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映画『おっぱいバレー』

綾瀬はるか in おっぱいバレーオフィシャルPHOTOブック <テレビタロウ特別編集> (TOKYO NEWS MOOK (通巻149号))

『おっぱいバレー』
at 新宿バルト9

私はわりと平気に『おっぱいバレー』って言ったけど、
隣りでチケットを買っていた女の子は笑いながら「『OPV』です」って言ってました。
しかし、映画の中では散々「おっぱい」が連呼されるので、
見終わったあとでは、この程度でためらっていたのが不思議なほど。

舞台が1979年だということは予告編では明記されていたけど、
映画の中では特別、強調はされていない。
もちろん、ファッションや『11PM』、ガンガン流れる当時のヒット曲なんかで
それは暗示されているんだけど。
(『渚のシンドバッド』、『微笑みがえし』などBGMはベタベタだが楽しい。
音楽が流れるたびに、頭の中はイントロクイズ状態。
綾瀬はるかが元カレに会う場面で流れているのが『オリビアを聴きながら』。
これまたベタですが、わかりやすい選曲。)

でも、この1979年が舞台ってのは重要。
「おっぱい」が少年たちの憧れであり、
そう簡単には見ることのできなかった時代だから
この話は成立する。

『僕の彼女はサイボーグ』以来、綾瀬はるかが何やってもかわいく見えますが、
今回も彼女はとても良い。演技はあいかわらず固いが、この役はそれでもOK。
生徒に胸元をじっと見つめられてゾクっとする顔とか、
元カレに送る色っぽい目つきなんかは実にいい。
惜しいのは『おっぱいバレー』なのに、彼女の胸を強調するショットが
ほとんどないこと。清潔感を重視したのかもしれませんが、
ストーリーとほぼ関係なく、彼女の胸を全編にわたって強調した
『僕の彼女はサイボーグ』を見習ってほしい。

高校教師になってソフトボール部の顧問をやっている友達が
「なかなか真剣に練習してくれない。
一生懸命やってこそ残るものがあるのに」
といったような話を前にしてましたが、
この映画の基本テーマもそこ。
仲村トオルが台詞としてはっきり言ってますが
「目的なんてどうでもいいじゃないですか。
あの子たちは努力することのすばらしさを身をもって学んだんだ」
ってこと。台詞でぜんぶ説明しちゃうわかりやすさはどうかと思いますが。
バレーの試合シーンでちゃんと見せてもよかったかなと。

スポ根もののセオリーをほとんど外さす、
こうくるだろうなという予想を裏切らない展開。
そのベタさがこの映画のいいところであり、
もの足りないところでもある。

女子バレー部員役の美少女、小島藤子は要注目。


ブログ貼り付け用予告編があったので、貼ってみる。

本『ブログ論壇の誕生』

ブログ論壇の誕生 (文春新書)

『ブログ論壇の誕生』
著 佐々木俊尚
文春新書

2008年9月発売だから、ちょっと古いが、
『ウェブはバカと暇人のもの』でも言及されていて、
そういえばまだ見てなかったと読んでみました。

とりあげられている例は、『毎日デイリーニューズ』の低俗記事事件、
ウィキスキャナーが暴露した官庁の修正、
ニコニコ動画にアップされた小沢代表の動画、
ユーチューブで注目を集めた志位和夫の国会質問、
『JJ』読者モデルのブログがNHKに取り上げられて炎上した件、
“トリアージ”をめぐる論争、光市1.5人発言など、
今となってはほとんどが、あーそんなこともあったねー
という感じだが、ブログがマスコミや政治、格差社会になんらかの
影響を与えているさまを描いている。

『ウェブはバカと暇人のもの』では佐々木さんはウェブ肯定派
とされているが、この本での著者の論調は、
「インターネットはすばらしい」というポジティブなものではなく、
ネットから生まれた“ブログ論壇”について
脅威と可能性を紹介している。
(ただ、この場合、ブログ論壇を形成しているのは、
主にロストジェネレーション世代なので、
ネットvsリアルはそのままロストジェネレーションvs団塊になったり、
中心議題が格差社会になったりしている。)

ブログ論壇の抱えている問題点として、
企業のマーケティングや広告にブログが飲み込まれつつある、
匿名性をどう扱うのか、の2点が上げられている。
特に、匿名性については私も興味がある。
大学の准教授が個人ブログでした発言について、
所属組織である大学側が責任を持つ必要があるのか。
実名のブログが炎上した場合、その人の社会的地位さえ危うくなる。
では、個人が個人の発言にどこまで責任を取るべきなのか。
匿名のブログは信用されないのか。
「誰が」発言したかよりも、「何を」の中身の方が重要視されるべき
ブログにおいて、やはり「誰が」発言したかを人は気にする。

「おわりに」では「衆愚化とカスケード化」がブログの問題点であり、
日本のブログの現状について
・日本のブログ論壇を担うロストジェネレーションには、
弱者階級であるという認識が蔓延しており、
彼らには「社会の中心を担っていく」という自信がない。
・ディベート文化が日本には欠落している。
・理念としての「社会」と、リアルな「世間」との乖離。
何をいってもどうせ世の中変わらないという軽い絶望感がある。
という3つの原因を上げている。
これはそのまま『ウェブはバカと暇人のもの』への
じゃあ、どうすればいいの、という回答でもあると思う。
この現状を超えていかないと、ブログ論壇は
リアルな社会を何も変えられないのだ。

本『昭和ちびっこ広告手帳』

昭和ちびっこ広告手帳 〜東京オリンピックからアポロまで〜
『昭和ちびっこ広告手帳 ~東京オリンピックからアポロまで~』
著 おおこしたかのぶ、ほうとうひろし
青幻舎

昭和40年代の子供向けの雑誌広告を
“お菓子”、“プラモデル”、“おもちゃ”、などカテゴリーごとに収録。
正確には1965~1969年の範囲なので、
さすがにリアルタイムで覚えているものはないが、
森永ハィクラウン、任天堂のウルトラマシン
講談社の世界少女名作全集(「三人の少女」、「金のベール」)
など、懐かしいものも。

そのころ人気だったと思われる、オバQ、パーマン、
宇宙少年ソラン、ひょっこりひょうたん島、おそ松くん
などのキャラクターものが目立つ。
女の子向けだと、わたなべまさこのイラスト入りガムやドロップなど。

広告を出すくらいなので、新製品やキャンペーンものが多いのだろうが、
当時の景品の豪華なこと。
レーシングカーセット、宇宙ゴマ、チロルの鳥寄せ笛、
トランジスター式テープレコーダー(かっこいい!)、
おそ松くんシネコルト(コルト銃型の映写機)、
王、長島、金田選手サインボール、
オバQラジオコントロール人形、腕時計型のビディオシーバー、
サンダーバードロケット、デビッド・マッカラム全版ポートレート、
キミだけに語りかけるタイガースレコードシート、
赤影忍者ベルト(30秒で字が消える忍者ペン、忍者笛、
光をあてるとマジックブザーが鳴る忍者棒などが装着されている)
などなど。
(森永ハィクラウンの景品、フレンチパース、メキシコ・モロッコ、スペインの
民芸パース、チロルパンツをデザインしたコイン入れがかわいくて欲しい!)

抽選の中には、「警察官立合いの上厳正に抽せんいたします」
なんて書かれているものもあったり。当時の公正取引規約って
どうなってるんでしょうね?

戦車や車、飛行機に並んで
霞ヶ関ビル、アポロ着陸船の模型や
オリンピック実況レコードがあったりするのも時代だなー。

舟木一夫、三田明、梓みちよのスター人形なんてのもあって、
広告には「ワアーステキ! 舟木さんにそっくりよ」と書いてある。

人形はリカちゃん以外に、タミーちゃん、バービーの妹スキッパーちゃん、
中嶋製作所のスカーレットちゃん、カンナちゃん
ツクダのミニーちゃんと百花繚乱。
なかでもタカラのハイファッション・リナは、現在のフィギュアに
通じる大人っぽさがあったり。
(「あなたのリナは美しいドレスを着ることだけを夢みています」
というキャッチがなんとも。)
リカちゃんの広告に「びっくりしないでね!
リカちゃんにあたらしいおともだちができたの」とあるんだが、
びっくりしねえよ。

『ワルサーラジオピストル』というピストル型のラジオとか
(「ボンドファンなら誰でもモデルガンを楽しみながら手もとにおいて
いつでもニュースや音楽が聞けます 引金を引くだけでOK!!」)
3つのライトが順に光って、まがる方向を示す富士自転車の
『フローライト・フラッシャー』とか、ユニークな製品も。

キャッチのセンスも飛んでいる。
このソックスをはいて、
マーガレット、マーガレット、マーガレットと
3回となえると、足がスラリと見えます。
(ニチレ マーガレット)
とか、嘘つけー。

また、子供には買えない商品のネダリ方もふるっている。
はやく<リナ>がほしいんだけど、ちょっぴりおこづかいが
たりないナ…って考えこんでいるティーンはいませんか。
お誕生日やクリスマスに<リナ>をプレゼントしてもらいましょう。
あなたがオネダリするヒトはパパかしら、大好きなおばさまかしら……。

(タカラ ハイファッション・リナ)
なんてのはかわいいほうで、
2万7500円するセキネの自転車にいたっては、
おこずかいをかき集めよう!
全部で3000円ほどあればOK。あとは君の演技力……
<マジメに>
「セキネ《スパイダー5》がモーレツにほしくてヒッシに
貯めたんだけど…」
パパが君のけながえな態度に感心し3500円を加えてくれる。
さあ、これで初回金を払えばセキネ《スパイダー5》は君のもの。
二回目からの支払作戦としてちょっともったいないけど、
君の自家用車で兄貴やママのお使いをひきうけよう。
そして少々おこずかいをせしめればいい……ネ?

と、子供にローンの払い方まで指南。
(10回払いで初回が6500円、以後2600円×9回だそうだ。)

◆読書メモ

<キミ>と<いま>を直結する…
ミニをこなし、パンタロンに挑む…。
ファッションの眼はチョコレートを変えて行く。
古いイメージよ ポイッ!
デザインも味も超いまのパターンだ。
キミのいま着ているそのフクにぴったりと合うからフシギ
(森永to youチョコレート)

ファッションの意識は
いま チョコレートの世界を
大きく犯しています。
おもったるい やぼったい 古くさい
さようなら~。遅れてま~す。
(これはいろいろと使える感覚コトバです)
(森永to youチョコレート)

応援はことわろう
自分ひとりで完成させてこそ
君の実力もみがかれる
(バンダイ エアリモコンシリーズ)

友だちが君のセンスの良さにまいってしまう
(バンダイ ダイナミックシリーズ ランボルギーニ マルツアル)

こんな楽しい地球儀はコスモ18だけなんだ。
これなら地理の勉強にもファイトがわくョ。
試験の点もバッチリいただき!
しかも音楽的センスもやしなわれる。
友達もきっとうらやましがるョ。
“シュクダイならアイツの家でやろう!”
キミはこんな人気者になるのだ。
(クツワ オルゴールのついた地球コスモ18)

映画『チェイサー』

チェイサー ディレクターズ・エディション【初回限定生産2枚組】 [DVD]

『チェイサー』 at シネマスクエアとうきゅう

予告を見たときは“追うもの”と“追われるもの”の攻防なのかと思ってましたが、
タイトルどおり、“追いかける”側の物語でした。

ナ・ホンジン監督が公式サイトのインタビューで、
「拉致された人たちが助かりたいと切望してい一方で、
周囲からは気づかれず、忘れ去られていたのではないか。
その落差に心が痛んだ」と答えているように、
前半は被害者の息苦しくなるような気持ちが味わえて本当に怖い。
迷路なのか袋小路なのか、夜の住宅街という、一見、平凡な舞台がまた怖い。
(いかにも呪われてそうな家の庭や浴室のシーンはほとんどホラー。)

ジョンホ(キム・ユンソク)の走る姿がいい。
元刑事という設定だけで、彼が捜査のやり方を知っていることや、
犯人を前にしてひるまないこと、走り方が様になることなどを説明している。
犯人を追いかける場面で(文字通り、走って追いかける場面)、
犯人側だったり、ジョンホだったりが、足を滑らせたり、転んだりするんだけど、
ハ・ジョンウのインタビューを読む限り、アドリブや突発的なことも含めて
ほとんどそのまま撮影しているようだ。疾走感や緊張感がとてもリアル。

犯人も警察も杜撰すぎるとか、ジョンホにしても
最初から警察に協力していれば事件はもっと早く解決できたのにとか、
細かい点では荒い展開だなーと思うものの、
殺人の動機や2人の過去、謎解き的な要素を
ばっさり切った潔さがこの映画のおもしろさだと思う。
(ハリウッドリメイクが決定しているとのことだけど、
犯人の釈放と被害者の命、タイムリミットを設定して、
犯人の家を見つけ出すまでのサスペンスを描く、
という普通の展開になりそうな気が。)

元になったユ・ヨンチョル事件は、韓国では誰もが知っている
衝撃的な事件だったろうから、韓国での映画の大ヒットは
それも理由のひとつだろう。(もちろん映画の出来が良かったという理由もある。)
しかし、2004年という最近の事件を映画化してしまう韓国映画界の懐の広さには驚く。
日本で実際の事件を元に映画化すると、どうしても
「あの悲劇を忘れない」的な説教くさい内容になるだろうし、
それにしたって池田小事件や連続幼女誘拐事件などが映画になるとは思えない。
(『コンクリート』って映画があったけど、批判を受けて
ほとんどまともに公開されなかったし。)

出張マッサージ業者による通報が逮捕のきっかけだったとか、
犯人に美術の心得があったとか、教会の見える町で殺人が行なわれたとか、
実際の事件を参考にしたところもいくつかあるが、
基本的には自由に翻案しているようで、
これだけ残酷な事件をエンターテイメントに昇華してしまう手腕がすごい。

本『モードの方程式』

モードの方程式 (新潮文庫)
『モードの方程式』
著 中野香織
新潮文庫

「カーキ(khaki)」はインドに駐屯していた英国軍の司令官が
白い軍服が埃で汚れてしまうため、コーヒーやカレー粉の汁に浸して
初めから埃の色に染めたことから誕生した。
カーキーとはヒンディ語で「埃の色」という意味である。
といった感じに、服飾史についてわかりやすく解説。

クラシックなファッションだと思っていたものが、
実はブランドや英国の皇室が作り出した流行が定着したものだったり、
最新ファッションが昔、流行ったものの焼き直しだったり、
ということがよくわかる。
ソフィスティケーション、グラマラス、シックなんて言葉も、
時代とともに意味が変わってきた。

「男の子はブルーで、女の子はピンク」といった考え方も
1950年代に定着したもので、かつては逆だったという。
「一般的に受容されているルールは男の子にピンク、
女の子にブルーである。理由はピンクがより決然として強い色で
男の子にふさわしいのに対し、ブルーはデリケートではかなげゆえに、
女の子にふさわしいからである」(1918年の雑誌記事)

ウェス・アンダーソン監督の『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』で
グウィネス・パルトロウが着ているラコステのポロワンピースに
フェンディの毛皮、という装いについて、
「わかりやすい美醜の判定を拒否するスタイル」と書かれているが、
この映画の本質をファッションから読み取っていることに感心。
(私はラコステのポロワンピースをもっているので、
こんな着方もあるのかーとミーハーな視点で見てました。)
ウェス・アンダーソン監督のインタビュー写真を見ると、
高そうなブランドのツイード・スーツに、えんじ色のスニーカーをはいていて
いかにもこの映画的な格好をしていて笑ったんだけど、意図的だったのね。

元が新聞のコラムなので、読みやすいけど、
つっこみが足りないところもあったり、
数年前のファッション用語はすでに「そんなのもあったねー」
という感じに古くなっていたりするが、
知っているとファッションの見方が変わる一冊。

◆読書メモ

トレンチコートは、戦場生まれである。
第一次世界大戦で英国陸軍が塹壕(トレンチ)戦用にとバーバリーにデザインさせた。
左右の肩章、右肩のストームフラップ(防風雨用あて布)、
ベルトのDリング(手榴弾つり)など実用に徹しているが、
平和な都会で女性が着る場合には、この禁欲的な重装備がその下に
甘美な謎を隠しているのではという幻想をかきたてる働きをすることもあるらしい。

「衣服は人をつくらない(You are not what you wear.)」
ユニクロがロンドン一号店を出店する際に掲げたメッセージ。

派手な色彩や柄、金銀の装飾などを用いた華麗な装いが全盛を極めた
1920年代に、シャネルは時代のテイストを鞭打つかのように
LBD(リトル・ブラック・ドレス)を発表。装飾過多のドレスを作っていた
デザイナー、ポール・ポワレに「誰の葬式ですかな?」と皮肉られて
「あなたのですわよ」と答えたシャネルの強さあっての挑戦であったかもしれない。


DVD『ターミネーター:サラ・コナー クロニクルズ』

ターミネーター : サラ・コナー クロニクルズ 〈ファースト・シーズン〉 Vol.1 [DVD]

ターミネーター : サラ・コナー クロニクルズ 〈ファースト・シーズン〉 コレクターズ・ボックス [DVD]

『ターミネーター:サラ・コナー クロニクルズ』

タイムライン的には『T2』の5年後で、『T4』につながる
(なんと『T3』とは時間軸が違うという設定)らしいが、
製作側の『T3』に対するアンチテーゼといった感じ。
『T3』のちゃぶ台返しには唖然としましたが、
結局、「審判の日は来る」という前提の元に『T4』が作られるなら、
そこにいたるまでを軌道修正しましょう、というわけ。

第1話は特に『T1』、『T2』の世界観を意識した作りになっており、
CGを含めたエンターテイメントとしては『T2』は最高におもしろいけど、
ストーリーの良さとしては『T1』のほうが傑作だったわけで、
そこをちゃんとふまえているところが良い。
しかし、美少女型ターミネーターはどうみても『T3』のT-Xからくる発想だし、
ジョン・コナー役のトーマス・デッカーは、『T2』のエドワード・ファーロングと、
『T3』のニック・スタールを足して2で割って、水で薄めた感じ。
(この『サラ・コナー クロニクルズ』自体が、ある意味そんな感じですが。)
『T1』→『T2』→『T:SCC』→『T4』ではなく、
あくまで『T3』も見た上で、この『T:SCC』を見ると、
楽しめる、そんな位置づけでしょうか。

キャメロン役のサマー・グローは美少女というには
口元とデコがいまいち惜しい感じなんだが、機械的な動きとか
無機質な表情とか、悪くない。
サラ役のレナ・ヘディは、リンダ・ハミルトンには見えないが、
薄めたサラ・コナーとしては、いい雰囲気を出している。
ブライアン・オースティン・グリーンについては、おじさんになったなー
というのが一番の感想。

『T2』では見られなかった、サラとジョンの逃避行の日々を
ていねいに描いていて、親子の絆がクローズアップされていたり、
ターミネーター同士のアクションは、派手さには欠けるものの、
基本は十分押さえているし、
キャメロンのバレエシーンとか、エピソード9の「ハッピーバースデー」とか、
おっと思う場面も多く、『ターミネーター』ファンなら楽しめる出来。

まだシーズン1なので、
はたしてキャメロンは本当に味方なのか、
ジョンが気にしてた女の子の過去は、
タークはいかにしてスカイネットになるのか、
デレク・リースがスカイネット刑務所で受けた処置は何なのか、
など、回収されていない伏線がいっぱい。
すでに『T2』の1997年8月29日、『T3』の2004年7月24日、
『T:SCC』の2011年4月21日と“審判の日”が3つもあるわけで、
まだまだ歴史は変わるかもしれませんが、とりあえずシーズン2は見たいと思います。

本『ぼくたちが考えるに、』

ぼくたちが考えるに、  マスコラボレーション時代をどう生きるか?

『ぼくたちが考えるに、 マスコラボレーション時代をどう生きるか?』
著 チャールズ・レッドビーター
エクスナレッジ

◆読書メモ

ブロガーたちだけでは独裁主義的な支配者を打倒できない。

ホビイストの大多数は気づいていることと思うが、きみたちのほとんどは
ソフトウェアを盗んでいる。ハードウェアには金を払わなければいけないが、
ソフトウェアは共有するものだ。その仕事に従事する人たちが
給与をもらえなくても知ったことか、というわけだ。
(ビル・ゲイツのホビイストへの書簡)

この歌はアメリカ合衆国で著作権番号154085のもとに28年間の
著作権が設定されており、同曲をおれたちの許可なく歌っているところを
発見された場合は、何人もおれたちの超親友となる。
おれたちは気にしない。出版するべし。書くべし。歌うべし。
スウィングすべし。ヨーデルすべし。おれたちはただ書きたかっただけだ。
(ウディ・ガスリーの著作権表示)

イノベーションと創造性は個人主義的ではないのです。
実は相互作用、人々を正しいやり方で互いに交流させることにかかっている。
リーダシップとは人々が一緒に働くことを
大いに楽しめる雰囲気作りのことなのです。
(ノキアの会長ヨルマ・オリラ)

われわれの教育システムの問題は、こういった狭く還元主義的な
アリストテレス型アプローチで学習してきたことにあります。
複雑なシステムを試して直感的にそこをすすんでいくようには
設計されていない。ゲームはそれを教えてくれるのです。
つまりわたしは、失敗は成功よりすぐれた教師だと考えています。
試行錯誤、心の中のリバース・エンジニアリングみたいなもの、
子どもたちがゲームと対話するあらゆる方法
――それこそ学校で教えるべき考え方です。
世界が複雑さを増して、結果がますます成功か失敗かでは
計れなくなってくれるにつれて、ゲームのほうがうまくそれに
取り組めるようにしてくれると主張したいですね。
(ウィル・ライト)

ウェブの政治的重要性を測る最高の指標は、
バラク・オバマがフェイスブックで何人の友人を持っているかではない。
シリアやビルマ、中国やイランのブロガーたちが
声をあげられるかどうかだ。だからこそ、インターネットを
情報やアイデアの交換用のオープンなグローバルコモンズとして
保存することがきわめて重要なのだ。
アラム世界の人々でブロードバンドに接続できているのは
たった4パーセントだ。中東で民主主義を推進する最も強力な方法は、
この数字を50パーセント以上にすることだ。
インターネットが民主主義に対してできる最大の貢献は、
中国の一党独裁を秩序だった形で移行させることだろう。


本『創刊の社会史』

創刊の社会史 (ちくま新書)
『創刊の社会史』
著 難波功士
ちくま新書

男性誌と女性誌の堺をいったりきたり、
お姉さん版、妹版と、年齢も上へ下へと伸ばし、
数々の雑誌が創刊されて(かつ消えて)いった様を追う。

『平凡パンチ』女性版から『an・an』が生まれ、
二匹目のドジョウをねらって『non・no』が誕生。
『女性自身』別冊から派生した『JJ』の後を追って、
『CanCam』、『ViVi』、『Ray』の赤文字系4誌がスタート。
西海岸をフューチャーしたカタログ雑誌として
『POPEYE』、『Hot-Dog PRESS』がヒット。
『MEN'S CLUB』の妹誌として『mcSister』が生まれ、
『BIG tomorrow』と『SAY』も兄妹誌。
(ナンシー関が「こういう兄妹いるな。さしずめ
兄・岸谷五朗、妹・中嶋朋子でどうだろうか」と言っているのは、うまい。)
『POPEYE』の女性版として創刊された『Olive』が西海岸テイストでは
売れず、ロマンティックというコンセプトで作り直し、「ガーリー」を確立。
『BOON』のガールフレンド誌として『Zipper』が誕生。

私はそれほど雑誌っ子じゃないんだけど、
中学生になる前に参考として初めて買ったファッション誌は『San Sun』で
『mcSister』のモデルは当時の私の目から見ても
キチンとして垢抜けて見えたなーとか、
高校の友達にオリーブ少女がいて、
彼女の家に行ったら部屋に木のベンチがあってびっくりしたとか、
大学のときは、時間が空くと生協で『CanCam』、『JJ』、『ViVi』、『Ray』を
かたっぱしから見て、そのとき一番気に入ったのを買ったりとか、
(『an・an』は毎週誰かしら買ってたから借りてすませてた)
『non・no』は実用的なんだけどちょっと野暮ったいイメージで、
でもモデルはすごくかわいいと思ってたとか、
まあ、いろいろ思い出しながら読みました。
雑誌が雑誌として売れていて、
ファッションや流行にメディアとして何らかの力をもっていた、
いい時代だったんだねー。

そのほか、『平凡パンチ女性版』1966年8月10日付け第2号の
グラビアページが「キミの高原ルック」だったり、
『Hot-Dog PRESS』のカノジョ誌『Miss Hero』の表紙に
“今月のミス・ヒーロー”として「洞口依子さん(16歳)立正高校2年」が登場してたり。

『POPTEEN』、『Cawaii!』、『egg』、
『CUTiE』、『SPRING』あたりになると、さすがについていけない。
(『NIKITA』って休刊してたのね)

雑誌の創刊をカテゴライズしながら追っていくことで
なんとなく当時の社会や出版社側の思惑が見えてくるのだが、
むしろ、『Olive』や『egg』が創刊後、どう変わっていったかあたりが
おもしろいところで、そこらへんの掘り下げが浅いのは惜しい。
雑誌が広告や情報になってしまった今、
80年代、90年代に二匹目、三匹目をねらって次々創刊される
雑誌のバイタリティはキラキラして見える。
著者が最後に言っているように、こうした中で、
『小悪魔Ageha』や『MEN'S KNUCKLE』の
“マーケティングではつくれないもの”はかなり貴重に思える。


◆読書メモ

ポパイ創刊以前の編集長は、自分のつくりたい雑誌を純粋につくればよかったが、
ポパイの成功は、創刊編集長の個人的考え方以上に電通雑誌局の意向が
重要視されるようになった。10年後の88年に、ぼくが「Hanako」を創刊した時には、
より電通の力が強くなり、発刊前の2ヵ月間は、誌面をつくる努力よりも、
企業の宣伝部・広報部めぐりが最優先の仕事になった。(椎根和『POPEYE 物語』)

出世魚コース
光文社『JJ』→『CLASSY』→『VERY』→『STORY』→『HERS』
小学館 『CanCam(AneCan)』→『Oggi』→『Domani』→『Precious』
集英社『non・no』→『MORE』→『BAILA』→『LEE』→『marisol』→『eclat』

「雑誌を作るのは結局、コミュニケーション願望が他人よりも強いから始めたこと。
ところが今のマスコミは完全な企業になってしまって、資本主義の論理のなかに
置かれている。ビートニクの人たちが出てきた50年代後半のアメリカはいまの
日本と同じようなマスコミの状況にあった。ビートニクはいわば人間性が
どんどん失われていく状況にレジスタンスして生まれたものなんだ」
(『Bar-f-Out!』山崎二郎)

「“良家のゲレンデ”斑尾で、キミだけの「紀子さま」に会える!」
『BOON』90年1月号

以上のような社会の動向は、何もメディアが任意につくりあげたものではない。
雑誌メディアも何らかの加担はしていたであろうが、それらの社会動向は
雑誌によって可視化された現象、もしくはブースとされた趨勢だというのが、
もっとも正確なところであろう。

本『フラット化する世界』

フラット化する世界 [増補改訂版] (上)
フラット化する世界 [増補改訂版] (下)

『フラット化する世界』
著 トーマス・フリードマン
日本経済新聞出版社

今さらですが、読みました。
アメリカで第一版が発売されたのが2005年。
私が読んだ「アップデート&増補版」が2006年。
さらに、「増補改訂版」が2008年に発売されており、
その間に世界の状況も多少、変わっているはず。

この本に影響を受けたり、引用している本を何冊か読んでいるので、
それほどびっくりするような内容が書かれているわけではなく
「世界はフラット化している」というテーマはすでに共有されていると思うが、
ロングセラーになるだけあって、とてもおもしろい。

著者はこのフラット化の流れがベルリンの壁崩壊から始まったと書く。
「1980年代の初めから半ばに始まった情報革命だ。
全体主義体制は、情報と権力の独占に依存しているが、
ファックス、電話、さらにパソコンの普及によって、
鉄のカーテンをすり抜ける情報が飛躍的に増えた。」

『スラムドッグ$ミリオネア』の主人公はインドのコールセンターで
お茶汲みをしている。映画では「たんなるお茶汲みが大金を手にする」
とクイズの司会者に揶揄されているが、コールセンターの仕事は
インドではお金にもなるし、社会的地位も高いそうだ。
今では、アメリカのユーザーがデルやマイクロソフトのサポートに
電話をかけると、インドのコールセンターにつながる。
飛行機の遺失物案内もインドにアウトソーシングされている。

そのほか、アメリカの病院ではCTスキャンの読み取りを
インドやオーストラリアにアウトソーシングしているとか、
Y2Kのソースコード検査によって、インドのIT産業が世界に知られるようになったとか、
壊れた東芝のノートパソコンはUPSによって東芝の修理工場に運ばれるのではなく、
UPSの支店で客から受け取り、UPSの修理工によって修理され、客に戻されるとか、
現地取材に基づく、具体例がいっぱい。

なかでもマルクスとエンゲルスが世界のフラット化を予測していた
という指摘はおもしろい。
「生産物を売るための市場をたえず拡大する必要に迫られて、
ブルジュアは地球上をせわしなく駆けめぐる。あらゆる場所で家庭を作り、
定住し、つながりを結ぶ。ブルジュアの世界市場開拓によって、
生産物と各国の消費には、全世界共通の特徴が備わる。
新しい産業では、国産の原料ではなく、遠隔地の原料を加工する。
生産物は国内で消費されるのではなく、地球のあらゆる場所で消費される。
昔はさまざまな欲求を国内生産だけで満たしていたが、
いまは遠い国や地方の生産物によって欲求を満たすことが求められる。
かつては地方や国が閉じこもって自給自足していたが、
いまはあらゆる方面と交流し、世界各国が相互に依存している。
物質ばかりではなく、知的生産物の面でも同じである。
一つの国の知的創造が、共通の財産になる。国家が偏向したり
狭い考えを持つことは、いよいよ難しくなり、無数の国や地方の文芸から、
一つの世界文芸が生まれる。」(『共産党宣言』)

本書では、フラット化がなぜ起きたか、
フラット化に取り残されないために教育はどうあるべきなのか、
(向上心のあるインドや中国に比べて、アメリカでは工学や数学を
勉強する学生は減っているそうだが、日本なんてもっとひどい状況だろう。)
フラット化の弊害は? フラット化を阻害する要因は何なのか、
といったことを探っていく。
イスラエル報道をしていた人だけに、アルカイダへの記述が多い。
エネルギー問題への懸念は最近発売された『グリーン革命』につながるのだろう。

知り合いのライターさんから、「デルのサポートに電話をしたら、
まともに日本語が通じなかった」という話を聞いたことがあるが、
現在、デルのサポートは中国で行なわれている。(日本の場合?)
デルの工場は世界に6ヵ所あり、(アイルランドのリムリック、
中国のアモイ、ブラジルのエルドラド・ド・スル、テネシー州ナッシュビル、
テキサス州オースティン、マレーシアのペナン)、
客から注文を受けると、世界各地から必要部品を取りよせる。
(部品のサプライヤーのリストは約2ページにわたるので引用を断念。)
好むと好まざるに関わらず、世界はフラット化しているのだ。

◆読書メモ

ITバブルが最高潮に達していた時期、ダボスの1999年世界経済フォーラムで
ビル・ゲイツが行なった記者会見のことは、今後もずっと記憶に残るだろう。
ビル・ゲイツは、「ゲイツさん、このインターネット関連株の高値はバブルですね?」
といった趣旨の質問攻めに遭っていた。
「いいか、あんたたち、バブルに決まっているじゃないか。だが、
このバブルは、インターネット産業に新たな資本を惹きつけていて、
イノベーションをどんどん加速させているんだ」
ゲイツは、インターネットをゴールドラッシュになぞらえた。
地中から金を掘ること自体よりも、リーバイスのジーンズやツルハシや
シャベルを売ったりホテルに客を泊めたりするほうが、
ずっと金になったというのを説明するためだ。

「両親は南カリフォルニアのIBMで出会い、僕はパサディナの北の
ラ・カナダという町で育った。家にはずっと昔からコンピュータがあった。
買い物のリストは、昔のIBMのメインフレームで使っていた
パンチカードにメモしていた。」
アパッチコミュニティーのブライアン・ベーレンドルフ

ザラの手法は、高度なITに負うところが大きい。
「客の好みをモニターするために、店長は全員送受信能力のあるPDAを携帯し、
中央企画室にデータをじかに送る」
9.11直後、ザラの経営陣は、消費者が深刻な気持ちになっていると見て、
数週間以内に黒を基調とする新製品を店舗にストックさせた。

ウォルマートの幹部が私に語った。ハリケーンの季節には、
保存が簡単で傷みにくいスナック類の消費が増える。
家庭の電源を必要としない子供用のゲームが、
テレビの代用になるのでよく売れる。ハリケーンが来ると、
ビールの消費量も増える。だから、ハリケーンがフロリダに迫っていることを
ウォルマートの気象部門が本部に伝えると、フロリダの店舗では、
サプライチューンがハリケーン向け商品構成に自動的に組みなおされ
――まずビールを、そして次にポップターツを増やす。

何を検索しているかをグーグルが把握しているのと同じように、
TiVoもどの番組やCFを一時停止したり保存したり巻き戻して
見たりしているかを把握している。テレビ史上、巻き戻して見た回数が
一番多かった場面は何か? 答:ジャネット・ジャクソンのおっぱいぽろり。

現時点では、誰でもこのプラットフォームにアクセスできるわけではない。
新しい競技場に誰でも入れるわけではない。
ただ、世界がフラット化しつつあるというのは、誰もが平等であるという意味ではない。
接続し、競争し、共同作業し、そして残念なことに破壊するために、
フラットな世界のプラットホームにアクセスできる力をもつことのできる
時と場所と手段が、いままでよりもずっと増えている、といいたいのだ。


本『大聖堂 果てしなき世界』

大聖堂―果てしなき世界 (上) (ソフトバンク文庫 フ 3-4)

大聖堂―果てしなき世界 (中) (ソフトバンク文庫 フ 3-5)

大聖堂―果てしなき世界 (下) (ソフトバンク文庫 フ 3-6)

『大聖堂 果てしなき世界』
著 ケン・フォレット
ソフトバンク文庫

大傑作『大聖堂』の18年ぶりの続編。
といっても、私が前作を読んだのは2年前なので、それほど待たずにすみましたが。
1月ごろに、「『大聖堂』の続編発売!」というリリースを見て、
同じく、前作ファンのSさんに知らせて歓声をあげたほど。
発売日には本屋に確認に行きましたよ。
新刊だから当たり前だけど、どこの本屋にもこの本が置いてあって、
紀伊国屋に1冊しかなかった前作とは大違い。
上・中・下、それぞれ別の本屋で買えたよ。

物語は前作から200年後。
羊毛商人の娘カリス、建築職人マーティン、貧しい農夫の娘グウェンダ、騎士ラルフ
の4人を中心に、修道士ゴドウィン、フィルモン、
伯爵夫人フィリッパ、農夫ウルフリックらの運命が絡み合う。
前作のジャック・ビルダーとアリエナの末裔がマーティンとラルフの兄弟で、
トム・ビルダーの血を引くのがカリスと従兄弟のゴドウィン、という設定だが、
ジャックやアリエナは200年後の世界ではもう伝説であり、
かわらずにキングズブリッジの大聖堂だけがそびえ立っている。

先に読了したSさんから「キャラがかぶっている」と聞いていたとおり、
建築職人マーティンはジャック、カリスはアリエナ、
残酷なラルフはウィリアムとかぶる。
しかし、良くも悪くも、キャラクター的にはパワーダウンしており、
常軌を逸した感のあったウィリアムほどラルフは激しい性格ではなく、
マーティンやカリスもある程度、常識人だ。
前作で私がいちばん好きだったのはウィリアム・ハムレイだったけど
本作でいちばん魅力的なのはグウェンダ。
上巻は8歳のグウェンダが盗みを働くところから始まり、
グウェンダで終わるという、ヒロインぶり。
橋の建設と、グウェンダが愛する男をいかに陥落させるかという
それぞれの欲望が同じように語られるところがすごい。

この魅力的なキャラクターたちを映像で見てみたい
という気持ちもあるのだが、話が長すぎて、映画では無理だろう。
しかも、残酷な戦闘シーンや性的な場面もいっぱいあるので、
R指定は確実。
フォレットの描くヒロインたちは、カリスもグウェンダも
フィリッパも、グウェンダのライバル、アネットもみんな非常に官能的
なんだが、髪がどうとか、仕草がどうとかというセクシーさではなく、
胸だったり丸い腰だったり、肉感的に男たちを誘う。
これらのシーンがややうるさいとも言えるが、
まさに体と知恵と勇気で道を切り開いていく女性たちのかっこいいこと。

前作は大聖堂が完成するまでの話だったので、
キングズブリッジは次第に大きくなっていく町だったけど、
今回のキングズブリッジはすでに羊毛で成功した町で、
それが数々の災難をくぐりぬけて、いかに発展していくかがポイント。
善の立場だった修道院長フィリップと違い、
今回は教会は保守的な壁となり、商人や農民の改革の前に立ちはだかる。

上巻は土・日で読み終えたものの、平日になると一気読みもできず、
中巻は1週間、下巻が休みに入って一日かかって読了。
続きが気になるので、どうしてもパラパラとページをめくってしまうのだけど、
そのたびに、「えっ、○○○が修道院長!」、
「○○○と○○○に子供が!」と予想を大きく上回る展開にいつもびっくり。
中巻の帯に「キングズブリッジを未曾有の危機が襲う!」
と書かれているんだが、いつでも危機につぐ危機で、
橋田壽賀子の連ドラかよ!と言いたくなるのだが、
本当に未曾有の危機でまたびっくり。
前作のように大聖堂が目の前で完成していくような感動はないものの、
ノンストップの歴史物語が楽しめます。


DVD『スカイ・クロラ』

スカイ・クロラ [DVD]

『スカイ・クロラ』

原作の雰囲気がわりと好きだったので、見てみた押井守の劇場版アニメ。
原作の『スカイ・クロラ』は、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』と一緒に
紹介されていたので、興味をもって読んだんだけど、
時の止まったような閉塞感とか、まだ若いはずの登場人物たちの諦念とか、
たしかにちょっと似ている。
東日本国際親善マラソンでアメリカ軍基地を走ったとき、
あー、この風景は『わたしを離さないで』っぽいっと思ったんだけど、
映画『スカイ・クロラ』の基地の風景がまさにそんな感じ。
そこらへんの、どこかひどく孤独な風景というのはアニメでもよく表現されていたと思う。

ヨーロッパ風の建物も私好みだが、
まあ、どうにも押井趣味を押し付けられている感は否めない。
オルゴールが出てきたときは「またかよ」と思った。
あの空中戦を手描きでやるのは無理、というのも理解できるのだが、
CGの飛行機はやっぱりゲームにしか見えない。
リアル感を出せば出すほど、3Dゲームっぽい。
(しかし、どうしてCGって軽いんだろう。2Dだって重厚感は出せるのに、
CGで描いた機体や建物はなぜあんなに軽いんだ。)
原作のレバーを引く重さや機体を傾けるときの描写なんかが好きだったので、
(原作を読み終わったあとはしばらく自転車をカーブさせるときにさえ
飛行機を思い浮かべたくらい)
映画ではその手ごたえがまったくないのも残念。

もともと登場人物たちは非常にクールなんだが、
それを声優慣れしていない俳優たちと、表情のとぼしい絵でやるので、
どうにも心が入ってない感じ。
綺麗な風景と、CGの空中戦も、描写としては美しいが、
心を打つものがない。

ストーリーは原作よりずっとわかりやすくなっているが、
原作でもラストの急展開は破綻している感じで、
(ラストが変えられているといっても)映画でも破綻はそのまま。

いろいろ微妙な作品でした。

くま35

つくったもののフィルムがなかなか使い切らず、
そのまま放置状態だった『くま35』
やっと現像して、フィルムスキャナーで取り込んでみました。

いまどき「現像だけお願いします」って言ったら、
お店でちょっとびっくりされました。料金は500円くらい。
『くま35』は手でフィルムを巻上げるので、1シートに3枚写っていたり、
5枚写っていたり、適当。
フィルムは24枚撮りだったけど、写したのは16枚。
その中で比較的まともなのを。
ファインダーはもちろんないので、構図がメチャクチャだったり、
元写真が暗すぎるものは画像補正しているので、ノイズのりまくりですが、
ピンホールカメラ的なここはどこな幻想感は残ってて、まあいいんじゃないかと。

Kuma03b

Kuma05b

Kuma06b

Kuma08b

Kuma14b

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