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『編集者という病い』

編集者という病い
『編集者という病い』
見城徹/著
太田出版

見城徹という名前こそ知らなかったが
『ダディ』、『弟』などを手がけた編集者といえば、「あー、あの」と思い当たる。

「編集者は人の精神から商品をつくるという、いかがわしいことをやっているわけで
自分が本を出してしまったら、表現者である相手に対して
編集者として失礼ではないか」と思い、今まで自分の本を出してこなかった
と前書きにあり、「へー」と思ったのもつかの間、本こそ出してなかったものの、
雑誌の取材や記事は多く書いており、この本はその集大成。
なので、同じような話がなんども出てくるし、
熱血編集者でありセンチメンタリストな著者の話は少々暑苦しい。
それでも数々のベストセラーを作ってきた人だけにさすがと思う話もいっぱい。

たとえば、道でふらっと聞いた音楽に惹かれて
コネをたよって何度も楽屋に顔を出す。
やがて、親しくなって、食事に行ったり飲みに行ったりするようになり、
数ヵ月、数年が過ぎたころ、「俺のところから本を出さないか」という。
石原慎太郎には何度も手紙を出して、
初めて会うときにはバラの花束をもっていって
「男に花をもらったのは初めてだ」と言われたとか。
そして長い付き合いを経て、幻冬舎の社長になったとき
「俺にできることがあればやるよ」と言われ、
「じゃあ、裕次郎さんのことを書いてください」と言って、『弟』が誕生する。
この人の場合、すべてそんな感じで、
著者とギリギリまでつきあって、相手の言うことは全部聞いてきて、
ここぞというときにカードを切る、そうやって本が生まれている。
出版社に金があった時代だからできた手段でもあるけれど、
編集者たるもの自分の人生を全部相手にかけるくらいの覚悟がないと、
相手もそれだけのものを買いてくれない、という話には説得力がある。

『ルージュの伝言』とか『これもすべて同じ一日』とか
昔読んだ本がこの人によって作られたこともちょっと驚き。

◆読書メモ

自分が感動したものに忠実に自分は動いていくというだけなんです。
自分が感動しなかったものに動いたって、情熱がないなら、
六社飛び越えて自分のところで獲得するなんていうことはできないですよ。
ぼくらが持ってる特権というのは、自分が感動したものに仕事と称して
近づけることなんです。

小さいことにくよくよするな! なんてウソだ。
小さいことにくよくよせずに、大きなことをプロデュースできるわけがない。
小さな約束を守れない奴に大きなことができるわけがない。

地球上の誰かが不幸である限り私は幸福になれない
シモーヌ・ヴェイユ

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