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本『読んでいない本について堂々と語る方法』

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

『読んでいない本について堂々と語る方法』
ピエール・バイヤール
大浦康介 訳
筑摩書房

積読シリーズ。フランスでは2007年、日本では2008年出版のベストセラー。
2020年、一冊めがこの本でいいのか。

帯には「読書感想文ももう怖くない!」とありますが、
そんな簡単なことではなくて、「本を読む」とはなにかという話でした。

そもそも「未読」にもいろんな状態があって、
「ぜんぜん読んだことがない」、「ざっと読んだことがある」、
「人から聞いたことがある」、「読んだことはあるが忘れてしまった」
という段階がある(この本には「完読」という状態はない)。

私たちは「本を読んでいる」と思っているけど、
その実、「本にまつわる言説」を読んでいる。
だから「本にまつわる言説」を理解できれば、本そのものを読んでなくても
その本について語ることは可能である、と著者はいう。

ネット時代とはいえ、本に関する情報を集めて取捨選択するには
当然、本についての知識も必要となり、
ほかの本と対象しての「位置関係」を理解するには、
まったく一冊も読んでいない状態では無理。
あきらめて地道に本を読んだほうが早いのではと思うので、
これは一種の著者流のユーモアなのかも。
それとも「完読」したつもりでも、「本にまつわる言説」、
「本の位置関係」を理解していないのであれば、読んでいないと同じという皮肉なのかも。

各章にいろんな本からの「読んでいない本についてコメントする」例が引用されているんですが、
映画『グラウンドホッグ・デイ(邦題『恋はデジャ・ブ』)が出てくるのは嬉しかった。

ほかにも、ゲームに勝ちたくて『ハムレット』を読んでいないことを告白してしまい、
終身在職権を失ってしまった大学教授の話とか(デイヴィッド・ロッジ『交換教授』)
もおもしろかったです。

著者は大学教授であり、精神分析家なので、後半の本領発揮の部分はなかなか難解。


<読書メモ>

教養があるかどうかは、なによりもまず自分を
方向づけることができるかどうかにかかっている。
教養ある人間はこのことを知っているが、不幸なことに無教養な人間はこれを知らない。
教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるということではない。
そうではなくて、全体のなかで自分がどの位置にいるが分かっているということ、
すなわち、諸々の本はひとつの全体を形づくっているということを知っており、
その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということである。
ここでは外部は内部より重要である。というより、本の内部とはその外部のことであり、
ある本に関して重要なのはその隣にある本である。

教養ある人間は、しかじかの本を読んでいなくても別にかまわない。
彼はその本の内容はよく知らないかもしれないが、その位置関係は分かっているからである。

教養とは、書物を〈共有図書館〉のなかに位置づける能力であると同時に、
個々の書物の内部で自己の位置を知る能力である。

われわれが話題にする書物は、「現実の」書物とはほとんど関係がない。
それは多くの場合〈遮蔽幕(スクリーン)としての書物〉でしかない。
あるいは、こう言ったほうがよければ、われわれが話題にするのは書物ではなく、
状況に応じて作りあげられるその代替物である。

われわれが話題にする書物はすべて〈遮蔽幕としての書物〉であり、
この無限の書物の連鎖のなかでの一つの代替要素である。
このことを理解するには、われわれが子どものときに好きだった本を
「現実の」本と比べてみるだけで十分だろう。
そうすれば、書物についてのわれわれの記憶、
とくに自分の分身といえるほど大事に思われた書物の記憶が、
われわれがその時々に置かれている状況と、その状況が内包する無意識的価値によって、
いかに不断に再編成されているかが分かるはずである。

読書とは、何かを得ることであるよりむしろ失うことである。

「ギムナジウムの課程を終えるにあたって卒業試験を受けた人は誰でも、
試験に落ちてもう一度同じ学年をやり直さなければならない等々という不安夢に、
嫌というほどしつこく付きまとわれるものである。」
「夢解釈 I」『フロイト全集4』

いくつもの名前が一度にマーティンズに向かって投げかけられた。
スタインという、ちょっと尖ったような名前や、
ウルフなどという、円い小石のような名前があった。
知的な黒い前髪を垂らしたオーストリア人青年が、
「ダフネ・デュ・モーリエ」と叫んだ。クラビン氏はたじろいで、
マーティンズを横目で見ながら、低い声でささやいた。「大目に見てやってください」
『第三の男』グレアム・グリーン

われわれがすでに読んだ本と考えているものは、
たとえそれが物質的にはわれわれが手に取った本と同じであるにしても、
われわれの想像界によって改変された、他人の本とは関係のない、
雑多なテクスト断片の集合にすぎない。

読んでいない本について語ることはまぎれもない創造の活動なのである。

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