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『メトロ誕生』

『メトロ誕生 地下鉄を拓いた早川徳次と五島慶太の攻防』
中村建治/著
交通新聞社

1927年(昭和2年)、浅草~上野間に日本で最初の地下鉄を開業した早川徳次。
1939年(昭和13年)、渋谷~新橋間に地下鉄を開通させた五島慶太。
新橋駅での相互乗り入れをめぐる2人の男の攻防を通して描く地下鉄史。

五島慶太の名前をきいて「五島プラネタリウム?」とピンときたのだが、
予想通り、東京急行電鉄、小田急電鉄、京浜急行電鉄、京王電鉄など、
“東急王国”を築いた人物で、五島プラネタリウムは彼の名前をとっている。
日本で2番目の地下鉄が、まだ郊外でしかなかった渋谷から出発しているのも、
五島が自分の鉄道駅を選んだからだ。
(五島は結婚したとき、途絶えていた相手の祖母方の姓を受け継ぎ、
小林姓から五島姓を名乗っている。五島プラネタリウムの名前も変わってたのかも)

早川徳次の名前はまったく知らなかったのだが、
ロンドンで地下鉄に感動し、資金を集め、東京市を説得して免許を獲得し、
大震災後に日本初の地下鉄を開業した、その努力は尊敬に値する。
地下鉄の車両を不燃のスチール製でつくり、
自動ドアや自動列車停止装置(ATS)、自動改札機を初めて導入。
地下街の元祖も彼が初めて取り入れた。

・地下を掘り進むのではなく、道路を上から掘りおこして、
後からふたをする“開削工法(オープンカット方式)”を採用。
浅草駅を出た直後に急カーブしたり、銀座駅から新橋駅に向かう直前で
不自然に急カーブしているのは、線路を道路沿いに建設したためである。
・三越が工事費を出して三越前駅を開設。
続いて上野広小路(松坂屋前)駅をつくったので、
上野駅と上野広小路駅は間隔がわずか500メートルしかない。
・高台にある青山六丁目駅(現・表参道)と、窪地にある渋谷駅を水平に結ぶために、
駅ビルの3階から地下鉄が発車する、現在の銀座線・渋谷駅が誕生。
などなど、現在の地下鉄がなぜこうなったのかという話がたくさんでてくる。

地下鉄が完成するまでになんども路線やコースを変更しているのだが、
ちょっとしたことで、その後の駅や町の発展が大きく変わったんだなと思ったり。
浅草や新橋などの駅が重要拠点となっているのも、今から見ると時代を感じる。

事実に基づいたフィクションなので、話はドラマチックに書かれていて、
おもしろく読めるのだが、早川徳次がなぜそこまで新橋駅にこだわったのか
など、よくわからない部分も多い。
(乗客の利点を考えれば、相互乗り入れの方がいいに決まってる。
渋谷~新橋~浅草ではなく、品川~新橋~浅草路線に
こだわらなければいけなかった時代的、経済的事情があったと思うのだが)
各鉄道会社が「『円内』(山手線の内側)乗り入れ」を
悲願としていた背景なんかも、もう少し説明が欲しいところ。
しかしながら、本書と『東京駅はこうして誕生した』を読むと、
日本の鉄道の成り立ちと、現在の鉄道の姿が出来ていく様子がよくわかる。
東京の地下鉄が迷路みたいに縦横に走り、山手線が環状を描き、
各駅からそれぞれ郊外へ鉄道が伸びているのも、
それぞれ歴史的な理由があり、その鉄道史が現在の東京を形成していったのだ。

現在、早川徳次の胸像は銀座の地下構内にある。
銀座にある胸像には気がついていたものの、
誰の像なのか確かめたこともなかった。
今度、ゆっくり見てこようと思う。

◆読書メモ

「日本初の地下鉄工事なので技術的にも多くの困難が予想されるので
やめるべきである、との声も確かにあった。
だが私は、困難だからこそ工事は請けなさいと指示した。
しかも外国人の知恵を借りず、日本人だけでやりなさい。
この工事ができないくらいなら皆腹を切りなさい、とも言っておいた」
(大倉組(現・大成建設)の大倉喜八郎)

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