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本『母なる夜』

『母なる夜』
著 カート・ヴォネガット
訳 池澤夏樹
白水uブックス

ヴォネガットが好きだという女性から「『母なる夜』について語りたいから読んでみて」
と勧められました。私が今まで読んだヴォネガットは『タイタンの妖女』、
『スローターハウス5』、『タイムクエイク』あたり。
『母なる夜』は池澤夏樹訳と飛田茂雄訳があるのだけど、
ネットの感想をみると飛田訳のほうが評判いいですね。私が読んだのは池澤訳。

第二次大戦中、ドイツのラジオでプロパガンダ放送をしていて戦犯とされた主人公
ハワード・キャンベル・ジュニアの手記、という形式。
彼は実はアメリカのスパイで、プロパガンダ放送をしながら、
せっせとアメリカに情報を送り続けていたので、罪を逃れ
十四年間、ニューヨークでひっそり暮らし……、
現在、イスラエルで裁判を待っているところ、から始まる。

読了した後で、最初の「編者の注記」(カート・ヴォネガット名義で書かれている)を読むと
誰がスパイで、誰が死んでといった「ネタ」は最初から公開されているのがわかる。

ハワード・キャンベル・ジュニアはナチの英雄として崇められることや
殺したいほど憎まれることはあっても、アメリカのスパイとしての功績を称えられることはない。
劇作家としての彼の功績は過去のものだったはずだが、
それは彼の知らない場所で評価されていた。
彼は属するべき国も政治的信条ももたない。
唯一、信じられるべき妻への愛、親しい人たちの友情もすべて失う。

そんな恐ろしく絶望的な話なはずなのだけど、全体のトーンは
ヴォネガットらしいユーモアとアイロニーでつらぬかれていて、
悲劇ではなく、ブラックジョークかのようにみえる。
実際、読んでいる間はずっとなにかのコメディーみたいに読んだ。

『スローターハウス5』はSFの形式で、戦争を描いているわけだけど
『母なる夜』はまるでスラップスティック.・コメディーのように
戦争の(というより人間の?)愚かさを描く。そこがすごい。

化学物質をめぐる若い警察官との対話は
戦争の愚かさについての寓話なのだけど、
ここも一見するとコントのようにトークが続き、
そこに込められてるものに泣きたくなる。

◆読書メモ

おとなしくなったSS隊員を見ながらヘルガは自分にむかって
スフィンクスの謎をたずねてみた。
「朝は四本足で、昼には二本足で、夕方には三本の足で歩く生物はなにか?」
「人間」とヘルガはかすれた声で言った。

「人間はみんな気狂いだということさ」と彼は言った。
「人間はいつでもひどいことをやるつもりでいて、
神はそういう奴が理由をみつけるのに手を貸してるんだ」

「もう書かないの?」と彼女は言った。
「言いたいことがもう何もない」とわたしは言った。
「あんなにいろんなことを見たりしたりしてきたのに?」と彼女は言った。
「いろんなものを見たりしたりしてきたから」とわたしは言った、
「それでもう絶対に何も言えないことになった。ものごとの意味を知るこつをなくしたんだ。
わたしが文明社会にむかってたわごとを言っても、たわごとしか返ってこないだろう」

クラフトが射つのを見ていて、この標的がなぜ人気があるのかわたしにはやっとわかった。
この標的の素人っぽい描き方には、どこか公衆便所の壁の落書と共通のものがある。
つまり公衆便所特有の悪臭や、暗い電球、水音、小さな一人だけの空間の卑しさ、
といったものを思いおこさせるが――これらは戦争の時の人間の魂の状態に
ひとくよく似ているのだ。

「そうでなくて人はどうしてこんなにちがうんだろう?」と彼は言った。
「ぼくの兄は日本に行っていたんだけど、日本人ていうのは
一番すてきな人たちだって言っていた。でもぼくたちの父を殺したのは日本人だった。
そのことをちょっと考えてみて」

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