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本『孤独の価値』

『孤独の価値』
著 森 博嗣
幻冬舎新書

『スカイ・クロラ』などで知られる小説家であり、工学博士でもある森 博嗣。
数年前に引越しをし、家族以外にはほとんど人にあわず、半分隠退生活を送る森が、「孤独とは何か」、「寂しいとどうしていけないのか」「孤独からしか生れないものがある」と語る。

孤独といっても、食事作ってくれる家族が側にいる生活は孤独といえるのかとも、もちろん思うわけだし、経済的に余裕があるから、わずらわしいから会いたいと思わない人には会わないという選択もできるのだろう。
そもそもこれを書いたのが森でなければ、手にとらないだろうし、彼がいうからこそ、「孤独の価値」というのにも意味がある。


◆読書メモ

人は、それぞれ自分の好きなことをする、自分がなりたい者になる、自分が選んだ道を進んでいる。

孤独や寂しさを感じるのは、ただ仲間がいない、という状況からだけではなく、それ以前に、仲間の温もりというのか、友達と交わる楽しさというのか、そういったものを知覚していることが前提条件となっているようだ。
孤独が表れるのは、孤独ではない状態からの陥落なのである。

良い子であることに、ある種の快感を覚えるのは、自分の周囲(小さな社会)に自分の存在が認められている状態が、生存のために有利であるからだ。
「認められる」の反対が「無視される」ことであって、その最悪の状態から脱するために、どんな形であれとにかく「認められたい」という気持ちが先行することがある。

他者に自分を認めてほしい、という欲求は、「自分」というものの存在理由の基本的な要素となるもので、あるときはそれがすべてにもなる。

仲間や友達の喪失というのは、結局は、自分を認めてくれる存在の喪失なのである。仲間や友達がまだすぐ身近にいても(物理的に存在しても)、自分が認められていないことが判明したときに、それが失われる。

「良い子」でいる以外にも、周囲に存在を認めてもらう手がある。それは、他者にはないものをなにか持っている場合で、その持っているものが、他者の役に立つものでなければならない。これは「良い子」ではなく、「役に立つ子」である。

他者に認められ、「凄い」と言われることが心地良く感じるのは、やはり自分の客観的な価値に目を向けている証拠である。自分の評価は、自分だけで勝手にできるものではない、つまり自己満足では不充分だ、ということがだんだんわかってくる。

「凄い」ことで居場所を得られそうだ、という人間は、少なくとも、どん底の孤独に襲われることは少ないだろう。小さな範囲であっても、自分が認められているという確かなスペースがあれば、そこを拠り所にして立っていることができる。

孤独を感じない人間は、人間としての能力が不足している。

音楽を真剣に聴くという「精神集中」は、実は思考に近いものだと僕は思っている。同様に、読書に浸る、絵を描くことに没頭する、というのも思考に近い。

人が死ぬ場面や、泣き叫ぶ場面、親子や恋人が引き離される場面で、涙が出るのは自然である。ただし、涙が出ることが、すなわち「感動」ではない。よく、「号泣もの」だと作品の宣伝をすることがあるが、泣くことができれば優れた作品だという評価が、完全に間違っている。人を泣かせることなど、誰にでもできる。それは「暴力」に似た外力であって、叩かれれば痛いと感じるのと同じ単純な反応なのだ。

大勢が、「感動」をもらおうと口を開けているヒナのように見える。自分の頭の中から湧き出る本当の「感動」を知らない。

なにか理不尽な犯罪が起こるたびに、犯人は引き籠りだった、犯人は孤独な人間だった、犯人はオタクだった。犯人はネットの中だけで生きていた。
犯人は会社員だった、犯人には友達が沢山いた、犯人には家族がいた、というのとは違う響きが、そこには感じられる。

どんなに親しい人間の間にも礼儀が必要だ。どんなに愛する人であっても、お互いにこれは知られたくないという領域を持つことは非常に大切だと思う。家族や親子であれば、隠し事があってはならない、などと綺麗事を言う人がいるが、(略)それは、「綺麗」だとも思えない。
相手に何を知らせるのか、情報をどこまで共有するのか、ということを考えて選択することが、本当の優しさであり、綺麗な心だと僕は感じている。

トータルとして俯瞰すれば、人間の肉体の活動が不要になり、頭脳の処理的作業も不要になり、今や人間の仕事の領域は、頭脳による「発想」へとシフトしている。「創作」的な活動が、人間の仕事に占める割合は、これからもどんどん増え続けるはずだ。

一見すれば明らかに「寂しい」対象に美を見る精神は、何故生まれたのだろうか?
それは実は逆であって、「寂しさ」を感じる精神こそが美しいという意識がさきにある。
寂しさを求める気持ちが、既に美しいものだ、という思想なのである。
古いものに目を向ける、朽ちゆくものに目を留める、そういった指向こそが、美を見つける心だ。

人はいずれは死ぬ。それは究極の「寂しさ」だろう。孤独とは、つまりは死への連想でもある。

年寄りが、風景に美を見るのは、おそらくは自分の死を身近に感じているからだろう。「この景色をあと何度見ることができるか」というセンチメンタルな感情が加味されるからこそ、美しく見える。なんでもないところに美を見つける目は、人の儚さから生まれるのである。

無駄なものに価値を見出すことが、その本質であり、そこにこそ人間だけが到達できる精神がある。孤独が教えてくれるものとは、この価値なのだ。

友情も愛情も、相手に向かう気持ちのことであって、相手から恵みを期待するものではない。もし、自分が相手からなにかを受けたいと期待しているなら、それは本当の友情、真の愛情ではなく、単なる妄想である。
友情や愛情に満ち足りた人生もまた、自分自身が孤独であることには変わりないはずだ。孤独を知っている者だけが、友情や愛情に満たされる、と言い換えても良いだろう。


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