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本『杉浦康平のデザイン』

杉浦康平のデザイン (平凡社新書)

『杉浦康平のデザイン』
著 臼田捷治
平凡社新書

デザインを文章で語ることに限界を感じる。
紙質や文字組など、本の装丁は実物を手に取って
ページをめくってみないことには本当の美しさはわからない。

カラー写真で紹介されている作品は、DTPなんてなかった時代に
これだけ自由奔放なデザインをしていることに驚くが、
形だけ真似ることなら可能な現在から見ると、やり過ぎな感じも。

曼荼羅や小口のデザインとか、今、こんな豪華本、成り立つのだろうか?

杉浦康平氏の宇宙にまで広がるデザイン論は非常におもしろい。

◆読書メモ

「デザイナーは、建築家のように、
自然と人間のつくりだした形との調和を、理解しなければならない。
それと同時に、彼は時代の力を把握しなければならない。」
(ハーバート・バイヤーの基調講演「デザインの展望」)

たとえば「モーツァルト」のような題字の字間を微調整していること。
とくにこのカタカナのように、見た目のアキにバラつきのある文字を
活字で組んだり、写真植字で通常に印字したりした場合、
とりわけ、促音が間にはいると顕著になるように、
字間が間延びする個所が出てしまうものであるが、
それを杉浦は一字一字切り貼りして補正している。
この字間の詰め組は杉浦らの世代が始めた手法であるが、
これは文字組を画像などと一体化して認識する新しいアプローチの
反映であり、その後一般的な手法として広く定着してゆく。

「私はそういう二進法的思考、あるいはデジタル化思考に対して
一抹の不安を感じざるを得なくて、よく口ごもっては、
『多分こうだろう……』といういい方を多用した。
東洋的なあいまいさ。それが頭をもたげる。
英語でいうとパーハプス、ドイツ語でフェライヒトと口ごもるわけなんです。
それでパーハプスの先生というあだ名をもらった。
しかし私は、そのときにひとつのひらめきを得たんです。
私はパーハプスである。これは非常に強い啓示であった」

ウルム以前の杉浦のデザインは(略)、書名などにゴシック体活字を
使用したものが多い。ヨーロッパ近代の産物であり、
縦線と横線の幅がほぼ均一なサンセリフ体(和文活字書体でいう
「ゴシック体」はそのサンセリフの影響のもと、明治以降の
近代活字導入後に初めて登場した)は、目立ちはするが無機質な印象を刻む。
それは商品等の宣伝にあたって、少しでも際立たせるために
人工的に編み出された書体であるからである。

人間の手書きが反映しているローマン体(和文の明朝体に相当)は、
縦線が太く、横線が細かいという独自のニュアンスをそなえている。
人間の肉体に固有の運動感は、字を書くときに、縦方向に
強い痕跡が印される。それに対して横方向は逆にサラッと流すため、
その痕跡は縦方向より弱い。ローマン体と明朝体が、縦線が太く、
横線が細いということで共通しているのは、字を書くときの
東西の民族差を越えた共通の所作が反映された、
長い伝統を持つ書体であることをはからずも明らかにしている。

「斜線が長方形の表紙紙面の水平線となす角度は、66.5度。
従って、垂直線との角度は、23.5度となる。
これは、我々がその上に住まい日々の生活を営みつづける、
われらの地球の自転軸、それが、太陽をめぐる広大なる公転軌道面となす角度
―『黄道傾斜』―に奇しくも一致している。
『銀花』表紙上に直交しつつ戯れあった文字群は、
実は、地軸や赤道面がもつ、太陽系宇宙内での傾き・位相のずれを、
ひそかに指示しつづけていたのである」

「いま仮に、ここに0.1ミリ厚の巨大な紙があるとして、
この折るという作業を無限に続けていった場合、どのような事件が
待ち受けていることになるのだろう。
一折ごとに、厚さが2倍になる単純な計算をくりかえしてゆく。
まず10回折ると、すでに2000ページ、厚さが10センチ。
14回目で164センチ。それが17回で13メートル、
24回目には、なんと1.7キロメートル近い厚さに到達してしまう!
この調子で続けてゆくと、30回目にはすでに107キロ、37回で1400キロ、
さらに42回目には、ついに月までの距離385,000キロをこえ、
440,000キロメートル近くにとどいている。
ちなみに50回目は、折り込んだ紙の厚みが太陽までの距離、
1億5千万キロのすぐ近く(1億1260万キロ)までいってしまうことになる!
0.1ミリ厚の紙が50回折り畳まれるだけで、地球と太陽の間が
埋めつくされてゆく。紙はその蜉蝣のような厚みのなかに、
宇宙を覆いきるほどの、熱い力を秘めていたのである」

「景色を眺める時、我々は眼を半ば閉ざすことによって、
その美しさを倍加することができる。肉眼は時として
物を僅かしか見ない。だが、常に見過ぎているのである」
エドガーアラン・ポー

「私は近年、ポスターを積極的に手がけようと思わない。
それは、理由があってのことだ。第一に、B全判サイズの紙は、
それを二つに折り、四つに折り……と次々と六回折り重ね、
二方を切断すると、日常我々が掌の上に拡げ、読む本の
64ページ分が、忽然と立ち現われる。四枚もあれば、
250ページの書籍が出来上がってしまうのだ。
一冊の本に相拮抗するポスターなど、滅多に出現しうるものではない。
第二に、ポスターが貼り出される垂直面の大半は、
公共的壁面のように思われているが、実は、すでにかの角栄氏らに
よって高騰した地価のごとく、利権が狂乱する買い占められた『場所』
であること。人々の眼に衝撃的な美をもたらす過程には、
自らのふところを締め上げる、多彩な経営構造が幾重にも
折り込まれていて、大きさだけに酔いしれて、イメージたちを、
手ばなしで解放できかねるからである」


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