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『グーグル・アマゾン化する社会』

グーグル・アマゾン化する社会
『グーグル・アマゾン化する社会』
森健
光文社

これはかなりおもしろかった。
Web2.0という言葉にいいかげんうんざりしてきた人にオススメ。

トーマス・フリードマンは、現代を“フラット化する社会”と呼んだ。
ごく限られたCDや書籍のミリオンセラーに見るように、
多様化、分散化が進む一方で、“一極集中”が起こっているのではないか。
現代は巨大な一極とフラット化の社会なのではないか、と著者は言う。

グーグルのページランク、アマゾンのリコメンデーションやアフィリエイト、
タグやパーソナライゼーションは、
“スケールフリー・ネットワーク”において、
「金持ちはますます金持ちになる」という
“収穫逓増”、“自己組織化”の現象を起こす。

「絶えず情報が往来し、進化を続けるウェブでは、
収穫逓増が起こる仕組みがある。あるところでハブができると、
とくに空間的、物理的な制約がないウェブでは、急速に一極集中が起きる。」

「個人にとってパーソナライゼーションが便利なことは疑いないとしよう。
では、これだけ豊富な情報が流通する中で、
パーソナライゼーションが行きわたることは、社会にとって有益なのだろうか。」

「パーソナライゼーションの目的は情報の拡散ではなく、絞り込みにある。
その傾向は、マイページやブロゴスフィア、SNSに表れている」

「ネットワーク上では、考えが異なる別の集団の意見を排除し、
同じ集団内で考えが極端に偏るという傾向が指摘されている。
パーソナライゼーションが進み、“集団分極化”が広がった場合、
情報はその特定の集団の中だけで偏って流通する可能性がある。」

はたして“群集の叡知”は
「一極集中的な思考を回避し、多様性を認知しつつ、
主体性ある思考を貫けるのか」

たとえば、私がある建物の設計年をググって調べたとする。
検索結果の上位10件のサイトが設計年を「1985年」としていたら、
私はそれを信じて自分のブログにも設計年を「1985年」と記すだろう。
誰かが「それは1985年じゃなくて1980年だよ」と誤りを指摘しても
その声が小さければ(検索結果の上位に表示されなければ)
その声は届かない。こうして「1985年」という誤った情報が流布する。
この例は単に数字の誤りだけど、これが人の意見だったら?

著者によると靖国参拝を支持するという意見のほうが
ネットでは多数を占めるのだそうだ。
そうした情報の一極集中に何か怖いものを感じるのは私だけではないだろう。

「ロングテールビジネスで成功したのは、
アマゾンやグーグルのような一部のヘッドだけなのでは」
という指摘ももっとも。
アマゾンのように大量の在庫を抱えることができて、
長いテールの部分から玉を拾い出すシステムをもっていなければ
ロングテールで利益をあげることはできないわけで、
誰もが簡単にまねできるわけではない。
すでに「ロングテールは幻」ではないかという声も聞かれるそうだ。

ミリオンセラーからYouTubeの極楽とんぼの動画、
自民党の圧勝や靖国問題、
(ちょっと幅が広すぎるけど)社会のあちこちで起きている
一極集中現象をネットから分析している点でかなりおもしろい。

『「みんなの意見」は案外正しい』など、
今まで読んだ本の意見も広く引用されているので、
この手の本ばかり読んでいる私には、
ひとつのまとめとして参考になった。

便利にググっているつもりで、私たちは、
グーグル様の手の平で踊らされているだけなのかも。


◆読書メモ

スケールフリー・ネットワークの説明に
『ベーコンの神託(The Oracle of Bacon)』が出てくる。
ある俳優とケヴィン・ベーコンの間係数を調べるサイトで、
例えばジョニー・デップだったら、
ジョニー・デップは『ノイズ(The Astronaut's Wife)』でブレア・ブラウンと共演、
ブレア・ブラウンはケヴィン・ベーコンの『バイバイ・ママ(Loverboy)』に
出演しているから、ジョニーのベーコン数は2ということになる。
もともとは、ケヴィン・ベーコンが多数の映画に出演しているのを利用して
俳優と俳優をつなげていく学生の遊びだったらしいが、
(何年か前に流行ったときちょっと『News Week』に記事が載っていた。
ケヴィン・ベーコンに限らず、勝手に俳優相関図とか考えると暇つぶしになります)
これを発展させると、
「どんな人でも6人の人を介せば、誰とでもつながる」という
スタンリー・ミルグラムの“六次の隔たり”になる。

全言語圏のウェブページは、
2006年春の段階で800億ページ以上に及ぶとされる。

調査会社ニールセン/ネットレイティングスの2006年6月末の調べによれば
1位はヤフーで、日本語圏の総ページビューの25.4%と、全体の4分の1を占める。
2位の楽天が3.1%、3位のmixiが2,5%
米調査会社の調べによれば、
米国での検索エンジンにおけるグーグルの利用比率は、約53%、
フランスやドイツでは70%、イギリスでは80%近くのユーザーがグーグルを利用。

インターネットドメインにおけるIPアドレスの発行数の約半数を
米国は自国ドメインとして管理している。
欧州が欧州域における自発的な管理を強く求めたにも関わらず、
米国は断固として拒否し、その権利をわたさなかった。
現在ネット上を流れるデータの大半が、米国を経由するようになっている。

ブログに書き込まれた情報は、いつか誰かの役に立つかもしれないし、
あるいはまったく役に立たないかもしれない。
未来の状況はまったく想定不能だが、役に立つ可能性は決してゼロではない。

LAMP
LはOSのLinux、AはサーバーソフトApache、
MはデータベースソフトであるMySQL、Pはスクリプト言語PHPを指す。

アパッチの開発で中心的な役割を果たした
コラボ・ネット社のブライアン・ベーレンドルフは、
リーナス・トーバルズばかり注目されて悔しくないかと聞かれて、
「彼はその賞賛のすべてに値します。
オープンソースコミュニティには才能豊かな人が大勢います。
彼らは知的挑戦のためにコミュニティに入り、大きな違いを生み出しています。
私は喜んで『ナンバー2』と書かれたTシャツを着て歩きますよ」
と答えている。

リコメンデーションを実現するアルゴリズムは
協調フィルタリング、クラスター(集団形成)・モデル、検索ベース方式
と大別して3つあるが、アマゾンのリコメンデーション機能は、
「Item-to-Item Collaborate Filtering(商品間協調フィルタリング)」。
最初に、ユーザーが閲覧した複数間の商品のマッチングと類似性を数値化。
次に、購入対象の商品とほかの関連性があるすべての商品の類似性について
データベースを参照。その結果、出てきた数値の高いものから
リコメンデーションとして表示。この二段階の計算を0.5秒以内で行なっている。

『アマゾン・ドット・コム 成功の舞台裏』
ローレンス・レッシング『CDDE-インターネットの合法・違法・プライバシー』

情報だけが流通するウェブにかぎって言えば、
アーキテクチャの精度を高めることこそが、
人を呼び寄せ、情報を増殖させる鍵となる。

つねに、数時間から数ヵ月分は、世界中のウェブデータと丸ごと同じものを、
グーグルは保有しているのである。グーグルのウェブサーバーは
ある種のパラレルワールドで、グーグルの検索において、
ウェブの世界は、グーグルのものであるという言い方もできようか。
逆に言えば、クローラーが拾ってこないウェブデーターは、
グーグルでは認識されない。グーグルで認識されないウェブサイトは、
ほぼ存在しないのに等しいということになるのである。

沈黙の螺旋
「自分の意見が優勢と認知した人は声高に発言し、
劣勢と認知した人は孤立を恐れて沈黙する。
その結果、優勢意見はより勢力を増し、
劣勢意見はますます少数意見になる」

隣の芝生

今週は4日で6社を回るという暴挙に。
渋谷とか新宿とか赤坂とか六本木の
綺麗なオフィスがちょっとうらやましいが
それは隣の芝生ってもんだろう。

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六本木ヒルズにそびえたつ小雪ちゃん。

『キヤノンの仕事術』

キヤノンの仕事術―「執念」が人と仕事を動かす
『キヤノンの仕事術 「執念」が人と仕事を動かす』
酒巻久・著
祥伝社

現・キヤノン電子の社長が書いたビジネス成功の秘訣。
曰く、「やらされている」という意識ではなく、「自分のために仕事をする」
という発想が、「いい仕事」になる、とか、
「知識の裾野が広くないと、大きな仕事はできない」とか
「短期集中こそ上達の近道」とか
社長さんだけあって、社長の訓示みたいな話がいっぱい。
すべての仕事がおもしろくって、やる気が出せれば誰も苦労はしないさ。

それでも、この手のビジネス本にしては比較的おもしろく読めるのは、
成功譚ばかりでなく、失敗経験も書かれているからだろう。

「シンクロリーダー」で失敗したとき、当時の社長の御手洗氏は
「今度のことは、すべて私のオッチョコチョイに起因したものであって
誰の罪でもない。この上は事後処理をよく行なって、禍を転じて福とされたい」
と言ったという。「オッチョコチョイ」というところがいい。

著者は1988年に発売された、パソコン『NAVI』で10億円、
1989年のネクストコンピュータとの提携で300億円の赤字を出している。
挑戦した結果の失敗は責めない、というのがキヤノンの企業風土であり、
このときの失敗も、後の糧になっていると言う。

キヤノンの主要商品の研究開発から製品化成功までは、
複写機で18年、レーザープリンターで21年、AFの一眼レフで22年、
BJ(バブルジェット)プリンターで26年かかっているそうだ。
「(夢を実現するのに)必要なのは、時機が来るのをひたすら耐えて待つ勇気、
そして「執念」である。」

上司が無能なときは、
「その人物のレベルに合わせて適当に働くようにして、
残りのエネルギーは次なる飛躍のための勉強に振り向けることだ。
言われたことだけやって、それ以上のことはしない。
残業などはなるべく避けてさっさと家に帰り、自分の勉強をする。」
なんていう“アドバイス”もある。

著者は『椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!』という本も書いており、
どういうことかというと、会議室から椅子を撤去し、
高さ1メートルほどのテーブルを並べ、椅子に座らず立ったまま
“立ち会議”を行なっている。これによって、会議時間の短縮や
コミュニケーションの強化、集中力などの効用があるという。
また、「メールで伝えられる情報は、自分の言いたいことの一割程度にすぎない。
本当に大事な話はメールではかけない。直接会って、
必要な資料を見ながら、じっくり話すしかない」という。
「「メールで社員に指示を出してます」と自慢げに話す若手経営者がいるが、
メールで全社に流したところで、社員は「ああ、社長がまた何か言ってるよ」
くらいにしか思わないだろう。本当に社員に伝えたいことがあるなら、
社長自らが折りに触れて社員の前で繰り返し説明することだ。」

「悪い噂が流れたときは、ヘタに反論などしないことだ」とか
「欲のない人は敵をつくらない。サラリーマンにとって敵をつくらないことは
出世の最大の要件の一つである。」
なんて話もあって、サラリーマンも大変だなと思ったり。

若手社員、上司、経営者、それぞれの立場から
何をすべきか、が書かれており、
これを読んだからって明日からすぐできる社員になどなれないが、
社長の訓示だと思って聞いておいてもいい話。

◆読書メモ

ドイツのブンデスポスト(国営郵政・通信公社)と仕事をしたときに、
「あなた方のハードに対する技術レベルの高さは十分に理解しております。
次回からお会いするときは、ドイツのどこでも良いから観光してきて、
その見てきた場所の感想から話してください。
その理由は第一に、あなた方には“ゆとり”が感じられない。
第二にドイツでものを売るなら、ドイツに合うソフトを充実する必要があります。
そのためには、ドイツのいろいろな人、場所に接することです」
と諭されたというエピソードはおもしろい。
(著者は諭されてすぐ、ローレライを見に行ったそうである。)

「才能とは持続する情熱である」(モーパッサン)

『テレビCM崩壊』

テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0
『テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0』
Joseph Jaffe・著
織田浩一・監修 西脇千賀子、水野さより・訳
翔泳社

広告関係を中心に、今売れている本。
要はもうテレビCMだけでマーケティングを行なっている時代じゃないですよ、
ということを言っている。

最近、よく聞く(というかWeb2.0関係の本でよく目にする)のが、
アメリカのTiVo現象。
(システム的にはちょっと違うけど)HDDレコーダーみたいなもので、
予約録画のほかに、ユーザーの好きそうな番組を自動録画したり、
CMを飛ばして見ることができる。

「DVR(デジタルビデオレコーダー)を所有する消費者は、
テレビをもっと観る傾向にある。
しかし、彼らは、あくまでもテレビを観るのであり、
テレビCMを観るのではない。」

「8時から11時まで、JoeyからERまですべて観るとしよう。
1時間番組ごとに17分間のコマーシャル枠があるとすると、Tivoユーザーなら、
8時51分から見始めても11時にすべての番組を観終わることができる。」

「それに伴いコマーシャルを飛ばしてみることを違反とするような
法案も提出されている。分別のあるアリゾナ州のJohn McCain上院議員が
「録画したテレビ番組のコマーシャルを早送りして観るという行為は
30年前から行なわれているのに、2004年から、コマーシャルを早送りすると
逮捕されるとは馬鹿げている」とコメントしていた。
もっともだが、早送りされないようなコマーシャルを作ってはどうかとも思う。」

日本でも同じようなことは起きているわけで、
DVDレコーダーによって、テレビは好きなときに見るものになった。
そもそも私はNHK大好きっ子なので、CMをほとんど見てない。
録画した番組にいたっては当然、CMを飛ばしている。
試しに、最近見たCMで覚えているものは何か考えてみたが、
覚えていたのは保険のCM。それも、「不快だったから」覚えていたのだ。

「アップルのテレビCM「1984」がブランド広告の全盛期である。
この時代こそが広告の黄金期であり、
広告のメッセージを柔らかな世界観で包むことが流行った。」

「今や、マーケターが消費者に何をどこでどのように買うべきかなど
言いくるめられる時代ではなく、消費者がすべてを決める時代になったのだ。」

「クチコミ効果こそが、実はテレビ・コマーシャルの真の価値なのであり、
この効果がなくなったのがその原因なのである。
昨夜見た番組について話ができる人が、
自分の周りの5人に1人では、クチコミは生まれにくいのである。」

「音楽が違法にファイル・シェアリングされていたころ、すばらしかった点は、
「アメリカン・アイドル」から出てきたコミカルなウィリアム・ハンの「She bangs」や
クレイ・アトキンの「Solitaire」のライブ版が手に入ったことである。
コンテンツは外に出たがっている。そして、それは別に無料である必要もないのだ。
もちろん、これはiTunes以前の話だが、要は、ナップスターは
未来のマーケティングを予告していたということだ。」

とあちこち印象に残ったところを引用メモしてみたが、
まとめると次の言葉に集約される。

「広告キャンペーンは長らくテレビに頼りすぎてきた。
テレビを完全に否定するつもりはないが。
テレビ依存から抜け出して、マーケティングの目的の達成に
より相応しい新しいメディアや戦略に目を向けるべきだ。」
(Visa社広告部長 Jon Raj氏の言葉。
同社は、18歳から29歳の若者からアイデアを募り、
12人の受賞者にアイデアを具現化させるための資金25,000ドルを
与える「夢をかなえよう」キャンペーンを行なった。)

後半に出てくる、マーケティングのアイデアについては、
有望なものから、今までとどう違うのかよくわからないものまで様々。
アメリカの広告が今、どうなっているのか、を知るにはいい本。
ただ、アメリカの状況をよく知らないとわかりにくい実例もたくさん。
山のようにでてくるマーケティング用語も意味がわかりにくいが、
それは私が門外漢だからなのかも。
また、翻訳は比較的読みやすいが、人の名前や映画のタイトルが
英字表記になったり、カタカナ表記になったりするのは統一してほしい。
日本で公開されている映画タイトルぐらい邦題で表記すればいいし、
リドリー・スコットやダリル・ハンナまで英字表記なのはいかがなものか。
この本は翻訳出版シリーズの第一弾だそうだから、
今後については改善してほしい。

◆読書メモ

いい広告の例として「Subservient Chicken」
が出てくる。(電車男にでてきたニワトリのサイトです。)

「広告費の半分が金の無駄使いに終わっている事はわかっている。
わからないのはどっちの半分が無駄なのかだ」
デパートビジネスの先駆者ジョン・ワナメーカー氏の有名な言葉

50年前に、テレビの伝説的なパーソナリティーであるErnie Kovacsが、
テレビのことを、比類まれなものでもなければ、秀作でもない
「中くらいのもの(Medium)」と表現した。それが「メディア」の語源である。

ゲームほど従来のメディアを激しく侵食するメディアはない。
まず、テレビの画面を共有する。ゲームの場であるにもかかわらず、
ゲームが始まるとテレビは消されるのは皮肉なことだ。

ユーザーは検索によって、テレビコマーシャルサイトにやってきて
自分で選んでCMを見る。マーケターは見られた分だけCM料金を払う。

映画「Hulk」を手がけたMarvel StudioのチーフAvi Arad氏は、
お決まりの紫色のパンツなどといったHulkの掟を無視して、
キャラクターにちょっとした変化を加え、Hulkファンの怒りをかった。
(結局、最終版は修正された。)

同じくAvi Arad氏が製作した「スパイダーマン」では、
ポスターやバナー、映画の予告編など、様々な素材をネットで配布した。
「スパイダーマン2」は野球のベースにロゴを入れるかどうかが、
大きな論争を呼んだ。

「Cast-away」は、30秒どころか90分のFedEx広告だ。
実は、FedExは、飛行機と配送、倉庫の貸し出しのみで
この契約を成立させた。今では考えられない、破格の契約だ。

今週の記録

4km

「暑い」、「雨だ」と自分に言い訳して
さぼってきましたが、そろそろ本格的に練習を始めなくては。
と思って走ろうとしたら、Tシャツが見つからない、くつ下がみつからない、
あげくにストップウォッチの電池が切れていたりして。
とりあえずラップ付のストップウォッチを買うところから始める?

It's a Small World

今年も行ってきました旅行博。
ヘンな時間に行っちゃったせいか、イベントがあまりなくて残念でしたが、
楽しんできました。
旅行博のブースで民族衣装を着ているのは、
たいていモデルさんではなく、観光局とか大使館の人。
なので、会場はリアルコスプレーヤーだらけ。
台湾の少数民族の人たちが、デジカメで他のブースの人と記念撮影をしたり、
会場内のあちこちで小さな文化交流が行なわれている。
当たり前のことだけど、世界にはいろんな国があって、
いろんな文化があるんだなーと今年も思いました。

去年、私の心を打ったパラオに引き続き、
今年はイランブースで演奏されていたペルシャ音楽に惹かれる私。
昔から文化が入ってきているせいか、まったく違う国なのに、親近感。
ペルシャ文様を和室に飾ってもそれほど違和感がないだろうと思う。

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インドネシアブース。

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スリランカブース

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韓国ブースではなんと皇后様のトークショーが。
地味な役ではありますが、ドラマ的にはタイムリーな人選。
看板のプロフィールによると、朝の生放送番組で10年間、司会を勤め、
『チャングム』で演技に初挑戦。その後、日本にも留学したことがあるとか。
人気女子アナが女優になるような感じなのか?

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モンゴルブースの雑技団(?)。
どこが手で足だかわからないー。

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JTBブースには宇宙服。

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イランブースのペルシャ音楽。

『戦争廃墟』

戦争廃墟
『戦争廃墟』
石本馨・著
ミリオン出版

小笠原の砲台、特攻隊が出撃した海軍基地跡など、
日本に残る軍事関連施設の廃墟を掲載。

基本的には廃墟写真集なのだが、デジカメで撮っているのか、
黒い部分が綺麗に出ていないのが気になる。
(ついでに言うと、ところどころ文字詰めが変なのも気になる。)
写真自体のインパクトにも欠ける。
それでもどこか惹かれるのは、“場の雰囲気”ってやつなのかも。
建物には、その場所の歴史とか物語が染み付いている。
そこで何が起こったか知らなくても、その場所に立てば、
それはなんとなくわかる。
廃墟が人気なのもそれが理由だと思う。
なんにもないがらんどうのビルでも、
華やかだった時代や人々の暮らしが影みたいに残っている。
残念ながら、それは写真では伝わりにくく、
この写真集でも、撮りに行った本人にはわかるんだろうが、
写真を見るだけでは、そこに残っているであろう影はわかりにくい。

それほど長いものではないが、
軍事施設にいた元特攻隊員たちのインタビューも載っている。
最初は廃墟写真集にインタビューなんていらないよと思ったが、
この本でいちばんインパクトがあるのは写真ではなく彼らの言葉だった。

「回天」とは、人が乗り込み操作する魚雷。
元回天隊員で、現在、全国回天会会長の小渕氏は言う。
「特攻といえば人命を軽んじ、効果も薄い愚かな戦法だったと論じられる傾向がある。
己の命を捨て、何千、何万の命を生かそうとした、回天は非人道的な兵器どころか
人道的な兵器である。」
「回天は実現すれば自ら乗り込むことになる現場の若い軍人からの要望で実現した。
彼らはボタン一つで動く機械でもなければ、生命を軽く考える異常者でもなかった。」

特攻艇「震洋」の元隊員の話。
「紙を渡されて二重丸か○か×をつけるように言われた。
私は○をつけました。二重丸が全体の3分の2で圧倒的に多かった。
×をつけた人はいません。」
「これはもう戦争にはならないな、というくらい薄々感じましたよ。
震洋がいくらあっても連合艦隊の代わりになるわけないですから。」
「私なんか極端な話、地元の神社なんかにお参りしない。
やはり、なんと言っても靖国神社。
もし今、日本に何かあって、お前もう一度戦争に行くかと言われれば、行きます。」

「伏龍」は、一人用潜水具を着用し、棒付き機雷を持って、水中から敵艇を突く。
危険な潜水具だったため、訓練中の事故で亡くなる人が多かった。
鼻で吸って口で吐く。これを間違えると炭酸ガス中毒を起こし死に至る。
苛性ソーダの入った清浄缶に亀裂が入ると、海水と反応して沸騰した
苛性ソーダが逆流してくる。それを飲み込んで死んでしまう人もいた。

元伏龍隊員の話。
「軍隊に入る前は三越百貨店の店員だったんです。
復職した私に上司は2週間の特別休暇を与えた。
原因は私の顔。人殺しの顔だったんですよ。
昨日までアメリカ兵をどうやって殺そうかと、そればかり考えていましたから。
そんな顔でお客様の前に出るわけにはいかない。」
「復職してからは平和が続いて、
天皇陛下を護ろうなんて考えはケロッと忘れてしまいました。」

「桜花」は、上空で飛行機を母機から切り離し、敵艦に体当たりする。
着陸する必要がないので車輪はない。

元桜花隊員の話。
「国旗と言うのはその国の歴史みたいなものでしょう。
アメリカは日本と戦争して、その恐ろしさが骨身にしみたはずです。
だからこそ占領軍政策で日本人を洗脳し、骨抜きにしてしまった。
あげくに日本人自身が、日の丸はいけないなどと言い出す始末。
いい歴史も悪い歴史も背負って、初めて国旗と言えるんじゃないですか。」
「今のような世の中だったら、私は死んで三途の川を渡った時、
戦友に何と言ったらいいのか言葉がない。
もう少し時間が経ったら、反動で世の中が少しは良くなってくれるんじゃないかと
期待しています。そのためには私も長生きしないと。
もう少し戦友に報告することが出来てから、三途の川を渡りたい。」

実際に国のために命を懸けようとした人たちの言葉だから、
「特攻なんて愚かな行為だ」と切り捨てることはできない。
それでも、特攻という戦い方を選ぶしかないところまで
青年たちを追い込んだ、日本はやはり愚かだったんじゃないのか。

◆読書メモ
この本を読んで、大阪砲兵工廠が、
当時、日本の軍事力を支えた、大軍事施設だったと知りました。
大阪砲兵工廠は終戦前日の8月14日の空襲で壊滅。
この本には出てきませんが、私が大阪に行ったときに見た
大阪砲兵工廠化学分析所は、大阪砲兵工廠で唯一残った遺構。
工場自体はもっともっと広く、現在、跡地は、
大阪城ホール、公園、大阪ビジネスパークになっています。

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大阪砲兵工廠化学分析所

Rimg0216
ここはかなりはっきり“場の雰囲気”が残っている廃墟。

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寝屋川から。左が大阪ビジネスパーク、右が大阪砲兵工廠化学分析所。
ここらへん一帯が大阪砲兵工廠だった。

88式7cm半野戦高射砲
88式とは皇紀2588年(1928年)を意味する。

掩体壕(えんたいごう)
軍用機を敵機から守る格納庫のこと

JR外房線新茂原駅近くを一直線に伸びる、通称千メートル道路は
当時の滑走路跡と言われている。

トーチカ

回天発案者のひとり、黒木大尉は試作機を操縦中、消息を絶ち、
翌朝、発見され引き上げられたときには、すでに息がなかった。
事故の詳細な所見と遺書が艦内に残されていた。
(もうひとりの発案者、仁科中尉は敵艦に突撃して戦死。)

菊水紋 楠木正成

『目で見る駄菓子屋グッズ大図鑑DX』

目で見る駄菓子屋グッズ大図鑑DX―パチ怪獣ブロマイドからガチャガチャまで
『目で見る駄菓子屋グッズ大図鑑DX
パチ怪獣ブロマイドからガチャガチャまで』

堤哲哉・著
扶桑社

駄菓子屋で売られていた駄玩具をはじめ、怪獣カードや
エポック社のミニゲーム、ガチャガチャなど、懐かしいグッズの図鑑。

最初に登場するパチ怪獣ブロマイドがかなりおもしろい。
怪獣ブームに便乗して、特撮番組から勝手に怪獣を改変、
各社が出していた版権無視の怪獣カードらしいですが、
「原爆ドームを襲う巨大イカ」とか、「蛾の羽が生えた巨大ネコ」とかもうめちゃくちゃ。
(“パチモン”とは、既成の怪獣の頭や胴体を継ぎはぎ(パッチワーク)して
造り出された怪獣(モンスター)の略語、だそうで、
関西弁のパチモンに引っかけているのだとか。
ちなみに、関西弁のパチモンはパチった(盗んだ)ものから派生して偽物のこと。)

公害怪獣ギャオーの説明は、
「自動車が走る時やビルを作る時、非常に大きな音が出ます。
そのため付近の人々はビル工事などがあると夜も眠れなくなったりします。」
公害怪獣スモガは
「石油コンビナートのある四日市では石油を精製する時に大量のガスと煙が出ます。
空いっぱいに広がり目やノドが痛くなったりします。」
氷河怪獣ゴッホッホってどういうネーミングさ。
怪獣マニアにはパチモンはよく知られているらしいですが、
なかなかすごい世界です。

エポック社の野球盤と魚雷戦ゲームに関しては、
この間、実物を見たばかりなので、それほどインパクトはありませんが、
ミニピンポン、ダイヤモンドゲーム、ミニミニドライブコース、
アセリチック(アスレチックゲーム)、占いコンピューターなどの
ミニゲームは懐かしかった。

藤子不二雄のゴルフゲームとか、
さいとうたかをのスパイ暗号解読ゲームとか
マンガ家がプロデュースするゲームというのが載っていて、
「なんだそれは」と思いながら見ていたら
庄司陽子の「生徒諸君!」ゲームが登場。
うわー、これ近所の友達が持っていてやりましたよ。
ナッキーとチビ、マールと飛島先輩など、
手持ちのカードでカップルを作っていて、カップルが多くできた人が勝ち
という、キャラクターに思い入れがないと楽しめないゲームでしたね。

それからスパイ手帳ってのも変。
プロ・スパイノートの文章が
「プロスパイとは光と闇の世界へのライセンス
スパイに想像はない……
昼も夜も、暗号が……
遺跡が……、時には殺人が
ただ厳しい現実があるだけだ!」
って、なんか日本語として意味が通ってませんが、おもしろい。

スパイ手帳に載っている“フランス乞食仲間暗号”(この名前もどうなの?)
っていうのが、家の扉に描く暗号で、
○○○で「この家は金をくれる」
△が「残念仲間がたくさんきすぎだよ」という意味だそうで
真偽のほどはともかく、現代のセールスがドアに描くというマークみたい。

スパイ手帳に対抗して、FBI手帳みたいなのもあり、
「ルパング島探偵マップ」などが載っているんですが、
「敵スパイ・産業スパイやハレンチ人間をつかまえよう」っていう文章がすごい。
ハレンチ人間……。

そのほか、大流行したスーパーカー消しゴムから、
猫目小僧プラモ、有毒生物ミニカード、赤穂浪士詫び証文プラモ、
銀玉鉄砲、打ち出の小槌コインホルダーとか、ヘンテコな駄玩具が満載。

私が小学生のときも近所に駄菓子を売っているお店はあって、
10円フーセンガムとか、ギラギラに色のついた粉ジュースとか
買って食べたりしましたが、駄菓子屋さんではなかったので、
オモチャはあんまり売ってなかったなー。
それでも、マジックギロチンや開運ひょうたん、コインホルダー
なんかは懐かしい。お祭りのときに売ってたような記憶があります。
ペンダントにできるミニハモニカは友達が持っていてうらやましかった。

「エポック社の大特集はいかがだったかな?」のような
『小学一年生』みたいな文体は気持ち悪いとか、
図鑑なのに写真が小さいとかの欠点はありますが、
ノスタルジー抜きで、ある時代のある文化を概観できる。
ムーミンがピストルをもっているメンコとか
表紙はプリン・プリン物語のパクりなのに、
キャンディ・キャンディと花の子ルンルンのヘタクソな絵が描いてある
「プリンプリンちゃんぬりえ」とか、
版権を気にしてない時代ってすばらしい。

◆読書メモ

魚雷=魚型水雷の略

サンスター文具
象が踏んでも壊れないアーム筆入れや、
電子ロック・ダイヤルロック筆入れ、スパイ手帳を発売。

ガチャガチャ
「ガシャポン」はバンダイ、「ガチャポン」はトミー、
「ガチャ」はユージンの登録商標。

大倉集古館

仕事でホテルオークラに行ったので、大倉集古館に寄り道。
といっても、館内を見学するほど時間の余裕はないので、
お庭を一周しただけですが、伊東忠太の設計だからなのか
大倉さんの趣味なのか、庭にも変なやつらがいっぱい。

Ookura01
ホテルオークラに隣接する大倉集古館。

Ookura01b
大倉さんが集めていたのは中国古美術なので、中国調のデザイン。

Ookura02
灯篭(?)の周りを回る、トラみたいなやつや象みたいなやつ。
緑に黄色という配色もサイケ。

Ookura03
ポーズが決まっている龍。

Ookura04
すごくいい顔でたたずむ人たち。

Ookura05
私の貧困なイメージだとマハラジャな感じ。

Ookura06
屋根飾りが龍の口から伸びているところがダイナミック。

Ookura07
大倉さんと羊。
変な組み合わせだけど、この庭の中ではいちばん普通の人たち。

Ookura08
灯篭に巻きつく龍。

Ookura09
すごくいい顔している獅子。
藤原道重作、元禄元年と彫ってある。

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入口の鐘の上にいた玉を争う(?)龍くんたち。
ボールにじゃれているようにも見えます。

『暴かれた9.11疑惑の真相』

暴かれた9.11疑惑の真相
『暴かれた9.11疑惑の真相』
ベンジャミン・フルフォード
扶桑社

9.11はアメリカの自作自演だった!という本。
ワールド・トレード・センタービルの崩壊の仕方は不自然で、
爆薬を使わなければ、あんなふうに崩れたりしない、
ペンタゴンには飛行機の残骸がなかった。
ユナイテッド93から携帯電話がかかるはずはない、
墜落現場にはやはり飛行機の残骸がなかった。
といった事実や証言から疑惑を検証する。

5年目を迎えてあちこちで9.11特集をしているので、
正直、もうお腹いっぱいな感じ。
事件の重大さはわかるものの、その後のアメリカの
ナショナリズムぶりには辟易。まだ戦争は終わってないわけだし。
5年目の式典のニュースを見ながら、うちの妹は
「真珠湾の例もあるから」と言っていた。
政府が何も知らなかったというのは疑問が残るということだ。
そんな風に、あれは本当にアルカイダの仕業だったのか、
と思う人々がいてもおかしくない。実際、アメリカ陰謀説は前からあった。

ただし、この本がその陰謀を正しく立証できているかというと
かなり証拠不十分。
たしかにビルの崩壊はちょっと出来すぎで、テロリストにしたって
ここまでうまくいくだろうとは考えていなかったのでは、と思ったぐらいだ。
最近の報道特集であらためてビルの崩壊を見てみると、
(不謹慎ではあるが)美しいとすら言える崩れ方をしているのも事実。
だからといって、中心の柱が崩れ、上から重みで崩れたという説に
それほど無理があるとも思えない。

追突した飛行機には窓がなかったとか、
爆薬のような影があるとされる写真も不鮮明。

なにより著者の意見に説得力がないのは、
ネットから拾ってきた情報を焼きなおしているだけだからだ。
(巻末の参考資料はすべてURLだし)
アメリカのマスコミを疑惑に対して沈黙していると批判しているくせに、
根拠となる証言はすべて雑誌やテレビからの引用だ。
(本来なら証言者たちに追加取材して裏を取るべきだろう。)

アフガニスタンの天然ガスや石油パイプラインに絡む利権や
ネオコンたちが「新たなパールハーバー」を必要としていたことを
アメリカの自作自演の動機としてあげているのだが、
事件の大きさや被害を考えると理由としては弱すぎ。

ただ、著者はトンデモ本を書きたかったわけではないと思う。
「彼(ドキュメンタリー映画作家、アレックス・ジョーンズ)は、
もっと本質的な問題、つまり9.11事件をきっかけに
アメリカ社会の自由が次々と制限され、
警察によって統制されつつあることを追及しているのだ。」

そして日本に対する訴えもまじめなものだ。
「第二次世界大戦は60年以上前に終わったというのに、
日本は今でも敗戦国の立場を引きずり、アメリカの子分のままでいる。
もうそんな必要はないと言いたい。」
「日本人は、アメリカを盲信し追従してはいけない。日本の国力、
文化力をもってすれば、世界中の多くの人々を幸福にできる。」

日本にアメリカ政府を動かす力があるとは思えないけど、
日本政府はアメリカの対テロ戦争を真っ先に支持した。
疑惑を追及する日本人女性は「私も加害者の一人」と語る。
その言葉は重い。

◆読書メモ

世界貿易センター建設プロジェクト計画の責任者だった
フランク・ド・マルティニ氏は、「世界貿易センタービルは
数機の巨大ジェット機に激突されても持ちこたえるだろう」と語っていた。
(この人はたぶん、筑紫哲也の9.11特集で取り上げられていた人だと思う。
フランク氏は「自分はビルのことを誰よりも知っている」と、最後までビルに残り、
上へと階段を登り、人々の避難を手伝った。彼は帰らなかった。)

元米軍パイロットだったチャールズ・バーリンゲーム氏は、
旅客機がペンタゴンに墜落したことを想定した緊急訓練に参加し、
反テロ戦略の任務についていた人物だ。
彼は軍隊を辞め、民間機のパイロットになり、
彼の操縦していたアメリカン航空77便がペンタゴンに突入する。
陰謀じゃないとすると、運命のいたずらとしか言いようがない。

93便で「さあ、行くぞ!(Let's roll)」という言葉を残した
トッド・ビーマー氏の妻は、「Let's Roll」を商標化した。

アドルフ・ヒトラーは著書『我が闘争』の中で次のように言っている。
「大きな嘘の中に、常にある真実が宿っている。なぜなら、
国民の大多数は常に馬鹿で愚かしいからだ。
国民は小さな嘘より大きな嘘にだまされやすいものだ。
ほとんどの人は途方もなく大きな嘘をつこうなどとは考えない。
そして、他人がいやしくも真実をねじ曲げるほど厚かましいとは考えない」

『大好きだって言ってんじゃん』

大好きだって言ってんじゃん
『大好きだって言ってんじゃん』
藍川じゅん・著
メディアファクトリー

声に出して読むのが恥ずかしいタイトルと、
少女マンガちっくな表紙のイラストで、一瞬コミックかと思いましたが、
mixiに書かれていたピンサロ嬢の日記を書籍化したもの。
(最初、タイトルを『大好きだって言ってたじゃん』と読み違えて
イタそうな話だなーと勝手に思っていた。)

私は風俗に拒否反応を示してしまうほうだが、
実体をよく知らないのに軽蔑するのは失礼ってもんだろう。
(風俗嬢より、そこに通う男性に引いてしまう。
会社の若者くんがキャバクラ嬢とつきあったことがあると
嬉々として話していて「バカか」と思った。
キャバ嬢と恋に落ちることがバカなのではなく、
それを自慢気に話すことがバカ。彼女たちはそれがお仕事なんだから。)

ピンサロがどういうところなのか、
そこにくる客はどういう人なのか、
働いてるピンサロ嬢はどんな毎日なのか、
といったことが著者独自のユーモアとハイテンションで書かれていておもしろい。
私の貧困な想像力だと、風俗嬢=かわいいけど軽くて頭悪そう
なイメージになっちゃうんだけど、
彼女の文章は頭の良さと、ちょっとオタクっぽい知性が感じられる。
(つうか、加藤鷹とかキウイパパイヤマンゴーとか、
だいぶ古いネタもあるんですけど、本当に22歳ですか?)

ただ、著者もあとがきに書いているように、
これは「不特定多数の人に読まれるために書かれた日記」であって、
「やはり仕事は仕事。どんな職業でも同じですが、
お金をもらうからには大変なことやつらいことのほうが多い。」
乱暴されたり、ひどいことを言われて号泣したこともあるけど、
ここには楽しいことを中心に書いたと。

彼女自身は風俗という仕事を誇りをもっていて、
OL生活のほうが苦手なのだそうだ。
「こういうお店があるから、僕はこうしてじゅんちゃんに触ったり
キスしたりできるんだから」という老人の台詞は白眉。

タイトルの『大好きだって言ってんじゃん』は、
彼女が好きになったお客、イケメンコックさんに告白したときの言葉。
これだけストレートに言い放てるなんて、ある意味うらやましい。
イケメンコックさんとのその後については、
現在の彼女の同名のブログに書かれています。

『オーマイニュースの挑戦』

『オーマイニュース』の挑戦
『オーマイニュースの挑戦 韓国「インターネット新聞」事始め』
呉連鎬/著
太田出版

2000年2月22日午後2時22分に創刊した、『オーマイニュース』は
「市民みんなが記者」をモットーに参加型メディアを実現。
2002年の大統領選挙に大きな影響を与え、盧武鉉候補を勝利に導いた。
創刊時の苦労から、世界から注目を浴びるようになった2004年までを
『オーマイニュース』のオ・ヨンホ代表自らが語る。

代表自らが語った苦労話と成功譚といった感じではあるが、
『オーマイニュース』がどのようにして韓国に新しいメディアを築いたか、
熱のこもった文章で描写されている。
しかし、8月28日に創刊された日本版『オーマイニュース』は、
さっそくさまざまな問題を抱え、波乱の幕開けとなっている。
日本で新しいメディアが実現するまでは、まだまだ道のりは遠そうだ。

著者は韓国で『オーマイニュース』が成功した要因として、
韓国にはマスコミに対する不信・不満が、数十年にわたって積み重なってきたこと、
若い人たちの政治への参加意識が高いこと、などをあげている。
「政治の世界、マスコミ、財閥が腐りきっているだけに
改革しようというネチズンの意思は熱い。」

一方、巻末の解説で浅野健一氏は、
「日本ではスポーツ、ファッション、音楽関係の雑誌をつくりたいとか、
アナウンサーになりたいという若者は多い。
だが、社会派の硬派のルポを書きたいとか、戦争の現場を取材したいとか、
社会から差別をなくすために貢献したいという学生は年々減っているように思える。
日本の大学や職場で「世の中を良くしよう」などと言ったりすると、
“変な人”にされてしまう。」と語る。
「韓国に比べて日本には「準備された市民」が極端に少ない。
それは、この国では、「市民革命」が一度もなかったことと関係する。
実際、日本人が人民のパワーで政治を変えたことはほとんどない。」
(この本が出版されたのは2005年4月。まだ日本版の具体的計画はない。)

浅野氏は『オーマイニュース』が記者クラブを廃止に追い込んだ
功績は大きいと言う。
(韓国にも記者クラブがあるのか、と思ったら、
記者クラブは日帝が韓国に残したもので、
こんな制度は日本と韓国にしかないそうだ。)
『オーマイニュース』の提議とネット世論の高まりを受け、
盧武鉉政府は記者クラブを開放、
取材を希望するすべてに記者に機会を与える「開放型登録制」に変更した。

韓国の政治情勢に詳しくないので
『オーマイニュース』が大統領選にどのような影響を与えたのか、
本書だけではよくわからない。
また、『オーマイニュース』と盧武鉉政府との関連を指摘し、
本当に市民の声がストレートに反映されているのかという意見もあるようだ。
『オーマイニュース』を単純に成功したメディアとして見ていいのか、
日本の記者クラブの閉鎖性は確かに頭にくるが、
誰もが記者クラブに出入りすることはいいことなのか、
市民が参加することで世界がよくなるのか、いろいろと疑問もあるのだが、
実際にネット世論が政治を変えた例として『オーマイニュース』は注目に値する。
日本版の今後の行方も見守りたい。

◆以下、読書メモ
記者は宿命的に「自分の記事こそ本質をついている」
という前提で読者と向き合う、傲慢な存在だ。

四百人の編集局員を率いる『朝鮮日報』のサイトも、
その百分の一の四人しかいない『オーマイニュース』のサイトも、
ネチズンの見る画面であるコンピュータ・スクリーンでは同じサイズなのだ。

「朝鮮王朝末期から日本の植民地時代にいたるまで、日本の朝鮮半島における
植民地侵略を支持、賛美したり、民族の独立を妨害、遅延させ、
各種の収奪と強制労働などの先頭に立ったりして、
植民地統合と侵略戦争に協力した者たちの行為を記録した人名辞典」を
『親日人名辞典』といい、2006年8月、発売予定。
2004年1月、『オーマイニュース』は『親日人名辞典』の募金キャンペーンを行ない、
たった11日で目標の5億ウォンを集めた。

クリティカル・マス(ある事案を社会全体の世論へと作り上げるのに十分な、
適正数の世論作り集団)。
2001年の秋の時点で、『オーマイニュース』のトップ記事は、
数時間後に2、3万人が読む。その程度ならクリティカル・マスになりうる。

自由には二重性がある。私たちは「匿名意見の自由」を保障している。

1981年、当時CNN放送の会長だった、テッド・ターナーは
「インターネットはどんなメディアよりも新聞をまず『飲み込んでしまう』ようだ、
紙新聞は今後、10年以内に消滅するだろう」と語った。
しかし、2004年現在、紙新聞はまだなくなってはいない。
『シカゴ・サン・タイムズ』の副会長マーク・ホーノンは
「トイレがあるかぎり、『紙新聞』はなくならないだろう」と言った。

創刊時、金大中大統領にインタビューを申請したが、
「スタートして間もないインターネット新聞の創刊記念インタビューを受け、
もしそのインターネット新聞が数ヶ月で廃刊してしまったら、大統領の負担になる」
とインタビューを断わられた。
「しかし、もし一年間生き残ったら創刊一周年の記念インタビューは
前向きに検討しよう」という返答をもらい、
一年後、金大中大統領はこの約束を守り、単独インタビューを受けた。

『後宮の世界』

後宮の世界―仰天!歴史のウラ雑学
『後宮の世界 仰天!歴史のウラ雑学』
堀江宏樹・著
竹書房

物語もいよいよ佳境に入ってきた『宮廷女官チャングムの誓い』。
(チャングムはいつでも佳境だけどねー)
ヨンセンの懐妊あたりから、そういえば女官って雑役女中じゃなくて、
“王の女”だったということを思い出した。
そうすると、すごく料理の腕がいい女官でも、
王様が手を出したら、もう料理どころじゃないのか?
あと、内侍府(ネシブ)の長官はヒゲがないから宦官だと思われるが、
宦官って中国から入ってきた制度じゃないの?
自分の旦那(王様)が女官を孕ませたら、彼女の地位まで配慮して
あげなきゃいけないなんて、皇后って大変だ、
日本の大奥みたいな制度は世界中の王族にあるのか?
などなど疑問に思い、後宮についてちょっと勉強したくなった訳です。

※wikipediaによると、嬪(ピン、正一品)・貴人(クィイン、従一品)・
昭儀(ソイ、正二品)・淑儀(スギ、従二品)・昭容(ソヨン、正三品)・
淑容(従三品)・昭媛(正四品)・淑媛(スグォン、従四品)が後宮で
ヨンセンがなったスグォンが従四位なのに対し、
尚宮(サングン)を始めとする正五品以下は職務に従事する女官なのだそうだ。

後宮が成立した歴史的背景とか、
後宮にみる比較文化論みたいなものを求めていたのですが、
残念ながら、本書にはそういう話はほとんどなし。
日本編や中国編はやたらと「~だったらしい」といった書き方が多く、
全体的に推測や噂だらけ。
それでも、「大奥に入ることは、結婚という大問題からおおっぴらに
解放されうる最終手段でもあった」という指摘はおもしろい。
『チャングム』を見ながら、女官たちは(王のお手つきがない限り)
一生、結婚もせず、権力争いの中で生きて幸せだったのかなー
と思っていたのですが、
「あくまで独身のまま自力で生き抜きたい女性や、
結婚はしたが、男性に拒否反応があって離縁されたとか、
複雑な事情を抱えた女性たちにとって、
大奥はシェルターの役割を果たした」と考えると、違う見方ができる。

トルコのハーレムにいたっては、
一日中、ハマム風呂とよばれるスチームサウナに入り、
肌を磨くマッサージを受けていたというから、うらやましい。
ナポレオンの最初の皇后ジェゼフィーヌの従姉妹エメ・ド・リベリは、
女子修道院から実家に帰る途中で、奴隷商人に誘拐され、
オスマン・トルコの後宮に入り、母后陛下としてハーレムに君臨した
など、波乱万丈のエピソードも。

著者は元々フランス文学が専門らしく、
後半のヨーロッパ編のほうが断然おもしろいのだが、
ここらへんになってくると、サブタイトルにあるように
「歴史のウラ雑学」系の話で、もう後宮はほとんど関係なし。
精神錯乱で廃位され、その直後に謎の水死をとげたルートヴィヒ二世と、
彼の従姉妹であったヴィッテルスバッハ家の美人三姉妹
(妹に婚約者を奪われたヘレネ、オーストリア皇后となったエリザベート、
ルードヴィヒ二世から婚約を破棄され、精神のバランスを崩し、
火事で焼死したゾフィー)の波乱万丈の人生などは詳しく読んでみたい。

日本の衆道をはじめ、同性愛ネタも多いのだが、
興味本位な書き方に終始して不満。
歴史上、同性愛がタブーじゃなかった時代があっても
おかしくないと思うが、宗教的にはどうだったんだろう。

後宮が人々の興味を引きつつも、大きな声で語られないのは、
性的な幻想が関わってくるからだろうが、
基本的には美貌と知性を兼ね備えたキャリアウーマンたちの
政治の場だったんだなーと思う。

『あんぱんはなぜ売れ続けるのか』

あんぱんはなぜ売れ続けるのか
『あんぱんはなぜ売れ続けるのか』
井上昭正・著
清流出版

木村屋の桜あんぱん、金鳥の蚊取り線香、キューピーマヨネーズ、
カゴメ、ゼブラ、田崎真珠、イトーキ、
長年に渡って存続してきた7社をマーケティング戦略から語る。

最近のタイトルの二番煎じぶりはいかがなものかと思うのだが、
(『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』、
『潰れないのはさおだけ屋だけじゃなかった』、
『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』、
『千円札は拾うな。』、『客は集めるな!』、『通勤電車で寝てはいけない!』、
『人は見た目が9割』、『女は見た目が10割』……)
これがマーケティングってことですか?

7社に共通する(と著者が言っている)のは
儲けではなく、お客様の幸福や社会的貢献をめざしたところ。
キューピーの創始者中島董一郎は言う。
「まず心がけなければならないのは、道義を重んずること。
つまり目先の損得ではなく、何が本当か、正しいかということを
判断の基準にすることです。世の中は存外公平なものであり、
もし公平でない結果が出たとすれば、道義を重んずることに問題があったか、
創意工夫に欠けていたからだと反省してみてください。
そうすれば必ず、公平な結果が出てくるはずです。」
儲かるかどうかではなく、正しいかどうか、社会に貢献できるかどうか
を基準にしている、というのは、ベンチャーの社長なんかもよく言っているが
私からすると「本当かなー」という感じ。

成功している企業の成功譚なので、基本的に綺麗ごと。
過去には失敗だってしてるだろうが、そういう話は出てこない。

マーケティングについても、
木村屋は“プレスティジアス戦略(高級イメージ路線)”
をとっているというのだが、消費者感覚ではピンとこない。
「金鳥が広告キャラクターに超一流の美空ひばりを起用したのも重要で、
三流の歌手を選んでいたら、商品も三流に降格してしまう、
一流の商品をめざすなら、すべて一流の人やモノと組むことが必要」
というマーケティング戦略も、いかにも広告屋がいいそうな感じで、
じゃあ、一流って何よという気がしてしまう。

キューピーの新聞広告戦略についても
大きな企業がやるからOKなのであって、
今どきそんなマスな広告で成功できる企業は限られているのでは。

木村屋の銀座本店で売られている、あんぱんは、
同じビルの7階のパン工場で作られているとか、
ホチキスを発明したのは、機関銃の発明者でもある、
ベンジャミン・バークリー・ホチキスさんだとか、
イトーキ創業の祭に、渋沢栄一が「伊藤喜商店」の看板を
贈ってるとか、ちっちゃなエピソードはおもしろかった。
(渋沢栄一については興味があるので、ちゃんと調べてみたい。)

アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』

涼宮ハルヒの憂鬱 朝比奈ミクルの冒険 Episode00 通常版

涼宮ハルヒの憂鬱 1 通常版

涼宮ハルヒの憂鬱 2 通常版

というわけで手のひらを返して、土・日で
アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』全14話を一気見しました(バカだ)。
結論から言うと、DVDがバカ売れする理由はいまだに理解できないけど、
原作におとらず、かなりレベルの高いアニメ化だと思いました。

すでによく知られているようにアニメ版は時系列をシャッフルしているので、
ちょっと悩みましたが、素直に放映順に見ることに。
しかし、これがなかなか大変、5月から6月、夏休みになったかと思えば、
秋に話が飛んで、再び夏休みから5月へ、12月の次がまた5月、
という感じで、自分が今どこにいるのか何度も放映順を確認してしまいました。

放送話数 サブタイトル 構成話数
第01話 朝比奈ミクルの冒険 Episode00 第11話
第02話 涼宮ハルヒの憂鬱 I 第01話
第03話 涼宮ハルヒの憂鬱 II 第02話
第04話 涼宮ハルヒの退屈 第07話
第05話 涼宮ハルヒの憂鬱 III 第03話
第06話 孤島症候群(前編) 第09話
第07話 ミステリックサイン 第08話
第08話 孤島症候群(後編) 第10話
第09話 サムデイ イン ザ レイン 第14話
第10話 涼宮ハルヒの憂鬱 IV 第04話
第11話 射手座の日 第13話
第12話 ライブアライブ 第12話
第13話 涼宮ハルヒの憂鬱 V 第05話
第14話 涼宮ハルヒの憂鬱 VI 第06話
(wikipediaより抜粋)

以下、おおまかに感想。

第1話『朝比奈ミクルの冒険 Episode00』
噂には聞いてたけど、ハードル高っ。
ハルヒたちが文化祭に作った自主制作映画という設定なので、
しょっぱなから「み、み、みらくる~」という歌から始まって、
1話分、えんえんと、ぬるーいアニメが続く。
原作を読み終わっていて、これが番外編だと知っている私でさえ辛い。
不自然なパンやズームを多用していたり、台詞が棒読みだったり、
解説サイトによると、集音やブレ、ピンボケまで自主制作っぽさにこだわるなど
小技は満載なんですが、結果として素人が作った映画みたいなものを
アニメキャラで見せられるわけで、普通の人がついていけるわけがない。
(私の妹は放映当時、前情報なしでこれを見て、番外編であることには
すぐ気づいたものの、最後まで見る気になれず、挫折してます。
「せめてAパートで終わらせてほしかった」そうです。)
まあ、この第1話は踏み絵みたいなもので、一見さんお断りというか、
原作ファンと、この試みをおもしろいと思えるマニアしか次に進めない訳で、
逆にこれをクリアできるなら、その後はどこまでもついていってくれるだろうと。

第2、3、5、10、13、14話『涼宮ハルヒの憂鬱 I~VI』
本筋部分はかなり原作に忠実で、台詞が多少変更されているものの、
省いたり追加したエピソードはほとんどない。
私的には、キョンのナレーションはもっと淡々としたイメージだったんだけど、
まあ、あれくらいリズムがないと、つっこみにならないのかも。
長門有希や朝比奈みくるは元々アニメから生まれたようなキャラクターなので、
原作より、アニメのほうがその魅力が生きる。
(朝比奈みくるの「うきゃぁ」とか「~ですかぁ」みたいな台詞は、
アニメキャラだと思わないと、痛くて読んでられないし。)
朝比奈みくるの「禁則事項です」は原作でもイラストになってたけど、
アニメのほうがパワーアップ。
長門有希の数ミリだけうなづく感じもよく表現されている。
3人が自分の正体を告白する部分は、
あんなに端折んなくてもいいんじゃないかとか、
キョンの「ベタすぎる」という台詞は残してくれないと意味わかんないぞとか
多少の不満はあるものの、全体的にかなりうまくアニメ化されている。

第9話『サムデイ イン ザ レイン』
時系列でいくと実質、最終話。
原作者が関わっているらしいけど、これだけアニメオリジナル。
部室を3ヵ所の定点カメラからとらえたり、長門が本を読むだけの場面が
えんえんと続いたり、これもかなり実験的な回。
私が原作でいちばん好きだったのは、
事件前日の「SOS団が何もない退屈な時間を過ごした日」で、
キョンが「こういうモラトリアムな日常も悪くない」と思う場面。
アニメ本編では、ここはずいぶんさらっと流されてしまっていたので、
そのぶん、1話まるまる「SOS団の日常」が描かれているこの回が結構好きだ。
私も高1の冬、こんな日々がずーっ続けばいいのにと思った日があった。
もちろん、春になればいろんなことが変わってしまうとわかっていて、
そう望んだわけだけど、あれからずいぶんたった今でも、
その日そう思ったことを覚えている。そんな一日が描かれている。

第12話『ライブアライブ』
文化祭の話。ぶっとんだストーリーの中で、
ここだけ、宇宙人や未来人や超能力者がほとんど関係ない、学園生活。
歌を歌う場面は、絵になるし、盛り上がるけど、意外と難しい。
ハルヒに1曲まるまる歌わせて、それをストレートに描いている度量に感心。
本編では(本人が自覚していないので)ハルヒとキョンの恋愛は、
まだ始まったばかりな訳だけど、この回では、
口には出さないけど、キョンがハルヒを認めて見守っている感じがあって、
嫌味のない学園ラブストーリーっぽい。

『涼宮ハルヒの憂鬱』

涼宮ハルヒの憂鬱
『涼宮ハルヒの憂鬱』
谷川流・著
いとうのいぢ・イラスト
角川書店

アニメDVDがバカ売れしている『涼宮ハルヒの憂鬱』。
なにがそんなにおもしろいんだと、ちょっとだけ見てみたんですが、
もともと萌え系アニメは苦手なので、15分で挫折。
いとうのいぢのキャラクター、マニアックな設定や演出が
オタク受けしたんだろう、ぐらいに考えてました。

で、仕事で徹夜していたときに、
会社に原作本が転がっていたので(仕事上の資料としておいてあった)
なんとなく読んでみたところ、これが予想外におもしろい。

軽めの一人称はライトノベルではめずらしくもなんともないが、
たいていが頭の悪そうな文章で非常に読むのが辛い。
(ライトノベルをちゃんと読んでるわけじゃないので偏見だけど)
意味のない独白やひとりつっこみがダラダラ続くのもありがちな気がするが、
『ハルヒ』の文章はきちんと読ませる。
冒頭はこんな感じ。
「サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことは
たわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、
それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うと
これは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった。」
これをアニメのナレーションで聞いてみたいと思う人の気持ちもわかる。

ツンデレ美少女、ロリ系巨乳娘、無表情なめがねっ娘
という類型的なキャラクターを逆手にとって
日常と非日常が紙一重で入れ替わる、SF設定やプロットもうまい。
美少女ゲームの場合、主人公は(ユーザーが自分を投影しやすいように)
存在感の薄いキャラクターとして描かれることが多いけど、
『ハルヒ』の主人公(?)キョンは、語り手でありながら、
すべてキャラクターの核になっていて、彼自身の成長もきちんと描かれている。

自分に自信が持てなくて、この世界では自分がちっぽけな存在に思える
ティーンネイジャーのアイデンティティーとか、
毎日なんかおもしろいことないかなーと思ってしまう
高校生のモラトリアムな日常とかがストーリーに昇華されており、
恋だとか愛だとかいう文字がほとんど出てこないのにラブストーリーなところもよい。

スニーカー大賞を受賞し、その後加筆修正もしているのだから
当たり前といえば当たり前なのだが、
素人くさい文章とありがちな設定、
というライトノベルのイメージが覆りました。
学園ものとしては傑作といってもいい。

『第三の女』

『第三の女』
THTRD GIRL
アガサ・クリスティー・著
小尾芙佐・訳
早川書房

1966年発表のポアロもの。
『スタイルズ荘の怪事件』(1920年)から46年がたっており、
ポアロは若い娘に「年をとりすぎている」と言われてしまう。

ヒッピーやボヘミアンみたいな若者風俗や
エレベーターのある高層マンションなど、
当時の風景は興味があるけど、
私の中でポアロは1930年代のイメージが強いので、ちょっと違和感。
変わりつつあるロンドンが描かれています。

死体なき殺人、というか殺人が起きたかどうかわからないまま、
最後まで読ませてしまうのは、さすが。
伏線がわかりやすいので、犯人の見当はすぐつくんだが、
トリックはさっぱりわからない(っていうかそんなの反則だよねー)

今回はオリヴァ夫人が大活躍。
最初の電話の場面から、彼女に魅了されっぱなし。素敵なキャラクターです。


『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』

パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト オリジナル・サウンドトラック
『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』
at 新宿ミラノ2

※新宿ミラノ2って何と思ったら、いつのまにか(2006年6月らしい)、
映画館の名前が変わっていた。
新宿ミラノ座→新宿ミラノ 1
新宿東急→新宿ミラノ 2
シネマミラノ→新宿ミラノ 3
このほうが公開作品の入れ替えがしやすいんだろうし、
映画館自体は昔のまま存在しているものの、ちょっと寂しい。

1作目の『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』が
ジョニー・デップ以外、たいしておもしろいところもない映画だったので、
全く期待していなかったんですが、予想以上につまらなかった。

つまらない映画をつまらないというのは簡単で
あまり建設的な行為じゃないんだが、あえてどこが悪かったかあげてみる。

・1作目の最大の魅力はジョニー・デップのジャック・スパロウ。
(というか、彼がいなかったら凡作で終わり、シリーズ化なんてされなっただろう。)
ジョニーの前では、旬の若手俳優であるオーランド・ブルームもキーラ・ナイトレイも
かすんでしまった。(本来、1作目の主役は彼らだったはず。)
今回、オーランド・ブルーム演じるウィルは、正義感にあふれた青年として、
1作目よりはちゃんとかっこよくなっている。
一方、ジャック・スパロウは善人だか悪人だか、何を考えてるんだかわからない感じが
薄れてしまい、“ただの変な人”になってしまった。
奇抜なファッションも、幽霊船やジャングルが舞台のせいなのか、薄汚れてみえる。
キーラのエリザベスにいたっては最悪。後半の彼女の行動は、
ストーリーを展開させるためだけのもので、さっぱり理解できない。

・1作目の良かったところのひとつは、CGを無駄に駆使した
バカバカしいまでのアクション。ハリー・ハウゼンを意識したような、
ガイコツの戦いはCG技術としてだけでも見る価値があった。
今回も水車を使った追いかけっこや、タコ(イカ?)の化け物など、
バカバカしいほど派手なアクションは健在なのだが、これがちっともおもしろくない。
セットもCGも役者も、おそろしく手間をかけている場面だろうに、
まったく効果をあげていない。
(VFXスーパーバイザーはジョン・ノールなんだけどね。)

・ジェリー・ブラッカイマーのいいところは、能天気で誰にもわかるストーリーだ。
批評家には支持されなくても、彼の作品は大ヒットしてきた。
1作目もあっち行ったりこっち行ったり、ダラダラ長かったけど、
ストーリー自体は単純だった。
ところが、今回はやたらと話が複雑で、登場人物も多い上、
あいかわらずあっち行ったり、こっち行ったり、ダラダラ長くて、
第3作に続くので、オチも何もないままに終わる。

・1作目を好きだったという人でも
ノリントン提督のファンだという人がそれほどいるとは思えない。
(そもそも覚えてない人のほうが圧倒的に多いのでは)
彼が2作目にも登場する意味がよくわからないし、
最後に出てきた人にいたっては、こいつが3作目で活躍するのかと思うとうんざり。

・『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』という邦題もひどい。
1作目が『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』なんだから
『パイレーツ・オブ・カリビアン/死者の宝箱』でもいいじゃないか。
3作目のサブタイトルは“At Worlds End”だそうだが、邦題はどうするんだろう。

・そのほか、フジツボが気持ち悪いとか、いくらファンタジーだって、
いまさら原住民をバカみたいに描くのはどうなのとか、
(1作目のサルも意味のないエンディングだったけど、
今回はすぐに見当がつく、予想どおりのエンディング)
いろいろあるけど、これだけ大ヒットしている作品が、
こんなにつまらないのでは悲しくなる。
第3作目は、バカみたいに派手で、
能天気なエンターテイメントに戻ってほしいと思う。

『オタク・イン・USA』

オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史
『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』
パトリック・マシアス・著
町山智浩・編・訳
太田出版

アメリカに生まれ、アメリカに育った著者が、
日本のアニメやマンガ、特撮がどんな風にアメリカに輸入され、
今のようなムーブメントになったかを語る。
著者はメキシコ系アメリカ人。
アメリカ社会で生きるために、彼の両親は彼にスペイン語を教えなかった。
祖先の伝統や文化と切り離された子供にとって、民話や神話の代わりになったのは
ディズニーアニメであり、『スター・ウォーズ』だった。
「それが僕の場合は日本のアニメや特撮だったんだ」と彼は言う。
「世界のオタクたちは、自分を取りまく環境、支配的な文化に不満があって、
そこからの脱出を日本製のファンタジーに求めたんだ」と。
「僕は今、中野ブロードウェイのカフェでこの原稿を書いている。
ずっとあこがれていた日本に住んでいるなんて夢みたいだ」

『ゴジラ』は原爆の死と破壊の記憶から生まれたが
今のアメリカ人の若者に当時の日本人の気持ちを理解するのは難しい。
『モスラ対ゴジラ』を輸入したヘンリー・G・サパスタインは、
「ゴジラを何かのややこしいメタファーじゃなくて、明快なヒーローにすべきだ」
と東宝に進言するが、安っぽいヒーローになったゴジラに幻滅したのも彼自身だった。
(サパスタインはハリウッド超大作『Godzilla』のコンサルタントを務め、
ニューヨークプレミアの1ヵ月後、死亡する。)

以下、アメリカの輸入史はかなりめちゃくちゃ。

『ウルトラマン』はアメリカでも著者をはじめ多くの子供の心をとらえ、
何度も再放送されたが、『ウルトラセブン』はつまらないギャグ満載で、
アイスラッガーによる戦闘シーンは暴力描写としてカットされた。
(だからアメリカでは決着がつく場面がない!)
『ガッチャマン』は『スター・ウォーズ』にあやかるため、
惑星を守る宇宙のヒーローに改変された。
(それでも白鳥ジュンのパンチラ・キックは残った。)
『宇宙戦艦ヤマト』は、“ヤマト”が日本の戦艦であるとマズイので
“アルゴ”という名前になり、巻き寿司はチョコレートケーキに、
酒を飲む場面はミネラルウォーターへと変更された。
『マジンガーZ』や『コン・バトラーV』はアニメは一切放送されなかったが、
オモチャは『ショーグン・ウォリアーズ』としてバカ売れした。
2007年には『トランスフォーマー』と『ボルトロン』の実写映画が公開される予定。
(『ボルトロン』は、『百獣王ゴライオン』と『機甲艦隊ダイラガーXV』を
編集してひとつにしたもの、だそうだが、どっちも知らないよー)
『マクロス』は、『サザンクロス』と『モスピーダ』とあわせて
むりやりひとつのシリーズにして、『ロボテック』として放映された。
(吹き替えだったにもかかわらず)日本版ビデオを見たコアなファンは
飯島真理のリン・ミンメイを愛した。
(その後、フィラデルフィアの「オタコン」に招待された飯島真理は
「私はミンメイじゃないし、中国人でもありません」と発言している。)

そんな改変とカットの時代をくぐりぬけ、アニメやマンガはアメリカに定着する。

95年に上陸した『セーラームーン』は「セクシーすぎる」と反発を受け、
放映が打ち切られたが、ファンからの投書が殺到し、
ケーブルテレビ局に放送が引き継がれた。
(『パワーパフガールズ』はアメリカ版『セーラームーンとして制作された)
『ガンダム』シリーズは、2000年になって『ガンダムW』が初めて放映され、
アメリカの女の子たちの心をとらえた(アメリカにも腐女子がいるのだ。)
小池一夫に影響を受けたフランク・ミラーは、『シン・シティ』を描き、
女忍者ミホ役にデヴォン青木をキャスティング。
(『ワイルド・スピードX2』のジョン・シングルトン監督も
デヴォン青木を「アニメ・ガールが本物になったみたいだ」と評する。)

アメリカのオタク少年が日本を冒険する『メガトーキョー』など
アメリカ人が描く“マンガ”も増え、少女マンガは一般の書店でも買える。
(『SHOJO BEAT』は、白泉社、小学館、集英社のマンガを集め、『NANA』、
『紅色HERO』、『赤ちゃんと僕』、『風光る』、『絶対彼氏。』という豪華連載。)
『メガトーキョー』の作者フレッド・ギャラガーは言う。
「人生の問題の解決方法は全部少女マンガに載っている」
(そんなことないけどね)

今の若いファンは自分がオタクであることを誇りに思っている。
日本ではオタクという言葉はネガティブな意味を持っているけど、
アメリカではポップ・カルチャーのひとつとして使われている。
一方、“萌え”はアメリカの場合、チャイルド・ポルノにつながってしまうので微妙。
アメリカのオタクたちはまだ二次元キャラより本物の異性の方がいい。
『電車男』の段階で『電波男』には達していないと。

おもしろかったので、あちこち引用メモしちゃいましたが、ざっとこんな内容。
基が連載コラムなので、広範な話題が語られてます。
日本アニメの改変が、文化比較にもなっていておもしろい。
(アニメじゃないけど、アメリカに輸入されたピンク・レディーが
司会者と水着姿でジャグジーに入る『ピンク・レディー・ショー』は
最悪のテレビ番組としてあっという間に打ち切りになったが、
6歳だった著者に忘れられない印象を残した話など最高。)

アメリカから見たということで、オタク文化論としても客観的で読みやすい。
やはり『メガトーキョー』の作者フレッド・ギャラガーの言葉。
「アメリカのオタクは日本のことをオタクのユートピアだと信じてる。
でも、アニメやマンガは日本人にとっても自国の文化についての
ファンタジーで、つまり現実とは違うんだ」

日本のアニメが世界に誇れることは私も認めるし、
それが世界でも認められていることも嬉しいと思うが、
日本政府が“クールジャパン”としてビジネスにしようとしてるのは
なんだかバカげていて、
「あんたたちにアニメやマンガが本当に理解できるの?」と思う。

著者も次のように書いてます。
「昔からのオタクたちは、誰よりもアニメが世間に認められることを願っていたが
望んでいたのは作品として評価されることであって、
ビジネスマンどもに食い物にされることではない。」

タンジー

Tanzi
タンジーの花が咲いた。

よく母が「○○の花が咲いたからちょっと見なさい」と言っても
興味のない私はさっぱり関心をしめさず母をがっかりさせていたんですが、
花が咲くということは、ひとつの成果であり、
今までやってきたこと(植え替えとか水遣りとか虫取りとか)
が報われるってことなんだなーと思ったり。

ここ数ヶ月は毎日虫との闘いだったんですが、
季節が終わったのか、やっと虫がいなくなりました。
(毎日ワリバシで虫を取り除くのだ。
もちろん気持ち悪いんだけど、ほおっておくとハーブがバクバク食べられちゃうので。
夏休み中、妹に水遣りを頼んでいたら、虫取りまではやってくれなかったので
帰宅したら虫が2センチくらいに成長していて、
レモンバームとローズマリーが3分の1くらい食われていた。ぎゃー。)

Hasami
料理用のハサミや文具用のハサミを使っていたら、
妹が見かねて買ってきてくれたガーデニングハサミ。
100円ショップのものらしいけど、切れ味もよく便利。


今週の記録

4km 29分57秒46

涼しくなってきたので練習を再開。
1ヵ月のブランクで、体力的にはほとんどリセット状態なので
今日のテーマは無理をしないことで、4km。
それでも久々だったので疲れました。

『かもめ食堂』

かもめ食堂
『かもめ食堂』
at 下高井戸シネマ

フィンランドで日本食堂を開く3人の女性の物語。
小林聡美、片桐はいり、もたいまさこというキャスティングは
室井滋こそいないものの、『やっぱり猫が好き』そのもの。
監督の荻上直子は『やっぱり猫が好き2005』の脚本を担当してるから、
そのへんの縁なのか。

片桐はいりは、そのファニーな個性をぞんぶんに生かしていて、
立ち振る舞いだけで、おかしい。
それをさらに上回るのが、もたいまさこ。
窓から店をのぞいているだけでオーラを発しているし、
この人ならフィンランド語わからなくても会話できちゃうだろうなという気がする。
そして、このままではバラバラになってしまいそうな
キャラクターたちに小林聡美が一本芯を通している。

この3人だから、おそらく日本でいろいろあってそれを捨ててきたり、
過去をリセットしているだろう女性たちの暗さとか悩みがまったく感じられなくてもOK。
お金はどうしてるんだとか経済的な疑問をさしはさむ余地すらない。

この3人がフィンランドで日本食堂を開けば
それだけで映画ができるんじゃないか
という安易さが多少なりとも感じられて、
映画自体は十分おもしろかったものの、個人的にはあまり好きになれないところも。
お客がだんだんやってくるようになった過程とか、
フィンランド人たちとの交流は、ストーリーとして無理がある。
これはお話だから説得力なんかなくてもいいんだよ、というのもわかるけど、
映画自体はふわふわしたファンタジーみたいで、
3人のキャラクターがあるから、かろうじて地に足がついて見えるという感じだ。
『過去のない男』のマルック・ペルトラも言われないとわからないほど。

小林聡美が少女趣味入ったファッションで、
片桐はいりがカジュアル、もたいまさこがクラシックと
それぞれ学生時代から進歩していないファッション、
と衣装で上手に個性を表現していたり、
マリメッコなど、かわいい北欧雑貨がごろごろ出てくる。
(かもめ食堂のインテリアは、日本の食堂+アメリカンダイナーに
北欧っぽい白い木製家具といったところ?
でもあんなガラス張りの食堂、落ち着けなくて私は嫌だな。)

料理をおいしそうに見せるのは結構難しいと思うけど、
揚げ物の油の音、鮭を焼くじゅーっという音など
調理過程を上手に見せることで、ちゃんとおなかがすく映画になっている。
総じて、「ちょっと息抜きにどっか行きたいな」と思っている女性心理は
ちゃんととらえていて、それがヒットした理由じゃないかなと思う。

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