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『ダメなものは、タメになる』

ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている
『ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている』
スティーブン・ジョンソン・著
山形浩生、守岡桜・訳、乙部一郎・監修
翔泳社

ゲームやインターネット、映画の暴力シーンが少年犯罪を助長し、
子供たちの健全な成長を妨げている、とは前から言われていることだけど、
そんなことはない、これらの「ポピュラー文化」はむしろ人間の能力を伸ばしている、
と主張する本。

たとえば、ゲームは一般に思われている以上に難しく、
状況判断や探査能力を駆使しないとクリアできない。
現在のドラマは昔のものに比べて、複数のストーリーが同時並行に展開し、
格段に複雑になっている。悪名高いリアリティ番組でさえ、
社会的ネットワークや人々の感情を理解する助けになる、など。

私自身はあまりゲームはしない。
おもしろいことはわかってるけど(そのためにあるんだからね)
何よりも時間を食うからだ。一度はまってしまうと膨大な時間を消費する。
そしてほとんどの場合、何の利益にもならない。
(著者が言うような能力は発達するかもしれないけど)
それでも、ゲームや映画が現実の暴力行為を助長している
という論議にはうんざりだ。悪いのはゲームや映画ではなくて、
そこから暴力しか学びとれないプレイヤーの精神のほうだろう。
著者が言っていることには多少無理もあるのだが、
「ゲームは頭をバカにする」という理論にだって無理はある。
めずらしくちゃんとした反論としておもしろい。

「本書を書いた理由の一つは、アカデミズムの世界に対して、
いつまでも「メディアの暴力は現実の暴力につながるか」
という問題を果てしなく繰り返すのはやめて、
よい影響をもたらす可能性について研究してくれるよう促したかったからだ。」

ケーブルテレビの配信によって、
テレビは1度だけではなく何度もくりかえし見るようになり、
何度見ても退屈しない人気のある番組にするためには
ストーリーはより複雑なものになった。
という話はなるほどと思った。
『24』や『ER』のように日本でもよく知られたドラマはともかく、
『アプレンティス』などはもう少し詳しい説明がほしいところ。
(『ニューズウィーク』で読んだので、どんな番組か知ってるけど、
日本でみんなが知ってるくらい有名な訳じゃないし)
各ゲームについても、注釈はあるものの、
まったく知らないゲームやドラマについて言及されてもよくわからない。
邦題もちょっと苦しいよね。
原題は『Everything Bad is Good for You』
最初『ダメなものはダメになる』ってタイトルかと思った。

◆読書メモ

本書は最終的には、ぼくが自分の部屋の床でやっていたような思考が
マスエンターテインメントの日常的な一部になった話だ。
システム分析、確率理論、パターン認識、そして昔ながらの忍耐力が、
現代のポピュラー文化理解にとって不可欠なツールになったという話でもある。

複雑なシミュレーションのモデル化というぼくの孤独な情熱は、
いまやデジタル時代のエンターテインメント消費者にとって、
ごくあたりまえの行動になっているのだ。

エンターテインメントが人々を向上させるのは、それが健全なメッセージを伝えるときだ、
という想定だ。喫煙を勧めたり、暴力だらけだったりする番組は人々にとって悪いもので、
十代の妊娠や人種差別に反対するような番組は社会にとって有益である、というわけだ。
この道徳劇の基準からすると、過去五十年のポピュラー文化の物語は、
着実な下降線をたどっている。
物語の教訓はますます暗いものになり、アンチヒーローは増殖している。

重要なのは、ゲームをしているときに考えている内容ではなく、あなたの考え方だ。
ジョン・デューイは『経験と教育』でこう述べる
「おそらく教育学上最大の誤りは、
人間はそのとき学習している特定の内容だけ学ぶという考え方だ。
永続的な態度や嗜好の形成という付随的な学習のほうが、
綴り方の授業や地理や歴史の授業よりも、はるかに重要になることがしばしばある。
将来にわたり根本的に人を左右するのは、そうした態度なのだから」

『ゼルダの伝説(風のタクト)』のプレイヤーは花を育てて爆弾を手に入れることを学ぶ。
だが、この体験における付随的学習ははるかに大きな報酬をもたらす:
難解なうえに刻々と変化する状況において調査(プロービング)し、
テレスコーピングする能力だ。
重要なのはプレイヤーの考える内容ではなく、その考え方なのだ。

人がゲームをプレイするときに実際に行なうこと-頭の働かされ方-は、
ミュージックビデオの場合と根本的に違う。
それはカオスに耐えることでも芸術的にとらえることでもなく、
世界の秩序と意味を見つけ、その秩序の構築を助ける決定を下すことだ。

(『ザ・ホワイトハウス』のオープニングシーンでは、
たいていは故意に情報がぼかされている。)
これらのシーンが提示する問題は「最後はどうなるか?」ではない。
問題は「いま何が起こっているか?」だ。

ロラン・バルトの説明によると、現実効果は実生活の雰囲気を醸しだすためにある:
(フロベールの短編「純な心」の)晴雨計は物語において特に役割を持たないし、
何かを象徴するわけでもない。ただ背景的な質感のためにあり、物語上の意味や
象徴的な意味を持たない物体を散りばめた世界の幻影を作り出すために存在している。
『ザ・ホワイトハウス』や『ER』などの番組に増えている技術的なやりとりも、
似たような役割を持つ。

『ER』で外科医たちが「OPCAB」や「伏在静脈」について叫びだしても、
あなたがその意味を知る必要はない。専門用語は、
本物の医師たちを見ているという錯覚を生み出すためだけのものだ。
こういった番組を楽しむためには、
視聴者はその情報を理解しなくていいのだと安心していられなくてはならない。

廊下と手術室を滑り抜ける高速のドリーショットに合わせて口調は速くなり、
セリフはひたすら勢いよく流れていく。登場人物は早口で話しているが、
セリフで本当に注目すべき部分はスピードじゃない。ほとんどの視聴者には
理解できない情報の洪水に観衆をあえて叩きこもうとしているところだ。
番組と視聴者の間にはある種の暗黙の信頼関係が結ばれていて、
ある程度のわからなさは許容することになっている。
この容認が効果を発揮するのだ:
あなたはすぐさまそれぞれのセリフの役割を査定し、
それを「実体」か「質感」の枠にあてはめる必要がある。
視聴者がこの査定をすぐにこなせなかったなら
『ER』は見るに耐えない代物になっただろう。

画面とは単に操作するものではなく、
自分のアイデンティティを投影するものであり、
人生のつれづれを記す場所である。

レイブンのようなテストでの抽象的問題解決重視は、
もともと文化的偏向のないテストを作りたいという意図から生じたものだった。
頭の中で長方形を二百七十度回転させることに
異常な重点を置くような文化集団は存在しなかったからだ。
でも、数年前に、それが一変した。
一日中憑かれたように長方形を、文字通り寝ても覚めても
回転させている集団が出現した。『テトリス』のプレーヤーたちだった。

(30年前のテレビ視聴者は、)ある場面をもう一度見たかったり、
見逃した会話を後から見たりしたくても、ほとんど手だてはなかった。
ネットワークが挑戦や混乱を怖れたのも無理はない。
番組が一回でちゃんと理解されなければ、それっきりだ。二度目はなかった。

2006年1月のダボス会議ではマイクロソフトのビル・ゲイツが
著者の質問に答える形でこの本について触れ、
「良い本なのでより多くの人に読まれるべきだ」と発言している。

日本国内の市場規模で比較すると、
2005年度のゲームソフトの売上高は、
PCや携帯電話向けなども含めると4950億円、これに対し、
劇場での映画興行収入は1982億円、
映像DVDの売上高は3915億円、音楽CDは4787億円である。
少なくてもビジネスの上ではゲームが他のエンターテインメントメディアに
比肩しうる大きさになってきたことは確かである。

米国のオンラインコミュニティの専門家エイミー・ジョー・キムは、
eBay、アマゾンなど成功しているオンラインサービスの多くが、
収集、点数、フィードバック、交換、カスタマイズといった
ゲームに見られる手法を応用していることを述べている。
オンラインサービスは、ゲーム的な体験を提供することで
ユーザを引きつけ、維持しているのである。


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