメントも載ってました。'90年のPART2には松坂季実子が登場。
この本でも散々言われてますが、
AVやセックスがメジャーで語れるようになった時代であり、
それがまだ新鮮だった時代だったんですね。今じゃ消費しつくされた感が。
村西とおると黒木香はこの時代を象徴する存在でした。

『二次元へいきまっしょい!』

二次元へいきまっしょい!
『二次元へいきまっしょい! にじいき』
本田透、アニメ会・著
KKベストセラーズ

オタクによるオタクの解説書?
チャラチャラした高校生、羽場もてるが好きになったのは、
ツンデレ系オタク女子の亜季ちゃん。
「自分よりハイレベルのオタク少年でなきゃつきあわない」
と彼女に言われて、もてるはオタクになるための修行を開始する。
というストーリーを漫画とライトノベルで展開しながら、
ライトノベル、アニメ、同人誌、フィギュア、アキバを解説。

昨今のオタクブームや萌え経済学の中で、
「非オタクがオタク文化を検証する」といった本や
『オタクエリート』みたいな雑誌まで出てきてるんですが、
この『にじいき』はそれに対するアンチテーゼというか、
「オタクの世界ってこんな感じ。楽しそうでしょ」
というのをオタク側から紹介している。
それをマトモにやらないで、あえてオタクっぽい、
ライトノベルと漫画とコラムという構成にしているのはユニークなんだが、
この手のライトノベル文体と漫画って非常に苦手で読みづらい。
どこで笑っていいのかわかんないギャグとかツッコミとか、疲れる。

「フィギュアの原型師は現代のミケランジェロであり、
運慶である」ってのはおもしろかったけど。

本田透は『萌える男』で「オタクは2次元キャラに萌えることで
自分自身を救済している。萌えこそ純愛であり、正しい行為である」
と力説している。
この人はかなり真剣にオタクの立場の正当性を訴えているというか、
“恋愛至上主義”や“オタク差別”と戦っているんですが、
それだけオタクにとって3次元(現実の世の中)が住みにくくなってる
ってことなんでしょうか。

「たとえ他人に後ろ指さされても趣味に生きる覚悟がない奴が
「俺ってオタクだからさあ」などと言うな」と書かれているんだけど、
いつからオタクはそんな悲壮な決意の元になりたつものになっちゃったんだろう。
私の周りなんて、自分を含めてヌルイオタクでいっぱいだからなー。
そういう決意をしなきゃいけないほど、
オタクは『電車男』ブームの余波に今でも嫌な思いをしてるってことなのか?


行ってきます

Ticket
というのはウソで、人様のチケット。
ICが入ってるわりにペラペラで、こんなんで大丈夫なのという感じ。

会社の机の上に、旅行会社から届いたチケットと航空券がセットで置いてあり、
しばらく周囲が「今、ヤフオクに出したらどれくらいで売れるだろう」
という誘惑にかられる。

『アディダスVSプーマ』

アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争
『アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争』
バーバラ・スミット・著
宮本俊夫・訳

アディダスとプーマを作ったダスラー一族の興亡と
スポーツビジネスをめぐるノンフィクション。

アディダスとプーマが元々同じ、ダスラー兄弟商会だった
ってことさえ知らなかったんですが、楽しく読みました。
ダスラー兄弟は1920年代に洗濯室として使っていた小屋で靴作りを始め、
1936年のベルリンオリンピックなどで評判になるものの、
戦中の兵役や戦後のナチ疑惑をめぐって兄弟は分裂。
1948年、弟アディ・ダスラーは『アディダス』を
兄のルドルフ・ダスラーは『プーマ』を立ち上げる。
ダスラー・スパイクは2本のストライプだったが、
『アディダス』はこれをスリーストライプに、
『プーマ』は1本のプーマラインに変更。
以後、兄弟の対立はスポーツ界を舞台に続けられ、
互いのブランドを売り込むために、金銭が持ち込まれる。

アディ・ダスラーの息子、ホルスト・ダスラーは
1956年のメルボルンオリンピックでシューズを無料配布したのをはじめ、
スポーツ選手と個人的な交流を深め、
イベントのスポンサー契約を取り付ける広告代理店業を起こし
現在のスポーツビジネスへと発展させる。

おもしろいのは、対立しあっていたこの2つのブランドが
ほとんど鏡のように栄枯盛衰をくりかえす点だ。

1974年、ルドルフ死去、4年後、アドルフ死去。
事業はそれぞれの息子が引き継ぐわけだが、
1987年、ホルストが死去、
1990年、『プーマ』を継いだルドルフの息子、アーミン・ダスラーも死去。
同時にナイキやリーボックに抜かれ、衰退したアディダスとプーマは
それぞれダスラー一族から別の投資家へ売却される。
何人か経営者が変わった後、
1995年、アディダスは危機を脱し、
1999年ごろからプーマも経営を回復する。

靴のブランドなのに具体的なシューズの話があまり出てこないのは
残念だが(選手たちは金銭だけでなく、シューズにも魅力を感じたはずだ)、
5年にわたるインタビューと取材を元にしているだけあって、
ダスラー一族はもちろん、登場してすぐに消えてしまうスポーツ選手や
投資家たちまでも、ひとりひとりが魅力的に描かれている。

日本版にあたり、日本のスポーツ関係者にもインタビューを行なっており、
プロローグは中村俊輔から始まる。
オニツカタイガーとナイキの対立、売却されたプーマを最初に買ったのが
日本でライセンス販売を行なっていたコサ・リーベルマンだったこと、
アディダスがデサントとの提携を突然打ち切った話も書かれている。
なかでも感動的なのはデットマール・クラマーと岡野俊一郎の長年に渡る友情で、
日本のサッカー黎明期にボールやシューズを提供し支えてくれた
アディダスへの恩を岡野は忘れなかった。
だから、日本代表チームはアディダスのユニフォームを着ている訳だ。

自分を振り返ってみると、
中学のときのウェアはMIZUNOで、
高校のときに買ったスパイクはアシックス、
大学生のとき、アメリカでリーボックを買い、
社会人になってからは休日用にコンバースを買った。
数年前に買ったスポーツバッグはプーマで、ジム用のウェアはナイキ。
なんだか見事にこの本に出てくるブランドの流れに乗せられている。
そして、私がアディダスだと思い続けていたものは、
実際にはずいぶん変化しているのだなーと。
それがブランドということなのか。


新日曜美術館

新日曜美術館で『時代の顔をつくる~建築家 丹下健三が生きた道~』
というのをやっていた。でてくる建物は
平和記念公園や代々木体育館、万博、都庁など、めずらしいものでもないが、
案内役がどっかで見たことがあるなと思ったら藤森照信だった。
弟子またはライバルとして、黒川紀章菊竹清訓がコメントしていて
私は途中から見ていたのだが、ほかにも伊東豊雄安藤忠雄が出てきたらしい。
このメンバーが丹下を語るというのはなかなかおもしろい。

菊竹清訓の設計事務所だと思うのだが、
“日の丸のようなオレンジ色の円を背景にしたソフィテル東京”のポスターが
貼ってあって、それをバックに菊竹氏がしゃべっていた。
彼にとっては今でもあれはOKなんだなー。

Showa
菊竹清訓設計の昭和館。
デザインと呼ぶにはあまりにも傍若無人な建物。

今週の記録

6km 46分25秒

涼しかったせいか、楽に完走できました。
この調子でいきたいものです。

『母たちの村』

『母たちの村』
at 東京日仏学院 エスパス・イマージュ

割礼の儀式を嫌がって逃げてきた女の子たちを
主人公コレが“保護”したことから起こる騒動を描く、西アフリカの村の物語。

“割礼”は男の子だけがするもんだと思っていたら、
地域によっては女の子に対しても行なうところがあるのだとか。
映画の中では、コレは割礼の後遺症で、子供を2人死産し、
3人目の子を帝王切開で産んだこと、娘には割礼を受けさせなかったため、
彼女は“ピラコロ”と呼ばれ、結婚できないかもしれないといったことが語られる。

と説明してしまうと、いかにも岩波ホールで上映されそうな、
堅い映画に見えてしまうけど、コメディーかと思うほど、のんびりと映画は進む。
コレの行なった“モーラーデ”は、家の入口に紐で境界線を作るだけなのだが、
これを勝手に破ると呪いがかかると信じられていて、
村人たちがゾロゾロと村長に相談しに行ったりするのもおかしい。

実際に、割礼によって、後遺症に苦しんだり、死亡することも多く、
現在では、“女性器切除”として問題になっているのだそうだ。
そのほか、一夫多妻制なので、コレは他の妻たちと一緒に暮らしていたり、
いろいろ深いテーマがあるのだが、最後まで明るい調子なのがいい。
女性の人権問題が、唯一の娯楽であり文化であるラジオに象徴されていたり、
割礼を受けていない女性は結婚できないという問題が、
コレの娘と村長の息子の恋として、さらっと描かれていてうまい。

アフリカの夜

Kさんに誘われて、東京日仏学院で行なわれた
『アフリカン・サマー』オープニング・ナイトに参加。
アフリカ映画『母たちの村』の上映後、
アフリカ音楽のライブとビュッフェ・パーティーというイベント。

日仏学院って初めて行ったけど、白い長方形の建物の美しさにクラクラ。
サヴォア邸みたいだと思っていたら、
コルビュジェの弟子、坂倉準三の設計なんだそうだ。
1951年の竣工で、改築も行なわれてるけど、かなり純粋モダニズム。
緑に囲まれた敷地もけっこう広いし、都会のまん中にこんなところがあるんだねー。
(夜だったので建物の写真は撮ってないっす)

ビュッフェ・パーティーではセネガル大使が挨拶するという国際ぶり。
アフリカ音楽はSIGGRAPHのパフォーマンスで見たときにも思ったけど、
プリミティブというかストレートというか、リズムにただただ圧倒されました。
踊ってる人もいたけど、アフリカ音楽はこうやって全身で踊るための音楽なんだろうな。

Africa1
ブレてますが。

バナナみたいな味で、唐揚げみたいな外見のトウモロコシ料理だとか、
イモや魚の入ったリゾットとか、ココナッツのデザートとか、
アフリカ料理もおいしかったです。
なんか異文化交流な夜でした。

Africa2
学院内にあるフランス書籍専門書店”欧明社・リヴ・ゴーシュ”。
ここだけパリっぽい。


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