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『過剰と破壊の経済学』

過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか? (アスキー新書 42) (アスキー新書 42)
『過剰と破壊の経済学  「ムーアの法則」で何が変わるのか?』
池田信夫/著
アスキー

「半導体の集積度は18ヵ月で2倍になる」というムーアの法則。
その“破壊的イノベーション”はコンピュータ産業だけでなく、
産業構造や経済システムまでも大きく変えた。
ムーアの法則がもたらした変化と、どのように対応すべきかを説く。

今年読んだ新書の中でもベスト3に入るおもしろさ。
ムーアの法則って私的には「コンピュータが小さくなって速くなって安くなる」、
程度の認識だったんですが、コンピュータ産業に起こった大変化から、
情報の価値、産業構造、世界経済、グローバル化まで、すべての変化を
ムーアの法則で読み解いてみせる手腕はあざやかな手品を見ているよう。
落ち着いて考えると論理に強引なところがあったり、
過激な主張もあったりするんですが、
一気に読ませて納得させてしまう文章力はさすが。

「ボトルネックとなるのは人間であり、著作権法である」とか
現在の日本のやり方では、イノベーションなど起こるわけがない
という主張も納得。

この半世紀に起こった技術の歴史の大変化を、この一冊で理解できる
(理解できたという気になる)点でも、ひいき目なしにオススメです。


◆読書メモ

情報の豊かさは、それが消費するものの稀少性を意味する。
情報が消費するものは、かなり明白である。
それは情報を受け取る人の関心を消費するのである。
(ハーバード・サイモン)

ネットスケープが普及すれば、ウィンドウズはデバグの不十分な
デバイスドライバになるだろう。
(マーク・アンドリーセンが言ったと伝えられる言葉)

数少ない有料サービスだったニューヨーク・タイムズのコラム欄も
アーカイブも無料になり、ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)も、
それを買収するとみられているルパート・マードックは無料化する意向のようだ。
理由は単純である。購読料より広告収入のほうがはるかに大きいからだ。
タイムズの2006年のオンライン購読料は1000万ドルだったが、
今年の広告収入は1億7500万ドルになる見通しだという。
これに対して、WSJの同年のオンライン購読料は6500万ドルだったが、
広告収入は7500万ドルにすぎない。
これはタイムズの1ヶ月のユニークビジターが1200万人なのに対して、
WSJが(有料であるため)260万人に満たないからだ。

ソフトウェアは「アンディ・グローブが与え、ビル・ゲイツが奪う」
といわれるように、ムーアの法則を相殺して複雑化してきた。
マイクロソフトの計算によれば、1975年に4000行だった
BASICのソースコードは20年後には約50万行になり、
1982年に2万7000行だったマイクロソフト・ワードは
20年で約200万行になった。

IBMの社内では、パソコンは「おもちゃ」と見られていたので、
本社ではなく、フロリダ州ボカラトンにある「独立業務単位」で
パソコンを開発することにした。与えられた開発期間は1年半、
開発スタッフはチーフのドン・エストリッジ以下わずか14人。
この少人数で早期に開発を進めるため、
エストリッジはIBMの伝統に反して、外部から調達できるものは
できるだけ調達する「オープン・アーキテクチャ」を採用した。
中でも、運命的な選択は、コンピュータの中核となるCPUとOSを
それぞれインテルとマイクロソフトに外注したことだった。

OSとしては、8ビットで主流だったCP/Mの16ビット版を採用しようとしたが、
その開発元デジタル・リサーチと交渉が成立せず、
マイクロソフトに話が転がり込んだのは有名な話である。
マイクロソフトは、自社ではOSを開発していなかったので、
別の会社のOSを5万ドルで買って「PC-DOS」とした。
しかもインテルやマイクロソフトとの契約は専属契約ではなかったので、
彼らは他の互換機メーカーにCPUやOSを売ることができた。
彼らはその仕様を公開して、他の企業にアプリケーションが開発できるようにした。

スティーブ・ジョブズのビジネスも、数としては失敗のほうが多いが、
一発大きく当たればいいのである。
イノベーションは一種の芸術なので、平均値には意味がない。
1000人の凡庸な作曲家より、1人のモーツァルトのほうがはるかに価値がある。
しかし官民のコンセンサスで1人の作曲家を育てても、
彼がモーツァルトになる可能性はまずない。モーツァルトが出てくるためには、
1000人の作曲家が試行錯誤し、失敗する自由が必要なのだ。

オープンソース(フリーソフトウェア)の元祖、リチャード・ストールマンは
20年前、「ソフトウェアはサービスである」と宣言し、ソフトウェアそのものは
フリーになり、企業はサービスで収入を得るようになるだろう、と予言した。

問題は配信技術でもなければ、ネット配信規制でもなく、著作権法なのだ。

政府や大企業の老人が集まって、急速に変化しているグローバル経済の
方向を正しく予見できるはずがない。事実、アメリカ経済の回復は、
商務省の報告書が言及もしていなかったシリコンバレーから起こった。
日本でも、内閣府が2000年に「IT戦略会議」を設立し、
「高度情報通信ネットワーク社会」にふさわしい産業の育成をめざしたが、
そのe-Japan戦略を見ても、「検索エンジン」という言葉は一度も出てこない。
このころ政府が熱心だったのは「IPv6」や「ICタグ」や
「ITS」(高度道路交通システム)だった。

1990年代前半、だれもが次世代のメディアは光ファイバーによる
「マルチメディア」だと信じ、フロリダでタイム=ワーナーが大規模な
ビデオ・オンデマンドの実験を行なった。同じころ、
イリノイ大学のウェブサイトで、アルバイト学生マーク・アンドリーセンが
時給6ドルで書いた「NCSAモザイク」が公開された。
歴史を変えたのは、タイム=ワーナーではなく、モザイクだった。

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