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『ヒューマン2.0』

ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない)
『ヒューマン2.0 web新時代の働き方(かもしれない) 』
渡辺千賀・著
朝日新聞社

シリコンバレーで働く著者が、シリコンバレー的な働き方、生き方を伝授。
この人のブログ『On Off and Beyond.』で英語の勉強法を紹介されていたのを
読んだことがあるけど、大変参考になった。
そのブログからシリコンバレーの働き方をまとめたのがこの本。

三菱商事、マッキンゼー、ネオテニー、
MBAを取得するための留学先で出会ったクラスメートと結婚して渡米
というキャリアはなかなか真似できるものではないが、
ポジティブな文章は非常に元気がでる。
シリコンバレーで暮らしていないとわからない裏話や噂話に加え、
ちゃんとしたデータをあげて、給料や職業年数を説明しているのもわかりやすい。

レイオフや転職が常態化しているシリコンバレーでは、
自分自身の専門性に磨きをかけたり、給料の何割かは貯蓄したり、
リスクの取れる生き方をしないとダメとか、
(レイオフされる社員がデータを盗むのを避けるため、
レイオフ発表日にはサーバーの電源を落とすとか、
アドビは3ヵ月ごとに働きぶりをレビューしてダメな社員はどんどんクビにする)
能力だけが重視される世界だから、外見やその他のことは許されるとか
(アドビやアップルでもトランスジェンダーな女装男性が普通に働いてる)
次の就職の際に前の職場の人に“リファレンス”されるので、
転職しても過去の働きぶりや評価がついてまわるとか、
そんな社会だからネットワークが大事とか、
移民社会だから「これが常識」みたいな考えは通用しないとか、
ストックオプションでひと山あてて30代で隠遁生活に入る人とか、
シリコンバレーのダイナミックな働き方が満載。

その上で、「フリーランス」、
好きな場所に住んで働く「ライフスタイルワーカー」、
何年か仕事をしたら、長期休暇をとるといったように
働く期間と休む期間を分割する「チャンクワーカー」、
複数の仕事を掛け持ちする「ポートフォリオワーカー」
といった働き方を紹介している。
いずれもシリコンバレーだから可能な働き方で
日本でそのまま真似するのは難しいが、
自分の好きな働き方、生き方をする考え方としては
とてもポジティブで、そのポジティブさだけでも参考になる。

◆読書メモ

スターバックスで週に30時間働くと医療保険がつくので、
そのためだけにスターバックスで働く人もいる。

障害者にイーベイでビジネスをする方法を教える非営利団体がある。

サバイバルに一番大切なのは「自分のいる場所を、
あるがままに受け止める」ことだそうだ。

「ネットフリックスに入った機会に名作映画を見ようと
ついつい高尚な作品を借りてしまうが、なかなか見る気にならず
何ヶ月も家にそのDVDが滞留してしまう」という現象を
ネットフリックス・シンドロームという。


『グーグル八分』

グーグル八分とは何か
『グーグル八分とは何か』
吉本敏洋・著
九天社

『悪徳商法?マニアックス』の管理人である著者が、
自分のサイトが知らない間にグーグルの検索結果から排除されたことにはじまり、
“グーグル八分”の実態を訴えた本。

“グーグル八分”については『グーグル Google』でも一部触れられているが、
ここまで大きく取り上げて、その問題点を糾弾した本は初めてだろう。
中国のグーグルにおいて「天安門」が検索結果に表示されない例は
比較的よく知られているが、この本では、『悪徳商法マニアックス』をはじめ、
企業を批判する個人サイトが、企業側からの要請によって
グーグル八分にされている(らしい)実例が紹介されている。

「らしい」ということが一番問題で、
誰の要請で、どんな理由でグーグル八分にされているのか、
あるいは本当にグーグル八分なのかどうかさえ曖昧だ。
そのため、推測の域を出ていない例もあり、
糾弾する側の著者の書き方には「ちょっと意地悪だな」と思うところもある。
それでも、現在、わかる範囲での情報をきちんと提示した上で
グーグル八分は、たんに「やばそうなサイトが表示されない」というレベルではなく
表現の自由やメディア側の自主規制、企業の一方的な論理など
大きな問題を含んでいるという主張は納得できる。

圧倒的な力をもったためにグーグルがひとつの権威になってしまったことは事実。
グーグル脅威論なんてバカげていて、
“みんなの意見”が淘汰すると考えることもできるけど、
この場合の「みんなって誰? グーグルが選んだみんなじゃないの?」
という著者の意見は考えるに値する。

◆読書メモ

「僕は、民主主義の本質は「権力に対する不信」だと考えています。
「権力はいかなるものであっても信用できない」という前提です。
国民自身が選んだ代表者でさえも信用できないから、
市民というのは絶えず国家による権力の行使について
チェックしていく能力をもたないといけない。そうしてみると、
表現の自由は絶対的なものという結論になります。
表現の自由が規制されてしまうと、規制された内容の是非を
市民が検証することができなくなるからです。」(山口貴士弁護士)

「図書館では、原則として全ての資料を
自由に利用できるようにすべきだと考えています。
しかし「人権またはプライバシーを著しく侵害する資料」については
制限を加えています。「図書館の自由に関する宣言」では
具体的に明記していませんが、想定しているのは『部落地名総覧』なんです。

住所・氏名がプライバシーに関わるというのは、
日本ではすべて部落問題が絡んでのことです。住所をいったら、
あれはどこそこの部落の者だとわかるから、
住所・氏名はプライバシーだってことだったのです。

『部落地名総覧』は国会図書館、法務省の支部図書館にあります。
ただ、見せません。門外不出です。
差別を目的として作られたものですからね。
ただし、いかに差別がひどいものかという証拠、こういうものを発行して
さらに差別を煽り立てようとしていることの証拠としては、
どこかで「恥の文化」として保存しておく必要があります。
図書館はよいも悪いも含めて、
人類が犯した恥をしっかり保存し続ける使命があります。」
(図書館の自由委員会、西河内靖泰氏)


『スティーブ・ジョブズ神の交渉術』

スティーブ・ジョブズ神の交渉術―独裁者、裏切り者、傍若無人…と言われ、なぜ全米最強CEOになれたのか
『スティーブ・ジョブズ神の交渉術』
竹内一正・著
経済界

iPodを成功させ、ピクサーを売却しディズニーの取締役となった
スティーブ・ジョブズ。彼の成功の裏には、
傍若無人で傲慢ともいえる彼独自の経営術、交渉術があったとする本。

客観的な視点は期待できないので、読んでる側からすると、
ジョブズの悪口だらけ、という印象。
実際、ジョブズはかなり難しい人物らしい。
著者はアップルで働いていたことがあり、
ジョブズは、非常に魅力的だが、一緒に仕事をするのは大変な上司だったようだ。
しかし、ほとんどの話が噂話や有名なエピソード、著者が社内で聞いた話なので、
どこまで真実なのかはよくわからない。
ディズニーとの交渉にしても、実際にどのような話し合いが行なわれたのか、
まったく書かれていない。それで“交渉術”って言われてもね。
一応、ビジネスに役立つ指南書みたいな体裁をとっているのだが、
ジョブズの真似なんて誰にもできないし。

彼のプレゼンテーションのうまさは有名で、
毎年、Macworld Expoのジョブズの講演のあとでは、
のせられた聴衆がアップルストアに新製品を買いに走る。
(今年はiPhoneでしたね。)
ビジネス的にはそこらへんをもっと分析してほしかったところ。

それでも、ここで描かれているジョブズのめちゃくちゃな性格や仕事のやり方、
アップルを創業し、成功させたとたんに会社から追い出され、
ネクストの事業に失敗し、彼をアップルに迎え入れてくれた経営者を追い落とし、
iMacやiPodで成功する、という浮き沈みの激しいジョブズの半生はおもしろいし、
非常に魅力的なピカレスクである。

◆読書メモ

個人的にはピクサーをめぐる話がいちばん興味深い。
ルーカスがCG部門を売ったのは、妻と離婚し、慰謝料が必要だったから、とか。
ルーカスがコンピュータ部門を売りたいらしいとジョブズに教えたのはアラン・ケイ。
買い手候補だったディズニーのジェフリー・カッツェンバーグはこれを断わり、
もうひとりの候補ロス・ペローは、契約当日、GMから放逐され、契約は白紙になる。
これを待っていたジョブズが3000万ドルを1000万ドルに値切りピクサーを買収。

ジェフリー・カッツェンバーグはジョン・ラセターをディズニーに戻ってほしいと誘うが
「ディズニーでも映画はつくれる。でもピクサーなら歴史がつくれる」と断わっている。

1988年、経営が低迷するピクサーの人員削減を発表。
「われわれはこれをやらなきゃいけないんですが」と営業担当副社長が
シーグラフで発表する短編アニメ制作の説明をすると、絵コンテを見たジョブズは
数十万ドルの出費を認める。この結果制作されたのが『ティン・トイ』だった。

1989年、ピクサーのコンピュータ部門を売却。
1995年、『トイ・ストーリー』の大ヒットとともに、ピクサーは株式公開を果たす。
2006年、ジョブズが1000万ドルで買ったピクサーを、ディズニーは74億ドルで買収。
ジョブズはディズニーの筆頭株主になり、取締役に就任する。

創業メンバー、アルビー・レイ・スミスは、ある会議でジョブズに反論したため、
ピクサーを離れ、社史からも名前を抹消される。


「『ミスター・インクレディブル』をディズニーなしで制作」と本文にはあるが、
『トイ・ストーリー』から『カーズ』まではディズニーと契約中だったはずで、
『ミスター・インクレディブル』もディズニー傘下で作られていると思う。
当時、ピクサーとディズニーの契約は散々もめていて、
私が心配していたのは『トイ・ストーリー3』の行方だったのだが、
(『トイ・ストーリー』はディズニーに版権があるため、
ピクサー以外のスタッフで続編制作が進められていた)
ピクサーとディズニーの買収が成立したので、
続編は無事、ピクサーの手で作られることになったようだ。

『ウェブ人間論』

ウェブ人間論
『ウェブ人間論』
梅田望夫、平野啓一郎・著
新潮社

『ウェブ進化論』の梅田望夫と、作家平野啓一郎の対談集。
ウェブによってどう人間は変わっていくのかを中心に語られているが、
梅田氏が『ウェブ進化論』に続いて楽観的に未来をとらえているのに対し、
若い(梅田氏のいうところ変化のポイントである1975年生まれ)平野氏が
ネットの将来についてどちらかというとネガティブなのが不思議。

梅田氏がどちらかというと俯瞰的にネットを見ているのに対し、
平野氏がマクロな個人側からネットをとらえようとしているからかもしれない。
あと、平野氏が哲学的知識から物事を語ろうとしてあまりうまくいっていないのに対し
望夫の方が話がわかりやすいなーとも思ったり。

私はすばらしいネット未来がやってくると思うほど楽観的ではないが、
平野氏のようにガタガタ言ってる間に、ネットはどんどん変わっていくよとは思う。
とはいえ、平野氏のガタガタ言ってること(独り語り系ブログ、島宇宙など)は、
いろいろと示唆に富んでいるので、論点としてはおもしろい。
この本で語られているような話をする機会って、普通はあまりないだろうから
(ふだん、友達と「ネットにおけるリアルについて」なんて話はあまりしないでしょ)、
現在、過渡期であるネット社会について考察するにはいい本。

◆読書メモ

『スター・ウォーズ』公開前日、
グーグルがシリコンバレーの映画館を貸し切りにしたとか、
梅田氏が『はてな』の取締役をやる通過儀礼として、『スター・ウォーズ』を全巻見てくれ
と言われたというエピソードはおもしろい。

「我々(はてな)の議論の中には、必ずアナロジーが出てくるから、
一緒に経営をやっていく上でこれを全部見てくれないと共通理解が出来ないからと、
全部見るように言われたんです」(梅田)

「この間も「はてな」の取締役会で、「梅田さんは最近ブログの更新がない」って
吊るし上げに遭ったんです。「本が売れたからじゃないか」と詰問されて、
「だってブログだけで届くものより、リアルの世界ってやっぱりすごいよ」って、
あまり深く考えずに口にした瞬間に、
「ダークサイドに堕ちてますよ!!」と一斉に言われちゃったんです。
そして「梅田さんはロングテールの頭へ行っちゃったんですね」と。
彼らにとってはロングテールの頭っていうのはダークサイドなわけです」(梅田)

『ガチャピン日記』

ガチャピン日記
『ガチャピン日記』
ガチャピン・著
メディアファクトリー

ガチャピンがブロガーとしても活躍しているという評判は聞いていたんですが
どうせ企業の宣伝ブログでしょ、とたいして気にもとめていなかったわけです。
しかし、そのブログを書籍化したこの本は非常によく出来ている。
撮り下ろし(といってもお台場周辺だけど)のグラビア「ぼくの一日」の
「ぼくの傘をさすぼく」の写真にはかなりやられました。

実際のブログもすばらしい。
本文にもあるように元々は夏のイベントにあわせた期間限定ブログだったようだが、
人気をうけて現在も継続中。
「ガチャピンがブログを書く」という世界を成立させるための
スタッフの努力には頭が下がる。たとえば、10月8日の日記には
「今日はムックといっしょにお散歩しました。
横断歩道があったので、ちゃんと手をあげて右と左を確認して渡りました。
でも、朝早かったので1台も車はいませんでした。」
という文章とともに手をあげて横断歩道を渡るガチャピンとムックの写真。
写真は前もって撮っておいたものかもしれないが、
このエントリーは日曜日の8時46分のもの。
それまでに文章と写真を校正してアップしたスタッフがいるわけだよね。

「今日は会議があって、「夏休みが終わってもちゃんと日記を続けられる?」
とスタッフの人と相談しました」といった文章から察するに、
このブログをどんな風に進めるか、スタッフは相当協議しているはず。
その結果、「毎日忙しいけど(実際のところガチャピンとムックは
あちこちのイベントに出演している)、なにごとにもチャレンジして
お休みの日にはムックと遊んだり楽しくすごしてるガチャピン」や
「スタッフルームに住んでいて、フジテレビで迷子になって
遅刻しちゃうガチャピン」を信じられる気分になる。

イベントやテレビ出演の宣伝にしても以下のような感じで
非常にスマート。企業ブログとしてはかなり優秀。
「びっくりしたー
昨日テレビを見ていたら、ぼくが映っていたのでびっくりしました。
びっくりしながら、じーーーーーっと見ていたら、
この前対決したスマスマの「ルーレットボーリング」のCMでした。
ぼくのかっこいいシーンが流れていたので、ちょっとホッとしました。
今日はいつもより夜更かしして、スマスマを見ようと思います。
ムックはちょっと眠そうな顔をしていたので、録画しておいてあげようっと。」
(2006年10月23日の日記より)

「スクープ!?
ちょっと前にぼくが取材を受けた日経BP社の「買おうよ Myパソコン」
っていう雑誌が、本屋さんに並んでいました。
「ぼくがパソコンを使っていた」ことが「スクープ」みたいです。
表紙に書いてありました。(ちょっと小さい文字だけどね。)
今は、たくさんの人がパソコンを使っているし、
学校でもパソコンの授業があるのに、
ぼくがパソコンを使っていることに、みんなびっくりします。
みんながびっくりすることに、ぼくはびっくりしています。」
(2006年10月25日)

お気に入りはこれ。
「別れの涙はしょっぱいね
5月から教えてもらっている中国語の李先生が、
中国に帰っちゃうことになりました。
昨日、ムックといっしょに空港までお見送りに行ってきました。
飛行機が小さくなって見えなくなるまで、ぼくたちは叫び続けました。
ツァイチィエン! ツァイチィエン! ツァイチィエ~ン!
空港からの帰り道、ムックに
「別れの涙ってしょっぱいね。」って言ったら
「ガチャピン、涙はどんなときでもしょっぱいですぞ。」
って冷静に言われてしまいました。そっか。
でも、そんなムックのほうが大泣きしてたけどね。
(2006年11月3日)

私的ブロガー大賞をガチャピン&スタッフに贈ります。

『ネットvs.リアルの衝突』

ネットvs.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか
『ネットvs.リアルの衝突 誰がウェブ2.0を制するか』
佐々木俊尚・著
文藝春秋

『グーグル Google』『ウェブ2.0は夢か現実か?』の佐々木氏の新刊。
(ほんとによく働くなーこの人。)
前半はWinny裁判について、P2Pソフトの歴史から、
開発者逮捕にいたる経緯、裁判の行方までていねいに追っていて、
佐々木氏のジャーナリストとしての取材ぶりが光る。

Winnyは「ヒッピームーブメントからサイバースペース独立宣言へと続く
インターネットの理想」を反映していたという話はとてもおもしろい。

「金子被告はFreenetの影響を受けてWinnyの開発をスタートさせた。
Freenetは、60年代から綿々と続くコンピュータ文化の哲学を、
色濃く反映している。コンピュータネットワークの世界は自由であり、
国家や企業の介入は受けないという哲学だ。」

個人的な考えではWinny開発者は自分のソフトがどう使われるか
十分、意図しており、確信犯的だった。
そういう意味では、まったく無罪とは言い切れないと思う。
(「包丁を作った人まで罰せられるのか」というよく使われるたとえでいうと、
「殺人に使われるとわかっていて、それに適した包丁を作って
あきらかに殺人の意図のある人間に売った」ということだ。
でも、こんなたとえからは何にもわかんないよね。)
むしろ問題は、「著作権違反幇助」といった形で開発者を裁くしかない
現在の著作権法にある。現行法で罪に問えるのは
著作物をアップロードした人間だけなのだが、
じゃあ、Winnyを使ってダウンロードしていた人たちに罪はないのだろうか?

私はもう著作権なんてオープンにしてしまって
すべてをネット上で共有してしまってもいいんじゃないかとすら思っている。
音楽も映画も本もテレビもいつでも閲覧可能で、
ダウンロードなり、閲覧して納得した人なりが対価を払うとか。
そういう考えにいろいろ問題があることはわかっているけれど、
著作権の形が現状に対応しきれていないことは確かだ。

後半は「インターネット世界とリアル社会の対立」をテーマに
様々な論点があげられており、ついていくのにちょっと息切れ感もあるが、
日中韓にとって、オープンソースが国家戦略のひとつになっているとか、
TRONの復活とか、国産検索エンジンをめざす情報大航海プロジェクトとか、
いろいろ知らなかったことも論じられていて勉強になる。

「パソコン以後に情報社会の中心を司るハードウェアとして、
日本はデジタル情報家電によって覇権を握ろうとしていたが、
iPodが登場したことによってこの目論見は崩れ、
半導体、OSに続く標準化戦争の三度目の敗戦になろうとしている」
といった考えは興味深い。
今読んでおくべき一冊。

◆読書メモ

「私は、科学技術はすばらしいものだという1970年代に生まれ育ちました。
今でも私は、科学技術はすばらしいものだと信じています。
そしてこれまで、私はいろいろなプログラムを作って発表してきました。
新しい技術を生み、それを外に出していくことこそが、私の技術者としての
自己表現であり、また私なりの社会への貢献だと考えているからです。」
(金子氏の裁判での証言)

「P2P技術が出てきたことで著作権などの従来の概念が
既に崩れはじめている時代に突入しているのだと思います。
お上の圧力で規制するというのも一つの手ですが、
技術的に可能であれば誰かがこの壁に穴をあけてしまって
後ろに戻れなくなるはず。最終的には崩れるだけで、
将来的には今とは別の著作権の概念が必要になると思います。
どうせ戻れないのなら押してしまってもいいかなって所もありますね。」
(47氏としての2ちゃんでの発言)

伝説的な雑誌『ホール・アース・カタログ』について
「最終号の裏表紙には、田舎道の朝を撮影した写真がありました。
そして写真の下には、こんな言葉が書かれていました。
『ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ(ハングリーであれ、そして馬鹿であれ)』
それは彼らが雑誌を終えるに当たって残した最後のメッセージだったのです。
私は、いつもそのようにありたいと願い続けてきました。そして今、卒業して
新たな道を踏み出すあなたたちにも、同じようにあってほしいと願っています」
(スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学卒業式での講演)

「反戦運動も、ウッドストックも、さらには長髪も忘れよう。
60年代の最大の遺産はコンピュータ革命だ」
「インターネットを経験した人は、自分が官僚主義の非情な世界ではなく、
文化の薫り高い牧歌的世界の中にいると感じるだろう。
その世界は実のところ、60年代の残映だ。
当時のヒッピー共同体主義と自由主義が、サイバー革命の原型を形作ったのである。」
(『ホール・アース・カタログ』をつくったスチュアート・ブランド)

谷川真理ハーフマラソン

出場したよ。走ったよ。

前日、イメージトレーニングとして去年の真理マラソンに出場した人の
ブログを見ていたら、大変参考になったので、いるかどうかわからないけど
来年真理マラソンに出場する誰かのために詳細をレポート!

朝6時に起きて出発。荷物を準備したらバッグがいっぱいになってしまったので、
家からランニングシューズをはいていく。
ねーさんのアドバイスに従い、途中、乗換駅のトイレによって
南北線のホームにやってきたら、すでに“仲間”があちこちに。
お父さんの応援らしい、ベビーカーを引いた家族連れも何組か乗ってました。
赤羽岩淵駅に到着すると、改札を出るのも大変なくらいの混雑。
笛吹き男に連れられたネズミのようにゾロゾロと荒川へ。

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荒川。いー天気。

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会場風景。高校生のときに出場した丹沢湖マラソンを抜かすと
マラソン大会自体が初めてなのですが、
真理マラソンは1万人が出場する都内有数の大会で、会場も広いし人も多い。

受付でゼッケンとRCタグを受け取ったものの、更衣室がどこかわからない。
ねーさんが係のおじさんに聞いてみると、
「更衣室はない」とか「向こうにある」とか頼りない返事。

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写ってないけど、この横に小さいテントの更衣室がありました。
更衣室といっても床は地面なので、着替えているだけで芝だらけに。
レジャーシートをもってきてる人や、外にミニテントをたてている人も。
RCチップの着け方がよくわからなくてねーさんと苦闘。
ゼッケンは前後ろ? どのへんにつけるの? と周りをこっそり観察。

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男子はほとんど外で着替えていて、ねーさん曰く「運動会みたい」。
着替え終了後、荷物預かり所にバッグを置いて、トイレに並んでみる。
前に並んでいた人と「女子のスタートはどこなんでしょうね」とのんびりした会話。
トイレから戻ってくると、みんなぞくぞくスタート地点らしき方へ移動している。
あわててウィンドブレーカーを荷物置き場においてスタート地点へ走る。
この時点でスタート5分前。

真理大会は女子が男子より10分前にスタートして
一緒にゴールを競うというめずらしいルールなんですが、
荒川は1万人が追い抜いたり、折り返すには道幅が狭いので
今年から男女別コースになり、男子は上流へ、女子は下流へ。

どうせ最終グループなのでスタート地点では後ろの方に並ぶ。
カウントダウンが始まるが、英語なのでよくわかんないなーと思っているうちにスタート。
大きな大会だと号砲が鳴ってからスタートラインを踏むまで数分かかるらしいが、
女子だけなので、30秒程度でスタートラインを超える。
とりあえず人がバラけるまでトロトロ走る。
最終組にはずっとしゃべりながら走ってる人もいて驚く。
彼女たちにとってはこの大会は練習なのか、
おしゃべりできるペースで走ろうということなんだろう。
このままトロトロ最後まで走ると楽なんだけどとちょっと思うが、
さすがにトロすぎるので、1kmをすぎたあたりからペースアップ。

2kmをすぎてタイムを見ると6分22秒/km。
制限時間2時間30分を切る真理ペースは7分/km、
完走するために7分30秒/kmあたりで走ろうと計画していたんだが、
それよりも1分以上速い。前半は追い風とはいえ、
速すぎだーと思いつつ、5kmまでそんな感じで走る。

5km地点で初めての給水。
さっと水をもらって、さっと飲んで、さっと捨てるって結構難しい。
10km地点でもまだハイペース。でも全然辛くない。
凧を揚げてる人や野球をしている人、和太鼓を叩いてる人など、
川辺の景色を見る余裕まであって、もしかして走るのって楽しいかもとまで思い出す。
折り返し地点でも、これで半分なら楽勝?と思いながら、
すぐ後ろにいたねーさんに笑顔で手を振る。

しかし、天国だったのはここまで。
折り返した途端、すごい向かい風。
前半の楽勝ぶりが詐欺かと思うほどの強風でまったく進めなくなる。
「女子は後半向かい風になるので、前半余裕を持って走ってほしいですね」
というスタート前の真理の言葉の意味がやっとわかる。
風の抵抗を減らすため前傾姿勢になるので、まわりを見る余裕もなくなり、
ひたすら足を動かして前進するのみ。

15km地点まではそれでも7分15秒/km程度で
前半の貯金を食いつぶしながら走る。
給水所で「がんばってくださーい」と言われると、
「がんばるからこの風止めてくれよ」みたな気分に。

16km地点では残り7分30秒/kmペースなら、
まだ制限時間内に走れることは頭ではわかっていたのだが、
風は強いし、足も動かなくなってきて、絶対無理っ。
走っても歩いている人に追いつかなくなってきたので、
登りや風の強い時点では体力温存のため積極的に歩き始める。
このあたりでは周りもみんな歩いていて
マラソン大会だか歩け歩け大会だがわからない様相に。

残り1kmは走り通そうと思ったものの、会場内に戻ってくると、
すでに完走した人たちがゾロゾロ歩いていて非常に走りにくい。
(ここらへん係の人はもっとなんとかしてほしい)
ゴールがどこだかよくわからないまま、フラフラ走ってやっとゴール。
21.0975km 2時間34分7秒でした。

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参加賞のTシャツ。

走り終わったあたりから足がどんどん痛くなり、
ねーさんも私もマトモに歩けない状態に。
びっこを引きながら、荷物を受け取り、着替えて、フラフラ帰宅。

いろいろ感想。
・ラスト5kmは辛かったけど、やっぱり大会って練習よりずっとおもしろい。
・「距離はウソをつかない」って本当。走ったことのある10kmまでは
 追い風もあって楽勝。15kmまでは多少無理がきく。
 しかし20kmは自分の体力以上のもので走ってるのでめちゃくちゃ無理感が。
・川辺の見も知らぬ人の応援が結構嬉しい。
 声援にこたえる余裕がないのだが、手を振るわけにもいかないしね。
・学生さんが手伝っているのだと思うが
 会場係の男の子や女の子のさわやかさにちょっと感動して
 一瞬、東京マラソンのボランティアに参加しようかと思ったよ。
(「あと5kmです。がんばってくださーい」とかやってみたい。)
・真理は、私が会場につくころにはステージで準備体操の司会をやっていて、
 一緒にスタート。折り返しですれ違うときは招待選手に続いて6位くらいだったが、
 すれ違うランナーみんなに「がんばって」「マイペースだよ」と声をかけていた。
 ゴール後には男子のコースにも応援に行っていたらしいし、
 私がゴールしたころにはステージで抽選会をやっていた。
 自分の名前を冠した大会とはいえ、そのサービス精神には脱帽。
 今まで谷川真理のファンでもなんでもなかったんだけど、えらいと思いました。

とりあえずハーフマラソンを完走するという目標は達成したので、
次はハーフマラソンを2時間30分以内で、もうちょっと楽に完走したいです。


『超人類へ!』

超人類へ!  バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会
『超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会』
ラメズ・ナム・著
西尾香苗・訳
インターシフト

遺伝子に異常がある子供を救うための遺伝子治療に始まり、
遺伝子を操作することによって運動能力をアップしたり、
IQの高い子供を選択したり、若さを保ったまま寿命を延ばすなど、
現在の科学技術から未来の人間像を描く。

たとえば、注意力に問題がある人の治療薬であるリタリンを
通常の人が服用すれば集中力や記憶力が向上するという。
また、睡眠障害の治療薬であるモダフィニルを
正常な人が服用すると4、5日間続けて起きていられるそうだ。
これらの研究が進むと、「頭の良くなる薬」が簡単に利用できる
ようになると著者はいう。

しかし、それはいいことなのだろうか?
誰だって病気の子供を救いたい。それと、アインシュタイン並の
IQをもった子供を授かりたいという考えはまったく別。
著者は「遺伝子を操作して能力を増強したからといって、
自分のアイデンティティが変わるわけではない、
ドラッグやアルコール、映画や本の影響、経験によって、
私たちはいつでも変化している。神経工学による選択もそれと同じ」
というのだが、遺伝子を選ぶのと映画を選ぶのが同じわけがない。
だいたい遺伝子操作によって誰もが能力増強できるなら、
オリンピックも漢字検定もその意味を失うだろう。

この本のいちばん驚異的なところは第9章「接続された脳」だ。
たとえば、首から下が麻痺してしまい、意識ははっきりしているのに、
体を動かすことも、言葉も話すこともできない患者の脳に
電極を埋め込むと、彼はコンピューター画面のカーソルを動かして
文字を伝えることができるようになった。
目の見えない患者の視覚野に電極を埋め込み、
カメラの映像をコンピューターを通して患者の脳に伝えると、
患者は目が見えるわけではないが、障害物をよけることは可能になった。
ここまでは現在の時点で、実際に行なわれている例だ。
この研究が進んで、人間の脳とコンピューターが接続された場合、
目に見えるのは実際のカメラ映像ではなくてもいいはずで、
遠く離れた場所の映像を送ったり、テレビゲーム画面だったり、
透視機能やズーム機能があってもいいわけだ。
また、コンピューターがネットに接続していれば、
脳-コンピューター-ネットを通して、情報を引き出したり、
他のユーザーと会話したり、完璧な記憶を保存することができるようになる。
(他のユーザーに自分の記憶を体験させることだってできる!)
『攻殻機動隊』みたいな未来はSFではないのだ。

著者はIEやOutlookの開発者のひとりだそうで、
だからというわけでもないだろうが、こうした未来を手放しで歓迎している。
私は自分の脳をネットに接続するより、ゴーストのほうが大事だわ
とか思っちゃうけど(今でも十分ネットに侵食されてる?)、
そこはこの本の解説に引用されているビル・マッキンベンの言葉が語っている。
「本書で語られることに対して、私はまったく賛成できないが、
とはいえ、かなり説得力のある本に違いない」

◆読書メモ

長時間の集中を要求される爆撃機パイロットは、出撃時には覚醒剤、
休息時には睡眠薬という服用サイクルでミッションをこなすという。
しかし、これらの薬剤には副作用があり、また数日間連続する戦闘に
用いるわけにはいかない。そこで、DARPA(米国防総省国防高等研究計画局)は、
最新科学の成果を取り入れて、1週間24時間ぶっ通しで
兵士に任務を遂行させられる手段を開発しようと試みている。
また、5日間食糧なしで戦える方法なども研究している。(訳注より)

『グエムル-漢江の怪物-』

グエムル-漢江の怪物- スタンダード・エディション
『グエムル-漢江の怪物-』

なんともめちゃくちゃな映画である。
正体不明の怪物にさらわれた娘を助けるために父親が立ち上がる
というストーリーを映画にするとき、
ハリウッド映画ならていねいに状況設定を作りこむだろう。
なぜ怪物が誕生したのか、なぜ娘だけ生き残ったのか、
なぜ家族全員が娘のために命をかけるのか、
孤立無援の中で怪獣に立ち向かわなければいけないのか。
ハリウッド映画の設定が90点くらいだとすると、
日本映画はがんばって70点~60点くらいのぬるーい設定で描く。
しかし、この映画はそんな説明など必要としない。
ソン・ガンホが娘の名前を叫ぶだけでOKであり、
葬儀の場面で家族全員がのた打ち回って泣けば十分なのだ。
(葬儀の場面が「笑える」ということがすごい。
この場面のペ・ドゥナの存在感もすばらしい。)

怪獣映画の形をとりながら、
反米反政府へのメッセージをこめたエンターテイメントであり、
家族再生の物語として見えなくもない。
韓国では歴代観客動員数をぬりかえる大ヒットを記録しながら、
日本ではたいしたヒットにならなかったのは、
多くの観客がこのめちゃくちゃさをおもしろいと感じるより
よくわからなかったのではないかと思う。
(一家は果敢に怪獣に立ち向かっていくわりに、政府からは逃げる。
家族が戦う相手はグエムルではないのだ。
娘の探し方もどうみても賢いとは思えないむちゃくちゃな戦法。
韓国では政府に対するデモが日常的に行なわれてるのかもしれないが、
怒りの矛先が見えにくい。
ウィルス説はもっとうまく話にからめてもよかっただろう。)

しかし、このめちゃくちゃな映画にはめちゃくちゃなりのパワーやすごさがあり、
日本映画が学ぶべき点は多い。


グエムルが『WXIII 機動警察パトレイバー』をパクったという説に関しては、
両方を見ていればまったく違う映画だということはわかるはず。
『WXIII』は優れたアニメだが、『グエムル』を見て
「廃棄物13号だ!」と思うのは、相当ひねたマニアだ。
グエムルのデザインはそれほど奇抜なものではなく、
薬物によって奇形になった水生動物だとすれば納得がいく。
(100歩とは言わず)50歩くらい譲って、グエムルが廃棄物13号のパクりだとして
『マトリックス』が『攻殻機動隊』をパクっても「ジャパニメーションが影響を与えた」
と賛美されるのに、なぜ韓国だと非難されるんだ。
(ちなみにグエムルの視覚効果はオーファネージ、
模型制作はWETAワークショップ、クリーチャー・アニマトリクス構成は
ジョン・コックス・クリーチャー・ワークショップ。)
『グエムル』を韓国のパクり映画だと敬遠するのは非常に残念な話で、
私としては、『WXIII』も『グエムル』も一見の価値がある作品なので、
どうせなら両方見てほしいと思う。

『わたしを離さないで』

わたしを離さないで
『わたしを離さないで』
カズオ・イシグロ・著
土屋政雄・訳
早川書房

カズオ・イシグロの本を読むのは初めてですが、
期待にたがわず打ちのめされました。

SF的な設定を借りてはいるものの、語り口はリアルなので、
たぶんこの設定がなくても物語は成り立つ。
冒頭から語り手が大きな喪失感を抱えていることは暗示されているので、
灰色の空や道路についての描写でも、どこか孤独感がただよう。
“介護人”とは“提供者”とは“展示館”とは?
すべてのなぞが明らかになった後でも、
その答えは最初から知っていたような気がする
(ってヘールシャムの教育方針みたいだ。)
彼らほど過酷ではなくても、人生をどう生きるか、
生きていくことにどんな意味があるのか、というのは普遍的な命題。
それを静かな諦観とともに書いているところがすごい。

原文で“介護人”、“提供者”はどう書かれているのかと思ったら、
“carer”、“donor”でした。
ここで原文を見る限り、かなりシンプルな英文。
ジュディ・ブリッジウォーターは架空の歌手で、『Never Let Me Go』は
村上春樹がカズオ・イシグロに贈ったジャズCDから取ったとか。
(この二人に親交があることに驚きましたが、
インタビューでも村上春樹について語っています。
カズオ・イシグロは「この世界を子供時代のメタファーにしたかった」と言っています。)

「何か大事なものをなくしてさ、探しても探しても見つからない。
でも、絶望する必要はなかったわけよ。
だって、一縷の望みがあったんだもの。
いつか大人になって、国中を自由に動き回れるようになったら、
ノーフォークに行くぞ。あそこなら必ず見つかる、って……」


今週の記録

約9km 1時間6分29秒

1日おいたぐらいでは疲れがとれないので、
2日おいて走ってみる。
ペースもかなり落としてみたのだが、
走り終わったらヘロヘロ。
本当は年末年始で5回くらい、最高10kmくらい走る計画だったのだが、
これ以上無理すると、ケガをしそうなので断念。
結局、3回程度走っただけで本番なのだ。

『ロングテール』

ロングテール―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略
『ロングテール 「売れない商品」を宝の山に変える新戦略』
クリス・アンダーソン・著
篠森ゆりこ・訳
早川書房

“ロングテール”という言葉の生みの親である『ワイアード』の編集長自身が
ロングテール現象を軸にネットにおける経済の変化を解説。

ロングテールはWeb2.0の中でもわかりやすく、お金に直結する話だったので、
言葉だけがあっという間にひとり歩きしてしまい、誇大妄想的に語られ、
「ロングテールは幻じゃないか」など批判も多い。
著者はさすがにそこらへんをよく心得ていて、具体的なデータをあげての解説は
説得力があるし、ロングテールにまつわる誤解をひとつひとつ解いている。

「デジタル・ジュークボックスに入っている1万枚のアルバムのうち、
3ヵ月に少なくとも1曲は売れるアルバムは何パーセントだと思うか、と訊いてきた。
典型的な大型書店の販売ランキング上位1万タイトルの半数は
3ヵ月に1冊も売れないし、ウォルマートの上位1万枚のCDの半数もそうだ。
ところが、答えは98パーセントだった。」

「iTMSの100万曲のすべてが少なくても一度は売れた。
インターネットの宅配レンタルビデオ店であるネットフリックスの計算では、
2万5000枚のDVDの95パーセントが少なくとも3ヵ月に一度は貸し出された。
アマゾンの販売ランキング上位10万タイトルのうち、やはり98パーセントが
少なくとも3ヵ月に一冊は売れた。」

「オンライン音楽配信サービスのラプソディの利用データによると、
2万5000位から10万位の1ヵ月平均ダウンロード数は250回。
すべてを足すとラプソディの総事業の4分の1に当たる。
80万位になってもダウンロード数はゼロにならない。
10万位から80万位の総計ダウンロード数は1600万になり、
全体の15パーセントを超える。」

ロングテールはアマゾンやグーグルだけの現象ではなく、
音楽、映画、テレビなど、様々なところで見られる。
音楽業界は新曲を売り出す際にネットに無料で曲を流し、
その反応をもとにマーケティング戦略を考えたりするのだそうだ。
「曲がインターネットで流通すると、
リプリーズはその後の動向を見守ることができる。
ビッグシャンパンのファイル交換データを見るのだ。
すると『アイム・ノット・オーケイ』への関心が高まっているだけでなく、
『ヘレナ』という曲に対してもファイル交換や検索が
頻繁におこなわれていることがわかった。
だから『ヘレナ』がセカンド・シングルになったのである。」

この本が主張するのは、日本語のサブタイトルにあるように、
ロングテール=儲からなかった商品が利益を生むようになる
という話ではなく、むしろ私たち消費者側に選択肢が増え、
それは歓迎すべきだということだ。

「一般から専門へと文化が移行しても、既存の権力構造が消滅したり、
パソコンを武器にした総アマチュア文化に完全に塗りかえられたりはしない。
全体のバランスが変わるというだけだ。
ヒットかニッチか(メジャーかサブカルチャーか)「どっちか」という時代から、
「どっちも」時代へと進化したのである。」

ロングテールの未来がすべてバラ色だとはまだ思えないが、
経済が大きく変化しているということは実感できた。
「今後問われるのは、選択肢が増えるのはいいことかどうかではなく、
本当に欲しいものは何かだ。
無限に広がる商品棚の上に、載らないものはないのだから。」

◆読書メモ

テレビ番組がいまより70年代で人気があったのは、
そっちの方がいい作品だったからじゃなく、
画面に映る作品が他にほとんどなかったからだ。
概ね文化に勢いを与えていたのは、ハリウッドの優れた才能というよりも、
大衆を操作する放送の影響の方である。

『ベルヴィル・ランデブー』を公開時上映していたのは全米でたった6ヵ所だ。

ルパート・マードック
「重要なのはこれだ、と上からものを言うような存在でいては、
若者は集まってきません。彼らはメディアに操作されるのではなく、
メディアを操作したいのですから」

アマゾンで買い物を可能にしてくれる、インターネット以外の要素を考えてみよう。
宅急便、ISBN、クレジットカード、リレーショナル・データベース、バーコードだ。
こうした新しい手段が考え出され発展するのに数十年かかっている。
インターネットの功績は、これらの新しい手段を組み合わせて
ビジネスの勢力範囲を広げたことだ。言いかえればオンライン・サービスは、
何十年とつちかってきた供給改革の諸要素をただ統合しただけだ。

1886年、シカゴの宝石商が送った腕時計の箱が、誤って
ミネソタ州ノースレッドウッドの地元卸売業者のもとに届いた。
その業者がそれを欲しがらなかったので、
ノースレッドウッド駅の駅長リチャード・シアーズは自ら買いとり、
鉄道各駅の駅長に時計を売りさばいてそこそこの利益を得た。
本社の規模はどんどん拡大していき、最終的に
シアーズとアルヴァ・C・ローバックはシカゴのウエストサイドに、
通信販売と事務をおこなう約16万平米のビルを約500万ドルで建設した。
1925年、シアーズが試しに通信販売事業所の中に店をオープンさせたところ、
ただちに成功した。大型小売店の誕生である。

初期のスーパーが成功した要因には、
ショッピングカート(1937年登場)、自動車、無料駐車場、
店舗と自宅両方の冷蔵庫の登場が挙げられる。

ボリス・エリツィンは自伝の中で、1989年に
ヒューストンのスーパーマーケットを訪れたときのことをこう書いている。
「ありとあらゆる種類のとてつもない数の缶や箱や商品で
棚が埋め尽くされているのを見たとき、率直に言って私は
ソビエト人民のことを思い、目の前が暗くなった。
本当なら富裕な大国だったかもしれない我が国が、
あれほど貧しい状態に置かれているとは!
考えたくもないほどひどいことだ」

アマチュアamateurという言葉は、ラテン語のamator=「愛する人」や
amare=「愛する」から来ている。

ニールセン・ブックスキャンが2004年に調査した
120万タイトルの本の売れ行きを見てみると、
20万タイトルは1000部に満たず、
95万タイトルは99部にも満たずといった状況だ。
販売数5000部を超えたのは2万5000タイトルにすぎない。
アメリカの本の平均販売部数は1タイトル約500部という計算になる。
要するに稼ぐ気があろうとなかろうと、98パーセントが商売にならない。

ブロックバスターの発表によると、
貸し出される映画の約9割は劇場用新作映画だそうです。
ところが我がネットフリックスでは少し事情が違います。
約3割が新作で約7割が旧作なんです。
顧客層が違うわけじゃありません。我々がコンテンツの需要を創出し、
本当に愛せる名画を発見する手助けをしているからです。

協調フィルタリング
個人の嗜好データから、似たユーザーの嗜好データをもとに
好みの商品を推測するシステム

ロングテールを機能させるためにフィルタがなぜこれほど大事なのかというと、
フィルタがなければロングテールはただの「雑音」になる危険性があるからだ。

効果を増幅させるレコメンデーションは需要をテールへ押していくために必要だが、
実は逆に作用してコンテンツをテールからヘッドに押し上げ、
ヒットとニッチの不均衡をさらに増すのではないか。
これは口コミの増幅効果が大きい場合に起こりうることだ。
しかし実際には、ロングテール市場ではヒットとニッチの差は縮み、
べき法則分布はフラットに近づく。実はフィルタやレコメンデーションは
一つのジャンルやサブジャンルの中のニッチに対して強く影響するのだ。
ジャンルを超えて外へ飛び出すと影響力が弱まる。

レコメンデーション時代

ロングテールの集積者は、ニッチとヒットの両方を抱えなければ成功できない。
全員に欲しいものが用意されているロングテールの中で、
テールの先のほうへつづく道を照らして導く役割をヒット商品にしてもらうためだ。

マルクス主義の社会学者レイモンド・ウィリアムズは
1958年、『文化と社会』にこう書いた。
「大衆は存在しない。人々を大衆と見なす方法があるだけだ」
彼には先見の明がある。

「視聴者がテレビ局になった」グレッグ・スピリデリス

レゴ・ファクトリーでは自分の作品を画面上でデザインすると、約1週間後、
作品づくりに必要なレゴブロックや部品がセットで送られてくる。
他のファンもそれと同じセットを購入できる。
「iTMSが音楽でしているのと同じことを、
レゴ・ファクトリーはものづくりが好きな人たちにしているんですよ」

『フィラデルフィア物語』

フィラデルフィア物語 スペシャル・エディション
『フィラデルフィア物語』

どっかで見た話だと思ったら、
この映画をリメイクした『上流社会』をずっと前に見てました。
ただ、『上流社会』(グレイス・ケリー、ビング・クロスビー、フランク・シナトラ)では、
どうしてそうなるのかさっぱりわからなかったストーリー展開が、
役者の魅力のせいなのか、
キャサリン・ヘップバーンにジェームズ・スチュワートがコロっとまいっちゃったり、
8割がた脇役に徹しているケイリー・グラントが
一番おいしいとこをかっさらっていくあたり、なんとなく納得してしまう。
それでもキャサリン・ヘップバーンは骨ばった顔がめだって、
この役だとあまり綺麗に見えないし、
(むしろルース・ハッセイのクラシカルな美しさが印象的)
今見ると、ダラダラと長い話。
こうゆう映画が“洒脱”として受け入れられた時代は
余裕のあるいい時代だよなー。

今週の記録

約8km 60分

1日おいて走ったら足が重くて2kmくらいでバテる。
完走するためには真理ペースは最初から捨てるべき?
と思い始める。

『「個」を見つめるダイアローグ』

「個」を見つめるダイアローグ
「個」を見つめるダイアローグ
村上龍、伊藤穰一・著
ダイヤモンド社

村上龍と伊藤穰一の対談集。
おおざっぱにまとめてしまうと、日本のここがおかしいとか、
日本人に対して、もっと危機感をもつべき、
世界に出て世界から物事を考える視点をもつべきといった話をしている。
ところどころおもしろい話やなるほどと思う話もしているのだが、この二人なので、
どうしても「おやじが偉そうになんか言ってる」みたいな印象がぬぐえない。

「日本では、ネット上にアマチュアが集まって政治を動かしていくようなパワーがない。
なぜかを考えたとき、僕は「2ちゃん」を思い浮かべるわけ。
誹謗中傷がものすごく書き込まれるわりには、全体的に趣味的で、
批評されることのない批評家というか、結局は他人事なんだよね。
これは決して「2ちゃん」だけに限った話じゃないんだろうけど、
世の中全体のムードがそうだからね。
ある程度ソフィスティケートされた社会には、趣味的なムードは漂うものだし。
だから「2ちゃん」の趣味的で、他人事的な世界というのは、
良くも悪くも日本的だと思う。」とは村上龍の言葉。
2ちゃんが市民ジャーナリズムの役割を果たしている面もあるけど、
オーマイ・ニュースのように政治を変えようというパワーから
始まったものじゃないんだから同列に論じることに無理がある。

「オープンソースの考え方って、みんなが共有する場に共有の資産を置いて
それをみんなで使っていこうということだから、共産主義にすごく近い。」
とは伊藤穰一の言葉。そうか?という感じ。
オープンソースやクリエイティブ・コモンズ、ブログ・ジャーナリズムに対して
私はまだまだ懐疑的なのだ。

「インテリの話は、インテリにしか伝わらないということね。
一般の庶民にはなかなか届かない」
とは、ノーム・チョムスキー講演について彼らが嘆いているんだけど
お前らの話だってそうだよという気がしてしまう。

◆読書メモ

ITの現場で本当に何かをつくっている人たちにとっては、
一番価値があるのはお金で買えないはずのものなんだけど、
その感覚が薄れてしまっている。オープンソースの基盤にある
互いの信頼関係は、すべてお金で買えないものでしょう。

「ニューヨークで、無名の女優の子にいろいろ説明して、
『わかった、じゃあやってみる』と言われただけで、
なんでこんなにうれしいんだろうね」と言うと、
坂本(龍一)が、「人間はコミュニケーションする動物だから、
何か伝わっただけでもきっとうれしいんだよ」って。

今、僕のブログのなかでは、2500年前の歴史からさかのぼって、
日本人と中国人、韓国人、それにアメリカ人も加わって、
一緒に共通認識できる歴史をネット上でつくろうじゃないか
という動きが起きている。

思想家のボルテールの有名な言葉で、
「あなたが言うことには一切同意できないが、
あなたがそれを言う権利は死んでも守ってみせる」
というのがあるけど、それが民主主義の原点だよね。

そのとき彼女(緒方貞子)から
「キミね、日本のことだけを考えてるなんて小さいよ。
世界のことやるんだから、もっと世界の人になれ」と言われて。

彼(カルロス・ゴーン)は最初に、「コミットメント」という言葉を取り上げて、
自分とみんなが使っているニュアンスが違うと言って、その定義から始めたらしい。
そうやって言葉の一つ一つを、日産再建の議論を始める前提として整理していった

ホッチキス式機関銃
1871年にアメリカ・コネチカット州のベンジャミン・B・ホッチキスにより発明された。
文房具のホッチキスは、ベンジャミンの兄弟であるエーライ・H・ホッチキスが、
この機関銃の弾送り機構にヒントを得て開発したとされている。


『僕とライカ』

僕とライカ 木村伊兵衛傑作選+エッセイ
『僕とライカ 木村伊兵衛傑作選+エッセイ』
木村伊兵衛・著
朝日新聞社

木村伊兵衛の名前は本人の写真より先に木村伊兵衛賞で知ったわけだが、
近代写真史に大きな功績を残したカメラマンのエッセイ集。

「小学校三年生の頃に、浅草公園花屋敷前の大道で、
マッチ箱を大きくした名刺判半截の零判型カメラと付属一式つきを、
三円五十銭で買った」のをスタートとして、
「昭和四年にドイツからツェッペリンという飛行船が来て、
乗組のエッケナー博士がぶらさげていたライカ・カメラが、
しばらくして銀座の出雲商会のショウ・ウインドーに出ていたのを見て、
物を売りはらってそのA型を買った」というライカとの出会いなど、
木村自身が語る写真人生。

さらっと写したようなスナップに被写体の生活感だったり物語だったりが
写し撮られているところがやっぱりすごいわけだが、
そこにはかなり明確な写真論があり、報道写真や
絵画と異なる写真に取り組み続けてきた人らしい言葉が並んでいる。
写真史的なことや、土門拳との対談など、
素人には難しすぎてよくわからない話も多いが、
アンリ・カルティエ=ブレッソンやロベール・ドアノーとの交流についても
言及されていたり、ドアノーの案内でパリ祭を撮ったという写真が
ドアノーそっくりだったりしておもしろい。

◆読書メモ

カメラは機械である。
意志も感情もなく-一定の条件をあたえて一定の時間に
一定の空間をシャッター付けると、にべもなくきまりきった映像がとれる-。
乾板だ。フィルムだ。レンズだ。
それ等は明瞭に物質で、そしてそれ等はうたがいもなく存在している。
レンズを通して光線が入って来る。乾板或いはフィルムに感光する。
薬品は数学的である。数学的なものに依って、それはその感光膜を表わして来る。
印画紙はその化学変化を整調の黒白灰の三色によって表わす。
それを写真と言う。
そして実に、実にたったそれだけの事である。

私達は美しいと思った途端、そのシャッターをきるべきである。
そしてその美しいと思った感情が、一番正確に表わされる為に
一番正しい物の見方がそれに向かって為されなければならない。

うつってみなければ本当の事はわからないのであると思う。
それ以外にこねる理屈も理論もちっとも私達の頭にピンと来ない。

24×36ミリという一つのネガに、対象を凝結させねばならぬ、
と自分自身に約束した。この約束には、理論はない、
しかし、こうしなければ写真は撮れないものと決めてしまったのである。
写真は絵画とは異なるものであり、自然を切りとるワクを決め
瞬間をつかまなくてはならない、という私の写真論が、この約束を確固たるものにした。

ライカの持っている機動性と、レンズの描写力を計算に入れながら
一枚ですべてを語る写真を作ろうと努力した。
写真は、人の感情に訴える力をもっていなくてはならない。
そのためにはネガの面積をフルに使って対象のもつ意味を構図し、
瞬間にとらえることが必要であった。

彼(ウェルナー・ビショフ)がいつも口にすることは、
報道写真家として大きな事件を写すことはきらいで、
人間生活の小さい面を掘り下げて行くことが、
自分の一生の仕事であるということであった。
大きなニュースはその場限りだが、
世界の隅々の人間の悲しみや喜びは永遠に人の心をうつものだというのである。

カルチエさん(アンリ・カルチエ=ブレッソン)が忙しい日は、
お弟子のリブー君が万事をたくされて、
小型自動車を運転しながら私と高田くんを誘いに来てくれた。
そして、いつもいうことがハンをおしたように
「ルミエール(光線)がいいから撮影に行こう」であった。

「お前ドアノーを知っているのか」、「世話になっている」というと、
「あれは本当にいいやつだ。あの写真家はおれたちの本当の代表だ」という。
おれたちのウソ偽りのない生活を新聞に出したり、本に出したりしてくれる。
おれたちの嬉しいことも、悲しいことも知っていて、おれたちの代弁者だ。
あんないい写真家はないという。その男はドアノーの写真をもっているし、
切抜きもある。それを見せてコーヒーまで飲ませてくれた。

監督スタンバーグは、聞くところに依ると、デイトリッヒのクローズアップを撮るのに
助手や関係者を一切寄せ付けず、デイトリッヒと二人きりでスタジオに籠り、
デイトリッヒがその役柄に成り切る迄睨みっこをして、
その揚句に自分でカメラを廻すと云う事である。

根岸のうちから上野をぬけて、池の端をまわって、岩崎邸のとこから湯島へ入って、
本郷座のわきから若竹(寄席)の前を通って、学校へいくんですがね、
この道が、いかにもぐれる道なんですよ。

日はまた昇る

目が覚めたらちょうど日が昇るころだったので、
初日の出を拝んでまた寝る。
なんだか毎年、こんなことをしてるなー。

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初日の出。

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朝日に輝く甲斐駒と鳳凰三山。

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