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『日本残酷写真史』

『日本残酷写真史』
下川耿史・著
作品社

江戸時代の“さらし首”から、戦時中に行なわれた斬首、
ナチによって殺されたユダヤ人の死体の山、
最近ではアルグレイブ刑務所における捕虜虐待まで
写真でつづる近代史。

掲載されている写真の多くが初公開というわけではなく、
今までにどこかで発表されているものらしく、
ベトナム人に銃を向けるアメリカ兵、
原爆によって黒こげになった少年の死体など有名な写真も多い。
しかし、阿部定本人や阿部定に殺された吉の死体
(本当に「定吉二人キリ」と書かれている)や、
切腹した三島由紀夫の写真(側に介錯された頭部がころがっている)、
佐川一政によって殺され食べられた女性の死体写真など、初めて見るもの多い。

当然のことながら目をそむけたくなる写真ばかり。
殺人現場の写真や累々と死体が並ぶ戦場の写真など
(報道という意味を抜きにすれば)よくカメラを向ける気になったものだと思う。
しかし、本書は興味本位やエログロ趣味な内容ではなく、
人間の残酷さについて、戦争が与える狂気について考えさせる。

「ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』は、
筆者にとって「これまでに読んだ全部の本」の中でも、
もっともショックの大きかった一冊であり、
同書を読んで以来、人間の残酷さ-その残酷さはどんな形で実行されたか、
人間はどこまで残酷になれるのか、残虐行為の対象にされた人々は
その攻撃にどう対処したのか-といったことが心の片隅にずっと残ることになった。」

関東大震災における朝鮮人虐殺や南京大虐殺など微妙な問題にも触れているが、
「本誌の主旨ではない」ということで結論は避けられている。
日本人は(おそらく人間は誰しも)残酷さと無縁ではない。
戦争や国家の名の下、人を殺せと言われたら殺せるだろうか。
人間を残酷さに駆り立てるものは、戦争や国家という大義名分だけだろうか。

写真の本質は“生と死”だと思ってきたけれど、
死体たちが語るのはただ物としての無言だけだ。
それでも『性犯罪の心理』で読んだ阿部定や小平義雄の供述よりも
たった1枚の微笑む阿部定の写真や、増上寺に転がる全裸の死体のほうが
恐ろしいほどの表現力をもっている。
こうした写真を見たいとも思わないし、簡単に公開すべきだとも思わないが、
そこに目をそむけてはいけないものがある気がするのも事実だ。

「では、あの戦争後、事実を事実として「見る」ことのできる時代は到来しただろうか?
戦後の六〇年は戦争こそなかったものの、相次ぐ地震に見舞われたし、災害もあった。
鉄道や飛行機などの大事故の悲惨さも記憶に新しい。
これらにさまざまな猟奇犯罪を加えれば、
われわれの日常生活は、悲惨・残酷の皮膜の間といってもよい。
しかし、われわれはそれらの事件や事故について、
どの程度、事実を「見る」ことができるのだろうか?
むしろ悲惨・残酷な場面を直視することを心理的に拒否したり、
政府の規制やメディアの自主規制によって、
まったくと言っていいほど無知なのではあるまいか。
とすれば、筆者にとって、そういう時代も現実と虚構の逆転であり、
それはそれで、あの戦争の時代に焼き直しにすぎない。」

◆読書メモ

獄門はさらし首のことで、鎌倉時代には斬首した後、
牢獄の門に首を懸けたことから、こう呼ばれるようになったという。

日本でさらし首にされた最後の男は、江藤新平である。
江藤は司法卿(大臣)のころ、日本に手配写真制度を導入したが、
その制度によって手配された第一号が当の本人で、
捕まったのもその写真のせいであった。
自分の作った制度の効用を自ら実証したのである。

(関東大震災における朝鮮人虐殺について)
当時の朝鮮総督符の総監だった斎藤実は「確実なところは二人」と語ったという。
一方、多い方では一万人とした資料もあるが、これまた推定でしかない。
その結果、被害者の数は「二人以上一万人以下」(弁護士・山崎今朝弥の言葉)
ということになり、多くの資料にはその中間を取って
四〇〇〇〇人から六〇〇〇〇人としたものが多い。

この頃(日清・日露戦争から日韓併合、シベリヤ出兵に至るまで)には
斬首シーンが絵ハガキにして売り出されたこともあった。
斬首の場面が連続写真で撮影され、パラパラとめくっていくと
現地人が処刑場に座らされ、首が落ちるまでの場面が
スローモーションのように動いていくのである。
それらの写真が誇示しているのは一等国としての強さである。

戦国時代の『今川大雙紙』という本には、
「討ち取った首が自分より身分が高い人物なら、先ず相手の名を言え」
と書かれている。『軍礼抄』という本には
戦いが終わって勝利の祝宴を行なう時には、
「相手の大将の首にも酒を手向けるのが礼儀だ」と述べられている。
その根底には「明日はわが身」という思いを含めて、
死者に対する敬意が払われているのである。
それが諸行無常ということでもあった。
しかし、大陸の日本軍が行なった斬首には、
死者に対する敬意が根本的に欠落していた。

「マグナム」のメンバーが目指したのは
国家と対峙するものとしての個人のまなざしであり、
国家やイデオロギーに翻弄される個人をカメラで記録するという点にあった。

「なぜ、そのような事件が起こったのか」「今後、どのような余波を生み出すのか」
といったストーリー性や多次元的な分析をもつ写真という、
彼ら(報道写真という言葉を提唱した名取ら「日本工房」)が考えた報道写真は
スタートから彼ら自身によって無視されたのである。

ユダヤ人の虐殺ははじめ銃殺して穴に埋めるという方法がとられたが
二つの理由から廃止され、ガス室で殺害した後、焼却するという方法が採用された。
第一に効率が悪いから、そしてもう一つは
銃殺する兵士の中に精神に異常を来たす者が相次いだからである。

日中戦争以後の軍部の動向を司馬遼太郎は「集団的政治発狂」と言っている。

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