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本『セカイ系とは何か』

セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史 (ソフトバンク新書)

『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』
著 前島賢
ソフトバンク新書

“セカイ系”とは何か。
セカイ系の代表といわれた『ほしのこえ』、『最終兵器彼女』、
『イリヤの空、UFOの夏』をはじめとするゼロ年代の作品を読み解くことで
『エヴァンゲリオン』が後世の作品に与えた影響を浮き彫りにする。
というのが本書。

いや、おもしろかったです。

『エヴァ』以降、主人公の自意識は中心テーマとして描かれるようになる。
それを正確に受け継いだのは、ポスト・エヴァのアニメ作品ではなく、
ライトノベル『ブギーポップは笑わない』と美少女ゲーム『雫』だった。
美少女ゲーム『ToHeart』で繰り広げられるのは“学園エヴァ”のような光景であり、
美少女キャラクター、萌えがゼロ年代前半のオタク文化を牽引する。
そして、『ほしのこえ』、『最終兵器彼女』、『イリヤの空』が登場し、
西尾維新がデビューし、『涼宮ハルヒの憂鬱』が刊行。
ここまでが2003年あたり。
セカイ系という言葉は東浩紀ら文芸批評へと進出し、
ライトノベル・ブームが起こる。
セカイ系という言葉も2005年頃には飽きられていたところ、
宇野常寛『ゼロ年代の想像力』でセカイ系批判として復活。
作品としてのセカイ系ブームは終わっており、
現在では、『らき☆すた』、『けいおん!』などの日常系・空気系へ
オタク文化は移行している。

ざっと、こうしたゼロ年代のオタク文化の流れが、
いくつもの作品を分析しつつ語られていく。
宇野常寛vs東浩紀みたいな、論壇を論じるような話は
正直、どうでもいいと思うが、(そんなこと騒いでるの論壇の人だけですよ)
全体的な流れは非常に納得できた。
東浩紀らの作品分析がどうにも哲学的文章で読みにくいのに対し、
本書は言っていることも明確。(むしろわかりやすく書きすぎてややくどい)

私自身は『エヴァ』はどうにも好きになれないんだけど、
『エヴァ』以降、オタクの受容態度が大きく変わったとか、
『エヴァ』をまず受けついだのが、ラノベと美少女ゲームだったとか、
あー、たしかにそうだよね、と。

本書を読んで、とりあえず『ほしのこえ』を見返してみたけど、
その後の『雲のむこう、約束の場所』、『秒速5センチメートル』よりも
ずっと純度が高い。

「世界っていう言葉がある。私は中学の頃まで、
世界っていうのは携帯の電波が届く場所なんだって漠然と思っていた」
(『ほしのこえ』)

とりあえず、『ブギーポップ』と『ハルヒ』を再読して、
『イリヤ』と西尾維新を読んでみようと思いました。


◆読書メモ

『エヴァ』という大ヒット映像作品の後に訪れた新世紀、
ゼロ年代前半のオタク文化において中心となったのは
映像ではなく活字のメディアだった。

『エヴァ』以後、時代の潮流となったのは美少女キャラクターを消費する
「萌え」という作品受容の態度であり、それに最も適していたのは
アニメではなく美少女ゲームとライトノベルだった、と。

ポルノグラフィとしての美少女ゲームも大きく変質した。
ポルノ描写の地位が主から従へと移行したのだ。
これはポルノ描写が薄くなったとかおざなりになったとかいう
単純な問題ではない。ゲームの面白さを感じる部分が、
フルサイズのCGが表示されているイベントシーンではなく、
立ちキャラクターと背景が表示されている日常シーンへと移行したのだ。
(『美少女ゲームの臨界点』元長柾木)

オタクたちのもつ共通前提、お約束の束から、ミカコとノボルの物語を語るのに
必要なだけの要素(たとえば、少年と少女はロボットに乗って戦うもの、
であったり、宇宙船はワープするもの、であったり)を取り出して
組み合わせて作られたのが『ほしのこえ』だと言える。

これら(『ほしのこえ』、『最終兵器彼女』、『イリヤの空、UFOの夏』)の
作品で排除されたのは(社会や中間領域ではなく)「世界設定」なのである。
作品の中に挿入される「宇宙世紀0079」や「星団歴2998」といった架空の歴史、
あるいは「モビルスーツ」や「モータヘッド」、「ミノフスキー粒子」や
「イレイザーエンジン」といったSF設定を基に、物語の背景に存在する世界観へと
アクセスするという読み方そのものが、ここでは排除されている。
『最終兵器彼女』の世界では、ちせは何と戦い、その兵器は
どのような原理で稼働しているかはまったくわからない。
『ほしのこえ』も同様だし、『イリヤ』もまた、秋山自身が語るように、
意図的に排除されている。そして読者はそのような設定などまったく気にせず、
青少年の自意識に、あるいは少年と少女の恋愛、悲恋にベタに感情移入する。

敢てミもフタもなく言ってしまえば、「セカイ系」とは「学園ラブコメ」と
「巨大ロボットSF」の安易(であるがゆえに強力)な合体であって、
つまり「アニメ=ゲーム」の二大人気ジャンルを組み合わせて
思い切り純度を上げたようなものである。
(『美少女ゲームの臨界点』佐々木敦)

私たちの多くが夏目漱石や太宰治(あるいは伊坂幸太郎や石田衣良でもいい)
といった自然主義的リアリズムで書かれた作品を読むと、おそらく頭のなかでは
実写映画として再生されるはずである。一方、新井素子や谷川流といった
ライトノベル=まんが・アニメ的リアリズムで描かれた作品を読む時、
読者たちの頭には、アニメのような映像が再生される。

君はもっといろんなアニメを見ておくべきだった。僕の見たアニメでは
敵にも戦う理由が描かれていたよ
(『ゲキ・ガンガー3』)

関連記事:
『秒速5センチメートル』
『涼宮ハルヒの憂鬱』
『オタクはすでに死んでいる』
『ゲーム的リアリズムの誕生』

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