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本『facebook』

facebook

『facebook』
著 ベン・メズリック
青志社

人付き合いの苦手なハーバード大の学生、マーク・ザッカーバーグが
世界最大のSNS「facebook」を成功させるまでを描いたドキュメンタリー。
ドキュメンタリーといっても、冒頭に書かれているように、
マーク・ザッカーバーグ本人はインタビューを断ったということで、
facebookの「もうひとりの創業者」であるエドゥアルド・サヴェリンを中心に、
マークに「裏切られた」人々の視点から物語は描かれている。

なので、この本だけを読むと、マークはずいぶん勝手でひどいやつに見える。
これも冒頭で書かれているように、だいぶ演出がほどこされているようなので、
どこまでが本当かは疑わしい。ただ、そのおかげでお金と友情がからむ
ドラマチックなサクセス・ストーリーになっていて、非常におもしろい。

物語はエドゥアルドが社交クラブに入会しようとするところから始まる。
ハーバードで自分の地位を高めるため、就職に有利になるため、
そしてなにより女の子にモテるために、彼は社交クラブへ入りたいのだが、
『ビバヒル』などでもわかるように、アメリカの大学の社交クラブは非常に排他的だ。
名のあるクラブに入会するには、家柄、成績、外見、社交性などが審査される。
エドゥアルドが入る「フェニックス」のほか、
スポーツ選手など優秀さを認められた学生だけが入会できるクラブも出てくる。
ハーバード大とはいえ、そうした社交クラブを通してでないと
かわいい女の子たちとはなかなか知り合いになれないのだ。

facebookはある意味、そうしたハーバード大の排他的なコミュニティを
ネット上にもってくることで、女の子と知り合いやすくしたシステムなのだ。
この本のおもしろいところがココで、facebookは
人付き合いの苦手なハーバード大生が女の子とヤりたいがために誕生した
という物語になっているところだ。
(ミもフタもない言い方だけど、本当にそういう風に書かれている)

同時に、私がfacebookにピンとこない理由もここにある。
大学生でもなく、ネットのコミュニティに興味もなければ
facebookはあまり必要ないのだから。
(この本はfacebookの機能については、それほど触れていない。
ほかのSNSと比べてどこが優れているかといった話もたいしてしていない。
みんなが使っているから、説明なんていらないということかも。)

facebookのシステム全般をつくったのはマーク・ザッカーバーグだけど、
エドゥアルドは創設時からfacebookにたずさわり、
サーバー代などの費用をもち、広告営業にも走り回っていた。
しかし、facebookが急激に大きくなるうちに、マークひとりだけにスポットが当たり、
スポンサーがついたことでエドゥアルドの金も必要なくなり、彼は切られる。
マーク・ザッカーバーグは19歳で億万長者になり、美人の彼女も名声も手に入れた。
かたや「もうひとりの創業者」だったはずのエドゥアルドは金も友情も失う。

ほかにも、ハーバード大のスポーツ選手タイラー兄弟や
ナップスターの創業者ショーン・パーカーなどがストーリーにからむ。
デビッド・フィンチャー監督でfacebookの映画化が進んでいる
という話を聞いたときはびっくりしたが、本を読んだ後では、それも納得。
映画にしたくなる、おもしろさだった。

ジャスティン・ティンバーレイクがD・フィンチャー監督のFacebook映画に出演

ちなみに、裁判などを経て、現在のfacebookのサイトには
エドゥアルドは創業者のひとりとして明記されている。

February 2004
Mark Zuckerberg and co-founders Dustin Moskovitz, Chris Hughes and Eduardo Saverin launch Facebook from their Harvard dorm room
http://www.facebook.com/press/info.php?timeline

本『風が強く吹いている』

風が強く吹いている (新潮文庫 み 34-8)

『風が強く吹いている』
著 三浦しをん
新潮文庫

映画版を最初に見ているので、キャラクターはほとんど映画のイメージで
読んでしまいましたが、わりとイメージどおり。
特に双子やユキのキャラクターはぴったし。

映画でよかったのは、走の美しいフォーム。
彼のフォームに人々が魅了され、あんなふうに走れたらと思う気持ちを
林遣都はよく体現していた。

ストーリー展開は映画もほぼ原作どおりなので、
前半はややたるいなーと思いながら読みましたが、
箱根駅伝が始まってからが、すごかった。
1区から10区まで、ひとりひとりの気持ち、見えている風景が
ていねいに描写され、箱根駅伝に出場したみたいな気分さえ味わえる。
それまではっきりとは描かれなかった、それぞれの背景、
いつどこで生まれて、どんな学生時代を送ってきたのか、
走ることで何が変わったのか、それぞれにとって走る意味とはなんなのか、
彼らが箱根駅伝を走ることで答えを見つけていく姿が感動的。
往路にいたっては、もう泣きながら読みました。

逆に言うと、映画版に決定的に足りなかったのはココの部分。
モノローグだらけになってしまうので、映画では描きにくかったかもしれないが、
だったら、神童の母、なんていうよけいなエピソードはいらなかった。
ゴールのハイジの様子も、映画の描き方には不満が残る。

「なぜ走るのか」という問いにはなかなか答えられない。
それをちゃんと言葉にしているのが、
村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』
なんだけど、本書でも、登場人物たちがみんな
「走ることの意味」にストレートに向き合っていて清々しい。
私のようなヘッポコランナーでも何かをめざして走っているんですよ。


◆読書メモ

だれかと一緒に走るのは、ずいぶんひさしぶりだ。
だけど結局、一人になってしまう。
速度とリズムはだれとも共有できない、自分だけのものだからだ。

清瀬は走の言葉をさえぎった。「いいか、過去や評判が走るんじゃない。
いまのきみ自身が走るんだ。惑わされるな。振り向くな。もっと強くなれ」

俺にとってはすごく大事なものなのに、陸上って世間一般では
案外地味な扱いなんだなと、走としては衝撃の事実を知ってしまった思いだった。
同時に、なんだか愉快な気もした。ほとんどのひとがどうでもいいと思っていることを、
俺たちは毎日必死になって追求しているわけか、と。

ああ、と走は思った。もしもハイジさんの言うとおり、
走ることに対するこの気持ちが、恋に似ているのだとしたら。
恋とはなんて、報われないものなんだろう。
つらくても、苦しくても、なにも得るものがなくても、
走りやめることだけはできないのだ。

走る姿がこんなにうつくしいなんて、知らなかった。
これはなんて原始的で、孤独なスポーツなんだろう。
だれも彼らを支えることはできない。まわりにどれだけ観客がいても、
一緒に練習したチームメイトがいても、あのひとたちはいま、
たった一人で、体の機能を全部使って走りつづけている。

「彼らのもうひとつの勘違いは、勝てばいいと思っているところだ」
と、藤岡はつづけた。「日本人選手が一位になれば、金メダルを取れば、
それでいいのか? 断固としてちがうと、俺は確信している。
競技の本質は、そんなところにはないはずだ。たとえ俺が一位になったとしても、
自分に負けたと感じれば、それは勝利ではない。
タイムや順位など、試合ごとにめまぐるしく入れ替わるんだ。
世界で一番だと、だれが決める。そんなものではなく、変わらない理想や
目標が自分のなかにあるからこそ、俺たちは走りつづけるんじゃないのか」

ムサはうれしかった。この国で生まれたのではないし、
自分を歓迎していない人々もいる。それはわかっている。
でも、いまこの瞬間、私はなんと自由で平等な場所にいるんだろう。
併走する選手も、姿を見ることもできないほど前方にいるトップを走る選手も、
たしかに同じ時間と空間を分けあっている。

でも、ちがうんだ。俺が、俺たちが行きたいのは、箱根じゃない。
走ることによってだけたどりつける、どこかもっと遠く、深く、美しい場所。
いますぐには無理でも、俺はいつか、その場所を見たい。
それまでは走りつづける。この苦しい一キロを走りきって、少しでも近づいてみせる。

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