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本『白夜行』

白夜行 (集英社文庫)

『白夜行』
東野圭吾
集英社

積読本を片付けようシリーズ。
もともとは妹のもので妹が本を整理するときに
「読む?」と聞かれて「ああ、読む」と答えてそのまま積読本に。


1999年版の単行本で2段組500ページ。
正直、「なげーよ」というのが感想。
前半は次々に事件が起こるがつながりがよく見えず。
後半はそれぞれの関係が解明されていくが何度も同じ話がくりかえされるので飽きる。

主人公ふたりからの視点を徹底的に排除しているのはおもしろいのだけど、
肝心のところは「こうだったに違いない」という推理で、
本人たちが何を思っていたのかはわからないまま。

彼らが次々と起こす事件のわりにメリットが少ないというか、
彼らもまったく幸せになってないよね。


貧しい女の子が上昇していく様は有吉佐和子の『悪女について』を思い出す。
そのほか最初の方に名前が出てくる松本清張の影響も感じる。


19年にわたる時代背景として当時の出来事やプロ野球などが出てくる。
個人的にはコンピュータのプログラムをカセットテープに記録していたとか、
PC-8801なんかの名称がなつかしかったです。

 

本『トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白』

トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白 (ちくま文庫)

『トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白』
トーベ・ヤンソン
冨原眞弓 編訳
ちくま文庫

『トーベ・ヤンソン・コレクション』からセレクトしたという短篇集。
編訳の冨原眞弓によると「ほっこり系」の前短篇集に対し、本作は「ディープ系」だとか。


タイトルの『黒と白』は善と悪というより光と影。
たとえば『記憶を借りる女』。
画家として成功した女性が15年ぶりにかつて暮らした家を訪れて、
今でもそこに住んでいる元ルームメイトと再会する。
「あれは私が開いた最高のパーティだった」「あれは私のパーティよ」

はたして「記憶を借りている」のはどちらなのか。
そんなふうに自分の影だと思っていたものがいつのまにか自分と入れ替わっている。

そんなポール・オースター的なホラーな物語。

トーベ・ヤンソンがエドワード・ゴーリーに短編を捧げるという贅沢!

画家や連載漫画家が主人公の話もいくつかあり、新聞のイラストや挿絵なども手がけていた
トーベ・ヤンソンの一端が垣間見れるのもおもしろい。

 

本『予告された殺人の記録』

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

『予告された殺人の記録』
G・ガルシア=マルケス
野谷文昭 訳
新潮文庫

本屋で何か一冊買う必要があって適当に選んだのがこれ。
長らく積読状態でしたが文庫を切らしてしまったのでなんとなく手にとってみた。

という状況で読み始めたのだけどめちゃくちゃおもしろかった!

「自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、
司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。」
という文から始まり、最初の1ページで彼が1時間後に殺されることがわかる。


彼の母親、その家の賄い婦、その娘、彼を殺そうと待つ男たち、
彼の友人などなど、グルグルと変わる人物の証言から、最後の1時間が再現され、
さらに前日の結婚式、後日談、20数年後と時間も入れ替わっていく。
この構成が非常に見事で、お互いが知り合いであるような小さな町で、
彼が殺されることをみんなが知りながら回避されなかった惨劇へと突き進んでいく。


ラテン系の名前は覚えづらく何度かページを遡ってこれ誰だっけと確認するのだけど、
人物が入れ替わり立ち代りするなかで狭い社会の構成やそこに渦巻く妬み、欲望が見えてくる。


花嫁アンヘラ・ビカリオのその後についてはこれだけで一冊の本になりそうな物語を
10ページ程度のエピソードにしている密度の濃さ。

(『コレラの時代の愛』がここから生まれたのではと訳者は指摘している。)

今まで手を出してこなかったラテン文学だけど、入門としてはとてもよい一冊でした。

 

本『ふたりのロッテ』

ふたりのロッテ (岩波少年文庫)

『ふたりのロッテ』
エーリヒ・ケストナー
池田香代子 訳

『飛ぶ教室』に続くケストナー2冊め。

昔、『同級生は13歳』というテレビドラマで
後藤久美子が大事そうに抱えていたのが『ふたりのロッテ』で、
同級生役の前田耕陽がこれを読んで泣くという場面がありました。


『ふたりのロッテ』というタイトルは秀逸なのだけどルイーゼの立場は?
『ロッテとルイーゼ』ではダメなのはわかるんだけど
『ふたりのルイーゼ』ではないんだな。


映画化、アニメ化、ミュージカル化もされた有名作品なので
大筋は知っていたので展開に意外性はなく、
ふたりのかわいらしさや美しい風景描写が印象的でした。


大団円は強引すぎないかとも思うのだけど、
戦争中に書かれて戦後1949年に出版されたことを考えると、
これからもう一度みんなで新しい生活を始めようというところに意味があるのかも。


「この世には、離婚した親がたくさんいる、
そういう親のもとでつらい思いをしている子どももたくさんいる、
また逆に、親たちが離婚しないためにつらい思いをしている子どもも、たくさんいる、とね。
そして、親たちのせいで子どもたちにつらい思いをさせるなら、
子どもたちとそういうことについて、きちんとわかりやすく話しあわないのは甘やかしだし、
まちがったことなのだ、と。」

 

 

本『本屋の新井』

本屋の新井

『本屋の新井』
新井見枝香
講談社

例によって図書館で借りているので帯ついてませんが、こんな言葉が書いてありました。
「本は日用品です。
だから毎日売ってます。
わさわさっと選んでレジにどん。それでいい」

詳しくは
楽しいことにお金を使うことを忘れてしまった人たちへ【書店員・新井見枝香さん】

それほどスペースのない書店に100冊とか新刊が入ってくると
「いじめか!」という気分になるわけですが、
どーんと入ってきたならどーんと並べてどーんと売る、
ああ、たしかにそれでいいんじゃないかと思いました。


「書くことで何かを変えたいという気持ちは未だに湧いてこない。」
「本屋で働くことに、特別な意味を見出せていないし、無理に続ける気もないのだ。」
「苦境に立たされつつも本を愛する健気な書店員をお求めなら、それは人違いである」
といったドライなふりした言葉にもなんとなく共感する。

あらすじや内容紹介がまったくないのに、
とりあげてある本がおもしろそうだなと思わせてしまうのはさすがにカリスマ書店員。


図書カードの利益率が5%であるとか、本屋が提供する無料の紙袋とか、
本が売れないという前に商売なら考えなきゃいけないことはたしかにありますね。


「レジに近付いてくるあの方は世界一大好きな人!」と思い込みながら接客をする
という方法は接客業ならずとも参考になる。
少なくとも仕事が楽しくなるはず。

「売れないのは誰のせいだ。売れる本が書けない作家か? 売れている本を切らす出版社か?
書店は精一杯売れる売り場を作っているのにって?

いやいや案外、暗い顔した自分のせいかもしれないぞ?
嘘でもいいから笑え。本が売れないと嘆く前に。」

 

映画『アイ、トーニャ』

アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル[DVD]

『アイ、トーニャ』

ナンシー・ケリガン襲撃事件。覚えていますとも!
靴紐が切れて演技が続けられないと涙ながらに訴えるトーニャ・ハーディング。
(織田信成のときも真っ先に思い出した。)
煽りをくって滑走順が早まってしまった次の選手とコーチの姿。
ナンシー・ケリガンのスパイラル。
二人を尻目に金メダルをかっさらっていったオクサナ・バイウル。
カタリナ・ヴィットの『花はどこへ行った』。
リレハンメルは本当におもしろかった!

当時もメイク、衣装、選曲ともに「下品」な印象があったトーニャですが、
それを完璧に再現。オリンピックのときのチークとか印象そのまま。

労働者階級から出てきた選手ゆえに人気も高く、
事件後も「トーニャを信じてる」と看板を掲げるファンがいたことも覚えてます。
(ケリガンは上品なお嬢さんとして対比されていたんだけど、
これはマスコミが作ったイメージで実際にはそれほど裕福ではなかったそうだ。)

夫の暴力や母親との確執など今まで知らなかった話もありましたが、
恵まれない家庭環境ゆえに加害者となってしまったかわいそうな人、
みたいな描き方をしていないのがよい。

インタビュー形式をとったことで、
どいつもこいつも自分に都合のいいことしか言っていないので、
トーニャがどこまで襲撃事件に関わっていたのか真実は問わないという作りもうまい。

ださポップな選曲も好きです。

母親役のアリソン・ジャネイはアカデミー賞、ゴールデングローブ賞助演女優賞も納得の怪演。
この母親の前ではDV夫などただのヘタレに見える。
ケリガン襲撃事件よりも母娘の確執のほうが怖くて、
母親とどうしてもうまくやっていけないという人にも見てほしいと思う。

 

本『この楽しき日々』

この楽しき日々―ローラ物語〈3〉 (岩波少年文庫)

『この楽しき日々』
ローラ・インガルス ・ワイルダー
谷口由美子 訳
岩波少年文庫

『ローラ物語』第3巻。
原題は『THESE HAPPY GOLDEN YEARS』。
作中に出てくる歌の歌詞「この楽しき黄金の日々よ」からで、
ローラとアルマンゾの婚約時代の物語です。


15歳で教師として家から20キロ離れた土地で辛い下宿生活を送るローラ。
吹雪の中、そんなローラを馬ソリで迎えにくるアルマンゾ、かっこいい!


「いったい、きみはぼくをどんな男だと思っているんですか?
ホームシックになっているきみを、
あのブルースターの家にほうっておくような男だと思うんですか?
ぼくにはなんの関係もないといって?」


ここですぐ恋愛モードにならないところがローラというか、
15歳のローラにとって実際には10歳上のアルマンゾは
恋愛対象と見るには大人すぎたのかもしれないですね。


対するアルマンゾがローラのどこに惹かれたのかわからない
という感想をいくつかみましたけれど、自分が育てた馬の美しさを認めて、
子馬を馴らすことを一緒におもしろがってくれる少女は、
彼にとって理想的な相手だったんじゃないかな(あきらかに馬で釣っている)。


ブルースターの奥さんのように西部の生活を嫌がって東部に帰りたがったり、
払い下げ農地での暮らしを不安がるマッキー夫人などが登場するように、
幼いころから大草原で育ってきたローラと違って、
開拓地で生きていくのは当時の女性たちにとっても大変だったのだろうと。


ローラのとうさんがアルマンゾに対して「あいつなら信頼できる」としているのも、
彼が農場主という自分と同じタイプの人間だからなんじゃないかと思ったり。

馬車でドライブがデートコースなのも素敵。

「ローラ、あんたがほんとうにそれでいいならね」おだやかにかあさんがいった。
「ときどき、あんたは馬のほうが、そのご主人よりも好きなのかと思ってしまうのよ」


毎回、食事シーンのディテールが素敵なんですが、
今回はローラのファッションも詳しく描写されてます。
ウェディングドレスを含めてみんな自分が着るものを自分で作っているところに感心します。

そして、グレイスやキャリーみたいに小さい子たちも当たり前のように家事を手伝っていて、
いつも本当に偉いと思う。


「このごろ、時がすごく早く過ぎていくわね」メアリがいった。
「そうね。あたしたち、子どものころはなんて楽しかったんでしょう」ローラは答えた。
「でも、これからくる時だって、もっとすてきかもしれないわ。だれにもわからないことよ」

 

 

本『夜想曲集』

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

『夜想曲集』
カズオ・イシグロ
土屋政雄 訳
ハヤカワepi文庫

カズオ・イシグロの短編集。
『わたしを離さないで』(2005年)、『忘れられた巨人』(2015年)、
二つの長編の間(2009年)に書かれた、
本人も気楽に楽しめるものをちょっと力を抜いて書いてみたという感じ。


副題が「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」。言い換えると
「才能がある(と本人は思っている)のに売れない音楽家」と
「夫婦の危機」をめぐる物語。

カズオ・イシグロ自身、作家として成功する前はかなり真剣に
ミュージシャンを目指していたらしいので、
ビッグネームだったのに今はパッとしない老歌手や、
観光客相手に演奏するバンドマンのままいい年になってしまったギタリストとか、
まだ未来に希望をもっているけれど右往左往している若者とか、
実際にそういう音楽家たちを見てきたのではと思う。


ほろ苦いラストが多いなか、『夜想曲』の二人の友情と希望が優しい。
『老歌手』ではわがままなセレブリティ妻に見えた
リンディ・ガードナーがこちらではかわいい女性に思える。


「あなたは若いし、才能があるもの。でも、強くは言えない。
人生は落胆の連続だというのが現実ですもの。」

 

本『パンツの面目 ふんどしの沽券』

パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)

『パンツの面目 ふんどしの沽券』
米原万里
ちくま文庫

年末年始用に実家に持ってきた本を
いい感じに読み終わってしまったので、親の本棚から拝借。

米原万里には『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』や
『オリガ・モリソヴナの反語法』といった名作もあるのに、
なぜパンツ?と思いましたが、そこはさすがに米原万里で
日本、ロシアから東欧、中央アジアまで広がる下着の文化史でした。


キリストが磔にされたときに履いていたのは、腰布か褌かパンツか。
ロシア人はトイレットペーパーを使わないという衝撃の事実を
シベリア抑留者の回想から読み解いたり、
ズボンは乗馬の習慣とともに入ってきた衣服なのか騎馬民族の歴史に遡ってみたり。


生理の時に日本女性は和装の下に何を着ていたのか、これ私も気になってました。
アダムとイブのイチジクの葉から、そもそも羞恥心が先ではなく、
隠すことによって恥じらいが生まれたのではという指摘も鋭い。


あとがき時点で万里さん本人が自分の余命を悟っていた感じがするのが悲しいところ。

 

本『こいぬとこねこのおかしな話』

こいぬとこねこのおかしな話 (岩波少年文庫)

『こいぬとこねこのおかしな話』
ヨゼフ・チャペック
木村有子 訳
岩波少年文庫

こちらはチャペック兄弟の兄ヨゼフの作品。
チェコではとても有名なのだそうだ。


「こいぬとこねこが床をあらった話」はイラストもかわいくてかつシュール。
「クリスマスにチャペックさんを助けた話」あたりは新聞連載だったのでネタに困ってる感が。
「しくしく泣いていた人形の話」など説教くさいところも。

「こいぬとこねこが十月二十八日をおいわいした話」はとてもおもしろいと思うのだけど、
10月28日はチェコスロヴァキアの独立記念日であり、
初代大統領マサリクの名前がでてくるところから
チェコでは1953年から1992年まで削除されていたという。

(1993年、チェコとスロヴァキアとして分離。)

物語はやっぱり弟カレルのほうがうまいと思うけれど、
キュビズムの影響を受けているというイラストはユルいながらもすばらしい。


「みんなが幸せで、にこにこしているのって、いいわあ。
楽しそうな人を見ると、わたしも元気にあそびたくなっちゃうもの。」

「ぼくも、おんなじだよ。きげんがいい人は、見ていてわかるからね。
きげんが悪い人からは、百歩ぐらい、はなれていたほうがいいと思う。
楽しそうで、まんぞくしている人は、ほかの人にも、動物にもやさしいんだ。」

 

 

本『華氏451度』

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

『華氏451度』
レイ・ブラッドベリ
伊藤典夫 訳
ハヤカワ文庫

『図書館戦争』のアニメ版に「予言の書」として出てくる『華氏451度』。
本を燃やす人と守る人の構図はたしかにそのままですね。


おもしろくて一日で一気読みしてしまったけど、ストーリー展開にはやや難があり、
第1部、2部、3部と予想しない方向に話が進み、
登場人物も未消化なまま次々と入れ替わってしまう。

小説としては『火星年代記』のほうが完成度が高い。

しかし、焚書シーンの美しさ!
本が燃え上がり、ページが羽ばたき、一瞬だけ文章が目に残る。

「ラウンジ壁」や「巻貝」は1953年の刊行当時はテレビやラジオのメタファーだけど、
今だとネットとかスマホとか。だとすると現代も充分ディストピアだよな。

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本『長い長いお医者さんの話』

長い長いお医者さんの話 (岩波少年文庫 (002))

『長い長いお医者さんの話』
カレル・チャペック
中野好夫 訳
岩波少年文庫

お医者さんや郵便屋さん、おまわりさんがそれぞれ不思議な物語を語る9編。

宛名不明のラブレターを届ける「郵便屋さんの話」、
ヒドラを育てる「長い長いおまわりさんの話」などなかなかファンタジック。


「宿なしルンペンくんの話」とか今だとタイトルだけでうるさく言われそうだけど、
正直なルンペンの物語。
そのほか、やさしい山賊が通行税取立人になって行儀が悪くなってしまう「山賊の話」、
魔法使いが牢屋に花を咲かせ、囚人たちが自分が殺した人たちに罪を償う「王女さまと小ネコの話」など、
さらっと書かれてるけど社会風刺が効いてます。


素敵なイラストは兄ヨゼフ・チャペックの手によるもの。

カレルチャペック紅茶店の名前はオーナーがカレル・チャペックの物語が好きだから、
らしいけど、チェコの児童文学と英国紅茶?
どちらかというとイラストの影響を受けてる気がします。

 

本『森は生きている』

森は生きている (岩波少年文庫)

『森は生きている』
サムイル・マルシャーク
湯浅芳子 訳
岩波少年文庫

クリスマスの話だと思っていたら、大晦日から新年にかけての話なので、
読むタイミングとしてはちょうど良かった。


一月から十二月の月の精たちが大晦日に集まる
というスラブの民話を題材にした児童劇ということで、脚本形式で書かれている。


ちゃんと読むのは今回が初めてだけど、
子供のころこれをもとにしたプークの人形劇を見ているので、
構成に多少の違いはあるものの台詞なんかは結構同じ。

月の精の杖が冬から春に渡されるにつれて景色が変わり杖に花が咲くあたりも覚えています。

プークの人形劇って見たことがある方はご存知だと思うが、
人間の半分くらいの大きさの人形を後ろから演者が操作しながら台詞を言う。

子供心にはちょっと怖かった。
ままむすめ(これが役名で名前は出てこない)に
「べっぴんさん」と呼びかける兵士や四月の兄さんになんとなくやましいものを感じたり。


指輪の呪文が「バルス!」並みの破壊力なんですが、これはそのまま使われていて懐かしい。

「ころがれ、ころがれ、指輪よ
春の玄関口へ
夏の軒端へ
秋のたかどのへ
そして、冬のじゅうたんの上を
新しい年のたき火をさして!」

 

本『大草原の小さな町』

大草原の小さな町―ローラ物語〈2〉 (岩波少年文庫)

『大草原の小さな町』
ローラ・インガルス・ワイルダー
谷口由美子 訳
岩波少年文庫

ローラ物語2巻目。
前作『長い冬』が9割がた厳しい冬の話だったのに対し、
こちらは美しい春から穏やかな冬にかけての約2年間。
町に働きに出たり、急速に成長していくローラの姿が描かれる。


姉メアリとの「いいこすぎて頭にきたことがあった」
「いいこのところを見せびらかしていたのよ」という対話など、
さらっと書かれてるけれど思春期の少女の心情としてはとても率直。


アルマンゾとのロマンスの始まりも仄めかされていてなかなかワクワクの展開です。
「お家までお送りしてもいいですか?」ってちょっといいよね!

ここらへんテレビドラマ版と結構違うんですね。
テレビ版だと、ミス・ワイルダーは地味だけどよい先生だったし、
ローラは先生の弟アルマンゾが最初から気になってるけど、
アルマンゾは子供扱いしかしてくれない。


原作ではアルマンゾの初登場は『シルバー・レイクの岸辺で』だけど、
この時点でも本作でも男より馬に目がいくローラ。

『長い冬』あたりだとキャップ・ガーランドのほうが気になってるよね。

大草原の美しい描写にも大人にならなければいけない少女の
焦りと寂しさのようなものを感じます。


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