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本『それでも人生にイエスと言う』

それでも人生にイエスと言う

『それでも人生にイエスと言う』
V.E.フランクル
山田邦男、松田美佳 訳
春秋社

積読本シリーズ。
『夜と霧』のフランクルの著書。

1946年に行われた講演をもとにしているので、文章自体は読みやすく、
それほど長い本でもないのですが、
強制収容所を生きのびた人が語る「生きる意味」はとても重く、
今まで3回くらい挑戦しては途中で挫折し
(第1章を3回、第2章を2回くらい読んでいる)、やっと今回、読了しました。

どんな状況でも、苦難と死にもかかわらず、病気を抱えていても、
強制収容所にいてもなお、人生には意味がある。

フランクルは精神科医であり、心理学者なので、
いくつもの診療ケースからこの結論を導き出しており、
強制収容所での経験は実践例のひとつです。
この講演の1年ほど前にはまだ彼は収容所にいて、
自分の未来を考えることすらできない状況だったとは!

人ははたしてそこまで強くなれるものか、
今の私には自信がありませんが、
生きる意味を問い直したくなったときに再読してみたい一冊です。

<読書メモ>

最後の最後まで大切だったのは、
その人がどんな人間であるか「だけ」だったのです。

「運命に揺るがず耐える勇気は、運命より強力である。」
そしてこの格言の下で、この人は、自らの命を絶ったのです。

つまり人間は、じっさい楽しみのために生きているのではないし、
また、楽しみのために生きてはならないのです。

生きるということは、ある意味で義務であり、
たったひとつの重大な責務なのです。

私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。
私たちは、人生がたえずそのときに出す問い、
「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。
生きること自体、問われていることにほかなりません。

人生は、「最後の息を引き取るときまで」
意味のあるものに形づくることができるといってもいいでしょう。

自殺する人も、人生のルールに違反しています。
人生のルールは私たちに、どんなことをしても勝つということを求めていませんが、
けっして戦いを放棄しないことは求めているはずです。

苦難と死は、人生を無意味なものにはしません。
そもそも苦難と死こそが人生を意味のあるものにするのです。

人生に重い意味を与えているのは、この世での人生が一回きりだということ、
私たちの生涯が取り返しのつかないものであること、
人生を満ち足りたものにする行為も、人生をまっとうしない行為も
すべてやりなおしがきかないということにほかならないのです。

人生に重みを与えているのは、ひとりひとりの人生が
一回きりだということだけではありません。
一日一回、一時間一時間、一瞬一瞬が一回きりだということも、
人生におそろしくもすばらしい責任の重みを負わせているのです。
その一回きりの要求が実現されなかった、
いずれにしても実現されなかった時間は、失われたのです。
「永遠に」失われたのです。

そして意識して死に赴いていくというのは、
運命の贈りものにちがいないと考えました。
いまや運命は、私にも、意識して死に赴いていくことを許したのです。
私は、もう一度自分の闘争心を試すことを許されたのです。

トルストイ『イワン・イリッチの死』

人生はそれ自体意味があるわけですから、
どんな状況でも人生にイエスと言う意味があります。
そればかりか、どんな状況でも人生にイエスと言うことができるのです。

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