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『昭和 平成 ニッポン性風俗史』

昭和平成ニッポン性風俗史―売買春の60年
『昭和 平成 ニッポン性風俗史 売買春の60年』
白川充/著
展望社

RAAに始まり、パンパン、赤線、売春防止法、
トルコ風呂、デートクラブ、愛人バンク、ソープランド、テレクラ、
じゃぱゆき、買春ツアー、援交、出会い系サイトまで、
性風俗の変遷を追った戦後史。

特殊慰安施設協会、のちのRAA(Recreation & Amusement Association)は、
政府によって組織された。設立は8月23日。
日本が無条件降伏をして真っ先に考えたのが、進駐軍用「性の慰安所」であり、
ヒロシマを原点とする著者は、広島長崎の惨劇から
10日前後しか経っていない時点で、「国策売買春」が企画されたことを嘆く。

アメリカ兵によって一般の婦女子がレイプされることを恐れたための、
慰安施設だが、公娼制度残っていたとはいえ、戦後の日本に娼婦は数少なく、
RAAは「公募」方式をとる。
「新日本女性に告ぐ 敗戦処理の国家的緊急施設の一端として、
進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む
女事務員募集 年齢18歳以上25歳まで、宿舎、被服、食料全部当方支給」

この後の経緯がいまひとつ納得いかないのだが、
性病の増加にともない、昭和21年、RAA性慰安所は閉鎖、
公娼制度が廃止され、結果、街娼が増加する。
敗戦時には素人だった女性たちが、外国人相手のパンパンとなる。
そして、警察監視下の集娼地区「赤線地帯」が誕生。
特殊飲食店の指定をとらず女性を置いた飲食店が青線、
旅館などでひそかに売春させたのが白線(パイセン)。

パンパンは風紀を乱すとして嫌われる一方、
地方経済を支える手段として、町の有力者の中には歓迎するものいた。
ここらへんから、道徳よりも金、という傾向が生まれてくる。

買春防止法のくだりについては、法律論議の話ばかりで、
多少飽きるし、成立過程がわかりにくいのは残念。
ただ、赤線地帯のほとんどが、買春防止法の後も、
性風俗地域として今も生き残っている過程は納得。

その後、朝鮮戦争やベトナム戦争など他国の戦争の特需によって、
日本は復興する。繁栄のなかで、トルコ風呂や買春ツアーが登場するのだが、
著者は日本人がモラルを失った原点を戦後のRAAやパンパンに見ている。
(ちなみに、この本では、必要性をもって使用されているが、
“パンパン”も“トルコ風呂”も今では差別用語である。)
著者の原点はヒロシマなので、アメリカに対する憎しみも感じられ、
その意見には異論もあると思うが、生きていくためにパンパンとなった女性たちと、
お小遣い稼ぎに援交する女子高生たちは、対極にあるのではなく、
戦後史の中で、一本の線でつながっている、という気はする。

「アメリカ主導の民主国家、経済大国づくりで、
日本人はモラルを失った。」

「戦後の日本はアメリカの指示するまま、急激にあらゆるものを変えすぎた。
そのとき残してしまった、あるいは捨ててしまったものがある。
日本人らしさ、国民性。わたしのきらいな表現だが、愛国心。
それらを忘れてアナーキーになったわれわれの特徴が、
性風俗によくあらわれている。」


◆読書メモ

昭和21年、初の女性議員39名が出た。女性議員のうちのひとりについて、
元売春婦だった、と日本人がGHQに密告したという。
マッカーサーはその女性が何票得たか、とたずね20万票と知ると、
それだけの数、男を満足させたのなら当選の資格がある、
とユーモラスにいった。(「マッカーサーの日本」)

「夜になると、新宿伊勢丹から花園神社の辺りまで明治通りの暗闇に
女が並んで立つ。有楽町、日劇付近に立つのは進駐軍相手の洋パンと
呼ばれる街娼で、新宿は日本人相手だ」と記す。
日劇こと日本劇場の跡地がいまのマリオンである。

なじみになった特定の兵士に囲われる者が“オンリー”、
派手な身なりで日本人を見下していた洋パンにはオンリーが多い。
蝶のように男から男へと渡り歩くタイプを“バタフライ”、
街娼タイプを“フリー”と称した。

村の小学校5、6年生に兵士とパンパンの印象を尋ねた調査がある。
兵士については,(1)りっぱな人(2)子供をかわいがる人(3)親切な人
(4)女の人をかわいがる人(5)日本を守ってくれる人
(6)女の人をおいかけてばかりいる人、の順。
また、パンパンへは、(1)かわいそうな人(2)人間だけれども人間でない人
(3)ここから早くいなくなる方がいい(4)金をとるためだからよいこと
(5)やっていることは悪いこと(「基地の日本」)。

基地のパンパン問題は、朝鮮半島を機に様相を変える。
戦争が始まった頃の在日米軍は兵士12万5000人ほどだった。
本国やアジア地域から大量の応援部隊が朝鮮半島に集まり、
約35万人の軍人が参戦したという。兵士は北朝鮮、中共の連合軍と
苛烈な戦闘を重ね、運良く生き延びられれば5日間の休息をもらえる。
休息の場所は殆どが在日米軍キャンプだった。

ヌードスタジオは赤線廃止ののちに増加した性風俗だ。
500円ないし千円の料金で、客は画用紙とエンピツを渡される。
カメラを貸す場合もある。

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