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『ウェブ2.0は夢か現実か?』

ウェブ2.0は夢か現実か?―テレビ・新聞を呑み込むネットの破壊力
『ウェブ2.0は夢か現実か? テレビ・新聞を呑み込むネットの破壊力』
佐々木俊尚・著
宝島社

『グーグル Google』『検索エンジンがとびっきりの客を連れてきた!』に続き、
佐々木氏の本(よく働くなー、この人も)。
基本となっているのは、2004年10月~2006年3月にかけて
『HotWired』に連載されていた「ITジャーナル」。
あとがきで佐々木氏も書いているように、この3年間は
後から振り返ってみれば歴史に残る3年間となるだろう。
ライブドア、Winny、グーグルニュース、ブログの興隆など
インターネットにも社会にも大きな変化が起こり始めた時期に当たる。
連載をそのまま書籍化しているわけでなく、大幅に加筆修正されているようで、
それぞれの出来事を現在の視点から論じている。

佐々木さん(リスペクトを込めて勝手にフランク)のすごいところは
IT社会への正しい理解と、地道な取材に基づくジャーナリスティックな視点。
ライブドア事件やネットとテレビの融合をめぐる冷静な分析、
ソフトバンクの内幕、Winny裁判についての話はとてもおもしろい。

タイトルにあるWeb2.0について直接関係する部分は最後の章のみだが、
「言葉だけがひとり歩きしているWeb2.0を、
どうやって実際のビジネスに結びつけるのか」という話は、
今まで読んだWeb2.0関連(っぽい)本の中では、群を抜いて実用的。
佐々木さんによると、日本でWeb2.0的な動きを見せている企業は
はてな、mixi、エニグモ、mF247などの小規模なベンチャーだ。
これらの企業の今後の活躍、
および佐々木氏の今後のジャーナリストとしての活躍に期待したい。

ニューワールドサービス

Sanshin_1

仕事で近くまで来たので三信ビルによってみる。
地下は閉鎖され、1階も半分ほど閉鎖、
ほとんどの店舗が移転した中、ニューワールドサービスだけが営業中。

「30年もこの近くで働いているので、このビルがなくなってしまうのは
本当にさびしい」というお客さんと、店員さんの会話を聞きかじったところ、
「今後のことはまだ決まっていない」、
「(いつ取り壊すのか)私たちは知らないし、私たちには関係ないから」
「もうここしかやっていなんだけど、みなさん、遠くからよってくれるので」
だそうです。

おじいちゃん店長は、いつものように紳士らしい格好でおちゃめな口調。
なんだか、店長が三信ビルの化身のように見えてきました。

Sanshin2
名物のハンバーガー。

ドライミスト

Mist

六本木ヒルズの回廊に霧が舞っていたので
なんだろうと思ったら、『ドライミスト』という噴霧による冷却システムだった。
「植物による蒸散効果を再現し、ヒートアイランド現象の緩和に寄与します」
だそうで、周囲の気温を2~3度下げるらしい。
真下にいても、ほとんど気化しちゃうみたいで水分は感じない。
「涼しいー」という感じもたいしてないんだけど、
打ち水と同じで、霧が舞っていると気分的にちょっと涼しいかも。
何よりヒートアイランド対策ならどんどんやっていただきたい。

ハイクオリティは何のためにある

ブルーレイ・ディスクの発表会に行ってきました。
発表会の詳細は仕事なのでパスするとして、
麻倉怜士氏の「ハイクオリティは何のために?」という話が印象的だったので
それを聞いて考えたことをつらつらと。

今から10年以上前、DVDすら普及していなかったころ、
パソコン通信の会議室で
「映画館で見てもテレビで見ても映画は同じものといえるか」
というテーマが語られたことがあった。
そのテーマ自体はあまり盛り上がらなかったのだが、
「映画館で見ようが、テレビ画面で見ようが、
その映画の本質が変わるわけじゃない」という人も結構いたと記憶している。
私は逆の意見で、映画館で見る場合と、テレビで見る場合では
印象がまったく違う作品もあるので、
当時は「映画館で見る映画こそが本物」と考えていた。
(映写方式が違うのだから当たり前といえば当たり前なのだが、
例えば『きらきらひかる』(豊川悦司、薬師丸ひろ子主演の方)で
印象的だった夜の場面は、テレビでは真っ暗で何も見えなかったし、
『軽蔑』の地中海の青い海は、テレビ画面では白っぽく見えた。)
だから、「この映画はテレビで見れば十分」という意見にも反対で、
「本物を見ていないのに、作品の価値を評価できるのか」と思っていた。

今ではDVDで映画を見ることも多いわけで、
「だったらDivX映像やGyaoで見た映画は映画じゃないの?」と言われると
「映画は映画だよなー」と考えたりもする。
また、私は音響にはそれほど重きをおいていないので、
映画館で見るときはなるべく音響のいいところを選ぶようにしているけど、
音がグルグル回ったり、後ろから響いてきたりといった効果が
映画にとって必要なのか、とも思う。
だから5.1chのホームシアターなんて欲しいとも思わない。
一方で、世間は地デジだ、デジタルハイビジョンだ、
HDDVDだ、ブルーレイだと騒がしいわけで、
映画にとって(映画に限らないけど、映像全般にとって)、
そんなに高解像度は必要なのか。

「ハイクオリティは何のために?」という話で麻倉さんは
ハイビジョン放送で見た『風と共に去りぬ』のテクニカラーの美しさに言及していた。
(テクニカラーの独特の色彩は、美しい色を出すために、
専属のスタッフが撮影現場でもセットや衣装の色について指導していたらしい。)
あのテクニカラーの色彩が蘇るのなら、たしかにハイクオリティの意味があるだろう。

麻倉さんは「ハイクオリティは本物の映像を伝えてくれる」とも言ったが、
じゃあ、本物の映像って何だろう。
昔の映画の場合、製作者は本当にそんな高解像度の映像を伝えたいと
意図していたのだろうか。
そして、現在、発表会のサンプル映像では、
『ナルニア国物語 ライオンと魔女』の馬のたてがみ、
『ニュー・シネマ・パラダイス』のトトの帽子の質感、
『世界遺産』のピサの斜塔の柱まで、くっきり見えた。
それほどの高解像度が求められるとき、製作側はどんな映像を作るべきなのだろう。

『ブログスフィア』

ブログスフィア アメリカ企業を変えた100人のブロガーたち
『ブログスフィア アメリカ企業を変えた100人のブロガーたち』
ロバート・スコーブル、シェル・イスラエル・著
酒井泰介・訳
日経BP社

“ブログスフィア”とは、ブログによって構成されるコミュニティーのこと。
著者のひとりロバート・スコーブルは、マイクロソフトの社員として、
ブログを運営し、ビジターからのコメントに誠実に答えることで、
マイクロソフトの企業イメージを向上させた。
そんな“企業ブログ”、“社員ブログ”の例を紹介し、
ブログによって企業は顧客と対話をすることが必要だと説く。

『Firefox』や『ICQ』など口コミマーケティングの成功例を紹介し、
ブログは口コミに有効だという。
「グーグルで高いランキングを獲得するために
最も安く、速くて、簡単な方法は、ブログを頻繁に更新することである」
「何か、語るに足るものをつくるか、さもなければ無視されるかだ。
語るに足るものをつくれば、人々はそれについて話す。
そしてそれによって、口コミが広がるのだ」

企業が自分の考えをマスコミに話しても、
報道されるのはほんの一部だったり、歪曲されていた。
ブログによって、企業は直接自分の考えを表明できる。
サン・マイクロシステムズのCOOジョナサン・シュワルツは言う。
「ジャーナリストが私のブログについて記事を書くと、
私はそれについてブログに投稿する。これは変化だ」

RSSの生みの親デイブ・ワイナーは、
ブログをやっている企業よりも、個人に興味をもっているという。
「創造性とは、個人だけが持っているもので、
企業には備わっていないものだからね」

「企業はブログによってより正直になったが、
顧客もブログ上での方が一般的な世論調査より正直だ」
「顧客は彼自身よりも欲しい商品をよく知っていて、
彼はそんな声を聞くことによって成功しているんだ」
「正統性こそがブログの本質であり、
それが企業にとってこれまでにないコミュニケーションを実現する。
メリットとして(企業は)顧客の信頼性を勝ち取ることができる」
などなど。

ロレアルの一部門ヴィシーは、架空の女性が自社製品を利用する
キャラクター・ブログを立ち上げたが、このような広告ブログはむしろ反感を買った。
結局ロレアルは謝罪し、このブログを閉鎖。
あらたに立ち上げたブログでは、本当の社員がユーザーと対話し、
製品の感想を自由に書いてもらったところ、このブログは好感をもって受け止められ、
製品の販売向上にも役に立った。
という例が紹介され、
マーケティングだけを目的にした広告ブログではなく、
社員が本音で語るブログこそが必要だという。

この本の成功例だけ読んでいると、
確かに企業は社員ブログを推奨するか、経営者自らブログを始めるべきだ
と思えてくる。
一方で、著者たちはブログは文化であり、国や企業によっては向かないという。
国別では、ドイツ、中国、スペインではブログは盛んではないが、
日本やフランスではブログが利用されている。
企業では、マイクロソフト、サン・マイクロシステムズは社員ブログを認めているが、
自由な企業と見られているグーグルやアップルは社員ブログを規制している。

そのほか、ブログに本音を書いたために会社をクビになった例や、
クビにならないためのブログの心得、
ネガティブなコメントへの対処方法まで書かれている。

ブログが企業イメージを変えるという話は非常におもしろいのだが、
日本のブログで実際におもしろい企業ブログや社員ブログを見たことがないので、
著者たちの主張に対して私はまだまだ懐疑的。
(ちゃんと探していないせいもあると思うが、
日本の企業ブログってマーケティングっぽいものとか
つまらない社長ブログしか見たことがない。)

たとえば、このブログだって私が本名と会社名を明らかにして書くとしたら、
あちこち削除しなければいけない。
(自分の主張に変わりはないけれど、社名を背負うということは
別の責任があるわけで、完全に自由な言論なんて無理だ。
だいたい、このブログを読んでる人は私の知り合いがほとんどだろうから、
私が何者かはたぶん最初から知っている。
検索にひっかかって偶然読んでいる人は、
私がどこの誰であるか、なんてことに興味はないだろう。)

それでも、ブログが企業と顧客の関係を変えると信じてみたい気もする。


ピクサー展

Pixar
ピクサー展 ~『トイ・ストーリー』から最新作『カーズ』まで~
at 森アーツセンターギャラリー

『カーズ』を見てから行こうと思っていたら
最終日になってしまいましたが、『ピクサー展』に行ってきました。
ピクサーといっても、CGではなく、デッサンやパステル画、
ストーリーボード、マケット(立体模型)など、
ピクサーの美術を裏でささえる2D作品の展示会。

ピクサーのアートを意識するようになったのは
『モンスターズ・インク』から。
工場や町並み、モンスターの色まで、明るいパステルを基調としていて
きれいだなと思って映画を見ていたのですが、
記者会見で監督たちは「すばらしいパステル画を描くアーティストがいて、
その絵を基にあの色彩は作られている」と語っていました。
今回の展示会でそのアーティストがドミニク・R・ルイスだと判明。
『モンスターズ・インク』のDVDの特典にもデザイン画が収録されていますが、
青い色の満ちた工場内に、窓から差し込む光、ポツンと残っているドア
という絵は、もうそれだけで十分ひとつのアート。
『モンスターズ・インク』の世界観をどうするのか、未来的な工場にするのか、
古い煉瓦造りにするのか、といった試行錯誤が数々のデッサン画からわかります。

『Mr.インクレディブル』は特にレトロな世界観だから
カラースクリプトも1960年代(?)あたりのポスターみたいだし、
『カーズ』で私が感動した風景もデッサン画が基になっていました。

目玉作品の『立体ゾーエトロープ』は、
一見、マケットがぐるぐる回るメリーゴーランドみたいなんですが、
明りが消えてスライドが光ると、アニメーションの原理で
マケットたちがぴょんぴょん跳びはね、手を振って動き出す素敵な作品。
ジブリ美術館の『トトロぴょんぴょん』にインスパイアされたとのことで
展示会が終わっても、これはどこかに置いてほしい。

以下、『カーズ』の技術について。
車を擬人化するにあたり、目玉の位置や視線をどうするか、
背景のマット・ペイントなどおもしろい記事でした。
SIGGRAPH 2006 - 「Cars」製作秘話セッション~車に命を吹き込んだピクサーマジックの秘密
ピクサーのマット・ペインターが語る、ピクサー流制作プロセス
ピクサーの最新映画“カーズ”を支える古典的手法“マットペイント”とは?


『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』

ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学
『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』
ゲーリー・S・ベッカー、リチャード・A・ポズナー・著
鞍谷雅敏、遠藤幸彦・訳
東洋経済新報社

経済学者ベッカー教授と法律家ポズナー判事、
ふたりの専門家によるブログ『The Becker-Posner Blog』
ベッカー教授が『ビジネス・ウィーク』誌に連載していたコラムを抜粋、
テーマごとにまとめた本。

ブログは、毎週テーマを決め、ひとりが基調エッセイを書き、
もうひとりがコメントをつけるという形で進められたもの。
ブログの指導をしたのが、ポズナー判事の書記だった
ローレンス・レッシグ教授だというのもおもしろい。
元のブログにはさらにコメントがつけられているが、
本書には基調エッセイとそれに対する返答のみ。
まあ、書籍化した時点で元がブログであることは
ほとんど関係なくなってしまうのだが、
専門家の高いレベルの対話がネット上で簡単に
実現できるのは、ブログの強みだろう。

ふたりとも経済レベル、知的レベルが高く、
同じ“階級”に属する人なので、基本的に考え方の方向性は同じ。
意見が激しく対立することはない。
逆に言うと、アメリカのそういうレベルの人が(ある種のインテリ層)、
経済や社会の問題に対して、どう考えているのかがわかる。

「カトリック教会の聖職、男性ばかりの職業は
同性愛の男性にとって魅力があるのは明らかだが」とか、
「経済学的観点からすると、女性の家庭内での生産活動
-そのうちの重要な要素として、子供の人的資本形成における
母親としての貢献が含まれる-に比べて、女性の労働市場での
生産活動がより大きな社会的価値を生むものでないかぎり、
労働市場への女性参加は奨励されるべきではない。」とか、
なかにはおいおいと思う記述も。

「生活保護を減らし、自分で仕事に就くことを奨励するほうが、
経済状況は改善される」とかも金持ちの意見だなーと思う。
それでも
「欧州、とりわけフランスでは移民の受け入れがうまくいっていないので、
イスラム系移民が孤立しがちだ」とか、
日ごろ考えたこともない事柄について問題提起されるのは有意義。

訳者のひとり、鞍谷氏はベッカー教授の教え子らしいが、
非常に読みやすい訳文。

『感動をつくれますか?』

感動をつくれますか?
『感動をつくれますか?』
久石譲・著
角川書店

『となりのトトロ』などの宮崎アニメ、
『あの夏、いちばん静かな海。』に始まる北野作品などの
映画音楽で知られる久石譲が、自身の作曲活動について、
映画と音楽について、創造力について語った本。

私は久石譲の映画音楽を「演出過剰でうるさい」と思っている。
(それでも『となりのトトロ』にも『あの夏、いちばん静かな海。』にも
あの音楽が必要だったことは認めざるえない。)
『感動はつくれますか?』というタイトルにも引き気味だったのだが、
読んでみたら意外におもしろかった。

北野武は「普通なら音楽が必ず入る箇所があるでしょう?
そういう箇所から一切、抜きましょう」と言い、
久石譲も「映画の説明過剰な音楽の使い方は嫌だ
という北野さんに共感する。」と書いている。
北野武はいかにもという感じだが、
久石譲の音楽を演出過剰と思っている私にはこの言葉は意外。
(『あの夏、いちばん静かな海。』の音楽は
台詞や演出の空間を埋めるためにあると思っていた。)

「冒頭の5分でその映画全体の音楽の量が決まる」とか
「映画一作につける音楽は平均20~30曲。
宮崎アニメは上映時間が長いせいもあって曲数は比較的多い。
大林作品は曲が入らない場所を探すほうが難しい。
北野作品は10曲ほどだが、一度音楽を入れると長く使うから、
トータルで音楽の入っている時間は決して短くはない。」
という話もへーっと思った。

よく使われる映画を盛り上げるための音楽を“状況外音楽”といい、
出演者が演奏したり、街に流れているBGMなど
効果音に近い音楽を“状況内音楽”といい、
監督作『カルテット』は状況内音楽で構成した映画だったそうだ。

「『冬ソナ』を見て、「うわー、こんな恥ずかしいことよくやるよな」と
思ったが、「こんなことは僕にはできない」と思うことは、
自分の中で勝手に自分を規制していることにほかならない。
あざとくても下世話でもそういうものが求められているならば、
堂々とやりきってしまうほうがいい。
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返しだ。
頭の中にそんな自意識があったのでは、本当に人を楽しませたり
喜ばせたりするものをつくることはできないだろう。」

「創造力の源である感性、その土台になっているのは、
自分の中の知識や経験の蓄積だ。
そのストックを、絶対量を増やしていくことが、
自分のキャパシティ(受容力)を広げることにつながる。
質より量、とにかくたくさんのものを自分の中に取り込む。
中にはつまらないものを読んでしまった、おもしろくなかった、
と感じることもある。それも蓄積だ。」

などなど。
しごくまっとうなことを言っているだけだが
プロとして仕事を続けてきた著者が言うとそれなりに説得力がある。

『時をかける少女』

時をかける少女 オリジナル・サウンドトラック
『時をかける少女』
at テアトル新宿

初めて自分でお金を払って、親とではなく友達と見に行った映画が
『時をかける少女』だったので、
その後、何度か映像化されているものの、
原田知世以外の和子ちゃんなんて考えられない訳で、
最初にアニメ化と聞いたときも「なんだそれ」と思った。
おまけにキャラクターデザインが『エヴァ』の貞本義行だという。
男の子も少女みたいに見える、
エヴァの線の細いキャラクターがすごく苦手で
ますます「えー」と思った。

ちょっと興味がわいたのは監督が細田守で、マッドハウス制作だということ。
私はまったく知らなかったのだが、アニメファンの間では
細田監督は有名で、彼が演出したアニメの回をまとめたサイトなどもあるらしい。
うちの妹も『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』
の監督だと注目していた。
マッドハウスについては『パトレイバー WXⅢ』と『東京ゴッドファーザーズ』で
その質の高さ、表現力、演出力にちょっとした衝撃を受けたことがある。

そして公開前から聞こえてくるのは、いい評判ばかり。
公開後もそれは続き、『ゲド戦記』の酷評ぶりとは対照的に、
どの映画サイトでも「見てよかった」の上位にランクしている。

前おきが長くなったけど、そんなこんなで見に行ってきました。
水曜日のレディースデー、学生は夏休み中ということもあるけど、
平日の朝10時の回が満席、次の12時の回も行列ができていて
整理券を配布しているという混雑ぶりにびっくり。
客層も、私の左隣がいかにもという感じの小太りの兄ちゃん、
右隣が学生カップル(彼女のセレクトだったらしく、
男の方は「次の回にすればよかったかな」、「おもしろいかな」とぶつぶつ)
そのほか、私のように原田知世に思い入れのある世代、
終了後、「○○くん、萌えー」と言っていた腐女子っぽい女の子たち、と実に幅広い。

結論から言っちゃうと、恋と友情を描いた青春映画として
評判どおり、かなり良い出来でした。

部分的にCGで描いているらしいリアルな背景と
ベタ塗りの線画みたいなペラペラなキャラクターという組み合わせは
写真に紙を貼り付けたみたいで、ちょっと違和感があるのだけど、
このズレが意外にこの映画の世界とあっているのかも。

物語の方は基本的に原作通りなのだが、
(原作は原田知世版のときに読んだきりだからうろ覚えだけど)
現代版にアレンジするとこうも変わるのか、というところがうまい。
「深町くん、私怖いわ」という知世版に対し、
新ヒロイン真琴は「タイムリープって最高ーッ」と言う。
「これが恋するってことなの。わからない」と涙を流した知世に対し、
真琴は「うわーーーん」と泣くのだ。

泣き所はいくつかあるのだが、最も感動的なのは
真琴が自分の強い意思で跳ぶ場面。
(知世版ではこれが「土曜日の実験室!」になる。)
細田監督は「映画にはふたりの女性が登場し、ひとりはかつて時をかけた少女、
もうひとりは今、時をかける少女」とコメントしてますが、
まさにここが、今回のアニメ化のポイント。
当時でさえ、古くさく甘ったるくノスタルジックだった知世版に対し
(そこが受けたんだけどね)、
今回は、今を生きるヒロイン。過去を修正するのではなく
未来は自分の手で変えられると信じている。

高校生を主人公にした映画は多いが、
たいてい、あの頃は良かったな的ノスタルジー視点で描かれているので
(作っているのがオヤジだからしょうがない)
実際に現役の高校生や大学生が「自分の等身大の映画」として
共感できるものはすごく少ない。
この『時をかける少女』は本当の意味で青春映画だ。
アニメオタクや知世世代以上に、一般の学生たちに受けたことが
この映画のヒットの理由だと思う。

クライマックスが何ヶ所かあり、後半そのつなぎが悪く
ちょっと冗長になっちゃうところとか
「帰らなくちゃいけないんだったら、なんで……」とか
「時間が戻ったらチャージがリセットされるんだったら……」とか
つっこむところはあるんだけど、そうなると物語が成立しないしなー。

「クチコミでヒット中」とネットニュースでも取り上げられているが、
このクチコミに関しては戦略的。
角川は元々、作品の質に自信があったのだろう。
「自分のブログをもっていて、映画の感想を書いてくれる人なら
誰でも応募できる。ほめる必要はなし、好きに書いていい」として
公開前に「ブロガー限定試写会」なるものを開催している。
実際に、私が公開前に聞いた評判はここらへんが発信源だと思う。
映画自体の出来が良くないと使えない戦法だが、
ネットをマーケティングに利用した成功例。

『ティム・バートンのコープスブライド』

ティム・バートンのコープスブライド 特別版
『ティム・バートンのコープスブライド』

ティム・バートンが苦手な私にしては
すんなり楽しく見れました。
だんだんエミリーがかわいく見えてくるあたりもうまい。
ミュージカル場面はそれほど楽しくもないんだが、
ビクターとビクトリア、ビクターとエミリーが心を通わせる、
ピアノを弾く場面は両方ともとってもいい。
死者と生者という“障害”がなかったら、
ビクターがどっちの女性を選んだか微妙だよな。

パペットを使ったストップ・モーションアニメといっても、
カメラをコンピューターで制御していたり、
パペットが高性能になって口を動かすことができるようになっているので、
1カット、1カット地道に撮影していることにはかわりはないけど、
見ているぶんには「CGだよ」と言われても区別がつかない。

製作には10年かかっているらしいが、
人形がジョニー・デップやヘレナ・ボナム=カーターによく似ていることを考えると、
実際の撮影はここ4年くらいのはず。
ジョニーの声に不満はないが、彼じゃなくてもよかったような。
(ジョニーだと思うと、最初からビクターが何割増しか
かっこよく見えるという効果はありますが)

メイキングにジェーン・ホロックス(『リトル・ヴォイス』)が出ていて
はじめて彼女の声に気づいたり。ちょっと老けた?
そのほか、アルバート・フィニーとかティム・バートンが知り合いに
声をかけまくったような声優陣。みんな芸達者だけど。

どうして、アメリカのアニメだと役者が声優をやっても気にならないのに、
日本のアニメだと「命を大切にしないやつは嫌いだ」になっちゃうのかなー。
英語だから気がつかないだけ?
日本の声優がそれだけ上手いのか?
日本のアニメとアメリカのアニメでは声を出すタイミングが違うからか?

ヘレナ・ボナム=カーターはティム・バートンのパートナーになってから、
嬉々として変な役ばかりやってるけど、
彼女といいジョニーといい、同じ面子ばかりで映画を作るのは
役者にとっても監督にとってもプラスになっていないと思う。

『カーズ』と同じく、この映画もジョー・ランフトに捧げられている。

Google Mapsで遊ぼう

Web2.0の理論を読むのはいいかげんうんざりしてきたので、
とりあえず実践!、ということでGoogle Maps APIで地図を作ってみた。→ここ

「え、こんだけ?」と思うでしょうが、
ここにいたるまでは結構大変だったのだ。

参考にしたのはこれ。
Googleマップ+Ajaxで自分の地図をつくる本  Google Maps API徹底活用
『Googleマップ+Ajaxで自分の地図をつくる本』
米田聡・著
ソフトバンク クリエイティブ

ただ、私がもってるのが2005年12月の初版本で、
現在、 Google Maps APIはバージョン2になっているため、
関数などが変更されていて多少の読み替えが必要。

JavaScriptもXMLもXSLもよく知らないが、
まあこの程度はなんとかなるだろうと思い、
実際、なんとかなったのだが、
エラーが出たり、うまく動かないと、その理由がなかなかわからない。
久々にデバッグなんかしました。
後半のデータベースを利用するところになると、
サンプルプログラムを使ってもうまく動かないので挫折。

あらためて基礎を勉強したら、
建築マップとか作ってみたい。
AjaxとかAPIなんて言われてもピンとこないけど、
こういう地図がタダで利用できちゃうってのはやっぱりすごい。

『検索エンジンがとびっきりの客を連れてきた!』

検索エンジンがとびっきりの客を連れてきた! 中小企業のWeb2.0革命
『検索エンジンがとびっきりの客を連れてきた! 中小企業のWeb2.0革命』
佐々木俊尚・著
ソフトバンククリエイティブ

著者の佐々木氏は『グーグル Google 既存のビジネスを破壊する』
羽田空港近くの駐車場を運営する夫婦が、いかにして検索連動型広告で
顧客を獲得するにいたったか、全体の3分の1ものスペースを割いて解説している。
『グーグル』を読みながら、検索連動型広告やロングテールの具体例とはいえ、
こんなにていねいに語る必要があるのか、疑問に思ったものだ。
今回はその具体例だけを、金庫店や弁当屋など9社にわたって紹介している。

内容はどれもこれも、バブル崩壊や震災のあおりをくらって
ほそぼそと続けていた家業が立ち行かなくなり、倒産直前から
ネットの検索連動型広告と出会うことにより、顧客獲得に成功した話ばかり。
ノリでいえば『プロジェクトX』というより『ガイアの夜明け』。

検索連動型広告については正直途中で飽きてしまうのだが、
おもしろいのはネットとまったく関係ない人それぞれの人生。
例えば品川の屋形船の場合、
元々は海苔業者だった船清は、1956年品川埠頭の建設が決まり、
転職を余儀なくされ、釣り船経営を始める。
1970年代の釣りブームによって経営は成功するが、
釣りブームの終焉とともに売り上げは落ち、1988年、屋形船を始める。
スポーツ紙に広告を打つことで、評判を呼ぶが
バブル崩壊後、大口の法人顧客が減少し、経営が低迷。
新入社員のすすめでインターネット広告を始める。
これに、釣り船を始めたころに嫁いできて、現在では女将となった
妻・陽子さんの奮闘ぶりがからむ。

「女将さん!たいへんです!すごいのが出たんですよ!」
「トップに出るのね? 下とかじゃなくて」
陽子は興奮して、すぐに指示した。
「これやって! とにかく申し込んで、すぐにやって!」
平山はその場ですぐにオーバーチュアに連絡を取り、キーワード広告を申し込んだ。

この辺の描写はほとんどワイドショーの再現ビデオである。
寂光院の火災により民宿経営に大打撃を受け、
味噌のネット販売を始める『味噌庵』、
バブルのあおりを受け、大手ガラスメーカーが倒産、
下請け仕事を受注できなくなり江戸切子を売り出す『華硝』、
どこの会社にもそれぞれの人生があり物語がある。

オーバーチュアに取材協力を受けていることもあり、
本に出てくる9社は現在でもキーワード広告の上位に表示される。
スポンサーサイトには今までまったく興味がなく、
クリックすることもなかったのだが、彼らの経営努力には感心する。
弁当屋『萌黄亭』はSEOや効果的な検索キーワードも
熱心に研究しているし、どの会社も新商品の開発に余念がない。
中小企業には中小なりの物語がある、
結局、著者はそれに魅了されてしまったのではないだろうか。
そう考えると、不必要に長かった『グーグル』のエピソードの訳も理解できる。

多くの会社が、若い三代目や新入社員などによって
検索連動型広告と出会っていること、
ネット広告にシフトすることで、新聞広告をきっぱりやめている
という共通点は注目に値する。



ごろごろ

夏休みはあいかわらず隠居所でごろごろ。
今回はバカじゃないのというほど
欲張って本をもってきたので、せっせと読書。
外は暑いけど、家の中は風がぬけると涼しくてクーラーいらず。
しかし、こんなにごろごろしながらルワンダの虐殺を嘆いてみても
そんなの偽善的だよなー。

Rimg0292
8月14日撮影。
ふるさとまつりの花火を庭から見る。
例によって惑星大爆発みたいな写真ばかりで、これは比較的まともな一枚。

Rimg0297
8月15日撮影。

Rimg0303
8月16日撮影。
深田久弥が亡くなった茅ヶ岳(だと思う)。

『ジェノサイドの丘』

ジェノサイドの丘〈上〉―ルワンダ虐殺の隠された真実

ジェノサイドの丘〈下〉―ルワンダ虐殺の隠された真実

『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』
フィリップ・ゴーレイヴィッチ・著
柳下毅一郎・訳
WAVE出版

映画『ホテル・ルワンダ』で描かれた
1994年のルワンダ大虐殺を追ったルポルタージュ。

上巻では虐殺の経緯、歴史的背景を
数多くのインタビューを通して丹念に追っている。
『ホテル・ルワンダ』のモデルとなった、
ミル・コリン・ホテルのポール・ルセサバギナや
ニック・ノルティが演じた国連軍指揮官のモデルとなった
カナダ人将校ロメオ・ダレールも上巻の後半に登場するが、
この本を読む限り、『ホテル・ルワンダ』で描かれたのは、虐殺のほんの一部。
映画ではホテル内もいつ民兵が襲ってくるかわからない危険な場所に見えたが
避難所であるはずの教会で牧師が虐殺を指揮したルワンダにおいて、
ミル・コリンはかなり安全な場所だったのだ。
著者フィリップ・ゴーレイヴィッチは言う、
「なぜ牧師が弱くなってしまったかの理由を知りたいとは思わない。
ポール・ルセサバギナがなぜ強くあれたのかを知りたい」

ていねいな取材を通して、著者はこれはフツ族がツチ族を殺し、
ツチ族がフツ族を殺した、愚かで単純な民族対立ではないことを説き、
国際社会の責任も追及する。
『ホテル・ルワンダ』の感想でも書いたが
虐殺の背景には、ベルギーが植民地支配の一環として
フツ族とツチ族の対立を利用した歴史がある。
さらに虐殺が行なわれている間、国際社会はこれを黙殺した。
(映画『ブラックホーク・ダウン』で描かれたソマリア侵攻の直後であり、
アメリカは軍事介入をしなかった。)
フランスは虐殺を行なったフツ至上主義者を軍事面で支持した。
その後、多くのフツ族難民が生まれた。
(ここが混乱しやすいところなのだが、難民となったのは
ジェノサイドを行なった側である。
報復を恐れたフツ至上主義者たちは、
一般のフツ市民にまぎれて難民キャンプへ逃げ込んだ。)
国際的な人道援助団体により設営された難民キャンプは
結果としてジェノサイドを行なった殺人者たちを助け、
彼らの再軍備に利用された。

ルワンダ虐殺後を描く下巻になると
さらに何が正義なのかわからなくなる。
難民キャンプを閉鎖しようとしたルワンダ愛国軍(RPA)の作戦が失敗し、
2000人のフツ住民が死亡する。
『ホテル・ルワンダ』では、ルワンダ愛国戦線(RPF)の支配地域に
逃げ延びたことで、ポールたちは助かる。
そのときはRPFはジェノサイドを止めたヒーローだったが、
彼らもまた住民たちを殺した。
難民キャンプが閉鎖され、強制的に帰還させられた人々によって、
ルワンダはかつて殺人を行なったものと、
家族を殺された生存者たちが一緒に住むことになる。
フツ至上主義部隊とRPAの戦闘はその後も続き、
隣国ザイール(コンゴ)やウガンダもいまだ安定していない。
ルワンダ人は言う、
「すべての人間は生まれながらにして平等だ、ときみは言う。
そんなのは嘘だし、そのことはきみだってわかっているはずだ。
それはただ受け入れやすい政治的真実というだけだ。
このひとつの言葉しかない狭い国でも、ぼくらはひとつではない。
だけど本当にひとつになるまではそのふりをしつづけないとならない。」

本の中でははっきりとは書かれていないが、日本も無関係ではない。
難民キャンプを維持した国連高等難民弁務官は緒方貞子だったし、
外務省のサイトにも「日本は、国際平和協力法に基づき、
ザイール共和国(当時、現コンゴ民主共和国)のゴマ等に
約400名の難民救援隊・空輸隊等を派遣した」と誇らしげに書かれている。
(ルワンダは日本主体の人道的な国際救援活動として
自衛隊を海外派遣した最初の例である。)

現ルワンダの大統領ポール・カガメは言う、
「あるいは、我々は実際に難民キャンプを支えた人たち、
キャンプに一日百万ドルを注ぎこんだ人たち、
彼らが軍隊を再建して武装難民となるのに手を貸した人たちを
告発すべきなのかもしれない。
結果的に難民たちが戦闘に加わって死んだのなら、
その責任はルワンダより、コンゴより、同盟軍よりもはるかに彼らの方にあるだろう。
なぜ彼らを告発してはならないのか?
それが彼らが振り払おうとする罪悪感ではないのか。
彼らがそらそうとしているものではないのか」

アメリカの翻訳ものにありがちな
詩的な文章はあまり好きではないのだが、
隣人が隣人を殺し、10人に1人が虐殺されたこのジェノサイドを語るには
フィリップ・ゴーレイヴィッチの文体はふさわしい。
重すぎる現実を描きながら、感動をもって読むことができる。


『Web2.0超入門講座』

Web2.0超入門講座 初心者でもよくわかる「これからのWeb」のすべて
『Web2.0超入門講座 初心者でもよくわかる「これからのWeb」のすべて』
小林祐一郎・著
インプレスジャパン

『ウェブ進化論』の功罪として、「Web2.0」という言葉だけが
ひとり歩きしてしまったことがあると思う。
明確な定義もないものだから、Web2.0解説本がやたらと出た。
なかには「これのどこがWeb2.0の話なんだ」という本まで
タイトルに「Web2.0」と銘打つことで売れている。
そんな中でこの本は比較的まっとうにWeb2.0のキーワード、
本質的な意味を解説している。
逆に言うと、ある程度「Web2.0ってこんなもん」と
わかっている人には、目新しい話は特にない。

ちょっとめずらしいところでは、Web2.0を
“スケールフリー・ネットワーク”というキーワードで説明している点。
スケールフリー・ネットワークとは「ノードが増え、成長し続ける」ネットワークで
「ノードは好きな(有用な、有名な)ノードを選んでリンクする」という法則がある。
そして「Web2.0とは、スケールフリー・ネットワークであるWebで
成功するための方法」だという。
つまり、「たくさんリンクを得れば勝ち」で、
ロングテールもAPIもブログもたくさんリンクを得るための方法だと。

私は「Web2.0がビジネスになる」とか「Web2.0が儲かる」って考えは
『ウェブ進化論』の誤読だと思っていて、あまり信用していない。
(今後のネットサービスはWeb2.0的なものになっていくだろうけど、
それと儲かるかどうかは別問題。)

この本の第7章では「Web2.0を体感するための10の手がかり」
として次の項目をあげている。
1. オンラインショップで買い物をする。
2. RSSリーダーでブログを読む。
3. Ajaxを利用したWebサービスを体験する。
4. Podcastingの番組を聴いてみる。
5. 「口コミ」情報を探してみる。
6. 家に帰ったらパソコンとテレビをつけて、
パソコンの前に座って寝るまですごす。
7. Q&Aサイトで質問してみる。
8. 試験的サービスを利用して、
サービス関係者に意見や要望を出してみる。
9. 「情報の共有」を経験する。
10.ブログを書く、読む、コミュニケーションする。
どこがWeb2.0?というものも含まれているけど、
頭でいろいろ考えるより体験しなきゃWeb2.0はわからないってのはそのとおり。

紹介されている中でおもしろそうなWeb2.0サービス。
gooラボ、アルプスラボ、はてなラボ、
マップコミ、Ask.jp、NAMAAN、kizasi.jp

『シリコンバレー精神』

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土
『シリコンバレー精神 グーグルを生むビジネス風土』
梅田望夫・著
筑摩書房

ベストセラー『ウェブ進化論』の著者、梅田氏が
2001年に出版した『シリコンバレーは私をどう変えたか』に
「文庫のための長いあとがき」を追加して文庫化。

言ってしまえば『ウェブ進化論』人気に便乗した本だが、
もともと1996年~2001年にかけて月刊誌『フォーサイト』に掲載した
『シリコンバレーからの手紙』をテーマごとにまとめたもので、
当時のシリコンバレーのエネルギーとネットバブル崩壊、
マイクロソフトの独禁法違反裁判などが、現地からの生の言葉として書かれている。
さらに、「文庫のための長いあとがき」では、
次の5年間(2001年~2006年)を経過した視点から当時を振り返っている。

1998年ごろだったと思うけど、ITの中心がシリコンバレーだった時代があり、
私も最新ニュースを読むために「サンノゼ・マーキュリー」をチェックしていた。
(CNETやWIREDもあったけど、すべてが日本語化されるわけじゃなく、
日本語化されるまでに2、3日かかったから一生懸命英語を読んでいた。)
それが2000年4月にネットバブルが崩壊し、
最新ニュースはシリコンバレー発ではなくなった。
(むしろアジアから新しい動きが起こっていた。)
シリコンバレーに活気が戻ってきたのは、つい最近、グーグルの成功以降だろう。
そんなあたりの話が梅田氏の視点で語られる。

今、振り返って初めてわかることもあり、
グーグルについては最初の5年間には1ヵ所しかでてこない。
それでも産学一体となったスタンフォード大学が
非常に有能なナードたちの技術をビジネスと結びつけ、
それに投資するベンチャー・キャピタルの仕組みがある
シリコンバレーだからこそ、グーグルの成功を支えたことは理解できる。
(グーグルについてもっといえば、ネットバブルの崩壊によって、
投資だけでなく自分たちで利益を生み出す必要に迫られたこと、
マイクロソフトが独禁法裁判によって動きがとりにくかったことも
結果的にはラッキーだったと思う。)

リーナス・トーバルズの
「プログラミングという仕事は、エンジニアリングとアートのちょうど間にあると思う。
職業としてのプログラマーは、
科学者と技術者と芸術家と職人が合わさったような感じかな。」
という言葉がおもしろい。

また、会社を辞めて独立した梅田氏に対し、
「何でもかんでも、すべては個人の中から生まれるんだ。会社からじゃないんだ。
価値を生み出すのは会社ではなくて、個人なんだ。」
というゴードン・ベルの言葉も示唆に富んでる。

『ウェブ進化論』とはまったく別の内容だが、
シリコンバレーにあこがれる人や、望夫ファンは読むべし。

『複数の時計』

『複数の時計』
THE CLOCKS
アガサ・クリスティー・著
橋本福夫・訳
ハヤカワ・ミステリ文庫

1963年のポアロもの。
といってもポアロは安楽椅子探偵に徹しているので、ほとんどでてこない。
ポアロの口をかりて、クリスティーの文学論が展開されることでも有名な作品らしいが、
グリーンの『隠居殺し』、『アルセーヌ・ルパンの冒険』、
ルルーの『黄色い部屋の秘密』、『シャーロック・ホームズの冒険』と、
どれもちゃんと読んでないので、機会があったら読んでみたい。

「ギャリイ・グレグソン(架空の作家)のメロドラマ・スタイル」みたいだという
台詞が出てきますが、全体的に話の作りがメロドラマっぽい。
(まあ、そういう事件なんだけど。)
メモの秘密や犯人もわりと簡単に見当がついちゃうし。
語り手のひとり、コリン・ラムくんが諜報部員ってのもなー。
『青列車の秘密』もそうだったけど、こういうハードボイルド的な味付けは
クリスティーには向いていないと思う。

『DIGITAL RETRO』

『DIGITAL RETRO』
ゴードン・ライング・著
トランスワールドジャパン

1975年の「MITSアルタイル8800」から
1988年の「ネクスト・キューブ」まで
往年の家庭用コンピューターを紹介した本。
『COLLECTABLE TECHNOLOGY』の姉妹本ともいえるが、
『COLLECTABLE TECHNOLOGY』がパソコンのほか、
電卓やAV機器なども幅広く扱っていたのに対し、
こちらは家庭用コンピューターに特化。
各機種のスペックや当時の販売価格、メーカーの歴史も書かれている。

「MITSアルタイル8800」のアルタイルの名は
「スタートレック」を見ていた12歳の娘が
エンタープライズ号が向かう惑星の名前からつけた、とか

「マテル・インテリビジョン」を発売したマテルの主力商品バービーは
娘バーバラのニックネームからとり、ケンは息子の名前に由来する、とか

ヒューレット氏とパッカード氏はコインを投げて
どちらの名前を社名の初めにもってくるかを決めた。
同社の「HP-85」の大企業の顧客第一号は、
『ファンアジア』のプレゼンテーション用のオーディオ機器を
検査するために8台を購入したディズニー社だったとか、

リーナス・トーバルズは、
「コモドールVIC-20」から「シンクレアQL」に乗り換えたとか、
インテグレーティド・エレクトロニクス(インテル)は
同名のホテル・チェーンが存在したが、社名を譲ってくれたとか、
知ってどうするトリビアが満載。

“家庭用コンピュータ”というカテゴリーがあいまいなので、
「セガマークⅢ」や「任天堂ファミコン」など、“ゲーム機”も
同列に紹介されているのはちょっと違和感。
でもこの時代には両者に大きな境界線はなかったんだよね。
「シンクレアZX80」のペタペタした膜接点キーボードを見て
「ぴゅう太」を思い出したよ。

多くのコンピューターのCPUに6502とZ80が使われているのも印象的。
ある意味、みんなが手作りでコンピューターを自作していた時代。
いろんな企業がコンピューターを作るけど、
「シンクレアQL」、「エイコーン・エレクトロン」、「マテル・アクエリアス」など
デザイン的には美しい機種がまったく売れなかったのは残念。
メーカーヒストリーを見ると、多くの企業がその後、破産したり、撤退している。

そして1984年に「IBM 5170 PC AT」が登場。
「全機種との互換性を保つため、オリジナルPC ATのデザイン様相が
今も非常に多く残っている。今日私たちが使用しているキーボードの
レイアウトは1984年に初めて導入されたものと同じである。」
機能が安定してくると同時にデザインも変化のないものになってしまう。
ノスタルジックに昔を振り返るのは後ろ向きだなーと思うけど、
パソコンがまだ夢だった時代を思い出させてくれる一冊。
著者は最後にこう書いている。
「IBMのPCが長い目で見れば勝利したのかもしれないが、
1982年に戻ったつもりになるとこんなに楽しいのは皮肉である。」

(どこを見ても訳者が載っていないのだが、非常に読みにくい直訳文体は最悪。
“ムーアの法則”のGordon Mooreを「ゴードン・モーア」と訳している点で
ちゃんとした訳者をつけていないと思える。)

『M:i:III』

『M:i:III』
at 渋東シネタワー

今さらの観賞なので、すでにエンターテイメント映画として
一定の評価を得てる感がありますが、
「チームプレイっていっても4人だけか」とか
「フィリップ・シーモア・ホフマンの存在感はさすがだけど
悪役としてはあまり好きじゃないかも」 とか
「アクションの連続で飽きさせないけど、
こういうのもう疲れたかも」とか
私としてはちょっともの足りない。
まあ、でも誰が見てもまちがいなく楽しめるレベルなのはたしか。

脚本の時期からすると、トムの結婚より前にストーリーは
できてたはずだけど、やたら私生活と重ねて見られがちなのは
やっぱりトムだから?
ミシェル・モナハン の顔をどこで見たか思い出せなかったんだけど
『スタンドアップ』だった。(『Mr.&Mrsスミス』にも出てるらしいが)
えらい出世だねー。(でも、『M:I-2』のヒロイン、タンディ・ニュートンも
その後は苦労してますけどね。っていうかあの彼女はどうしちゃったのさ>イーサン)

これもすでにあちこちでほめられてるけど、
トムのアクションはさすが。
上海を駆け抜ける場面では、ただトムが走ってるだけのシーンが
続くんだけど、その走りっぷりがほれぼれするほどかっこいい。
おそらく彼はこの場面のためだけでも走るトレーニングをして、
観客が見て美しい走りとは、を追求したに違いない。

マギー・Qはいい味だしてると思うが、
ハリウッドに出てくるアジアン・ビューティーって
ルーシー・リューといいみんなこんなイメージ。
ちょっと意地悪そうにクールで、奔放そうなセクシー。
欧米におけるアジア女性のイメージはいまだに「蝶々夫人」で
従順か扇情的なんだそうだ。マギー・Qも今後苦労しそう。

『カーズ』

『カーズ』
at 新宿オデヲン座

優秀だが傲慢な新人レースカー、マックイーンは、
寂れた田舎町ラジエーター・スプリングスに迷い込み、
そこで自分が忘れていた“大切なもの”を見つける。

と書いてしまうと、そのまんまのストーリー。
往年のレーシング映画のパロディみたいなところがあるので、
物語にひねりはほとんどなし。ほぼ予想通りに展開する。
それでもピクサーだからディティールまできっちり描かれていて楽しめるコネタが満載。
ただ、その分、話が冗長になってしまっていることも否めない。
この話で2時間は長いでしょ。

しかし、美術に関してはもうさすがピクサー。
レースの観客席のキラキラ感、疾走する森の風景、
車体の映り込み(これ全部計算してるんだとするとすごい)、
車たちの擬人化(ドック・ハドソンはちゃんとポール・ニューマンっぽいし、
サリーはセクシーだし、車なのに!)、どれをとっても完璧。

『ハウルの動く城』でソフィーが「こんな綺麗な景色初めて見たわ」
と言う場面があるのだが、その肝心の景色がまったく心に響かない。
それに対して、『カーズ』でサリーが「恋に落ちた」という風景を
マックイーンに見せる場面は、空気感までちゃんと描かれていて本当に美しい。
絵として綺麗かどうかが問題なのではなく(絵としても綺麗でしたけどね)、
それを美しいと観客に信じ込ませることが大事で、
ピクサーはそれを成し遂げている。

ピクサー作品はどれをとっても決してはずれない安定感と
平均点以上のレベルを維持しているから、
何を作ってもまちがいなくヒットするのだが、
『モンスターズ・インク』や『ファインディング・ニモ』のような
爆発的ヒットはここ数年起こしていない。
みんなで意見を出し合いながらわいわい作るピクサーのやり方は
キャラクターに深みを与え、細かいところまで手を抜かない仕事をしてるけど
ストーリー軸がブレたり、話があっち行ったりこっち行ったりする弊害があるよなとも思う。

エンドロールに去年亡くなった脚本家ジョー・ランフトに捧ぐという言葉と
彼が声優を務めた『トイ・ストーリー2』のウィージー(ペンギン)が歌う場面が流れた。
スタッフが声優をやっていると、こういう別れ方ができるよなと思ったり。

ネットはジャーナリズムを変えるのか

『ブログはジャーナリズムを変える』を読んでつらつら考えたことが
長くなってしまったので、本の感想から逸脱する部分はこっちに。

NewsWeekが「ブログは新聞を殺すのか」、「ネットはテレビを殺すのか」
という特集を前にしていたが、それによると
アメリカでは日本以上にネットに対する既存メディアの危機感が強い。
ローカル誌が一定の力をもっているアメリカで、実際に新聞の部数は落ちている。
ABCだったと思うが、ニュースの合間に「このインタビューの詳細はABC.COMで
ご覧になれます」とテレビでの放送を補完する形で積極的にネットを利用し始めている。
そうじゃないと、ネットにテレビが飲み込まれるだろうと認識しているのだ。
日本とアメリカでは新聞やテレビのあり方が異なるので、まったく同じように考えることは
できないのだが、このままでは新聞もテレビもネットに飲み込まれる点では同じだろう。

たとえば、佐々木俊尚氏の『グーグル Google 既存のビジネスを破壊する』という本の場合、
『ウェブ進化論』の著者、梅田望夫氏のブログで、
梅田氏と『たけくまメモ』の竹熊氏がこの本について
コメントとトラックバックを通して語り合っている。
切込隊長をはじめ、名の知られたブロガーたちの感想もネット上で読むことができる。

『オタク女子研究 腐女子思想体系』は内容に対するバッシングが起こり、
著者のブログはコメント欄を一時閉鎖した。
その辺の経過や内容に対する批判についてはまとめサイトすらできている。
雑誌や新聞の書評を読むより、実はこうしたネット上の意見を読むほうがおもしろい。

書評だけでなく、ニュース記事やワイドショーネタでもこういうことは起こっている。
ジタンの頭突き、QBK、極楽とんぼ加藤の謝罪などは、
どこのテレビ局よりもYouTubeが映像配信の力を発揮した。
極楽とんぼの映像は100万以上アクセスも集めながら、
テレビ局からの依頼で削除されたという。

テレビ局はテレビで放送したものをもっとネットでも配信して見られるように
すればいいと思う。実際にネット配信に積極的なテレビ局もあるけど、
どこもコンテンツ作りには苦労してると思う。
一方で、メディアがのどから手が出るほど欲しがっている
人気コンテンツがYouTubeにはある。
現在、障壁となっているのは著作権だと思うが、最初の段階で、
この番組はネットでも流すという契約を出演者たちや権利者と結んでおく
とか、方法はあると思う。
iTunesでは人気ドラマを放送した翌日にポッドキャスティングしている。
新ドラマなど最初の1、2回を夕方に再放送しているケースがあるが、
視聴率がふるわないくらいなら、ネットで配信するのもひとつの手なのでは。

『ブログがジャーナリズムを変える』

ブログがジャーナリズムを変える
『ブログがジャーナリズムを変える』
湯川鶴章・著
NTT出版

時事通信社の編集委員であり、『ネットは新聞を殺すのかblog』を運営する著者が
ネットにおける個人の情報発信がジャーナリズムをどう変えていくか模索する。

第1部「放送と通信の融合を大胆予測」では、
現在の「普通にテレビで放送を見る層」→「地上派以外の手段でテレビを見る層」
→「パソコンでテレビを見る層」というピラミッドは
やがて「地上派以外の手段でテレビを見る層」が増加し、
その際のキーワードはモバイル、ビデオ・オン・デマンド、参加型メディアだろうと予測する。

第2部「参加型ジャーナリズムの時代がやってきた」では、
ニュースキャスターを降板に追い込んだアメリカのブロガーたちの例、
市民記者が記事を投稿する韓国のオーマイニュースの例、
日本における参加型ジャーナリズムの現状、問題点をあげている。
(著者は日本でも2ちゃんねるがジャーナリスティックな活動を実践しているという。)

ここらへんまではわりと普通なのだが、
第3部「ネットにやられてたまるか」あたりから、
著者はより自分の言葉で語りだす。
ジャーナリズムとは何なのか、
記者ブログや自身のブログが炎上した経験から、マスコミへの強い批判を認識し、
今後マスコミはどう変わらなければいけないのかを考える。
心ないコメントに傷つきながら、著者はそれでも対話を続けるべきであり、
読者と記者の境界がなくなり、市民ジャーナリズムと既存メディアが
補完しあう関係が理想だと語る。
はたして、ネットは新聞を殺すのか、今後、既存メディアがどうなるのか。
紙媒体が完全になくなることはないが、
情報伝達の主役ではなくなることはまちがいないと著者は言う。
では、既存メディアはどんな形をめざすべきなのか、明確な答えは出していない。
「それはわからない」と正直に述べている。

「ネットが世界を変える」と声高に言う人が多い中、
悩みながら、今後のジャーナリズムの姿を模索する、著者の姿勢はとても真摯だ。
この本自体、『ネットは新聞を殺すのかblog』をまとめたもので、
第1部と第3部で文章のトーンが違うのは「未来予測よりも自分の心情の吐露を」
と読者から指摘を受けながら書き続けたからだという。
悩み続ける姿勢がそのまま形になった点でいい本だと思う。

『small planet』ごっこ

『small planet』を見て、本城直季の技法を調べていたら、
「Photoshop」のレンズぼかしフィルターでも被写界深度を浅くみせることで
普通の写真をジオラマっぽく見せることができるらしい。

「Photoshop Elements」しかないよって場合は
ぼかしフィルターで代用。
1. ミニチュア化したい画像を開く。
2. 新規レイヤーを作成。
3. “グラデーションツール”で黒→透明→黒のグラデーションを作成。
(“反射型グラデーション”を“逆方向”にチェックして、
画面中央から上に向かって線を引くとできます。)
4. “Ctrl”キーを押しながら、グラデーションのレイヤーをクリック。
(グラデーションのレイヤーが選択範囲となる。)
5. 元の画像をクリックしてアクティブに。
6. “ぼかし(ガウス)”フィルターをかける。
これで画像の上下部分にだけぼかしがかかります。
(3を“円形グラデーション”で中心部分が透明でまわりは黒のグラデを作成して、
中心部分だけ焦点の合っているような画像にしてもOK。)

で、もっと簡単なのが、
「本城直季」風ミニチュア写真を作り出すソフト 叩き台バージョン
あまり大きい画像だと計算に時間がかかってしまうので、
あらかじめ画像をリサイズ。
マウスでクリックした部分以外にフィルター(?)がかかるので、
マウスをドラッグして、フィルターをかけたくない部分を範囲選択。
って感じでミニチュア写真が作れます。
彩度も変更しているようで、車や建物が写っていると
よりオモチャっぽい色になります。

Test2
元画像。

Test2e
「Photoshop Elements」使用。

Test2b
『ToyImage』使用。

おもしろいのでいろいろやってみた。
ミニチュアに見えるものもあれば見えないものも。
私たちはジオラマ写真をそんなに見ている訳じゃないのに、
脳は「こういう被写界深度はミニチュアですよ」って判断するんだなー。
おもしろい。

Test3b

Test4b

Test5b

Test6b

Test8b

『small planet』

small planet
『small planet』
本城直季・写真
リトルモア

この人の写真を初めて見たのは『超合法建築図鑑』の表紙。
建築基準法を遵守することで生まれた奇妙な建築や都市の風景を紹介する、
この本の表紙に「ジオラマを使うのはヘンじゃないか」と最初は思った。
こんな詳細なジオラマを使うくらいなら、実際の風景を表紙にした方がいいだろうと。
と思ったら、実はジオラマじゃなくて、
実際の風景をジオラマみたいに撮る本城氏の写真だった。

なぜこんな風に撮れるのかについては
アオリだとかティルトだとか被写界深度だとか
カメラのレンズを含めて詳しく解説したサイトもあるので、
興味のある人はググってください。
本城氏が始めた技法ではなく、Marc RaderやMiklos Gaalも
この技法でアート的な写真を撮っている。
ただ、ミニチュアっぽい都市風景という点では、
本城氏は独自の世界を作り出している。
この技法を使って、ただなんとなくシャッターを切れば
誰でも撮れる、という写真ではないと思う。

写真を見て感じるのは何か胸を突かれるような想いだ。
昔のただなんてことのないスナップ写真を見て、
もうこの瞬間は二度と来ないのだと感じるときのような想い。
そして二度と帰ってこない瞬間は写真として永久に閉じ込められる。
そんな“永遠の一瞬”。

シャッター速度やらの関係もあるのだろうが、
写真の中の人々はブレもなく動きをピタッと止めている。
子供のころに見た『ポールのミラクル大作戦』では、
時が止まると空を飛ぶカモメや海の波、
割れたガラスや野球のボールも空中で静止するのだが、
そんな生命感のない世界。

自分でもどうかと思う例だが、
たとえば、広島の原爆をテレビドラマにした場合、
原爆が落ちる8時15分に映像は動きを止めるだろう。
次の瞬間にはすべてが崩壊してしまう。
この写真集を見て感じる“胸を突かれるような想い”はそれに近い。
何枚かの写真は見ていると意味もなく涙が出た。

写真集の内容とはちょっと違いますが、
本城氏の写真はこことかここで見れます。
Miklos Gaalはここ


『ひらいたトランプ』

『ひらいたトランプ』
CARDS ON THE TABLE
アガサ・クリスティー・著
加島祥造・訳
ハヤカワ文庫

しばらくご無沙汰していましたが、またポアロものを再開。
1936年の作品。
序文にも書かれているように、
推理小説はたいてい一番怪しくない人物、犯罪を犯しそうもない人が
犯人だが、この小説に登場する4人は、いずれも犯罪を犯しそうな人物。
最初から4人が4人とも怪しい。その中で、じゃあ誰が犯人?
というところから始まる、チャレンジングな物語。

後半、犯人が二転三転するように、
あいかわらず犯人は誰でもいい訳なのだが、
容疑者が4人と少ないので、彼らの過去の殺人やその理由、
それぞれのドラマがちゃんと書かれていて、
クリスティーのストーリーテーリングを堪能できる。
犯罪の手段ではなく、心理面にスポットを置いて、
「部屋の様子を覚えていますか」とか
「ブリッジの手札はなんでしたか」と質問して
犯人を推理していくのもポアロらしい。

『マギンティ夫人は死んだ』にも出てくる小説家オリヴァ夫人が初登場。
いい味だしてますが、助演女優賞はローダ・ドーズかな。
「生きるのはむずかしいことですよ。わたしの年になったら、わかります。
限りない勇気と忍耐が必要なのです。そして、死ぬときになって、
誰もが、“人生にそんな値打があったのかしら”って、疑うんです」
と語るロリマー夫人とアン・メレディスのお茶の場面は白眉。

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