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『電脳コイル』

電脳コイル (2) 限定版

NHKでは再放送も始まっているというのに、
今さら見終わりました、電脳コイル。

いい意味で、何度も予想を裏切られました。
最初の1、2話だけだと、近未来版トトロ?のような
ノスタルジックな世界なのだが、
(妹、京子のキャラクターとかモジャの造形は意識的だよね)
鳥居や廃墟を一歩くぐると、電脳世界ってところが素敵。
電脳メガネとか指電話とか電脳ポシェットとか、
特に説明がなくても近未来アイテムの役割がわかるところもおもしろい。

それこそトトロの時代であれば、
お化けや妖怪が棲んでいるのは森や暗闇になるんだけど、
ひと昔前なら、それは都会の街角や人込みの中になる。
そして、『電脳コイル』の近未来では、お化けは電脳世界に棲んでいるわけだ。
電脳世界がメガネをかけた子供たちにしか見えない世界だってのも示唆的。
(小説版では電脳メガネには年齢制限がある。
ハラケンのオバチャンの年齢が17歳ってのも意味深。)

イサコと黒客と戦いはサイバーアクション(ってジャンルはないか)っぽいし、
SF小説の引用と、小学生ラブをはさみ込みながら、
ヌルが出てくるあたりでは、ほとんどホラーの世界。

死者があの世からネットを通してこっちの世界にやってくる
という発想自体は、黒沢清の『回路』にもあったし、
それほどめずらしいものでもないだろうけど、
『マトリックス』で描かれたように、
ネット=バーチャル、嘘の世界、リアルではない、という通説を、
それは大人の発想で、子供には子供にしか見えない世界があって
子供にとっては、電脳世界の痛みも喜びも真実だと、
鮮やかにくつがえして見せるあたりが小気味いい。

バーチャルな痛みを、胸に埋め込まれたキラバグで、
バーチャル世界の真実を、電脳ペット、デンスケで、
わかりやすくビジュアル化している点もうまい。
(最初はブス犬にしか見えなかったデンスケですが、
最終回ではすっかりデンスケラブでしたよ。)

ヤサコが「手で触れないものが本当じゃないとしたら、
本当のものって何だろう。この胸の痛みは手で触れないけど、
本当じゃないの? この胸の痛みだけが真実だ」と悟る第24話は白眉。

最後の数話は急ぎすぎた感もあって、
結局、あの世界はひとりの少女の心が作り出したものでした、
っていう逆世界系的なオチは「なんだよー」って感じではあるのですが、
これだけレベルの高い作品が
NHKの子供向けアニメとして放映されていることがすごい。
(最近のアニメって大きなお友達向けが多すぎて、
本気で子供が楽しめる作品って少ないよね。
『電脳コイル』は大人も楽しめる子供のためのアニメだと思う。
登場する小学生が大人っぽすぎる感じもしますが、
たぶん、本当の小学生って頭の中では大人が考えるよりずっと大人だし。)

『大奥』

大奥 (第1巻)
『大奥』
よしながふみ/著
白泉社

将軍吉宗は女で、大奥には3000人の美青年、
という男女逆転時代劇。

初めは何のパロディー?と思ったけど、
男女を逆転させるだけで、
ここまで「ジェンダーとは何か」を問いかける作品もめずらしい。
(このマンガを貸してくれたSさんは逆にそこがうるさいと言ってましたが。)

例えば、美青年、祐之進が幼なじみのお信に向かって
「お望みとあれば抱かれてやってもいいんだぜ」
と言う台詞がある。この台詞に感じる違和感がそのまま
じゃあ、この台詞を言うのが女だったら、
どうしておかしくないと言えるのか、という疑問になる。

この世界では、男は希少で、女たちは種付けのために男を金で買うのだが、
それがおかしなファンタジーですまないのが、この作品のすごいところ。
男女の役割は逆転しているのに、
役職につく女性は男名を名のらなければいけないとか、
社会システムとして男の権利が残っている。
(そこがSさん言うところの「ジェンダーくさい」部分なのですが。)

野郎ばかりの大奥がむさくるしくないのは、
著者がBL作家でもあるからなのだろう。
冷静に考えると、将軍(この作品では女性)が妊娠したら
しばらく大奥は必要なくなるよなー、とかも思ったりもしますが。
今、2巻まで読んだところで、この後の展開が楽しみです。

『過剰と破壊の経済学』

過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか? (アスキー新書 42) (アスキー新書 42)
『過剰と破壊の経済学  「ムーアの法則」で何が変わるのか?』
池田信夫/著
アスキー

「半導体の集積度は18ヵ月で2倍になる」というムーアの法則。
その“破壊的イノベーション”はコンピュータ産業だけでなく、
産業構造や経済システムまでも大きく変えた。
ムーアの法則がもたらした変化と、どのように対応すべきかを説く。

今年読んだ新書の中でもベスト3に入るおもしろさ。
ムーアの法則って私的には「コンピュータが小さくなって速くなって安くなる」、
程度の認識だったんですが、コンピュータ産業に起こった大変化から、
情報の価値、産業構造、世界経済、グローバル化まで、すべての変化を
ムーアの法則で読み解いてみせる手腕はあざやかな手品を見ているよう。
落ち着いて考えると論理に強引なところがあったり、
過激な主張もあったりするんですが、
一気に読ませて納得させてしまう文章力はさすが。

「ボトルネックとなるのは人間であり、著作権法である」とか
現在の日本のやり方では、イノベーションなど起こるわけがない
という主張も納得。

この半世紀に起こった技術の歴史の大変化を、この一冊で理解できる
(理解できたという気になる)点でも、ひいき目なしにオススメです。


◆読書メモ

情報の豊かさは、それが消費するものの稀少性を意味する。
情報が消費するものは、かなり明白である。
それは情報を受け取る人の関心を消費するのである。
(ハーバード・サイモン)

ネットスケープが普及すれば、ウィンドウズはデバグの不十分な
デバイスドライバになるだろう。
(マーク・アンドリーセンが言ったと伝えられる言葉)

数少ない有料サービスだったニューヨーク・タイムズのコラム欄も
アーカイブも無料になり、ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)も、
それを買収するとみられているルパート・マードックは無料化する意向のようだ。
理由は単純である。購読料より広告収入のほうがはるかに大きいからだ。
タイムズの2006年のオンライン購読料は1000万ドルだったが、
今年の広告収入は1億7500万ドルになる見通しだという。
これに対して、WSJの同年のオンライン購読料は6500万ドルだったが、
広告収入は7500万ドルにすぎない。
これはタイムズの1ヶ月のユニークビジターが1200万人なのに対して、
WSJが(有料であるため)260万人に満たないからだ。

ソフトウェアは「アンディ・グローブが与え、ビル・ゲイツが奪う」
といわれるように、ムーアの法則を相殺して複雑化してきた。
マイクロソフトの計算によれば、1975年に4000行だった
BASICのソースコードは20年後には約50万行になり、
1982年に2万7000行だったマイクロソフト・ワードは
20年で約200万行になった。

IBMの社内では、パソコンは「おもちゃ」と見られていたので、
本社ではなく、フロリダ州ボカラトンにある「独立業務単位」で
パソコンを開発することにした。与えられた開発期間は1年半、
開発スタッフはチーフのドン・エストリッジ以下わずか14人。
この少人数で早期に開発を進めるため、
エストリッジはIBMの伝統に反して、外部から調達できるものは
できるだけ調達する「オープン・アーキテクチャ」を採用した。
中でも、運命的な選択は、コンピュータの中核となるCPUとOSを
それぞれインテルとマイクロソフトに外注したことだった。

OSとしては、8ビットで主流だったCP/Mの16ビット版を採用しようとしたが、
その開発元デジタル・リサーチと交渉が成立せず、
マイクロソフトに話が転がり込んだのは有名な話である。
マイクロソフトは、自社ではOSを開発していなかったので、
別の会社のOSを5万ドルで買って「PC-DOS」とした。
しかもインテルやマイクロソフトとの契約は専属契約ではなかったので、
彼らは他の互換機メーカーにCPUやOSを売ることができた。
彼らはその仕様を公開して、他の企業にアプリケーションが開発できるようにした。

スティーブ・ジョブズのビジネスも、数としては失敗のほうが多いが、
一発大きく当たればいいのである。
イノベーションは一種の芸術なので、平均値には意味がない。
1000人の凡庸な作曲家より、1人のモーツァルトのほうがはるかに価値がある。
しかし官民のコンセンサスで1人の作曲家を育てても、
彼がモーツァルトになる可能性はまずない。モーツァルトが出てくるためには、
1000人の作曲家が試行錯誤し、失敗する自由が必要なのだ。

オープンソース(フリーソフトウェア)の元祖、リチャード・ストールマンは
20年前、「ソフトウェアはサービスである」と宣言し、ソフトウェアそのものは
フリーになり、企業はサービスで収入を得るようになるだろう、と予言した。

問題は配信技術でもなければ、ネット配信規制でもなく、著作権法なのだ。

政府や大企業の老人が集まって、急速に変化しているグローバル経済の
方向を正しく予見できるはずがない。事実、アメリカ経済の回復は、
商務省の報告書が言及もしていなかったシリコンバレーから起こった。
日本でも、内閣府が2000年に「IT戦略会議」を設立し、
「高度情報通信ネットワーク社会」にふさわしい産業の育成をめざしたが、
そのe-Japan戦略を見ても、「検索エンジン」という言葉は一度も出てこない。
このころ政府が熱心だったのは「IPv6」や「ICタグ」や
「ITS」(高度道路交通システム)だった。

1990年代前半、だれもが次世代のメディアは光ファイバーによる
「マルチメディア」だと信じ、フロリダでタイム=ワーナーが大規模な
ビデオ・オンデマンドの実験を行なった。同じころ、
イリノイ大学のウェブサイトで、アルバイト学生マーク・アンドリーセンが
時給6ドルで書いた「NCSAモザイク」が公開された。
歴史を変えたのは、タイム=ワーナーではなく、モザイクだった。

『iPhoneショック』

iPhoneショック ケータイビジネスまで変える驚異のアップル流ものづくり
『iPhoneショック
ケータイビジネスまで変える驚異のアップル流ものづくり』

林信行/著
日経BP社

iPhoneはどこがすごいのか。
タッチスクリーンを生かした操作性、卓越したインターフェース
といった、すぐわかるすごさだけでなく、
ケータイキャリアから上納金を得るなど、
ビジネスモデルでも型破りなiPhone。
製品デザインから、開発、ブランドを作るマーケティング、
販売体制など、アップル流ものづくりを紹介。
同時に、優れた技術力をもっている日本のメーカーが
なぜiPhoneのような製品を作り出せないのか、その問題点に迫る。

ちょっと前に同じ著者の『スティーブ・ジョブズ
偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡』という本を
読んだばかりなので、内容的にはかぶるところも多い。
「iPhoneがなぜすごいのか」という話なのだが、
アップルの開発はユーザー視点だとか、
CMからパッケージングまで一貫してブランド力を高めているとか、
まあ、ある意味、直球のものづくりで、それほど驚きはない。
当然のことながら、「アップルはここがすごい」という論調なので、
(iPod Runは始めましたが)
アンチアップル派の私としては、ちょっと引くところも。

むしろ、日本のメーカーが優れた商品を生み出せないのは、
ケータイキャリア主導で製品づくりが行なわれており、
自由な発想がしにくいといった話が興味深い。
しかし、ここらへんも遠慮があるのか、
「ここをこうすれば日本のメーカーも変われるはず」
といった提案も、当のメーカーにしてみれば、
「言われてできるもんならとっくにやってるよ」という感じなんだろうな。

iPodやiPhoneの大ヒットは
「おしゃれなデザインだけが受けてるわけじゃない」ことは確かなのだが、
iPodを使い始めてみると、絶賛されているその操作性には不満もあったりするわけで。


◆読書メモ

(iPodの)ステンレス鏡面仕上げの背面を見た日本のデザイナーから、
「これだといっぱい指紋が付きそうだ」
という言葉が口をついて出た。
それに対してアップルのデザイナーは、
「指紋が付いたら拭けばいい」
と言い返したという。

ソニーのカセットテープ版のウォークマンが初めて世に出たとき、
その製品発表会に来た記者の一人が、
「こんなのをいつも聞いていたら耳が悪くなりそうだ」
と言ったという。すると、ソニーの幹部の一人が
「そんなの当たり前だ」
と言い返したという有名なエピソードがある。

ジョナサン・アイブ氏はアップルが製作した『iMac G4』の紹介ビデオの中で、
「このもっともシンプルな形に到達するプロセスが、実はものすごく大変な作業だ」
と打ち明けている。
スティーブ・ジョブズCEOもアップルの意志決定システムについて、
「ビジネスウィーク」誌で、次のように語っている。
「システマティックなものは何もない。
イノベーションは人々が廊下ですれ違いざまに話をしたり、
新しいアイデアやなかなか解決できなかった問題の解決策を思いついて
夜の10時30分に電話をかけたりするようなところから生まれる。
それと同時に、イノベーションは間違った路線を進んだり、
何かをやり過ぎたりしないように、
1千のアイディアに対して「NO」と言うことから生まれてくる。
そうすることによって初めて焦点を当てるべき重要なものが見えてくるのだ」

スティーブ・ジョブズ 偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡
『スティーブ・ジョブズ 偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡』
林信行/著
アスキー
スティーブ・ジョブズの写真集、というかファンブック?
著者自ら前置きしているように、書かれている内容に目新しいことはないが、
写真や名台詞満載で、ジョブズファンなら読んでて楽しいと思う。
写真のジョブズがだんだん禿げていくのだが、
小憎らしい青二才顔がディレクターとしての顔に変化していておもしろい。

iPod Run再び

というわけで再始動。走りますよ。

前回の反省をふまえて、
NIKE+ iPodの調整をしてから走ることに。
「Nike+iPod」メニューから「設定」→「センサー」→「調整」を選択。
「ランニング」を選んで距離を選択。

ここで選択肢から「400メートル」を選んで走ってみるのだが、
「設定距離と実測値が違います」とエラーになってしまう。
その誤差を修正したくて調整してるんだから、
実測値と合わなくて当たり前だろうと思うのだが、何度やってもエラー。
結局、最初の選択肢で「カスタム」を選んで、「0.4km」を設定したら、
やっとちゃんと調整できました。
調整前は最高1km近くあった誤差が、調整後は50m程度になりました。
50mなら許容範囲ですが、まだゴールしてないのに
「目標達成です」と言われると、ちょっとムっとしたり。
(ネットで検索すると、わりとみなさん調整に苦労してるので、書いておいてみる。)

調整の段階で、すでに400mを6回も走っており、
もう今日の練習は十分なんじゃないのという気分に。
まあ、かなり体が重かったものの、
約2,4kmをそれほど苦もなく走れたのは、調整だと思って走ってたからですが。

iPod Run用に普段は絶対聞かないような曲とか
『炎のランナー』とかおもしろがっていろいろ入れておいたんですが、
今日のスタートは『My Heart Will Go On』、
ゴールは『To Love You More』と、両方ともセリーヌ・ディオン。
(くりかえしますが、普段はセリーヌ・ディオンなんて聞かないよ。
約80曲入れたiPodの曲のうち、セリーヌ・ディオンはこの2曲だけ。
どういう確率なんだ、シャッフル。)
『Take On Me』は私には速すぎたよ>ねーさん。

GOAL


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長い道程でしたがなんとかゴール。
過去日記もぽつぽつ公開中。

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