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本『雪のひとひら』

雪のひとひら (新潮文庫)

『雪のひとひら』
ポール・ギャリコ
矢川澄子 訳
新潮文庫

『スカイ・イクリプス』で引用されていた文章が気になって読んでみました。

空から舞い降りた「雪のひとひら(snowflake)」をとおして女性の一生を描く。
大人のための童話というか、綺麗な詩のような一編。

「雨のしずく」と結ばれて子供までできるあたりはメルヘンすぎる気もするけれど、
海のなかで孤独静かに老いていく様とかなかなかシビアな擬人化です。

「私はどこからきたのか、なぜ生まれてきたのか」という問いは普遍的なもの。
子供の頃は不意にこの問いに包まれて
自分の存在の不思議さに動けなくなるような気分になりました。

ところどころ言葉の選び方が不思議だなと思っていたのですが
(悪いわけではなく、絵本のような調子でつづられているのに
「わだつみの」とか「幼なご」という言葉が使われていたりするので)、
訳者は詩人でもあるのですね。
訳者解説が「女性である雪のひとひら」と「男性的なる神」
みたいになっているのはなんか不満。

 

<読書メモ>

「わたしって、いまはここにいる。けれどいったい、もとはどこにいたのだろう。
そして、どんなすがたをしていたのだろう。
どこからきて、どこへ行くつもりなのだろう。
このわたしと、あたりいちめんのおびただしい兄弟姉妹たちをつくったのは、
はたして何ものだろう。そしてまた、なぜそんなことをしたのだろう?」

「美って、何なのだろう。わたしもいままでに、空と、山と、森と、村を見た。
それから日の出、女の子、そして、この灰色の牡牛の眼。
それぞれ、ちがったものでありながら、わたしをしあわせにしてくれたことでは、
いずれもおなじなのだ。これもみな、どなたかはぞんじあげないけれど、
おなじ一人のひとのつくりだしたものにちがいない。
そのひとの手になるものが、つまりは美のためにあるということも考えられるだろうか?」

彼女は雨のしずくであり、彼は雪のひとひらでした。
もちろん、さまざまな点でいまだ自分自身ではあるものの、
いまではたがいに相手の一部でもあるのでした。
あまりにしっくり溶け合あってしまったために、あたかもおなじ頭で考え、
おなじ声でしゃべり、おなじ心で生きているようにさえ思われるのでした。

いずれ取上げられるものならば、何ゆえに彼はわざわざ彼女に与えられたのか。

いかなる理由あって、この身は生まれ、地上に送られ、よろこびかつ悲しみ、
ある時は幸いを、ある時は憂いを味わったりしたのか。
最後にはこうして涯しないわだつみの水面から
太陽のもとに引きあげられて、無に帰すべきものを?
まことに神秘のほどはいままでにもまして測り知られず、
空しさも大きく思われるのでした。
そうです、こうして死すべくして生まれ、無に還るべくして長らえるにすぎないとすれば、
感覚とは、正義とは、また美とは、はたして何ほどの意味をもつのか?

 

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