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本『なぜコンピュータの画像はリアルに見えるのか』

なぜコンピュータの画像はリアルに見えるのか―視覚とCGをめぐる冒険

『なぜコンピュータの画像はリアルに見えるのか 視覚とCGをめぐる冒険』
著 梅津信幸
NTT出版

光と眼の関係を中心に、眼の仕組み、見えるとはどういうことか、
光とは何か、ということから始まって、コンピューターで絵を描くシステム、
JPEGの圧縮技術、CGの基本を解説した本。

方程式や難しい用語を一切使わず、コンピューターグラフィックの
基礎となる考え方がわかるところがすごい。
「レイトレーシング」とか「レディオシティ」はCGをリアルに見せるための
光の計算方法ですが、これがちゃんと理解できる。
(前にCG検定を受けたことがあるので、私はここらへん勉強しましたが、
そういった知識がなくても大丈夫。)

以下は、Paul Debevecの有名な研究ですが、
『スパイダーマン』などのデジタルダブルに応用されている。
これもわかりやすく解説されている。
(本ではさらに画像が掲載されているので、もうちょい具体的。)

「現実の物体は、鏡面反射と拡散反射が混ざっていますが、
うまく工夫すると、この2つの光を分けることができます。
鏡面反射は光を当てる方向によって強さが大きく変わるので、
いろいろな方向から光を当てて
・明るさが大きく変化する光:鏡面反射
・明るさが変わらない光:拡散反射
というふうに、切り分けるのです。
人間の顔に対して、このように2つの反射光の成分を分けて測定したという
研究例があります。人間の顔を固定した状態で、照明を回転させながら光を当てて、
回転するカメラで撮影して、集めたデータから光の成分を計算で分解します。
すると、てかりをすべて除いた顔(拡散反射のみ)や、
てかりだけの顔(鏡面反射のみ)など、通常では見られないふしぎ顔が作れます。」

「ここで紹介した反射の成分を分離する技術は、TVや映画などで、
俳優が実際のロケができないとき(スケジュールの都合、危険性が高い、
シーンが完全に架空の場合など)に、その光のようすを顔の上に再現するときに
使われています。通常のスタジオの照明のまま俳優を撮影すると、
別に撮っておいた背景と合成したときにどうしても違和感があります。
そこで、このような方法で顔の照らされ具合を完全にあわせておけば、
背景とぴったり合成できるわけです。」

ところどころ、話が飛躍しちゃったり、
比喩が遠すぎてわかりにくいところもあるけど、
CG入門としては最適。

本書と直接は関係ないけど、最近見てびっくりした、
海外ドラマのVFXについての動画。最近はロケするよりCGの方が安いんですね。

Paul Debevecの研究については以下がわかりやすいです。

Paul Debevec animates a photo-real digital face


◆読書メモ

赤外線は人間の目には見えないが、デジタルカメラには写る。
デジタルカメラのCCDでは、リモコンが光っているのが見える。
ちなみに、以前アップル社のCEOだったギルバート・アメリオ博士は、
このCCDの開発者の1人。

トンネル内の照明には、オレンジ色のものが多くあります。
これは、ナトリウムランプと呼ばれ、中に気体化したナトリウムが入っています。
このランプは、放電により、589nmという1種類の波長を持った光を出します。
トンネル内でナトリウムランプを使うのは、
・明るい
・紫外線が出ない(虫が集まってこない)
・可視光としては波長が長いので、霧や煙などの細かい粒子が
漂っているときも、光が直進しやすい(遠くまで届く)
という利点があるからです。逆に、単一の波長しかないので、
すべてがオレンジ色の濃淡で見えてしまい、
色の区別はつきにくくなるという欠点もあります。

相対性理論には2種類あり、時間に関する部分は、
・特殊相対性理論:動いている物体では、時間の進みが遅くなる
・一般相対性理論:重力の強い物体の近くほど、時間の進みが遅くなる
となっています。
GPS衛星の時計に対しては、前者は1日あたり7μ(マイクロ)秒だけ
遅くなるように作用します。また、地球表面の方が重力が強く、
衛星の方が弱いので後者によって時計は毎日45μ秒だけ早く進んでいきます。
そこで、この両者を合わせたズレ(-7+45=38μ秒)を補正するように
衛星の時計はあらかじめセッティングしてあります。
38μ秒はとても短い時間ですが、電波はその間に11kmも進むので、
GPSには補正が不可欠となっています。

ゲームの中の世界は、地球のような球形ではなく、実はドーナツ形をしています。
(トポロジーではこれをトーラスと呼びます。)


本『ネット検索革命』

ネット検索革命

『ネット検索革命』
著 アレクサンダー・ハラヴェ
青土社

本書のテーマを簡潔にいうと、
「検索エンジンがいかにわれわれ人間を変えたか」。
グーグル様が私たちの生活をこんなに便利にしたという本や、
グーグル脅威論のような本は多いが、検索が与えた社会的影響について、
ここまで論じた本はめずらしいのではないか。

(と思ったけど、この本ではいろんな論文が引用されているので、
検索エンジンによる社会的影響というのは結構、重要テーマらしい。
巻末の文献表で私が知っている本だと、『googleとの闘い』と
有名なキャス・サンスティーンの『インターネットは民主主義の敵か』くらい。)

論文調の文体はやや読みにくいし、「グーグル・ダンス」、「グーグル爆弾」
といった用語がポンポンでてくるので、用語解説はついているにしても、
ある程度、検索エンジンについての理解がないとわかりにくい。
しかし、そういう点を差し引いても、指摘されていることは非常に興味深く、
おもしろいところに付箋を貼っていったらキリがなくなってしまった。
(以下、引用がやたら長くてすみません。)

著者は言う。
「人間相手の質問とは違った形で質問を入力することになる
検索エンジンに慣れてしまうと、人間の思考形態や
コミュニケーションの様式も変化すると考えて間違いないのではないか?」
グーグルによって、私たちは思考方法やコミュニケーションまで
影響を受けている、という考えは突飛なようでいて、納得できる点も多い。

いろいろ指摘されている問題点の中で、特に印象に残ったのは、
ウェブは決してフラットではなく、検索エンジンが格差を助長している、という話。
「ページランクおよび、それに類する「名声強化的」な検索アルゴリズムは、
明らかに現状の不均衡を増大させ、既存の人気ネットワークを固定化している。」

それから、これは前から思っていたことだけど、検索エンジンというより
ネットによって、どこまでがプライベートな情報なのかが大きく変わっている
という話。SNSによって、高校の友達や大学の友達、会社の同僚などの
ネットワークはオンラインでもオフラインでもつきまとう。でも、それっていいこと?

明日から検索をやめることなどできないし、そんな気もないけど、
いつかグーグル様にしっぺ返しされるだろうと、ずっと思っている。
ググって見つかることが全てでも真実でもないし、
どこまでグーグルに洗脳されているのか再認識するのによい本。

「あるレベルにおいて、検索エンジンがわれわれを、
世界の特定の見方へと導いていることは疑いない。」


◆読書メモ

垂直的ファイリング(これが図書十進分類法の発明者によって
開発されたことは驚くことではないだろう)

人々が検索エンジンを使って何をしているのかを知ることで、
われわれは人々が全体としてどのようにふるまっているのかを
理解できるのである。

むしろ問題は、ユーザー自身が、自分の探していることを
正確に知っているとは限らない、というところにある。
もし自分の探していることが正確に分かっているのならば、
検索する必要さえないかもしれない。
おそらく理想の検索エンジンは、ユーザーの望んでいるものを
理解するだけではなく、ユーザー自身が意識していない欲望をも知っているのだ。

ジョン・ペリー・バーロウが1996年の「サイバースペース独立宣言」で
強調したように。この「宣言」では、サイバースペースは誰もが平等に
声を挙げることができるところだとして、インターネット文化の、政府による
干渉からの独立を謳っている。
「私たちが今作りつつあるのは、人種、経済力、軍事力、身分などに伴う
特権や偏見なしに加入することのできる世界です。そこでは誰もが、どこでも、
自分の信念を公表でき、沈黙や同調を強制されるおそれはありません。」

インターネット上の「下品な」表現を違法とした通信品位法を
憲法違反だと判断した最高裁判所は、「インターネット上のコンテンツは
人間の思想と同じだけ多様である」とする、以前の判決を繰り返し、
放送メディアに対するような規制をインターネットにはするべきではないとした。

結局問題は、ウェブや検索エンジンが「開かれた、平等な遊技場」を
形成するかどうかでは、おそらくない。クーパーは新聞紙上で、
「コミュニティは組織から、善を引き出すのか悪を引き出すのか」
と問うたが、問題はこれでさえない。
ウェブ上では、目立つ情報とそうでない情報があるというだけのことだ。

「表現の自由を持っているのは、メディアの所有者だけだ」とは、
リーブリングの有名な箴言である。だが彼は間違っている。
メディアを所有しているだけでは不十分で、それを読んでくれる読者が必要なのだ。

ウェブのもたらした最大の変化は、この多種多様な(天体の詳細な解説から、
スケートボード事故のグロテスクな映像まで)情報の増大や、
こうした情報がかつてなく様々な人に利用可能になったことではない。
真の変化は「注目のテクノロジー」、すなわち、個人が特定のコンテンツに
注目するあり方にある。

マス・メディアは、われわれにどう考えるかは語らないが、
何について考えるかは語る。言い換えると、マス・メディアは
「議題設定」を行って、何が重要であるかについて、
人々に共通認識をもたらすのだ。そして、ウェブがもたらした
最も重大な変化は、「注目の配分」のあり方を変えたことである。
ウェブはフラットではないにしても、
テレビや新聞よりはるかに多くの選択肢を与える。

情報探索者は「最適」よりも「満足」を求めるとした
ハーバート・サイモンは、新たな情報源が利用可能になった際の
「注目経済」についても予見していた。サイモンは1971年に、
「情報の豊かさは注目を稀少にする。情報源の過多の中で、
注目を効率的に配分しなくてはならなくなる」と書いた。
近年のネットワーク型メディアの発達、そして2000年代に起きた
アマチュアの作るメディアコンテンツの氾濫は、
「注目」が空前の稀少性を持つに到ったことを示す。

「注目の稀少性」(これが検索テクノロジーの動因となっている)
からすると、全ての人が全ての人にアクセスするというのは、不可能なのだ。

検索エンジンについての技能の有無が、ネット上で幅広い情報に
アクセスでき、多様な情報源に基づいて望ましい意思決定ができる人と、
もっとも容易に見つかる情報に依存している人とを、分けるのである。
収入、人種、そして特に教育と、ウェブ上での情報発見能力とは、
相関している。もし検索エンジンが、知識やコミュニケーションに関する
格差を強調・拡張する方向に作用するなら、これは重要な社会的課題と言える。

検索エンジンで満足な結果が得られなかった人は、より容易に
結果を得られるものへとトピックを変えることが多い。ここで問題なのは、
客観的に測定はしにくいのだが、検索エンジンがわれわれの指向を、
より検索の観点から考えるように仕向ける可能性だ。
検索エンジンを長く利用しているうちに、検索する語の選択には
習熟するだろうが、他の思考方法よりも検索を優先するようになる可能性がある。

誰でもウェブ上にコンテンツをアップロードできるが、「ウェブ上では、
存在するとは、検索エンジンに表示されることなのである」。

サイバースペース内では、人々はよりメトロポリタニズム(大都市主義)や
コスモポリタニズム(世界主義)へと向かうと見られていた。
複数のアイデンティティを同時に持ち、オンライン上で容易に別の
アイデンティティを提示できると考えられたからである。だが実際には、
検索エンジンは、われわれを多くの点で「村の生活」へと逆戻りさせている。
検索エンジンの結果に基づいて公然たるアイデンティティが形成され、
これが同僚や、友人や、果ては家族を見る見方にまで影響を与えている。
ブログ、SNS、写真共有サイトといった「露出的」なテクノロジーの発展で、
検索エンジンは、われわれが付き合いのある人のポートフォリオを
作るのを手助けしてくれる。多くの場合、それがなければ少なくとも
世界の大部分に対して隠されていたであろう生活の部分の情報を、
知ることができるのだ。

「グーグル・ファイト」では、二つのものをどちらが検索ヒット数が多いか
戦わせるサイトで、例えば「ペン」と「剣」では「ペン」が勝利する。

過去の歴史は消せる方が得だ。多くの人には人生の中で、過去を葬り、
リセットして、新たなスタートを切る時期が来る。こうした変化は普通の
ことであって、ほとんど儀式化されている。高校を卒業して大学に入る時、
高校時代の出来事やパーソナリティを故意に捨て去る人は多いだろう。
新たな場所で、新しい仲間と付き合うことで、大学は自分を再発見する
機会を与える。しかし、フェイスブックや他のSNSのために、
こうした生まれ変わりが難しくなっている。検索エンジンがわれわれの
生活のほとんどに侵入して来ると、個人的な歴史を切り離すことが難しくなるのだ。

このまま行くと、坂を転げるように、
グーグルが誰よりもあなたのことを知ることになる。
あなた自身よりもだ。

フェイスブックで、1200人に友人登録されている人がいたとして、
この人は高い評判を有しているのだろうか、それとも、
他人から注目を浴びているのだろうか?
「評判」も「注目」も商品化され、交換可能となり、つながりの程度を測る能力自体が、
追求に値する価値(バウマンの言う「リキッド・モダニティ」時代の、
究極の「持ち運び可能な富」)となった暁には、この両者の区別が大きな問題となる。

無線タグ(RFIDタグ)、GPSなどの空間にまつわる情報技術は、
この動きを現実世界に持ち込み、われわれを「ウェブ」の中に導いている。
持ち物すべてに無線ビーコンが付けば、鍵がどこにあるか(ソファーの下)、
お気に入りの小説がどこにあるか(友人の家)、配偶者がどこにいるか(パブ)、
グーグルが教えてくれるだろう。

人生の記録は、もしそれを体験したのと同じ速度でしか再現できないのであれば、
ほとんど意味を持たないだろう。

TV『ハゲタカ』

ハゲタカ DVD-BOX

今さらテレビ版『ハゲタカ』を見ました。
映画版公開のとき、母が「テレビ版はおもしろくて2回見た」
って言ってたんだけど、あまり信用してなかったんだよね。
番宣で見た「お金をもうけることが悪いことですか」という台詞が
いかにも村上ファンドだったんで、なんかこういうのすぐネタにして、
嫌な感じと、2007年の放映当時は思ってました。

しかし、実際にテレビ版を見てみると、
村上ファンドやホリエモン、企業や銀行、カリスマ経営者なんか
実在の人物を上手に料理して、わかりにくい企業買収やファンド、
日本企業の再生、ひいては日本経済をテーマに
エンターテイメントを仕上げているのにびっくり。おもしろかった。

大森南朋演じる外資系ファンドマネージャー鷲頭、
鷲頭の元上司であり、エリート銀行マンである柴野(柴田恭兵)、
鷲頭により父が自殺した過去をもつ東洋テレビの三島(栗山千明)、
同じく鷲頭により父が経営する老舗旅館をのっとられた西野(松田龍平)、
もう、この人間関係がゾクゾクする。
鷲頭と柴野は敵対関係でありながら、お互いに同じ罪悪感を持っている、
鷲頭を恨みながらも、彼の善意を信じている三島、
鷲頭を憎んでもおかしくない立場なのに、むしろ憧れてるとさえいえる西野。
鷲頭と三島と西野なんて、まったくロマンスのない三角関係みたいじゃないか。

大森南朋は『殺し屋1』と『ヴァイブレータ』が非常に印象的だったけど、
どっちもまったく違う役。ふだんはバイプレーヤーとして出演していることが多い。
今回の鷲頭は、冷静さと熱さ、孤独と罪を背負っているような感じがとてもよい。
柴田恭兵の老けぶりにびっくりしたけど、それが苦労人の柴野にはぴったりで
彼が企業を救おうとする熱血漢を静かに演じる様は若いときよりかっこいい。

栗山千明も松田龍平もこういうドラマではこういう顔していてほしいよね
って顔してる。松田龍平の人殺しそうな目がいい。
そのほか、サンデートイズの長男、小林正寛とか、
大空電機の熟練社員、田中泯とか、
このドラマに出てくる、いい顔を上げるとキリがない。

彩度を押さえた青ベースに、時々、光が印象的に使われた映像とか、
音楽、株主総会が開かれた日比谷公会堂や
三葉銀行として撮影された日本郵船歴史博物館などの渋いロケ地とか、
いろいろ、NHKらしい生真面目さと骨太さの感じられるドラマでした。

主題歌の作詞がエミリ・ブロンテとなっていて、
そんなふざけた名前の作詞家がいるのかと思ったら、
本当にエミリ・ブロンテの詩をもとにしてるそうです。
『Riches I hold in light esteem(富は問題にならぬ)』という皮肉な歌。
東京を背景にお金が舞い、つかもうとすると消えていく秀逸なエンディング。

惜しむらくは、第5回、6回の展開が早過ぎて
ハイパークリエイションの騒動あたりは、ライブドア事件を思い出さないと
話として成り立たないくらい説明不足。
映画版では松田龍平は旅館を取り戻してるみたいだけど、
そこまで見たかった。

テレビ版が放映された2007年は、不良債権処理など
日本経済の負の部分を振り返るにはいい時期だったと思う。
逆にいうと、映画版を公開するには2009年って悪い時期なんだけど。
ロケ地情報をチェックしていたら、
大空電機のロケ地となった松下冷機は2008年に閉鎖、解体
となっていて、なんだか寂しくなりました。
映画版はまだ未見だけど、あのあと大空電機は再生できたのだろうか。

TV『世界で一番君が好き!』

『高校大パニック』を見たあとに、浅野温子つながりで見てしまった。
1990年放映当時もリアルタイムで見てたんですが、ほとんど印象にない。
それもそのはず、今見ても、つまんないだ、これが。
(しかし、平均視聴率22.0%、最終回は25.5%。
ドラマに勢いがあった時代ですね。)

浅野温子と三上博史がくっつくことは初めからわかっているので、
ライバルとして布施博、益岡徹という三枚目陣は弱すぎ。
女性側も工藤静香と財前直見じゃ負ける気がしない。
(工藤静香ってアイドルとしては人気があったから、
いろんなトレンディドラマに出演しているけど、女優としては
まったく大成しなかったね。台詞回しのひどさはわざとなのか。
演技力のほかにも、ひどい役ばかりやってたせいもあるかも。
特にこのドラマの役は「(処女を)卒業したいから恋の相手をしてほしい」と
三上博史に迫り、一晩泊まったら「ここに引っ越してこようかな」
「合鍵が欲しい」、「両親に会って欲しい」、
そのくせ「相手を傷つけることだけはしちゃいけない」って
自分勝手でさっぱりわからん。)
風間トオルと石野真子は役回りが中途半端すぎて
何のために出てきたんだか。

“トレンディドラマ”が言葉としてもパターンとしても完成された時期なので、
その枠からはみ出せてなくて、つまんなくなってるような。
(同じ年の浅野ゆう子主演『恋のパラダイス』もたしかつまらなかった。
『もう誰も愛さない』、『東京ラブストーリー』といった、
脱トレンディドラマが出てくるのは翌1991年。)

浅野温子が自分に向かって「華ちゃんやーい」みたいな
台詞を言うとこも痛いんだよね。今見ても綺麗だなと思いますが。
ただ、あらためて見て思ったのは、恋人と別れた女が立ち直って、
新たな恋を見つけて、みたいな過程は意外にちゃんと描かれているんだなと。
そういったまじめな部分とまったく笑えないコメディー部分が噛み合ってませんが。

布施博と婚約が決まった浅野温子を三上博史が早朝のオフィスに呼び出し
ピクニックのようにコーヒーやバナナを広げながら、
「婚約おめでとう」という場面はよかった。
自分も憎からず思ってた相手から、残念そうな顔で「おめでとう」と言われる、
これはドラマだからこそ、楽しめるシチュエーションです。

あと、おもしろかったのが、トレンディドラマらしい、当時のファッション。
女性陣はみんな肩パット入ったスーツ着て、スカーフして出勤してたり。
浅野温子たちの職業は旅行代理店で、元の東京モード学園がロケ地。
三上博史と風間トオルは外資系で、隣りのエルタワーがオフィス。
西新宿って当時はトレンディな場所だったんでしょうか?
昼休みによく中央公園が出てくるんだけど、エルタワーから歩くと結構あるよ。
都庁はなんとまだ建設中。
浅野温子の家は代々木という設定。中はセットだけど、
外観は洋館風でかわいい。どこがロケ地なんだろう。
そして代々木から新宿まで海外ブランドの自転車に乗って、
革のリュックを背負って出勤。これがかっこよく見えた時代なのか。

主題歌はリンドバーグの『今すぐKiss Me』。
日比谷公園、青山の銀杏並木、渋谷の交差点でキスする
浅野温子と三上博史。今見るとラストは『気狂いピエロ』のパロディみたいだ。

 

TV『リアル・クローズ』

以前にお仕事をしたことがあるモデルさんが
バイヤー役で出演していたので見てました。
さすがにリアルタイムではなかったけど、
毎週ドラマを見るという体験を久々にしたなー。

お話自体は、まあ、普通かなー。
寝具売場で働いていたダサい店員が、服飾売場に移動になり、
厳しい上司や同僚と出会い、服を通して成長していく、という話。
売場で行なわれるショーやイベントの様子、海外ブランド、高級サロンなど、
がんばってはいるのだけど、どうも華やかさがいまひとつで
素敵な洋服を着たときの「わぁ」という感動が表現しきれていない感じ。
槇村さとるの原作はおもしろそうだけど。

最大の欠点は主演の香里奈にいまいち魅力がないのだ。
ダサいころの方がかわいいくらいで、
綺麗になってからも顔のシワが気になったり、
がさつな動作が絵にならない。
彼女が売場の中心となって、みんなをまとめていくという役どころなのに、
説得力に欠けるんだよね。

むしろ、姉の能世あんなの方が、演技はともかく美しさでは存在感があったなと。
そのほか、同僚役の加藤夏希やヤングカジュアル部門の店員、中別府葵
などが印象に残りました。
黒木瞳ってあまり好きじゃないんだけど、このドラマでは
美しく厳しいカリスマ部長がよく似合っていました。
西島秀俊も「仕事がおもしろければ人生の半分はおもしろいんだ」みたいな
マンガチックな台詞を言っても違和感ない、いい役者だなと。

『リアル・クローズ』はそのほか、ドラマに出てくる服がネットで買える
ということでもちょっと話題になった。
百貨店の婦人服売場が舞台なので、
洋服が登場してもまったく違和感ないんだけど、ドラマの中で
特別めだっていた服(主人公が売るためにコーディネイトを工夫するとか)
がオンラインで売られる、というような広告的な商売ではなくて、
役者たちが着ていたのと同じ服が普通に売られているという感じ。
(むしろドラマの中でもう少し服をわかりやすくするとか、
販売サイトのスチールをなんとかするとかしないと、どんな服かよくわからない。)
ドラマの中で役者が着ている服ばかりが悪目立ちするようだと困るけど、
ドラマを見ていて「あのジャケットかわいい、どこのだろう」くらいのことはよくあるので、
タイアップとしてはありなんじゃないかと思いました。

本『ロボットとは何か』

ロボットとは何か――人の心を映す鏡  (講談社現代新書)

『ロボットとは何か 人の心を映す鏡』
著 石黒浩
講談社現代新書

自分の4歳の娘をモデルにしたロボットや、
愛知万博で有名になった女性ロボット、はては
自分そっくりのアンドロイド“ジェミノイド”を開発した著者によるロボット論。

おもしろいです。
ジェミノイドは雑誌などで見たことがあるけれど、
著者のジェミノイドがすました顔で並んでいると、
写真ではどっちが人間だか区別がつかない。
自分そっくりのロボットを作るなんて、なんてナルシストな人なんだと思ったり、
そもそも、外観を人間に近づける意味って何?って思ってたんだけど、
より人間らしい動作をするロボットを開発することで、
見る人はロボットに心があるんじゃないかと感じるという。
じゃあ、心って何? ロボットと人間の境って何? 人間って何?
という哲学的な話にまで発展していく。

「技術開発を通して人の能力を機械に置き換えている」
「人間はすべての能力を機械に置き換えた後に、何が残るかを見ようとしている」
って、だんだん“ゴースト”みたいな話になっていきますが、
実際に、著者のロボット開発は、認知科学、心理学、脳科学と関係するそうです。

「人に心はなく、人は互いに心を持っていると信じているだけである」
ゆえに、「ロボットも心を持つことができる」という著者の話はやや極論に感じるが、
自分の娘の型をとったロボットに顔を近づけたら、娘のにおいがしたという話や、
(姿形が人間らしければ、においも人間らしいはずだと
感覚器が勝手に判断し、においまで再現したと著者はいう)
ジェミノイドが頬をつつかれると、遠隔操作している人は
自分の頬をつつかれたような気がするとか、
ジェミノイドを遠隔操作して学生と話をすると、
学生たちはジェミノイドを著者(操作者)と同じものとして会話する、
そのとき、「心と体はどれほどつながっていれば、同じ人間のものとなるか?」
「自分の心はどこにあるのか?」といった疑問など、非常におもしろい。

また、人間の腕と骨の構造と筋肉の配置を模倣した腕ロボットを開発したところ、
肘を曲げようとしても、どの筋肉をどのように動かせばいいのかわからない。
(普通のロボットなら肘の関節にひとつだけモータをつけて動かせばいい)
腕ロボットはまず全部の人口筋肉に大きなノイズを送り、ガタガタと動く。
偶然、手先が目標に近づくと、アクティビティが大きくなり、ノイズは小さくなる。
これをくりかえすと、目標に近づくにはどの筋肉を動かせばいいか、
腕ロボットは制御できるようになる、
という実験もひどく人間の発達過程と似ていて興味深い。


百聞は一見にしかずということで、ジェミノイドの動画です。

美少女アンドロイド、未夢ことHRP-4Cは産業技術総合研究所の開発ですが、
ガワは、愛知万博のアクトロイドを
著者、石黒氏の大阪大学と一緒に作成したココロ社ですね。
未夢ちゃんはときおり見せる表情が“心がある”ように感じてドキッとします。


本『「萌え」の起源』

「萌え」の起源 (PHP新書 628)

『「萌え」の起源』 時代小説家が読み解くマンガ・アニメの本質
著 鳴海 丈
PHP新書

人間でもなく、女性でもない、中世的なヒロイン、
『リボンの騎士』、『ふしぎなメルモ』、『バンパイア』などに見られる
“メタモルフォーゼ(変身)”への強い憧れ、
といった手塚治虫作品の分析から
変身するヒロインの系譜を“女剣劇”や『琴姫七変化』に遡り、
闘う女性ヒーロー、志穂美悦子まで登場し、“萌え”の起源を探る。

手塚治虫のヒロイン観についての分析はおもしろいと思うし、
もともと日本人には“小さくて丸っこくてかわいい”ものを愛でる心があるとか、
無生物であるかないか、人間であるかないか、人種や性別も
ボーダレスなものを受け入れる文化であるという指摘も、その通りだと思う。
しかし、それが“萌え”だとされると、ちょっと違うかなと。
そもそも著者自身が本気で“萌え”を理解していない感じで、
手塚治虫以外のマンガやアニメに関しては分析が弱すぎる。

印象に残ったのは『DRAGON BALL』など少年ジャンプ系の
マンガに見られる“友情と呼ぶには強すぎる絆”の話。
著者は時代小説家なので、その原典を股旅物など江戸文学に
求めるんだけど、西部劇や特撮との比較もあったりして、
ここでもヒーロー像の分析としては中途半端。
日本人の正義感、ヒーロー像、というテーマはもっと掘り下げ可能だと思う。

『おふくろさん』騒動ばかりが晩年の印象になってしまった川内康範が、
『レインボーマン』の“死ね死ね団”の生みの親だったとはびっくり。
手塚治虫と酒井七馬と『新寶島』の話もちゃんと読んでみよう。

著者の鳴海丈の名前に覚えがあると思ったら、
コバルト文庫でファンタジー小説を書いてた人かー。
(といっても、1冊も読んでないんだけど。)
アダルト小説を経て、今は時代小説が中心とか。
あのころのコバルト小説作家のその後って追ってみたいきも。


◆読書メモ

佐藤忠男をはじめ何人かの映画評論家が指摘していることですが、
日本の映画ヒーローは「恋愛をしない」のです。ヒーローの相手役、恋人として
登場する女性はみな「第二の母親」的な要素が非常に強く、
悩んだり暴走したりする主人公を陰から支える役割でしかない。
励ましたり、ご飯を作ったり、看病したりするだけで、
愛し愛される存在ではないんですね。

現在のTVゲームには「闘うヒロイン」が欠かせませんが、その元祖は
アーケードゲーム『ストリートファイターⅡ』(1991年)に登場した
香港の美人刑事・春麗でしょう。キャラクターデザイナーは
角川アニメ『幻魔大戦』(1983年)のカンフー少女タオをヒントにしたと述べていますが、
春麗のトレードマークは左右のお団子ヘアです。
興味のある読者は、DVDレンタルもある『女必殺拳』第1作を見てください。
冒頭に、まがうことなくお団子ヘアの李紅竜が登場します。

『ポケモン』と並んでアメリカやヨーロッパで大ヒットした日本製アニメに、
竹内直子・原作の『美少女戦士セーラームーン』(1992年)があります。
これは、実写特撮の人気番組『スーパー戦隊』シリーズ(1975年)の設定を
少女向けアニメに置き換えた作品―というのが日本人の感覚ですが、
イタリアでは心理学者から「この作品を見ると、女の子が同性愛者になる」
とクレームが付けられたそうです。

「正義と真実を守るため」の部分は、原語版では
「for Truth, Justice, and the American Way」
となっています。つまりスーパーマンにとっての正義とは真実は、
多分に「アメリカ的な生き方」の上に立脚しているのです。

『妖星ゴラス』で描かれているテーマ―地球と人類を救うのは、
政治的イデオロギーや宗教ではなく、科学者のもつ理性である、
とする「科学良導主義」的な考え方は、この作品をはじめ
数多くの特撮映画を円谷英二とともに手がけた本編監督、
本多猪四郎の生涯を通じた願いでもありました。

このような感想は、在日外国人の書いた本やインタビュー記事を
読んでいると、よく目にします。「日本人と接すると、最初のうちは
すごく親切にしてくれて、こんな親切な人間が地球上にいたのかと
思うくらいなのに、いざ溶けこんで日本社会の一員になろうとすると、
『壁』があって、そこから先へはなかなか入れてくれない。
日本人というのは、実はとっても冷たいんじゃないか」と。


本『ザ・ニッポンレビュー!』

ザ・ニッポンレビュー! ~ガイジンが見たヘンタイでクールな日本

『ザ・ニッポンレビュー! ガイジンが見たヘンタイでクールな日本』
著 えいち
洋泉社

海外掲示板を翻訳し、“外国人の日本観”を探るという本。
これが、すごくおもしろかった。

象印の炊飯ジャーを「ご飯を炊くのがこんなに簡単なんて」とか
「ひとたびこのスイッチを押してしまったら、もう二度と昔の生活には戻れない」
とか、激賞コメントには、私も象印の炊飯ジャー買うべきかと思いましたよ。
高校生がお弁当を食べる動画や、またもや象印の保温弁当箱に
「史上ベストのランチ」と感動する様子からは、
翻って、アメリカのスクールランチって大丈夫なのかという気分になったり。
(『スーパーサイズ・ミー』とか見てるとアメリカの学校では、
色のついた炭酸ジュースやらチョコバーやら不健康なランチ食べてるよね)

「戦国メイドカフェをどう思うか」というコメントに対しては、
「忍者メイドなら行ってもいい」とか
「伊達政宗がいなければ戦国カフェとは認められない」とか
「僕は封建時代の日本が大好きだから行ってみたいね」とか
「普通のメイドカフェがいいなんて言ってるけど、
そもそもメイドカフェって普通じゃないだろ」とか。

日本のアニメに出てくる不思議な文化として、
「鼻血」の描写や「男子の一歩後ろを女子が歩く」とか、
「相手はもう行ってしまったのにいつまでも手をふっている」とか
「運命の赤い糸」、「卒業式の第二ボタン」とか、
「いとこ同士の結婚」なんかがあげられていたり。

海外の人々がかなり真剣に日本のアニメやマンガが大好きで、
“萌え”すら理解している、ということにはもう驚かないし、
外国人のアニメキャラクターコスプレなんてもう見飽きたくらい
なんだけど、そうか、「学校で机を並べてお弁当を食べる」とか
「お花見」とか「鼻血」とか、海外から見ると新鮮なんだー。
NHKの『Begin Japanology』って結構好きなんですけど、
そういう海外からの視点を通して日本を見ることで、
あらためて日本文化の良さ、奇妙さ、欠点が見えてくる。

それから、「ガイジンという言葉をどう思うか」という質問に対し、
「人種差別だとは思わないよ」という人もいれば、
「日本人はその言葉がどんなに失礼なのか、
そんな意識すらなく使っている」という人もいたり。
「日本で黒人はどう見られるのか」という質問には
「どこにでも人種差別はあるけど、
日本はニュージーランドよりはマシだよ」とか、
「俺は中国人だけど、中国人の多くは日本人に嫌われていると
感じている。だけど、人の意見をそんなに心配していたら
生きていけないだろ」なんてシビアな返答があったり。

この本(というか元となったブログ)では、
ヘビーな話題はあまりとりあげていないみたいだし、
管理人もあえて(なのかどうか)軽いコメントしかしてませんが、
それでも出てくる人種差別などの問題が興味深い。

著者があとがきで触れているように、
“外国人の日本観”だけでなく、
「海外でも家の中では靴を脱ぐ国がたくさんある」とか
“自分の中の外国観”を見直すことにもなったり。
(アニメ版『DEATH NOTE』で、Lが月の足をふく場面は
マグダラのマリアの贖罪に基づいているという指摘にびっくり。
私も「腐女子へのサービスなんていらない」と思いながら見てましたよ。)


本『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』
著 岩崎夏海
ダイヤモンド社

またもやダイヤモンド社Kさん編集本。
売れてます。

ラノベとしては弱い。
ストーリー展開は悪くないが、演出や表現力が足りない。
著者は元放送作家ということで、小説としてはこれが初めてらしいので、
それはまあ、しょうがないかも。
最後の試合の引っ掛けとか、いい話なんだけどな。
こういうとこの表現力というか、無理やり感動にもっていくうまさは、
素人ケータイ小説家の方が上だったりする。

そして、まあ、この本は小説として読むのではなく、
ラノベスタイルのドラッカー入門として読むべきなので、
「マンガで読むドラッカー」とか「サルでもわかるドラッカー」とか
だと思えば、秀逸の出来。

主人公のみなみと違って、本書に出てくるドラッカーの文章は
私にはほとんど理解不能。“顧客”、“要求”、“観察”、“目標”、
それぞれが具体的には何をさすのか、現実的には何をどうすればいいのか、
ドラッカーの経営学を野球部のマネジメントに適用することでわかりやすく解説。
現実的には、こんなにうまく話は進まないと思うけど、まあ、そこは、ラノベだから。
しかし、ドラッカーの言葉の意味がわかったところで、
自分の仕事に生かせるようにはさっぱり思えないので、
ビジネス本としての実用性としてはいかがなものか。
(たんに私の理解が足りないだけ?)

野球部のマネージャーの名前がみなみちゃんだったり、
長い名前は『俺が近所の公園でリフティングをしていたら』的なノリをねらったものか。
著者は有名ブロガーでもあるらしく、その人気エントリーが本書の元らしいが、
実際に書籍化してヒットさせてしまう編集者の手腕にこそ脱帽である。

映画『風が強く吹いている』

『風が強く吹いている』
at 新宿ピカデリー

実は箱根駅伝をちゃんと見たのは今年が初めて。
東洋大の柏原くんが8人抜きしたのを見て、
こういうのって本当にあるんだと感心したり。

『風が強く吹いている』は原作も読んだことないんだけど、
エキストラを募集してたりしたので、制作中から興味はありました。
(応募したけど、結局、日程が合わず参加しなかった。)

完成した映画は正直なところ、お話はアマアマ。
安易に泣かせない、押さえた演出は好感がもてるけど、
ゴールはもうちょっと盛り上げてもいい気がするし、
タイトルにもなっている「風が強く吹いています」は
もっと見せ方があったんじゃないか。
箱根駅伝ならではの試合運びが
ストーリーにもっとからんできてもいいのにとも。

とは、思いますが、
「長距離ほど、才能と努力の天秤が努力に傾いている種目はない」とか
「走るってどういうことなのか、知りたいんだ」とか
「お前と同じ風景が見てみたい」とか、ランナー心に刺さる台詞が満載。

特にカケル役の林遣都が走る姿にはホレボレ。なんて美しいフォーム。
あれだけ速く走れたら確かに見える景色が違うだろう。
(箱根駅伝の予選会の基準タイムが5km17分で、カケルくんは13分台!?)

ハイジ役の小出恵介もあいかわらずの好演。
ぐちゃぐちゃの苦しそうな顔がアップになっても、なぜかこの人は絵になる。
そのほか、『タッチ』の斉藤双子、『ROOKIES』組の川村陽介、五十嵐隼士、
特撮組の中村優一、メガネが似合ってた森廉など、
今後が注目される若手たちが出演。
王子、神童、キング、ユキ、役者たちの力もあって、それぞれ個性は出てるけど、
エピソードがストーリーの中で生きていないのは惜しい。

映画『2012』

2012 オリジナル・サウンドトラック

『2012』
at 新宿バルト9

『紀元前1万年』のインタビューで、「“紀元前1万年”とググったら、
グラハム・ハンコックの『神々の指紋』のタイトルが引っかかって、
そこから、ピラミッドの建設のエピソードを思いついた。
いろんな数字をグーグルで検索してみるんだ。
“2012”で検索すると、2012年に世界が滅亡するという説を
信じている人がたくさんいることがわかった。
だから次の映画は『2012』になるよ」
とローランド・エメリッヒ監督が答えていて、
そのころから『紀元前1万年』より『2012』が見たいよと思っていた。

バカにする人も多いけど、私は『デイ・アフター・トゥモロー』大好き。
なんといってもVFXがすごかった。
当時はすでにCGで何でもできるから、もう多少のことでは驚かなくなってたけど、
久々にCGで描かれた世界の崩壊に驚嘆し、
VFXのパワーを再認識させてくれた作品だった。

『2012』は『デイ・アフター・トゥモロー』のパワーアップ版で、
ニューヨークなどの各都市を部分的に襲っていた災害が
今度は地球規模で起こる。地震、大噴火、津波、もうなんでもあり。
崩壊するビルとビルの間を、飛行機がすり抜けていくと、
ビルの骨組みや窓枠にしがみつく人々が見えるという精細感がすごい。
しかし、今回は世界規模ですごい災害が起こっているというのに、
人々にいまいち緊迫感がなく、盛り上がりには欠ける。

CGはすごいけど、人間ドラマはグダグダ、と言われがちな
エメリッヒ作品だけど、今回も表面的にはアマアマの家族愛。
『デイ・アフター・トゥモロー』では、生きるか死ぬかという瀬戸際で
命をかけて他人を救おうとしたり、自分の職務をまっとうしようという
人々が描かれて、それを私は素直に「災害時こそ人々は助け合うべきだ」
というヒューマンなメッセージだと受け取ったんだけど、
『2012』では、それを表面的に受け取っていいものか、疑問を感じ始めた。
はたして、生き残った人たちの選択は正しかったのか?
キウェテル・イジョフォーは正義の人なのか?
むしろわかりやすい善のメッセージの裏にある矛盾こそが、
エメリッヒが描きたかったものなのでは。

船がどこで作られたか、飛行機がどこ製だったとか、
危機を発見した科学者はどこの国の人だったかとか、
どこの国の首相がどんな行動をとったか、
各国の対応など政治的皮肉もそうとう辛辣。
日本の影の薄さったら。
(『紀元前一万年』でもヒロインの眼が青かったり、
ピラミッドを建設しようとする教祖がチャイナ風だったり
深読みしようと思えば、いくらでもできる。)

以下、役者について
ダコタ・ファニングがすっかり大きくなったと思ったら、
今回はモーガン・リリーという悲鳴美少女が出てきた。
イケメン飛行士サーシャを演じたジョアン・アーブ(ヨハン・アーブ?)にも注目。
タマラ役のベアトリス・ローゼンは、
『ダークナイト』のバレリーナらしいが覚えてない。
ラマ僧役のチン・ハンは『ダークナイト』のラウ氏。
こっちは覚えてたけど、映画見てるあいだは気づかなかった。

映画『ノウイング』

ノウイング プレミアム・エディション [DVD]

『ノウイング』
(ちょっとネタバレあり)

いや、久々にびっくりした。
ニコラス・ケイジが腰を抜かす場面があるけど、
私も腰を抜かすかと思いました。
この手のオチは他の映画でもありますが、
前半の展開と違いすぎるだろ。もう少し伏線はってくれ。

ディザスタームービーかと思ってみたら、
家の様子とかほとんどホラーで、
謎解きミステリーみたいな展開で答えを出したらトンデモSFだったと。
この大風呂敷なストーリーをそれでも最後まで引っぱっていく手腕は見事。

ディザスター・パニックムービーって『ザ・コア』とか『アルマゲドン』とか、
少数の人々が命を賭けて地球の危機を救うというパターンが多かったと思うんだけど、
最近は『2012』といい、これといい、リセットする方向に行くんだね。
そして、どっちもキリスト教的メタファー。
近年の不況のせいなのか、閉塞感なのか、一種の終末ブーム。

ニコラス・ケイジって日本人的にはどこに人気があるのか
よくわからないハリウッド・スターですが、今回はパパを好演。
ルシンダとアビーの2役を演じたララ・ロビンソンちゃんもかわいい。

本『フリー』

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略

『フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略』
著 クリス・アンダーソン
日本放送出版協会

『ロングテール』で有名なクリス・アンダーソンの新刊。
ゼリーの普及のため、レシピ本を無料でくばる、
カミソリの無料サンプルをお菓子につける、
といった、マーケティング手法としての“フリー”の歴史から、
フリーのビジネスモデルの分類、
マイクロソフト対リナックス、ヤフー対グーグルのフリー対決など
“フリー”について幅広く語っている。

アメリカでは7月に発売され、すでに賛否両論、
というかたくさんの反論もよんでいるが、まえがきにもあるように、
これは“フリー”がいいとか悪いとか結論を出す本ではなく、
デジタルによって、コストが下がったことで“フリー”への傾向は
避けられないことで、これをどうやって生かしていくのか、
という話である。

最近読んだ本の多くが、メディアビジネスの崩壊を説いているのに対し、
本書はびっくりするほど楽天的。
「ロングテールで成功できるのは、アマゾンだけじゃないか」というように、
フリーに対しても、いろいろ「それって本当に利益になるの?」
と文句をつけたいところもあるのだが、
実際に無料から利益をあげているビジネスモデルの例は学ぶところも多いし、
グーグルと新聞が提供するコンテンツの関係、クレイグリストと新聞広告の話など、
今後、メディアがどうやって収益を上げ、生き残っていけるのか、
わりと重要なポイントをついている。
(今、まさにアメリカは新聞コンテンツの有料化に関して議論が起こっているところ。)

「創業13年で、クレイグリストの無料広告はアメリカの新聞社の株価を
300億ドルも減らした張本人だと言われてきた。
そのあいだ、クレイグリストは、サーバーの費用と数十人の社員に
給料を払う程度しか利益を出していない。
2006年の収入は、わずかばかりの有料サービス(11の都市での
求人広告と、ニューヨーク市の空き室情報)から稼いだ約4000万ドルだ。
それは、その年にクラシファイド広告全体で減少した収入3億2600万ドルの
12パーセントにすぎない。
クレイグリストで生み出される価値のほとんどは
創業者のクレイグ・ニューマークの手元には入らずに、
数十万人のサイトのユーザーに分配されている。」

「なぜグーグルは、他の企業がフリーを経済的強みとして
利用できるかどうかを気にするのだろう。
それは他の企業が情報をつくり出してくれるからこそ、
グーグルはそれをインデックス化して整理し、
あるいは他の情報と抱きあわせて自分のビジネスにできるからだ。
もしもある産業で、新しいビジネスモデルが収益をあげられるようになる前に
デジタルのフリーがその産業そのものを非収益化してしてしまったら、
全員が敗者になってしまう。
 無料のクレイグリストの成功は、大都市の日刊紙を衰退させ、
多くのプロのジャーナリストが仕事を失った。
だが、低コストでユーザーが発信するハイパーローカルという代わりの選択肢は、
大手新聞の衰退で生まれたギャップを埋められるほどには成長していない。
いつの日か埋めるだろうが、今はまだだ。
それは、グーグルがインデックス化できる地方ニュースが減ることを意味する。
ローカル情報自体は増えたとしても、クオリティを保証する専門の報道機関の
ものだとは言えない。そのため、どれが信頼できてどれが信頼できない
情報なのかを判別しなければならなくなるが、それはむずかしい問題だ。
 つまりグーグルは新聞業界にビジネスを続けてほしいのだ。とはいえ、
グーグルの広告モデルが成功して新聞から広告市場のシェアを奪っていることが、
新聞の存在をあやうくしている。これはシュミットを悩ますパラドックスだ。」

銀食器セットを景品にしているポルトガルの新聞の例など、
日本でも宝島社がやっている付録戦略みたいなもんだよなと。


◆読書メモ

典型的なオンラインサイトには5パーセント・ルールがある。
つまり、5パーセントの有料ユーザーが残りの無料ユーザーを支えているのだ。
フリーミアムのモデルでは、有料版を利用するユーザーひとりに対して、
無料の基本版のユーザーが19人もいる。
それでもやっていける理由は、19人の無料ユーザーに
サービスを提供するコストが、無視できるほどゼロに近いからだ。

BMI(音楽著作権管理団体)は、ニューヨークを本拠地とする
ASCAP(米国作曲家作詞家出版社協会)に無視されていたリズム&ブルースや
カントリー&ウエスタンなどの地方で活動するミュージシャンをすぐにひきつけた。
人気で劣る彼らは、金銭よりも自分の曲が放送されることを望んだので、
ラジオ局がタダで自分たちの曲を流すことを認めた。
これにより、ラジオ局から著作権料をとろうというビジネスモデルは崩壊した。
その代わりに、ミュージシャンはレコードやコンサートで稼ぐようになり、
ラジオは重要なマーケティング手段となった。

いくらであっても料金を請求することで、心理的障壁が生まれ、
多くの人はわざわざその障壁を乗り越えようとは思わない。
それに対して、フリーは決断を早めて、試してみようかと思う人を増やす。
フリーは直接の収入を放棄する代わりに、広く潜在的顧客を探してくれるのだ。

これはフリーが及ぼしうる悪い影響のひとつだ。
タダで手に入れたものにはあまり注意を払わないから、大切にしないのだ。
そのときに、ほんのわずかな金額でも請求すれば、
はるかに責任のある行動をもたらすはずだ。

無料と有料が連携したときにうまく機能するのはこれが理由だ。
お金よりも時間がある人、その逆の人、自分の技能に自信があって、
自分の手でものをつくりたい人、その逆に誰かにやってもらいたい人など、
幅広い消費者心理が存在する。そして、無料と有料を組み合わせれば、
そうした心理をすべてカバーできるのだ。

半導体チップは18ヵ月ごとにトランジスタ数を二倍にしている
(だから、二年前後で同じ価格のiPodの新モデルが、
旧モデルの二倍の音楽を納められるようになるのだ)。

 iPod発売以前には、誰もポケットの中に自分の音楽コレクションすべてを
持っていたいとは思わなかった。だがアップル社のエンジニアは、
記憶容量が潤沢であることの経済的意味を理解していたのだ。
彼らは、コスト当たりのディスクドライブ容量が増えるペースは、
プロセッサよりも速いことを見てとった。
巨大な音楽カタログを持ち歩きたいという需要がiPodの開発を
うながしたのではない。物理学と工学がうながしたのだ。
アップルのエンジニアは、ミードの言葉を借りれば、
「テクノロジーの声を聞いた」だけだった。
 彼らは2000年に東芝がおこなった発表に注目した。
「近いうちに1.8インチのハードディスクに5ギガバイトを
記憶できるようになります」。それはどのくらいの記憶容量だろうか。
トランプのカードよりも小さなドライブに音楽が1000曲納められるくらいだ。
そこでアップル社は単純にそのテクノロジーを製品化して発売した。
すると、供給はみずからの需要をつくり出した。
消費者は自分の音楽ライブラリを持ち歩くことなど考えてもみなかったが、
いざそれができるとなったら、たちまちその便利さを理解した。
すべての音楽を持っていれば、今日は何を聴こうかと
いちいち用意する必要はなくなるのだ。

一方で、情報は高価になりたがる。なぜなら貴重だからだ。
正しいところに正しい情報があれば、私たちの人生さえ変わりうるのだ。
他方で、情報はフリーになりたがる。なぜなら情報を引き出すコストは
下がりつづけているからだ。今はこのふたつの流れがせめぎ合っているのだ。
(『ハッカー倫理』第三条 スチュワート・ブランド)

『クラウド化する世界』の著者ニコラス・カーは次のように記した。
「グーグルが情報を無料にしたがるのは、情報コストが下がれば、
より多くのお金が稼げるからだ」

(『ワイアード』誌のマガジンルームでは、)編集中の最新号の全ページが
ずらりと壁に貼られている。ページの内容が形になってくると、
ページの位置を移動させ、もっともよい流れやリズムを見つけたり、
記事同士やアート的要素が衝突することを避けたりするためにそうするのだ。
 壁に貼られている段階で、<広告/編集衝突>にも注意する。
つまり、コンテンツと関連がありそうな広告が一緒になることだ。
これは<チャイニーズ・ウォール>と言って、従来のメディアの大半が、
編集チームと広告チームのあいだに築いている壁で、
広告主が編集者に影響を及ぼせないようにしているのだ。
読者に信頼される必要もあるので、車の記事のとなりに車の広告を載せたり、
ソニー製品のレビュー記事の近くに広告を配置したりしないようにして、
見た目の影響さえも避けている。
理想は、ひとつの号に同種の製品の広告と記事を掲載しないことだ。
 このことをグーグルの友人に説明すると、彼は信じられないといった顔をした。
それもそのはずだ。グーグルではまったく逆のことをしているのだから。
 驚異的な成功を収めたグーグル・アドセンスの魅力は、
広告とコンテンツが一致していることだ。まさに私たちが禁じている
行為をするグーグルに、広告主は多額の料金を支払う。
つまり、ソニー製品のレビューのとなりにソニーの広告を置くのだ。
そして読者はそれを喜ぶ。関連性こそ大切なのだ。

「作家の敵は著作権侵害ではなく、世に知られないでいること」
ティム・オライリー

違うのは、スポーツクラブの会員は利用しないことで、さぼってしまったと
いやな気分になるが、ネットフリックスの会員はDVDを数週間借りっぱなしでも、
延滞料金が発生しないので、いい気分のままいられる点だ。

『パブリック・エネミーズ』ジャパンプレミア中継を見た

映画「パブリック・エネミーズ」オリジナル・サウンドトラック

『パブリック・エネミーズ』公開にあわせて、ジョニー・デップが緊急来日。
六本木アリーナで行なわれたジャパン・プレミアの模様がGyaOでWEB中継されました。

ニュース記事と写真はこちらを参考に。
ジョニー・デップ:「本当にアメージング!」 レッドカーペットに登場 「パブリック・エネミーズ」プレミア

六本木アリーナでは、『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』とか
『戦国自衛隊』のプレミアイベントを見たことがあるんですが、
(私は見てないけど、最近だと『トランスフォーマー/リベンジ』の
プレミアには、巨大なバンブルビーが登場しました。)
こういうイベントって、当然ながらお金もかかるし、準備も相当大変なはず。
それなのに、イベントに参加できるのは、ごく一部のファンとマスコミ、
偶然六本木ヒルズを通りかかった人だけ。
イベントの模様はニュース記事になったり、翌日のワイドショーで放映されたり
するんでしょうが、テレビで放映されるのはよくて5分ほど、
スポーツ紙なら、「ノリピー逮捕!」みたいなニュースがほかにあれば、
一面トップには載らない。かかった費用に対して、
どれだけ宣伝効果があるんだろうかと前から思ってました。
それに何より、一番見たいであろう、ファンの人たちにちゃんと届かない。
DVDの特典映像には収録されるかもしれないけど、
それって映画公開のずっと後だし。

なので、今回、ジャパン・プレミアをネットで生中継すると聞いて、
楽しみにしてました。

18時から開始される予定のライブ中継は、
18時ちょっと前にのぞいたところ、すでに会場が映っている!
(GyaOってあいかわらずIEでしか接続できなかったり、
ワンボタンで再生が始まらなかったり、いろいろ問題はありますが)
司会の女性から「寒いと思いますが、もう間もなく開始されますので、
みなさんお待ちくださいね」と挨拶があった後、
約30分、ずっと予告編の再生のみ。

18時30分過ぎ、やっと再び会場からの中継になり、
「ジョニー・デップさんがただいま車に乗りました。
あと2、3分で到着します」というアナウンスが。
そして、歓声とともにジョニー到着。

最初にテレビクルーのインタビューに答えるジョニー。
前日の記者会見がわりとまじめに映画に関する質問だったせいか、
今日の質問はセクシーとファッションに集中。
「なんでそんなにセクシーなんですか?」
「女性をセクシーな言葉で口説いてみてください」
「今日は黒のスーツで決めていますが、帽子とサングラスはマストなんですか?」
と、ほとんど頭悪いんじゃねえかという質問が続く。
そうした質問に「わからないよ」、「メイビー」と返答しつつ、
「帽子の穴? これはストレスで開いたんだ」
「私と1000万ドル入った箱があったら、どっちを盗みますか?」
「両方もらってくよ」とクールにかわすジョニー。かっこいい。
(っていうか、テレビの質問って、本当にバカみたい。
これって答える側のジョニーが慣れているから返答が返ってくるんであって、
頭の悪いタレントだったら、まともな答えがでてこないよ。)

そして、その後、約1時間、「ジョニー!」の歓声の中、
沿道にならぶファンたちのサインに答え続けるジョニー。
サインがもらえる位置にいる人もいない人もパニック状態。
「お願いします。お願いします。」と叫んでるファンとかいたり。

で、19時20分頃、やっとステージに到着。
スチールカメラ用の写真撮影のあと、
司会者からの質問に答えて、「メリークリスマス!」のかけ声とともに、
ディスプレーにジョニー・ツリーが浮かび上がり、
苦笑しながら、「メリー・クリスマス、TOKYO。
今度はもっと暖かいときにくるね」と言って、ジョニー退場。
ファンサービスが長すぎて、時間が押してたんだろうけど、ステージ短すぎ。

と、ここまでが中継されました。
ファンの熱狂的な歓声とか、テレビの頭の悪い質問とか、
グダグダの進行とか、マイペースなまでにファンに親切なジョニーとか、
こういう現場の雰囲気って、編集された映像や記事では伝わりにくくて
(というか、ニュース記事だったらカットする部分だよね)
やっぱり中継だからこそ、わかることだと思うんですよね。
私はこういうグダグダさも含めて、今回の中継を楽しみました。
もちろん、ジョニーファンなら、現場でリアルに会うのが一番だと思うけど、
すべての人が何時間も六本木ヒルズに並べるわけじゃないし、
会社で仕事しながら、ジャパンプレミアが見れるってすごくいい試みだなと。

その後、Twitterやブログ検索などをしてみると、
始発に乗ってプレミア会場へ行った人とか、
無事にサインがもらえた人のつぶやきなども読めました。
こちらファンの方のレポート。
パブリックエネミーズ、ジャパンプレミア体験談、ジョニーに逢えた・・・
ブログをさかのぼっていくと、プレミアが決まってから会場入りまで
臨場感があって、感動の伝わってくるいいレポートです。
こういうのってマスコミは絶対かなわないよね。

少なくても私は『パブリック・エネミーズ』を見に行こうという気になったし、
こういう試みはどんどんやってほしいと思います。

本『大人げない大人になれ!』

大人げない大人になれ!

『大人げない大人になれ!』
著/成毛眞
ダイヤモンド社

元マイクロソフト社長、成毛さんの本。
最初のカラーページに、家とは別に借りているという、
「模型部屋」が掲載されていて、ずらっと並んだプラモデルや
タミヤのペイントボトル(っていうのかな?)のビジュアルにまず笑える。

“大人げない大人”というのは、いい年してプラモデルで遊ぶような大人になれ
ということではなく、今の世の中、人と同じことをしたり、
空気を読んで平均に安住していたってダメだ、
自分の好きなものをひたすら貫き、自分の思う通りに突き進む、
そんな大人げなさ、創造性こそが必要なんだ、ということらしい。

「我慢なんてしなくていい」、「目標なんてもつな」
「自分を変えるなんて無理」、「あるがままでいることが個性」、
「キャリアプランは持たない」、「英会話もいらない」、
「資格を頼りにするのはやめよう」、「ビジネス本は読むな」などなど、
おもしろいこともたくさん言っているんだけど、
全体的には、成功したおじさんの話だよなーという気もしてしまう。
大人げない大人の例として、ビル・ゲイツやノーベル賞受賞者はともかく、
ホリエモンや孫正義ってのはどうなのか。
(サーファーのノーベル賞受賞者キャリー・マリスって
『生物と無生物のあいだ』にも書かれてた人だよね)

成毛さんは35歳、1991年にマイクロソフト日本法人の社長になって、
2000年に退社しているから、一番いい時期の
マイクロソフトのトップだったわけで、その後、社外取締役などをしながら
悠々自適に過ごしている人にいろいろ言われても、
あなたはそれでうまくいったかもしれないけど、と思ってしまったりもする。

『ファイナル・ファンタジー』に夢中になりすぎて
成毛さんが出社もしないので、部下がゲームの通信機能を使って
会議への召集連絡を取ってきたというエピソードは
読んでるぶんにはおもしろいけど、私が部下だったら嫌だな、こんな上司。

「子供のように読書をしよう」という意見がこの本の中で一番実践的。
成毛さんのオススメ本はなかなか楽しそうなのでメモしておく。
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』
『マリス博士の奇想天外な人生』
『ノアの洪水』
『コンテナ物語』


この本の担当編集はダイヤモンドのKさん。
最近だと、『希望を捨てる勇気』、『職場スイッチ』、
ちょっと前だと『スタバではグランデを買え!』なども、たぶんKさん。
すべてのタイトルを編集者がつけるわけではないでしょうが、
著者をみつけるセンス、売れるタイトルをつけるセンスはすばらしいですね。


◆読書メモ

どのメールもバカの一つ覚えのように「お世話になっております」
から始まり、「よろしくお願いします」で終わる。
こうしたメールを見るたびに、なんと工夫のない奴だ、
と思ってしまうのは私だけだろうか。
さらに時節の挨拶でもあろうものなら、読む気も失せてしまう。

話し方が形式的になると人の興味を引かないばかりか、
説得力がなくなる。
このように形式的な話し方ばかりしていると、思考や発想までが
型にはまり、つまらないものになってくる。
話し方は、常にその人の考え方に大きく影響しているのだ。
意味不明のカタカナ語を使うたびに、
メールでは「お世話になっております」と書くたびに、
あなたの中からクリエイティビティが失われていくはずだ。

もしあなたが、この仕事はつまらないなと感じてしまったら、
それは仕事が単調だからではなく、自分がつまらなくしているのである。
どんな仕事でも、自分なりの工夫を加えれば
楽しい遊びにすることはできるはずだ。

読書において重要なことは、本の内容を頭の中に入れることではない。
大事なことは記憶することではなく、本を読むことで衝撃を受け、
自分の内部に精神的な組み換えを発生させることだ。
これは、単なる記憶以上に、自分の考えや行動に影響を及ぼすのである。
本の内容を覚えているかどうかは大した問題ではない。


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