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本『ネット・バカ』

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』
著 ニコラス・G・カー
青土社

最初にいっておくと、この日本語タイトルはひどい。
(原題は『The Shallows』)挑発的なものをということなのだろうが、
これでは「ネットは私たちを愚かにする」と言っている本のようだ。
著者が『クラウド化する世界』や『ITにお金を使うのは、
もうおやめなさい』のニコラス・G・カーだと知らなければ、
手に取るのさえやめてしまいそうだ。

実際には、ネットが私たちの「読み方」、「書き方」、「考え方」、
脳の働きにどんな影響を与え、どう変化したかを真面目に考察した本。
大量の情報を効率的に処理できるようになった一方で、
一冊の本を深く読むことは難しくなったと著者は言う。
それが著者の勘違いでない証拠として、
人間の習慣がいかに脳の動きに後天的な影響を与えるかという
科学的分析や、メディアが文化をどのように変化させてきたかという
歴史的考察などが丁寧に行なわれている。

たとえば、ロンドンのタクシー運転手は、空間処理を行なう海馬後部が大きく、
そのぶん海馬前部は萎縮しているそうだ。
また、時計の誕生は、時間の概念だけでなく、人々の生活様式も変えた。
同じように、インターネットのブラウジングに最適化した脳は、
別の能力(集中力や思索力、記憶力)を弱めているのではないか。

実際、ネットのブラウジングは集中力とは程遠い。
私たちはメールやTwitter、RSSのアラートを処理しながら、
ざっとページをスキャンしている。
従来の「深い読み」とは違う読み方をしているのだ。

また、ハイパーリンクによって、動画や画像、ほかの意見へと
自由にジャンプできるテキストは、直線的なテキストを読むよりも
記憶に残りにくい、という研究結果も載っている。
(だからといって、私たちがバカになるといっているわけではなく、
『ダメなものは、タメになる』『デジタルネイティブが世界を変える』
などの「楽天的な」意見もあわせて紹介されている。)

バカになるかはどうかはともかく、メディアによって文化は変わる。
数年後、「本を読む」という行為や意味は
まったく違うものになっているかもしれない。

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本『WORLD WAR Z』

WORLD WAR Z

『WORLD WAR Z』
著 マックス・ブルックス
文藝春秋

世界規模でゾンビが蔓延してから10年後。
生き残った人々のインタビュー集という形で綴る。
今年読んだ中でベスト5に入るおもしろさ。

感染は中国の農村部から始まり、アメリカ政府は事実を隠蔽し、
イスラエルは国境を封鎖する。各国の政治的対応がまたリアル。
忽然と姿を消した北朝鮮や中国の原子力潜水艦、
ロシアやキューバーが戦争後、どのように変貌したか
などなど。

ちなみに、日本ではネットで情報を集めるだけだった
オタク青年が、ゾンビによって現実と向き合うことになる。
アメリカのように銃が手に入らない日本で、
彼が手にした武器ってのが、またそれかって感じですが、
情報を詰め込むだけの日本教育とか、
『日本沈没』へのオマージュだとか、よく調べている。

ゾンビ映画というよりはディザスター・ムービーのポイントは、
世界の終末が訪れたとき、人間はどう行動するか。
バカにする人も多いけど、『デイ・アフター・トゥモロー』や『2012』
そこの部分をきっちり押さえていておもしろかった。
人はどこまで残酷になれるのか、どこまで勇敢になれるのか。

『WORLD WAR Z』はインタビュー集なので、
人それぞれの生き方がぞんぶんに描かれている。
ニセのワクチンを作って儲けるもの、
残酷なまでの隔離政策を立案するもの、
ゾンビ以上に人間の恐怖を味わうもの。

数々のエピソードの中で一番好きなのは
遭難した女性パイロットの話。
人はどこまで強くなれるのか。

描写方法やコネタが映画っぽいと思ったら、
著者のマックス・ブルックスはメル・ブルックスの息子なんだとか。
本書自体もブラッド・ピットが映画化権を獲得したことが話題だけど、
このおもしろさをどこまで映画で表現できるか。

本書で印象的に使われていた2曲。
Iron Maiden - The Trooper
Redgum - I Was Only 19

本『本の現場』

本の現場―本はどう生まれ、だれに読まれているか

『本の現場 本はどう生まれ、だれに読まれているか』
著 永江 朗
ポット出版

1年くらい前の発売で、Twitterなどでも話題になっていた本。
2004年の新刊タイトル数は7万5000点。
1日平均200~300点の新刊が発売されていることになる。
一方で、書籍の実売部数は落ちており、
15年間でタイトル数は2倍、1点当たりの実売部数は半減している。
そのため、「出る本も多いけど、なくなる本も多い」。
店頭に本が並ぶ期間はどんどん短くなる。

これは返品を上回る新刊を納品し続ける出版社の自転車操業であり、
著者は“本のニセ金化”と呼ぶ。

新刊の数が増えれば、柳の下のドジョウみたいな本や
薄っぺらな新書やブログ本も増える。
編集者の仕事が増えたぶんは、編プロやライターの
価格破壊へとつながる。

この大元にあるのが委託制と再販制度。

ここらへんの話やパターン配本については
『だれが「本」を殺すのか』とか
『暴れん坊本屋さん』などにも出てくる。

本屋が売りたいのに本がないとか、
バカみたいなベストセラーばかり店頭に並んでる現象とか
一生懸命つくった本がその良し悪しに関係なく売れないとか、
みんな疲弊しているのに刊行点数のために本を出すとか。
実際にこの本だって、発売から1年で
アマゾンでは在庫3冊になっている。1年ですよ、1年。
1年前の話題の本がもう手に入りにくくなってるという現象。
しかも、本屋さんじゃなくて、アマゾンで。

電子書籍は出版が抱えるこの問題に風穴を開けるのでは
と期待されている訳ですが、すべてを解決してくれるとも思えない。

明るい話題として、
アサドクなど、子供たちの読書量は増えているという話や
独自の本棚をつくろうとするTSUTAYA TOKYO ROPPONNGIを
プロデュースした幅充孝さんの話もでてくる。
『松丸本舗』はひとつの答えだよなーと思っていたら、
松岡正剛さん自身がこの本について語っていました。
「『本の現場』永江朗 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇」


インターバル撮影に挑戦! その2

うちのブログの人気エントリーはなんと「インターバル撮影に挑戦!」なんです。みんなやってみたいという気持ちはよくわかる。

去年はデジカメで動画を撮影して、静止画を切り出して、
また動画にするという、やや無理やりな方法でしたので、
今年は正攻法でインターバル撮影機能を使ってみました。


その1 iPhoneアプリ『TimeLapse』を使う

最短1秒からのインターバル撮影が可能なiPhoneアプリ。
有料版もありますが、とりあえず撮るだけなら無料版で十分です。
(有料版だと動画作成までできる。)

Img_0877
まずはインタバール間隔を設定。
ここでは10秒で、連続50枚の撮影にしました。

あとは、iPhoneを動かないように何かで押さえて
フレームを決めてスターとボタンで撮影開始。
自動で50枚が撮影されます。

50枚の写真をPCに取り込んで、
『Windows Live ムービー メーカー』に読み込みます。

Kumo_4


“編集”タブで“再生時間”を“0.10”に指定。
あとは普通にwmv形式のムービーに出力します。

できたのがコレ。

うわー、なんかすごく簡単だ。
惜しいのは『TimeLapse』無料版だと
59枚までしか連続撮影ができないことぐらいですかね。
あと、iPhone 3GSなので、画質はそんなによくないです。


その2 リコーのデジカメのインターバル撮影機能を使う

リコーのデジカメには、すべての機種ではないですが、
インターバル撮影機能が搭載されています。
そこで、やや古い機種ですが、『Caplio GX』を引っ張り出してきました。
デジカメだと三脚を使って角度を調整しやすいのが便利です。
インターバル間隔は30秒からだったので、30秒に設定。
約50枚撮影するために、25分ほどカメラをそのままにして自動撮影。

あとは、同じように画像をPCに取り込んで、
『Windows Live ムービー メーカー』で再生時間を“0.10”に指定して、
wmv形式のムービーに出力。

できたのがコレ。


うーん、なんかこれもすごく簡単。
個人的にはソフトを使って、いろいろ設定をいじったりするほうが
おもしろいんですが、正直、インターバル撮影をしたい人は
この手のデジカメを買う方が、楽だし、綺麗な動画になりますね。


本『われら銀河をググるべきや』

われら銀河をググるべきや (ハヤカワ新書juice)

『われら銀河をググるべきや』
著 新城 カズマ
ハヤカワ新書juice

SF作家、新城カズマが、グーグル・ブック検索の著作権問題を
きっかけに、そもそも著作権って? ベースとなってる法体系って?
グーグルって無料じゃないよね、検索することで“情報のやりとり”って
いう対価を我々は払っているじゃないか、
電子書籍時代の“絶版”って?
“私的利用”や“所有”の概念も変わるよね?
と幅広い文化論を展開。

いや、これ、すごくおもしろい。
元が会話形式で書かれたブログに書き下ろしを加えたものなので、
読みやすいけど、話も飛ぶ飛ぶ。本来はリンクされたニュース記事や
ブログエントリーも含めて理解すべきものなんだけど、
その軽妙な語り口の一方で、すごく重要な話がいっぱいでてくる。

グーグル×著作権問題も、別の次元から眺めると、
こんな切り口があるのかとびっくり。
ただでさえ、わかりにくくて退屈な著作権問題も、
情報のあり方がまったく変わっちゃう岐路にいるのかもね、
って話にまで展開する。

電子書籍にはいろいろ期待することも多いんだけど、
電子書籍だけが出版の未来を救うみたいな考え方もおかしいよね
と思っていたところなので、
本がデジタル化するってどういう意味があるのか
つっこんで考えるきっかけになりそう。

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本『高慢と偏見とゾンビ』

高慢と偏見とゾンビ(二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)

『高慢と偏見とゾンビ』
著 ジェイン・オースティン、セス・グレアム=スミス
二見文庫

まあ、なんというか、タイトルだけで勝ったも同然の本。
タイトル聞いたときからずっと読んでみたかったもんね。

冒頭はこんな感じ。
「これは広く認められた真理であるが、人の脳を食したゾンビは、
さらに多くの脳を求めずにはいられないものである。」

この冒頭が笑えるかどうかは、原作を知っているかどうかによる。
原作はこんな感じ。
「これは広く認められた真理であるが、財産に恵まれた独身男性は、
理想の結婚相手を求めずにはいられないものである。」

役者あとがきでは“マッシュアップ小説”と書かれているが、
パロディーというより、80%が原作『高慢と偏見』のダイジェストで、
それにゾンビネタが時々顔を出すといった感じ。
たとえば、エリザベスとダーシーが初めて顔を合わせるパーティーで
ゾンビが現れて客が食い殺されるとか、
エリザベスが姉を訪ねていく途中で、ゾンビに襲われるとか、
ゾンビを倒した後では、普通に『高慢と偏見』ストーリーが続くので、
ここを削ってしまってもほぼ問題ないと思われる。

そして、肝心のゾンビネタ部分がおもしろくないのだ。
なんていうか、エリザベス姉妹たちが少林寺を習っていて、
カタナで戦ったり、家にはドージョーがあるとか、
ダーシーはキョートで修行していたり、
レディ・キャサリンの屋敷にはニンジャがいて、
メイドの代わりにゲイシャを連れていたり、
まあ、なんというか、日本人からすると苦笑するしかない。

原作ともっとも話が変更されているのは、
エリザベスの友人シャーロットの不幸な結婚について。
原作でもシャーロットの行動はびっくりなのだけど、
「結婚しないと暮らしていけなかった」当時の状況を考えると、
納得できる選択であり、当時の女性の悲しい境遇を思わせた。
この結婚の理由についての変更は、私は大いに不満なんだけど、
その後の展開については、この小説の中で(唯一といっていいほど)
良い出来なんじゃないかと思う。

そのほか、ミスター・ウィカムに対する処遇とかは
なんかなー、全然笑えないんだけど。

もっとゾンビネタがストーリーに絡んでくるとよかったのに
とは思いますが、一日で一気読みするくらいおもしろかったのは確か。
でも、このおもしろさって、原作が元々もってるおもしろさなんだよね。
『高慢と偏見』はすごくおもしろい小説だけど、ダラダラしたところが
苦手だという人には、ダイジェスト版として楽しめるかも。

※ナタリー・ポートマンで映画化だそうですが、
やっぱりここは『プライドと偏見』のキーラ・ナイトレイでお願いしたい。


◆読書メモ

「幸せな結婚ができるかどうかは、完全に運で決まるんだもの。
それに、一生をともにする相手の欠点なんて、
知らなければ知らないほどいいのよ」

本『ポスト・モバイル』

ポスト・モバイル―ITとヒトの未来図 (新潮新書)

『ポスト・モバイル ITとヒトの未来図』
著 岡嶋裕史
新潮新書


マウス、キーボード、ディスプレーに変わるARや音声コントロールなど、
現在、実用段階にある技術をもとに、
人とコンピューターの近未来を考察。

コンピューターが環境化すると、買い物に行ったときでも
ICタグとデジタルサイネージが追いかけてきて、
「この商品とこの商品を買った人は、
次にこれを買いがちだ」と分析したり、
リアルな空間が電子タグで埋め尽くされるだろうという未来は、
まあ、想像の範囲内。
こうなったとき、私たちはゆるやかな監視社会に取り囲まれている。
たとえば、Twitterのつぶやきや、Ustreamのダダ漏れ、ライフログ、
これらが一人のユーザーのIDと結び付けられれば、誰からも監視できることになる。

「もちろん、多くのダダ漏れや、ライフログは
雑然として取り留めのない情報郡だが、
それらがつながって、ある意思のもとで
意味を持つインテリジェンスとして組み直されるのであれば、
それは「ビッグブラザー」が70億の目と耳を持つに等しい」

この本の中でこの指摘が一番おもしろく、
ネットはもはや“あちら側”ではなく、
現実世界を空気のように包み込む存在になるという話も納得。


◆読書メモ

そもそもオタクの価値観では、仮想キャラクタが上位におり、
しかし実際にはそれに触れることができないため、
しかたなく現実の人物と付き合うこともあるのだ。
この場合、オルタナティブなのは現実の人物の方であって、
仮想キャラクタではない。仮想キャラクタに触れられない代償として、
代替品としての現実の恋人が装置されるのである。

本『女ことばはどこへ消えたか?』

女ことばはどこへ消えたか? (光文社新書)

『女ことばはどこへ消えたか?』
著 小林千草
光文社新書

100年前の夏目漱石『三四郎』の女ことば、
200年前の『浮世風呂』の女ことば
現代女子学生の言葉をそれぞれ分析、その変遷を探る。

『三四郎』では語尾の「~わ」、「~てよ」、「~って」、「~こと」
などの使い分けに、微妙な女心が反映されていたことを詳しく分析。
「よくってよ、知らないわ」は明治時代の女学生の流行語だそうで
ずっと肯定の意味だと思っていたら、“甘えを含んだ拒絶”なのだと。
「よくって?」と聞かれて「よくってよ」と答えるのが元で、
「~しなくても、よくってよ」という反発、拒絶へ変化している。

現代の私たちから聞くと女らしく聞こえるけど、
当時は本当に流行語として使われてたんだろうな。
(『吾輩は猫である』から「あらいやだ。よくってよ。知らないわ。」
という例が出てくる。)

室町時代の女房ことば→江戸時代のお女中ことば、お屋敷ことば
→明治時代の山の手ことばへと、上から下へ女ことばが伝播。
(つまり上流階級の言葉を下々の者があら素敵と真似したわけだ。)

女ことばは戦後あたりまではまだ残っていて、
小津安二郎の映画などでは見ることができる。
私はここにすごく興味があって、昔の映画だと、
女性や子供のイントネーションやしゃべりかたの速さも違う。
いったいこれがどう変化していったのか知りたかったのだが、
そこらへんには全く触れていなくて残念。

現代の女性たちは男女平等の意識で育っているので、
男ことば、女ことばの差がなく、
むしろ男っぽい言葉遣いを積極的に使っている。
(ここの例として、2001年の調査結果が使われているんだけど、
「やっぱ」、「きれかった」、「ちげーよ」、「ちがくて」とか
今ではすでに古い感じがする。)

大学の先生の文章なので、全体的にお勉強感が強い。
女ことばがエセお嬢様言葉やニューハーフの言葉に残っているとか、
女らしい女ことばが存在したから、歌舞伎では男が演じようと、
発話者は女であるという認識が成り立ったとか、
もう少し、深く考察してほしかった指摘もちらほら。

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