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『フラット革命』

フラット革命
『フラット革命』
佐々木俊尚/著
講談社

佐々木さんの新刊。
「ネットではすべての情報が“フラット”になっていく、
玉石混淆のウェブから、どうやって玉を取り出すか」という話は、
これまでも何度かしており、今までの著書は
「玉を取り出すシステム=検索エンジン=グーグル、そしてその次は?」
という話が主なテーマだったが、今回は“フラット化”の方がテーマ。

ネットでは匿名ユーザーのブログの投稿も、新聞記事も対等と見なされる。
「誰が書いたのか」ではなく、「何が書いてあるのか」が重要。
匿名言論の出現、取材の可視化、ブログ論壇の出現により、
マスメディアは急速にその力を失おうとしている。
かつて「われわれ」と書くとき、マスメディアは社会全体を代表していた。
しかし、今、テレビや新聞といったマスメディアは世論を代表していない。
むしろネット世論はマスメディアのアンチテーゼとして対立している。

同時に、会社を中心とした共同体に守られていた“戦後社会”が崩壊する。
帰属する場所をなくした人々は漂流し、社会との絆を失う。
(かつてはマスメディアやコミュニティを経由して世界を認識していた。)
新しい枠組みとして現われたのがインターネットの世界だ。
インターネットでは、個人と個人が、検索エンジンによって、
ソーシャルネットワークによって、セレンディピティによって結びつき、
新たな人間関係が生まれてくる。

正直なところ、ここらへんの話は私にはピンとこなかった。
戦後社会の崩壊とネット世界の台頭が同時に起こったという話は
おもしろいのだが、そこで例としてでてくる瑞穂さんの物語や、
三島由紀夫『鏡子の家』の引用はセンチメンタルすぎないか?
セレンディピティという考えも納得しにくい。
mixiでの人間関係を語る2人の口調はまるで村上春樹だ。

「インターネットが現実の社会基盤として完成されたとき、
人間関係のすべてがインターネットに転写され、
すべてを可視化したソーシャルネットワークが社会の中に出現する」
と著者は言う。つまり、現在のmixiでもすでに起こっていることだが、
自分の中学生時代の友達と、会社の同僚が“マイミク”としてつながる。
まだmixiのシステムは弱いが、ソーシャルネットワークが完成すると、
リアルな人間関係とネット上の人間関係は完全にイコールになるのだ。
この未来予想図にはぞっとした。
パソコン通信時代には、オンラインの人間関係と、オフラインの人間関係は
完全に別のコミュニティだった。
(私は当時務めていた会社がつまらなかったので、パソコン通信を始めた。)
しかし、今では、ネット上の人間関係と、リアルの人間関係はそう大きく違わない。
小学生からネットの世界に生きている子供たちが大人になるころには、
小学生から社会人までの友人が“マイミク”として、相互につながりだすだろう。
それははたして素敵なことなのか?

と、ここまでの話はある程度、予想の範囲内で、
納得できないところもあるけど、この人の本はあいかわらずおもしろい
と思って読んでいたのだが、一番おもしろいのは、最後の第4章だった。

「マスメディアが世論を代表しなくなった今、
いったい誰が“公共性”を保証するのか?」
この問いに対して、著者は理想論として
「富やパワーがインターネットやフラット化によって世界に分散していったのと同時に、
公共性もわれわれ人類、人々のあいだにどんどん分散していって、
ひとりひとりが担うようになるのでは」と答えている。
そして、著者自身が経験した“ことのは事件”を通して、
「公共性はどうあるべきか」という困難なテーマを深く考えている。
“ことのは事件”については、「もめているらしい」ということは知っていたが、
詳しい経緯や炎上した論争についてはまったく知らなかった。
「元オウム真理教信者にだって発言する権利はあるんじゃないの?」程度に
とらえていたのだが、著者自身が激しく批判された、ことのは事件について
本書が描く物語は、一流のノンフィクションになっている。

大論争を経験して著者は書く。
「一連の情報のやりとりの過程そのものが、
社会を構成する<わたし>たち全員の前に、可視化されているということ。
そのやりとりに<わたし>のだれもが参加し、評価し、非難し、批判し、
分析できるような仕組みがオープンなかたちで提示されていること。
そこにマスメディアや政府、大企業などの中央のコントロールが存在しないこと。
そうしたこと自体がそのまま、実は<わたし>たちの集合体全体の
<公>となっているのである。」
「それがいまやインターネット社会がつくりだしつつある世界なのだ。」
「一般の人々から批判され、自分の言論をまな板の上に乗せる覚悟を
持てない言論人は、もう消えていくしかないのだ。
自分への批判を、決して恐れてはならない。」
「そうやって向き合っていく無数の言論の総体こそが、
マスメディアを変えうるパワーとなっていく。」
「批判、それに対する反論、そして再反論、そうした議論のすべてが
可視化されていくことこそが、新たな公共性を生み出していくのだ。」

ここにきて本書は佐々木さんの決意表明となる。
佐々木さんが直接、本を送ったらしい、著名ブロガーたちから、
本書は圧倒的な支持を受けており、「著者の最高傑作」と言われている。
彼らもまたその決意に共鳴したのだ。
しかし、一般の感覚からすると、“ことのは事件”なんてネット上の論争は
まったく知られていないだろうし、「誰が公共性を担うのか」という問いに
重要性を感じない人々もいっぱいいるだろう。
一般ブロガーである私も、「そんな怖い世界、嫌だな」というのが本音。
それでも、ネットはこのままリアル世界を飲み込んで、大きく変えていくだろうし、
大なり小なり、著者の決意が必要になってくるのだろう。
未来はまだ見えないけれど、とりあえず今、読んでおくべき本。

◆読書メモ

「新聞記者のように取材スキルを持ち、
その情報ソースに触れる手だてを持っていなければ、
その情報が真正であるかどうかを見極めるというのは根源的に困難だ。」

取材の可視化の例として、著者は『ロード・オブ・ザ・リング』の字幕騒動に
ついての取材を上げている。著者は抗議運動を行なっているメンバーに
取材を申し込み、メールのやり取りはネットで公開された。
『ロード・オブ・ザ・リング』の字幕抗議運動は、
初期の段階からネットを舞台としている。メンバーたちは、少しずつ手分けして、
映画館で、字幕を書き取り、原文と照らし合わせて検証した。
抗議の方法や配給会社の対応、監督への英文手紙の作成も、
掲示板を使って行なわれ、その経過の多くは公開されている。
佐々木さんとのメールのやり取りは、今も読むことができる。

「インターネットの世界では、この余計な行為こそが実は最も重要なのだ。
私と取材相手の女性がメールで質問と回答を投げあい、そしてそのやりとりが
インターネットのウェブ掲示板で公開される。公開されたやりとりを読んで、
さまざまな人々が感想を書く。さらにはその後、私が週刊誌に書いた記事を読んで、
やはり掲示板上でさまざまな感想や批判、指摘などが寄せられ、
それらの相乗効果が、新たな言論空間を生み出していく。」

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