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『アディダスVSプーマ』

アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争
『アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争』
バーバラ・スミット・著
宮本俊夫・訳

アディダスとプーマを作ったダスラー一族の興亡と
スポーツビジネスをめぐるノンフィクション。

アディダスとプーマが元々同じ、ダスラー兄弟商会だった
ってことさえ知らなかったんですが、楽しく読みました。
ダスラー兄弟は1920年代に洗濯室として使っていた小屋で靴作りを始め、
1936年のベルリンオリンピックなどで評判になるものの、
戦中の兵役や戦後のナチ疑惑をめぐって兄弟は分裂。
1948年、弟アディ・ダスラーは『アディダス』を
兄のルドルフ・ダスラーは『プーマ』を立ち上げる。
ダスラー・スパイクは2本のストライプだったが、
『アディダス』はこれをスリーストライプに、
『プーマ』は1本のプーマラインに変更。
以後、兄弟の対立はスポーツ界を舞台に続けられ、
互いのブランドを売り込むために、金銭が持ち込まれる。

アディ・ダスラーの息子、ホルスト・ダスラーは
1956年のメルボルンオリンピックでシューズを無料配布したのをはじめ、
スポーツ選手と個人的な交流を深め、
イベントのスポンサー契約を取り付ける広告代理店業を起こし
現在のスポーツビジネスへと発展させる。

おもしろいのは、対立しあっていたこの2つのブランドが
ほとんど鏡のように栄枯盛衰をくりかえす点だ。

1974年、ルドルフ死去、4年後、アドルフ死去。
事業はそれぞれの息子が引き継ぐわけだが、
1987年、ホルストが死去、
1990年、『プーマ』を継いだルドルフの息子、アーミン・ダスラーも死去。
同時にナイキやリーボックに抜かれ、衰退したアディダスとプーマは
それぞれダスラー一族から別の投資家へ売却される。
何人か経営者が変わった後、
1995年、アディダスは危機を脱し、
1999年ごろからプーマも経営を回復する。

靴のブランドなのに具体的なシューズの話があまり出てこないのは
残念だが(選手たちは金銭だけでなく、シューズにも魅力を感じたはずだ)、
5年にわたるインタビューと取材を元にしているだけあって、
ダスラー一族はもちろん、登場してすぐに消えてしまうスポーツ選手や
投資家たちまでも、ひとりひとりが魅力的に描かれている。

日本版にあたり、日本のスポーツ関係者にもインタビューを行なっており、
プロローグは中村俊輔から始まる。
オニツカタイガーとナイキの対立、売却されたプーマを最初に買ったのが
日本でライセンス販売を行なっていたコサ・リーベルマンだったこと、
アディダスがデサントとの提携を突然打ち切った話も書かれている。
なかでも感動的なのはデットマール・クラマーと岡野俊一郎の長年に渡る友情で、
日本のサッカー黎明期にボールやシューズを提供し支えてくれた
アディダスへの恩を岡野は忘れなかった。
だから、日本代表チームはアディダスのユニフォームを着ている訳だ。

自分を振り返ってみると、
中学のときのウェアはMIZUNOで、
高校のときに買ったスパイクはアシックス、
大学生のとき、アメリカでリーボックを買い、
社会人になってからは休日用にコンバースを買った。
数年前に買ったスポーツバッグはプーマで、ジム用のウェアはナイキ。
なんだか見事にこの本に出てくるブランドの流れに乗せられている。
そして、私がアディダスだと思い続けていたものは、
実際にはずいぶん変化しているのだなーと。
それがブランドということなのか。


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