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本『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』

「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。

『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』
小川たまか
タバブックス

『彼女は頭が悪いから』に続けて読むのはどうかとも思ったのだが、
図書館で予約していたのが順番が回ってきた。むしろちょうどよかったのかも。


「性犯罪」についての理解や関心って本当に進んでないんだなという現状がわかる。

#metoo」にしても日本では声をあげた女性たちは
叩かれるか冷やかな目で見られる。「よけいなことするなよ」と。


女性であれば電車内の痴漢とか、路上で胸を触られたりとか、
いきなり下半身見せられたりといった「軽微な」被害にあったことがあるだろうし、
それがどんなに「軽微な」ものであっても自分の人権を完全に無視されて
ただのpussyとして扱われることに傷つかない訳がない。


それなのに男性のみならず、女性たちですら性犯罪に対して無理解だったりする。

私は『月曜日の朝、スカートを切られた』は好きなんだけど、
「悲鳴なんかあげない」ことで「ほとんどない」ことにされてしまっている現状は
変えていかなきゃいけないと思う。

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本『彼女は頭が悪いから』

彼女は頭が悪いから

『彼女は頭が悪いから』
姫野カオルコ
文藝春秋

読み終えたあとしばらく鬱になったというM氏から借りました。

そのほか「もやもやする」とか「嫌な気分になる」という感想を聞いていたので
ドキドキしながら読みましたが、不謹慎を承知でいえば、いや、おもしろかったです。


読み進むのがだんだん辛くなってくるのはたしかで、
途中で何度か中断して実際の事件についての報道や
昨年12月に東大で行われて紛糾したという
ブックトークについての記事などをチェックしました。


微妙にずらしてはありますが、実際の事件や
加害者たちのプロフィールなんかはだいぶ忠実ですね。
譲治に「あれ東大行くんじゃないの」とバカにされたグレーパーカーの記事までありました。
そのうえでやはりこれはフィクションなので
「三鷹寮が広い」とかをさして「事実と違う」って指摘するのは意味のない批判です。


ブックトークのレポートによると、250人が集まった東大キャンパスで、
作者の姫野さんは会場から大学生をひとりよんで
自分と同じところに立たせて「緊張しませんか」と聞き、
「すごく緊張します」という答えに「そうでしょう」と答えている。

http://bunshun.jp/articles/-/10184?page=1

作者がこの作品で試みているのはまさにそういうことで、
読者は被害者側と加害者側、両方の視点に立って事件を見ることができる。

物語は双方の中学生時代から始まり、二人が出会うまでに全体の半分を割き、
事件当日までに7割が使われている。

もちろんそこには被害者側を「ごく普通の女子大生」として描き、
加害者側は「人の心の機微を読むような繊細さを持っていたら東大には行けない」
と執拗にほとんど悪意をもって描かれているので、公平だとは言えない。

(女子マネージャーを本名にかかわらず
「浅倉」と「南」と呼んでいるというのはすごいブラックジョーク。)


東大生でなくてもこれを不快に思う人はいるだろうけど、
これはなぜあのような事件が起こったのか、
どんな心理が環境があのような事件を起こす人物を生み出したのか、
というところから逆算して意図的に作られたキャラクターなのだから、
「すべての東大生がモテるわけでもないし、残酷なわけでもない、
挫折を味わっていないわけでもない」というのは意味がない。


被害者側に立てると同時に、私たちは加害者側にもなれるのである。
あるいは被害者をパッシングした多くの人たちのひとりにすらなれる。


被害者、加害者たちはもとより、被害者の親や加害者の祖父母にいたるまで、
どんな高校、大学を卒業し、どこに就職したかと、
驚くほど細かいプロフィールが何度もでてくる。


昔むかし、慶應との合同サークルの新歓コンパに参加した際、
彼らがみなどこどこの高校出身であると自己紹介するのがとても不思議だった。
新入生はもとよりOBですら自分の卒業した名門校だったり進学校の名前を言うのだ。


同期だった男の子のひとりは
「本女の子は慶應のサークルに入ることでステータスになるでしょ」と言った。


当時は地方の高校から憧れの慶應ボーイになったばかりの奴が浮かれて
愚かなたわごとを言っていると思ったが、
この本を読んで久しぶりにそれを思い出してみると、
「地方の高校」と考えいる時点で私も同じようなものだったと気がつくのである。

 

 

本『遠い山なみの光』

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

『遠い山なみの光』
カズオ・イシグロ
小野寺健 訳
ハヤカワepi文庫

カズオ・イシグロの長編デビュー作。
過去の回想と現在が交錯する構成、本当のことは決して言わない語り手など、
のちの作品に見られる特徴はすでに確立されている。


最初に読んだカズオ・イシグロ作品が『日の名残り』だったので
イギリス的な作家というイメージが強く、初期に何度も
戦後の日本を舞台にして戦争責任をとりあげているのは不思議な気がする。

(カズオ・イシグロが日本にいたのは1954年から1960年。ほとんど記憶にないはずで、
彼の描く日本は小津安二郎、成瀬巳喜男が作り上げた世界である。)


シンプルな風景描写にすら漂う遠い日の後悔、静かな諦念。

佐知子、万里子親子とは悦子にとって何だったのだろう。

「あの時は景子も幸せだったのよ」というラスト近くの台詞。
文字通り受け取るなら景子はまだ悦子のお腹のなかにいる。
軽そうではあるが妊婦が山登りなどするだろうか。


アメリカに行ったはずの佐知子親子は、
やがてイギリスに渡った悦子親子のもうひとつの姿であることもたしかだが、
もっと直接的に佐知子=悦子、万里子=景子と読むこともできなくはない。

回想の時間軸は一部交錯しているようであり、
万里子が何を見ておびえた表情をしていたのか、
そのとき悦子が何を思っていたのかは語られない。


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本『クレイジー・リッチ・アジアンズ』

クレイジー・リッチ・アジアンズ 上 クレイジー・リッチ・アジアンズ 下

『クレイジー・リッチ・アジアンズ』
ケビン・クワン
山縣みどり 訳
竹書房

映画『クレイジー・リッチ!』がおもしろかったので原作を読んでみました。
原作のキャラクターはほぼ忠実に映画に反映されているけれど、
ニックの母親エレノアとレイチェルの対立を軸にした後半の展開は結構違いがあります。
映画のほうがすっきりしてるかな。


冒頭に複雑すぎるヤング家の家系図。これ結構助かりました。

映画でも非常に魅力的だったアリステッド・レオン。
彼女の少女時代や夫の浮気の真相とか、
映画では一瞬しか出てこない『glee』のハリー・シャム・ ジュニアが
元婚約者役だったこととか、いろいろサイドストーリーもおもしろかった。


あとやっぱり映画でも存在感のあったペク・リン一家。
映画だと成金っぽいんだけど、中国からの移民で苦労して財産を築いたという設定。
だからペク・リンの父親は子供たちにも遊んで暮らすんじゃなく働いて稼げという考え
(働いてるのは自分の会社だけどね)。

そしてペク・リンたちがどんなにリッチになっても彼らなど歯牙にも掛けない名家の存在。

結婚式にウィーン少年合唱団やシルクドソレイユ呼んだり、
お金があるのにコピー商品買い漁ったり、ファッションをブランドでしか評価しなかったり、
スーパー・リッチたちのお金の使い方を嘲笑ってる感もあります。


全体的に私もスーパー・リッチな生活がしたい!
というよりスーパー・リッチ大変だなというところに落ち着く。

豪華なパーティや食事会には名前も聞いたことのない食べ物が山のように出てくるけど、
なによりも屋台の食事がうまそうです。

 

本『エレンディラ』

エレンディラ (ちくま文庫)

『エレンディラ』
G.ガルシア=マルケス
鼓直・木村榮一 訳

『東雲侑子は短編小説をあいしている』で
東雲侑子が好きな作品としてあげていたのがこの『エレンディラ』。
それで『エレンディラ』を買おうとしたら本屋になくて
代わりに『予告された殺人の記録』を買ったんだった
ということをこの間思い出してやっと読んでみた。

ガルシア・マルケスの短編集。
最初の短編『大きな翼のある、ひどく年取った男』が醜く汚れた老人の天使の話であるように、
海に遺体を流す村で海からバラの香りが漂う話とか、
幻想的というか、奇想天外というか、現実と幻想の境のような物語。
「魔術的リアリズム」と解説では紹介されている。

中編『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』は、
14歳の孫エレンディラに祖母が売春をさせるという話。
内田春菊が『ダンシング・マザー』のインタビューの中でこの作品を取り上げ、
祖母が客を取るときに「恋は、飯と同じくらい大切なもんだよ」
と売春を恋と言っていることを指摘しています。
https://joshi-spa.jp/899614?display=b

このザワザワする感じが非常におもしろいんですが、
どこがどうと説明できない。魅力的な悪夢のようです。

本『君の膵臓をたべたい』

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

『君の膵臓をたべたい』
住野よる
双葉文庫

高校生くらいが読む本をストックしたく手を出してみた「キミスイ」。
タイトルから闘病ものであろうと推測していたので、
それほど期待していなかったのですが、これが意外におもしろかった。

なにより二人のかわす会話がいい。
内向的で人と関わらないように生きてきた主人公が、
誰からも好かれる社交的な同級生と知り合い、
お互いの世界が変わっていくあたり、心のBGMは『二人セゾン』。

なのでラストの展開が予想の範囲内でダラダラと長いのは残念。
これって闘病ものである必要なかったよね。

周囲の人が主人公の名前を呼ぶのが【秘密を知ってるクラスメイト】、
【地味なクラスメイト】、【仲良し】と
彼が想像する関係性によって変化していくのもおもしろい。
映画版だとこの表現はどうしているんだろう。

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本『西風のくれた鍵』

西風のくれた鍵 (岩波少年文庫)

『西風のくれた鍵』
アリソン・アトリー
石井桃子、中川李枝子 訳
岩波少年文庫

『グレイ・ラビットのおはなし』、『氷の花たば』のアリソン・アトリー3冊め。
アリソン・アトリーの物語はファンタジーなのにどこか物悲しく淋しく、そこが好きです。

夫が自殺して、息子を育てるために物語を書き始めたアトリー。
その息子も彼女の愛が重くて離れていったという彼女の人生と
作品に漂う影は無関係ではないのでしょう。


ヒースの咲く荒野とか、どの物語もイギリスの曇った田園風景が似合う。

「老女は、ためいきをつきながら火のほうへ顔をむけ、
ふたりの男の子がいた、むかしの日々の夢を見ていました。
年下のむすこは、悲しいことに亡くなり、兄のほうは母親を見捨てたのです。」

 

本『スイートリトルライズ』

スイートリトルライズ (幻冬舎文庫)

『スイートリトルライズ』
江國香織
幻冬舎文庫

江國香織の小説を読むと結婚って大変だなと思う。
江國香織の小説の登場人物たちはごく自然に不倫してしまうのだけど、
「That’s normal(普通のことよ)」という感じで、
倫理観とか罪悪感とか言ってもしょうがない気持ちになる。


お互いに小さな嘘をついてミシェールとポーレットみたいに
寄り添って暮らすことは幸せなんだろか、孤独なんだろうか。


「雨の日、緑茶の緑はやわらかく冴えてきれいだ。」

「人は守りたいものに嘘をつくの。あるいは守ろうとするものに」

 

本『手紙』

手紙 (文春文庫)

『手紙』
東野圭吾
文春文庫

東野圭吾を読んでみようシリーズ。
東野圭吾は何冊か読んでますが、
おもしろいけど好きじゃないというのが正直なところ。

本作も続きが気になって一気読みしたので、
そこらへんはやっぱりすごいなと思うのですが、
加害者家族が罪を背負う必要があるのかという重いテーマにもかかわらず、
登場人物も展開も薄っぺらく、
結局、答えを出さないままのラストにも「うーん」という感じでした。


(「差別は当然なんだ」という言葉は現実的ではあるものの、
やっぱり理不尽だと思うんですよね。
たとえばアメリカなんかだと犯罪者の家族が平気で顔出しして
テレビでコメントしていたりする。
彼らも叩かれることはあるんだろうけれど、日本のように加害者家族が謝罪したり、
ネットに個人情報がさらされたりすることのほうが異常だと思う。)

 

本『風にのってきたメアリー・ポピンズ』

風にのってきたメアリー・ポピンズ (岩波少年文庫)

『風にのってきたメアリー・ポピンズ』
P.L.トラヴァース
林容吉 訳
岩波少年文庫

映画化にともない読んでみました。
メアリー・ポピンズが子供にまったく優しくないのでびっくり。
それでも子供たちはメアリー・ポピンズが大好き。
こういう自分の格好ばかり気にしてる子守って実際にいそう。

絵の中にデートに行く話と、双子とムクドリの話がよかった。

 

本『浮世の画家』

浮世の画家〔新版〕 ((ハヤカワepi文庫))

『浮世の画家』
カズオ・イシグロ
飛田茂雄 訳
ハヤカワepi文庫

カズオ・イシグロの文体の特徴として
「真実を語らない語り手」とはよく言われていることで、
自分の記憶を都合よく作りかえている『日の名残り』の執事とか、
美しいはずの思い出と同時に辛い記憶も失っている『忘れられた巨人』の老人たちとか、
彼らは語り手でありながら真実を語らない。


本作の画家も「私の記憶では」、「正確にそのとおり言ったわけではないかもしれない」
という感じで自分の言っていることが真実ではないかもしれない、
自分の思い違いかもしれない、記憶違いかもしれないと終始、真実をぼかし続ける。


紀子、節子といった娘たちの名前、娘の縁談話、祖父を軽視してるかのような孫の態度、
夜の飲み屋など、日本というより小津安二郎的世界観。
(というか作品自体が一級の小津安二郎パロディ。)

飛田茂雄の訳はそれをちゃんと踏まえていて、娘と父、
弟子や義理の息子との会話は丁寧でありながらどこまでも本質を外してぐるぐると遠回りする。


渡辺謙主演ドラマ化は楽しみでもあるけれど、
肝心のところは書かないことが本作のおもしろさでもあるので、
映像化してしまうとどうなんだろうという気もします。


「彼はいつも、世の中でいちばんいいものは夜に集まってきて、
夜明けと共に消えていく、と言っていた。人々が浮世と呼んでいるのはな、小野、
義三郎が大事にすべきだと心得ていたそういう世界だ」


「画家がなんとか捉えることのできる最も微妙で、最も繊細な美は、
夕闇が訪れたあとのああいう妓楼のなかに漂っている。」

 

 

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