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『オタクで女の子な国のモノづくり』

オタクで女の子な国のモノづくり (講談社BIZ)
『オタクで女の子な国のモノづくり』
川口盛之助/著
講談社

暖房便座や『音姫』、水を流すときの大小レバーなど、
日本のトイレには、「ハイレベルな衛生観念」や「恥じらい気質」など、
日本の文化的要因から生まれたユニークな製品が集約されている。
通勤電車のドアに貼ってある「指をはさまれるよ!ドアから離れてね!」
と訴える、指に包帯を巻いたキティちゃんのステッカーは、
日本の擬人化カルチャーがあらわれている。
などなど、日本人ならではのユニークな製品を分析。
日本のオタク的でギャル的な“女の子っぽい”文化を、
製品開発に積極的に生かすべきだと主張する。

日本文化を「オタクっぽくて女の子っぽい」とまとめてしまうのは、
いささか強引であり、プレゼン的だなーと思うが、
日本の製品から“日本人ならではの感性とアイデア”を読み取る
というのはおもしろかった。
暖房便座やウォシュレットはともかく、欧米のトイレには「大小レバー」がないって
本当? 今まで気をつけて見たことなかったよ。
キティちゃんのステッカーに驚くというのも、外国人的視点がないと
気がつかない“日本らしさ”だよね。

そのほか、
・欧米の携帯にはストラップを通す穴がないものも多い。
・耳かき、肩たたきの風習はなく、医療行為のひとつ。
・「工事中ご迷惑をおかけします」と頭を下げるおじさんの絵を「オジギビト」と呼ぶが、
欧米では「近寄るな」と警告するポーズのおじさんは描かれていても、
誤るという図柄はあり得ない。
など、比較文化論的にもおもしろい話があったり。

製品のダウンサイジングが進むと、テレビやエアコンは壁に埋め込まれ、
最後には“ビルトイン”するだろうって話に出てきた
公衆電話のビルトイン化もちょっとおもしろかった。
「1953年に「赤電話」に制定、1972年頃、黄色の電話機が登場、
1982年に磁気カード式の緑色が現われ、
1999年のICカード式の電話機はグレーだった。
存在を主張しない、風景へのビルトイン化が求められるようになった。」

わかりやすいのはいいことだけど、話を簡単にしようとして、
日本の車をモー娘。アメリカの車をマリリン・モンローに例えるあたりは、
やりすぎ。意味不明であり、説得力に欠けるだけでは。
全体的に日本文化と製品のユニークさをやや強引に結びつけているので、
技術とか開発の面からの説得力が欲しかったところ。

◆読書メモ

ホンダでは、脳科学を援用した研究を続けていて、
「fMRI(機能的磁気共鳴画像法)」という医療用の手法で、
人間の脳の中にある「顔を認識する脳細胞」の活動状況を調べたところ、
被験者が「最も早く、最も強烈に脳細胞が活性化した」のバイクのフェースは、
怒った顔に似たデザインだった。

キリスト教文化圏では、神様が世界をお創りになった際、人とそれ以外の
生き物との間に大きな隔たりを設けた。したがって、人間の形をしたマシンが、
そのあたりを二本足で歩き回ることは不謹慎と見られる可能性がある。
ASIMOの設計に当たって、ホンダはローマ法王庁にお伺いを立てている。

ケンタッキーフライドチキンは、世界中で80以上の国と地域に
フランチャイズ展開しているが、「ブロイラー感謝祭」というイベントを催して、
「鶏供養」をしているのは日本だけ。

自衛隊のマスコット「ピクルス王子」と「パセリちゃん」
(いかにも脇役と言いたげな自虐的なネーミング)

Suicaの読み取り機
人間工学の権威である山中俊治氏がデザイン

1978年に発表された角田忠信博士の研究結果
「6歳から9歳までの間に、日本語またはポリネシア言語を母語として
学んだすべての人間は、人種、国籍、民族などの背景にかかわらず、
左脳部分が優勢になる」
日本語とポリネシア言語は、母音に意味を持たせる。
自然界の音は、音響学的には母音に近い。
つまり日本人は、小鳥のさえずりから雨だれ、風の唸り声まで、
すべての自然の音を言語を処理する左脳部分で扱っている。
だから、日本人は虫の音や川のせせらぎにも、風流=意味を感じることができる。

「どうも世間はコミックというもの価値がわかっていない。
イタリアのトッティにしても、フランスのジダンにしても、
『何でサッカーをはじめたんだ』という質問に対して、
みんな『キャプテン翼』っていうんだよ。」(麻生太郎)
ジダンの育った中東では、翼は「マージド」というアラブ風の名前。
「日本のイラク派遣部隊の給水車には『日の丸』じゃなくて、
『キャプテン翼』の絵が貼ってある。だからこそ襲われないわけですよ」

『生物と無生物のあいだ』

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
『生物と無生物のあいだ』
福岡伸一/著
講談社

現在、ベストセラー邁進中の分子生物学についての本。
前半は科学者列伝ともいうべき内容で、
ニューヨークのロックフェラー大学を中心に、
かつて在籍した野口英世の再評価、
オズワルド・エイブリー、アーウィン・シャルガフから
ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックに続くDNA発見物語、
PCRを発明したキャリー・マリスの伝説などが語られる。
ここの部分がめっぽうおもしろく、特にDNA発見に多大な貢献をしながら、
それを知ることもなく若くして亡くなったロザリンド・フランクリンの話は、
彼女の地道な研究スタイルが語られているだけなのに、
憂いのある知的美人といった感じの写真とともに印象に残る。

前半が「生命とは何か?」という問いに対し、
「それは自己複製するシステムである」という答えを
DNAの発見によって導きだす話だとすると、
後半は、その答えだけでは定義できない部分、
「生命とは動的平衡にある流れである」という答えをめぐる話。
ここらへんになると、急に難しくなり、ジグソーパズルや砂の城の例え、
ていねいな実験方法の説明はあるものの、ついていくのがやっと。
それでもこの手の本にしては格段に読みやすく、
生命というものがいかに科学的にできているか、なおかつ、
科学では説明しきれないダイナミックさに満ちているか、感嘆する。

全体的に情緒的すぎる文章ではあるが、
それがこの本の最大におもしろいところでもある。
ニューヨークのロックフェラー研究所、ボストンのハーバード大学医学部、
それぞれの場所で研究を続ける著者や同僚、先輩科学者たち。
アカデミックであり、地味であり、静かな情熱と暗い競争。

新しいタンパク質の発見をめぐってライバルチームと競争していたある日、
著者が研究所に着くと、同僚が「知ってるかい。とられちゃったんだよ」と言う。
取られたのは、彼らの研究ではなく、研究所のすぐ近くにあり、
著者が毎日目の前を通っていた美術館のフェルメールの絵画『合奏』なのだが、
分子生物学には何の関係もなくみえるこのエピソードが、
彼ら研究者を象徴するものとして、ひときわ輝いている。

「その年の秋、私たちのチームは目的とするGP2遺伝子の特定と
その全アミノ酸配列をアメリカ細胞生物学会で発表した。
ライバルチームもその同じ学会で私たちとまったく同じ構造を発表した。
同着だった。ヒト・ゲノムの全貌が明らかになった今となっては、
それはジグソー・パズルのささやかなワン・ピースでしかない。」

◆読書メモ
ラホイア(La Jolla) スペイン語で宝石を意味する


『メトロ誕生』

『メトロ誕生 地下鉄を拓いた早川徳次と五島慶太の攻防』
中村建治/著
交通新聞社

1927年(昭和2年)、浅草~上野間に日本で最初の地下鉄を開業した早川徳次。
1939年(昭和13年)、渋谷~新橋間に地下鉄を開通させた五島慶太。
新橋駅での相互乗り入れをめぐる2人の男の攻防を通して描く地下鉄史。

五島慶太の名前をきいて「五島プラネタリウム?」とピンときたのだが、
予想通り、東京急行電鉄、小田急電鉄、京浜急行電鉄、京王電鉄など、
“東急王国”を築いた人物で、五島プラネタリウムは彼の名前をとっている。
日本で2番目の地下鉄が、まだ郊外でしかなかった渋谷から出発しているのも、
五島が自分の鉄道駅を選んだからだ。
(五島は結婚したとき、途絶えていた相手の祖母方の姓を受け継ぎ、
小林姓から五島姓を名乗っている。五島プラネタリウムの名前も変わってたのかも)

早川徳次の名前はまったく知らなかったのだが、
ロンドンで地下鉄に感動し、資金を集め、東京市を説得して免許を獲得し、
大震災後に日本初の地下鉄を開業した、その努力は尊敬に値する。
地下鉄の車両を不燃のスチール製でつくり、
自動ドアや自動列車停止装置(ATS)、自動改札機を初めて導入。
地下街の元祖も彼が初めて取り入れた。

・地下を掘り進むのではなく、道路を上から掘りおこして、
後からふたをする“開削工法(オープンカット方式)”を採用。
浅草駅を出た直後に急カーブしたり、銀座駅から新橋駅に向かう直前で
不自然に急カーブしているのは、線路を道路沿いに建設したためである。
・三越が工事費を出して三越前駅を開設。
続いて上野広小路(松坂屋前)駅をつくったので、
上野駅と上野広小路駅は間隔がわずか500メートルしかない。
・高台にある青山六丁目駅(現・表参道)と、窪地にある渋谷駅を水平に結ぶために、
駅ビルの3階から地下鉄が発車する、現在の銀座線・渋谷駅が誕生。
などなど、現在の地下鉄がなぜこうなったのかという話がたくさんでてくる。

地下鉄が完成するまでになんども路線やコースを変更しているのだが、
ちょっとしたことで、その後の駅や町の発展が大きく変わったんだなと思ったり。
浅草や新橋などの駅が重要拠点となっているのも、今から見ると時代を感じる。

事実に基づいたフィクションなので、話はドラマチックに書かれていて、
おもしろく読めるのだが、早川徳次がなぜそこまで新橋駅にこだわったのか
など、よくわからない部分も多い。
(乗客の利点を考えれば、相互乗り入れの方がいいに決まってる。
渋谷~新橋~浅草ではなく、品川~新橋~浅草路線に
こだわらなければいけなかった時代的、経済的事情があったと思うのだが)
各鉄道会社が「『円内』(山手線の内側)乗り入れ」を
悲願としていた背景なんかも、もう少し説明が欲しいところ。
しかしながら、本書と『東京駅はこうして誕生した』を読むと、
日本の鉄道の成り立ちと、現在の鉄道の姿が出来ていく様子がよくわかる。
東京の地下鉄が迷路みたいに縦横に走り、山手線が環状を描き、
各駅からそれぞれ郊外へ鉄道が伸びているのも、
それぞれ歴史的な理由があり、その鉄道史が現在の東京を形成していったのだ。

現在、早川徳次の胸像は銀座の地下構内にある。
銀座にある胸像には気がついていたものの、
誰の像なのか確かめたこともなかった。
今度、ゆっくり見てこようと思う。

◆読書メモ

「日本初の地下鉄工事なので技術的にも多くの困難が予想されるので
やめるべきである、との声も確かにあった。
だが私は、困難だからこそ工事は請けなさいと指示した。
しかも外国人の知恵を借りず、日本人だけでやりなさい。
この工事ができないくらいなら皆腹を切りなさい、とも言っておいた」
(大倉組(現・大成建設)の大倉喜八郎)

『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書 14)
『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』
西村博之/著
扶桑社

2ちゃんねる管理人ひろゆきによるインターネット論。
『2ちゃんねるで学ぶ著作権』を読んで、
ひろゆきって人はずいぶん頭のいい人だなと思ったけど、
本書ではそのクレバーさが遺憾なく発揮されている。
「web2.0はマイナスイオンと同じ」、「グーグルがすごいのは技術力ではなく、
企画力と営業力とサーバーメンテナンス」といった調子で、
web2.0からグーグル、mixi、はてな、日本の法律まで
次々と論駁していくのだが、ひょうひょうとした語り口ながら
かなり本質を捉えている発言もあって、さすが。

論理的だったり理詰めで説明するわけでもなく、
わざとどこかはぐらかしているのも、頭のいい証拠。
自分で原稿を書いているのではなく、口述筆記らしいので、
文章全体に“ひろゆき節”が展開しているのも、この本をとっつきやすくしている。

欠点をあげるとすると、その頭の良さ。
この人は一を見て、ポンと三、四あたりまで悟って、
五という結論を出せるんだろうけど、凡人である私には無理。
なので、なぜ、その結論になるのか話の展開についていけないところも。

途中にはさまれている佐々木俊尚氏との対談が秀逸。
「西村さんの言っていることは、身も蓋もなさすぎてついていけない」
という佐々木さんの発言があることで、この本全部がフォローされている。
「言っていることは正しいけど、それは悲観的すぎませんか?」
という発言を通すことで、ひろゆきのインターネット論が非常に読みやすくなる。

佐々木さんがフォローに回っているのに対し、
巻末の小飼弾氏との対談はやりたい放題。専門用語の多さ以前に、
「俺たち頭いいからね、普通の人はついてこれないでしょ」的な
トーンがやや鼻につく。
わかりやすい話をする気など、本人たちはさらさらないようなのだが、
この対談で語っていることは、いろいろ盲点をついているので、
むしろわかりやすいレベルで話してくれれば、もっとおもしろかったのに。

ネット接続の仕組みや回線コストについては
直前に読んだ『インターネットは誰のものか』が参考になった。
(というか、これを読んでなければ理解できませんでした。)

現在、ネットを中心に売れまくっているらしいこの本。
かなりおもしろい本であることは確かだが、
みんながみんな、ひろゆきをきどって、
ここに書いてあることを真に受けても、かっこ悪いのでは。

◆読書メモ

ではなぜ、2ちゃんねるが存在するのか。
それはすごく簡単な原理で、単に2ちゃんねるほどの大きな掲示板を
運営している人がほかにいないだけです。
それを僕がたまたま運営しているだけなのです。
ライブドアがなくなったとしても似たような会社は出てこないでしょう。
なぜならライブドアがないと困る人が少ないからです。
しかし、2ちゃんねる的な場所というものは、ないと困る人がいる。
つまり、2ちゃんねるがなくなれば、似たようなWebサイトが登場してくることになります。

携帯電話よりも、Jリーグやキティちゃんのほうが、
まだ投資に値するのではないでしょうか。
2兆円という額が何年で回収できるかはわからないですが、
100年後に携帯電話とキティちゃん、どちらが残っている可能性が高いかを考えると、
それはキティちゃんだと思うのです。

インターネットというものは、ユーザーから見ればISPへの接続料だけで
インターネットに繋がっているように見えますが、実はユーザー以外の部分では、
みんなお金を支払っているのです。

'70年代には、宇宙に行けばきっと何かがあるはずだなどと、
無限の未来に対する無限の投資がありました。
しかし、アメリカは国家として巨額の投資を行ったにもかかわらず、
最終的に何もないことに気づきNASAの予算は削減された。
国家として、技術に投資を行うことが減ってしまったのです。
この時点で、未来というものは科学的に何かを行うものでは
なくなってしまったのだと思っています。そうなると、
今までどおりの日常が、今後何十年も続いていくだけなのではないでしょうか。

そこで衆愚かどうかという問題が出てきて、要するにみんながいいと
思っていることが本当にいいのかどうかは、わからないわけです。
そのために、日本は間接民主制なんですよ。
(佐々木俊尚)

2ちゃんねるに人が集まっているのは、別に「何かが2ちゃんねるにはある」
ということではなく、きっとほかに選択肢がないというだけの、
消去法なのではないでしょうか。

受け売りですが、あるブロガーが書いた、「ガリレオ・ガリレイの時代に
集合知があっても、地球が回っていることにはならなかった」ということと同じ原理で、
集合知が正しいと言うことが間違っていて、大衆が間違えてしまうこともある。
その前提を覆さなければ、結局、集合知だと思っていたことが、
実は集合愚だった、ということにもなりかねないのです。

2ちゃんねるの場合、逆に質の高い情報を拾い上げないことが
価値になると思っています。
2ちゃんねるは、決められた人が情報の価値を決めるような
ヒエラルキー構造にはしたくありません。
2ちゃんねるは、全員が匿名言論でものを言い、
ヒエラルキー構造が作られない完全フラットな場所なのです。

小飼:今って、日本のバックボーン回線の約20分の1をニコニコ動画が
コンスタントに持っていっているんですよね。これって、すごいやばいよ。

西村:カード会社のVISAとマスターって、株主の上に行くと実は同じ会社なんです。
つまり実際に日本で使われているカードは、
なんだかわからない会社に支配されているということになる。

西村:グーグルって、昔はサーバーのCPUがセレロンだったみたいですけど、
さすがに今はもうちょっとマシなのを使っているんでしょうね。
だってコストパフォーマンスを考えたら、Core2Duoのほうが電気代も安いですし。

小飼:なんというか、ちゃんとサーバーを「make world」して作っている人と、
それを使っている人とでは、視野が変わってきます。
実際に「make world」している人というのは、「dev」の世界を見ていると思っていい。
西村:「make world」って、デフォルトだと500以上は繋げられない回線を変えるために
アパッチ自体のコードを変えるOSのチューニングコマンドのことですよね?

『インターネットは誰のものか』

インターネットは誰のものか 崩れ始めたネット世界の秩序
『インターネットは誰のものか 崩れ始めたネット世界の秩序』
谷脇康彦/著
日経BP社

“助け合い精神”で運営されてきたインターネットが、
ブロードバンド化の進展、検索エンジンの登場や、情報のタグ付けにより、
新しいビジネスチャンスを生み出し、“商業主義インターネット”へ姿を変えている。
グーグルなどのコンテンツプロバイダーが
ネット上のサービスで莫大な利益を得ている一方で、
インフラ整備に追われている通信会社やISPは、
ネットから十分な収益を上げることが難しい。
コスト負担の公平性が崩れる中、出てきたのが、“ネットワークタダ乗り論”。
この問題を解決しなければ、インターネットは遅くて使いものにならなくなったり、
接続料が値上げされたり、自由に楽しむことができなくなる。
そのための解決策を探ろうというのが本書。

著者は「総務省総合通信基盤局料金サービス課長」という肩書きの人。
ネットワークの中立性について、今後のインターネットのありかたについて
今現在、行なわれている議論を多くの人に知ってもらおうというところから
本書は書かれている。
お役人がわかりやすく書こうとしている文書なので、
章ごとにまとめがあったり、話にくどいところもあるが、
“インターネットにおけるコスト”という今まできちんと考えたことのなかった
問題を提示していて非常に勉強になった。

たとえば、インターネットの仕組みについて、
利用者→アクセス網(NTT東西など)→下位ISP→上位ISP→IX
という階層構造があり、IX(インターネットエクスチェンジ)は、
日本国内にはJPIX、NSPIXP、地域IXなどがあるが、
多くは東京と大阪に集中しており、これは国際回線の
海底ケーブルの“取水口”が、東京と大阪近郊にあることと関係している。
アメリカの第一階層に位置しているISPグループは「ティア1」と呼ばれ、
AT&T、グローバルクロッシング、レベル3コミュニケーションズ、
ベライゾンビジネス(元UUNet)、NTTコミュニケーションズ(元ベリオ)、
クエスト、サビィス、スプリントネクステルの8社がある。
つまり、Youtubeを見ようと思ったら、
アクセス網、下位ISP、上位ISP、国際回線経由でアメリカのティア1、
アメリカ国内のISPというルートを往復しなければいけないのだ。

ISP間をつなぐ方法には、「ピアリング」、「トランジット」、「IX」の3つがあり、
上位ISP同士のピアリングは、流れるトラフィックが大体同じなので、
「お互い様」ということでコストはかからないが、
上位ISPが下位ISPと接続するトランジットとIX接続には料金がかかる。
たとえばJPIXのIXの料金は、10ギガbpsのポートにつなぐ場合で月270万円、
1ギガbpsのポートで月72万円かかる。
また、地方のISPが東京や大阪のIXにつなぐには、
データ専用線を利用するが、1ギガbpsクラスの回線で月数百万円する。
まさに「インターネットはタダではない」のだ。

解決方法としては、
CDN(コンテンツ配信ネットワーク)、P2P、IPマルチキャスト方式、
クライアント・サーバー方式にP2P方式を組み合わせた「OLM」
(オーバーレイマルチキャスト)方式など、
技術によってトラフィックの急増に対応しようというものと、
帯域制御など、ルールを決めてトラフィックをコントロールする手段、
NTTグループが取り組んでいる次世代ネットワーク「NGN」
などが具体的に紹介されている。

「インターネットの均衡を取り戻し、商業主義インターネットの
更なる成長モデルを描くには、ネットワークのコスト負担の公平性と利用の公平性
という二つの観点から、新しいルール作りを進めていくことが必要なのです。
「ネットワークの中立性」(network neutrality)を確保できれば、
最悪のシナリオは避けられるようになります。」

なかなか難しい話で、簡単に解決するとも思えないが、
WinnyやYoutubeが人気を集めるほど、その裏では、
トラフィックが増大したり、アメリカとの接続が問題になったりするのだ
ということを考えてみてもいい本。

◆読書メモ

「インターネットはタダではない。我々もケーブル会社も投資をしている。
グーグルであれ、ヤフーであれ、誰であれ、パイプをタダで使おうというヤツは馬鹿だ」
(大手通信会社SBC会長・エドワード・ウィタケア)

「インターネットのオープンで中立的な構造がなければ、
グーグルは生まれてこなかっただろう。
私達はインターネットの将来を考えているが、それは単に私達のためではなく、
潜在的に(次の)グーグルになり得る他のすべての事業者のためである。
インターネットの本質にある「innovation without permission」(許諾を要しない革新)
という活気のある体系が、富と機会を地球上の人々にもたらす」
(グーグル)

1969年にアポロ11号が初めて月に着陸した時のコンピューターの能力は、
実は1983年に発売されて一世を風靡した家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」
の計算能力と同じだったそうです。

『カンブリア宮殿 村上龍×経済人』

カンブリア宮殿 村上龍×経済人
『カンブリア宮殿 村上龍×経済人』
村上龍/著、テレビ東京報道局/編
日本経済新聞出版社

テレビ東京で放映中のトーク番組『カンブリア宮殿』を書籍化。
トヨタ、ホンダ、全日空、花王といった大企業から、
ミクシィ、はてな、男前豆腐、ピーチ・ジョンなどの新企業まで、
村上龍がインタビュアーとなって、各界の経営者に話を聞く。

様々な経営者が登場するが、共通するのはみんな非常にポジティブであること。
成功した人に話を聞くのだから、ポジティブな話になるのは当たり前なのだが、
ポジティブであること、努力を惜しまないことは、成功の基本らしい。
この番組自体、その会社を客観的に紹介するというより、
いい面だけを見せることに注力しているようなので、
一見、どの会社もすばらしく、経営者もいい人のように見える。
話慣れている人が多いので、トークもうまい。
言っていることに「え?」と思うこともあるのだが、
話に説得力があるので、なんとなく納得してしまう。
まあ、ビジネス番組なのだから、サラリーマンがこれを見て、
仕事のやる気がでるなら、それはそれでいい番組だと思う。

個人的には、ミクシィ・笠原社長と、はてな・近藤社長の
「まだ成功したとは思っていない」という言葉が印象に残った。

あと、ジャパネットたかた社長の
「デジタルカメラやビデオカメラでも、機能より楽しさを伝える」
ということは参考にしなきゃなーと思った。
「商品には人の生活を変えたり、幸せにしたりするパワーがあるんじゃないかと
僕は思うんです。私たちはメーカーじゃないですから、つくることはできない。
でもそれを伝える役割を果たしていきたいと思うんです。」

◆読書メモ

ホンダという会社のために働くなんて考えること自体、すでにホンダウェイではない。
人が何のために働くのかというと、会社のためじゃない、
自分のために働くのだ。それは、いつの時代にも世界中、どこでも共通だ。
(本田技研工業社長・福井威夫)

私はうちの社員にも自分の子どもにも、それから近所の高校生たちにも
「人生の目的を間違えちゃいかんよ」と言っています。ときどき間違えるんです。
だから私は「お金持ちになることを考えてはいけません」
「有名になることを考えてはいけません」
「偉くなろうと思ってはいけません」。この三つは実は人生の結果であって、
これを目的にするととんでもないことになりますよ、と言う訳です。
(樹研工業社長・松浦元男)

どちらかというとまだ僕たちは挑戦者だと思うので、
ここまでで満足というのはなく、これからだと思っています。
まだ、成功したとは思っていません。

お金とはやはりご飯みたいなもので、なかったら死ぬかもしれませんが、
食べきれないほどはいらないと思います。

特に最初にサービスをつくる時は、まずビジネスは後という感覚でやっています。
だいたい最初は、便利なものをつくりたいという一心でつくった上で、
たくさんの人がそれを使うようになったので、「じゃあ広告を売りましょうか」
「利用料をとりましょうか」とビジネスに持っていくのがほとんどですよね。
こうやって金儲けをしようと思わないから、サービスが面白くなると思うんです。
(はてな・社長・近藤淳也)

日本の情報がない時代ですから、図書館でリストをもらってきたら、
一番上に北海道大学が載ってたんです。中国で一番上にあるものは、
一番大きいか、一番古いか、一番評判がいいか、あるいは一番中央にあるかで、
「北から」というのはまずあり得ないんですよ。
だって中国で北と言ったら、一番野蛮な地ですから。

社員が必死にがんばって出した結果を聞いても、僕は喜びません。
社員に楽をさせながら成果を出せるというのがいいことです。
(ソフトブレーン創業者・宋文洲)

むしろ経験則だと思います。感じるという態勢をとっておいて経験を積む。
シャラポワは天才だと言われますが、すごい練習量で感性になっている。
相手のラケットがちょっと動いたのを見ただけで、次の動きがわかるというのが
あるんじゃないかと思うんです。
同じものを見ても、感性を磨いてなければ感じない。
(サマンサタバサジャパンリミテッド社長・寺田和正)

夢と時間をつなげるのが時間だと思っているんです。だから、日付を入れて、
今日との差を明確にする。そして、それを日数で割ってしまえば、
今日やらなければならないことが明確になってくる。
「いつか叶ったらいいな」という夢は絶対に叶いません。
年をとった大人が言うんですよ。「俺も若いころをそんなことを思っていた」と。
でも、それはただの負け犬です。やらなかっただけです。
今日の現実を変える勇気がなかっただけ。
(ワタミ社長・渡邉美樹)

できないと決めているのは誰かというと、自分自身なんです。
人は決めませんから。まず自分ができると信じること、
あまり考えずに、思ったようにやってみること。
やってみてできなかったら、やり方を変えてみればいい。
それと、それを続けてみることです。やってみたけど
ダメだったっていうのは、いくつもあります。人生八十年生きていくわけだから、
エンドレスでやり通すことではないかと思っています。
だから続ける精神力はいると思いますね。でもあまり悩まずにやってみたら、
結構できることは多いんじゃないかと思うんですけどね。
(ジャパネットたかた代表取締役・高田明)

成功するまでやれば成功すると思うんです。
ただ途中で資金が尽きれば潰れますし、やる気がなくなれば潰れますし、
苦しくなって投げ出せば潰れますから、口でいうほど簡単ではないですが、
成功するまでやれば成功しますよ。
(エイチ・アイ・エス会長・澤田秀雄)

何事も、経験せずにわかるわけがないんです。
愚かな人間に言い聞かせなければいけないことは、
“You don't know what you don't know”。
知らない世界なのに、自分に合ってる合ってないと言うこと自体が、
自分の可能性を狭めていると思わないといけない。

やりがいがないから転職するといっても、
次の会社でやりがいを保障されるわけではありません。
やりがいは自分でつくるものですから。
(日本マクドナルドホールディングスCEO・原田泳幸)


おサイフケータイ

数年ぶりにケータイを買い換えました。
N503isからF703iに。

おサイフケータイとGPS機能が欲しかったのだが、
904iは私にはトゥマッチで、704iも新発売されていたのだが、
たいして機能も変わらないので型落ちモデルのF703iを。
9800円のところ、ポイント含めて8000円程度で購入。
(ケチ? でも私、ケータイに2万円って考えられないよ)

店のにーちゃんがいろいろ話かけてくるのだが、
にーちゃん「カメラは重視されますか?」
私「いえ、なくてもいいぐらいです」
にーちゃん「……。こちらはデジカメ性能が優れていて……」
にーちゃん「薄いほうがいいですか?」
私「いえ、別に」
にーちゃん「……。こちらは従来よりやや薄型になっているんですが」
にーちゃん「防水がよろしいんですか?」
私「そういうわけでもないです」
といった感じで、薦めがいのない客で申し訳ないね。

今までのケータイとは、メニュー構成や機能もだいぶ変わってるので、
メールを受信するだけで苦労したり。
でも、入力支援とかいろいろ便利になってるなー。

私的に電子マネーブーム続行中なので、とりあえず
EdyとSuicaとnanacoをダウンロード。
いろいろチャージした結果、気がついたら、
電子マネー2万円、現金2000円みたいな状況になっていたり。

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なにも言わないのについてきたドコモダケストラップ。
ひまわりもってるってことは夏バージョン?

『パッチギ!的』

パッチギ!的―世界は映画で変えられる
『パッチギ!的 世界は映画で変えられる』
李鳳宇/著
岩波書店

映画配給会社シネカノンの代表である著者が、これまでの失敗と成功、
映画への想いをつづった一冊。

1989年、大学時代の友人から1000万円を借りてたったひとりでシネカノンを設立。
キエシロフスキの『アマチュア』を買い付けるも、興行的には惨敗。
ジャック・ベッケルの『穴』の成功で、友人に借金を返済。
1993年に『月はどっちに出ている』を初プロデュース。
『風の丘を越えて-西便制』をはじめ、『シュリ』、『JSA』を配給し、
韓国映画ブームを起こす。2005年の『パッチギ!』、
2006年の『フラガール』が大ヒットし、『フラガール』は
独立系映画会社として初めて日本アカデミー賞最優秀作品賞を獲得した。

シネカノンの名前は知っていたし、マニア受けする渋い作品を配給する
というイメージがあったが、(著者によると「シンプルで強い」映画がモットーらしい)
巻末の配給作品のリストを見ると、「お世話になりました!」という感じ。
ジャック・ベッケルの『穴』、『この空は君のもの』、フリッツ・ラングの『飾窓の女』
といった古い作品は公開当時、非常に驚かされた映画だったし、
『月はどっちに出ている』もおもしろかった。
『風の丘を越えて-西便制』は、パンソリという音楽とともに強く印象に残り、
『シュリ』を見るまで、韓国映画といえば『西便制』だった。
『エドワード・ヤンの恋愛時代』、『カップルズ』、『クーリンチェ少年殺人事件』、
キエシロフスキの大作(全10話もある)『デカローグ』、
日本映画『のど自慢』、『ゆれる』もシネカノンの配給作品だ。
(もちろんすべての作品が好きなわけではなく、
『月の瞳』は私にとってトンデモ映画だったし、『フラガール』は期待はずれだった。)

著者は韓国映画関連でなんどかテレビにも登場していたので、
名前から勝手に「韓国系の人かな」と思っていたのだが、
日本で育ち、京都朝鮮高校、朝鮮大学を卒業した在日朝鮮人で、
『パッチギ!』には彼自身の青春時代が色濃く反映されているという。
(『パッチギ!』のアンソンは彼の同級生がモデルだし、
棺桶を通すため玄関を叩き壊す場面は、彼の兄の葬式が元になっている。)

『パッチギ!』がその内容ゆえに、母校の朝鮮高校からロケを断わられ、
テレビスポットから「結婚したら朝鮮人になれる?」という台詞を削除された、
『西便制』の買い付けのため韓国に出張した際は、
在日ゆえパスポートの発行にさえ苦労し、
『シュリ』は東京国際映画祭での上映が直前になって取り消された、
『チキンラン』のポスターに載っているニワトリの四本指を
五本指に差し替えてくれと言われた、
など、映画公開にも、さまざまな問題がからんでいることがわかる。
(9億円の大金で買い付けた『チキンラン』は惨敗。2ヵ月後に公開された
『JSA』が大ヒットしたおかげで負債が取り払われた、という話も劇的だ。)

著者自身は韓流ブームの立役者なのだから、
祖国に対する使命感のようなものがあるのかと思っていたのだが、
以外にも「僕は韓国という国が嫌いだった」と語る。

「僕は韓国という国が嫌いだった。パリ大学で同じクラスになった安という韓国人は
僕が自己紹介をして握手を求めると、次の日にはクラスを代わってしまった。
父が済州島から逃げ出すことになった1948年の四・三事件は島民を7万人も虐殺した。
僕はあの凄惨な光州事件を引き起こす韓国社会が大嫌いだった。(略)
でも眼下に広がる田園の片隅に、僕の両親はかって住んでいた。
両親はそのことを誇らしげに、そして楽しそうに語ったことがある。
僕の両親や先祖はこの地で生まれ、代々この地で生命を継いできた。
韓国や韓国社会は嫌いだが、あの映画を撮った彼らは本当に素晴らしい人たちだ。」

著者が語る韓国や日本への想いは、時に感情的で、戸惑うところもある。
特に「在日」に対する日本人の無関心には怒りを感じているようで、
著者や彼の同級生たちの生活の苦労や受けてきた差別を考えれば
それも当然なのだが、『パッチギ!』において、康介が
「日本人は何も知らない」と責められてたじろぐように、
知らないことに対して責められても、謝罪も反論もしようがない。
(こういう無知自体が罪でもあるわけだが、済州島といって私が思いつくのは
チャングムぐらいで、そこで虐殺事件が起きたことなど本書を読むまで知らなかった。)
それぞれが、そう信じなければ生きていけなかった時代があるだけに、
韓国と日本で共通の歴史認識などできるのかどうか、かなり心もとないが、
まずお互いを知るということが一歩なのであるならば、
韓国映画がはたした役割はとても大きい。
サブタイトルである「世界は映画で変えられる」という意味もそこにあると思う。

◆読書メモ

この映画(シュリ)の製作母体であった三星電子映像事業団は度重なる失敗と
投資の行き過ぎで事業団自体が解散することに決まっており、
解散を決めた矢先の大ヒットで、内部が混乱していた。

「私は、誰かの助監督になど絶対になりたくないと常に話してきたが、
『ケス』を観てからは、もしケン・ローチに誘われたら、喜んでコーヒーを
いれてあげようという気になった。こんな思いを抱いた監督は、
他にオーソン・ウェルズ、フェリーニ、それに時々だがベルイマンがいる」
(クシシュトフ・キエシロフスキ)

ここ数年、9.11以降の世の中は、本当の戦争が見え難くなったように思える。
それはすなわち戦争に異論が言いにくくなったからに違いない。
どの戦争が正義で、どの戦争は間違っていたのか。
議論はどんどんすりかわって、どの国が引き起こした戦争は正しくて、
どこなら駄目なのか。何人殺したらテロリズムで、何人殺したら戦争なのか。
チャップリンが『独裁者』を作った頃は、戦争における悪者が見えやすかった。
勧善懲悪を追求すれば、映画は娯楽としても、そしてメッセージ性のある
映画としても成立できた。でも、東西の対立が消え、地球上でイデオロギーによる
説得が不可能になった時、戦争は違う価値観で動き始めていると思う。

『テレビゲーム教育論』

テレビゲーム教育論―ママ!ジャマしないでよ 勉強してるんだから
『テレビゲーム教育論 ママ!ジャマしないでよ 勉強してるんだから』
マーク・プレンスキー/著
東京電機大学出版局

テレビゲームは有害なものではなく、子供たちは学校で学ぶよりも、
よりポジティブで、役に立つことをゲームから学ぶことができる、と主張する本。
『ダメなものは、タメになる』は、現在のテレビゲームや連続ドラマは構成が複雑で
理解するためには高い能力が必要になる、
として“ゲーム脳”を否定した画期的な本だったが、
この本はさらに一歩進んで、子供たちはゲームをプレイすべきだし、
親はそれを奨励し、積極的に学習に利用しようと提案する。

デジタルテクノロジーで育った若い世代を“デジタルネイティブ”、
歳を取ってからデジタル環境に渡ってきた世代を“デジタル移民”と呼び、
「今の子どもたちには、私たちの世代を教えるために設計された
古い教育システムは機能しない」と言う。

「実際、ゲームのなかに多くの学習プロセスが埋め込まれている。
ゲームのなかで子どもたちは、誤った判断をした時に悪い結果を受け取りながら、
失敗を通して繰り返し挑戦するなかで、賢いやり方を学んでいる。
これは、毎学期末に試験をして成績を付けられて成績表を持ち帰るという
繰り返しよりも、子どもたちの学習(子どもたちの精神的発達にも)にはよほどよい。」

ゲームを教育に利用するといっても、“エディテインメント”のような
“絵のついたドリル”ではなく、親と子で一緒にチームを組んで『ディアブロ』や
『エイジ・オブ・エンパイア』をクリアする例や、学校の教材として『ミスト』や
『シビライゼーション』を活用している例を紹介している。
家庭でのゲームの使用は親子の新しいコミュニケーションになるし、
学校でのゲームの利用はまったく新しい教育システムをつくるだろう。

「生徒にもはやひとつの学校に入学して専攻をひとつに決める必要はなくなる。
オンラインの標準カリキュラムにアクセスして、
好きなオンラインコースを選ぶだけでよくなる。」

「最近では、身体的な健康だけでなく、
プレイヤーの精神的な健康を改善するためのゲームも市場に出てきている。
A Journey Through the Wild Divine
指先にバイオセンサーを装着してゲームをプレイする。このゲームでは、
心をリラックスさせることでゲーム中のボールを宙に浮かせたり、
火を灯したりといった動作を行なう。ゲームはセンサーから
プレイヤーの生理的な状態を読み取って、結果を表示する仕組みになっている。」

「彼(NASAのアラン・ポープ博士)は、むしろこの技術が子どもの集中力改善、
特にADHD(注意欠陥多動性障害)の子どもたちのために役に立つと考えた。
このゲームで、子どもたちの脳のガンマ派をベータ派に変えて、
集中力維持の仕方を教えることができるのだ。」

「アースクエイク・イン・ザ・ジップランドは
両親の離婚を経験した小さな子どもが直面する、感情的な問題を扱ったゲームだ。
否定的な思考や子どもの自殺などの問題を扱っていて、
子どもたちが心理的な傷や困難な状態から立ち直るのを助けるために開発された。」

子供がゲームから何かを学んでいることを理解するためにはどうするか、
子供とゲームについて話をする方法など、かなり具体的に親へのアドバイスが
のっており、親でも教師でもない私には、少々うるさいくらいなのだが、
親のためのゲームガイドとしてよい本だと思う。
個人的には『ライフ・アンド・デス』(盲腸手術、脳外科手術をテーマにしたゲーム)
がちょっと懐かしく、モッド(ゲームの改造)がおもしろそうだと思った。

「もちろん、不思議なポケモンクリーチャーは現実には存在しないし、
本当に人を殺すのはゲームではない。それを教えるのは、あなた(親)なのだ。」

◆読書メモ

移民たちにとって情報とは、将来利益を得るために他人の目に触れないように
隠しておくものだったが、デジタルネイティブたちは、
特にオンラインで最初に情報提供する存在になることで利益を得られると考えている。

ウェブカムは、デジタルネイティブたちのもうひとつの情報共有ツールだ。
自分の部屋やペット、奇妙なものを流し続けるほど価値があると考えられている。
一方、移民たちのウェブカムとは、自分の子どものベビーシッターが
ちゃんと働いているかを監視するというような、セキュリティのための利用が通常だ。

今や軍では、パイロット候補生にあらゆる軍事飛行フライトシミュレーションゲームを
マスターしていることを当然のこととして求める。そこで期待されているのは、
飛行機の飛ばし方についてというよりは、飛行時に生じる、なぜ、何を、
という戦略的思考の部分の学習だ。

ゲームは単独で存在するのではなく、
ひとつの巨大な学習システムや社会システムの一部として存在しており、
それが子どもたちを深くのめりこませているということだ。

トゥーンタウン
アラン・ケイのスクエーク

これらのゲームで行なっているのは従来の自習教材を強化したものとという以上に、
世界中で集まれるひとつの教室を作っているという側面がある
米陸軍シミュレーション・トレーニング・アンド・インスツルメンテーション部門
プログラムエクゼクティブ・オフィサー

それはゲームを若いデジタルネイティブたちが自分のメディアとして捉え、
理解され、信頼され、楽しまれているからだ。ゲームが親たちの言葉ではなく、
自分たちの言葉で語りかけてくれると感じているからなのだ。

最近のケータイの高級機種は、
すでに90年代前半の頃のパソコン並みのパワーを持っている。
最もシンプルな音声機能のみの機種でも、1969年に宇宙船を月面着陸させた時に
使用されていたコンピュータよりも複雑で高性能なチップが搭載されているのだ!

ある大人のゲームプレイヤーが、第二次世界大戦を戦った
退役軍人の父親と一緒に戦争シミュレーションゲームをプレイしたとき、
いかによいつながりを持つことができたかをとても感傷的に語ってくれた。

『21世紀版 マーフィーの法則』

21世紀版 マーフィーの法則
『21世紀版 マーフィーの法則』
アーサー・ブロック/著
アスキー

1977年にアメリカで刊行。日本では1993年に翻訳版が出版され、
ブームになったマーフィーの法則。
今回のは2003年に出版された26周年記念版の新訳。
(日本語訳と原文が併記されている。)

オリジナルは読んだことがないが、あれだけブームになったので、
さすがに名前やいくつかの法則は知っている。
本屋でちらっと見た『マーフィーの法則 恋愛版』だったかに載っていた
「男と女はくっつくより別れるほうが難しい」とか。
この本には掲載されていなかったので、亜流なのかも。

元々のマーフィーの法則は
「失敗する余地があれば、失敗する」というもので、
つまりは、完璧など存在しないから、常に失敗しないための努力をすべきだ
という危機管理の考え方みたいなものらしい。
(ルーツについては前書きに詳しく書かれているんだけど、私なりに勝手に解釈。)

しかし、基本編はこんな感じの法則ばかりがずらーっと並んでいるので、
「マーフィーの法則って思ったよりもネガティブ?」
という気分になる。ブームの時に考えていたマーフィーの法則は
「あー、あるある」って感じのものだったんだけどなー。
たとえば、
「なくしたものが見つかると、ほかのものがなくなる。」
「自分が並んでいない列は早く進む。」
「もっとも近くに住んでいる者が、もっとも遅れてやってくる。」
「買い物袋が破れる場合は、卵が入ったほうが破れる。」
とかとか。
なので、あらためて読んでみると意外にまじめな内容なんだなと。

そんななかで笑ったのはこれ。
「じゅうぶん細かく刻めば、何でも食える。」
これって法則なんですかー?

◆読書メモ

スタッフの非効率さと愚かさは、管理者の非効率さと愚かさの反映である。
ものごとの遅れは、やりたくないという痛烈な表現である。
最後の土壇場が存在しないなら、何物も完成できない。
仕事は隔週金曜日ごとに進む。

キルケゴールの所見
人生はあとから振り返ってみてやっと理解できるものだ。
しかし、前に進まなければならない。

機械が動かないことを誰かに証明して見せようとすると、動きはじめる。
コンピューターが機能停止する確率は、作成中の書類の重要度に比例する。
ダウンロード中にエラーメッセージが現われる可能性は、終了が近づくにつれ高まる。
トラックによる配達は、ふつう1日で着くが、あなたが待っているなら5日はかかる。

P.K.ディックの規則
現実は、その実在をあなたが信じるのをやめても、どこにも立ち去ってはくれない。

『カネと野望のインターネット10年史』

カネと野望のインターネット10年史―IT革命の裏を紐解く
『カネと野望のインターネット10年史―IT革命の裏を紐解く』
井上トシユキ/著
扶桑社

昨日、NHKの特報首都圏で『ネットの“祭り”が暴走する』という特集をやっていたが、
コメンテーターとして呼ばれていたのが、著者の井上トシユキ氏だった。

1996年からのインターネット黎明期10年間の舞台裏を追った本。
日本でインターネットの商用利用が開始されたのは1994年。
1995年11月にWindows95発売。
1996年1月、ヤフージャパン設立。
1996年4月、ライブドアの前身オン・ザ・エッジ創業。
携帯電話、PHSが普及し、インターネットが一般的に浸透したのも1996年からだという。
インターネットはまだたかだか10年しか経っていないのだ。

変化が速すぎて、この10年、何が起こったのか、もうよくわからなくなっている。
ドクター・キリコ(1998年)、東芝クレーマー事件(1999年)、光通信(2000年)って
言われても、「どんな事件だったけ?」とか、「もうそんな昔の話ですか?」という感じ。
インターネット事件簿をていねいに追っていけば、
それなりにおもしろかったのではと思うのだが、この本が中心としてるのは、
「IT革命」、「インターネット・ファディズム」と呼ばれた
ネットバブルの裏にあるお金をめぐる話。

80年代バブルを経た人々が、次の金儲けのチャンスとしてIT革命の名の下に
実績のないベンチャー企業を上場させ、ネットバブルを起こしたと語り、
リキッドオーディオ、MTCI、光通信などの例があげられている。
つまり、「新興株式市場が闇社会の資金調達源になっている」訳なのだが、
このへんの経過は“関係者から聞いた話”として書かれているので、
噂話の域を出ておらず、説得力に欠け、週刊誌の記事のようだ。

該当する事件についてもあちこちボカされたり、説明不足だったりするので、
事件自体の詳細を知らないとわかりにくい。
たとえば、
「雑駁に言うと、玩具メーカーが商標登録を申請したのは「なんだと?」と
混ぜっ返すキャラクターであり、A社のそれは「おまえもな」と
自分勝手や視野狭窄な論理をたしなめるキャラクターであった。」
という部分の「玩具メーカー」とは「タカラ」で、キャラクターは「ギコ猫」、
A社はエイベックスで、キャラクターは「モナー」であるが、
のまねこ騒動を語る上で、固有名詞を隠す理由がよくわからない。
この本を読む人なら、知ってて当然の事件かもしれないが、
2005年に起きた、のまねこ騒動でさえ、すでにかなり懐かしい話であり、
そんなこともあったねーという感じなのだから、説明は必要なのでは。

ライブドアの堀江氏については、著者が2004年にインタビューをしており、
思い入れも強いらしく、ページを割いて創業から事業拡大までを追っている。
私は全然知らなかったのだが、超有名サイトだった『komuro.com』を
手がけたのは創業直後のオン・ザ・エッジだったそうだ。
名前こそ書かれていないものの、創業時のパートナーだった女性についても
書かれている。(彼女は株式公開に反対し、袂を分かち、
別会社でウェブデザインの仕事を地道に続けている。)

『komuro.com』って、いやー、なんかすごく懐かしいですね。
オシャレだけど、Shockwaveがウザかったなーとか、
華原朋美、SPEED、globe、って細かくサイトが分かれてたり。
まだ、ホームページっていってもasahi.comとかアメリカ大統領のサイトとかが
知られていて、URLがわからなければどこにもたどり着けない時代で、
komuro.comっていうわかりやすさが笑えたり。

2002年頃については、
「その頃、ブロードバンドが普及すれば、来日しないアーティストのライブが
インターネット経由で見ることができる、と謳われていた。
どうせリアルタイムで見るならライブ(生演奏)のほうがいいし、パソコンで見るなら
リアルタイムではなく、好きな時間にオンデマンドで見れたほうが魅力的だ。
コンサートが行なわれている海外現地との時差を計算し、パソコンデスクの前に座って
「ライブ演奏の熱狂」を見るなんて、よくよく考えればバカバカしいことこのうえない。」
と書かれているんですが、この頃の閉塞感というか、
ネット回線が速くなったところでいったい何をするんですか?
という気分は覚えてる。常時接続(っていう言葉自体がもう古いですね)や
検索エンジンがその後、ネットのあり方を大きく変えてしまうわけだけど、
当時は、ストリーミング映像がキラーコンテンツといわれてもピンとこなかった。

著者は、
「このときに挙がった「使えるコンテンツ」とは、エロやエンターテインメント系の動画、
音声ダウンロード、エロ系のコミュニティ、それにカネ儲けにまつわるもの、だった。」
と書いているんだが、私としては、むしろ違法mp3のダウンロードとか
winnyがキラーコンテンツにだったのではと思う。

◆読書メモ

人々がインターネットに本当の意味で求めていたのは、(中略)
お買い得商品やネットトレードや関係性を狂言回しに、
一体となって繋がりを実感できる「場」だったのである。

現実には存在しない幻想だといわれた共同体を、幻想であるはずの
インターネットの中に求め、つくりだしていく。
ユーザーからの多大な支持を集めたのは、人々が共同体の中で
他人と繋がることを実は希求しており、その望みを実現するには
現実世界ではなく、インターネットのほうが適していると
肌で感じ取ってしまったからではないだろうか。

光通信
3月15日の記者会見では、00年8月期の業績予想を上方修正するとまで発表した。
そのわずか2週間後、3月30日に今度は一転して、00年8月期の業績予想を
下方修正すると発表。中でも衝撃的だったのは、営業利益を60億円の黒字予想から
130億円の赤字予想へと修正したことだ。その差、実に190億円。

ネットビジネスの2大巨頭(ライブドア、楽天)が演じる蹉跌を細かく見ていくことで、
インターネットが国家のインフラであり、そこには現実世界と同じように
経済や政治の力が働いていることがわかる。
これまでインターネットは新しく特別なものとし、現実と対をなして存在する
仮想現実だと区別し、信じ込んできたのは根本的に間違いだったのである。
インターネットを特別だと思うのは、物心がついた頃には
インターネットも携帯電話もなく、部屋に居ながらにして買い物ができる、
どこにいても友達と電話ができるということを、
SFの話として「ヴァーチャルに」想像してきた世代の発想だ。

ライブドアと2ちゃんねるは、はからずも地上と地下を塞いでいた扉も
開けてしまったということだ。そして、インターネットを通じて
カモとして食い物にされたのが、訳知り顔でインターネットにやってきた、
投資熱に浮かされた中高年だったというわけである。

欧米で「監視=サーベイランス」と言った場合、
「管理」とともに「保護」という意味合いをも含むのが常だ。
つまり、「善意の人に対する危険」と「悪意を持った人による犯罪」とは、
同じように「未然に防ぐもの」であり、
社会全体のセキュリティを確保しようとするからこそ「公による監視」も必要なのだ。

『ヤンヤン 夏の想い出』

ヤンヤン 夏の想い出
『ヤンヤン 夏の想い出』

※前置き
エドワード・ヤンの訃報を聞いて数年前に買ったDVDを取り出してきて、
「さあ、見よう」とセットしたら、オープニングが違う。
「あれ、こんな場面なかったよな? なんかの予告編?」と思ったら、
中身が『ヤンヤン 夏の想い出』ではなく、『友へ チング』だった。
DVDのプレス面も『ヤンヤン』なのに、内容だけまるきり違うのだ。
すぐに検索してみたら、3年前のリリースでポニーキャニオンがお詫びをしていた。
プレスミスらしいけど、こんなことってあるんだねー。
リリースに書いてあった電話番号に電話してみると、最初に応対してくれた人は
「え? 内容が違うんですか?」とまったく事情を知らない様子。
電話を回されたカスタマーセンターでは、すぐに「大変申し訳ありませんでした」
という感じで、「お手数ですが着払いで送っていただけますか」とのこと。
木曜日の夜に送ったら、土曜日には『ヤンヤン』が送られてきましたが、
数行のお詫びの手紙が入っていただけだったので、
これ以上どうしろと言われても困るのだろうが、なんかなーという気分も。
3年間、封を切らずにほっておいた私も悪いのですが、
すごく好きな映画なので、特別なときに見たかったんだよ。
(ポニーキャニオンのお詫びリリースが2004年3月なんだけど、
アマゾンの履歴を確認したら、私がDVDを購入したのは2004年6月。
こういうのって回収しないの? それともプレスミスは一部だけだったのかしら)

というゴタゴタもあったりしましたが、
追悼エドワード・ヤンということで、久しぶりに見ました。

公開当時、映画館で見たとき、オープニングの記念写真を撮る場面だけで、
泣けたんだけど、いったい何に対して泣いているのか自分でもわからなくて、
ただ、幸せな風景に涙が出た。
靴を取られたヤンヤンが階段の踊り場をぴょこぴょこと横切っていく場面も
すごく好きなんだけど、なぜこの場面が好きなのかうまく答えられない。
この映画全部がそんな感じで、すごく好きで、すばらしい映画なんだけど、
その理由はどれもうまく言葉にできない。

ストーリーだけ見れば、ヤンヤンの家族はいろいろ大変な目に遭っているわけで
おばあちゃんは意識不明で眠り続けているし、母親は精神的にまいって宗教に走るし、
父親まで過労で倒れるし、自分の恋はうまくいかないし、
私がティンティンの立場だったら、かなり泣くと思うんだけど、
映画全体はいつでも幸せな家族の風景を映してるように美しいんだよね。

窓ガラスの使い方(一場面に電話している秘書とNJを同時に映すとか、
泣いている妻と、彼女が見ている風景を同時に映しこむとか、
シャッターを閉めたときの夜景の美しさとか)、
登場人物が見ている対象を画面には入れず、見ている人物の表情だけを映したり、
恋人たちを引きで捉えた絵(そのため隣人の少女の顔は最後までよくわからない)、
父親の過去の恋と、娘の恋、息子の恋がシンクロする場面の美しさとか、
技術的にもすごいんだが、それをいちいち指摘してみても意味があるのかどうか。

3時間もある映画なのだが、私はこの映画で初めて
「このままこの映画が終わらなければいいのに」という気分を味わった。
この映画を超える傑作は、エドワード・ヤン以外には撮れないだろうと思った。
そして、彼が亡くなった今、この映画を超える作品は誰にも撮れなくなってしまった。

エドワード・ヤンの訃報を聞いたとき、とても悲しかったのだけど、
その悲しさの理由が、やっぱり自分でもよくわからず、
あと何本か見れるはずだった傑作が決して見れないからなのかとも思ったけど、
たぶん、私は、この映画のオープニングに流れる幸せな気持ちを思い出して
悲しくなったんじゃないかと思ったりした。

「悲しんでる理由が後ろからじゃ分からなかった」

「なぜ世の中はこんなにも夢と違うの」

「人生をやりなおすチャンスなんて必要ない。1度でいい」

『アイドルにっぽん』

アイドルにっぽん
『アイドルにっぽん』
中森明夫/著
新潮社

雑誌のコラム記事や、書籍の解説文など
中森明夫が書き続けてきた文章をまとめたアイドル論集。
ピンク・レディー、本田美奈子、宮沢りえ、後藤久美子から
吉川ひなの、栗山千晶、最近のアイドル女優たち、
小倉千加子の「アイドル論」論や篠山紀信論まで熱く語っている。

『ニュースな女たち』は何度か目にしているのだが、
中森明夫の文章をちゃんと読むのは初めて。
「(アイドルとは)戦後日本人の無意識が産み出した最高の(無)価値」であり、
「無意識を意識化すること、無価値の価値を明らかにすることは
なんと困難だったのだろう。」とあとがきに書いているのだが、
「無価値の価値を明らかにすること」、つまり「アイドルの素晴らしさを伝える」
という意味において、どの文章もすごくいい。

アイドル論なのに、アイドルの写真がほとんど1枚もなく、唯一の例外が
後藤久美子と宮沢りえ、2人の美少女にはさまれた著者の写真なのだが、
これとて、この写真よりも、そのときの後藤久美子と宮沢りえについて
書かれた文章のほうがずっと彼女たちの美しさを伝えている。

「少女に写真が似合うのは、写真が瞬間を捉えるメディアであるからだ。
少女は瞬間の内にこそ存在して、次の瞬間には姿を消してしまう。
端的に言えば“女”になってしまう。するとそこには少女の姿は消え、
まるでチェシァ猫の笑いのようにして、ただ写真だけが残るのである。」

私も美少女好きなので、文章のあちこちに共感したりして。
美少女というのは期間限定の特別な生き物(妖精?)なので、
17歳の美少女が18歳には普通のかわいい女の子になっちゃうことも多々あったり。
この本を読んで、昔の吉川ひなのの画像を探してみたんだけど、
ネット上にはあまりみつからなかった。昔(といっても数年前)はゴロゴロしてたのに。

『ニュースな女たち』の文章が、週刊誌の記事で、
篠山紀信の写真に併記されていたこともあり、
ストレートに少女たちの魅力を語っているのに対し、
後半の文章が抽象的になっちゃうのは残念。
(それでも篠山紀信の『Namaiki』を見たいなと思ったけど。
あのころの吉野紗香はスペシャルだったなー)

◆読書メモ

ピンク・レディーというのはまさにテレビ的タレントだった、という感じが
私はしてるんです。これはおそらくピンク・レディーが二人だったということにもよるんだと
思うんですが、テレビのブラウン管に彼女たちはフルサイズでキチッとはまる。
(藤竹暁)

ピンク・レディーは、もはや生身の人間としてではなく、
アニメ・キャラクターの一種として消費されていたのだということ。

ディズニーランドに似合う女の子を作ろうと思って松本伊代をデビューさせたんだ
(ボンド企画 高杉敬二社長)

栗尾美恵子

美少女とは男の子の“性”の対象ではなく、あくまで女の子の“憧れ”の対象である。

性を知る前の処女は動物というよりまだ植物の範疇に属しているものだが、

少女は成長して女になるのではない。
少女としての死を一度死んで、やがて女へと生まれ変わるのである。
少女と女とはまったく別の生き物なのだ。

『「世界征服」は可能か?』

「世界征服」は可能か?
『「世界征服」は可能か?』
岡田斗司夫/著
筑摩書房

世界征服って本当に可能なんだろうか?
悪の帝国の手段や目的はなんだろう?
世界征服って悪いことだろうか? 
そもそも『悪』って何だろうか?
っていうことを岡田斗司夫がまじめに論じた本。

マンガやアニメの例を引きながら、
世界征服の目的を
人類絶滅、お金が欲しい、支配されそうだから支配する、悪を広める
の4つに分類。
支配者を、
魔王:「正しい」価値観ですべてを支配したい、
独裁者:責任感が強く、働き者、
王様:自分が大好きで、贅沢が大好き、
黒幕:人目に触れず、悪の魅力に溺れたい
の4タイプに分類。
人材確保から資金調達、部下の管理、後継者問題まで
世界征服の手順をシミュレーションする。

意外と世界征服も大変なのねとか、独裁者って忙しそう、
ってなことをおもしろがって読める一方で、
「支配されそうだから支配する」例として上げられているジオン公国って
大日本帝国と大差ないんじゃないの?とか、
負けたから「悪のジオン」とされているけど、被支配者から独立することが悪?
というドキッとするような指摘もあちこちに。
「正しい」価値観ですべてを支配したい魔王タイプは、オウム真理教に近いとか、
マンガやアニメの世界のお話だと思っていた
“世界征服を企む悪の秘密結社”って、実は歴史上いっぱい存在していたり。

『レインボーマン』の死ね死ね団って名前しか知らなかったんですが、
第二次大戦のときに日本軍にひどい目に遭わされた東南アジアの人たちが結成、
ユダヤ系財源などが資金給与しているという裏設定があり、
「日本人皆殺し」が組織の目標だとか。すげー番組だ。

最終章は、現実的に世界征服を考えるとどうなるかという話で、
悪とは「人々の幸福を破壊する行為のこと」であり、
悪による世界征服とは「現状の価値観や秩序の基準」を破壊することであり、
現代であれば、「自由主義経済」と「情報の自由化」を破壊すること、
とかなり強引にまとめていますが、
今、アニメやマンガで「世界征服を企む悪の秘密結社」って言っても
昔ほど魅力がなくなってしまったのは、
世界征服自体が今の社会じゃ魅力がないからなんですねー。
アメリカの言う「グローバル・スタンダード」だって世界支配じゃないの?
金正日だって「贅沢」は海外から輸入するしかないんだよ、
っていう例は強引ですが、なるほどと思うところも。
楽しみながら世界経済についてまで考えられるおもしろい本。

◆読書メモ

「世界征服して、贅沢な暮らしをしたい」と考えている場合、
(世界征服を成し遂げる前に、資金調達の段階で)
もし経済的に成功してしまったらどうするのか?

『レインボーマン』の死ね死ね団
「1人百人殺すまで帰ってくるな」

権力者というのは、国民の生活を低く抑えると儲かるかというと、
そうではない。国民の生活を上げなければ自分すら贅沢できないんですね。
「人々を奴隷化したほうが豊かな暮らしができる」というのは大いなる誤解です。

ローマ帝国の歴史経緯は西欧諸国ではかなりの常識です。
たとえば『スターウォーズ』のお話を理解するためには、
「共和制→帝政」の理解が不可欠なんですけど、あまりそのあたりに踏み込んだ
スターウォーズ論は読んだことがありません。

世の中には金を出せば、もしくは権力さえあれば、こんなうまいものがあると
知りうる立場、それが「特権」であり、そういう人たちを「特権階級」と呼びました。
贅沢に値段がついて一般に流通してしまった瞬間、それは特権でもなんでもない。
ただ単に「値段が高い」だけです。たとえ一億円のフェラーリであれ、
一億円という値段がついてしまった瞬間に、買おうと思えば買えるものになってしまう。
「素晴らしいものの価値や存在を知っている」。
そういう知識の独占こそが特権階級の「特権」そのものなのです。

身分の格差を階級といい、経済の格差を階層と言います。
現在の日本には「階層」は存在しますが、「階級」は存在しません。
エルメスのバッグは80万円だから買えないだけであって、
エルメスのバッグなんてあることも知らないわけではない。
そんなことも思いつかない、そんなものは欲しくもないというのは階級文化で、
ただ単にお金がないから、銀座が遠いから、順番待ちだから手に入らない
というのは階層文化でしかありません。

『ウェブ社会の思想』


『ウェブ社会の思想 〈遍在する私〉をどう生きるか』
鈴木謙介/著
日本放送出版協会

ポストモダン的な書き方が非常に読みづらく、
全体としていったい何を言わんとしてるのか、よくわからなかったのだが、
「近年の情報化は、膨大な個人情報の蓄積を元手に、
私たちが自分で何かを判断する前に、
するべきことの指針を提示してくれるようなシステムを志向している。
そしてそれは、社会の側から見ると、マスメディアから伝えられる情報を、
私たちが社会の中で共有すべき出来事として理解し、
社会共通の問題に対して公共的な判断を下していくような民主主義にとって、
危機的な状況を生むことにもなる」
といったようなことが書かれている。

ある事件が報道されたとき、新聞やテレビの報道よりも、
2ちゃんの感想の方が自分の感覚に近いと思うことは多々あったりする。
じゃあ、ネット世論のほうが民主主義なの?
というと、そう考えることも危険なんじゃないの?
マスコミは間違っていて、ネットが正しいなんて言えるの?
そもそも“共通認識”や“事実”って何?
おおざっぱに解釈すると、そんな話です。

ユビキタス社会によって「システムによって自分に与えられた可能性以外の
未来を選択できなくなる」が、私たちが「この選択肢でよかったんだ」と思うことを
“宿命”と呼んでいる。
著者が本当に書きたかったのは、この宿命のテーマだったと思うのだが、
ほとんどむりやり情報社会から宿命を論じてるので、
私的には「だから何?」みたいな感じも。

ただ、ユビキタスとバーチャルの融合とか、
ネット民主主義なんて成立しないのではとか、
ネット右翼が実在するのではなく、マスメディアに対する反論が
右傾化という形で現われているのではとか、
いろいろおもしろい指摘もたくさんあった。

「ネット公共圏への期待そのものが的はずれだったのではないか。
ネットが人びとに民主主義をもたらすという素朴な期待は、こんにちでは
通用しないものになっている。」という考えには、なるほどと思ったり。

◆読書メモ

コミュニケーションとは何かを伝えることだと一般に理解されているが、
何かが伝達されるときには、自分が相手に伝えようとして伝えるところだけでなく、
意図せず伝わってしまうところが存在する。
何かを伝えるということは、言語だけで行なわれるのではない。
言葉で伝えられるものの外側には、様々な情報が織り込まれており、
そこまで含んだ上で「コミュニケーション」なのだ。

私たちはテキストによって、言語ではなく、
わたしという存在を送受信しているのである。

いわばここでは「顔」文字というものによって、
言語のメッセージが補完されている。
テキスト化されたことによって失われた身体性が、
記号表現として復活しているのだ。
現実のわたしの身体がどのような状態にあるかということとは、
さしあたり関係なく「わたし自身」を表わすものとして、それは用いられるのである。

友人関係を繋ぎ止めるためのツールとして、携帯電話が必要とされていることだろう。
携帯電話で繋がっていなければ、相手を友人として意識し続けることが
困難になっているということであり、また、相手を友人として意識し続けるために、
携帯電話でのコミュニケーション(というより、相手と「繋がり得る」状態を維持すること)
が不可欠の要素になっているということだ。

相対的に閉ざされており、行く場所もさほどない町の中に暮らしていた少女が、
インターネットという手段を通じても、どこにも出て行けなかったことだ。
彼女の日記に綴られているのは、クラスメートとの人間関係、
というよりは率直に友人たちだけに宛てられたメッセージである。
そこには、自分の日記が世界に向けて開かれているという意識は皆無だった。

『マンガ嫌韓流』では、主人公の祖父が語る、実際の戦争体験における
残虐行為よりも、主人公がネットで調べた情報こそが「真実」と見なされている。
その内容の正しさについてはここでは問わない。
むしろここで注目しなければならないのは、
「ネットで真実を見つけた!」と感じてしまう、彼らの心性の方だろう。
インターネットはそこでも、マスメディアには登場しない(登場することができない)
「真実」を語る場所として機能するのである。

ネットの集合性は、ときとして暴走する危険なものであり、
民主制とは相容れないものであるという見方が存在する一方で、
それが政治的な運動の原動力となる可能性を指摘する論者もいる。

かつて言祝がれたネットの民主的な環境が失われたのは、
ネット全体について考える公共的な態度が、ネットの大衆化により、
無責任で粗野な匿名の言説によって駆逐されたからだと言われてきた。
だが稲葉振一郎によれば、現在ではむしろ「2ちゃんねる」のような匿名の場所こそが、
公共的な討議を行う場所として機能し、ブログやSNSのような、ある程度、
人となりの分かる人びとによるコミュニケーションの場所こそが、
私的なおしゃべりで埋め尽くされているという。

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