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本『一九八四年』

『一九八四年』
著 ジョージ・オーウェル
訳 高橋和久
ハヤカワ文庫

巻末の訳者あとがきによると、「読んでいないのに、読んだふりを
してしまう本」第一位が、このオーウェルの『一九八四年』だそうだ。

まあ、私もアップルの『1984』CMとか、ビッグ・ブラザーとかによって、
未来の監視社会を描いたディストピア程度で、わかった気になってました。

反全体主義とか反共主義とか政治的な解釈は
今さら新たに読む私にはあまり意味がなく、
解説のトマス・ピンチョン(!)が言うところの
「情熱と暴力と絶望に満ちた」、「魂をめぐる」物語として読みました。

そして、「人間の魂に対する凡人には及びもつかない深い洞察」に
圧倒される。硬い小説だと思っていたら、
極上のエンターテインメントとして一気に読めるおもしろさでした。
ラストの絶望感のさわやかなこと!

鉄板本は食わず嫌いしてないで、読むべきですね。

◆読書メモ

その“方法”は分かる。その“理由”が分からない。

自由とは二足す二が四であると言える自由である。
その自由が認められるならば、他の自由はすべて後からついてくる。

危機的瞬間にあって人が闘うのは絶対に外部の敵ではない、
常に自分の肉体と闘うことになるのだ。

結局のところ、階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り、
成立しえないのだ。

正気かどうかは統計上の問題ではない

「その行を変えることは不可能だった。『ゴッド』は『杖(ロッド)』と
脚韻を踏んでいたからね。知っているかい、『ロッド』と韻を踏む語は
英語全体の中で十二個しかないんだよ。何日間も頭をひねったさ。
『ゴッド』以外の語ではだめだった」

「イギリスの詩の歴史はその全体が、英語には脚韻を踏める語が
少ないという事実によって規定されているんだ」

しかし、いいかねウィンストン、現実は外部に存在しているのではない。
現実は人間の精神のなかだけに存在していて、
それ以外の場所にはないのだよ。
ただし、個人の精神のなかにではない。個人の精神は間違いを
犯すことがありうるし、時間が経てば結局は消えてしまうものだ。
現実は党の精神のなかにのみ存在する。

権力は相手に苦痛と屈辱を与えることのうちにある。

「かれらにそんなことができるはずないわ。さすがにそれだけは
かれらにもできっこない。どんなことでも―あることないこと何でも
―言わせることはできるわ。でも信じさせることはできない。
人の心のなかにまで入り込めはしないもの」


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