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『フォトモンタージュ 操作と創造』

フォトモンタージュ 操作と創造―ダダ、構成主義、シュルレアリスムの図像
『フォトモンタージュ 操作と創造 ダダ、構成主義、シュルレアリスムの図像』
ドーン・エイズ・著
フィルムアート社

ダダイスム、ロシア構成主義、シュルレアリスムとの関連を中心に
フォトモンタージュの歴史を解説。

1920年頃、ダダの表現手段として使われたフォトモンタージュは
まだ、写真の切り張り遊びのようだが、第二次大戦を前にして
政治的プロパガンダとして使われるようになる。
(フォトモンタージュの第一人者ジョン・ハートフィールドは、
ヒットラーを強烈に皮肉ったフォトモンタージュを多数作っている。)
フォトモンタージュはさらに、シュルレアリスムや無対象芸術へと結びついていく。

『ザ・キムラカメラ』に端を発し、フォトモンタージュ史を読んでみたわけですが、
もともとの原文が難しいのか、訳が悪いのか、難解。
そもそもダダとシュルレアリスムの違いってわかります?
それでも写真が新しい表現手段として
芸術家たちに熱狂をもって受け止められたことは伝わってくる。
彼らの作品は今でも十分パワフル。
(シュルレアリスム的作品は今でも難解で訳わかんないですが。)

百聞は一見にしかず。ジョン・ハートフィールドの作品はここ
ハンナ・ヘーヒの作品はここで見れます。

「ミシンと傘が解剖台の上で偶然出会ったように美しい」
アンドレ・ブルトンがマックス・エルンストの作品を評した言葉。

「もし誰かが、腕から分離することによって手を置換えようとするなら、
その手は手としてずっと素晴らしくなる」
アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムと絵画』

「今日、フォトモンタージュの最も身近なモードは、広告に使われているものだろう。
しかし、広告の社会的および性的な構成は
(フォトモンタージュを使っているかどうかはともかく)、
隠れた偏見や根拠のない思い込みをさらけだすために
広告を利用するフォトモンタージュによって、その本質が明らかにされるかもしれない。
そのような利用は新しくなく、ハートフィールド、ダダ、とりわけハンナ・ヘーヒにまで遡る。
こうして破壊的な曖昧さとでも言えるものが創造されるが、
それがこの芸術形式の中心的戦略なのである。」

ザ・キムラカメラ
こちらが『ザ・キムラカメラ』 (木村恒久・著、パロル舎)
感想書こうと思ったけど、これも百聞は一見にしかずなんだよねー。
今見ると反戦や反文明のイメージは「昭和!」みたいな古さも感じるけど、
ワールド・トレード・センターを使ったフォトモンタージュが
1970年代の作品だったりして逆に普遍性というか先取りにびっくり。
全部アナログで何度もフォトを貼り合わせてるってのがすごい。

◆読書メモ

『ダダ』熱は、その名を赤ん坊が初めて発する言葉から取った。

フォトモンタージュの創始者については、
ラウル・ハウスマンとハンナ・ヘーヒ、
ジョージ・グロスとジョン・ハートフィールド
の2組によって権利が主張されてきた。

本来政治的な挑発遊びから、意識的な技法を発展させることが、
ハートフィールドを勇気づけたのである。

両者(グロスとハウスマン)とも、
フォトモンタージュの意味作用のさまざまな可能性と、
媒体が持つ破壊的なまでの潜在力に取りつかれたことを強調している。

モンタージュがとりわけ政治的左翼と関係があるのは驚くにはあたるまい。なぜなら、
モンタージュはマルクス主義の弁証法の表現に理想的なほど適しているからだ。

ハートフィールドのフォトモンタージュ展が開かれたとき、
彼はオリジナルの他に展示用の複製紙を持っていると言い続けた。
それは自分の作品が広範な世間に対する政治的なプロパガンダであること、
私的で単一で反復不可能な芸術ではないことを強調するためだった。

ゲッベルス博士かく語りき-“目の見えない連中が目を覚まさないうちに
次ぎの放火を始めよう”
ハートフィールドの『光から夜へ』が『AIZ(労働者グラフ新聞)』に掲載されたときの説明文。

「彼が私を含むみんなを嫌っていたのは、
われわれみんなが彼のニュアンスを理解できなかったからである。」
ハートフィールドが雇った写真家の一人、W・ライスマン

ハートフィールドは第一次世界大戦中に、当時グロスと共有していた反国粋主義的態度と
アメリカのすべてのものへの称賛の意味で、ヘルツフォルデから名前を改めた。

「フォトモンタージュの発展には二つの全般的な傾向がある。
一つはアメリカの広告に由来し、ダダイストと表現主義者たちが利用しているもの
-いわゆる形式のフォトモンタージュ。
二つめの傾向は、戦闘的かつ政治的フォトモンタージュであり、
ソ連邦の土壌で創り出された。」
グスタフ・クルツィスの声明文「新種の煽動芸術としてのフォトモンタージュ」

レーニンの公式によれば、
「共産主義はソヴィエト統治+電化を意味する」

「写真家たちの推察によると、写真は絵画に似れば似るほど、
ますます芸術的でよいものとなる。実際の結果は逆である。
芸術的になるにつれて質は落ちていく。
写真には、絵画の構成と何ら共通点をもたいないモンタージュという、
独自の可能性が存在する。ぜひともその可能性を実現しなければならない。」
『レフ』誌第4号

「ぼくは地上の愛の救済者となるだろう、ただ一人で」
「おそらく 幼年時代の 遠い日々
ぼくにだってかなり幸福な時が
十日ぐらいはあったはずだ」
マヤコフスキーの長詩『これについて』
(アレクサンドル・ロトチェンコが挿画にフォトモンタージュを添えた)

平易なサンセリフ字体のアルファベットはバウハウスとも共通している。
リチャード・ニュートラル著『アメリカ』のエル・リシツキーによる表紙デザイン。

ソヴィエト映画のめざましい発展はフォトモンタージュとの密接な相似関係にある。
映画において、ダイナミックで急速な画面転換、時間=空間の一致の混乱、
画面の比喩化や特徴づけ、クロースアップと遠景ショットの交替使用、
モチーフのオーヴァーラップ、二重露出、スクリーン分割の映写、
これらはすべてフォトモンタージュにあるものと等価である。

「どの芸術形式にも二つの技術的要素
-材料それ自体とその材料を組織化する方法-がある」
モンタージュ理論を最初に展開した一人、ロシアの映画監督クレショフ

フォトモンタージュがスターリン時代以後に復活することは実際上なかった。
「私がロトチェンコのポスターや表紙デザインを見つめるとき、
それらは決してあとが続かなかった何かのはじまりであったように見えてきます。」
S・キルサノフ

エルンストがフォトモンタージュという用語も使わなかったのは、
ベルリン・ダダの臭いがあまりに強かったと思われること、
それを偽造ヴァージョンとみなして、エルンストが低く評価したことによる。
「それはまさしくドイツ的だ。ドイツの知識人たちは、
イデオロギーなしでは糞も小便も出せない」

『今日の家庭をかくも異質に、かくも魅力的にするものは
一体何だろう?』において、リチャード・ハミルトンにとって
明日の世界のために不可欠な部類は、
「女性・食料・歴史・新聞・映画・家庭用電気器具・自動車・
宇宙漫画(スペース・コミックス)・テレビ・電話・情報」だった。

「それらは-相異なった写真から構成された-同時表現の実験的方法であり、
視覚と言葉の機知の圧縮された相互浸透であり、
最も現実的で模倣的な手段の想像のうちで成長する奇妙な結合である。
しかし、それらは同時に物語っていてたくましくありうるし、
“人生そのものより”真実でありうる」
「これらの今日まだ原始的な手による作業は、映写と新しいコピー方法を用いて
まもなく機械的にできるようになるだろう」
モホイ=ナジ『絵画・写真・映画』

もともと「モンタージュ」montageという言葉はフランス語に由来し、
「機械の組み立て、据え置き」を意味する。
映画の編集用語としても使われているのは、
「フィルム断片を組み合わせる」という意味からであり、
写真が空間の中でそれを行なうとすれば、
映画は主として時間の中でそれを行なうことになる。
同様の言葉に、やはりフランス語由来の「コラージュ」collageがあり、
これは「貼り付け、糊付け」を意味し、美術用語として流布している。

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