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『もしもソクラテスに口説かれたら』

もしもソクラテスに口説かれたら―愛について・自己について (双書哲学塾)
『もしもソクラテスに口説かれたら 愛について・自己について』
土屋賢二/著
岩波書店

「わたしはあなたの顔も性格も嫌いですが、あなた自身を愛しています」
というソクラテスの口説き文句は正しいか?
プラトンの対話篇より『アルキビアデス』をテキストにして、
実際に行なったお茶の水大のゼミを基に
テキストに含まれている哲学的問題を検討する。

実際に行なわれた議論なので、語り口は非常にわかりやすい。
著者が冒頭で述べているように、女子大生たちの素朴な疑問に
幼稚な発言はひとつもなく、
「わたしの何を好きなのかよく分からない」
「ソクラテスにダマされたような気がする」
といった発言は、わりと核心をついている。
議論を通して、女子大生たちが、
「魂と身体をわけて考えることができるのか」
「わたし自身とは何か」
「魂とは何か」
「魂を愛することは可能なのか」
というように、いつの間にか哲学的にものを考えている。
日常会話のようでありながら、ここまで議論を引っ張っていく著者の手腕は見事。

最終的に、“ことば”だけで検証することの難しさや、
観察や実験によって解決できない問題を扱うのが哲学である、
といった理解が自然に導かれており、哲学入門としておもしろい。


『昭和 平成 ニッポン性風俗史』

昭和平成ニッポン性風俗史―売買春の60年
『昭和 平成 ニッポン性風俗史 売買春の60年』
白川充/著
展望社

RAAに始まり、パンパン、赤線、売春防止法、
トルコ風呂、デートクラブ、愛人バンク、ソープランド、テレクラ、
じゃぱゆき、買春ツアー、援交、出会い系サイトまで、
性風俗の変遷を追った戦後史。

特殊慰安施設協会、のちのRAA(Recreation & Amusement Association)は、
政府によって組織された。設立は8月23日。
日本が無条件降伏をして真っ先に考えたのが、進駐軍用「性の慰安所」であり、
ヒロシマを原点とする著者は、広島長崎の惨劇から
10日前後しか経っていない時点で、「国策売買春」が企画されたことを嘆く。

アメリカ兵によって一般の婦女子がレイプされることを恐れたための、
慰安施設だが、公娼制度残っていたとはいえ、戦後の日本に娼婦は数少なく、
RAAは「公募」方式をとる。
「新日本女性に告ぐ 敗戦処理の国家的緊急施設の一端として、
進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む
女事務員募集 年齢18歳以上25歳まで、宿舎、被服、食料全部当方支給」

この後の経緯がいまひとつ納得いかないのだが、
性病の増加にともない、昭和21年、RAA性慰安所は閉鎖、
公娼制度が廃止され、結果、街娼が増加する。
敗戦時には素人だった女性たちが、外国人相手のパンパンとなる。
そして、警察監視下の集娼地区「赤線地帯」が誕生。
特殊飲食店の指定をとらず女性を置いた飲食店が青線、
旅館などでひそかに売春させたのが白線(パイセン)。

パンパンは風紀を乱すとして嫌われる一方、
地方経済を支える手段として、町の有力者の中には歓迎するものいた。
ここらへんから、道徳よりも金、という傾向が生まれてくる。

買春防止法のくだりについては、法律論議の話ばかりで、
多少飽きるし、成立過程がわかりにくいのは残念。
ただ、赤線地帯のほとんどが、買春防止法の後も、
性風俗地域として今も生き残っている過程は納得。

その後、朝鮮戦争やベトナム戦争など他国の戦争の特需によって、
日本は復興する。繁栄のなかで、トルコ風呂や買春ツアーが登場するのだが、
著者は日本人がモラルを失った原点を戦後のRAAやパンパンに見ている。
(ちなみに、この本では、必要性をもって使用されているが、
“パンパン”も“トルコ風呂”も今では差別用語である。)
著者の原点はヒロシマなので、アメリカに対する憎しみも感じられ、
その意見には異論もあると思うが、生きていくためにパンパンとなった女性たちと、
お小遣い稼ぎに援交する女子高生たちは、対極にあるのではなく、
戦後史の中で、一本の線でつながっている、という気はする。

「アメリカ主導の民主国家、経済大国づくりで、
日本人はモラルを失った。」

「戦後の日本はアメリカの指示するまま、急激にあらゆるものを変えすぎた。
そのとき残してしまった、あるいは捨ててしまったものがある。
日本人らしさ、国民性。わたしのきらいな表現だが、愛国心。
それらを忘れてアナーキーになったわれわれの特徴が、
性風俗によくあらわれている。」


◆読書メモ

昭和21年、初の女性議員39名が出た。女性議員のうちのひとりについて、
元売春婦だった、と日本人がGHQに密告したという。
マッカーサーはその女性が何票得たか、とたずね20万票と知ると、
それだけの数、男を満足させたのなら当選の資格がある、
とユーモラスにいった。(「マッカーサーの日本」)

「夜になると、新宿伊勢丹から花園神社の辺りまで明治通りの暗闇に
女が並んで立つ。有楽町、日劇付近に立つのは進駐軍相手の洋パンと
呼ばれる街娼で、新宿は日本人相手だ」と記す。
日劇こと日本劇場の跡地がいまのマリオンである。

なじみになった特定の兵士に囲われる者が“オンリー”、
派手な身なりで日本人を見下していた洋パンにはオンリーが多い。
蝶のように男から男へと渡り歩くタイプを“バタフライ”、
街娼タイプを“フリー”と称した。

村の小学校5、6年生に兵士とパンパンの印象を尋ねた調査がある。
兵士については,(1)りっぱな人(2)子供をかわいがる人(3)親切な人
(4)女の人をかわいがる人(5)日本を守ってくれる人
(6)女の人をおいかけてばかりいる人、の順。
また、パンパンへは、(1)かわいそうな人(2)人間だけれども人間でない人
(3)ここから早くいなくなる方がいい(4)金をとるためだからよいこと
(5)やっていることは悪いこと(「基地の日本」)。

基地のパンパン問題は、朝鮮半島を機に様相を変える。
戦争が始まった頃の在日米軍は兵士12万5000人ほどだった。
本国やアジア地域から大量の応援部隊が朝鮮半島に集まり、
約35万人の軍人が参戦したという。兵士は北朝鮮、中共の連合軍と
苛烈な戦闘を重ね、運良く生き延びられれば5日間の休息をもらえる。
休息の場所は殆どが在日米軍キャンプだった。

ヌードスタジオは赤線廃止ののちに増加した性風俗だ。
500円ないし千円の料金で、客は画用紙とエンピツを渡される。
カメラを貸す場合もある。

『エレクトリックな科学革命』

エレクトリックな科学革命―いかにして電気が見出され、現代を拓いたか
『エレクトリックな科学革命 いかにして電気が見出され、現代を拓いたか』
デイヴィッド・ボダニス/著
早川書房

電信に始まり、ベルの発明した電話、エジソンによる電球から、
無線、レーダー、コンピューター、さらには脳の中の伝達物質まで、
電気と電子をめぐる人物を中心とした歴史物語。

本当の意味で電信を発明したのはジョセフ・ヘンリーで、
モールスは抜け目なく特許を横取りしたとか、
グレアム・ベルは聴覚障害を持つメイベルと結婚するために、
電話を発明したとか、エジソンはベルの電話を模倣したが、
電球を発明し、発電所、スイッチなどの多数の開発に追われると、
他人の特許を真似ることはなくなり、真の発明王となったなど、
おもしろい人物エピソードが満載。

「彼(ベル)を駆り立てたのは、貪欲さでもなければ、権力への意志でもなかった。
彼がこの発明を成し遂げたのは、彼が恋をしていたからである。」
(ベルは聴覚障害者に話し方を教える教師であり、
彼の祖父は発声法の専門家で、ヘンリー・ヒギンズ教授のモデルだった。
彼は発声の技術を応用し、声を電信で伝えることに成功し、電話を発明した。)

ファラデーが構想した“力場”を、何年も後になってから証明することになる
海底の大西洋ケーブルの敷設や、イギリスとドイツのレーダー戦争の話は、
臨場感あふれるノンフィクションだ。

「1866年に敷設を試みたものの失敗に終わった大西洋ケーブルは、
そのまま放置されており、今もなお海底に横たわっている。」

なかでも、コンピューターの原形を構想しながら、同性愛を非難され、
青酸カリ入りのリンゴをかじって自殺したチューリングの話は特に心に残る。

人物伝の一方で、目に見えない電気の仕組みや電磁場について、
数式をまったく使わず、わかりやすく解説。
電信によって、情報が瞬時に伝わるようになり、時間の意味が変わった、
夜のあまった発電能力の利用法として遊園地がつくられ、
若者の交流方法が変わった、といった調子で、
電気による発明がいかに社会を大きく変えたかが綴られている。
読み終わったときには、現在の私たちの生活が奇蹟のように感じられ、
宇宙から飛んできて空間に満ちている電子が見えるような気になる。

◆読書メモ

エジソンをはじめ大勢の技術者がやったように、これと同じ原理で
もっと大型の装置を作れば、回転する金属棒は、一トンを超える重量の
エレベータでさえも、高層ビルの昇降路のなかをまっすぐに持ち上げられる
力を発揮するだろう。
これは、高層ビルにとっては極めて大きな意義があった。
強靭な金属製の梁も当然必要だったが、利用者が数十階ぶんもの階段を
足で登らねばならないのならば、そんなものを建てようという意欲など沸くはずがない。

彼(マイケル・ファラデー)は、「わたしたちが読まねばならない自然の書物は、
神の手によって書かれている」と記したことがある。

あるとき、若く聡明な女性が、ファラデーの電気に関する発見が
彼女自身の研究に対して大きな意味を持つかもしれないと、深い関心を抱いた。
この女性は、英国詩人、故バイロン卿の娘で、
ラブレス伯爵夫人エイダそのひとであり、彼女は、今で言う
コンピュータ・プログラミングの先駆的な研究を行なっていた。
当時の技術では、彼女が思い描いたものを完全に構築することは
とてもできなかったが、もしもファラデーが彼女と協力したなら、
どんなアイデアを思いついていたかは誰にもわからない。
彼もエイダにとても強く惹かれたようだが、
自分の結婚生活を守るためであろう、まもなく彼は身を引いた。

すべてのプロパガンダは、国民に訴えかけるものでなければならず、
その知的水準は、語りかける相手のうち、最も劣った者の受容能力に
合わせねばならない。より多くの人間に届けたいのなら、知的水準を
より低く設定しなければならないだろう……。どんなに恥知らずなほら話をしようが、
その一部は必ず相手の心に残るであろう。
(アドルフ・ヒトラー『わが闘争』より)

チューリングは少年時代、あたりを飛びまわっている何匹もの蜜蜂の
飛行方向をベクトルで表して地図に描き込み、その交点を求めて、
その位置に蜂の巣を見つけた。

地球の表面のほとんどがシリコンでできており、
エベレスト山の主成分もシリコンである。

趣味でSF小説を書いており、文学的センス溢れる、
ジョン・ピアーズというベル研の技術者が、
レジスタンス(抵抗)をトランスファー(変化)するという点に注目して、
トランジスタと名づけた。

ベル研を離れたウィリアム・ショックレーは、サンフランシスコ南部の、
アプリコットの林が散在する平地に新会社を創立し、
彼の名声に引かれて優秀な若い研究者が集まった。
ショックレーのもとを離れてからも、彼らは近くに自分たちの会社を作った。
「集積回路」の発明者のひとりであるロバート・ノイス、
インテルを創立したゴードン・ムーアも、彼の元を去った。
カリフォルニアのアプリコット林には、新しい名前が付けられた。
「シリコンバレー」の誕生である。

彼女(グレース・マレー・ホッパー)は、女子バスケットボール観戦を
長年の趣味としており、特に、「前方へのパス」というものが
どうして可能なのか、観察する機会が幾度もあった。
ボールを投げる選手は、それを受け取ってくれるはずのチームメイトが
どの位置に来るかを前もって予測し、そのチームメイトがその位置に
実際に到達する前に、ボールをなげているのである。
晩年ホッパーは、世界初のコンパイラを開発していた当時、
コンピュータが実際にスイッチを切り替える作業を行なう少し前に
その指示を送信する(送信された指示は、しばらく待機することになる)
というコンパイラの仕事をはっきりと把握するのに、
このバスケットボール選手のイメージをよく使ったという話をするのを特に好んだ。

人間のキーボード操作など、いかに手馴れて速かろうか、
電子から見ればぎこちなく、かったるいほど遅く、
そのあいだ電子にはたっぷり時間がある
(普通のノートパソコンのすべてのキーは、毎秒何十回となく
チェックされており、その都度電子が、「たたいていない、たたいていない」
という報告を、コンピュータの中央処理装置に送りつづけている。)

エジソンは1931年に亡くなったが、当時のフーヴァー大統領は、
エジソンの葬儀が行なわれる日の午後10時に、全米で灯りを消すよう呼びかけた。

レーダー技術を開発したロバート・ワトソン・ワットは、
1950年代のはじめ、スピード違反で交通巡査に捕まった。
そのとき警察は、レーダーを応用したスピードガンで交通取締りをしていた。

誰かに電話をかけるときに聞こえる呼出音は、
わたしたちが電話している相手の電話機から発生しているのではない。
これは、電話の発信者が相手の電話を聞いているという印象を得られるよう、
中央の電話交換局が発信者に送っている信号である。
電話の中央交換局が始まったころからの、歴史あるトリックだ。

(ドイツが使用した)ヴェルツブルグ・レーダーの波長はわずか10インチの
極超短波であったが、波長3インチの電磁波はマイクロ波と呼ばれており、
これを利用したのが、マイクロウェイブ・オーブン、電子レンジである。
電子レンジの基本原理はレーダー発信機と同じである。

トランジスタが従う論理スイッチングは、19世紀中葉に、
存在しうるあらゆる論理的な言説をすべて記号化しようとした
イギリスの数学者、ジョージ・ブールの研究を応用したものである。
正しい言説が2つあるとき、その2つをつなげても、その結果生じる言説は
やはり正しいが、これを彼はT+T=Tという方程式で表した。
正しい言説ひとつと、間違った言説ひとつをつなげると、
その結果生じる言説は間違っているが、これはT+F=Fという方程式で表した。
こんな、ほとんど自明なことをわざわざ大仰に表現するなんて、
奇妙なことだと思えるが、「正しい」を「1」で、「間違っている」を「0」で表すと、
さきほどの方程式は、それぞれ1+1=1と1+0=0となる。
これはまさに、2進コードである。

1947年のある日、ハーバード大学で開発中だったコンピュータの回路に
蛾が入り込んでショートを起こしているのを見つけて、
ホッパーは、蛾の死骸をていねいに取って、作業日誌に貼りつけ、
「実際に発見されたバグの最初の例」と書き添えた。

『フラット革命』

フラット革命
『フラット革命』
佐々木俊尚/著
講談社

佐々木さんの新刊。
「ネットではすべての情報が“フラット”になっていく、
玉石混淆のウェブから、どうやって玉を取り出すか」という話は、
これまでも何度かしており、今までの著書は
「玉を取り出すシステム=検索エンジン=グーグル、そしてその次は?」
という話が主なテーマだったが、今回は“フラット化”の方がテーマ。

ネットでは匿名ユーザーのブログの投稿も、新聞記事も対等と見なされる。
「誰が書いたのか」ではなく、「何が書いてあるのか」が重要。
匿名言論の出現、取材の可視化、ブログ論壇の出現により、
マスメディアは急速にその力を失おうとしている。
かつて「われわれ」と書くとき、マスメディアは社会全体を代表していた。
しかし、今、テレビや新聞といったマスメディアは世論を代表していない。
むしろネット世論はマスメディアのアンチテーゼとして対立している。

同時に、会社を中心とした共同体に守られていた“戦後社会”が崩壊する。
帰属する場所をなくした人々は漂流し、社会との絆を失う。
(かつてはマスメディアやコミュニティを経由して世界を認識していた。)
新しい枠組みとして現われたのがインターネットの世界だ。
インターネットでは、個人と個人が、検索エンジンによって、
ソーシャルネットワークによって、セレンディピティによって結びつき、
新たな人間関係が生まれてくる。

正直なところ、ここらへんの話は私にはピンとこなかった。
戦後社会の崩壊とネット世界の台頭が同時に起こったという話は
おもしろいのだが、そこで例としてでてくる瑞穂さんの物語や、
三島由紀夫『鏡子の家』の引用はセンチメンタルすぎないか?
セレンディピティという考えも納得しにくい。
mixiでの人間関係を語る2人の口調はまるで村上春樹だ。

「インターネットが現実の社会基盤として完成されたとき、
人間関係のすべてがインターネットに転写され、
すべてを可視化したソーシャルネットワークが社会の中に出現する」
と著者は言う。つまり、現在のmixiでもすでに起こっていることだが、
自分の中学生時代の友達と、会社の同僚が“マイミク”としてつながる。
まだmixiのシステムは弱いが、ソーシャルネットワークが完成すると、
リアルな人間関係とネット上の人間関係は完全にイコールになるのだ。
この未来予想図にはぞっとした。
パソコン通信時代には、オンラインの人間関係と、オフラインの人間関係は
完全に別のコミュニティだった。
(私は当時務めていた会社がつまらなかったので、パソコン通信を始めた。)
しかし、今では、ネット上の人間関係と、リアルの人間関係はそう大きく違わない。
小学生からネットの世界に生きている子供たちが大人になるころには、
小学生から社会人までの友人が“マイミク”として、相互につながりだすだろう。
それははたして素敵なことなのか?

と、ここまでの話はある程度、予想の範囲内で、
納得できないところもあるけど、この人の本はあいかわらずおもしろい
と思って読んでいたのだが、一番おもしろいのは、最後の第4章だった。

「マスメディアが世論を代表しなくなった今、
いったい誰が“公共性”を保証するのか?」
この問いに対して、著者は理想論として
「富やパワーがインターネットやフラット化によって世界に分散していったのと同時に、
公共性もわれわれ人類、人々のあいだにどんどん分散していって、
ひとりひとりが担うようになるのでは」と答えている。
そして、著者自身が経験した“ことのは事件”を通して、
「公共性はどうあるべきか」という困難なテーマを深く考えている。
“ことのは事件”については、「もめているらしい」ということは知っていたが、
詳しい経緯や炎上した論争についてはまったく知らなかった。
「元オウム真理教信者にだって発言する権利はあるんじゃないの?」程度に
とらえていたのだが、著者自身が激しく批判された、ことのは事件について
本書が描く物語は、一流のノンフィクションになっている。

大論争を経験して著者は書く。
「一連の情報のやりとりの過程そのものが、
社会を構成する<わたし>たち全員の前に、可視化されているということ。
そのやりとりに<わたし>のだれもが参加し、評価し、非難し、批判し、
分析できるような仕組みがオープンなかたちで提示されていること。
そこにマスメディアや政府、大企業などの中央のコントロールが存在しないこと。
そうしたこと自体がそのまま、実は<わたし>たちの集合体全体の
<公>となっているのである。」
「それがいまやインターネット社会がつくりだしつつある世界なのだ。」
「一般の人々から批判され、自分の言論をまな板の上に乗せる覚悟を
持てない言論人は、もう消えていくしかないのだ。
自分への批判を、決して恐れてはならない。」
「そうやって向き合っていく無数の言論の総体こそが、
マスメディアを変えうるパワーとなっていく。」
「批判、それに対する反論、そして再反論、そうした議論のすべてが
可視化されていくことこそが、新たな公共性を生み出していくのだ。」

ここにきて本書は佐々木さんの決意表明となる。
佐々木さんが直接、本を送ったらしい、著名ブロガーたちから、
本書は圧倒的な支持を受けており、「著者の最高傑作」と言われている。
彼らもまたその決意に共鳴したのだ。
しかし、一般の感覚からすると、“ことのは事件”なんてネット上の論争は
まったく知られていないだろうし、「誰が公共性を担うのか」という問いに
重要性を感じない人々もいっぱいいるだろう。
一般ブロガーである私も、「そんな怖い世界、嫌だな」というのが本音。
それでも、ネットはこのままリアル世界を飲み込んで、大きく変えていくだろうし、
大なり小なり、著者の決意が必要になってくるのだろう。
未来はまだ見えないけれど、とりあえず今、読んでおくべき本。

◆読書メモ

「新聞記者のように取材スキルを持ち、
その情報ソースに触れる手だてを持っていなければ、
その情報が真正であるかどうかを見極めるというのは根源的に困難だ。」

取材の可視化の例として、著者は『ロード・オブ・ザ・リング』の字幕騒動に
ついての取材を上げている。著者は抗議運動を行なっているメンバーに
取材を申し込み、メールのやり取りはネットで公開された。
『ロード・オブ・ザ・リング』の字幕抗議運動は、
初期の段階からネットを舞台としている。メンバーたちは、少しずつ手分けして、
映画館で、字幕を書き取り、原文と照らし合わせて検証した。
抗議の方法や配給会社の対応、監督への英文手紙の作成も、
掲示板を使って行なわれ、その経過の多くは公開されている。
佐々木さんとのメールのやり取りは、今も読むことができる。

「インターネットの世界では、この余計な行為こそが実は最も重要なのだ。
私と取材相手の女性がメールで質問と回答を投げあい、そしてそのやりとりが
インターネットのウェブ掲示板で公開される。公開されたやりとりを読んで、
さまざまな人々が感想を書く。さらにはその後、私が週刊誌に書いた記事を読んで、
やはり掲示板上でさまざまな感想や批判、指摘などが寄せられ、
それらの相乗効果が、新たな言論空間を生み出していく。」

『宇宙開発の50年 スプートニクからはやぶさまで』

宇宙開発の50年 スプートニクからはやぶさまで (朝日選書 828) (朝日選書 828)
『宇宙開発の50年 スプートニクからはやぶさまで』
武部俊一/著
朝日新聞社

1957年に打ち上げられたスプートニクから、
2007年に小惑星イトカワを観測したはやぶさまで、
人工衛星や探査機にスポットをあてた宇宙開発50年史。

最初の犠牲となったライカ犬の話など、興味深い話題が満載。
著者は元々、朝日新聞の論説委員なので、技術的な話よりも、
読み物としておもしろく書かれている。
(現場で取材した朝日新聞記者の話や、新聞に掲載された人々の声も
掲載されていて、当時の雰囲気を伝えている。)

宇宙開発50年史を振り返ってみると、それがいかに
米ソ競争の歴史だったのかがよくわかる。
現在の通信衛星や気象衛星、惑星探査の技術は
軍事と科学の狭間から誕生したのだ。
(月着陸と冷戦終結により、宇宙開発は失速していく)

現在も続けられている国際宇宙ステーションも、元はと言えば、
ソ連の宇宙基地ミールに対抗するためのものだった。
競争相手のいなくなった今、建設はゆっくりと進んでいる。
(ロシアもこのプロジェクトに参加している)
日本は共通システム運用経費の12.8%を負担、
日本の搭乗権も12.8%で、6人のうち3人はロシア枠、
日本人飛行士は2、3年に1回、出番が回ってくる。
(若田飛行士や野口飛行士が搭乗したのは、彼らが優秀だったから
だけでなく、搭乗権があったんですねー。びっくり)

本を読んで驚いたのは、かなり多くの人工衛星が
打ち上げに失敗していることだ。(宇宙飛行士の死亡は
ソ連のソユーズで4名、スペースシャトルで14名)
そして、人工衛星って、ずっと地球を回っているものかと思ったら、
使命が終わると、大気圏に突入させてるんですね。
そのほか、衛星を加速させるために惑星の引力を利用する
“スイングバイ”方式とか、知らなかったこともいっぱい。

個人的にはリアルタイムで記憶している
パイオニアやヴォイジャーの話が特におもしろかった。
私が子供のころもっていた『宇宙のひみつ』という本には
パイオニアが運ぶ異星人への手紙が大きく載っていたけど、
この銘板は、男女のヌード像が物議をかもしたそうだ。
(「発案者のカール・セーガンは「地球外よりも
内に向けたメッセージとしての意義の方が大きかった」と語っていた。)

1972年に地球を出発したパイオニアは、
2002年、30周年を祝って送られた電波の合図に、
22時間10分後に返信している。
電波でも片道11時間以上かかる120億キロのかなたを飛んでいた。
2006年には電源が尽きたのか、返信はなかった。
今ごろは地球から140億キロほどかなたを飛んでいる。
1977年に打ち上げられたヴォイジャー1号、2号は、
木星、土星、天王星、海王星を経て、1号は2004年、
2号は2006年、太陽風の境を越えて飛び続けている。


◆読書メモ

1957年11月、スプートニク2号に乗ったライカ犬は、
(犬種ではなく、ロシア原産サモエド系の雌イヌ)
モスクワ郊外の道で拾われ、宇宙犬に育てられた。
初めから片道切符で、衛星が大気圏に突入して炎上する前に
安楽死させる予定だったが、打ち上げから数時間後、
キャビン内の過熱やストレスで死んでしまった。

1963年ヴォストーク6号に乗り、「私はカモメ」で有名になった
初の女性宇宙飛行士テレシコヴァだが、
(「ヤーチャイカ」(こちらカモメ)とは無線のコールサインだった)
ひどい宇宙酔いに見舞われ、パニックに陥って、地上とひと悶着起こした。
交信もしばらく途絶え、予定された作業も一部中止された。
(5ヵ月後に引退した彼女は、飛行士と結婚している)

東京五輪の国際中継のため静止通信衛星シンコム3号が
打ち上げられたのは、開幕の2ヵ月前、1964年8月19日だった。

アポロ11号の4ヵ月後、1969年11月19日に月に着陸した
アポロ12号のチャールズ・コンラッド船長の第一声は
「ニール(アームストロング)にとっては小さな一歩だったが、
私にとっては大きな一歩だ」

文化大革命中の中国が1970年4月24日、打ち上げた
第一号衛星は、技術実験や科学観測よりも、
政治的なデモンストレーションを使命とし、毛沢東主席を讃える歌
「東方紅」のメロディーを20メガサイクルの電波で送信しながら地球を巡った。

『どうして会社に行くのが嫌なのか』

どうして会社に行くのが嫌なのか (アスキー新書 26) (アスキー新書 26)
『どうして会社に行くのが嫌なのか』
大美賀直子/著
アスキー

職場の人間関係や長時間残業、仕事のプレッシャーなど、
「会社が嫌で嫌でたまらない」原因をひとつひとつあげ、
自分の中にストレスをためこまないための解決策を提案してくれる本。

知り合いがつくったから言うわけではなく、良い本だと思います。
正直、この手の本ってPHP的な「考え方を変えるだけで気持ちが楽になる!」
みたいになりがちなので、多少、疑ってかかっていたのですが、
「月曜朝一の会議がブルーマンデーを加速させる」、
「月曜はウォーミングアップの日と考え、無理をしすぎない」など、
非常に具体的かつ適切なアドバイスは参考になります。

私は比較的、人間関係ののんびりした会社で、
言いたいことも言わせてもらっているので、かなり楽なほうだと思いますが、
「ランチタイムの憂鬱」とか「社内の飲み会」とか、前の会社では苦痛だったなー。
嫌なことがあった場合、私はゆっくりお風呂に入るとか、
音楽を聴く(この場合穏やかな音楽より攻撃的な方が向いている)とか
眠って忘れちゃうようにしてます。(この本によると「退行的反応」だそうだ。)
最近だと、非常に傷つく怒り方をされたことがあって、
1週間くらい、イライラしてたんですが、(たいてい一晩たてば忘れるので、
私にしてはかなり長いことストレスをかかえていたことになる)
この本が提案するように「キレずに怒りを伝える」とか
「“アサーション”的対話をする」って必要だなと思いました。

もちろん、読んだからってすぐに実行できるわけじゃないんだけど、
ストレスを解消する方法を知っておくのは大切なこと。
実際に、小さな(本人にとっては大きな)ストレスをためこんで、
心を病んだり、仕事を続けられなくなったりした例も見てきたので、
「心がストレスを感じてる」と自分でわかるうちに解決したほうがいい。

自分的には「すべてを自分一人で完璧にやり続けるのは無理」、
「2割の仕事に勝負をかけて全力で挑む」という言葉がツボでした。
(いや、そんなに私、熱心に仕事してないけどさ)
最近、流行っている“朝時間”も、よけい体に負担がかかるんじゃないか
と思っていたけど、「超早寝早起き」は悪くないかもと思いました。

会社がストレスになっている人(なってない人なんていないか)にオススメ。

無線LANルーター故障

何ヵ月か前に、無線LANが突然つながらなくなった。
それまでも時々、ネットが切れることがあったけど、
電源を入れ直すとつながる。設定は変更していないので
電源をパチパチやってたせいで、調子が悪くなったのかなーと
再設定してみたり、ルーターを初期化してみたけれど、つながらない。
しばらくほおっておいて、有線でつないでいたんだけど、
いい加減、不便なので、連休中にきちんと直すことに。
同じようなトラブルに合う人もいるかも、なので書いておいてみる。

トラブルにぶつかるところははっきりしていて、
無線LANルーターの管理画面にアクセスできない。
これは、IPアドレスが「169.254.x.x」と変なアドレスになっているせいで、
いわゆる「IPアドレスが取得できていない」状態。
買ったばかりの最初の設定でも、同じ現象が起こっており、
そのときは暗号キーを入力し間違えていたせいだった。
(暗号キーをいったん、すべてはずしたり、0000で試してみたら
ちゃんと取得できた。)

今回も同じ原因かと思ったのだが、
ルーターとPCを有線で接続して、「IPアドレスを自動で取得する」ではなく、
手動設定してみても、管理画面にはアクセスできない。
手動設定のやりかたは、こことかこことか参照。
TCP/IPの再インストールとかもやってみた。ここ参照。
ここにきてやっと「設定じゃなくて、ハードの問題なんじゃないの」と気づく。
(ネットワークの場合、つながらなくても、ハードじゃなくて、
設定が悪いんじゃないかと思っちゃうんだよね)

そもそもルーターを初期化したときに、「赤いランプが点滅する」と
マニュアルには書いてあるのに、オレンジのランプがずっとついたままで、
ちゃんと初期化できてるのかなーと思っていたのだ。
メーカーのサポートページを見ると、
「POWERランプが緑色で、PPPランプが橙色なら正常です」と書いてある。
ということは、橙色のランプが点きっぱなしなのは正常ではないらしい。
「機種名+橙色」でググったら、
該当機種に「全機能が停止する不具合」という記事が引っかかった。
記事のリンクからメーカーの「サポート技術情報」を見ると、
トラブル状況といい、機種といいビンゴ。
メーカーのサイトに製品番号とシリアル番号を入力すると、
「該当製品なので、お取替えします」と表示され、そのまま交換手続きができました。
こんなこともあるんだねー。

この「サポート技術情報」、メーカーのサイトから探そうとすると、非常にわかりにくい。
該当機種のサポートページはさっきから見ていたのに、まったく見つからなかった。
メーカーより、ユーザーの記事が役に立つのは今に始まったことじゃないけど、
交換が必要なハードの不具合までわかりにくいってのはどうなの?

追記:
1週間たたないうちに交換品が送られてきました。
しかし、同封されていた「交換品の送付と再設定のお願い」という紙には、
「不具合により、お客様に多大なご迷惑をお掛けしましたこと深くお詫び申し上げます。
お申し込みいただきました交換品をお送りいたします。」
「ご返却の梱包袋と必要事項が記入済みの着払い伝票を
同封させていただいております。ご返却の際は、梱包袋に不具合品本体と
スタンド・ACアダプタを梱包していただき、お近くのヤマト運輸営業所、
もしくはヤマト運輸取り扱いのコンビニエンスストアへの持ち込みをお願いいたします。」
「今回お送りしました機器の保証書を同封しておりますので大切に保管してください。」
と書かれていたんだけど、この「悪かったな、フン」って感じの文面はどうなの?
同封されていた保証書は3ヵ月だったし、再設定や返却だって結構面倒なんですけど。

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文字だけだと味気ないので空の写真。9月12日撮影。雨上がりで空が綺麗でした。

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『1冊まるごと佐藤可士和。』に、「『MACPOWER』の表紙を、瀧本幹也やレイク・タホの
抜けのいい写真にした」と書いてあって、“抜けのいい写真とは”を考え中。

1冊まるごと佐藤可士和。

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写真としては嫌いじゃないけど、雑誌の訴求力としてはどうだったんだろう。

『ふしぎの海のナディア』

ふしぎの海のナディア DVD-BOXII

Yahoo!で配信していたので、いまさらナディアを見たよ。
しかし、“お勉強”だと思って見ているせいもあり、
最初の5話くらい見たあたりでも全然おもしろくない。
あれだけ人気のある作品なのだから
何かあるだろうと思うのだが、やっぱりおもしろくない。
第一にヒロインのナディアにまったく魅力がなく、
私にはただのわがまま娘にしか見えない。
わがままでも魅力的なキャラクターっているもんだけど。

それでも、第13回『走れ!マリー』とか、第21回『さよなら…ノーチラス号』とか、
10回に1回くらい、「おっ」という回がある。
やっぱり全39回って長すぎるんじゃないの?
「今回はおまけ」みたいな回が多いよなーと思いながら見続けていたのだが、
島編に入ったとたん、そんな考えが甘すぎたことを思い知る。

「島編は飛ばしてOK」とか「最終回前のタラタラが辛い」とは聞いていたのだが、
話も絵もメチャクチャ。いやー、よくこんなもんNHKで全国放送したなー。
しかもこの島編、10話以上ある。
当時、リアルタイムで見ていた妹はここらへんで見るのを辞めたらしいが、
そりゃそうだろう、週1回の放映なら、3ヵ月近く、話がまったく進まないんだから。
後半になってくると、メチャクチャな世界にだいぶ慣れたせいか、
わりと楽しんで見られるようになるのだが、そこでとどめのように
第34回『いとしのナディア』があったりするわけで。

最後の5回は突然、絵も話もテンション全開なので、
さすがにおもしろいのだが、よく考えると、
N-ノーチラス号の戦い方も、話の展開の仕方もずいぶん強引で、
最後には無理やりレッドノアに突っ込んでるだけじゃん。
ネオ皇帝なんて、前の方で伏線はっておけば、もっとおもしろい話になったのに。

結局、私的には、島編と最後5回のギャップを含めて、
「ナディアはおもしろい」と言っている人が多いのかな、と。
(会社の人に聞いたら、Iくんは「傑作ですが、何か」、
Yさんは「サントラ全部もってます」だそうだ。
「最後だけすごい」、「長すぎる」、「ナディアのどこがいいのかわからない」
という意見もありましたが。)

以下、印象に残った回。

第13回 『走れ!マリー』
絵コンテ:摩砂雪、演出:もりたけし、作画:柳田義明
それまでと明らかに違う演出なのだが、
それが誰の力によるものなのか私にはわからない。
歯を磨いたり、体操したり、同じ場面を使いまわしているわりには
きちんと話をひっぱっている。
かと思えば、マリーとキングが遊んでいる場面の絵は最高に良い。
私は『ナディア』で好きなキャラクターを選べといわれれば、
1位、ガーゴイル、2位、サンソンで、
マリーとサンソンの仲の良さはこの回の話だけで説明されているんだが、
まあ、それがちゃんと納得できるんだよね。
マリーも最初、媚を売る幼児キャラって感じで、まったくかわいくなかったんだけど、
島編においては、マリーとサンソンが救いでした。
(サンソンはメチャクチャな話を引っ張っていきやすいキャラクターなんでしょう。)

第21回 『さよなら…ノーチラス号』
絵コンテ:樋口真嗣、演出:高山文彦、作画:貞本義行
ノーチラス号が宙に浮いている場面で、海に同心円の渦ができるとことか、
潜水艦の描写はさすが。

第27回 『魔女のいる島』
絵コンテ:浦野寛徳、演出:宇田忠順、作画:金世昌
島編の中でも、この回と、第28回『流され島』の作画はひどい。
同人アニメみたいだ。このへんの事情はwikiによると、
最後の回にリソースを集中するため、作画を外部に発注したため、
らしいが、そもそも作画って外部に発注するものなの?

第34回 『いとしのナディア』
絵コンテ:いぬまくら、演出:宇田忠順、岡本悲八、作画:金世昌、空母そ・そ・そ・そ
あまりの作画のひどさに耐えかねて、全編作りなおしたという、いわくつきの回。
ミュージカル調といえば、聞こえはいいが、今までのフィルムを音楽で無理やり、
つなぎあわせた名場面ダイジェスト。(このつなぎがなかなかうまい。)
元の話がどんな話だったか知らないが、おかげで、第35回は唐突にタルテソスに着く。

しかし、ガイナックスって、こんな作り方ばかりしていて、よく許されるな。
(『ナディア』だけじゃなくて、『エヴァ』も『カレカノ』も、
制作現場の綱渡り感が作品に反映されていた)
それとも、ファンはこのスリルも含めて、楽しんでるのかしら。
新劇場版『エヴァ』も、ちゃんと完成するのか怪しいもんだ。

『賢者のデジタル』

賢者のデジタル
『賢者のデジタル』
山根一眞/著
マガジンハウス

1997年から日本経済新聞に連載されている「デジタルスパイス」を書籍化。
500回を超える連載コラムから、「今でも読むに値するもの」を抜粋し、
2007年現在のコメントも追加されている。

元になった連載コラムを読んだことがなく、
朝日新聞の家庭欄のパソコン記事程度のものを予想していたのだが、
デジタル機器を自ら買って使ってる人の文章らしく、非常におもしろかった。

150万画素のデジカメ(1998年)や、18GBのハードディスク(2000年)に
喜んでいる自分の姿を、2007年のコメントでは「かわいそう」と言ってみたり、
20年前に20MB、20万円で買ったハードディスクも今は200GB、
20年前なら20億円になると換算してみたり、
1994年には、セネガルの砂漠の村でたったひとつしかない電話を借りて、
フランスに国際電話をかけ、パリのTYMNET経由でニフティサーブにアクセスし、
原稿を送った思い出が語られていたり、
10年間のコラムと、2007年のコメントによって、技術の進歩がわかる。

その一方で、2000年のコラムで紹介されている、
転勤妻のためのホームページが中断を経て、今も残っていたり、
植物の葉を拡大スキャンする自由研究や
ICレコーダーを利用したカセットテープからのMP3変換方法など、
今でも役に立つテクも掲載されている。

また、ネットの設定用語(POP、DNSサーバーなど)の名称が
統一されていないので、わかりにくいとか、
大きなAC電源がほかのプラグの差込口をふさいでしまったり、
どの機器の電源なのかわからなくなってしまう、
といった著者の要望が長年経ってもまったく解決していなかったり。

すごい勢いで変わっていくものがある一方で、
いつまで経っても残るもの、変わらないものが
デジタルの世界にもあるんだと実感。

著者が特に嘆いているのが、記録メディアについて。
5インチフロッピーや8ミリビデオ、LDなどは、
ハードの生産中止とともに再生方法がなくなってしまった。
CD-Rにカビのようなものが腐食し、データが読み出せなくなった経験も
書かれている。デジタルは決して永遠ではなく、
私達は日々そんなものに貴重なデータを記録しているのだ。

デジタル機器を楽しんで使い倒している著者の姿勢はとても参考になった。
「「なぜアマゾンまで行ってメールする必要があるのか?」
と質問されたことがある。その答えは簡単。
「メールができるからアマゾンに行くことができる」」
という文にはモバイラーの心意気が感じられる。

著者が提案している、モバイルプリンター付きのノートパソコンとか
机サイズのデスクトップ(ディスプレー)は、私もあったらいいなと思う。

『メディア・イノベーションの衝撃』

メディア・イノベーションの衝撃―爆発するパーソナル・コンテンツと溶解する新聞型ビジネス
『メディア・イノベーションの衝撃
爆発するパーソナル・コンテンツと溶解する新聞型ビジネス』

橋場義之、佐々木俊尚、藤代裕之、デジタルジャーナリズム研究会/編
日本評論社

情報ネットワーク法学会デジタル・ジャーナリズム研究会の
連続討論会をまとめた本。
佐々木俊尚氏のようなジャーナリスト、藤代裕之氏のようなブロガー、
新聞記者、ニュースサイト記者、テレビプロデューサーらが
ネット時代のジャーナリズムについて意見を交わしている。

第1部「ネット時代のジャーナリズムとは何か」、
第2部「ブログは報道機関になりうるか」といったテーマでは、
そもそもジャーナリズムとは何かといった話も出てくる。
第3部では、苦戦するオーマイニュース日本語版の現場から、
市民ジャーナリズムは可能なのか、克服するべき問題点が議論され、
第4部では、新聞やテレビのような“マスメディア”と、
ブログのような“パーソナル・メディア”の中間に位置し、
それぞれを結びつける検索エンジンやソーシャルブックマークのような
“ミドルメディア”の役割が語られている。
CGMの台頭によって“メディアインフレーション”(メディアの増大)が
起こり、既存のメディアの価値が相対的に下がったという話は納得。

そのほか、広告宣伝用のブログを自動作成し、
ネット世論を操作する“ボット”の存在について、短いながら触れている。
“ボット”ではないが、ブログに商品記事を書くことで謝礼を払うという
マーケティングが増えているのは、最近気になっていたところで、
実際に新製品について検索すると、似たような記事のブログばかりが
引っかかることが何度かあった。
あちこちの個人ブログに商品名のキーワードが掲載されると、
結果として、テクノラティなどのランキングの上位に商品名が登場する。
この手法を使ったわけでもないと思うが、先日、ある商品の宣伝で、
ブログランキングで上位になったグラフを誇らしげに掲載していた。
本来であれば、ブログランキング上位=クチコミ人気が高いことの証明
になるはずだが、一足飛びにブログランキング上位だけで宣伝材料になり、
それを機械的に操作しようとするマーケティングも生まれてきている、ということだ。

討論会なので、意見がひとつに収束したり、結論が出ているわけでもなく、
もともとジャーナリスティックな意識が強い人たちの意見なので、
多少、バイアスがかかってる感じもある。
(そして、ちょっとマスメディア的な上から視線も感じる。
というか、この本のタイトルと表紙って、
評論的なものに興味がある人以外に売る気あるとも思えない。)
それでも、いろいろ示唆に富んでいて一考の価値はある本。

◆読書メモ

「誰でもジャーナリズム的な行動はできるし、
ジャーナリズムに関わることができる。それに、
たとえば読者が5人しかいないとしても、受け手側がその情報を
有用だと思っていれば、それはジャーナリズムだと思う」
(ダン・ギルモアの言葉)

「国民国家というものが、国民に対して、ある種の統一した振る舞いや
考え方を知らせ、行動させたいという意志があったから成り立った。
要は、国民の統一した意識を作り出すためにジャーナリズムの需要が出現し、
大きくなったわけです。」(川上慎市郎)

「書き手・送り手の側がアーキテクチャを利用するという手もあります。
僕はフリーで原稿を書いていますが、知名度だけが勝負の世界なので、
いかに検索エンジンに自分の名前がたくさんヒットするかということを、
毎日考えながらやっているわけです。
たとえば、見出しです。ウェブの記事では、見出しにものすごく注意を払って書いて、
そこでSEOがきちんと行なわれるようにします。」(佐々木俊尚)

「産経新聞のサイト「イザ!」立ち上げに関わった人が、「新聞で読まれるものと
ネットで読まれるものは全く違うので驚いた」と書いていました。
「拉致問題とか靖国みたいなものが読まれるのかと思ったら、
全然読まれない」というのです。おそらく産経は「イザ!」を発足させたときに、
ネットが右傾化しているというので、自分たちのスタンスが支持されると
想定していた。でも、現実にはお色気や雑学記事ばかりが読まれまくった。」
(藤代裕之)

「ヤフーのニュースでは、実は、“クリックさせるための見出し”は
作っていないのです。トップページのニュースの見出しは最大13文字で、
クリックしなくても、なるべく内容がわかるようにしています。
読者を釣るような、あざとい見出しにはなるべくしない。」
(祝前伸光)

「ヤフー・ニュースは今、ヤフー全体PV(ページビュー)の10%ぐらいです。
10%というと、相当大きなボリュームです。
ヤフーのサービスは100個以上ありますが、一番大きいのはたぶん
ヤフー・オークションで、ヤフーニュースはそれに次ぐ規模です。
つまり、ヤフー・ジャパンにとって、ニュースはものすごく大きい存在なのです。」
(祝前伸光)

「イギリス人プログラマーがグーグルニュース用のRSSフィードを作ったら、
セルゲイ・ブリンとラリー・ページは<停止命令>の文書を送り付けた。
皮肉なことに、そこには『グーグルニュースの見出しを
他のサイトで見せることは容認できない』とあった」
(アダム・ペネンバーグによる『ワイアード』の記事)

「分極化については、経営コンサルタントのバルディス・クレブスが、
ソーシャルネットワーク解析ツールを使い、オンライン書店での
政治関連書籍の傾向をマップ化したものも、よく知られている
(“Divided We Stand... Still”)。このマップでは、
保守層とリベラル層の購買傾向が、見事に分断されている。」
(平和博)

『アニメビジネスがわかる』

アニメビジネスがわかる
『アニメビジネスがわかる』
増田弘道/著
NTT出版

マッドハウスの元代表である著者が
産業としてアニメを分析した本。

第1章は製作費、
第2章はテレビ放映、映画公開など一次利用、
第3章は再放送、DVD、ネット配信、音楽関連、海外市場など二次利用、
それぞれを算出し、アニメはどれだけ儲かっているのかを検証している。

きちんとした数字が公開されていなかったアニメビジネスにおいて、
多少怪しげな計算もあるものの、2005年に製作されたアニメ作品を
本数や時間、放映時間、ネットワーク(地上波か全国かBSかなど)に分類し、
データをひとつひとつあげた上で算出しているので、
ここで出てきた数字にはなかなか説得力がある。

たとえば、地上波全国放映、ゴールデンタイムで、
キッズ・ファミリータイプの代表例である『ワンピース』の場合、
制作費に1100万円がかかるが、テレビ局からもらうのは900万円。
1本作ると200万円の赤字になる。
一方で、青年層タイプでスケールの大きい作品である、
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』は
1話あたりの制作費が3000万円といわれる。
また、全国・準全国ネットワーク以外の番組については
制作費がほとんど支払われていない例もある。
などなど、これまでまったく知らなかった金銭面での
アニメビジネスが数字ではっきり例示されていて興味深い。

第4章では、日本のアニメが発展したきたのはなぜか、
日本のアニメの優位性、第一次から第三次のアニメブームなど
産業の歴史を検証。

『ジャパナメリカ』でも出てきたけど、
アメリカの劇場アニメが1秒12~24コマ、
ハンナ・バーベラの省略作画法で1秒8コマに対し、
鉄腕アトムは1秒3コマに満たない2000枚であり、
(現在のテレビアニメは平均3000~4000枚)
結果として、3コマ撮り、トメ、引きセル、口パクといった
日本アニメ独自の表現を生んだ。

「アトムではスケジュールが限界に達すると、
すでに放映された作品のセル画をつかって新作をつくるという
驚くべきバンクシステムの究極活用も行なわれていた。」

手塚治虫が『鉄腕アトム』の受注価格を55万円と決めたため、
アニメの制作費はずっと安いままなんだという、よく言われる話については、
テレビ番組の制作費が50万円、子供向けなら20万円だった当時、
55万円という価格は不当に低くはなかったという手塚の反論も掲載されている。

第5章が産業としてのアニメの問題点で、ここが一番おもしろい。

たとえば2Dから3Dへと移行するアメリカに対し、日本はどうするべきか。
(『ファイナル・ファンタジー』のトラウマによって、日本はCGアニメに躊躇している。
『アップル・シード』のような3Dアニメは、
アニメ業界以外の制作会社によって生まれた。)

音楽業界で起こった制作・流通のデジタル化は
いずれアニメ産業にも変化をもたらす。
そのためにもテレビ局から支払われる制作費の定義を
明確にすべきだといった話や、
(放送局から支払われる金額のほとんどが制作費に満たない、
あるいは全く出ないケースがあるにもかかわらず、放送局は
作品の著作権や二次利用から生じた収入の分配を要求する)
供給過多ではないかと思われる現在の制作本数、
(1970年のテレビアニメ新作数17作品に対し、
1980年 40作品、1995年 38作品、
2000年 62作品、2005年 124作品)
少子化、マンガのパワーダウンによる原作の不足、
プロデューサーの人材育成についてなどなど、
今までイメージで語られてきたことが明確に書かれていておもしろい。

将来の可能性が海外進出のための
アニメのブランディングみたいになってしまうのは、
まあ、いつもの話だなーという気がしますが、
日本アニメの現状を作品論ではなく、経済的にとらえた本としてオススメ。


◆読書メモ

ジョン・ラセターは競合するディズニーのアニメ制作部門は
セルアニメをつくるべきだと主張している。

3Dアニメが増加するアメリカでは、
メインキャラクターが動物やモンスターばかりになってしまった。
(CGの発達で、人間が主人公の企画は実写に移行した。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』は当初アニメ企画であったが、
CG技術の発達によって実写となった。)

『知られざる日本の恐竜文化』

知られざる日本の恐竜文化 (祥伝社新書 80)
『知られざる日本の恐竜文化』
金子隆一/著
祥伝社

毎年、何十万人という観客を集めている恐竜展。
恐竜図鑑や恐竜グッズが次々と発売され、
アメリカをのぞけば、ここまで恐竜に関心をもっているのは日本人だけだ。
しかし、日本人は本当に恐竜が好きなのだろうか?
成功しているように見える恐竜展でさえ、
ビジネスとして儲かっているわけではないし、学術的に信用できない展示もある。
恐竜ブームと言われる一方で、日本人の多くは恐竜の正確な定義すら知らない。
巷にあふれる恐竜イラストはパクリが横行し、骨格を無視したものが多い。
恐竜本の多くは、権威筋の監修に頼り、古い学説と安いイラストで作られている。
と、日本の恐竜文化の実像を批判し、本当の恐竜学を問う。

著者は、テレビ番組『恐竜惑星』や、雑誌『恐竜学最前線』、『ディノプレス』、
恐竜展などイベントの監修を手がけたこともあるそうで、
経験に基づいた恨み節が満載。
(ちなみに、「萌え」の語源が、『恐竜惑星』のヒロイン、鷺沢萌であるという説を
著者自ら否定している。)
文章力のある人なので、恐竜ビジネスの裏側として、おもしろく読めたが、
さすがにこの恨み節にはゲンナリする。

ある出版社が恐竜本のために画家に発注した料金は総額300万円だった、
と著者は嘆くのだが、本のイラスト代で300万円が安いとも思えないんだけど。
(図鑑本で1冊3000円、1万冊刷ったとして(恐竜本はそんなに売れないだろうけど)
3000万円。その10分の1がイラスト代って、むしろ高いんじゃない?)

何より、どうかと思うのは、著者が恐竜ファンにヒエラルキーを持ち込み、
恐竜展に足を運び、市販の二次情報、三次情報で満足している人々を
“第一次段階の初心者”と呼び、ほとんどバカにしていることである。
著者にとって、本当の恐竜ファンは、一次情報(海外の恐竜学の論文)を
読むべきであり、「これをやらない人間とは、恐竜を語るに値しない」と言い切る。

ネットでこの本の感想を見ていたら、
「難しい恐竜学の話をわかりやすく解説してくれる著者の本が好きだったのに、
そんな自分は第一段階の恐竜ファンにすぎないと否定されてショックだった」
という意見もあった。そりゃそうだよねー。
普通のファンは、たぶん論文なんて読まないし、
恐竜ファンの不勉強を嘆くなら、著者がやるべきことは、
彼らを否定するのではなく、彼らの底上げを図ることだろう。
(実際にそのために作った雑誌が廃刊になったことで、
著者にしてみれば恐竜ファンなんて当てにできない、
裏切られたみたいな気持ちもあるのだろうけど。)

イベント会社やマスコミ、イラストレーターたちが
恐竜について何も知らないと怒っているけれど、
著者のアニメや特撮に対する知識だってずいぶん怪しい。
「著者にとって、むしろそれらのジャンル(アニメや漫画)は、
唾棄すべきSFへの寄生虫であり、SFの貴重な財産を
無為に食いつぶす敵でしかなかった」そうだが、
『プロジェクトA子』を「日本人でも古参のオタク以外は
名前も聞いたことがない」と言っていたり、
「ディズニーやピクサーが興行成績ばかり大きい空疎な作品を繰り出してきても、
そこには宮崎駿や庵野秀明や押井守の
千分の一、万分の一のクリエイティヴィティが認められるわけでもない。」
と語っているあたりで、著者のアニメに対するレベルがわかる。
「『ゴジラ』シリーズが2006年まで継続している」という一文だって、
『ゴジラ FINAL WARS』の公開は2004年なのだから、
ちょっと調べれば、間違いだとわかる。
結局、人は自分の好きな分野以外なんて、その程度なのだ。

著者の矛先は恐竜学にもおよび、
分枝分類に固執する現在の古生物学を批判している。
最後に著者は、社会は本当のところ恐竜学を心から必要としておらず、
ビジネスにもならない、恐竜オタクはオタクとしての道を極めるべきだと
絶望にも似た悟りを語っている。
「本書ではオタクという言葉を、自らの興味の対象に対してどこまでも果てしなく
研鑽を積み重ね、さらに広い領域へと知識の幅を広げていく、
知的パイオニアというほどの意味で使っている」と言うが、
恐竜マニアをオタクと呼ぶことに最後まで抵抗を感じているのは
著者自身だったことも伺える。

いろいろ書いてきましたが、隕石によって恐竜が絶滅した説は、
今では疑われていることが詳しく書かれていたり、
『ゴジラ』の山根恭平博士の台詞がなぜおかしいのか、
『ゴジラ』が日本人や海外の研究家に与えた影響、骨格の分析、
『恐竜学最前線』、『ディノプレス』の編集者、井上正昭氏に対する想いや
原形師、松村しのぶ、イラストレーター山本聖士の紹介など、
おもしろい話も多いので、一読の価値はあると思う。

◆読書メモ

米コーネル大学の故カール・セーガンによれば、われわれの深層心理には、
遺伝子レベルで刻み込まれた爬虫類への反感が潜んでいるという。
恐竜が地上を支配していた中生代、われわれの遠い祖先は、
ネズミのような姿をして恐竜の足元に隠れ潜む、か弱い小動物にすぎなかった。
小型恐竜のなかには、ひじょうに視覚機能が発達し、
夜間でも哺乳類を捕食するものがいた。これらの恐竜に追い回された時の恐怖が、
哺乳類の脳裏にあまりにも深く、鮮明に刻み込まれたため、
今でもヒトはヘビを怖がり、世界中の民族の神話や伝承のなかに、
悪の象徴、神秘的な力の象徴としてのヘビやドラゴンが頻出するのであるという。

アメリカやカナダの研究者には、日本に負けず劣らず熱狂的な怪獣マニアが多い。
カナダのロイヤル・ティレル博物館のドナルド・ブリンクマン博士は、
モンゴルの白亜紀前期の地層から発見されたカメの化石に、
シネミス・ガメラと学名をつけた。

ロバート・バッカー博士は熱狂的な軍艦マニアである。
日本の恐竜展の主催者に対し、日清・日露戦争で活躍した
旧帝国海軍の巡洋艦「吉野」の設計図を手に入れてくれれば、
無料で恐竜展の監修を引き受けてもよい、という条件を提示してきたという逸話がある。

ニューヨークのアメリカ自然史博物館の一階ホールには、
海洋堂の松村しのぶによる、バロサウルスの親子と
アロサウルスのフィギュアが展示されている。

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