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茶漉し付きマグ

中国茶荘 田丸』で使って以来、欲しいと思っていた
茶漉し付きマグを買いました。

茶漉し(ストレーナー)付きなので、ひとり分のお茶を手軽に入れられて、
フタに茶漉しを乗せれば、そのままマグカップとして利用できる。
何煎も楽しめるようなお茶なら、茶漉しを戻してまたお湯をそそぐだけ。
片付けの手間も少ない。なんて効率的で機能的!
そしてなんといってもかわいい!

中国や香港ではどこでも普通に売られているものだそうで、
日本でも中国茶の専門店なら扱ってます。
『中国茶荘 田丸』でも売ってたんだけど、私が行ったときは
柄が2種類しかなかったので、ネットショップをチェック。
しかし、中国で普通に売られているものだけに、種類も多く、
値段も900円台~6000円台までいろいろ。
(同じ商品でも店によって値段が違ったりするんだけど、
これはそもそも中国での値段や仕入れ価格が違うらしい。)

散々悩んだあげく、渋谷の『華泰茶荘』で扱っているのを見つけたので、
結局、お店に足を運んで、店頭でも散々悩みました。

青磁ハス柄茶漉し付きマグカップ
買ったのはコレ。『青磁ハス柄茶漉し付きマグカップ』。1575円。
『華泰茶荘』のオリジナル。
最初はもっとチャイナな柄が欲しかったんだけど、
実際に見たら、シンプルなこれが気に入りました。細みなのも飲みやすい。

彩蓮茶漉し付きマグカップ
これも悩んだけど、高めだったのと、ちょっと大きいかなと。
『彩蓮茶漉し付きマグカップ』。3465円。

Img24848054_2
お店に行くまで第一候補だった『風清堂』の『金魚茶漉付きマグ』。1575円。
実物を見たら、金魚がかわいすぎる気もして。

その他、悩んだ人たち。

茶漉し 陶器マグカップ<蓮・ロータス> 【中国茶器】
蓮・ロータス

茶漉し付マグカップ<木蓮> 【中国茶器】
木蓮

茶漉し付マグカップ<花> 【中国茶器】

茶漉し付マグカップ <パンダ> 【中国茶器】
パンダ

エクサミュージックで走ってみた

練習を再開するにあたって、今シーズンの目標は「制限時間内に走る」こと。
(目標のレベル低いですが、昨シーズンから引き続きの目標なのです。)
具体的には、ハーフを2時間30分で走る。
キロ7分で走ればギリギリOKなんだけど、
関門を気にせず走るには、もう少しペースアップしたい。
普通に走っていてもペースアップは難しいので、
ランニング専用音楽『EXERMUSIC』を試してみることにしました。

まず、サンプル音楽や試走用データで走ってみて、
(試走用データはココからダウンロードできます。)
とりあえず初心者向けのBPM160でプレイリストを作成。

自分の生まれた年を入れると青春時代メドレーを作成してくれる、
“おまかせ簡単一発選曲”という機能があるんですが、
試してみたところ、
01. DIAMONDS〈ダイアモンド〉
02. 真夏の果実
03. GLORIA
04. 世界でいちばん熱い夏
05. リゾ・ラバ ―Resort Lovers―
06. 笑顔の行方
07. くちびるから媚薬
というプレイリスト。ちょっとどうなの。

で、“J-POP タイムマシーン 80'S”とか“アニメ・ヒーローソング”とか、
“懐かしの刑事ドラマテーマ曲集”とか、ひと通りチェックしてから、
結局、自分で選曲。コンセプトは『ローカル鉄道の旅』。

01. YOU CAN'T HURRY LOVE
02. DAYDREAM BELIEVER
03. CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU 〈SINGLE VERSION〉
04. GIRLS JUST WANT TO HAVE FUN
05. CALIFORNIA DREAMIN'
06. WHAT A FEELING
07. DANCING QUEEN
08. I WILL ALWAYS LOVE YOU
09. HAVE YOU NEVER BEEN MELLOW

30分で525円。自分専用プレイリストが作成されると、
メールが届くので、そこからmp3ファイルをダウンロード。
1曲1曲mp3ファイルになっているのではなく、
30分1セットなので、あとから曲の順番を入れ替えたりはできません。
で、このmp3ファイルをiPodに入れて、走るときに選択するわけです。

実際、走ってみたところ、歌詞がないので、
たしかにリズムや走りのフォームなんかに集中しやすい。
(歌詞があるとどうしても聴いちゃうしね)
ペースにあわせて編曲してあるんだろうから、
何の曲でもいいかと思ったんだけど、
『DAYDREAM BELIEVER』とか盛り上がる曲の方が
やっぱり走ってて楽しい。
あと、3分くらいで別の曲に変わるので、サビの部分で切れちゃう曲もあったり。

途中、金さんの「背中が丸くなってませんか?」などの
アドバイスが入るのはいいのですが、
iPodの「あと○kmです」というアナウンスと、
EXERMUSICの「○分経過。○カロリー消費しました」というアナウンス、
金さんのアドバイスと、いろんな声が入れ替わり立ち代り流れてややうざい。

肝心のリズムはBPM160でも、私にはまだ速いかも。
テンポをあわせるため、歩幅を小さめにして走るんだけど、
そうすると、キロ7分20秒くらいのペースで、
いつもより遅いじゃん、ということに。
練習を続ければ、速いペースで走れるようになるのかな?
まあ、おもしろいはおもしろいので、しばらく続けるつもり。

EXERMUSICのサイトは使い勝手がいまひとつで、
ランニングの仕組みもわかりにくいので、もうちょい改善してほしい。
(アニメ・ヒーローソングが『タッチ』、『残酷な天使のテーゼ』って
ぬるすぎない?)

※追記(2009/10/4)
エクサミュージックだいぶ慣れてきました。
STEP』で音楽と走りの関係を特集していたけど、これによると、
ジョギング中には、運動、呼吸、心拍のそれぞれのリズムがあって、
この3つのリズムを調和すると、呼吸が楽になり、
エネルギー効率や運動効率がアップするんだそうだ。
運動リズムは自分で変えられる、呼吸リズムは意識して行えば自分で変えられる、
心拍リズムは自分では変えられない、
この3つを同調させるのに一定のリズム(音楽)が有効ということらしい。

たしかに足のステップを無理にリズムに合わせようとするよりも、
呼吸をリズムにあわせると、呼吸するのが楽だし、
足も自然と同調していくような気がします。


Nike+ iPodセンサー故障

AppleNike + iPod Sensor

久しぶり(半年ぶり?)に走ろうとしたら、
アームポーチは見つからないし、ストップウォッチの電池は切れているし、
極めつけにiPodのセンサーが認識しない。
(わりとよくある現象らしいので、覚え書きとして書いておく。)

スリープモードになっている可能性があるので、
シューズからセンサーを取り出し、
スリープ解除ボタンを何度かオンオフしてみたが認識しない。
センサーがレシーバー、iPod touch (2nd generation)、
または iPhone 3GS で認識されない

バッテリー切れにはまだ早いし、バッテリー不足の表示もない。
センサーのバッテリーについて

しかし、認識しないものはしないので、センサーを取り替えることに。
アップルストアやネットでもセンサーのみを販売しているが、
送料が500円ほどかかってしまう。(本体2200円)
銀座か渋谷に行ったときにでも買うかと思っていたら、
auに乗り換えた、ねーさんがNike+iPodキットごと譲ってくれた。

この場合、元のレシーバーと新しいセンサーをリンクさせる必要がある。
複数の Nike + iPod センサーを使うにしたがって、
iPod nanoから「Nike+iPod」 → 「設定」→ 「センサー」→ 「リンク」を選択、
新しいセンサーが認識されればOK。

iTunes上のNike+iPodからは2つのセンサーが選択できるようになる。
なるほど、複数のシューズにそれぞれセンサーを入れて使う、
なんてこともできるわけだ。

『ターミネーター3』 in ウィキペディア

『ウィキペディア・レボリューション』を読んで、前に見たウィキペディアの
『ターミネーター3』の記事を思い出したので、履歴をチェックしてみた。

前に気になったのはこの部分。
(太字は後に変更された箇所)

 *前作でジョンを演じたエドワード・ファーロングは、
 当時は非常にハンサムな少年で製作側ファン
 続投んでいたが、ドラッグ問題のために降板した。
 今作で同役を演じた[[ニック・スタール]]は、見方は人それぞれではあるが
 ハンサムとは言いがたい容貌であったため

 日本のファーロングファンからは「スタールをジョン・コナー役に
 配したのはミスキャストである」という批判が大きかった。
 一方、肯定的なファンの中は、ファーロングよりも
 スタールの方が「1」登場したジョンの父親カイル・リース役の
 [[マイケル・ビーン]]に似ているという意見もる。
 (2009年2月5日 (木) 03:00時点における版)

「見方は人それぞれではあるが」とか、
「ハンサムとは言いがたい容貌であったため」とか、
非常に気を使った書き方でしょ。
エドワード・ファーロングについても「当時は非常にハンサムな」だもんね。
みんなで編集していってできてしまった苦労の跡が感じられる文章だなと
読みながら思ったんですが、その後、もっとシンプルに変更されていました。

 *前作でジョンを演じたエドワード・ファーロング
 製作側ファンによる続投まれていたが、ドラッグ問題のために降板した。
 今作で同役を演じた[[ニック・スタール]]に対して
 日本のファーロングファンからは「スタールをジョン・コナー役に
 配したのはミスキャストである」という声もあった。
 一方、肯定的なファンの中からファーロングよりもスタールの方が
 「1」登場したジョンの父親カイル・リース役の
 [[マイケル・ビーン]]に似ているという意見も出ている。
 (2009年2月9日 (月) 08:32時点における版)

どこで変更されたのか履歴をさかのぼるとココでした。
さらにさかのぼって「ハンサムとは言いがたい」が登場したところを探すとココ

 *前作でエドワード・ファーロングが演じたジョン・コナー
 父親譲りのハンサム少年のイメージにピッタリということ採用されたが、
 今作ニック・スタールは前作のキャラあまりにもかけ離れてるので、
 日本のファンからミスキャストという意見相次いだ
 (2007年8月6日 (月) 14:47時点における版)

 *前作でジョン・コナー役を演じた[[エドワード・ファーロング]]
 当時は非常に
ハンサム少年であったが、今作で同役を演じた
 [[
ニック・スタール]]ハンサムは言いがたい容貌あったため
 日本のファーロングファンからは「スタールをジョン・コナー役に
 配したのは
ミスキャストである」という批判大きかった
 (2007年8月11日 (土) 11:02時点における版)

その後、ココで「人の好みによる」が付け加えられている。

 *前作でジョン・コナー役を演じた[[エドワード・ファーロング]]は、
 当時は非常にハンサムな少年であったが、今作で同役を演じた
 [[ニック・スタール]]はハンサムとは言いがたい容貌であったため
 (しかし、これは人の好みにもよる)
 (2007年8月12日 (日) 18:19時点における版)

これが個人のブログであれば「『T2』のエドワード・ファーロングは
美少年だったのに、サル顔ニック・スタールがジョン・コナーなんて」
と書けばすむものを、無理に両論併記するとこうなっちゃうんだなーと。
そもそも映画の評価に中立性や公平性を求めることに無理があるし、
そんな文章はおもしろくないんだけど。

本『ウィキペディア・レボリューション』

ウィキペディア・レボリューション―世界最大の百科事典はいかにして生まれたか (ハヤカワ新書juice)
『ウィキペディア・レボリューション
世界最大の百科事典はいかにして生まれたか』

著 アンドリュー・リー
ハヤカワ新書juice

ウィキペディアの誕生と現状を追った本。
ウィキペディアについては、web2.0のわかりやすい例として、
一時期さんざん持ち上げられたけど、近年はその問題点を指摘する本が多い。
『ウィキペディア革命』『ウィキペディアで何が起こっているのか』
本書はそのバランスがとてもよく、ウィキペディア以前の百科事典の歴史、
ストールマンによる“コピーレフト”の考え方から、どのようにウィキペディアが
発展していったのか、そしてどのように変わっていったのかを詳細に描いている。

その後、ボットによる記事の大量作成やユーザーによるドット・マップの作成
などを経て、ウィキペディアの記事は増え続け、問題も表面化する。
有名なものとして、グダニスクとダンツィヒの編集合戦、
広告掲載をめぐってスペイン版ウィキが分裂した「スパニッシュ・フォーク」、
シーゲンソーラー事件、宗教学の終身教授と身元を偽ったEssjay騒動
などの詳細がおもしろい。

フリーの精神で始まったはずのウィキぺディアが、発展するにつれ、
ユーザーの善意を信じるだけではいられなくなる。
トロール、ソックパペット、荒らしなどを経て、ウィキペディアは
厳格なルールや管理主義が必要とされていく。
後半に書かれた、この問題点は非常に重要。
それをたんに批判するのではなく、なぜそうなってしまったのか、
具体的な経過があるので、簡単には否定できない。
ウィキペディアは今も壮大な実験の最中であり、
その成否はインターネットの可能性と限界を象徴するものになるだろう。


◆読書メモ
(※行頭文字下げは引用。それ以外はまとめ書き。)

映画『クイズ・ショウ』にも登場するヴァン・ドーレンは、
クイズ番組のやらせが発覚し、コロンビア大学の教授職を失う。

 多くの人々が知らないのは、その後の彼の人生だ。彼は教師と執筆業を
 なりわいとしてつつましい生活を送りながら、権威あるブリタニカ百科事典の
 著書および編集者として、新たな道を歩み始めたのだ。
 1962年、彼は百科事典について先見的な見解を述べる。
 それは、まさしく将来のインターネットで実現する出来事であった。
 「世界は急激に変化している。したがって、百科事典も先進的でなければならない。
 百科事典は、政治においても、哲学においても、科学においても、安全な立場に
 甘んじていてはいけないのだ。30年後に認められるものは、
 現在ではあまりに先進的に見えるものだ。もし、2000年でも認められる
 百科事典を作ろうとするなら、1963年では大胆に見えるものでなければならない」

 バーナーズ=リーは、ワールド・ワイド・ウェブを使って文書を共有するという
 アイデアを試すに当たって、高解像度の文書の処理に適したNeXTキューブ・
 コンピュータを利用した。彼が1991年2月に初めて開発したウェブ・ブラウザは
 NeXTコンピュータ用だった。しかし、彼は単に読み取り用の「ブラウザ」を
 作るだけではなく、より壮大な計画を抱いていた。
 実際、彼は自身のプログラムを「ブラウザ・エディタ」と呼んだ。
 彼が開発したNeXT上のプログラムは、ウェブ・ページを読み込んで
 表示するだけでなく、変更して保存することもできた。
 これこそ、バーナーズ=リーが当初から思い描いていた機能だった。
 ウェブによる情報の読み書きによって、共有を行おうというものだ。

ジミー・ウェールズ、ティム・シェル、ラリー・サンガーが最初に取り組んだ
オンライン百科事典『ヌーペディア』は、投稿者や編集者は博士、教授、専門家に
限られており、記事が完成するまでにはピア・レビューなど7つのプロセスを
必要としたため、最初の年に完成した記事はわずか12個だった。
プロジェクトを迅速化するため、オープンでシンプルな編集システムとして、
ウィキの採用を検討する。

アップルの『ハイパーカード』に魅せられたウォード・カニンガムは、
自身が開発したハイパーカード・ツールにコラボレーション機能を追加。
Perlでこのインターネット版を開発し、ブラウズ中のページをユーザーが
簡単に編集できるサイトを作成した。これがウィキになる。

大文字をふたつ使って単語をつなげると、リンクが作成される。
単語の途中にコブができるので“キャメルケース(ラクダ表記)”と呼ばれ、
YouTube、MySpaceなど、大文字と小文字の組み合わせは、
ドットコム用語の定番となった。

RTFA
記事を読め! (Read the friggin article!)

 オックスフォード英語大事典(OED)の寄稿者の中には、教授や貴族もいたが、
 大半は呼びかけに応じた一般の人々だった。ウィンチェスターは、『博士と狂人
 ――世界最高の辞書OEDの誕生秘話』の中で、「狂人」であるウィリアム・
 チェスター・マイナーのエピソードを語っている。マイナーは合衆国陸軍の南北戦争の
 生き残りだったが、「異常な常軌を逸した行動」が高じて、ランベスの通りで
 「罪のない労働者」を撃ち殺し、精神異常の犯罪者としてブロードムーア精神病院に
 収監されてしまう。彼は1881年ごろ、書斎で「閲覧者へのアピール」を読み、
 OEDプロジェクトについて知る。それから21年間、彼はプロジェクトに協力しつづけ、
 「個々の単語、句、構文の文学史的証拠を高めることへの貢献は、
 フィッツエドワード・ホール博士の貢献に次ぐ」という賛辞を受けた。
 1891年にマイナーとマレーが面会するまで、OEDの関係者たちは彼が
 ブロードムーア精神病院に収容された狂人であり殺人者であることを知らなかった。

 技術業界には、「ハンマーを持つ人には、すべてが釘に見える」という有名な
 言い回しがある。

 ジンボ(ジミー・ウェールズ)は、この点がウィキペディアのすばらしい側面だと
 言っている。誰もが参加できて、みなで協力し合うという点がね。だが、
 そういう人々は、われわれが殺し合いをしているのに気付いていないのだ。
 われわれは、日々殺し合いをしている。テレビ・ゲームとか、くだらないことを
 めぐって。あるいは、誰かが駐車場所を間違えたとかいう理由でね。
 ウィキペディアは、人間性を映し出す暗い鏡を自分自身に向けて掲げているんだ。
 (ジェイソン・スコット)

 中国語、日本語、韓国語(この3つをCJKという)

 日本のウィキペディア編集者があえてユーザー名を登録しようとしない理由の
 ひとつとして、自分の身元を明かさない2ちゃんねるの「完全な匿名性」の普及が
 挙げられることが多い。

 ユーザーにユーザーIDが付けられていると、討論は批判のし合いになりますが、
 匿名システムでは、意見や情報を批判されたとしても、誰に怒ればいいのか
 分かりません。また、ユーザーIDがあると、サイトの常連が権力を持つようになり、
 ユーザーは反論しにくくなります。完全な匿名システムでは、つまらなければ
 「つまらない」と言える。情報はすべて平等に扱われる。正しい主張だけが通る。
 (西村博之)

  (日本語版ウィキペディアは)2005年には、世界で3番目に規模の大きい
 ウィキペディアだったが、フランス語とポーランド語に抜かれてしまった。
 日本語版にはrambotのようなソフトウェア・ロボットの一括追加による急上昇が
 見当たらないのだ。つまり、匿名ユーザーが大半を占める日本人ウィキペディアン
 たちは、手作業でひとつずつ、コツコツと記事を追加していっているということだ。

簡体字と繁体字の表記が論争の種になっていた中国版では、
ユーザーがプログラムを作成し、ボタンによって表示を選択できるようになった。
中国版には、中国本土(cn)、台湾(tw)、香港/マカオ(hk)、
マレーシア/シンガポール(sg)の4つの表記と、簡体字と繁体字、
計6つのオプションがある。
このソフトは同じ問題を抱えるセルビア語版とカザフ版も救うことになった。

DVD『ディスタービア』

ディスタービア [DVD]

『ディスタービア』

2007年公開作。
主演のシャイア・ラブーフは、同じく2007年公開の『トランスフォーマー』に主演、
2008年には『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』、
そして再び、D・J・カルーソー監督の『イーグル・アイ』に主演している。

シャイア・ラブーフの演技は悪くないし、こうゆうちょっと内向的で
オタクっぽい役はよく似合うが、何しろあのボンヤリ顔なので、
日本では受けないよなー。

自宅監禁中に、近所を覗き見したことから、殺人事件に巻き込まれ……、
という大枠は確かに『裏窓』だが、映画の印象はだいぶ違う。
デジタルビデオカメラやケータイ、監視用のGPSなど、
今どきの電子機器の使い方は悪くないし、
主役がトラウマを抱えた高校生で、
隣りの美少女とのティーンエイジャーラブが絡んでいるので
まったく新しい物語になっている。
(主人公のトラウマは必要だったのかなー。
未公開シーンを見ると母親と親子の対話も多いんだけど、
これは話が混乱してくるのでカットして正解。
キャリー=アン・モスの母親ぶりは結構良いですが。)

犯人の後半の行動がやや雑だったりするのが、
サスペンスとしては惜しい。
ヒッチコックへのオマージュっぷりは、この『ディスタービア』より、
『イーグル・アイ』の方が断然うまい。
おもしろかったけど、『イーグル・アイ』を先に見ちゃってるので、
比較すると、それより落ちるかな。

隣りの美少女サラ・ローマーは顔はわりと平凡なんだが、
プロポーションがいいね。水着姿やジーンズ姿が様になる。
シャイア・ラブーフが「君を見ていた」と告白するところはなかなかの名場面。
三枚目の友人役アーロン・ヨーは、ありがちな役ながら印象に残る。

本『2011年 新聞・テレビ消滅』

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)
『2011年 新聞・テレビ消滅』
著 佐々木俊尚
文春新書

佐々木さんによる、またまた刺激的なタイトルの本。
新聞とテレビの凋落については、アメリカでは深刻な事態になっているのだが、
日本では新聞はともかく、テレビはまだ危機感が薄い気がする。
しかし、佐々木さんは、「アメリカで起きたことは3年後に日本でも起きる」
と断言する。アメリカで新聞業界の崩壊が始まった2008年の3年後、
2011年は、完全地デジ化と情報通信法の施行という転換点である。

そして、メディアの構造をグーグルの及川卓也氏にならい、
「コンテンツ」、「コンテナ」、「コンベヤ」の3つのレイヤーで解説している。

つまり、従来の「新聞」は、
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=新聞紙面
 コンベヤ=販売店
という垂直統合モデルなのだが、これが、
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=ヤフーニュース、検索エンジン、だれかのブログ、2ちゃんねる
 コンベヤ=インターネット
と変化している。

「テレビ」の場合は、
 コンテンツ=番組
 コンテナ=テレビ
 コンベヤ=地上波、衛星放送、CATV
だったのが、インターネット上では、
 コンテンツ=番組
 コンテナ=ユーチューブ
 コンベヤ=インターネット
になっており、さらに、
 コンテンツ=テレビ番組
 コンテナ=テレビ、ケータイ、ゲーム機、パソコン
 コンベヤ=電波、ケーブルテレビ、インターネット
とオープン化が進むとしている。

こうなった場合、「紙かネットかという「コンベヤ」は重要ではない。
コンテナこそが本質なのである。」
成功例として「R25」があげられているが、
 コンテンツ=さまざまな記事
 コンテナ=リクルートの作った「R25」というプラットフォーム
 コンベア=紙の印刷物
となる。

そして、このプラットフォームをめぐる戦いが活発化すると予測する。
そのとき、今までのような“マスメディア”はもう存在しない。
生き残れるのは“ミドルメディア”だけだ。

新聞とテレビの衰退については、今までの本でも触れられているし、
現在の自分の生活を振り返ってみれば、納得がいく。
もうテレビ番組をリアルタイムで見ることはほとんどないし、
新聞だってやめてもいいと思っている。
(妹が納得していないので、とっているけど、それだって、
この本に出てくる、広告チラシサービス『Shufoo!』や『タウンマーケット』
でいいんじゃないか。)

アメリカで始まっている必死の生き残り戦略として、
有料化の例や『ニューズウィーク』のように、マスを捨て、
少数の人に訴求する雑誌をめざすという例も出てくる。

個人的には「雑誌の高齢化」が非常にぐっときました。
(引用が長くなったので詳しくは読書メモに)
雑誌がミドルウェアとして生き残るためにも、
意識改革が必要だよね。

新聞、テレビというマスメディアが崩壊した後に
新しいメディアを作っていくべきだと、佐々木氏は語るが、
毎日新聞社で働いていた人だけに、
あとがきには痛切な想いも記されている。
私はデジタルネイティブに生まれたかったと思うこともあるのだが、
新聞とテレビ、そして雑誌の時代を経て、
新しいメディアの誕生を見られるのなら、それもまた良しと思ったりする。


◆読書メモ

テレビがそうやって報じる流行が本当にあるかどうかは、
どうでも良いと藤岡氏はいう。「いま、何々が流行っている」
という話題だけが流行として成立すればいいのであって、
実体としての流行があるかどうかは問わないのだと。
「つまり、テレビというのは、もう実体としては存在しないかもしれない
『大衆』、個人では捕捉することもできない『大衆』を、それこそ
映像の上にイメージしていく貴重なメディアになったといっていい」
(『「分衆」の誕生―ニューピープルをつかむ市場戦略とは』藤岡和賀夫)

日本の伝統的な雑誌編集者は読書アンケートさえほとんど気にしていない。
なぜなら彼らは本質的には、「オレが良いと思ったものは良い!」
と考えているからだ。つまりは「編集者の勘」というヤツである。
この勘は、たいへんなパワーを発揮することもある―特に読者の
期待していることと、編集者のビジョンがきれいにマッチした場合には。
この美しいマッチングは、いまでも一部の雑誌には生き残っている。
趣味の雑誌や特定の層に向けて発信されるような雑誌がそうだ。
具体的な名前を挙げれば、徹底的に読者目線にこだわり、
“キャバ嬢ファッション誌”という新しい市場を作り出すことに
成功した雑誌「小悪魔ageha」などがそうだ。

こうした本能的な勘だけで作られた雑誌の場合、
年月を重ねるのに従ってだんだんと雑誌の中身が変質していってしまう
という問題がおうおうにして起きる。
なぜなら編集長や編集者は、年を取ってしまうからだ。

編集長や編集者が年齢を重ねたのにあわせて、雑誌の内容も
年を取ってしまったのである。この結果、本来は二十歳代前半向けだった
はずの雑誌はいつの間にか三十歳前後の読者向けになってしまい、
このため昔からの読者はついてきてくれているけれども、
若い読者は呼び込めなくなっていたのだった。

いまの二十代から三十代の若い読者は「カネと女と権力」なんて
読み物はあまり望んでいない。彼らが求めているのは、
「これからどうやってこの社会を生き延びていくのか」
といった自分の生活にもっと寄り添った具体的な情報だ。

日本の新聞社は「四十歳以上の記者しか本社編集部にいない」
といういびつな状況になってしまっているのだ。

「インターネット化された世界では、液晶プロジェクターが
オンラインになって画像をダウンロードしたり、携帯電話の
ブラックベリーをリモコンとして使ったりするようになってもおかしくない。
ネットワークにつながった機器がいつでも手元にあり、
それらの機器はあなたのために動作するように機能が実装されている。
今後の十年間、私はさまざまなシステムが他のシステムと
相互につながっていく時代がやってくることを予想する。」
(ヴィント・サーフ)

2011年の地デジ化を前に区域外再送信

煤けたフロアには煙草の煙が充満し、怒声が当たり前のように飛び交い、
殺伐としてひどい職場だったけれども、しかしみんな新聞を愛し、
自分の書く記事に絶大な自信を持っていた。
考えていることはスクープをとれたかどうか、人を唸らせる良い原稿を
書けたかどうかというただそれだけだった。
まさか自分のいるこの職場が、いずれは崩壊していくだろうなんて、
一度も考えたことさえなかった。殺伐として本当にひどい場所だったけれども、
でも自分のいま立っているこの場所は、世界の中心だと
信じることができたのである。
その場にうずまいていた嫉妬と憎しみと競争心は目眩がするほどだったけれども、
しかし今振り返ってみれば、それは幸せな時代だったのかもしれない。

本『闘うプログラマー』

闘うプログラマー[新装版] ビル・ゲイツの野望を担った男達
『闘うプログラマー 新装版
ビル・ゲイツの野望を担った男達』

著 G・パスカル・ザカリー
日経BP社

WindowsNTの開発を追ったノンフィクション。
『カッコウはコンピュータに卵を産む』と同様、
PC関連の名著として有名らしく、新装版として復刊。

物語の中心となるのはデビッド・カトラー。
1988年10月、DECからマイクロソフトに引き抜かれ
開発のリーダーとなる。

本書では開発に携わった多くのプログラマーにインタビュー。
彼らの容貌、どんな青年期を送ったか、どこでコンピューターに出会ったか
に始まり、それぞれの“闘い”を詳細に描いている。
あまりに多くの人が出てくるので、ひとりひとり区別ができないのだが、
大勢の人がNTの開発によって私生活までめちゃくちゃにされていく。

当初、1991年3月にゴールドマスター完成予定だったNTは、
マイクロソフトがOS/2を捨て、Windowsへ路線を変更。
そのため、NTは、新しいファイルシステムNTFS、
グラフィックインターフェース、WindowsやDOSとの互換性など
多くの課題を乗り越えなくてはいけなくなる。
カトラーは、1991年10月のコード完成予定をあきらめ、1992年4月に延期。
1991年10月のコムデクスでまだ未完成のNTを披露。
1992年10月に最初のベータ版をリリース。
「あまりにも大きく、あまりにも遅い」とビル・ゲイツに言われたNTの
スピードとサイズの改善が続き、
1993年5月のリリース予定はさらに延期され、
1993年7月にリリースされる。

この間、多くのマイクロソフト社員は仕事に追われ、
家族や恋人との関係を悪化させていく。
給料は安かったものの、マイクロソフト株は上昇を続け、
ストック・オプションにより、富を手にする社員も増える、
だけど、家には帰れない。

「「カネを使うのは、気分をすっきりさせるためだ」と言う。しばらくすると、
また新しい車がほしくなった。ポルシェよりも高いスポーツカー、ロータス・エスプリだ。
自宅にはテニス・コートをつくったが、ここでテニスをする時間がとれないと嘆いていた。
成功をおさめている別のプログラマーは、ワシントン湖畔の豪華な家にひとりで
住んでいるが、始終オフィスで寝ていて、自分は「ホームレスだ」と言っていた。」

プログラマーだけでなく、ビルド・ラボやテスターたち
裏方の苦労や、まだ少ない女性社員の話もおもしろい。
(女性プログラマーたちは掲示板を立ち上げ、
ヌードのビットマップ画像の表示に反対した。)

この本を読む限り、マイクロソフトで働きたくない、と思う。
カトラーに罵倒され、バグに苦しみ、
お金はあるのに、家族とは会話もできない、
リリース予定は延期されるばかりで終わりも見えない。
それでも、すばらしいコードによって問題を解決するなど、
プログラマーならではの喜びもよく描かれている。
最後のバグをめぐってリリース直前まで奮闘する様子は
まるでサスペンス映画。
「終わったよ」と家族に電話を入れるテスターの姿に
こちらまで達成感を感じてためいきが出た。


◆読書メモ

「自分たちがつくったドッグフードを食べる」、つまり、
「自分たちがつくったプログラムをつかう」

プログラマーを名乗る人はほとんどなく、名乗るような人は変人だとみられていた。
オランダを代表する元物理学者のプログラマーが、婚姻届の職業欄に、
プログラマーと書いた。そのような職業はないという理由で、
受け付けを拒否され、落胆したという。

「コンピューター・ゲームは新人の気概を試したり、
ベテランのハッカー同士が遊んだりするためのものだ。一般の人に
遊んでもらうために書かれたわけではない」と、ある評論家が評している。

マイクロソフトは、十分な研修をしないことで有名だ。
「泳げないヤツは沈めばいい」というのが、新人のルールだった。

インターフェースに魅力を感じるプログラマーの多くがそうであるように、
プログラミングは神秘的な活動だとみている。プログラミングにはたしかに
論理が必要だが、論理は表面の薄皮にすぎず、その奥には不可思議な力がある。
「魔法の言葉を、この小さな箱にむかって唱える。
呪文が正しければ、自分の力を実感できる」

どんなにいそがしくはたらいていても、ビルドの仕事では、
ひたすら待つしかない時間ができる。退屈しのぎに、みんなでテスト用マシンに
テレビの連続ドラマ、『ツイン・ピークス』の登場人物の名前をつけてみたり、
NT開発物語が映画化されるときに、主演をだれにすべきかを話題にしたりした。
カトラー役はジャック・ニコルソンで決まりだということになった。

「コンピューターは情け容赦のない批評家だ」と、コンピューター科学の
草分けのひとり、ジョセフ・ワイゼンバウムは語っている。設計者を評価するのは
仲間の設計者だが、プログラマーを評価するのは最終的には、機械なのだ。

神谷バー

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浅草の神谷バー。
浅草には年に何回か仕事で行くんだけど、
いつもアーケイドの下しか見ていなかったので、
この老舗ビルに気がつかず通りすぎていました。

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吾妻橋の交差点から見たところ。
竣工:1921年(大正20年)
設計・施工:清水組
1980年に新館落成。ビルの後ろ部分でしょうか?

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1階 神谷バー
2階 レストランカミヤ
3階 割烹神谷
ということで、入りやすそうなレストランカミヤに。

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建て増した継ぎはぎ感はあるものの、中は結構広い。

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THE 洋食なチキンライス。
カクテル“デンキブラン”で有名なお店なだけに、みんな昼間から飲む。
隣りの席のおじさんは、「生大ジョッキ、ヒレカツ、ポテトサラダ、
ライスはいらない」とオーダーしてたし、
目の前にいたサラリーマン軍団は、「デンキブラン2つ、
デンキブランオールド2つね」という感じでした。

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2階から丸窓を見上げる。

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4階から見たところ。

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東京大空襲で3、4階が焼けて、その後修繕しているせいなのか、
上の方のディテールはデザインがやや甘いし、ガタもめだつ。

BiOcafe

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渋谷スペイン坂にあるオーガニックカフェ『BiOcafe』。
オーガニックって素材の良さを生かしているので、
素朴すぎる味が多いんですが、ココのは料理としてもおいしい。
(素材の良さだけで満足できない、私の舌に問題もありますが。)
あと、このお店はモデルさんのブログで知ったのですが、
渋谷という場所柄か、お客さんに美人が多い。

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お麩が入ったヘルシートマトオムレツ。

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ビーフストロガノフじゃなくて、豆だったか植物性のストロガノフ。

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おしぼりがかわいい布製。
持ち帰りもOKとのことだけど、まだ持って帰ったことはない。


パパス カフェ

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新宿タカシマヤの『パパスカフェ』。
4フロアーぶんくらいありそうな天井の高さが魅力。
吹き抜けとか、室内の緑とか、大好き。
味は普通です。

中国茶荘 田丸 その2

中国茶荘 田丸』のランチに行きました。
ランチタイムに間に合ったので、今回は2階に。
(1階の様子はこちら

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中国というより、ヨーロッパ調というか、上海?(適当なイメージですが。)

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階段周り。

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ソファ席とか猫足の椅子とか、こういうインテリア好き。

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ランチのチャーシュー丼。もちろん中国茶つき。
茶漉しつきマグカップがすごくかわいい。

遅いランチだったので、途中から2階をひとりで占領。
このお店はお茶が本格的なところと、静かにゆっくりできるとこが好きです。
お茶を三煎くらいまでのんびり飲む。


『青い影』 A Whiter Shade of Pale

『アマルフィ 女神の報酬』を見て、
サラ・ブライトマンの曲をいろいろ聴いてたら、
『青い影』が引っかかった。


サラ・ブライトマン『青い影』

で、こちらがオリジナル。

プロコル・ハルム『青い影』

あまりに有名な曲なので、最初に聞いたのがいつなのか、
ラジオなのかテレビのCMなのか、ドラマのBGMだったのか
もうわかりませんが、一番印象的だったのは
映画『ニューヨーク・ストーリー』。

ニューヨーク・ストーリー [DVD]
『ニューヨーク・ストーリー』
スコセッシ、コッポラ、ウディ・アレンのオムニバス。
スコセッシの回で、『青い影』がガンガンにかかる。

名曲『青い影』、イントロからしてかなりやられますが、
バッハのカンタータをモチーフにしているそうで、
wikiではカンタータ140番「目ざめよと呼ぶ声あり」、
そのほか、カンタータ第114番「ああ、愛しきキリストの徒よ、
雄々しかれ」、「G線上のアリア」という説があります。


バッハ カンタータ140番「目ざめよと呼ぶ声あり」

素人考えではこっちのほうが似てる、と思う。

バッハ 管弦楽組曲第3番第2曲「G線上のアリア」

2005年にこの曲の著作権をめぐってマシュー・フィッシャーが訴訟を起こしてます。
2006年、マシューの訴えを認めて印税の40%を払うという判決、
2008年、これが逆転し、印税の支払いは却下されました。
大名曲「青い影」著作権をめぐりメンバー間で係争
遠い音楽 「青い影」訴訟の結果に思う

日本だと、松任谷由実はこの曲の影響を公言しており、
『ひこうき雲』、『翳りゆく部屋』にそれが現われているとか。
チューリップの『青春の影』も似てるって言われるけど、そうかな?


荒井由実『ひこうき雲』


荒井由実『翳りゆく部屋』


チューリップ『青春の影』

メロディーだけ聴いてるぶんには、『青春の影』といったほうが
ぴったりくるようなノスタルジックな過ぎさってゆく青春への想い
というイメージなんですが、歌詞は哲学的というか抽象的というか
シュールすぎてさっぱり意味がわかりません。
原詩、訳詩

こちらはアンジェラ・アキのカバーバージョン『青い影』。
オリジナルよりはずっとわかりやすいけど、
やっぱり意味はとおらない日本語詩がつけられています。


Blue Shadow - Angela Aki

映画『アマルフィ 女神の報酬』

『アマルフィ 女神の報酬』 at 新宿バルト9

思っていたよりずっとおもしろかった、というのが正直な感想。

この作品のウリのひとつがオール海外ロケ、だと思うが、
こうした映画の多くが安っぽい観光映画になりがちなところ、
スペイン広場やコロッセオ、ヴァチカンなど観光地はガンガン出てくるものの
背景のひとつとして扱っているところが潔い。
(本作の企画・プロデューサー大多亮が製作した
『冷静と情熱のあいだ』とか古いところでは『バースデイプレゼント』とか、
映画的な絵を撮ろうして、かえって安っぽくなってました。)

海外の人が日本を撮るとアジアのどっか違う国みたい見えて、
日本映画が外国を撮ると狭苦しく見えるのはなぜなんでしょうね。
路地の写し方とか、どうにも窮屈でスケール感に欠ける。
そして、なによりデジタル撮影のせいだと思うが、
夜のシーンのノイズが非常に気になりました。
オープニングとラストが夜のイタリアの街だから特に気になる。

織田裕二は、おじさんになっていてびっくり。
テレビも含めて、最近の出演作をあまり見てなかったし。
そしてしばらく見ないうちに、黙ったまま、
顔だけで語れる役者になっていてちょっと感心。
佐藤浩市と向かい合っていると、
『素晴らしきかな人生』では、浅野温子を挟んで、元夫と若い恋人、
って関係だったのに、すっかり同年代の役者になったなーと。

天海祐希は綺麗だけどいささか能面っぽい。
織田裕二演じる黒田が、なぜ彼女に協力しようと思ったのか、
天海祐希がどのへんから黒田に心を許したのか、
ほとんど説明なしなんですが、そういう全く甘くない関係が
この2人の場合、悪くない。

外交官という役もちょっとうそっぽいんだけど、
描かれているのが外交官の日常なので、比較的リアルに見える。
しかし、佐野史郎、小野寺昭、大塚寧々、伊藤淳史、戸田恵梨香、
という面々は、まったく日本大使館のスタッフに見えませんね。
豪華キャストといえば聞こえはいいけど、テレビの新春スペシャル並みだし。
(そういえば大塚寧々は『相棒』のスペシャルで、
子供を誘拐された美しい母、という今回の天海祐希みたいな役をやってたな。)

サラ・ブライトマンの『Time To Say Goodbye』は好きな曲なんだけど、
日本でこの曲はほとんどCMソング的な扱いをされているので、
カゼルタ宮殿のコンサートシーンも、
製作側は豪華で重厚な感じをねらっていたかもしれないが、
なんだかコマーシャル映像っぽい。
せっかく登場するサラご本人も、おばさんになったなーと。
あ、でも、この曲をバックに、犯人たちがドレスアップして
登場するところは好きだ。

サスペンスに関しても、
その目的のために、そのトリックは遠回りすぎませんか?とか、
(監視映像に細工するにしても、動画から人を消すのは大変、
監視カメラは基本、定点撮影なんだから、消したいものが映っている部分を
カットして、前後をつなげるなら素人のビデオデッキでもできる)
オチが『相棒 劇場版』とほぼ同じじゃないか、とか
イタリア、特にアマルフィが舞台の意味ひとつもないよね
(ロケ地をまるごとフランスにしても成立する)
とか、いろいろ苦情はあるのですが、
見終わってみたら、意外とおもしろかった。

そして、お金をかけて、海外ロケをして、
ちゃんとオリジナルのサスペンス映画を作れて、
それがヒットしたというのは今の日本映画にとって
とってもいいことだと思うのだ。
(何億もかけたハリウッド映画がまったく振るわず
『余命1ヶ月の花嫁』や『ROOKIES-卒業-』や『ごくせん』
ばかりがヒットする、今の状況については
いろいろ思うところありますが、それはまた。)

アヴェ・マリア〜サラ・ブライトマン・クラシックス〜
『アヴェ・マリア~サラ・ブライトマン・クラシックス~』
実はCDを持ってたりする。
『Time To Say Goodbye』は別れの曲じゃなくて、
「さあ出航しましょう」という旅立ちの曲だから、
結婚式なんかにもあうんじゃないかと思うが、
さすがに披露宴で聞いたことないな。

映画『G.I.ジョー』

 オリジナル・サウンドトラック G・I・ジョー

『G.I.ジョー』 at 新宿ミラノ2

兵隊アクション・フィギュア(を元にしたアニメ)を実写化。
元になったフィギュアにも、アニメにも思い入れがないので、
どこまでストーリーに関係してるのか知らないが、
いや、ストーリー展開なんてほぼどうでもいいと思ってるかのように
アクションにつぐ、アクション。

最近はCGを使っていてもリアルさを重視する作品が多いが、
(飛行機に追われるカーチェイスシーンだったら、それぞれを
別撮りして合成するが、車も飛行機もCGじゃなくて本物を
本当に走らせ、本当に飛ばして撮影する)
本作にはいかにもCGな飛行機やらギミックが満載。

スティーヴン・ソマーズ監督は『ハムナプトラ』シリーズのような
派手なCGで見せるのが得意だけど、
今回は、ど派手なアクションが続けば続くほど、見てるほうは飽きてしまい、
『ハムナプトラ2』のときの「わーい」みたいな感じがない。

G.I.ジョーたちがパリを滑走するシーンは
絵的には悪くないんだけど、「悪役より迷惑」な暴走ぶりが
どうにも盛り上がらない。
ストーリーにメリハリがないのが悪いとか、
アクションをつないだだけの一本調子の演出が悪いとか、
キャラクターも役者も弱すぎるのが悪いとか、
原因はいろいろあるんだろうけど、
金のかかった派手なアクション連発のわりにはまったく盛り上がらない映画でした。

途中、夜のネオンサインを少年が見上げると、山の上にお寺、
そして、そこで修行を積んでニンジャに……、
という間違いまくったニッポンが登場しますが、
ハリウッドって本当にニンジャが好きだよね。
『日本人はなぜ黒ブチ丸メガネなのか』によると、
『ザ・ニンジャ』というサスペンスドラマが元らしいが、
アメリカのニンジャは日本の考える“忍びの者”とはもうまったく違うよね。
このニンジャを嬉々として(?)演じてるのがイ・ビョンホンと
『スター・ウォーズ』のダース・モールことレイ・パーク。
誰かが書いてたけど、この2人のソード・ファイトを狭い船内でやるのは間違い。
スペースを広くとった大きなアクションで見たかった。

(イ・ビョンホンの演じたストームシャドウは原作では日本の忍者なのだが、
出演にあたって、韓国人に変更してもらったという。
子役が何かを叫んだとき、僧侶が「英語で話しなさい」と言う場面があって、
なぜ、日本の寺で英語を話せと言うんだと不思議に思ったんだが、
子役の台詞は韓国語で、彼が韓国人であることを強調してたんだね。)

キャット・ファイトにニンジャ・ファイト、
誰か嬉しい人がいるとも思えないキッズ・ファイトまで、
それはサービスなんだろうか。

以下、キャストに注目。

一番目立って、おいしいとこどりしてたのが、悪役のシエナ・ミラー。
共演者食いで有名な彼女は、映画の中でも3人の男たちとキスシーンがある。
スタイルは確かにいいけど、日本人的には覚えづらい顔で、
彼女の魅力はよくわからない。

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『レイヤー・ケーキ』
登場したとたん、ダニエル・クレイグの心をつかむ「特別な女」の役だが、
「こんなつまんない女が?」と思って見ていて、クレジットで
「これが噂のシエナ・ミラー」と知って、さらにびっくり。
ダニエル・クレイグとも噂になりました。

ブレーカー役のサイード・タグマウイはどこかで見たと思ったら、
『バンテージ・ポイント』でした。
印象的な役を好演し、この後、『LOST』にもレギュラー出演。

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『バンテージ・ポイント』

武器商人役のクリストファー・エクルストンは
クレジットを見るまで気がつかなかったが
『姉のいた夏、いない夏』のウルフだった。
(『アザーズ』とか『28日後…』にも出てるね。)

 姉のいた夏、いない夏 <期間限定生産>
『姉のいた夏、いない夏』
原題は『Invisible Circus』。実はこのブログタイトルはこの原作本から取ったのです。
(別にストーリーが好きだったわけではなく、言葉として気に入ったので。)
ウルフは、亡くなった姉の元恋人という役柄。

リップ・コード役のマーロン・ウェイアンズは
『ダンジョン&ドラゴン』、『レクイエム・フォー・ドリーム』に出演。
2作ともなかなか好演していて、その後『最終絶叫計画』をヒットさせている。

 レクイエム・フォー・ドリーム デラックス版
『レクイエム・フォー・ドリーム』
あまりの衝撃ぶりに2度と見たいと思わないが、
ジェニファー・コネリー、再ブレイクの作品。
どんな役でもちゃんとやれば評価されるんだなと。

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