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本『残花亭日暦』

『残花亭日暦』
著 田辺聖子
角川文庫

2001年6月から2002年3月まで、日記という形をとった田辺聖子のエッセイ。
最初のうちは新刊の宣伝のために行なわれる対談や、講演、原稿など仕事の話をまじえた日々がつづられているのだが、旦那さんに悪性腫瘍が発見された8月から、彼を見送るまでの記録となる。

旦那さんは足を悪くしており、数年前から闘病生活を送っている。
年老いたお母さんもいらっしゃり、田辺聖子は人を雇い見てもらいながら、大量の仕事をこなし、彼の入院する病院へと通う。
介護というのは体力的にも精神的に辛い仕事だ。
愛する人が居なくなってしまうという寂しさと、この忙しい日々もそれで終わるのだという想い。
多少の罪悪感や後ろめたさを感じながら、彼を人に見てもらい、休養の小旅行に出かける嬉しさを率直に書いている田辺聖子。
会話がだんだん成り立たなくなっていく旦那さん。
悪化する病状の合間に、やってくる講演、原稿の仕事。

ここらへんは読むのが辛く、なかなかページが進まなかった。
愛する人を見送る、それは長いお別れだ。


◆読書メモ

<かわいそう>と思ってくれる人間を持ってるのが、人間の幸福だって。<愛してる>より、<かわいそう>のほうが、人間の感情の中で、いちばん巨きく、重く、貴重だ。

夫婦(ふたり)で生きる、ということは、背中合せになって乱戦の中を戦いぬくことだ、と、私は昔、ある小説の中で書いたことがある。
その片方が死んだとき、「今は誰をか、かばはむとてか、いくさをもすべき」といって自害できるのは、男同士だからだろう。かばう相手が死んでも、女は生きなければならない。女は、今井の四郎にはなれないようにできてるのだ。

下関生れの古川さんは、同郷人である田中絹代の「弁護士になったような感じ」で暖かく書いていられる。「けっして美人ではないが」と必ず定冠詞でいわれる女優さんだったが、映画をみているうちにだんだん美しく見えてくる人。私はそのほうが、ほんとの役者さんではありませんか、といった。絹代が最後に建てた家は寂しい海岸の断崖上にあり、その話を伺うのも面白かった。晩年、身内をみな亡くした彼女の孤独感が、そんなかたちをとったのではないですか、と私がいうと、古川さんは<“嵐が丘”ですね>といわれ、面白い対談だった。

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