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『吉野家』

吉野家
『吉野家』
茂木信太郎・著
生活情報センター

吉野家がアメリカ産牛肉にこだわるのはなぜなのか?
吉野家の謎に迫った1冊。

アメリカ産牛肉の輸入が停止された2003年当時、
アメリカ産牛肉の輸入量は年間約30数万トンから40数万トン、
吉野家の牛肉使用量は年間約3万トン。
アメリカ産輸入牛肉の一割近い量を吉野家一社で使用していた。

吉野家の使用量3万トンを頭数に直すと、300万頭。
これは国産牛の3年分に相当し、国内では確保できない。
吉野家が牛丼に使用していたのはショートプレートという部位。
脂肪分の多いショートプレート(バラ肉)は牛丼には最適であるが、
ステーキを主流とするアメリカでは、ほとんど不要の部位であり、
吉野家はアメリカからショートプレートを輸入することで
十分な供給量を確保していた。
(アメリカでショートプレートのジャパニーズカットといえば、
吉野家規格のことである。)
オーストラリア産牛肉はセット販売が主流で、
アメリカ産牛肉のように部位別で取り引きができないので、
ショートプレートのみの輸入が不可能だった。

とうもろこしのような穀物飼料で育てられたアメリカ牛と
牧草肥育で育てられたオーストラリア牛では味も異なる。
(アメリカの際立って高い食肉生産力は、
同国の穀物生産力に支えられている。)

といった感じで、吉野家から日本とアメリカの輸入事情、
食料自給率、穀物生産と牛の飼育法の違いなど
様々なことが見えてくるところがおもしろい。
きちんとデータを掲げた解説もわかりやすい。

吉野家といえば、以前、会社の近くに店舗があった。
吉野家の牛丼がすごい好きだというわけでもなく、
ある程度ちゃんとしたご飯が食べられて
24時間営業だったから、という程度の理由でしたが、
忙しいときにはめちゃくちゃ世話になった。
週に3回以上、吉野家で食べないように気をつけてたくらい。
特別おいしいとは思わなかったけど、
朝定食とか、けんちん定食とかよく食べたし、
ふらっと行って「なみたまご」と呪文のように言うのにも
すっかり慣れてしまった。

私はその店舗以外の吉野家を知らないので、そこに限っていうなら、
特別、サービスや接客が良かったとも思えないので
(今、チェックしてみたら、その店舗は休業中になっていた。大丈夫か?)
後半の「吉野家のファンが多いのはなぜか」という解説は
ピンとこなかった。(常連が多いのは事実だけどね)
著者は吉野家にも直接取材しているようなのに、
推測ばかりなのも残念なところ。
それでも吉野家から外食産業の経済学を読み解くという点で
楽しく読めました。
アメリカ産牛肉と吉野家の対応をめぐるテレビ報道は
ちょっとうるさいくらいだが、
はたして輸入再開は吉野家にとって吉と出るのか。

◆読書メモ

吉野家は牛丼以外にもカレー店などの新規事業拡大、
はなまるうどん、京樽、ダンキンドーナツを子会社化するなど、
多角経営も行なっている。
(ダンキンドーナツが1998年に日本撤退していることを
初めて知りました。大好きだったわけでもないけど、
ないと思うとさみしい。)

1991年、特盛が登場。
著者はこれによって、吉野家の牛丼の味が大きく向上したという。
牛肉の使用量が格段に増えたことで、ダシの出方や攪拌の具合、
汁と肉の馴染み方が変わったのではないかと推測。

特盛を可能にしたのは、同じ1991年の牛肉輸入自由化がある。
それまでは、牛肉はIQ指定品目であり、
あらかじめ政府によって決められた数量しか輸入できなかった。
すかいらーくの低価格業態ガストも、
マクドナルドの100円セールも、牛肉輸入自由化がなければありえなかった。

2001年、400円の並盛を280円に値下げ。
(これは当時、店舗が近くにあったのでよく覚えている。
会社の人々が喜んでいたなー。)

2003年12月24日の輸入停止後、
吉野家は174店舗で深夜営業を中止、年末年始の休業店を123店に拡大、
2004年2月11日には全店一斉に牛丼販売を休止する。
この営業短縮は、おそらく直営店の収益を放棄してでも、
フランチャイズ店の営業収益を確保するためだったのではないか。

並盛、大盛、特盛、ツユダク、ネギヌキなどをあわせると
吉野家の牛丼メニューは72通りもあるが、
並盛 ごはん260g=160g+100g、トッピング85g
大盛 ごはん320g=160g×2、トッピング110g
特盛 ごはん320g=160g×2、トッピング170g=85g×2
とそれぞれ二通りの方法だけで対応できる。

10年以上前、当時の幹部に、
吉野家の店でもっとも重要なことは何かとたずねたら、
客の順番を決して間違えないこと、と即答だった。

676年、天武天皇は肉食禁止令を下す。
以降、明治まで日本では牛肉食は禁止されていた。
明治の富国強兵政策のもと、日本人の体格を向上させるため
食生活を改革、牛肉食が奨励され、牛鍋(すき焼き)が流行する。

1970年、大阪万博の会場にケンタッキー・フライド・チキンが初登場。
すかいらーくが府中に一号店を開店。
1971年、マクドナルド、ミスター・ドーナツの一号店、
ロイヤルホストの原型となる店がオープン。
1972年、ロッテリア一号店、モスバーガー実験店がオープン。
外食チェーンブランドがいっせいにスタートを切る。

1965年、吉野家は年商一億円を達成。
1968年、当時の社長松田瑞穂は渥美俊一が
主宰する「年商三億円突破ゼミナール」に参加。
松田が渥美に「年商二億円にしたい」と相談したところ、
渥美は「二店にしたら」と答えた。
以後、吉野家のチェーン展開が始まる。

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