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本『伊東忠太動物園』

Chuuta

『伊東忠太動物園』
著・編 藤森照信
写真 増田彰久
文・絵 伊東忠太

松岡正剛の千夜千冊で紹介されていて、前から読みたかったのだが、
絶版のため、図書館で取り寄せてもらった。

伊東忠太といって一番わかりやすいのが、
築地本願寺だと思うが、国粋主義にも見える一方で、
インドをはじめ、ペルシャやイスラム、中国などのアジア圏、
ギリシャに代表される古典ヨーロッパを自在に取り入れてしまった
不思議な建築家である。
忠太らしさが一番あらわれているのが、ロマネスクを
独自に解釈してしまったようなグロテスクでありながら、
どこか憎めない動物たち。

藤森照信&増田彰久という建築探偵コンビが
柱頭や門前に飾られている忠太印の動物に注目した本なので
私のような素人建築ファンは必読である。

前半は動物を中心とした伊東忠太の建物紹介。
・旧真宗信徒生命保険会社
・祇園閣
・一橋大学兼松講堂
・大倉集古館
・震災記念堂
湯島聖堂
・遊就館
・築地本願寺
・可睡斎護国塔
・中山法華経寺聖教殿
・日泰寺仏舎利奉安塔
阪急梅田駅壁画

後半には伊東忠太自身が魑魅魍魎を描いた『怪奇図案集』抄、
麒麟や獅子、鳳などの動物について語った『伊東忠太幻獣論集』。

好きとか嫌いとかを超えて、伊東忠太の動物たちはおもしろい。
愛さずにはいられない。その理由がわかる一冊。

◆読書メモ

ギリシャ神殿の一番の見所は大理石から削り出した太い列柱だが、
その柱に木造時代の記憶が刻まれている。柱は上に行くに従って
細くなるいわゆるエンタシスの状態になっているがこれは木の丸太柱の名残り。
また柱には波状のタテの溝(フルーティング)が浅く彫られているが、
これは丸太の樹皮のタテジワを象徴化したもの。
柱の上に水平に置かれたのは木の梁の形をしているし、
軒先には垂木の端部を模したサイコロ状の飾りがずらりと並んでいる。

たとえば、J・ハーシーの『古典建築の失われた意味』(白井秀和訳)、
によると、ギリシャ神殿のさまざまな形は理性や民主やヒューマニズムとは
正反対のところから由来しているという。
ギリシャの柱の作りには三つのスタイルが知られているが、
一番オリジナルなドリス式の柱頭飾り(キャピタル)の偏平なマンジュウ形は、
その昔にはとげ状の画が描かれ、魔除けの意味が込められていた。
木の柱の上端にとげ状の葉をしばりつけて祈った名残り。
コリント式のキャピタルは地中海大アザミの葉を模したことで知られ、
一つの可能性としてはアザミのトゲによる魔除け効果もあるが、
元々は神への犠牲として柱上に供せられた獣の巻き毛ではないか。
イオニア式のキャピタルは、左右の渦巻が特徴で、
これは柱上に巻き貝を供したとの説もあるが、
犠牲獣の代表格の羊の頭の角とみた方がいい。

ようするに、ギリシャ神殿の元々の形というのは、
木の丸太柱を立て、植物や犠牲の動物をしばりつけ、台の上には
解体された動物の頭やら肉やら骨やらを山盛りにしたものである、と。

来訪者はケーブルカーを降りるとこの世とは思えない光景に
迎えられることになる。目の前にはお花畑が広がり、池には蓮が咲き、
その向うには鮮やかに色どられたインド風の建物が六甲の山脈を
背にスックと立つ。そして、一歩足を入れると、これはもうインドの
マハラジャの宮殿やアラビアンナイトと見まごうようなインテリア。
建て主の光瑞は、この館に、信徒の中からよりすぐった
見めうるわしき少年たちを集め、一緒に暮し、教え、アジア雄飛にそなえた。

古代ギリシャ、ローマの文明はむろん、ケルトやゲルマンの文化は
なおさら、キリスト教以前の人々の心は呪術とともにあり、
呪術に欠かせない怪獣や空想動物が日々の暮らしに息づいていたが、
そうしたものどもが、神の光にさらされてもなお消毒死することなく、
ロマネスクの中に生き残った。しかしここまでで、次のゴシックの時代に
進むと怪獣たちは軒先のガーゴイル(水吐き)や見張りのグロテスクなど、
人目に付かない裏の方に追いやられ、やがて死滅し、図像の領分は
キリストとその使徒の像に独占されるようになる。

かくしてキリスト教とイスラム教により、ユーラシア大陸の西側半分からは、
怪獣や空想獣は死に絶えた。しかしさいわいインドから東のユーラシア大陸では
組織的な図像殺しは行なわれず、たとえば日本には龍、鳳凰、象、キリン、
狛犬、シャチ、風神、雷神、天狗、カッパ、一目小僧、ついでに六反木綿や
砂かけババアまで大量の物の怪や怪異が生き永らえることができた。

そんな伊東がキリスト教建築の最初の華ともいうべきロマネスク様式を
やったりしていいんだろうか、それもいたく楽しそうに。
一橋大学を完成させた(昭和四、五年)前後にはアジアや日本への
関心が薄れていたというなら別だが、同時期の作品集をめくると、
中国様式の大倉集古館(昭和二年)、
祇園祭の山鉾ふうの祇園閣(昭和二年)、和風の震災記念堂(昭和五年)、
そして築地本願寺(昭和九年)といった
日本趣味、アジア主義の代表作を生み出している。

阿形は獅子、吽形は狛犬ということに古来の日本ではなっていたが、
この場合、阿形の頭上に狛犬の象徴の一本角が生えておらず、
両方とも獅子と考えられる。両者を獅子とするのは中国のやり方だが、
中国では両者ともに口を開き阿吽の別はない。日本化した獅子像である。

狛犬、獅子を阿吽一対とするのは仁王像から来たに違いないが、
しかし、仏教の像である仁王がいつから阿吽の形をとったかははっきりしない。
それに先行するはずの朝鮮、中国、インドの仁王は実例が残っておらず
はたして阿吽にしていたかどうかも確証はない。阿吽を一対とする
コンセプトはインドで生まれたと考えられるが、現在、阿吽の形相は
日本にしか生き残っていないのである。

西洋のライオン像は、百獣の王にちなんでの王権や精神的な
最高位の象徴としての意味をまず第一に持っている。
この点はペルシャやインドも同じだが、西洋ならではの第二の
意味付けとして、水のシンボルとしてのライオンがある。
古代エジプトにおいて、星座が獅子宮に入る時にナイルの氾濫が
起きたことから始まった習慣といわれ、以来、噴水や泉の水は
ライオンの口から吐かれるようになる。
日本の神社で龍の口から水が吐かれるのといい対照である。

日本のシャチの源は中国の吻であり、吻のさらに原型はインドの
摩竭魚(マカラ)とされる。マカラはワニの頭を持ち、
海を象徴する空想獣で、爬虫類とも魚類ともつかず時に龍と混同され、
姿にはバリエーションが多い。しかし、体のどこかに海や水流の
記憶をとどめ、また生命現象の源としての“気”と深く結ばれている。
お寺の木魚もその一種で、口から海の“気”を音として吐き出すのである。

要するに、獅子は百獣の王で、総ての猛獣や悪鬼や、あらゆる外敵を
撃退するものとして尊重されたのである。
西亜地方に於ても、波斯やアッシリアの宮室等には、屡一対の獅子が
彫刻さられて居る。或は又羽翼を備へたり、或は他の畸形を有するものもあるが、
要するに、宮室等の守護の意味を有する。
埃及(えじぷと)のスフィンクスも同じ系統である。小亜細亜の内地や、
希臘のミケネに見る獅子門の一対の獅子も、畢竟同系のものと
見ることが出来るのである。

日本の麒麟の彫刻や絵画は主として桃山時代以後に実例を見るが、
元来六ヶ敷い混成獣であるから古来傑作と称すべき程のものは
見当たらぬ様である。明治末年頃と記憶するが、東京の日本橋の
欄杆の親柱につけられた麒麟の如きは蓋し醜劣の極に達した悪作であろう。
『木片集』

形式の奇異を極めたものは即ち江戸昌平黌の聖堂の鯱であり、
元来明の遺臣朱舜水の原案に由って造られたと言ひ、最近まで
湯島に儼存してゐたが、大正十二年の大震災の際に焼け落ちたのを
東京帝大の工学部で貰い受けて珍蔵してゐる。
それは普通の鯱とは頗る其の調子を胃にして外向きに対立し、
頭上に高く日本の薙刀状の角が聳えてゐるが其の意匠に深い根拠が
あるとは思へない。現に明末清初の支那の蚩吻に聖堂の鯱に
類似する型のものは見出されぬ。『伊東忠太著作集』第六巻

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