本『ニコニコ動画が未来を作る ドワンゴ物語』

ニコニコ動画が未来をつくる ドワンゴ物語 (アスキー新書)
『ニコニコ動画が未来を作る ドワンゴ物語』
著 佐々木俊尚
アスキー新書

ドワンゴ創業からニコ動リリースまでを追ったドワンゴ社史。
ドワンゴってニコ動のイメージが強すぎて、それ以前って
たしかケータイゲームや着メロの会社だったんだよね程度の
認識しかなかったんだけど、読んでみてびっくり。

PC-9800対応のシューティングゲーム『Super Depth』を作った
ゲームクリエイター集団『Bio_100%』、
彼らのベースであった草の根BBS『STUDIO☆FEMY』、
ソフト流通企業『ソフトウェアジャパン』、
LinuxのCD-ROMを販売していた秋葉原のショップ『Laser5』、
ソフト開発会社『ランドポート』、
ドリームキャストのレースゲーム『SEGA RALLY 2』、
ケータイゲーム『釣りバカ気分』、
着メロサイト『いろメロミックス』、GACKTの着ボイス、
ドワンゴを創ったメンバーたちの歩いてきた道は
そのままPCとインターネットの歴史である。

メンバーのひとり太田がランドポートを辞めて立ち上げた
ソフトウェア会社『アンリアル』は、
たしかMP3ソフトを販売していた会社だ。
現在の『Windows Media Player』や『iTunes』のような
CDからmp3を作成できるようなソフトはまだなく、
リッピング、エンコード、コーデック、再生に
それぞれ専用ソフトが必要だった時代で、
『アンリアル』はかなり早い時期に、音質のいいコーデックを搭載した
市販MP3ソフトを日本で販売した記憶がある。

『釣りバカ気分』かどうかは定かでないが、
iモードの釣りゲームに隣りの席の同僚がハマって、
糸を引くたびにケータイが鳴ってうるさかった覚えがある。

なんていうか、ここ10年くらいの自分のPC歴をさかのぼると、
そのどこかにドワンゴという会社が関わっているのだ。

ドワンゴという会社名からして、
DWANGO(Dialup Wide Area Network Gaming Operation)
というアメリカのネットワーク対戦システムの名前で、
国内総代理店であるソフトウェアジャパンが倒産したため、
マイクロソフトのDirectXエヴァンジェリストチームが
苦肉の策として、ドワンゴジャパンを設立した、というのだから驚きだ。

 ゲームに勝つためには、とにかくロジックを磨かなければならない。
 ロジックが必要なゲームジャンルは、シミュレーションだけではない。
 一見、たんなる反射神経だけが必要なように見える
 アクションゲームであっても、ゲームの応答性を計算し、
 インターフェースをどう利用するのかといった知恵を絞る必要がある。
 そうした要素を全部計算して挑むのがゲームだ。
 WarCraftやAge of Empireなどのストラテジックアクションゲームなんかは
 その典型で、瞬発性と判断力を同時に求められる高度なロジック能力を
 駆使しなければならない。
 だから「廃人」であっても、ゲームをやり込んでいるヘビーゲーマーだったら、
 きっとそういうロジックの能力があるし、ロジックが極限まで鍛えられているはずだ!

という理由でゲーマーを会社に引き入れて、
プログラミング開発をやらせてみるところもおもしろい。

しかし、ケータイゲームと着メロで一時代を築いたドワンゴも
着うたの出現によって、壊滅的な打撃を受ける。
変化の速いIT業界の中では、安泰な企業なんてない。
ある時期のトップメーカーが次の時代には消えていることなんてザラ。
その荒波の中でドワンゴは次々と変遷していって、
生き残るための苦闘から生まれたのがニコニコ動画だったという訳だ。

肝心のニコニコ動画については最後の方に誕生の経緯が
簡単に書かれているだけで、タイトルの『ニコニコ動画が未来を作る』
に期待して本を買ったニコ動ファンにはもの足りないだろう。
ドワンゴの昔話に自分との接点を見出せないとおもしろさも半減するので、
若いPCユーザーがどこまで共感できるのかも疑問。

多くのドワンゴ関係者へのインタビューがもとになっているということで、
『グーグル誕生』や『闘うプログラマー』のような
群像ドキュメンタリーとしてのおもしろさもあるが、
たくさんの人が入れ代わり立ち代わり出てきて、
それぞれの個性がはっきりしないので、区別がつかないのも惜しい。
それでも、シリコンバレーだけでなく、
日本にもこんなベンチャー企業物語があったんだと
認識させてくれた熱いストーリーである。

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本『ツイッター 140文字が世界を変える』

ツイッター 140文字が世界を変える (マイコミ新書)

『ツイッター 140文字が世界を変える』
著 コグレマサト、いしたにまさき
マイコミ新書

今年に入って再ブレークし、ユーザー増加中のTwitter。
夏以降、急上昇でメディアの注目も集めており、
今後、Twitterとは何か、Twitterで始めるネットビジネスとか、
Twitterでつながる私たち、みたいな本がポコポコ出てくるにちがいない。
その先鋒を切るのがこの本。
こういう本は最初に出したほうが売れるから、
わずか2ヵ月で制作されたらしいが、
著者が『ネタフル』、『みたいもん!』と人気ブロガーの2人だから、
急ピッチで作ったわりには、よくまとまっていると思う。
(あと著者のフォロワーが多いと宣伝もしやすいよね。
実際、ここ数日、Twitter内でこの本のタイトルをよく見かけた。)

Twitterはシンプルなわりにおもしろさを伝えにくいので、
2009年再ブレークの背景を春先から夏まで時系列で追いかけ、
「当選確実なう」、「ヒウィッヒヒー」などの話題を紹介する
という方法は正解だろう。ここ最近の盛り上がりを追体験できる。
そのほか、Twitterがオープンであることの意味や、
フォロー、アンフォローの気軽さ、使い方は人それぞれで、
同じタイムラインは二つとしてないこと、
ビジネスの活用事例(即お金にはならないよということも含めて)など、
Twitterとは何かをうまくまとめている。

ただ、Twitterをすでに楽しんでいる人には機知のことであり、
Twitterをまだ初めてない人にとっては、
本を読んだところでどれくらい伝わるのかなという気もする。

一番おもしろいのは著者(いしたにさんの方かな)の考えが
はっきり示されている最終章で、Twitterとは、
「情報を出していく人がより面白いことになっていく社会」の
テストケースだという。

 われわれが好むと好まざるとにかかわらず、われわれの生活の情報は
 この先どんどんログとして半ば無意識的に取得されていきます。
 だから、どうせ情報を取られてしまうのだから、むしろ自分から積極的に
 情報を出していって、そのリターンを受けられる状態に持っていった方が、
 この情報が氾濫する社会にいる個々人にとっては、より面白いことが
 起きやすくなる状態になるのではないかと私は考えているのです。
 社会がそういう方向に向かった場合、情報を出している人と
 出していない人の間に、どんどん天地の開きがついていくことは
 言うまでもありません。そういった社会に向かう一つの
 テストケースとしてツイッターを捉えています。

 あなたの見ているツイッターは、あなたのツイッターでしかないし、
 他の人のツイッターも、その人のツイッターでしかないのです。
 もちろん、それが文化的に見た際には、ツイッターというサービスの
 豊かさを形づくっている理由でもあることは言うまでもありません。

私的には『ケツダンポトフ』のそらのさんの以下のポストが
非常に名言だと思ってるんですが、上の文書はそれに近いですね。

 最近よく聞かれる「twitterっておもしろいの?何が?」 
 私「おもしろいよ!理由はわからない」 
 Aさん「わたしでも楽しめるかな!?」 私「わかんない」 
 Aさん「なにそれ。。」 私「だって見えるものが全然ちがうから」
 8:52 PM Sep 7th webで

そして、本の最後に14年前に書かれた八谷和彦氏の文章が紹介されている。

 「私がいまここにいること。きみがいまそこにいること。
 知らない人の日々の生活を深く知ること。
 プライベートとパブリックの間を軽く飛び越えること。
 自分と他人の境界をあいまいにすること。
 それぞれの人生が尊く置換不可能であることをあえて知ること。
 理解不能な他人を愛すること。
 不用意で軽率な行為、それを楽しむこと。
 メガ日記が確認するものは、おそらくそういったものです。」

「Twitterは技術ではなく、人間性の勝利」とは
創業者のひとりビズ・ストーン氏の言葉だが、
インターネットがもともと持っていた可能性を
Twitterはシステムによって実現し、
それが今、受けている理由だと思う。

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本『究極のテレビを創れ!』

究極のテレビを創れ! ~感動に挑む絵づくり職人たち (テック・ライブ!)
『究極のテレビを創れ! 感動に挑む絵づくり職人たち』
著 麻倉怜士
技術評論社

5年くらい前だと思うけど、電器店の売り場で何台も
液晶テレビをチェックしたことがあって、
そのときは「白っぽい」、「赤や緑の色が正確じゃない」という印象だった。
現在、液晶テレビは驚くほど綺麗になった。

ブラウン管の画質をいかに手に入れるか。
この本は、液晶とプラズマの高画質への取り組みを
現場インタビューを通して追ったものである。

コントラストが低い、視野角が狭い、残像が多い、
液晶テレビの画質をどうやって改善するか。
液晶の場合はLEDバックライトが、
プラズマの場合はワッフル構造がひとつの答えだった。

液晶の「黒が浮く」のはなぜか。
その解決策に取られた技術はどういうものか。
わりと難しい話が麻倉さんの文章でかなりわかりやすくまとめられている。
なにより、現場のエンジニアたちの熱い想いが語られているのがよい。

現在ではさらに進んで、映画なのかスポーツ番組なのか、
何が映っているのか、昼なのか夜なのか、どんな環境で見ているのか、
といったことを判断して色を自動調整したり、
作品に込められた意図を判断して、
コントラストを調整したりするところまで技術は進んでいるらしい。

後半はポスト液晶時代の有機EL、
画素数をアップコンバートする超解像、4K×2K、3Dテレビ、
2025年の開始を想定しているスーパーハイビジョン
(解像度7680×4320)など、これからの話。

3D画質の問題として書割現象(奥行き方向にある物体が、
舞台の大道具のように、平面的に、重なって見える現象)
というのがあるそうで、『センター・オブ・ジ・アース』の3D映像が
「背景映像の手前に人物を配置した、飛び出す絵本みたいだ」
と思った私としては納得。

そのほか、現在のハイビジョンが人間の視覚特性を研究して、
人が2次元の映像から臨場感を感じる条件として、
「広い視野」と「たくさんの画素情報量」が必須ということで
16:9のワイドスクリーン、1920×1080の画素数の
スペックが考案された話とかおもしろい。

最近の私のお気に入りはNHKの『ローカル鉄道の旅』なんだけど、
会社のテレビで地デジ放送を見たら、風になびく草のひとつひとつ、
川面に反射する光、夜の鉄橋に流れる霧まで映っていて、
「あー、これ撮影したの暑い日だな、光と緑の感じからすると初夏?」
みたいに温度まで感じられて、臨場感ってこういうことかと思ったりしました。

また、絵づくりや画質チェックのための
リファレンス映画としてあげられているのが、
『パニックルーム』、『ヒマラヤ杉に降る雪』、
『あの頃ペニー・レインと』のチャプター2。
『ヘアスプレイ』のチャプター4、
『ジャスミンの花咲く』、『善き人のためのソナタ』など。
『きみに読む物語』の冒頭シーンが「リッチな色とコントラスト再現力
が要求される」なんて見方はなかなか新鮮。


◆読書メモ

「ラストチャンネル機能があるので、すべて電源を切る直前のチャンネルが
同時に出るはずなのですが、100台のうち1台だけ違うチャンネルが
映っていることが、よくありました。不思議なことに5台、10台では
出てこないのですが、100台ぐらい見るとなにかしら不具合が出てくるんです。」

アメリカ映画「きみに読む物語」の冒頭の川のシーン。川岸はほとんど
暗黒の世界なのだが、でもよく見張ると、うっすら明るい部分がある。
輝度レベルで言えば1%ぐらいの差でしかない。従来であれば、
液晶は全体に黒が浮くので論外だが、プラズマであってもこの部分は、
黒に落ち込んだり、階調ノイズが出たりして、なかなか満足できる表現を
見ることができなかった。

「フィルターで黒の感動を再現したい。大事なのは黒側の色目です。
それには一番、視感度の低いブルー寄りにすると、人の目では、
さらに黒く見えることを発見しました。黒味に青が少し入ると、
濡れた黒になりました。」
「中学生の子供が夜の絵を描いていました。夜空に星があって、
そのまわりを何色で塗るかなと見ていたら、青色で塗っているんですねえ。
で、その青から次第に黒に塗っていく。星は金色で塗り、そのまわりを
深い青で塗り、もう少し離れるとさらに濃い青にして、次第に黒になっていく。
すると、“透き通った濡れた黒”って感じが見事に描かれたんですよ。」

絵づくり用のリファレンス映画はどう選ぶのか。
「被写体深度の浅い映像が多い映画を選ぶことです。そんな映像では、
対象物にしっかりとフォーカスが当てられ、監督の意図が容易に識れます。
この監督は対象をどのように見せようとするのかを、物語の展開に沿って
理解していきます。」

「結局、テレビはどこまで行ってもツールでしかありません。
感動を与えるのは結局コンテンツだというところに、ある時点から
発想を切り替えたんです。そのためには、良質な作品をたくさん観て、
『いい映像とは何か』を知らないといけない。」

「たとえば、『赤い勝負服』なら、それを着ている人が
どういう勝負をするのかを理解しなければならない。
ストーリー全体におけるそのシーンの意味がわからないと、
服の赤と背景のバランスをどう取るべきかが見えてこないからです。」

「アルファ波はSD(720×480画素)よりフルHD(1920×1080)を
見ている時の方が遥かに多く出ます。しかし、もっともたくさん出るのが
4K×2Kです。4K×2Kは、人類の幸福のために絶対に必要な映像なんです」

(4K×2Kで)大いに注目を浴びているのがロサンゼルスの
レッド・デジタル・シネマカメラ社のレッド・ワン(Red One)である。
最近ではスティーブン・ソダーバーグ監督のドキュメンタリータッチの
『チェ39歳 別れの手紙』『チェ28歳の革命』が全編、レッド・ワンで撮影された。

「レッド・ワンは映画制作の文脈にあっている。
フィルム同様のポストプロセスで作り込みできるので、
映画人が使いこなせるのです。フォーカスと露出、構図を合わせて撮影し、
現像してから、カラータイミング(色変更)などの後処理をして作品に
仕上げるというのがフィルムの制作プロセスですが、レッド・ワンの場合も
撮影したフィルムを“現像”し、後はカラー・グレーディング(色、階調処理)で
映像を作っていく過程は、フィルムの世界とまったく同一なのです」

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本『ウィキペディア・レボリューション』

ウィキペディア・レボリューション―世界最大の百科事典はいかにして生まれたか (ハヤカワ新書juice)
『ウィキペディア・レボリューション
世界最大の百科事典はいかにして生まれたか』

著 アンドリュー・リー
ハヤカワ新書juice

ウィキペディアの誕生と現状を追った本。
ウィキペディアについては、web2.0のわかりやすい例として、
一時期さんざん持ち上げられたけど、近年はその問題点を指摘する本が多い。
『ウィキペディア革命』『ウィキペディアで何が起こっているのか』
本書はそのバランスがとてもよく、ウィキペディア以前の百科事典の歴史、
ストールマンによる“コピーレフト”の考え方から、どのようにウィキペディアが
発展していったのか、そしてどのように変わっていったのかを詳細に描いている。

その後、ボットによる記事の大量作成やユーザーによるドット・マップの作成
などを経て、ウィキペディアの記事は増え続け、問題も表面化する。
有名なものとして、グダニスクとダンツィヒの編集合戦、
広告掲載をめぐってスペイン版ウィキが分裂した「スパニッシュ・フォーク」、
シーゲンソーラー事件、宗教学の終身教授と身元を偽ったEssjay騒動
などの詳細がおもしろい。

フリーの精神で始まったはずのウィキぺディアが、発展するにつれ、
ユーザーの善意を信じるだけではいられなくなる。
トロール、ソックパペット、荒らしなどを経て、ウィキペディアは
厳格なルールや管理主義が必要とされていく。
後半に書かれた、この問題点は非常に重要。
それをたんに批判するのではなく、なぜそうなってしまったのか、
具体的な経過があるので、簡単には否定できない。
ウィキペディアは今も壮大な実験の最中であり、
その成否はインターネットの可能性と限界を象徴するものになるだろう。


◆読書メモ
(※行頭文字下げは引用。それ以外はまとめ書き。)

映画『クイズ・ショウ』にも登場するヴァン・ドーレンは、
クイズ番組のやらせが発覚し、コロンビア大学の教授職を失う。

 多くの人々が知らないのは、その後の彼の人生だ。彼は教師と執筆業を
 なりわいとしてつつましい生活を送りながら、権威あるブリタニカ百科事典の
 著書および編集者として、新たな道を歩み始めたのだ。
 1962年、彼は百科事典について先見的な見解を述べる。
 それは、まさしく将来のインターネットで実現する出来事であった。
 「世界は急激に変化している。したがって、百科事典も先進的でなければならない。
 百科事典は、政治においても、哲学においても、科学においても、安全な立場に
 甘んじていてはいけないのだ。30年後に認められるものは、
 現在ではあまりに先進的に見えるものだ。もし、2000年でも認められる
 百科事典を作ろうとするなら、1963年では大胆に見えるものでなければならない」

 バーナーズ=リーは、ワールド・ワイド・ウェブを使って文書を共有するという
 アイデアを試すに当たって、高解像度の文書の処理に適したNeXTキューブ・
 コンピュータを利用した。彼が1991年2月に初めて開発したウェブ・ブラウザは
 NeXTコンピュータ用だった。しかし、彼は単に読み取り用の「ブラウザ」を
 作るだけではなく、より壮大な計画を抱いていた。
 実際、彼は自身のプログラムを「ブラウザ・エディタ」と呼んだ。
 彼が開発したNeXT上のプログラムは、ウェブ・ページを読み込んで
 表示するだけでなく、変更して保存することもできた。
 これこそ、バーナーズ=リーが当初から思い描いていた機能だった。
 ウェブによる情報の読み書きによって、共有を行おうというものだ。

ジミー・ウェールズ、ティム・シェル、ラリー・サンガーが最初に取り組んだ
オンライン百科事典『ヌーペディア』は、投稿者や編集者は博士、教授、専門家に
限られており、記事が完成するまでにはピア・レビューなど7つのプロセスを
必要としたため、最初の年に完成した記事はわずか12個だった。
プロジェクトを迅速化するため、オープンでシンプルな編集システムとして、
ウィキの採用を検討する。

アップルの『ハイパーカード』に魅せられたウォード・カニンガムは、
自身が開発したハイパーカード・ツールにコラボレーション機能を追加。
Perlでこのインターネット版を開発し、ブラウズ中のページをユーザーが
簡単に編集できるサイトを作成した。これがウィキになる。

大文字をふたつ使って単語をつなげると、リンクが作成される。
単語の途中にコブができるので“キャメルケース(ラクダ表記)”と呼ばれ、
YouTube、MySpaceなど、大文字と小文字の組み合わせは、
ドットコム用語の定番となった。

RTFA
記事を読め! (Read the friggin article!)

 オックスフォード英語大事典(OED)の寄稿者の中には、教授や貴族もいたが、
 大半は呼びかけに応じた一般の人々だった。ウィンチェスターは、『博士と狂人
 ――世界最高の辞書OEDの誕生秘話』の中で、「狂人」であるウィリアム・
 チェスター・マイナーのエピソードを語っている。マイナーは合衆国陸軍の南北戦争の
 生き残りだったが、「異常な常軌を逸した行動」が高じて、ランベスの通りで
 「罪のない労働者」を撃ち殺し、精神異常の犯罪者としてブロードムーア精神病院に
 収監されてしまう。彼は1881年ごろ、書斎で「閲覧者へのアピール」を読み、
 OEDプロジェクトについて知る。それから21年間、彼はプロジェクトに協力しつづけ、
 「個々の単語、句、構文の文学史的証拠を高めることへの貢献は、
 フィッツエドワード・ホール博士の貢献に次ぐ」という賛辞を受けた。
 1891年にマイナーとマレーが面会するまで、OEDの関係者たちは彼が
 ブロードムーア精神病院に収容された狂人であり殺人者であることを知らなかった。

 技術業界には、「ハンマーを持つ人には、すべてが釘に見える」という有名な
 言い回しがある。

 ジンボ(ジミー・ウェールズ)は、この点がウィキペディアのすばらしい側面だと
 言っている。誰もが参加できて、みなで協力し合うという点がね。だが、
 そういう人々は、われわれが殺し合いをしているのに気付いていないのだ。
 われわれは、日々殺し合いをしている。テレビ・ゲームとか、くだらないことを
 めぐって。あるいは、誰かが駐車場所を間違えたとかいう理由でね。
 ウィキペディアは、人間性を映し出す暗い鏡を自分自身に向けて掲げているんだ。
 (ジェイソン・スコット)

 中国語、日本語、韓国語(この3つをCJKという)

 日本のウィキペディア編集者があえてユーザー名を登録しようとしない理由の
 ひとつとして、自分の身元を明かさない2ちゃんねるの「完全な匿名性」の普及が
 挙げられることが多い。

 ユーザーにユーザーIDが付けられていると、討論は批判のし合いになりますが、
 匿名システムでは、意見や情報を批判されたとしても、誰に怒ればいいのか
 分かりません。また、ユーザーIDがあると、サイトの常連が権力を持つようになり、
 ユーザーは反論しにくくなります。完全な匿名システムでは、つまらなければ
 「つまらない」と言える。情報はすべて平等に扱われる。正しい主張だけが通る。
 (西村博之)

  (日本語版ウィキペディアは)2005年には、世界で3番目に規模の大きい
 ウィキペディアだったが、フランス語とポーランド語に抜かれてしまった。
 日本語版にはrambotのようなソフトウェア・ロボットの一括追加による急上昇が
 見当たらないのだ。つまり、匿名ユーザーが大半を占める日本人ウィキペディアン
 たちは、手作業でひとつずつ、コツコツと記事を追加していっているということだ。

簡体字と繁体字の表記が論争の種になっていた中国版では、
ユーザーがプログラムを作成し、ボタンによって表示を選択できるようになった。
中国版には、中国本土(cn)、台湾(tw)、香港/マカオ(hk)、
マレーシア/シンガポール(sg)の4つの表記と、簡体字と繁体字、
計6つのオプションがある。
このソフトは同じ問題を抱えるセルビア語版とカザフ版も救うことになった。

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本『2011年 新聞・テレビ消滅』

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)
『2011年 新聞・テレビ消滅』
著 佐々木俊尚
文春新書

佐々木さんによる、またまた刺激的なタイトルの本。
新聞とテレビの凋落については、アメリカでは深刻な事態になっているのだが、
日本では新聞はともかく、テレビはまだ危機感が薄い気がする。
しかし、佐々木さんは、「アメリカで起きたことは3年後に日本でも起きる」
と断言する。アメリカで新聞業界の崩壊が始まった2008年の3年後、
2011年は、完全地デジ化と情報通信法の施行という転換点である。

そして、メディアの構造をグーグルの及川卓也氏にならい、
「コンテンツ」、「コンテナ」、「コンベヤ」の3つのレイヤーで解説している。

つまり、従来の「新聞」は、
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=新聞紙面
 コンベヤ=販売店
という垂直統合モデルなのだが、これが、
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=ヤフーニュース、検索エンジン、だれかのブログ、2ちゃんねる
 コンベヤ=インターネット
と変化している。

「テレビ」の場合は、
 コンテンツ=番組
 コンテナ=テレビ
 コンベヤ=地上波、衛星放送、CATV
だったのが、インターネット上では、
 コンテンツ=番組
 コンテナ=ユーチューブ
 コンベヤ=インターネット
になっており、さらに、
 コンテンツ=テレビ番組
 コンテナ=テレビ、ケータイ、ゲーム機、パソコン
 コンベヤ=電波、ケーブルテレビ、インターネット
とオープン化が進むとしている。

こうなった場合、「紙かネットかという「コンベヤ」は重要ではない。
コンテナこそが本質なのである。」
成功例として「R25」があげられているが、
 コンテンツ=さまざまな記事
 コンテナ=リクルートの作った「R25」というプラットフォーム
 コンベア=紙の印刷物
となる。

そして、このプラットフォームをめぐる戦いが活発化すると予測する。
そのとき、今までのような“マスメディア”はもう存在しない。
生き残れるのは“ミドルメディア”だけだ。

新聞とテレビの衰退については、今までの本でも触れられているし、
現在の自分の生活を振り返ってみれば、納得がいく。
もうテレビ番組をリアルタイムで見ることはほとんどないし、
新聞だってやめてもいいと思っている。
(妹が納得していないので、とっているけど、それだって、
この本に出てくる、広告チラシサービス『Shufoo!』や『タウンマーケット』
でいいんじゃないか。)

アメリカで始まっている必死の生き残り戦略として、
有料化の例や『ニューズウィーク』のように、マスを捨て、
少数の人に訴求する雑誌をめざすという例も出てくる。

個人的には「雑誌の高齢化」が非常にぐっときました。
(引用が長くなったので詳しくは読書メモに)
雑誌がミドルウェアとして生き残るためにも、
意識改革が必要だよね。

新聞、テレビというマスメディアが崩壊した後に
新しいメディアを作っていくべきだと、佐々木氏は語るが、
毎日新聞社で働いていた人だけに、
あとがきには痛切な想いも記されている。
私はデジタルネイティブに生まれたかったと思うこともあるのだが、
新聞とテレビ、そして雑誌の時代を経て、
新しいメディアの誕生を見られるのなら、それもまた良しと思ったりする。


◆読書メモ

テレビがそうやって報じる流行が本当にあるかどうかは、
どうでも良いと藤岡氏はいう。「いま、何々が流行っている」
という話題だけが流行として成立すればいいのであって、
実体としての流行があるかどうかは問わないのだと。
「つまり、テレビというのは、もう実体としては存在しないかもしれない
『大衆』、個人では捕捉することもできない『大衆』を、それこそ
映像の上にイメージしていく貴重なメディアになったといっていい」
(『「分衆」の誕生―ニューピープルをつかむ市場戦略とは』藤岡和賀夫)

日本の伝統的な雑誌編集者は読書アンケートさえほとんど気にしていない。
なぜなら彼らは本質的には、「オレが良いと思ったものは良い!」
と考えているからだ。つまりは「編集者の勘」というヤツである。
この勘は、たいへんなパワーを発揮することもある―特に読者の
期待していることと、編集者のビジョンがきれいにマッチした場合には。
この美しいマッチングは、いまでも一部の雑誌には生き残っている。
趣味の雑誌や特定の層に向けて発信されるような雑誌がそうだ。
具体的な名前を挙げれば、徹底的に読者目線にこだわり、
“キャバ嬢ファッション誌”という新しい市場を作り出すことに
成功した雑誌「小悪魔ageha」などがそうだ。

こうした本能的な勘だけで作られた雑誌の場合、
年月を重ねるのに従ってだんだんと雑誌の中身が変質していってしまう
という問題がおうおうにして起きる。
なぜなら編集長や編集者は、年を取ってしまうからだ。

編集長や編集者が年齢を重ねたのにあわせて、雑誌の内容も
年を取ってしまったのである。この結果、本来は二十歳代前半向けだった
はずの雑誌はいつの間にか三十歳前後の読者向けになってしまい、
このため昔からの読者はついてきてくれているけれども、
若い読者は呼び込めなくなっていたのだった。

いまの二十代から三十代の若い読者は「カネと女と権力」なんて
読み物はあまり望んでいない。彼らが求めているのは、
「これからどうやってこの社会を生き延びていくのか」
といった自分の生活にもっと寄り添った具体的な情報だ。

日本の新聞社は「四十歳以上の記者しか本社編集部にいない」
といういびつな状況になってしまっているのだ。

「インターネット化された世界では、液晶プロジェクターが
オンラインになって画像をダウンロードしたり、携帯電話の
ブラックベリーをリモコンとして使ったりするようになってもおかしくない。
ネットワークにつながった機器がいつでも手元にあり、
それらの機器はあなたのために動作するように機能が実装されている。
今後の十年間、私はさまざまなシステムが他のシステムと
相互につながっていく時代がやってくることを予想する。」
(ヴィント・サーフ)

2011年の地デジ化を前に区域外再送信

煤けたフロアには煙草の煙が充満し、怒声が当たり前のように飛び交い、
殺伐としてひどい職場だったけれども、しかしみんな新聞を愛し、
自分の書く記事に絶大な自信を持っていた。
考えていることはスクープをとれたかどうか、人を唸らせる良い原稿を
書けたかどうかというただそれだけだった。
まさか自分のいるこの職場が、いずれは崩壊していくだろうなんて、
一度も考えたことさえなかった。殺伐として本当にひどい場所だったけれども、
でも自分のいま立っているこの場所は、世界の中心だと
信じることができたのである。
その場にうずまいていた嫉妬と憎しみと競争心は目眩がするほどだったけれども、
しかし今振り返ってみれば、それは幸せな時代だったのかもしれない。

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本『闘うプログラマー』

闘うプログラマー[新装版] ビル・ゲイツの野望を担った男達
『闘うプログラマー 新装版
ビル・ゲイツの野望を担った男達』

著 G・パスカル・ザカリー
日経BP社

WindowsNTの開発を追ったノンフィクション。
『カッコウはコンピュータに卵を産む』と同様、
PC関連の名著として有名らしく、新装版として復刊。

物語の中心となるのはデビッド・カトラー。
1988年10月、DECからマイクロソフトに引き抜かれ
開発のリーダーとなる。

本書では開発に携わった多くのプログラマーにインタビュー。
彼らの容貌、どんな青年期を送ったか、どこでコンピューターに出会ったか
に始まり、それぞれの“闘い”を詳細に描いている。
あまりに多くの人が出てくるので、ひとりひとり区別ができないのだが、
大勢の人がNTの開発によって私生活までめちゃくちゃにされていく。

当初、1991年3月にゴールドマスター完成予定だったNTは、
マイクロソフトがOS/2を捨て、Windowsへ路線を変更。
そのため、NTは、新しいファイルシステムNTFS、
グラフィックインターフェース、WindowsやDOSとの互換性など
多くの課題を乗り越えなくてはいけなくなる。
カトラーは、1991年10月のコード完成予定をあきらめ、1992年4月に延期。
1991年10月のコムデクスでまだ未完成のNTを披露。
1992年10月に最初のベータ版をリリース。
「あまりにも大きく、あまりにも遅い」とビル・ゲイツに言われたNTの
スピードとサイズの改善が続き、
1993年5月のリリース予定はさらに延期され、
1993年7月にリリースされる。

この間、多くのマイクロソフト社員は仕事に追われ、
家族や恋人との関係を悪化させていく。
給料は安かったものの、マイクロソフト株は上昇を続け、
ストック・オプションにより、富を手にする社員も増える、
だけど、家には帰れない。

「「カネを使うのは、気分をすっきりさせるためだ」と言う。しばらくすると、
また新しい車がほしくなった。ポルシェよりも高いスポーツカー、ロータス・エスプリだ。
自宅にはテニス・コートをつくったが、ここでテニスをする時間がとれないと嘆いていた。
成功をおさめている別のプログラマーは、ワシントン湖畔の豪華な家にひとりで
住んでいるが、始終オフィスで寝ていて、自分は「ホームレスだ」と言っていた。」

プログラマーだけでなく、ビルド・ラボやテスターたち
裏方の苦労や、まだ少ない女性社員の話もおもしろい。
(女性プログラマーたちは掲示板を立ち上げ、
ヌードのビットマップ画像の表示に反対した。)

この本を読む限り、マイクロソフトで働きたくない、と思う。
カトラーに罵倒され、バグに苦しみ、
お金はあるのに、家族とは会話もできない、
リリース予定は延期されるばかりで終わりも見えない。
それでも、すばらしいコードによって問題を解決するなど、
プログラマーならではの喜びもよく描かれている。
最後のバグをめぐってリリース直前まで奮闘する様子は
まるでサスペンス映画。
「終わったよ」と家族に電話を入れるテスターの姿に
こちらまで達成感を感じてためいきが出た。


◆読書メモ

「自分たちがつくったドッグフードを食べる」、つまり、
「自分たちがつくったプログラムをつかう」

プログラマーを名乗る人はほとんどなく、名乗るような人は変人だとみられていた。
オランダを代表する元物理学者のプログラマーが、婚姻届の職業欄に、
プログラマーと書いた。そのような職業はないという理由で、
受け付けを拒否され、落胆したという。

「コンピューター・ゲームは新人の気概を試したり、
ベテランのハッカー同士が遊んだりするためのものだ。一般の人に
遊んでもらうために書かれたわけではない」と、ある評論家が評している。

マイクロソフトは、十分な研修をしないことで有名だ。
「泳げないヤツは沈めばいい」というのが、新人のルールだった。

インターフェースに魅力を感じるプログラマーの多くがそうであるように、
プログラミングは神秘的な活動だとみている。プログラミングにはたしかに
論理が必要だが、論理は表面の薄皮にすぎず、その奥には不可思議な力がある。
「魔法の言葉を、この小さな箱にむかって唱える。
呪文が正しければ、自分の力を実感できる」

どんなにいそがしくはたらいていても、ビルドの仕事では、
ひたすら待つしかない時間ができる。退屈しのぎに、みんなでテスト用マシンに
テレビの連続ドラマ、『ツイン・ピークス』の登場人物の名前をつけてみたり、
NT開発物語が映画化されるときに、主演をだれにすべきかを話題にしたりした。
カトラー役はジャック・ニコルソンで決まりだということになった。

「コンピューターは情け容赦のない批評家だ」と、コンピューター科学の
草分けのひとり、ジョセフ・ワイゼンバウムは語っている。設計者を評価するのは
仲間の設計者だが、プログラマーを評価するのは最終的には、機械なのだ。

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本『ピクサー流マネジメント術』

ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたか
『ピクサー流マネジメント術
天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたか』

著 エド・キャットマル
ランダムハウス講談社

最近の『レミーのおいしいレストラン』といい、『ウォーリー』といい、
ピクサーの作品はどれもこれも大ヒットを記録している。
すべてのピクサー作品が大好き、というわけではないが、
どの作品もストーリー的にも技術的にも相当レベルが高く、
CGアニメが流行っているアメリカにおいても、他社の追随を許さない。

なぜ、ピクサーはこれほどまでにレベルが高いのか、
その答えの一端が本書に書かれている。
第1部が、ピクサーの創業者であり、社長のエド・キャットマルによる論文、
第2部が、本書の訳者であり、映画ライター小西未来による
ピクサー映画作りの取材レポート、という構成になっている。

エド・キャットマルは言う、
「優れた人材はどんなに素晴らしいアイデアにも勝る」と。
その例として出てくるのが『トイ・ストーリー2』。
最初のコンセプトには全く問題なかったが、担当したチームは
いつまでもストーリーの核心となる部分を完成することができず、
『バグズ・ライフ』が終わったばかりの、ジョン・ラセター、
アンドリュー・スタントン、リー・アンクリッチ、ジョー・ランフトの4名が
作業を引き継ぎ、この問題を解決した。
「アイデアそのものよりも、それを具体的な“カタチ”に仕上げることのできる
“人材”のほうがずっと重要である」
「凡庸なチームに良いアイデアを提供しても、台無しにされてしまいます。
一方、優秀なチームであれば、凡庸なアイデアを提供された場合であっても、
彼らはそのアイデアを改善するか、あるいは凡庸なアイデアを捨てて、
素晴らしいアイデアを思いつくことができるのです。」
「もう一つ重要な教訓は、ピクサーが手がける作品の基準は一つであり、
それは「常に卓越した作品」でなければならない、ということです。
凡庸な作品であれば、作る必要はありません。」

監督やプロデューサーが助言が必要なときは、どうすれば
作品を改善できるか、ブレーン集団(ジョン・ラセター、
アンドリュー・スタントン、ブラッド・バード、ピート・ドクター、
ボブ・ピーターセン、ブレンダ・チャップマン、リー・アンクリッチ、
ゲイリー・ライドストローム、ブラッド・ルイス)を招集し、
2時間に及ぶディスカッションを行なう、という。

「これはあくまで公平な意見交換の場であり、エゴのぶつかり合いも
不要な遠慮もありません。この会議が機能しているのは、
参加者全員がお互いの尊敬と信頼を勝ち得ているからです。
ピクサーの映画監督は、手遅れの段階になってから観客に問題を
指摘されるよりも、修正を加えるための時間的余裕があるうちに、
同僚から問題を指摘されたほうがずっといいと信じています。
意見交換を終えたあと、寄せられた助言をどうするかは
その作品の監督と各部署のリーダーに任されています。
形式的なアドバイスはありませんし、
ブレーン集団は権限を持っていません。」

当初はテクニカル部門の頭脳顧問集団に、
権限を与えてしまっていて、うまく機能しなかった。
「そこで、私は「この会議はあくまでも同僚同士が意見交換を
するためだけの場です」と念を押しました。すると、とたんに
会議に活力が生まれ、効率が劇的に向上したのです。」
「情熱的に意見をぶつけ合うのは、より良い物語にするためであって、
自我を満足させるためではない、とお互いが理解しています。」

また、「同僚と対等に共同作業を行う」ために、
毎日ラッシュ上映会を行い、参加者全員が積極的に意見を述べている。
「ラッシュ上映会において一人のアニメーターが
自分の担当する箇所の進行状況を逐一披露し、
参加者から承認されたときが、そのまま作業の終わりを意味します」

「素晴らしい作品を生み出す鍵は、
優秀な共同体を構築することにこそある」
とキャットマルは言うが、まさに言うは易し、行うは難しである。

たとえば、ピクサー流労働倫理三ヵ条
・社員全員が、誰とでも意志伝達する権利を持つ。
・どんなアイデアでも、常に歓迎されなくてはいけない。
・学術機関で起きている技術革新に常に敏感でいなければならない。
を実現するために、
「脚本の執筆法や絵画、彫刻からピラティス、ヨガまで
新しい技術を習得したり、自らの技術を他の社員に
教授するための場」として、ピクサー大学が設けられており、
受講料は無料で、受講のために仕事を休むことも許される。
「実際、勉強は仲間と一緒にやったほうが楽しいものなのです。」

また、ピクサーの社屋は、
「お互いが知らず知らずのうちに接触する機会を
最大限に生み出すように作られています。
吹き抜けの巨大なホールが中心にあり、カフェテリアや会議室、
トイレ、郵便ボックスなどがあります。必要な設備が中心部に揃っているため、
社員は一日の仕事の合間に、何度となくホールに行かなくては
いけなくなるというわけです。偶然の出会いがいったいどれほどの
価値を生み出すのか、とても言葉では言い尽くせないほどです。」

話を聞く限りはめちゃくちゃうらやましい。
もとが短い論文なので、さらっと述べられていて、
いや、実際にはそんな簡単にいかないでしょうとか、
綺麗ごとなんじゃないの?とか思ったりもしますが、
クリエイティブなものを生み出す最高の環境を、
どうやったら構築できるのか、ヒントとなることも多いはず。

全体としてはとてもいい本で、ピクサーファンやクリエイターのみならず、
優秀な共同体をつくりたいと考える経営者は読んでくれと思うが、
第1部の論文下にある解説がまったく意味をなしていないところは残念。

◆読書メモ

技術が芸術を刺激し、
芸術が技術に挑む

監督志望者は、ジョン・ラセターらを前に、自分のアイデアをプレゼンする。
ここでゴーサインがでると、ストーリー部門、美術部門、
テクニカル部門などから一人ずつ選抜し、小さなチームを結成、
具体的な映画案へと仕上げていく。
ストーリー部門は、初期の段階で絵コンテを作り、絵コンテがある程度
まとまるとビデオで撮影し、仮音楽と台詞をつける。
これが“ストーリー・リール”で、何度も練り直す。
「ここで使用されるのは、基本的には紙とエンピツ」だけ。
「紙とエンピツだけで感動的な物語を生み出すことができれば、
ひどい作品になることはまずない。」

ピクサーでは一貫して実写映画のスタイルの遵守にこだわっている。
観客が慣れていないカメラワークを採用すると、
ストーリーに集中できなくなるためだ。
『ウォーリー』では、よりリアルな映像表現を行うために、
ベテラン監督のロジャー・ディーキンスを特別講師に招聘したほどだ。

ピクサーは創設当初からストーリーテーリングにおける
サウンドの重要性を認識していた。『ルクソーJr.』や『ティン・トイ』
『ニックナック』といった初期の短編映画のサウンド・デザインを
『ターミネーター2』や『ジュラシック・パーク』『タイタニック』などで
計7つのアカデミー賞を受賞したゲイリー・ランドストロームに依頼している。

驚いたことに、ゲイリー・ランドストロームはいまやピクサーの
映画監督でもある。短編映画『リフテッド』(2006)を手がけたのち、
2012年公開予定の『Newt』の監督を担当する。

映画は1秒につき24フレームで構成されているのだが、
巨大サーバー群“レンダー・ファーム”は1フレームずつ処理していく。
1フレームを生成するための所要時間は平均6時間で、
その処理速度は『トイ・ストーリー』のときから変わっていない。
レンダリングにかかる時間は格段に短縮されているものの、
そのぶん1フレームに詰め込む情報量が増大したために、
どうしても時間がかかってしまうのだ。
これまでのピクサー作品でレンダリングにもっとも時間を要したのは、
『カーズ』のなかのシークエンス(ライトニング・マックィーンを載せた
トラックが夜の高速道路を走る俯瞰ショット)で、
なんと1フレームの処理に百時間を超えたという。

「どの会社でも、効率性が求められるよね。でも、映画作りは
普通の商品開発なんかとは違う。効率的に映画を作る方法なんて
存在しないし、効率性を追求した結果、ひどい作品になってしまったら、
ピクサーの存在価値そのものがなくなってしまう。
ピクサーでもあらゆる作業に締め切りを設けているが、
最高のアイデアを短期間でひねりださせるための仕掛けであって、
あとで優れたアイデアが生まれた場合は、締め切り後でも
差し替えられることになる。ピクサーにおいては
『たしかに素晴らしいアイデアだが、時間がないから諦めて欲しい』
という台詞を言うことは許されないんだ。」(ブラッド・ルイス)

ナイン・オールドメン
ウォルト・ディズニーが特に信頼を置いていた9人のアニメーターの総称
ウォルフガング・ライザーマン、レス・クラーク、ウォード・キンボール、
ジョン・ラウンズベリー、ミルト・カール、マーク・デイヴィス、
フランク・トーマス、エリック・ラーソン、オリー・ジョンストン

ピクサー社屋は、レンガ作りの巨大な建造物で、
最新鋭のデジタル工房というより、一昔前の紡績工場を彷彿とさせる。
創始者のスティーブ・ジョブズは、歴史のある倉庫を買い取って
スタジオに改装する構想を持っていたが、適当な物件が見つからなかったため、
あえて古い工場のような建物を新設したのだという。

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本『グーグルに依存し、アマゾンを真似るバカ企業』

グーグルに依存し、アマゾンを真似るバカ企業 (幻冬舎新書)
『グーグルに依存し、アマゾンを真似るバカ企業』
著 夏野剛
幻冬舎新書

刺激的なタイトルだが、内容は正直なところたいしておもしろくなかった。
夏野さんといえば、ドコモのiモードを立ち上げた人であるが、
たぶん、頭の固い大企業では、いろんなことを思うようにできなかったの
ではないか。本書には、そんなネットを理解しない経営者に対する
恨み節があふれているように思われる。

『「ビジネスにインターネットを使えば何もかもが成功する」と考えるのは
大きな間違いだ。』というのはその通りなのだが、
本書に書かれている、日本のウェブビジネスが儲からない理由とか、
ウェブビジネスを成功させる鉄則といったものは、
私程度でも思いつくものであり、逆にいえば、それを繰り返し
言わないとわからないほど、日本の企業とは頭が固いものらしい。

本書が本当に言いたかったことはおそらくコレ。
「残念ながら日本の企業においては、その経営層が一番、
インターネットリテラシーが低い。もっというなら50代以上の経営者。
申し訳ないが、わからないなら早く下の人に任せてくれ、と私は言いたい。
それが、会社に対する最大の英断であり、貢献になるのだから。」
たしか、夏野さんはブログでも同じようなことを書いていた。
(というか、それの書籍化なのか。)
まあ、コレに関しては、私もまったく同感です。

◆読書メモ

チケット流通センター


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本『どうする!依存大国ニッポン』

どうする!依存大国ニッポン (ディスカヴァー携書)
『どうする!依存大国ニッポン』
著 森川友義
ディスカヴァー携書

『若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万も損してる!?』の姉妹編
ということだが、順番としては、『若者は』を最初に読んで、
本書を次に読んだほうが理解しやすい。

『若者は』で若者は政治リテラシーを高めて、選挙に行かないと損するよと説き、
本書では、実際に今の日本が抱える問題点を
日本経済、防衛、財政赤字、食糧依存、エネルギー依存、少子化
の6つにしぼって解説している。

『若者は』は政治入門として良い本だと思うが、
「わかりやすいからといって、言ってることが正しいとは限らない」と
感じたが、本書ではさらにそれを強く感じた。
ひとつひとつの解説はわかりやすいし、
問題点として上がっているものにも依存はない。
解決策についても、良い点、悪い点を客観的に述べているのだが、
その語り口のやわらかさに「ふん、ふん、なるほど」と思いながら
読みつつ、「本当にそうかなー」と疑問点をもつところもいくつか。
たとえば、憲法とか、原子力エネルギーとか、常任理事国とか、
農業の保護政策とか、そのまま納得できない。
まあ、著者もいうように、簡単には答えのでない問題ばかりなので、
その問題点をまとめてざっくり理解できるという点では良い本だと思う。
それぞれの答えはここから自分で考えなければいけない。

最終章で、解決策のひとつとして、若者による
インターネットを通じた政治活動を提案しているところがおもしろい。

◆読書メモ

自給率トップは北海道の200%、
次いで秋田(164%)、山形(127%)、青森(115%)、岩手(103%)、
の東北4県がわが国の食料供給地になっています。
最低は東京の1%。続いて大阪の2%、神奈川の3%。
北海道・東北の食料を大都市が消費しているのです。

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本『若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!?』

若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!? (ディスカヴァー携書)
『若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!?』
著 森川友義
ディスカヴァー携書

サブタイトルは「35歳くらいまでの政治リテラシー養成講座」。
わかりやすい言葉で、鉛筆を転がして投票者を決めてでも、
選挙に行って1票を投じないと、若者たちは損したままだ、
日本は変わらないと教えてくれる。

著者は政治学博士だそうで、軽い文章を読んでるうちに
有権者、国会議員、特別利益団体、官僚組織
によって動いている日本の政治の仕組みが見えてくる。
特に、国会議員の力は弱く、特別利益団体と官僚組織が
政治を動かしており、一番主役であるはずの有権者は蚊帳の外、
という現状をはっきり批判し、政治リテラシーが低いまま、
選挙に行かないということの意味を説いている。

売れている本だけあって、おもしろい。
といっても、民主党に投票すれば日本が変わるのかとか、
必ずしも悪ではない特別利益団体をどうとらえたらいいのかとか、
わかりやすいからといって、言ってることを鵜呑みにしていいのかとか、
まだまだわからないことはありますが、政治入門書としては良書。
同時発売のもう1冊も読んでみるつもり。


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本『仕事するのにオフィスはいらない』

仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)
『仕事するのにオフィスはいらない』
著 佐々木俊尚
光文社新書

カフェを渡り歩きながら仕事をするプログラマーや
オフィスをもたず、土曜日だけみんなで集まる会社など、
新しいワーキングスタイルを紹介。

ノマド(遊牧民)ワーキングとは、たんに「オフィスをもたない」とか
「カフェで仕事をする」ということではない。
会社にしばられず、対等な立場で仕事をする、
フリーランスという働き方で、不況の今こそ、
自分自身で人生を切り拓くべきだと著者はすすめる。

実際にフリーのジャーナリストである著者が
(といっても佐々木さんはかなり成功者側な気もするが)
集中力、時間、情報をどうやってコントロールするか、
活用すべきクラウドサービスの使い方を解説している。

クラウドサービスにそれほど目新しいものはないが、
具体的な使い方や考え方がとても参考になる。

先週、風邪が直らないまま、家と仕事場を瞬間移動したい
と思いながら、会社に通っていて、
9割ぐらいの仕事は家でもできるよなーと思っていた私としては
ノマドワークスタイルにあこがれる。
インターネットがここまで発達した今、
会社でなければできない作業はほとんどなくて、
最大のネックとなるのは、コミュニケーション。
うち会社の場合、職場でのたんなるおしゃべりや、
同僚たちの流行り廃りがそのまま仕事に関係してくる。
また、あーでもない、こーでもないという打ち合わせから
生まれてくるものも大きい。
「オフィスがある」ことの一番の意義はそれではないかと思う。
しかし、この本で紹介されている会社の例では、
スカイプで連絡を取り合うことで、それすらうまく機能しているようだ。


◆読書メモ

『エコノミスト』2007年4月10日号「ついにやってきたノマド時代」

メディアマーカー

「いつでも会社を辞めてやるよ」と思っていて、
でも会社から「辞めないでほしい」と考えられているような会社員
そんな会社員であるべきだと、新野さんはずっと考えてきたのです。
とはいえ、そうなるためには自分自身の能力を磨かなければなりません。
いつフリーになっても大丈夫という裏付けがなければ、
社員と組織の関係は対等にはなっていきません。

おそらくこれから先の時代には、会社などという古くさいシステムは
姿を消して、もっと違うかたちで人と人がつながり、
コラボレーションして仕事をするような社会が現われてきているでしょう。

それでも人生の時間は限られていて、すべての書籍を読んで
すべてのものごとに精通し、世界のすべての観光地を自分の目で見て、
すべてを学ぶことは不可能なんだと、多くの人が悟るようになります。
そして時間こそが唯一の希少価値のあるものだと人々を気づくようになります。
時間は作り出すことができないし、人からもらったり、
あるいは自分の余った時間を人に販売することもできません。
余った時間を将来のために貯金しておくこともできません。
時間は本当にわずかしかなく、金よりもダイヤよりも貴重なものなのです。

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本『ゴシックハート』

ゴシックハート
『ゴシックハート』
著 高原英理
講談社

“ゴシック”の精神について、ゴシック建築からゴシック・ロマンス、
現代のゴスロリまで広く論じた本。
語られるテーマは、人外、怪奇と恐怖、様式美、残酷、身体、
猟奇、異形、両性具有、人形、廃墟と終末、幻想と幅広く、
例として出てくる文学、絵画、コミックも、
『フランケンシュタイン』、『アッシャー家の崩壊』、
三島由紀夫、澁澤龍彦、サド、江戸川乱歩、稲垣足穂、
『芋虫』、『のろいの館』、ハンス・ベルメール、
『攻殻機動隊』、『ヘルター・スケルター』、『デビルマン』、
『エヴァンゲリオン』となかなか魅力的なラインナップだ。

以下の文章などは『エヴァンゲリオン』について
今まで読んだものの中で一番納得できた。
「これは、ごく普通の、信念に乏しく勇ましくもない現代日本の少年が、
君にすべての決定を委ねると言われてただ困惑し、
結局は愛ですらない性的な衝動でしか世界を測れなかった、
という情けない実態を露呈させた物語と言ってもよい。」

また、廃墟に関する次の文章にも共感する。
「洋の東西こそ違え、古城の壁に穿たれた狭い窓を仰ぎ見るときに
訪れる何かが語られる。
幾多の手懸りをもとに足穂が伝えようとする最も肝要なものは
「さながら野外テーブルのおもてを掠めた小鳥の影のように、
われわれの脳裡に閃く何いうともない気懸り」
としか言えない何かなのだ。
それはフリードリヒにもあり、『ヴェルーシュカ』にもグラックにもあった。
ばかりか街でふと見つけた工場跡や壊れゆく無人の住居にもあるものだった。
現在の静かな物思いの根拠として、同時に非在の彼方を偲ばせるよすがとして、
あらゆる廃墟にその気懸りはあり、それをこそ私は「懐かしい」と言う。」

私自身、ゴシック建築や廃墟には強く惹かれるものの、
猟奇や残酷、両性具有となるとちょっと引く。
『エヴァ』におけるグノーシス主義の話も、話が難しいというよりは、
こういう哲学的語りにありがちな文体が難しくてよくわからなかった。

ただ、ゴシックな精神というものが、たんなる趣味嗜好、
好悪にとどまるものではなく、現実からの逃避というか、飛翔、
それがなくては生きられない、幻想の世界なのだということは理解できた。
そう思って見ると、ゴスロリ少女たちのギリギリのラインで生きている
という感じもわからないでもない気がしてくる。


◆読書メモ

ゴシックのスタイルは本質的に過去の遺産の変奏と言ってよい。
ただしその過去は実のところ一度もあったことのない架空の過去だ。
ゴシックは十八世紀ヨーロッパの合理主義に反発し
敢えて非合理的な中世に憧れる意識の書き残した物語を起源としており、
そこに語られる中世の世界とは、古い建築の印象から形成された、
歴史的事実によらない幻想だからである。

あまり意識されていないかも知れないが、
ゴシック・ロマンスには作者が十代から二十代の頃に書かれたものが多い。
『ヴァセック』はベックフォード26歳のとき、『ウィーランド』はブラウン27歳、
『吸血鬼』はポリドリ24歳、『マンク』はルイス21歳、
『フランケンシュタイン』はシェリー21歳のとき刊行された。
ただしベックフォードは22歳で『ヴァセック』を書いたことがわかっており、
『マンク』脱稿のさいルイスは19歳、また『フランケンシュタイン』の
執筆開始はシェリー18歳のおりとされる。
どちらかと言えばこれらは当時の若者の文学だったのだ。
しかも「良識」からは憎まれるセンセーショナルな内容を持つ。

古くはプラトーンの『饗宴』に出てくるエピソードも有名だろう。
かつて人間には男性・女性・両性、という三種類があり、
みな丸い体にそれぞれ四本の手と四本の足を持ち、
また同じ顔を二つ、性器も二つ持っていた。
ところが人間たちはその不遜さから神々に挑戦しようとしたため、
ゼウスによって体を真っ二つにされ、以後、人はその半身を恋うようになった、
という話である。当時のギリシアらしく、かつて球体の身体のとき
両性具有だった者は分割された後に男性・女性の結合を、
男性だった者は男性同士、女性だった者は女性同士の結合を求めるのだ、
として、異性愛とともに同性愛もまた当然の帰結と語り、
こういう話になると現在なら必ず加えられる「だから男は女を、
女は男を求めるのが当然だ」という異性愛絶対主義の結論を予め否定している。

ハンス・ベルメールは1902年、技師の息子として
シレジアのドイツ領カトヴィッツに生まれた。
技師としての職業訓練を受けた後、絵画・イラストレーションを描き、
商業広告デザイナーとなるが、1933年、ナチズムへの抵抗として
一切の「有用な労働」を放棄し、弟とともに、家にあった工具を用いて
少女の人形の制作を始める。このとき作られた人形はその腹の中に
覗きパノラマが仕込まれ、臍の穴から覗き、左胸のボタンを押すと
機械仕掛けで場面が変わるようになっていたという。

グノーシス主義
この世界は支配欲にとらわれるばかりの
愚かな造物主(デーミウールゴス)の創造した誤ったものであり、
その過ちを知ることのできる者たちにとっては権力の牢獄である、
とする思想と考えればよいだろう。
世界の外から来る叡智を得ることによって世界全体の規範が
不正であることを知り、そこからの脱出を図ろうとする反逆的な思想である。

人間はその霊を研ぎ澄ませばプレーローマ(現世界の外にある真の世界)から
流出してくる輝きに反応できるが、デーミウールゴスにはできない、
という結果となる。人間は造物主より優れた可能性を持つという意味だ。
そして自己の内にある微かな光の自覚によってプレーローマとのつながりを
回復した人間はこの世界を離れて飛翔し、真の世界へ帰還することができる、
というのがグノーシス神話の結論である。
これに対しデーミウールゴスは、自己の創造した世界から
人間たちを逃がさないよう、人間に肉体的死を与えて
地上の生存への執着をいだかせ、真の世界を忘却させた。
さらにアルコーンと呼ばれる邪悪な下位支配者を従え、
星と地上の運命を操作させ、そればかりか、人間の肉体にも罠を設けた。
特に著しい罠は性欲である。人間はその霊の本来の属性が
両性具有であったことを忘れ、一方の性だけしか自己に自覚せず、
そのため、もう一方の性への欲望によって地上を離れることができなくなった。

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本『リカちゃん 生まれます』

リカちゃん 生まれます
『リカちゃん 生まれます』
著 小島康宏
集英社

初代リカちゃんの開発担当者によるリカちゃん誕生物語。
驚くのはリカちゃん発売前のタカラが、
『だっこちゃん』(1960年)の大ヒットはあったものの、
浮き輪やビーチボールなど、空気入りビニール玩具の会社で、
人形とはまったく無縁だったということ。
そして、さらに驚くのは、最初の企画では、
人形ではなく、人形ケースの製作を考えていたということ。

アメリカでは着せ替え人形のキャリングケースが売れていることに
当時の佐藤社長が目をつけ、人形ケースの製作を思いつくわけだが、
「ドーリムハウス」という企画名からもわかるように
最初の段階から「キャリングケース」というより
「持ち運びが可能なドールハウス」をめざしているところがおもしろい。

そして、ドールハウスを試作してみた結果、
「バービーやタミーのドールハウスでは、日本の女の子には大きすぎる。
小さいサイズの人形を作り、それにぴったりのハウスを付けて
“家付き人形”として一緒に売り出そう。」ということになる。

当時発売されていた、バービー、タミー、スカーレットちゃんなど
洋風の人形に対し、開発者たちがモデルにしたのが“少女まんが”の世界。
牧美也子、わたなべまさこ、水野英子など、
少女まんがのヒロインの切り抜きを何枚もかかえて、
原型師に会いに行ったというエピソードがすごい。
(そして、設計図もなく、原型師さんが作成した顔が
そのまま初代リカになるというところが、またすごい。)

で、もうひとつ、びっくりエピソードが、
著者がこの原型を落として形を変えてしまっているということ。
「結局、出来上がった人形の顔は、向かって左の小鼻がへこみ、
鼻筋が右にすこし押しつぶされたものでした。
初代「リカちゃん」の多くはこれで通してしまいましたから、
じっくり見ればみなさんにも分かるでしょう。」
えーっ、それでいいんですか?

「顔かたちを真似た薄っぺらなものではなく、少女文化そのものとしての
“少女まんが”の世界を、新しい人形の中に詰め込みたかったのです。
わたしたちは少女まんがのヒロインのようなルックスだけでなく、
その内面も少女まんがのエッセンスで満たしていきたかったのです。」

「「女の子のドリームハウスってなんだろう」
大人が好むようなモダンな洋風とは違って、
女の子たちは宮殿とかお城とか、メルヘン調が好きなようだ。
<ふわふわのソファーとテーブル>、<身繕いをするドレッサーの鏡>、
<ひらひらのレースのカーテン>、この三つ、
“女の子の三種の神器”は外せない。」

上の部分を読んで、私の記憶にあるリカちゃんハウスが
白い家具や大きな窓だったり、
現実というより夢の世界だった理由が納得できたのでした。

カラーで掲載されている当時のブックレットも笑えます。
新発売時のブックレットの文章がコレ。
「リカちゃんのすべて
お父さん フランス人
お母さん 日本人
リカちゃん とてもやさしい
好きなこと 絵がじょうず
べんきょう あまりできない
悩み フランスにわたった父がわからない」
これが「リカちゃんのすべて」!
少女マンガをモデルにしてるからって、悩みが重すぎるー。

また、リカちゃんの好きな本が『小公女』、
いづみちゃんが『若草物語』はいいとして、
ママが『アンナ カレーニナ』(不倫の話だよ!)、
ワタルくんが『カラマーゾフの兄弟』、ごろちゃんが『巨人の星』
ってどうなのよ。

当時のドレスには「人魚姫」だの「軽井沢」だの、
ステキな名前がつけられてるんですが、
大人がメモを片手にオモチャ売り場で
「桜色の○○というドレスを着たリカちゃんを」と店員に聞いて、
買って行ったという話を読んで、
たしかにドレスにも名前が必要だと思ったり。

そのドレスの説明も、いづみちゃんのドレス(太陽)は、
「まっかな太陽のワンピース。白い雲のレースとおにごっこ。」
なのに、ワタルくんのドレス(ドライブ)は、
「ザックリしたシャツ、いかすわ!! スポーツカーにのって時速100キロ。」
という感じ。

「コメントは、わたしと富田くんで考えたほか、
ドレスの審査会をした時に聞いた、女の子たちの感想を書き留めて
使うこともありました。文章が足りなかったりすると、
たいてい「ウフフ」で誤魔化しちゃう。」
って、「ウフフ」ってそういう意味だったんですかー。

そのほか、「もしもし、リカちゃんいますか?」という電話を受けた女性が
気転を利かせて「こんにちは、わたしリカよ」と答えたことが
後の『りかちゃん電話』になり、
一時期は女子高生アルバイトを10人ほど雇って、
専用電話に対応させていたとか、
「六本木、リカちゃん」と書けばファンレターが届いたとか、
当時の女の子たちの熱意と、それに答えようとする側もすばらしい。

「わたしは、リカちゃんが初めて出会った子どもたちが、
'67年に10歳、11歳、12歳の女の子であったことは
とても幸運だったと思っています。
今思うと、あの時代のあの子たちでないと成立しない
“熱”が確かにあったのです。」

この本によると、最初の企画から発売まで7ヵ月ほど。
原型師、彩色のプロにめぐまれ、
ほぼ最初の試作のまま、初代リカが誕生している。
企画どおり「リカちゃんハウス」も年末には売れ、
その後のグループサウンズなどファッションの流れにものり、
わりとトントン拍子にリカちゃんは大ヒットする。
もちろん、本に書かれていない苦労も存在するんだろうが、
なんだか「リカちゃん」なんだから、「幸運だった」でもいい気がする。

著者は、その後、リカちゃんの人気が低年齢化するにともない、
当初の10歳当たりをターゲットにレディリカを開発。
2代目のリカの途中で現場を離れ、1994年にタカラを退社した後も、
「リカちゃんチーム」の顧問を務めているという。
(そして、長女を「里香」と名付けている。
次女も「いずみ」とつければよかったかもしれないが、
「そこまでやったら、もうまんがの世界になってしまいます。」
とコメントしている。)

さらっと書かれているので、もっと詳細が知りたいところではあるが、
著者のリカちゃんに対する愛がちゃんと感じられる本である。

◆読書メモ

香山リカ
香山は、加山雄三さんの“カヤマ”の響きと、
女優の香山美子さんの“香山”を両方いただいています。

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本『デジタルネイティブが世界を変える』

デジタルネイティブが世界を変える
『デジタルネイティブが世界を変える』
著 ドン・タプスコット
翔泳社

ネット世代について、インタビューや調査データをもとに分析。
よく言われているような暗黒面(ネット世代は頭が悪い、
社会的スキルがない、両親に甘やかされている、暴力的で
ナルシスティックで、周りに関心を示さない)を否定し、
ネット世代は未来を新しく変えていくと論じる。

ここでいうネット世代とは1977年~1997年生まれ、
ベビーブーム世代(1946年~1964年)を親に持ち、
ジェネレーションX(1965年~1976年)が上の世代となる。

著者によるとネット世代の8つの行動基準は次のとおり。
・選択の自由、表現の自由など、自由を好む。
・カスタマイズ、パーソナライズを好む。
・情報の調査に長けている。
・企業の誠実性とオープン性を求める。
・職場、学校、社会生活において、娯楽を求める。
・コラボレーションとリレーションの世代である。
・スピードを求めている。
・つねに新しい製品、新しい方法を求めるイノベーターである。

で、それぞれについて、考察がなされていくわけだが、
アメリカの翻訳本にありがちに、長くて、同じ結論が何度も出てくる。
また、著者がネット世代の良い具体例として自分の子供のエピソードを
何度も出しているが、説得力に欠けるなーとも思う。
ただ、デジタルネイティブな世代が仕事に対しても、
社会との関わり方にしても、上の世代とは違う考え方をしてる
というのは多くの人が感じていることだと思う。

著者は、検索すればすぐわかるような年号を頭に詰め込む
現在の教育方法はネット世代には意味がなく、改革が必要だという。
また、9時~5時までという働き方もネット世代は好まない。
会社に縛られる必要性がないのに、時間や場所を限定しても、
ネット世代の効率が落ちるだけで、仕事中にフェイスブックを見ることも
一服するよりはずっとマシな息抜きなのだから認めるべきだという。

一方で、ネット上の言葉に傷ついて、自殺してしまった少女の例や、
16歳の少女を暴行し、その様子をYouTubeに投稿したティーンエイジャーの
例など、ネットにおけるいじめについて、
また、プライベートな写真を自ら流出させていることについてなど、
まだ解決していない問題点があることも指摘されている。

アメリカの場合、ネット世代の人口が多いので、
彼らの考え方が社会を変えていく力になる可能性は十分にある。
さて、日本は?

◆読書メモ

「(テクノロジーは)発明される前に生まれた人にとってのみ
テクノロジーとして意識される」(アラン・ケイ)
「これが、ピアノがテクノロジーで音楽を破壊したか否かを
我々が議論しない理由だ」(セイモア・パパート教授)

「子供たちにとっては、テクノロジーは鉛筆のような存在だ。
両親は、書き取りについて語ることはあっても、
鉛筆について語ることはない。
子供たちもテクノロジーそのものについて語ることはない。
テクノロジーを使って、遊びについて語り、ウェブサイトを作り、
友だちにメッセージを送り、熱帯雨林などについて語ったりするだけだ」
(MIT認識論学イディット・ハレル教授)

「私が考えるプライバシーとは、完全に公開するか完全に隠すか
ということではなく、どの情報を誰とシェアするのかという制御権を
人々に提供することだ」(フェイスブック元最高戦略責任者マット・コーラー)

「未来に向けた最も有用な教育は学校で行なわれるのではなく、
学校から帰った後で行なわれる。
たとえば趣味のロボットのクラブやインターネット上のゲームなどでだ。
これらの課題はテストには出ない。
若者たちは本当に自分たちを興奮させてくれるものを求めるのだ」
(社会評論家マーク・プレンスキー)

ポジラ(Podzilla)
iPodの録音ソフト

「彼らにとって友だちの意見は映画評論家の意見より重要だ。
彼らにとって映画評論家は見知らぬ第三者に過ぎない」
ニューライン・シネマ、マーケティングチーフ、ラッセル・シュワルツ

UFOが発見された場所
ufomaps.com
オンライン万歩計
gmappedometer.com
「コルバート・レポート」の「グリーン・スクリーン・チャレンジ」

ネット世代は、モバイルのGPS機器を使って店舗の物理的場所を調べる。
オンラインで洋服を買い、気に入らなければ物理的店舗で返品することができる。
ウェブで時間をかけて商品を選び、欲しい商品のページを印刷して
店舗に持っていくこともできる。衣料品販売のGAPは一部の店舗で
顧客が注文することができるウェブラウンジを設置した。

ネット世代は、自分たちの両親を幸福と安全の源と見なしている。
私の息子アレックスが大学の最終学年の論文を書いた時は、
私たち家族とガールフレンドのために感謝に満ちた献辞のページを作っていた。
私が大学生だった時分には、そんなことを想像する者すらいなかっただろう。

双方の候補者(オバマとクリントン)のメッセージをフォローするように
登録することができたが、逆方向に支持者をフォローし返すようにしていたのは
オバマだけだった。ブロガーのジェイソン・オークは、
「小さなことかもしれないが、これは(オバマが)ソーシャルメディアを
理解しているという重要なサインだ。クリントンは基本的にツイッターを
ひとつの放送メディアとして使っている。オバマは人々と個人のレベルで
つながるためのツールとして使っている」と指摘している。

「僕たちの世代は眼の前のことにどっぷり浸かっているけれど
過去に関してはいまひとつよく知らない。
リアルタイムで起こる地球上の出来事に絶えずつながっていることが、
僕たちを尊大なひとりよがりにしている。
立ち上がって何かするよりも、出来事についてブログを書くことで
何らかの影響を残せると自分に言い聞かせている」
(マイク・カナート)

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本『差別と日本人』

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)
『差別と日本人』
著 辛淑玉、野中広務
角川oneテーマ21

元・官房長官、元・自民党幹事長であり、“部落”出身である野中氏と
“在日”である辛氏の対談を中心に、差別とは何か、いかに闘うかを問う。
対談といっても、辛氏の解説部分が多いので、
どちらかというと野中氏との対談をダシに、辛氏が自説を展開している感はある。
解説も一方的な視点からやや感情的に語られている感じは否めない。
それでも、“部落”、“在日”とどちらも重く、手を出しにくいテーマなので、
こういう差別意識が確かに存在しているのだという事実や
歴史的な事件を知るための入門としては読みやすい。

辛氏、野中氏は立場も思想もまったく違うので、
対談もかみ合ってなかったり、政治家として長くやってきただけに
野中氏が本音を言っていなかったりする場面も多々あるのだが、
最後の章で、お互い差別と闘ってきたものどうし、
「闘う上で家族を守りきれなかった」という苦悩を共有しているのは
興味深いところであり、辛いところでもある。

辛氏が言うように、場所があって差別が生まれるのではなく、
差別が先にあって、空間が形成されるのなら、
差別の循環はどうやったら断ち切れるのだろうか。

◆読書メモ

 小泉さんの性格がよく表れていたのが、北朝鮮に行った時、
向こうでお茶一杯飲まないで帰ってきたことだと思うんですね。
野中 お茶飲まない、食べない、それから泊まらない。
全部日本から持っていったものを食べていたようだ。
一切向こうから出されたものは食べないということで徹底しておった。
向こうは共産主義国とはいえ、もともと儒教の国ですよ。
そういう国に行って、おまえが出したものは一切食べんぞと、
こんな失礼な言い方があるかと。そこからこの訪朝は間違っている。


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本『カラー図解でわかる ブラックホール宇宙』

カラー図解でわかるブラックホール宇宙 なんでも底なしに吸い込むのは本当か? 死んだ天体というのは事実か? (サイエンス・アイ新書)

『カラー図解でわかる ブラックホール宇宙
なんでも底なしに吸い込むのは本当か? 死んだ天体というのは事実か?』

著 福江純
サイエンス・アイ新書

正直なところ難しくてよくわからなかった。
ただ、ブラックホールというのが、SFの産物ではなく、
天文学ではちゃんと認められた天体なんだなーということはわかった。
しかし、時空領域とか特異点とか重力崩壊とか、ほとんど哲学の世界。

最後の章は、著者のお遊びとして、
ブラックホールを使いこなせるようになった場合の利用法が考察されている。
ブラックホールくずかごとか、ブラックホール発電とか、
ブラックホール破砕砲とか、ほとんどジョークの世界だが、
昔は原子力だって机上の空論だったのが、
原子爆弾や原子力発電を生み出しているのだから、
いつまでも空想ということもないのかもしれない。

◆読書メモ

ブラックホールには毛がない。(ジョン・ホイーラー)

GPS衛星は21000kmの高度を高速で運動しているので、
特殊および一般相対論的な時間の遅れを受ける。
すなわち、GPS衛星に積んだ時計は、
高速で運動する際の特殊相対論的効果によって地上の時計より遅く進む。
また同時に、地上より重力場が弱いという一般相対論的効果によって、
地上の時計より早く進む。これらの両方の効果が相殺した結果、
GPS衛星の時計は地上の時計よりわずかに早く進む。
この時差が蓄積すると、あっという間に何百m何kmもの誤差になってしまう。
そこでその相対論的効果にともなう誤差を補正するために、
GPS衛星の時計は1秒につき0.445ナノ秒だけ、
すなわち1日につき38マイクロ秒だけ遅く進むように調整してあるのだ。

ブロックホールの表面積はかならず増加しないといけないので、
ブラックホールは合体できるが、決して分裂することはできないのだ。

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本『戦後民主主義と少女漫画』

戦後民主主義と少女漫画 (PHP新書 597)
『戦後民主主義と少女漫画』
著 飯沢耕太郎
PHP新書

写真評論家として知られている飯沢耕太郎による少女マンガ論。
“戦後民主主義”と“少女マンガ”、一見、まったく関係がないように思えるが、
大島弓子や萩尾望都が登場した70年代は、
もろに戦後民主主義の思想の時代であり、
彼女たちがその時代の中での苛立ちや違和感、
飯沢氏がいうところの“純粋少女性”を描いた結果が
70年代少女マンガの文学性や思想性を生み出したのだとすれば
むしろ納得がいく。
私は自分が1968年という時代に感じるノスタルジーや
あの時代に少女マンガが先鋭的なまでに文学化したのは
なぜだろうと思っていたのだけれど、この本はひとつの答えだった。

飯沢氏が高校生のとき、制服の廃止を論じた全学集会において、
迎合する教師に向かって苛立ちを表現した、ひとりの少年の中に
“絶対少女”を見たエピソードには、思わず泣きそうになった。

中心として論じられているのは大島弓子の『バナナブレッドのプティング』、
萩尾望都の『トーマの心臓』、岡崎京子の『ヘルタースケルター』。
岡崎京子はこの中で、関連がないように見えるが、
無条件で自分を肯定してくれる何かを求めていたのが
70年代の少女マンガなら、「それでいいんだよ」と
肯定できなくなってしまった時代のトップランナーが岡崎京子だと著者はいう。
そして岡崎京子の中にもまた変奏した“絶対少女性”があると。

少女マンガが昔のような存在ではなくなってしまった現在、
絶対少女性の後継者として、HIROMIXのガーリー・フォトを
あげているのもおもしろい。

◆読書メモ

飯沢氏は“絶対少女”の特徴を、
飛躍、非連続性、違和、固着、蕩尽、感応
としてあげている。
“内語”と“カケアミ”が発達したのも70年代少女マンガ。

尾崎翠『第七官界彷徨』
大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍―サブカルチャーと戦後民主主義』

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本『ブログ論壇の誕生』

ブログ論壇の誕生 (文春新書)

『ブログ論壇の誕生』
著 佐々木俊尚
文春新書

2008年9月発売だから、ちょっと古いが、
『ウェブはバカと暇人のもの』でも言及されていて、
そういえばまだ見てなかったと読んでみました。

とりあげられている例は、『毎日デイリーニューズ』の低俗記事事件、
ウィキスキャナーが暴露した官庁の修正、
ニコニコ動画にアップされた小沢代表の動画、
ユーチューブで注目を集めた志位和夫の国会質問、
『JJ』読者モデルのブログがNHKに取り上げられて炎上した件、
“トリアージ”をめぐる論争、光市1.5人発言など、
今となってはほとんどが、あーそんなこともあったねー
という感じだが、ブログがマスコミや政治、格差社会になんらかの
影響を与えているさまを描いている。

『ウェブはバカと暇人のもの』では佐々木さんはウェブ肯定派
とされているが、この本での著者の論調は、
「インターネットはすばらしい」というポジティブなものではなく、
ネットから生まれた“ブログ論壇”について
脅威と可能性を紹介している。
(ただ、この場合、ブログ論壇を形成しているのは、
主にロストジェネレーション世代なので、
ネットvsリアルはそのままロストジェネレーションvs団塊になったり、
中心議題が格差社会になったりしている。)

ブログ論壇の抱えている問題点として、
企業のマーケティングや広告にブログが飲み込まれつつある、
匿名性をどう扱うのか、の2点が上げられている。
特に、匿名性については私も興味がある。
大学の准教授が個人ブログでした発言について、
所属組織である大学側が責任を持つ必要があるのか。
実名のブログが炎上した場合、その人の社会的地位さえ危うくなる。
では、個人が個人の発言にどこまで責任を取るべきなのか。
匿名のブログは信用されないのか。
「誰が」発言したかよりも、「何を」の中身の方が重要視されるべき
ブログにおいて、やはり「誰が」発言したかを人は気にする。

「おわりに」では「衆愚化とカスケード化」がブログの問題点であり、
日本のブログの現状について
・日本のブログ論壇を担うロストジェネレーションには、
弱者階級であるという認識が蔓延しており、
彼らには「社会の中心を担っていく」という自信がない。
・ディベート文化が日本には欠落している。
・理念としての「社会」と、リアルな「世間」との乖離。
何をいってもどうせ世の中変わらないという軽い絶望感がある。
という3つの原因を上げている。
これはそのまま『ウェブはバカと暇人のもの』への
じゃあ、どうすればいいの、という回答でもあると思う。
この現状を超えていかないと、ブログ論壇は
リアルな社会を何も変えられないのだ。

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本『昭和ちびっこ広告手帳』

昭和ちびっこ広告手帳 〜東京オリンピックからアポロまで〜
『昭和ちびっこ広告手帳 ~東京オリンピックからアポロまで~』
著 おおこしたかのぶ、ほうとうひろし
青幻舎

昭和40年代の子供向けの雑誌広告を
“お菓子”、“プラモデル”、“おもちゃ”、などカテゴリーごとに収録。
正確には1965~1969年の範囲なので、
さすがにリアルタイムで覚えているものはないが、
森永ハィクラウン、任天堂のウルトラマシン
講談社の世界少女名作全集(「三人の少女」、「金のベール」)
など、懐かしいものも。

そのころ人気だったと思われる、オバQ、パーマン、
宇宙少年ソラン、ひょっこりひょうたん島、おそ松くん
などのキャラクターものが目立つ。
女の子向けだと、わたなべまさこのイラスト入りガムやドロップなど。

広告を出すくらいなので、新製品やキャンペーンものが多いのだろうが、
当時の景品の豪華なこと。
レーシングカーセット、宇宙ゴマ、チロルの鳥寄せ笛、
トランジスター式テープレコーダー(かっこいい!)、
おそ松くんシネコルト(コルト銃型の映写機)、
王、長島、金田選手サインボール、
オバQラジオコントロール人形、腕時計型のビディオシーバー、
サンダーバードロケット、デビッド・マッカラム全版ポートレート、
キミだけに語りかけるタイガースレコードシート、
赤影忍者ベルト(30秒で字が消える忍者ペン、忍者笛、
光をあてるとマジックブザーが鳴る忍者棒などが装着されている)
などなど。
(森永ハィクラウンの景品、フレンチパース、メキシコ・モロッコ、スペインの
民芸パース、チロルパンツをデザインしたコイン入れがかわいくて欲しい!)

抽選の中には、「警察官立合いの上厳正に抽せんいたします」
なんて書かれているものもあったり。当時の公正取引規約って
どうなってるんでしょうね?

戦車や車、飛行機に並んで
霞ヶ関ビル、アポロ着陸船の模型や
オリンピック実況レコードがあったりするのも時代だなー。

舟木一夫、三田明、梓みちよのスター人形なんてのもあって、
広告には「ワアーステキ! 舟木さんにそっくりよ」と書いてある。

人形はリカちゃん以外に、タミーちゃん、バービーの妹スキッパーちゃん、
中嶋製作所のスカーレットちゃん、カンナちゃん
ツクダのミニーちゃんと百花繚乱。
なかでもタカラのハイファッション・リナは、現在のフィギュアに
通じる大人っぽさがあったり。
(「あなたのリナは美しいドレスを着ることだけを夢みています」
というキャッチがなんとも。)
リカちゃんの広告に「びっくりしないでね!
リカちゃんにあたらしいおともだちができたの」とあるんだが、
びっくりしねえよ。

『ワルサーラジオピストル』というピストル型のラジオとか
(「ボンドファンなら誰でもモデルガンを楽しみながら手もとにおいて
いつでもニュースや音楽が聞けます 引金を引くだけでOK!!」)
3つのライトが順に光って、まがる方向を示す富士自転車の
『フローライト・フラッシャー』とか、ユニークな製品も。

キャッチのセンスも飛んでいる。
このソックスをはいて、
マーガレット、マーガレット、マーガレットと
3回となえると、足がスラリと見えます。
(ニチレ マーガレット)
とか、嘘つけー。

また、子供には買えない商品のネダリ方もふるっている。
はやく<リナ>がほしいんだけど、ちょっぴりおこづかいが
たりないナ…って考えこんでいるティーンはいませんか。
お誕生日やクリスマスに<リナ>をプレゼントしてもらいましょう。
あなたがオネダリするヒトはパパかしら、大好きなおばさまかしら……。

(タカラ ハイファッション・リナ)
なんてのはかわいいほうで、
2万7500円するセキネの自転車にいたっては、
おこずかいをかき集めよう!
全部で3000円ほどあればOK。あとは君の演技力……
<マジメに>
「セキネ《スパイダー5》がモーレツにほしくてヒッシに
貯めたんだけど…」
パパが君のけながえな態度に感心し3500円を加えてくれる。
さあ、これで初回金を払えばセキネ《スパイダー5》は君のもの。
二回目からの支払作戦としてちょっともったいないけど、
君の自家用車で兄貴やママのお使いをひきうけよう。
そして少々おこずかいをせしめればいい……ネ?

と、子供にローンの払い方まで指南。
(10回払いで初回が6500円、以後2600円×9回だそうだ。)

◆読書メモ

<キミ>と<いま>を直結する…
ミニをこなし、パンタロンに挑む…。
ファッションの眼はチョコレートを変えて行く。
古いイメージよ ポイッ!
デザインも味も超いまのパターンだ。
キミのいま着ているそのフクにぴったりと合うからフシギ
(森永to youチョコレート)

ファッションの意識は
いま チョコレートの世界を
大きく犯しています。
おもったるい やぼったい 古くさい
さようなら~。遅れてま~す。
(これはいろいろと使える感覚コトバです)
(森永to youチョコレート)

応援はことわろう
自分ひとりで完成させてこそ
君の実力もみがかれる
(バンダイ エアリモコンシリーズ)

友だちが君のセンスの良さにまいってしまう
(バンダイ ダイナミックシリーズ ランボルギーニ マルツアル)

こんな楽しい地球儀はコスモ18だけなんだ。
これなら地理の勉強にもファイトがわくョ。
試験の点もバッチリいただき!
しかも音楽的センスもやしなわれる。
友達もきっとうらやましがるョ。
“シュクダイならアイツの家でやろう!”
キミはこんな人気者になるのだ。
(クツワ オルゴールのついた地球コスモ18)

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本『モードの方程式』

モードの方程式 (新潮文庫)
『モードの方程式』
著 中野香織
新潮文庫

「カーキ(khaki)」はインドに駐屯していた英国軍の司令官が
白い軍服が埃で汚れてしまうため、コーヒーやカレー粉の汁に浸して
初めから埃の色に染めたことから誕生した。
カーキーとはヒンディ語で「埃の色」という意味である。
といった感じに、服飾史についてわかりやすく解説。

クラシックなファッションだと思っていたものが、
実はブランドや英国の皇室が作り出した流行が定着したものだったり、
最新ファッションが昔、流行ったものの焼き直しだったり、
ということがよくわかる。
ソフィスティケーション、グラマラス、シックなんて言葉も、
時代とともに意味が変わってきた。

「男の子はブルーで、女の子はピンク」といった考え方も
1950年代に定着したもので、かつては逆だったという。
「一般的に受容されているルールは男の子にピンク、
女の子にブルーである。理由はピンクがより決然として強い色で
男の子にふさわしいのに対し、ブルーはデリケートではかなげゆえに、
女の子にふさわしいからである」(1918年の雑誌記事)

ウェス・アンダーソン監督の『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』で
グウィネス・パルトロウが着ているラコステのポロワンピースに
フェンディの毛皮、という装いについて、
「わかりやすい美醜の判定を拒否するスタイル」と書かれているが、
この映画の本質をファッションから読み取っていることに感心。
(私はラコステのポロワンピースをもっているので、
こんな着方もあるのかーとミーハーな視点で見てました。)
ウェス・アンダーソン監督のインタビュー写真を見ると、
高そうなブランドのツイード・スーツに、えんじ色のスニーカーをはいていて
いかにもこの映画的な格好をしていて笑ったんだけど、意図的だったのね。

元が新聞のコラムなので、読みやすいけど、
つっこみが足りないところもあったり、
数年前のファッション用語はすでに「そんなのもあったねー」
という感じに古くなっていたりするが、
知っているとファッションの見方が変わる一冊。

◆読書メモ

トレンチコートは、戦場生まれである。
第一次世界大戦で英国陸軍が塹壕(トレンチ)戦用にとバーバリーにデザインさせた。
左右の肩章、右肩のストームフラップ(防風雨用あて布)、
ベルトのDリング(手榴弾つり)など実用に徹しているが、
平和な都会で女性が着る場合には、この禁欲的な重装備がその下に
甘美な謎を隠しているのではという幻想をかきたてる働きをすることもあるらしい。

「衣服は人をつくらない(You are not what you wear.)」
ユニクロがロンドン一号店を出店する際に掲げたメッセージ。

派手な色彩や柄、金銀の装飾などを用いた華麗な装いが全盛を極めた
1920年代に、シャネルは時代のテイストを鞭打つかのように
LBD(リトル・ブラック・ドレス)を発表。装飾過多のドレスを作っていた
デザイナー、ポール・ポワレに「誰の葬式ですかな?」と皮肉られて
「あなたのですわよ」と答えたシャネルの強さあっての挑戦であったかもしれない。


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本『ぼくたちが考えるに、』

ぼくたちが考えるに、  マスコラボレーション時代をどう生きるか?

『ぼくたちが考えるに、 マスコラボレーション時代をどう生きるか?』
著 チャールズ・レッドビーター
エクスナレッジ

◆読書メモ

ブロガーたちだけでは独裁主義的な支配者を打倒できない。

ホビイストの大多数は気づいていることと思うが、きみたちのほとんどは
ソフトウェアを盗んでいる。ハードウェアには金を払わなければいけないが、
ソフトウェアは共有するものだ。その仕事に従事する人たちが
給与をもらえなくても知ったことか、というわけだ。
(ビル・ゲイツのホビイストへの書簡)

この歌はアメリカ合衆国で著作権番号154085のもとに28年間の
著作権が設定されており、同曲をおれたちの許可なく歌っているところを
発見された場合は、何人もおれたちの超親友となる。
おれたちは気にしない。出版するべし。書くべし。歌うべし。
スウィングすべし。ヨーデルすべし。おれたちはただ書きたかっただけだ。
(ウディ・ガスリーの著作権表示)

イノベーションと創造性は個人主義的ではないのです。
実は相互作用、人々を正しいやり方で互いに交流させることにかかっている。
リーダシップとは人々が一緒に働くことを
大いに楽しめる雰囲気作りのことなのです。
(ノキアの会長ヨルマ・オリラ)

われわれの教育システムの問題は、こういった狭く還元主義的な
アリストテレス型アプローチで学習してきたことにあります。
複雑なシステムを試して直感的にそこをすすんでいくようには
設計されていない。ゲームはそれを教えてくれるのです。
つまりわたしは、失敗は成功よりすぐれた教師だと考えています。
試行錯誤、心の中のリバース・エンジニアリングみたいなもの、
子どもたちがゲームと対話するあらゆる方法
――それこそ学校で教えるべき考え方です。
世界が複雑さを増して、結果がますます成功か失敗かでは
計れなくなってくれるにつれて、ゲームのほうがうまくそれに
取り組めるようにしてくれると主張したいですね。
(ウィル・ライト)

ウェブの政治的重要性を測る最高の指標は、
バラク・オバマがフェイスブックで何人の友人を持っているかではない。
シリアやビルマ、中国やイランのブロガーたちが
声をあげられるかどうかだ。だからこそ、インターネットを
情報やアイデアの交換用のオープンなグローバルコモンズとして
保存することがきわめて重要なのだ。
アラム世界の人々でブロードバンドに接続できているのは
たった4パーセントだ。中東で民主主義を推進する最も強力な方法は、
この数字を50パーセント以上にすることだ。
インターネットが民主主義に対してできる最大の貢献は、
中国の一党独裁を秩序だった形で移行させることだろう。


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本『創刊の社会史』

創刊の社会史 (ちくま新書)
『創刊の社会史』
著 難波功士
ちくま新書

男性誌と女性誌の堺をいったりきたり、
お姉さん版、妹版と、年齢も上へ下へと伸ばし、
数々の雑誌が創刊されて(かつ消えて)いった様を追う。

『平凡パンチ』女性版から『an・an』が生まれ、
二匹目のドジョウをねらって『non・no』が誕生。
『女性自身』別冊から派生した『JJ』の後を追って、
『CanCam』、『ViVi』、『Ray』の赤文字系4誌がスタート。
西海岸をフューチャーしたカタログ雑誌として
『POPEYE』、『Hot-Dog PRESS』がヒット。
『MEN'S CLUB』の妹誌として『mcSister』が生まれ、
『BIG tomorrow』と『SAY』も兄妹誌。
(ナンシー関が「こういう兄妹いるな。さしずめ
兄・岸谷五朗、妹・中嶋朋子でどうだろうか」と言っているのは、うまい。)
『POPEYE』の女性版として創刊された『Olive』が西海岸テイストでは
売れず、ロマンティックというコンセプトで作り直し、「ガーリー」を確立。
『BOON』のガールフレンド誌として『Zipper』が誕生。

私はそれほど雑誌っ子じゃないんだけど、
中学生になる前に参考として初めて買ったファッション誌は『San Sun』で
『mcSister』のモデルは当時の私の目から見ても
キチンとして垢抜けて見えたなーとか、
高校の友達にオリーブ少女がいて、
彼女の家に行ったら部屋に木のベンチがあってびっくりしたとか、
大学のときは、時間が空くと生協で『CanCam』、『JJ』、『ViVi』、『Ray』を
かたっぱしから見て、そのとき一番気に入ったのを買ったりとか、
(『an・an』は毎週誰かしら買ってたから借りてすませてた)
『non・no』は実用的なんだけどちょっと野暮ったいイメージで、
でもモデルはすごくかわいいと思ってたとか、
まあ、いろいろ思い出しながら読みました。
雑誌が雑誌として売れていて、
ファッションや流行にメディアとして何らかの力をもっていた、
いい時代だったんだねー。

そのほか、『平凡パンチ女性版』1966年8月10日付け第2号の
グラビアページが「キミの高原ルック」だったり、
『Hot-Dog PRESS』のカノジョ誌『Miss Hero』の表紙に
“今月のミス・ヒーロー”として「洞口依子さん(16歳)立正高校2年」が登場してたり。

『POPTEEN』、『Cawaii!』、『egg』、
『CUTiE』、『SPRING』あたりになると、さすがについていけない。
(『NIKITA』って休刊してたのね)

雑誌の創刊をカテゴライズしながら追っていくことで
なんとなく当時の社会や出版社側の思惑が見えてくるのだが、
むしろ、『Olive』や『egg』が創刊後、どう変わっていったかあたりが
おもしろいところで、そこらへんの掘り下げが浅いのは惜しい。
雑誌が広告や情報になってしまった今、
80年代、90年代に二匹目、三匹目をねらって次々創刊される
雑誌のバイタリティはキラキラして見える。
著者が最後に言っているように、こうした中で、
『小悪魔Ageha』や『MEN'S KNUCKLE』の
“マーケティングではつくれないもの”はかなり貴重に思える。


◆読書メモ

ポパイ創刊以前の編集長は、自分のつくりたい雑誌を純粋につくればよかったが、
ポパイの成功は、創刊編集長の個人的考え方以上に電通雑誌局の意向が
重要視されるようになった。10年後の88年に、ぼくが「Hanako」を創刊した時には、
より電通の力が強くなり、発刊前の2ヵ月間は、誌面をつくる努力よりも、
企業の宣伝部・広報部めぐりが最優先の仕事になった。(椎根和『POPEYE 物語』)

出世魚コース
光文社『JJ』→『CLASSY』→『VERY』→『STORY』→『HERS』
小学館 『CanCam(AneCan)』→『Oggi』→『Domani』→『Precious』
集英社『non・no』→『MORE』→『BAILA』→『LEE』→『marisol』→『eclat』

「雑誌を作るのは結局、コミュニケーション願望が他人よりも強いから始めたこと。
ところが今のマスコミは完全な企業になってしまって、資本主義の論理のなかに
置かれている。ビートニクの人たちが出てきた50年代後半のアメリカはいまの
日本と同じようなマスコミの状況にあった。ビートニクはいわば人間性が
どんどん失われていく状況にレジスタンスして生まれたものなんだ」
(『Bar-f-Out!』山崎二郎)

「“良家のゲレンデ”斑尾で、キミだけの「紀子さま」に会える!」
『BOON』90年1月号

以上のような社会の動向は、何もメディアが任意につくりあげたものではない。
雑誌メディアも何らかの加担はしていたであろうが、それらの社会動向は
雑誌によって可視化された現象、もしくはブースとされた趨勢だというのが、
もっとも正確なところであろう。

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本『フラット化する世界』

フラット化する世界 [増補改訂版] (上)
フラット化する世界 [増補改訂版] (下)

『フラット化する世界』
著 トーマス・フリードマン
日本経済新聞出版社

今さらですが、読みました。
アメリカで第一版が発売されたのが2005年。
私が読んだ「アップデート&増補版」が2006年。
さらに、「増補改訂版」が2008年に発売されており、
その間に世界の状況も多少、変わっているはず。

この本に影響を受けたり、引用している本を何冊か読んでいるので、
それほどびっくりするような内容が書かれているわけではなく
「世界はフラット化している」というテーマはすでに共有されていると思うが、
ロングセラーになるだけあって、とてもおもしろい。

著者はこのフラット化の流れがベルリンの壁崩壊から始まったと書く。
「1980年代の初めから半ばに始まった情報革命だ。
全体主義体制は、情報と権力の独占に依存しているが、
ファックス、電話、さらにパソコンの普及によって、
鉄のカーテンをすり抜ける情報が飛躍的に増えた。」

『スラムドッグ$ミリオネア』の主人公はインドのコールセンターで
お茶汲みをしている。映画では「たんなるお茶汲みが大金を手にする」
とクイズの司会者に揶揄されているが、コールセンターの仕事は
インドではお金にもなるし、社会的地位も高いそうだ。
今では、アメリカのユーザーがデルやマイクロソフトのサポートに
電話をかけると、インドのコールセンターにつながる。
飛行機の遺失物案内もインドにアウトソーシングされている。

そのほか、アメリカの病院ではCTスキャンの読み取りを
インドやオーストラリアにアウトソーシングしているとか、
Y2Kのソースコード検査によって、インドのIT産業が世界に知られるようになったとか、
壊れた東芝のノートパソコンはUPSによって東芝の修理工場に運ばれるのではなく、
UPSの支店で客から受け取り、UPSの修理工によって修理され、客に戻されるとか、
現地取材に基づく、具体例がいっぱい。

なかでもマルクスとエンゲルスが世界のフラット化を予測していた
という指摘はおもしろい。
「生産物を売るための市場をたえず拡大する必要に迫られて、
ブルジュアは地球上をせわしなく駆けめぐる。あらゆる場所で家庭を作り、
定住し、つながりを結ぶ。ブルジュアの世界市場開拓によって、
生産物と各国の消費には、全世界共通の特徴が備わる。
新しい産業では、国産の原料ではなく、遠隔地の原料を加工する。
生産物は国内で消費されるのではなく、地球のあらゆる場所で消費される。
昔はさまざまな欲求を国内生産だけで満たしていたが、
いまは遠い国や地方の生産物によって欲求を満たすことが求められる。
かつては地方や国が閉じこもって自給自足していたが、
いまはあらゆる方面と交流し、世界各国が相互に依存している。
物質ばかりではなく、知的生産物の面でも同じである。
一つの国の知的創造が、共通の財産になる。国家が偏向したり
狭い考えを持つことは、いよいよ難しくなり、無数の国や地方の文芸から、
一つの世界文芸が生まれる。」(『共産党宣言』)

本書では、フラット化がなぜ起きたか、
フラット化に取り残されないために教育はどうあるべきなのか、
(向上心のあるインドや中国に比べて、アメリカでは工学や数学を
勉強する学生は減っているそうだが、日本なんてもっとひどい状況だろう。)
フラット化の弊害は? フラット化を阻害する要因は何なのか、
といったことを探っていく。
イスラエル報道をしていた人だけに、アルカイダへの記述が多い。
エネルギー問題への懸念は最近発売された『グリーン革命』につながるのだろう。

知り合いのライターさんから、「デルのサポートに電話をしたら、
まともに日本語が通じなかった」という話を聞いたことがあるが、
現在、デルのサポートは中国で行なわれている。(日本の場合?)
デルの工場は世界に6ヵ所あり、(アイルランドのリムリック、
中国のアモイ、ブラジルのエルドラド・ド・スル、テネシー州ナッシュビル、
テキサス州オースティン、マレーシアのペナン)、
客から注文を受けると、世界各地から必要部品を取りよせる。
(部品のサプライヤーのリストは約2ページにわたるので引用を断念。)
好むと好まざるに関わらず、世界はフラット化しているのだ。

◆読書メモ

ITバブルが最高潮に達していた時期、ダボスの1999年世界経済フォーラムで
ビル・ゲイツが行なった記者会見のことは、今後もずっと記憶に残るだろう。
ビル・ゲイツは、「ゲイツさん、このインターネット関連株の高値はバブルですね?」
といった趣旨の質問攻めに遭っていた。
「いいか、あんたたち、バブルに決まっているじゃないか。だが、
このバブルは、インターネット産業に新たな資本を惹きつけていて、
イノベーションをどんどん加速させているんだ」
ゲイツは、インターネットをゴールドラッシュになぞらえた。
地中から金を掘ること自体よりも、リーバイスのジーンズやツルハシや
シャベルを売ったりホテルに客を泊めたりするほうが、
ずっと金になったというのを説明するためだ。

「両親は南カリフォルニアのIBMで出会い、僕はパサディナの北の
ラ・カナダという町で育った。家にはずっと昔からコンピュータがあった。
買い物のリストは、昔のIBMのメインフレームで使っていた
パンチカードにメモしていた。」
アパッチコミュニティーのブライアン・ベーレンドルフ

ザラの手法は、高度なITに負うところが大きい。
「客の好みをモニターするために、店長は全員送受信能力のあるPDAを携帯し、
中央企画室にデータをじかに送る」
9.11直後、ザラの経営陣は、消費者が深刻な気持ちになっていると見て、
数週間以内に黒を基調とする新製品を店舗にストックさせた。

ウォルマートの幹部が私に語った。ハリケーンの季節には、
保存が簡単で傷みにくいスナック類の消費が増える。
家庭の電源を必要としない子供用のゲームが、
テレビの代用になるのでよく売れる。ハリケーンが来ると、
ビールの消費量も増える。だから、ハリケーンがフロリダに迫っていることを
ウォルマートの気象部門が本部に伝えると、フロリダの店舗では、
サプライチューンがハリケーン向け商品構成に自動的に組みなおされ
――まずビールを、そして次にポップターツを増やす。

何を検索しているかをグーグルが把握しているのと同じように、
TiVoもどの番組やCFを一時停止したり保存したり巻き戻して
見たりしているかを把握している。テレビ史上、巻き戻して見た回数が
一番多かった場面は何か? 答:ジャネット・ジャクソンのおっぱいぽろり。

現時点では、誰でもこのプラットフォームにアクセスできるわけではない。
新しい競技場に誰でも入れるわけではない。
ただ、世界がフラット化しつつあるというのは、誰もが平等であるという意味ではない。
接続し、競争し、共同作業し、そして残念なことに破壊するために、
フラットな世界のプラットホームにアクセスできる力をもつことのできる
時と場所と手段が、いままでよりもずっと増えている、といいたいのだ。


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本『大聖堂 果てしなき世界』

大聖堂―果てしなき世界 (上) (ソフトバンク文庫 フ 3-4)

大聖堂―果てしなき世界 (中) (ソフトバンク文庫 フ 3-5)

大聖堂―果てしなき世界 (下) (ソフトバンク文庫 フ 3-6)

『大聖堂 果てしなき世界』
著 ケン・フォレット
ソフトバンク文庫

大傑作『大聖堂』の18年ぶりの続編。
といっても、私が前作を読んだのは2年前なので、それほど待たずにすみましたが。
1月ごろに、「『大聖堂』の続編発売!」というリリースを見て、
同じく、前作ファンのSさんに知らせて歓声をあげたほど。
発売日には本屋に確認に行きましたよ。
新刊だから当たり前だけど、どこの本屋にもこの本が置いてあって、
紀伊国屋に1冊しかなかった前作とは大違い。
上・中・下、それぞれ別の本屋で買えたよ。

物語は前作から200年後。
羊毛商人の娘カリス、建築職人マーティン、貧しい農夫の娘グウェンダ、騎士ラルフ
の4人を中心に、修道士ゴドウィン、フィルモン、
伯爵夫人フィリッパ、農夫ウルフリックらの運命が絡み合う。
前作のジャック・ビルダーとアリエナの末裔がマーティンとラルフの兄弟で、
トム・ビルダーの血を引くのがカリスと従兄弟のゴドウィン、という設定だが、
ジャックやアリエナは200年後の世界ではもう伝説であり、
かわらずにキングズブリッジの大聖堂だけがそびえ立っている。

先に読了したSさんから「キャラがかぶっている」と聞いていたとおり、
建築職人マーティンはジャック、カリスはアリエナ、
残酷なラルフはウィリアムとかぶる。
しかし、良くも悪くも、キャラクター的にはパワーダウンしており、
常軌を逸した感のあったウィリアムほどラルフは激しい性格ではなく、
マーティンやカリスもある程度、常識人だ。
前作で私がいちばん好きだったのはウィリアム・ハムレイだったけど
本作でいちばん魅力的なのはグウェンダ。
上巻は8歳のグウェンダが盗みを働くところから始まり、
グウェンダで終わるという、ヒロインぶり。
橋の建設と、グウェンダが愛する男をいかに陥落させるかという
それぞれの欲望が同じように語られるところがすごい。

この魅力的なキャラクターたちを映像で見てみたい
という気持ちもあるのだが、話が長すぎて、映画では無理だろう。
しかも、残酷な戦闘シーンや性的な場面もいっぱいあるので、
R指定は確実。
フォレットの描くヒロインたちは、カリスもグウェンダも
フィリッパも、グウェンダのライバル、アネットもみんな非常に官能的
なんだが、髪がどうとか、仕草がどうとかというセクシーさではなく、
胸だったり丸い腰だったり、肉感的に男たちを誘う。
これらのシーンがややうるさいとも言えるが、
まさに体と知恵と勇気で道を切り開いていく女性たちのかっこいいこと。

前作は大聖堂が完成するまでの話だったので、
キングズブリッジは次第に大きくなっていく町だったけど、
今回のキングズブリッジはすでに羊毛で成功した町で、
それが数々の災難をくぐりぬけて、いかに発展していくかがポイント。
善の立場だった修道院長フィリップと違い、
今回は教会は保守的な壁となり、商人や農民の改革の前に立ちはだかる。

上巻は土・日で読み終えたものの、平日になると一気読みもできず、
中巻は1週間、下巻が休みに入って一日かかって読了。
続きが気になるので、どうしてもパラパラとページをめくってしまうのだけど、
そのたびに、「えっ、○○○が修道院長!」、
「○○○と○○○に子供が!」と予想を大きく上回る展開にいつもびっくり。
中巻の帯に「キングズブリッジを未曾有の危機が襲う!」
と書かれているんだが、いつでも危機につぐ危機で、
橋田壽賀子の連ドラかよ!と言いたくなるのだが、
本当に未曾有の危機でまたびっくり。
前作のように大聖堂が目の前で完成していくような感動はないものの、
ノンストップの歴史物語が楽しめます。


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本『ウォッチメン』

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『ウォッチメン』
著 アラン・ムーア、画 デイブ・ギボンズ
小学館集英社プロダクション

という訳で読んでみた原作本。
コミックとはいえ、3日間かかりました。
雑誌や新聞の見出しにもすべて意味があり、
欄外に和訳が書かれている。
また、初代ナイトオウルが書いた回想録や
DR.マンハッタンに関する論文、
シルク・スペクターの新聞記事、インタビューなどの短文が
チャプターごとに挟まれており、これも作品世界に関わってくる。
劇中コミック『黒い船』も読み応えがあり、新聞スタンドの少年同様、
毎回続きが気になりました。

アメコミって『スパイダーマン』か『スーパーマン』、
なんとなく能天気なイメージがありましたが、
なるほど、アメコミの傑作中の傑作といわれるのにも納得。

映画はかなり忠実にビジュアル化しているが、
コミックだけに絵の迫力がすごい。
ローリーとダンが左から右へ移動していく様子を
3コマ使って描いている場面とか、
過去と現在と未来を行き来するDR.マンハッタンの回とかは
コミックでないと描けないすばらしさ。
(DR.マンハッタンの過去と現在と未来に同時に存在する思考は
カート・ヴォネガットの影響を受けているとか。たしかにラムフォードっぽい。)

この作品の舞台になった1985年よりもっと前だけど、
子供の頃、家の窓を開けたら原爆が落ちていくのが見えて恐怖する
という夢を見ました。今でも覚えてるんだから恐かったんだろう。
子供がそんな夢を見るくらい、核戦争に世界がおびえてた時代。
じゃあ、今が平和なのかといわれれば、
このコミックが描いている世界って、今でも通じるんだよなー。
ヴェイトがいくつものモニターを眺めて、大量の情報から
世界を読みとろうとするあたり、今のネット社会に似てなくもない。
(映画ではモニターのひとつにアップルの『1984』が映ってました。)
このコミックが今書かれたら、また別のオチになった気もしますが。

◆読書メモ

人間の脂が燃える煙が
空に立ち昇るのを見て、
その上に神などいないと思った。
闇と真空がどこまでも続くだけだ。
俺たちは孤独なんだ。

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本『メイキング・オブ・ピクサー』

メイキング・オブ・ピクサー―創造力をつくった人々
『メイキング・オブ・ピクサー 創造力をつくった人々』
著 デイヴィッド A.プライス
早川書房

『トイ・ストーリー』から『ウォーリー』まで、
ストーリー、技術ともにレベルの高い作品を作り続け、
大ヒットを連発しているアニメーション・スタジオ、ピクサー。
そのピクサーの創世記からディズニーによる買収までを描く。

ピクサーの名前はブランドとして確立しているのだが、
一般には「ディズニー=ピクサー」のようにとらえている人も多く、
「『レミーのおいしいレストラン』はミッキーに配慮した結果なのか」
などと言われると、がっかりしてしまう。
ディズニーによる買収も「ピクサーが買収されてしまった」という人もいるのだが、
私的には、買収という形でピクサーがディズニーをのっとったと思っている。
ピクサー首脳陣(ジョブズやラセター)がディズニー幹部になったことでも
それはわかる。(以降のディズニーアニメ、『ルイスと未来泥棒』、『ボルト』は
ラセターが製作陣に加わっている。)
つまり、ディズニーによる買収は、ピクサーの大勝利なのだ。

買収を決めた理由のひとつとして、ディズニーの新社長ボブ・アイガーが
ディズニーランドのパレードを見て、「ここ10年間のディズニーアニメ作品から
生まれたキャラクターが、ピクサーのものを除けば、パレードに一つも
出ていないことに気づいた」というエピソードが書かれているが、
これは私もディズニーランドに行って思ったこと。
昼のパレードの主役スティッチを除くと、夜のパレードで目立つのは、
『モンスターズ・インク』のサリーや、『バグズ・ライフ』のイモムシ、
バズ・ライトイヤーなど、ピクサーキャラクターばかり。
(もちろん、昔からのアリスやミッキーマウスなどはいるけど)
いかに、ディズニーがピクサーのキャラクターに頼っているかが感じられた。

そんな、ディズニーとの提携から交渉決裂、買収劇までも詳しく書かれている。
そのほか、ジョブズと決裂して、ピクサー社史から抹消されてしまった、
アルヴィ・レイ・スミスの話や、株式公開に際してのモメごとや、
『モンスターズ・インク』をめぐる著作権裁判など、
ピクサーにとっては負の部分もきちんと描かれている点に好感がもてる。

この本で一番感動的なのは、まだコンピューターが静止画を作るのに
精一杯だった時代に、コンピューター・アニメーションを夢見た人々の物語だ。
エド・キャットムルとアルヴィ・レイ・スムスは
億万長者アレグザンダー・シュアーの創設したニューヨーク工科大学(NYIT)の
コンピュータ・グラフックス研究所から始まり、
ルーカスフィルムのコンピュータ部門に移籍する。
ルーカスが必要としたのは、フィルム合成、音響、編集だが、
この時点では、映画フィルムを高解像度でスキャンする機器もなく、
デジタル映像に必要な解像度がどのくらいなのかもわからなかった。
(その時代にデジタル・フィルム合成をめざそうとするルーカスの先見性もすごい)
ルーカスフィルムでは『スタートレック2/カーンの逆襲』の一場面を手がけ、
ディズニーをクビになったジョン・ラセターが参加する。
ルーカスの離婚と事業整理にともない、コンピュータ部門は
アップルをクビになったジョブズに格安で売却される。
ここでもジョブズが最初にやろうとしたのはピクサー・イメージ・コンピュータ
というハードと、レンダリングソフトを売ることで、
アニメーションを作ることではなかった。

今ではこれだけの大成功を収めているピクサーが
何度となく、閉鎖されそうになったことは興味深い。
『トイ・ストーリー』完成目前の時期ですら、ジョブズはマイクロソフトに
ピクサーを売り飛ばす交渉をしていたというのだからびっくりだ。
この長い年月、コンピュータ・アニメーションというものを信じて、
会社を守り続けたキャットムルの信念には涙が出る。
そして、『トイ・ストーリー』の成功がすべてを変えるわけだが、
その成功が決して、まぐれ当たりなどではなかったことも
この本を読むとよくわかる。

ピクサーというとジョン・ラセターが有名だけど、
本当の創設者である、キャットムルをはじめ、
スタントン、ピート・ドクター、ブラッド・バードなどの名前が次々に登場。
キャットムルの開発したZバッファ、テクスチャ・マッピングをはじめ、
パーティクル、エイリアシング、シェーダーなど、
今では必須のCG技術が発展していく様子もドキドキする。
PDI/ドリームワークスとのライバル関係なども、
カッツェンバーグが最初に『トイ・ストーリー』製作を支持したことを
知ると、見かたが変わってくる。
ここらへんの話はある程度、マニアじゃないとわかりにくいと思うけど、
マニアにはたまらない。

◆読書メモ

「キャラクター・アニメーションは、物体をキャラクターのように見せるとか、
顔や手をつけるとか、そういうことじゃない。
キャラクター・アニメーションっていうのは、物体をまるで生きているかのように
動かし、考えているかのように動かし、そしてそういう動きのすべてが、
自分の思考プロセスによって生み出されたように見せることだ……。
生きているという幻想を与える思考。表情に意味を与える命なんだ。
サン=テグジュペリも書いている。
「大事なのは目ではなく、目つきだ――唇ではなく、ほほえみなのだ」ってね!」
ジョン・ラセター

アイヴァン・サザーランドはマサチューセッツ工科大学(MIT)で
博士論文の一環として、当時革新的だった「スケッチパッド」という
システムを開発した。ライトペンを使って、コンピュータの画面上に
直接白黒の設計図を描くものだ。サザーランドのシステムは、
単にコンピュータを使って絵が描けるというだけではなかった。
むろん、これだけでも十分衝撃的ではあったが。
コンピュータの貴重な1000分の1秒も無駄にすまいと、
ユーザがパンチカードのプログラムをカードリーダーに入れるために
列をなして並んでいた時代にあって、スケッチパッドは一人の人間が
ひと部屋サイズのコンピュータを独占するという、
正気とは思えない考えを前提としていたのだった。

作業を進めるうちに、チームの誰かが、ラセターの色の選び方が変じゃないか
と言い始めた。ラセターは木に紫色の葉をつけたいと考えていた。
葉っぱは紫じゃない、とスタッフは反論した。
ラセターは、サンフランシスコの美術館にグループを連れて行った。
美術館では光をふんだんに使った自然画で知られる、
イラストレーターのマックスフィールド・パリッシュの絵画展が行なわれていた。
しばらくすると、反対したスタッフは、ラセターが正しかったことを潔く認めた。
紫色の葉っぱもあり得るのだと。すべては光次第なのだ。

デイヴィッド・ディフランチェスコが、カーナー大通りのILMのすぐ近くの棟で、
兄弟プログラマーがマッキントッシュでやっているイメージ処理は
一見の価値があると教えたときも、スミスは腰を上げようとしなかった。
「あの頃はちっぽけなマシンに気を回す余裕がなかった」
スミスは後で言っている。
(トムとジョンのノール兄弟は、開発したソフトウェアをその後アドビシステムズに
ライセンスした。フォトショップと名付けられたソフトは、大評判を博した)。

ハンラハンとラニアは、当時人気を博していたソニーの携帯CDプレーヤー、
ディスクマンのような、身につけてどこにでも持ち運べる小型機器という
アイデアをひらめいた。この機器で映画級の立体映像を生成し、
それをバーチャルリアリティ・ゴーグルを通して見るというものだ。
実際にこれを作ることは、1987年当時のピクサーには不可能だったが、
5年から10年たって技術がアイデアに追いつけば、ヒット商品になるかもしれないと
2人は考えた。そこでディスクマンになぞらえて、「レンダーマン」と名付けた。

90年代初めにミルヴォルドはフォトリアリスティック・レンダーマン(PRマン)を
ライセンス取得してウィンドウズに組み込むことに関して、
ピクサーと何度か交渉を行なった。かれの構想では、
PRマンはウィンドウズ・プログラムで高品質のグラフィックスを処理する
標準的な方法になるはずだった。PRマンはゲームなどの双方向アプリケーションに
使うには遅すぎたため、この用途にはPRマンを高速化したサブセット版、
「リアルタイム・レンダーマン」で対処する計画だった。だがミルフォルドは結局、
代案に落ち着いた。マイクロソフトはシリコン・グラフィックスから「オープンGL」と
呼ばれる3Dグラフィックス・ソフトウェアをライセンスしたのだった。

「法務書記に言わせれば、かれには2歳と7歳になる姪っ子がいて、
わたしがこの(『モンスターズ・インク』の公開を禁止する)差し止め命令を
出したらひどくがっかりするだろうと……。そうなれば、国中の子供たちに、
最悪のモンスター判事だと思われるでしょう」

モス・ランディング海洋研究所のマイク・グレアムから、
ケルプは珊瑚礁には生えないという指摘を受けると、スタントンは
珊瑚礁のシークセンスのデザインからケルプをすべて取り除くように指示した。

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本『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』

雨宮処凛の「オールニートニッポン」 (祥伝社新書)
『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』
著 雨宮処凛
祥伝社新書

◆読書メモ

AKIRA 「自分のやりたいこと=お金になること」と結びつけなくちゃ
いけないというルールを押し付けられてきたけど、それすらも嘘っぱちだと思うの。
雨宮 評価とかお金というのは、こだわてしまうと心を病んでしまう。

佐野 人はなぜホームレスになるか。ひとつは失業問題ですね。
失業して収入がなくなるから、家賃が払えずに家がなくなる。
このふたつでホームレスになると思うでしょ。そうじゃない。
3つめの条件がある。身近な絆を失うんです。
若い人なら友達の所に転がり込むとか、家庭をお持ちの人なら
奥さんや家族に助けてもらうということがあるんですが、
そもそも日雇いで単身だった労働者の人は、家庭も持てなかった人がいる。
いろんな形で身近か絆をなくす、ひとりぼっちになる。ある種の希望がなくなる。

雨宮 95年のときに20歳だったでしょう、私たちは。
あれがすごい大きかったんですよ。阪神大震災とオウム事件と戦後50年が
重ならなければ、私は絶対右翼にいかなかったと確信しています。
あそこで価値観とか戦後の物語が崩れた。

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本『写真のはじまり物語』

写真のはじまり物語―ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ
『写真のはじまり物語―ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ』

著 安友志乃
雷鳥社

カメラ・オブスクラの鏡に映った像を銀板に焼き付けることに成功した
ダゲレオタイプなど、初期の写真史を、実際の写真とともに紹介。

当時のポートレートから、人々の暮らし、ファッション、
写真に対する興味(当時は写真を写すことは特別なことだった)
などが伝わってくる。本のデザインはかわいいが、
肝心のポートレートの写真が小さいのは納得いかない。
実物大なのかもしれないが、ディティールももっと見たい。

また、気軽に読める写真史なのだが、
カメラ・オブスクラとは何か、それぞれの技術の違いなど、
細かいところの説明がはぶかれてしまってるので、
あるていど写真にくわしい人でないと、内容がわかりにくいのも残念。

カメラや写真が展示されているという
横浜市民ギャラリーあざみ野には一度行ってみたい。

◆読書メモ

 名刺は、中国では15世紀から、ヨーロッパでは17世紀から登場します。
当時はビジネスカードと呼ばず、ビジティング・カード(Visiting Card)、
あるいはコーリング・カード(Calling Card)と呼んで名刺をもつことは
エチケットの一つと考えられていました。
 当時、名刺は現代のように初対面で交換するものではなく、
面会したい相手先に使用人がまずビジティング・カードを届けに行き、
後日、面会できるのであれば相手先からコーリング・カードが
封筒に入れて送られて来る、という手順がありました。

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本『クラウド・コンピューティング』

クラウド・コンピューティング ウェブ2.0の先にくるもの (朝日新書)
『クラウド・コンピューティング ウェブ2.0の先にくるもの』
著 西田宗千佳
朝日新書

“クラウド・コンピューティング”とは何かということを
iPhone、Gメールをはじめ、具体的なサービスを上げながら解説。
信頼性や転送量など課題も指摘。

クラウド・コンピューティングについては、
それほど興味をもっていなかったのだが、
先日、仕事で会った人が『Windows Live フォト』を活用しているのを見て、
25GBのスペースがあるなら、写真をウェブに保存する
という考えもありだと思うようになった。
PCのHDDだけにデータがあるより、ウェブにデータを預けておいたほうが、
クラッシュにも強いし、利用しやすい。
(もちろん、個人的データをどうするかという問題は残りますが。)

とりあげられているサービスはそれほど目新しいものではないけれど、
全般を通して、クラウドによって何が変わるのか、
ということがわかりやすく書かれている。

“クラウド・コンピューティング”という言葉は
2006年8月、グーグルのCEOエリック・シュミットが使ったことに始まるが、
概念自体は新しいものではなく、過去にも類似のものとして、
ホスティング、ASP(Application Service Provider)、
ユーティリティ・コンピューティング、
1996年、オラクルが発表した「ネットワーク・コンピューター」、通称「NC」計画、
2000年、マイクロソフトが発表した「マイクロソフト.NET(ドットネット)」
などがあるという話はなるほど。
NC計画の「500ドルPCの実現」はまさに現在のネットブックの姿だ。

◆読書メモ

1990年代以降、様々なパソコンに関する記事を書いてきたが、
特に2000年以降、読者の興味が、圧倒的に「ハードウェアだけ」に
偏りつつあるように感じている。

自宅の回線での実効通信速度が、おおよそ8Mbpsだとする。
これは実は、CD-ROMからデータを読み込む速度と大差ないのである。
8Mbpsで通信ができる場合、「6倍速CD-ROM」という規格と
ほぼ同じ読み込み速度となる。
ネットワークの向こうにあるデータを読み出してもCD-ROMから読み出しても、
速度に大きな差はない、ということになるのだ。

そもそも、「データはパソコンの中に置く」という常識は、いつまで通用するのだろうか。

当時、同社(ネットスケープ)日本法人の重役を務めたある人物は、
筆者にこのようなコメントを残している。
「アプリケーションがサービス化すれば、OSにもう支配力はない。
もはやウェブブラウザーこそがOSなのだ」

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本『墓石の下には眠らない』

墓石の下には眠らない 新しい旅立ち、樹木葬・自然葬 (朝日新書)

『墓石の下には眠らない 新しい旅立ち、樹木葬・自然葬』
著 黒田麻由子
朝日新聞出版

近年、葬送の新しいあり方として注目を集めている自然葬、
なかでも樹木葬について、実際に樹木葬を選択した人たちに取材した本。

私の親は、この本でも取り上げられている知勝院と樹木葬の契約をしており、
一ノ関にある墓地にも行ったことがあります。
なので、この本に出てくる樹木葬を選択する人たちの想いについては
私にはそれほど目新しいことではなく、
全国に増え始めている樹木葬の種類とか、そのほかの選択肢について
知りたかった私としては、ちょっと期待はずれ。
「自然に還る」ということをことさら美化しているような文章も気になります。

日本人の死生観や葬送の歴史、人それぞれの事情など
広い範囲で取材をしているので、もう少しうまくまとめられなかったのかな
というのが正直な感想。

ただ、とても印象に残ったのが、自然葬として紀伊水道への散骨を
選択した社会学者、鶴見和子(弟は鶴見俊輔)の言葉。
「死ぬというのは面白い体験ね。こんなの初めてだわ。
こんな経験をするとは思わなかった。人生って面白いことが一杯あるのね。
こんなに長く生きてもまだ知らないことがあるなんて面白い。驚いた。」

前向きに生きた人でないと言えない台詞です。

Img_9291b_2
樹木葬墓地、知勝院
訪問したときの記事はこちら
このとき家族で泊まったのが今話題になっている「かんぽの宿」。
公的施設らしく華やかさにはかけましたが、いいところだったんですけどね。

去年、岩手・宮城内陸地震が起きたとき、
母が一ノ関の被害を気にしてたので、
土に還るつもりなら、山が崩れることも心配するなと思いましたが。

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本『カレーライスと日本人』

カレーライスと日本人 (講談社現代新書)

『カレーライスと日本人』
著 森枝卓士
講談社現代新書

インドにはカレーライスという料理は存在しない、
というのはよく知られた話。
じゃあ、何をさしてカレーというのか、インドをめぐるカレー研究から始まり、
カレー粉が誕生したイギリスのC&Bへ飛び、
イギリス経由でカレーが入ってきた大正、明治の日本の歴史を追いかけ、
なぜ、かくも日本人はカレーが大好きなのかを検証する。

初版は1989年。なので、今とは多少事情が変わっていて、
「インディカ米はカレーによく合うが日本では輸入できない」
なんていう記述もある。
私が子供の頃はカレーといえば、ハウスバーモンドカレーだったけど、
今では、会社の目の前の店で本格的なインドカレーが食べれたり、
ナンもグリーンカレーもタイ式カレーもずいぶん一般的になった。

インドからイギリスに伝わり、イギリスでカレー粉が生まれ、
日本でカレールウが生まれ、ジャガイモ、タマネギ、ニンジンが入る
という日本のカレーライス誕生物語にはワクワクする。

インドではライスではなくチャパティをカレーの主食とする地域もあるが、
イギリスが最初に植民地としたのがベンガル地方で、
ベンガルは米が主食だったので、ライス式のカレーがイギリスに伝わったとか、
最初に日本に伝えられたレシピでは、肉は羊や牛、鳥、またはカエル!で
野菜は葱、リンゴだけだったとか、(「リンゴが入っているのが
バーモンドカレーの専売特許でなかったことが妙におかしい」と著者は書いている)
ジャガイモ、タマネギ、ニンジンは明治に入ってきた「西洋野菜」で、
普及につれて、シチューとの合体でカレーの素材になったとか、
大量に作れて、ひと皿で飯もおかずもすむカレーは軍隊で重宝され、
軍でカレーの味と作り方を覚えた青年たちが農村に広めたという説や、
輸入品のC&Bのカレー粉を増量材で水増ししようという研究から、
国産のS&B印カレー粉が生まれたとか、おもしろいコネタが満載。

伝統的な日本料理だと思われている、
テンプラ、寿司、味噌、醤油も外国から入ってきたもので、
その受容性の高さこそが日本料理なんだなーとか、
実は東インド会社って歴史的にすごく重要かもとか、
歴史やら文化やらいろいろ経由してカレーライスが誕生した
と思うと、奥の深さにびっくりしたり、なかなかの名著だと思います。


◆読書メモ

現在のカレーの辛さの主成分である唐辛子がアメリカ大陸原産で、
おそらくこの大航海時代の交易でおとずれたヨーロッパ人によって
もたらされたからである。
インド料理でおなじみの材料、トマト、ジャガイモもアメリカ大陸原産である。
だから、カレーが現在のような形になっていくのにも、
大航海時代のヨーロッパが貢献していることになる。あの時代に、
あのようなかたちでヨーロッパとアジアのかかわりが持たれなければ、
いまのようなカレーにはならなかっただろうし、当然ながらイギリスを経由して
日本に紹介されることもなかっただろう。

同じように、同じ時期に日本に紹介されて、ものによっては受け入れられ、
ものによっては広まらなかったというごく当たり前の選択がおこなわれたのだろうが、
さも真新しいもののように、最近の女性誌で紹介されたりするアーティチョークなどが、
実はこんなに昔から入っていたということに妙なおかしさを感じる。

テンプラは安土桃山時代にポルトガルから入ってきた料理である。
テンプラということば自体、調理を意味するポルトガル語、temporeが
なまったものだ、などの説がある。もともと、日本料理には揚げ物はなかった。
寿司もルーツをたどると、中国の雲南省から、ビルマ、タイあたりにかけての
山岳部で、魚をご飯と一緒に漬け込んだ馴れ寿司にまで行きつくらしい。
味噌、醤油のような基本的な調味料も、やはり中国から入ってきて、
日本式に変化していったものだ。

「肉食の復活と、洋食という新しいシステムの出現に対して、
プロの日本料理人たちはそれを取り入れて伝統的な日本料理のシステムを
再構築することをしなかった。幕末の時期におけるシステムをそのまま固定化し、
みずからを化石化することによって、
伝統的なシステムをまもる方向にむかったのである。
以後、カレーライスやコロッケなどをとりこんでいく家庭の食事のシステムと
伝統的素材と技術にこだわる日本料理専門店との差が著しくなっていく。」
『外来の食の文化』

石毛直道は、植民地となったことがない日本人は、
特定の国家や民族に限定されたモデルをもたない欧米像を作り上げた
とも指摘している。植民地であった国は影響をストレートに受けているし、
明確な西洋のイメージも持っている。
日本国内でなら戦前のホテルや高級レストラン、現在のフランス料理店などは
フランス料理という明確なモデルを持っている。
対して、「洋食」の場合は、日本人が漠然とイメージした西洋一般であり、
日本で再編成された外来風の食事システムとなるという。

大正十二年の大震災は酷い被害をもたらしたし、古い秩序や価値観を
一新させてもいる。江戸時代からずっと畳敷きだったそば屋が、
いまみたいな椅子のスタイルに変わっていくのも
震災以後の建て直しのときからだった。そして、外見が変わるのと一緒に
メニューでも新しいものを受け入れている。カツ丼、ライスカレーなどが
登場するのもこのころからなのである。

もう一つの流れが東京、新宿の中村屋のカレーにはじまるインド式カレーである。
中村屋の創業者、相馬愛蔵はインドから亡命してきた独立運動のメンバー、
ラス・ビバリ・ボースを助ける。ボースはやがて相馬の娘と結婚して、
昭和二年に中村屋が喫茶部を設けたさいには、彼の協力でインド式カレーが
メニューに加えられることになる。これが、「本物のインド式カレー」ということで
大好評をはくし、中村屋の名物になっていく。
そして、そこからインド式カレーも根付いていき、
とくに戦後、数多くのインド料理屋が繁盛するという方向に結実する。
さらにこの流れは「エスニック」という東南アジアをはじめとする、
それまで知られていなかった味の世界が親しまれ、
ブームになっていく下地をつくる。

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本『日の名残り』

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

『日の名残り』
著 カズオ イシグロ
ハヤカワepi文庫

ねーさんから借りていたのに1年以上読めずにいた本。
ゆっくり落ち着いて読みたかったからなんだけど、
結局、実家から戻る電車の中で一気読みしてしまいました。

「何をお読みになっているのかしら、ミスター・スティーブンス?」
「ただの本です、ミス・ケントン」
「そんなことは見ればわかります、ミスター・スティーブンス。
何のご本ですの? とても興味がありますわ」
「これはどういうことです、ミス・ケントン。
私のプライバシーを尊重していただくよう、お願いせねばなりませんな」
「でも、なぜそんなに隠されますの、ミスター・スティーブンス?」

いちいち、ミスター・スティーブンス、ミス・ケントンと
呼びかけるふたりの会話がもどかしくも素敵。
これはふたりの礼儀であり、距離であり、親しさなのだ。

人生には確かに大事な一瞬がある。
そのときどうするかで、その後の運命が変わってしまう。
でも、そのときはそんなこと考えずに選んでいるのだ。

丸谷才一の解説はこの物語を悲劇だという。
だけど、私にはそう思えない。
ミスター・スティーブンスは自分の人生をふりかえって
深く後悔しているかもしれないけれど、
その人生はなんて美しいのだろう。


「品格」という言葉は、一時期、使われすぎて、
すっかり安っぽくなってしまったけど、
原書をチェックしたら「dignity」。
英語としても、難しい単語なのでは。


イギリスの地図を一生懸命たどっていたら、
"The Remains of the Day" Route
という公開マップがありました。結構長旅。


◆読書メモ

あのとき、もしああでなかったら、結果はどうなっていただろう……。
そんなことはいくら考えても切りがありますまい。
「転機」とは、たしかにあるのかもしれません。
しかし、振り返ってみて初めて、それとわかるもののようでもあります。
いま思い返してみれば、あの瞬間もこの瞬間も、
たしかに人生を決定づける重大な一瞬だったように見えます。
しかし、当時はそんなこととはつゆ思わなかったのです。
ミス・ケントンとの関係に多少の混乱が生じても、私にはその混乱を
整理していける無限の時間があるような気がしておりました。
何日でも、何ヵ月でも、何年でも……。
あの誤解もこの誤解もありました。
しかし、私にはそれを訂正していける無限の機会があるような
気がしておりました。一見つまらないあれこれの出来事のために、
夢全体が永遠に取返しのつかないものになってしまうなどと、
当時、私は何によって知ることができたでしょうか。

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本『アップルを創った怪物』

アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝
『アップルを創った怪物
 もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝』
著 スティーブ・ウォズニアック
ダイヤモンド社

スティーブ・ジョブズとともにアップルを創業したウォズこと
ウォズニアックの自伝。
自伝といっても、ライターがインタビューをまとめたもので、
原著のクレジットは「by Steve Wozniak with Gina Smith」となっている。
そのため、基本的にはウォズの思い出話や自慢話であり、
少なからずあったであろうアップルやジョブズへの不満も
「傷ついたけど、気にしてないよ」程度にしか語られていない。
(もちろんウォズの人柄の良さってのもあるだろうけど。
HP社について「いや~いいところだったよ」と語ったり、
アップル株で億万長者になった後は、
コンサートや教育などにお金をつぎ込んじゃったり。)

ウォズが最初に考えたというキーボードとテレビのインターフェース、
コモドールのPETやラジオシャックのTRS-80、アルテアよりも
「僕の作った」アップルの方がだんぜんすごかった、
という話なんかも割り引いて聞く必要があるだろう。

それでも『アップルI』誕生や
ブルーボックス(電話のタダがけ装置)の制作、
ジョブズが謝礼金をピンはねした『ブレイクアウト』(ブロック崩し)、
社員に株を与えた“ウォズ・プラン”、飛行機事故、
野外コンサート、アップル退社など、
今まで伝説だったエピソードが本人の口から語られたのは意義がある。

原題は『iWoz』。
『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』(原題『iCon』)とあわせて読むと
2人の創業者の違いがよくわかる。
プロデューサーとしてのジョブズと、あくまでエンジニアだったウォズ。
鏡のような2人がいて初めてアップルは誕生できたのだ。
最終章「人生の法則」のメッセージなんて、
ジョブズがスタンフォード大学で言っていたことによく似ている。
これはどちらかが真似したわけではなく、
若い頃お互いにそういう話をしていたか、
2人とも同じものをめざしていたからなのではないか。

◆読書メモ

おやじは、エンジニアであるとはどういうことかを僕にたたき込んだ。
エンジニアの中のエンジニア、真のエンジニアであるとは、だ。
今でもはっきり思い出せる。
エンジニアリングとは世界でもっとも重要なことだっておやじは言っていた。
人々の役に立つ電子機器を作れる人は社会を一歩前に進められる人だと。
エンジニアなら世界を変えられる、多くの、本当に多くの人々の生活を
変えられるって、教えてくれた。

その2年後、アリスと僕は結婚した。でも、その結婚生活は、
僕がHP社を辞めた少しあとに終わってしまった。
それって悲しくもおかしな符号だ。
だって、どっちも永遠に続くと僕は思ってたんだから。

スティーブと僕は、長い間、ホントに長い間、
互いに最高の友だちとして過ごした。同じ目標に向かって
一緒に努力した。それが結実したのがアップルだ。
でも、僕らは違うタイプの人間だった。最初からずっとね。

スティーブはあちこち電話すると、まるで奇跡だよね。
インテルからタダでDRAMをいくつかもらう話をつけてしまった。
あのころの値段とめちゃくちゃ品薄だったことを考えれば、
信じられないような話だ。それをやっちゃうのがスティーブって男なんだけど。
販売責任者との話がうまいんだ。僕にはアレはできない。内気すぎてね。

でも、スティーブから魅力的なことを提案された。
あのとき、僕らはスティーブの車に乗っていた。そして、
こう言われたことを、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えている。
「お金は損するかもしれないけど、自分の会社が持てるよ。
自分の会社が持てる一生に一度のチャンスだ」

まず、自分を信じること。迷っちゃダメだ。
世の中、それこそ大半の人、出会う人全員といってもいいほど
多くの人が、白か黒かという考え方しかできない。
こういう人たちに足を引っぱられちゃダメだ。みんな、そのとき
常識とされている見方しかしないってことを忘れちゃいけない。
過去に触れたり見たりしたものしか理解できないんだ。
これは先入観とか偏見とも言えるもの。
発明というものと決定的に対立する偏見なんだ。
世界は白黒なんかじゃない。
白と黒の間にさまざまな濃さのグレーがあるんだ。
「発明家なら、グレースケールで物事を見なきゃいけない。」

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本『あなたのTシャツはどこから来たのか?』

あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実
『あなたのTシャツはどこから来たのか?
誰も書かなかったグローバリゼーションの真実』

著 ピエトラ・ リボリ
東洋経済新報社

私が買っている安いTシャツは、
発展途上国で搾取された人々が作ってるんだよ
という本かと思っていたら、そんな単純な話ではなかった。

「あなたのTシャツは誰が作ったものですか?」
という女子学生の言葉に動かされ、
経済学部の教授である著者は、Tシャツをめぐる旅に出る。
著者がフロリダで買った5ドル99セントのTシャツは、
予想通りMade in Chinaであり、裁断、縫製は中国で行なわれていたが、
原料である綿はアメリカ、テキサス産だった。

アメリカは200年もの間、綿生産、世界一に君臨した。
それは、奴隷制度やプランテーションやメキシコからの安い労働力であり、
官民一体となった技術革新であり、(発展途上国では綿は手摘みされているが、
テキサスではすべて機械化されている)、政府の補助金であり、
なによりも政治的な保護政策によって守られているためである。

テキサス産の綿は中国に渡り、糸になり、布になり、裁断され、縫製される。
中国の工場を取材した著者は、そこが単なる“搾取工場”ではなく、
農村を脱出した女性たちの働く場所であり、
かつての日本、台湾、韓国も“女工哀史”による繊維産業をステップに
発展を遂げてきたのだと語る。

自由市場を説くアメリカが、Tシャツ(繊維産業)においては
どれだけ保護主義だったか、経済市場がどれだけ政治に支配されているか
という話は、この本の中心テーマであるが、
原書が発売されたのが2005年で、日本語版が2007年なので、
現在ではだいぶ状況が変わっているだろうと思われる。
(2005年に多国間繊維取極(MFA)が廃止され、
発展途上国からのアパレル輸入の数量制限が撤廃された。
その後、延長された輸入制限も2008年には切れているはずである。)

中国で作られたTシャツはアメリカに輸入され販売される。
さらに不用品として慈善団体に送られたTシャツは
古着としてアフリカで売られる。
古着ビジネスについては、善意によって無料で提供された衣類が
発展途上国の繊維産業をつぶしているという批判も多いが、
(以前読んだ『世界から貧しさをなくす30の方法』
って本にもその話がでてきました。)
著者は、タンザニアの古着ビジネスが、政治的な保護政策とは無縁に、
自由市場を形成していることを賞賛する。

アメリカ→中国→アメリカ→タンザニアとTシャツを追うことで、
イギリスの産業革命からアメリカの保護政策、
日本や中国における女工たちの歴史、
自由市場という名の下に行なわれる輸入制限、
発展途上国の古着ビジネスまで、
わかりやすい経済の物語として描いてみせる手腕はみごと。
ただ、わかりやすいからといって書いてあることを
すべて鵜呑みにするわけにはいかず、
著者が最後に女子大生に語るように
物事の両面に目を向けないといけないなと。

◆読書メモ

一人の若い女性がマイクを手に取ると、群衆に向かって問いかけた。
「あなたのTシャツは誰が作ったものですか。
食べ物も飲み物も与えられずにミシンにつながれた
ベトナムの子供でしょうか。時給18セントしかもらえず、
1日に2度しかトイレに行かせてもらえないインドの女性でしょうか。
皆さん知っていますか。彼女は十二人部屋で生活しているのです。
ベッドは共寝、食事にはお粥しかもらえません。
残業手当も受け取れずに、週に90時間働かされます。
発言する権利もなければ、労働組合を作る権利もありません。
彼女は貧乏なだけでなく、不潔で病気が蔓延する環境で
暮らしているのです。すべてはナイキの利益のために。」
わたしはこれらのことを知らなかった。そして不思議に思った。
マイクを持つあの女子学生は、なぜ知っていたのだろうか。

国籍も、経歴も、対象とする地域も時代も全く異にする研究者たちが、
繊維業における理想的な労働者を表す時に異口同音に口にするのは、
例の「従順な」という形容詞だ。そして、ランカシャーでも
マサチューセッツでも、サウスカロライナ、日本、台湾、香港でも、
その従順さは、労働者に選択肢がなく、経験もなく、
視野も狭いことからくるものだった。

1990年代末、ピュリッツァー賞を受賞したニューヨークタイムズの
ニコラス・クリストフ記者とシェリル・ウーダン記者は、
ゴミ拾いや買春をするアジア人、あるいは職を持たない
貧しいアジア人を取材した。彼らの多くにとって搾取工場で働くことは、
自分には無理でも子供には叶えてほしい夢だった、という。

繊維・衣料品メーカーは海外生産拠点を選ぶのに、
そこが経営上ふさわしいかどうかではなく、
その国に輸入割当があるかどうかを優先してきた。
世界最大の綿シャツメーカーであるエスケル・コーポレーションは、
1970年代後半に香港で創業した。
しかし、輸入割当を獲得できなかったため、生産拠点を中国本土へと移した。
1980年代のはじめに米国が中国製シャツの輸入割当抑制に動いた時、
エスケルは生産拠点をマレーシアへ移した。
ところがマレーシアの輸入割当も厳しくなり、次にスリランカへ移動した。
さらにモーリシャスやモルジブにも拠点を設立し、世界中を飛び回り続けた。

日本の若者たちは、リーバイスやナイキなどのブランドを好む。
このブランドのジーンズやスニーカーであれば、
東京では何千ドルという高値で売れる。
日本人はディズニーも好きだから、完璧な状態のミッキーマウスの
Tシャツであれば、ちょっとした模様つきTシャツの10倍の値段で売れる。
その貪欲な「アメリカもの」への需要のお陰で、
米国古着の最大の顧客は日本人である。
ただ、彼らのビンテージへのニーズは最高級かつ珍しい品目に限られるため、
取引金額では日本が最大の顧客であっても、
彼らが実際に引き受ける米国古着の量はほんのわずかしかない。

ミトゥンバとは、アメリカ人やヨーロッパ人が捨てた洋服のことで、
なかでもTシャツが多い。ニエレレ大統領がこれを見たら
驚いて墓から飛び出してくるだろう。なぜなら、西側の古着は、
祖国の誇りのために進めた「自立ある社会主義」政策下で、
第一級の輸入禁止品目だったからだ。

グラムたちは、この屈辱論には我慢がならない、と言う。
彼らは何度も繰り返し、「屈辱感はミトゥンバから生まれるんじゃない、
何も着るものがないというところから生まれるんだ」と語った。


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本『情報革命バブルの崩壊』

『情報革命バブルの崩壊』
著 山本一郎
文春新書

切込隊長こと山本一郎氏のタイムリーな一冊。

ネットの無料文化をささえてきた、
広告収入とIT業界に対する株式市場の過剰期待のバブルが
今終わろうとしている。

「ネット広告は、それほど収益性が高くなく、将来性にも乏しい。
Yahoo!など限られた大手サイトだけが広告売り上げを伸ばしているが、
それ以外の弱小サイトは、オンライン上のメディアの数が増えたこともあり、
クライアントを奪い合う形となり、媒体一つあたりの広告収入は
07年後半から減少曲面に入っている。」

「口コミと呼ばれるネットマーケティングも、
ネット上の祭りも、サクラや煽動で盛り上げ、
あたかも現象があるかのように作り上げ、
既存メディアにおもしろおかしく書きたてられることで
祭りが加速するという意味では同じ。」

「より大規模な投資と買収を繰り返すことで規模の拡大を実現してきた
ソフトバンクの問題とは、まさにいまその貯金を使い果たそうとしており、
かつ、ソフトバンクに対して常に追い風となってくれていた世界的な過剰流動性、
金余り曲面が終わってしまいつつあることにほかならない。」

などなど、はっとする指摘も多い。
ホリエモン逮捕にみる金融市場の事情や
ソフトバンクの自転車操業など、言われて初めて納得した話もある。
あいかわらずの山本節は小気味いいと同時に、
何もケンカを売らなくてもと思うところや文章的に読みにくいところもあるが、
今後、決してバラ色ではないだろうネット社会を見据える意味で
今、読んでおくべき本。


◆読書メモ

新聞はネットに読者を奪われたのだろうか?
読者は新聞記事を毎日、せっせと読んでいる。
無料のネットのサイトや、ケータイを経由して。
読者は新聞記事を読んでいるが、新聞を買わなくなっただけである。
新聞というパッケージが見捨てられこそすれ、
新聞記事という商品そのものはまったく価値を失っていない。

Googleがいかに賢く神の如き存在だと振る舞っていても、
平たく言えばデータがテキスト化された巨大データベースに過ぎないのだ。
いくらインターネットが便利だからといって、例えば貴方が昭和20年元旦に
当時の首相がどんな談話を残したと報道されたか調べようと思っても、
検索では教えてくれない。ネットによる情報革命とは、
ネットに情報が乗っかっていない限り、実は何の役にも立たない。

情報の価値という点から言うならば、文字・テキスト化され
インターネット上のアーカイブとして誰もが検索し閲覧できるような内容が、
果たして本当に価値を持つものなのかどうか、よく考えてみるべきだろう。

情報化社会は、自分が知りたい、知らなければならない情報に
アクセスできる効果的な手段は用意してくれた。
だが、知るべき情報量そのものを増やした結果、
自分が知らない情報や、知らない分野で判断を求められたときに、
必ずしも求めるべき正しい解答を与えてくれる社会になったとはいえない。

これを、私たちはソースロンダリングと呼んでいるが、
ネット内でさも偶然、自発的に盛り上がった話題を
取り上げたかのように装い、存在しないはずの事件や問題が
ネット住民の間では話題もちきりという形で報じるわけである。

これは、過去にリクルート問題や、西武問題で
「なぜリクルートだったのか」や「どうして西武なのか」
と考えると結構鮮明に見えるが、新しく出てきたコングロマリットを叩く
というよりも、国の意志決定者というのは顔が見えない代わりに、
誰が国を支える人で、誰がそうでないのかをかなりしっかり選別していて、
摘発できるタイミングや望ましくない風潮が拡大するタイミングでは
必ず何かのアクションを取ろうとする傾向がある。

長期的に見るならば事業戦略として将来の売上を担保に資金を導入して
現在事業の投資にあてるというのは、
技術革新を含む顧客満足の停滞を意味し、健全な競争というよりは、
猛烈に自転車を漕いだ先が崖というチキンレースの状態になる。

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本『オーディオの作法』

オーディオの作法 (ソフトバンク新書) (ソフトバンク新書)

『オーディオの作法』
著 麻倉怜士
ソフトバンク新書

麻倉さんによる実践的オーディオ入門書。
スピーカー、アンプ、プレーヤーの基本3点セットの選び方から
スピーカーの間にテレビを置かない、
オーディオ選びはカタログだけでは絶対にできない、
床へのベタ置きは厳禁、
スピーカーと床の間にフェルトのようなやわらかい布を入れて、
有害な音波を吸収する“フェルティング”のやり方、
CDは必ず「2度がけ」する、
プレーヤーには振動を与えない、
電源のプラスマイナスを正しくするだけで音が変わる、
CDはハンドソープを泡立てて水洗いする、
などなど、音質向上のためのテクニックを紹介している。

予算別オススメオーディオセットも載っているけど、
高いものを買えばいいわけではなく、
自分の聴く音楽にあわせて、好みの音を出してくれる機器を
実際に視聴して、自分の耳で選ぶことを基本としている。
お金をかけなくてもすぐに実行できそうなテクニックが
書かれているところもいい。
なかでもびっくりしたのは「CDの2度がけ」。
一度、プレーヤーに入れて読み込ませたCDは、
イジェクトしてかけたほうが音がいい、というんだけど本当?
(やってみたけど、いいような気もするし、変わらないような気もするし、
私の耳ではわかりません。)

麻倉さんの文章のすばらしいところは読んでいると
今すぐいい音楽を聞かなきゃ、という気分になるところ。
まったく知らないクラシックやジャズの演奏でも
それがどんなにすばらしいか、文章でちゃんと伝えている。

「オーディオの目的は生の音楽の感動をリスニングルームに蘇生させること、
そのためには生演奏を体験して“感動の経験値”を上げてほしい」
という文章にのせられて、
さっそくオペラシティのランチタイムコンサートに行ってきました。
ピアノ演奏で、曲目は、
V.ノヴァーク『思い出』
B.スメタナ『海辺にて』
W.A.モーツァルト『トルコ行進曲』
R.シューマン『トロイメライ』
F.ショパン『華麗なる大円舞曲』
F.ショパン『革命』
半分くらい眠りながら聴いてたんだけど、
生のピアノの音で眠るってすごく気持ちいい(笑)。
心より体にいい感じ。
オーディオセットをそろえることのできない私としては、
こちらの方法で経験値を上げていきたいです。


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本『クラウド化する世界』

クラウド化する世界
『クラウド化する世界』
著 ニコラス・G・カー
翔泳社

◆読書メモ

コロンビア万国博覧会を訪れたL・フランク・ボームは会場に目が眩み、
そのことがインスピレーションとなって、1900年に『オズの魔法使い』
のエメラルドシティを書いたのだった。

(グーグルに)買収されたとき、ユーチューブの従業員は
たったの60人だった。

もしニュース産業が時代の流れを暗示しているとしたら、
我々の文化から淘汰される運命にある“石屑”には、
多くの人々が「優れたもの」と判断するような産物も含まれてしまうだろう。
犠牲になるのは、平凡なものではなく、質の高いものだろう。
ワールドワイドコンピュータが作り出した多様性の文化は、
じつは凡庸の文化であることがいずれわかるだろう。
何マイルもの広がりがありながら、わずか1インチの深さしかない文化だ。

デイビッド・ワインバーガーは、その著書“Small Peaces Loosely Joined”で、
インターネットの解放神話を簡潔な言葉で総括した。
「ウェブとは、我々が相互に生み出した世界である」

「私が広告に費やした金の半分は無駄になる。
しかし問題なのは、無駄になった半分がどれなのかわからないことだ」
ジョン・ワナメーカー

「我々(グーグル)は人に読んでもらうために
本をスキャンしているんじゃありません」と、その技術者は言った。
「AIに読ませるためにスキャンしているんです」

「いつも作りたいと思っている」究極の製品は、質問されるのを待ったりせず、
即座に「何を入力すべきか教えてくれる」製品だという。
エリック・シュミット

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本『トンデモ偽史の世界』

『トンデモ偽史の世界』
著/原田実
楽工社

モアイ像は日本人が作った説、ピルトダウン人、
シオンの議定書、古朝鮮問題、ニセ天皇、邪馬台国四国山上説、
四国にソロモンの秘宝があった説、前期旧石器遺跡偽造事件、
山田長政伝説、アーサー王は実在した説、
シェイクスピアの正体はフランシス・ベーコンだった説などなど
トンデモ仮説から、個人によって偽造された遺跡まで、
その背景とともに紹介した本。

この本の一番のテーマはすでに序章に書かれており、
トンデモ仮説はそれを求める人、それを信じたいと思った人が
いるから成り立つのだということ。
たとえば、アマチュア考古学者チャールズ・ドーソンによって
偽作されたピルトダウン人の頭蓋骨は、
「人類は脳から進化した」という当時の学説によって、
偽物とは思われず歓迎された。
邪馬台国四国山上説と四国にソロモンの秘宝があったとする説に
共通するのは、地元への誇りや愛情ではなく、
「四国から目をそらせようとする何かがあるに違いない」
と考えたがった人々の強烈なコンプレックスであると著者はいう。

ユダヤ陰謀論とはアメリカの影に何かの力が働いていると
思いたがる人々が作り出すものであり、
最近の月着陸捏造説や9.11アメリカ自作自演説は、
日本の混迷をアメリカのせいにしたい願望の表れだ
という話にはなんとなく納得。

この手のトンデモ史ファンには有名な説も多いのだろうが、
私はほとんどが初めて知る話だったので、
次々登場する説や反論、元とされている歴史書の固有名詞に混乱。
著者の政治的(?)、感情的な偏りみたいなものもやや気になるが
それを差し引いても、おもしろく読める。

白眉は終章で、さらっと書かれているが、
八幡書店、オカルト雑誌『ムー』からオウム真理教が台頭した
という話は、これだけで一冊本ができる内容。
信じる人々がいれば、トンデモ説でも伝説となり、
歴史となってしまう危険性がわかる。

◆読書メモ

シェイクスピア劇から暗号を解読しようとする試みは
アメリカ、イギリスの暗号研究に貢献した。
日本外務省のパープル暗号を解読した、
ウィリアム・フレデリック・フリードマンの趣味は
暗号としてのシェイクスピア作品解読だった。
彼はシェイクスピア作品と、ベーコンを含む作者候補者たちの
文章に用いられる用語の頻度を調べ、文章の癖を数値化した。

革命と古代史、特に世界革命と超古代史は、
これらに没入する人間の自己狂信化の速度と
ストイシズムにおいて実によく似ている。
(久山信「“全世界”から“前世界”へ」)

八幡書店を主宰する武田崇元は“神国日本の復活”
というスローガンを掲げる。……かかる選民思想を内包する
国家社会主義が西武セゾンをはじめとする文化装置を通して
単なる差別ネタ大好き少年少女のたぐいをファシスト予備軍へと
感化しつつある現実は看過できない。
(久山信「霊的国家論とポップ・オカルティズム」)

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本『プラネット・グーグル』

プラネット・グーグル
『プラネット・グーグル』
著 ランダル・ストロス
訳 吉田晋治
NHK出版

「世界中の情報を整理する」という野望に向かって、
書籍のスキャン、ユーチューブ買収、
グーグルアースからストリートビューへ、
拡大し続けるグーグルの現状を描く。

私はグーグル大好きな人なので、
急速に拡大し続ける姿は順風満帆にように見えるが
この本を読むと彼らが様々な困難を抱えていることがわかる。
グーグルはいまだに広告収入以上の収入源をもっていない。
フェイスブックへの人材流出や、ユーチューブのように
コストはかかるのに利益をあげらない事業、
グーグルが誇る検索アルゴリズムさえ
人間の叡智を取り入れる必要があるのではという声もある。

私からするとグーグルのユーチューブ買収は
「さすがグーグル、クールな買い物だ」と思っていたけど、
そこにはグーグルビデオの失敗があったという話や、
グーグルのすごさを認識させたグーグルアースは
他の会社が作ったものだという話(会社ごと買収し、
グーグルアースを開発させた)など、へーと思う話も多い。

ユーチューブの開発者がそのアイデアを
「パーティーで撮影したホームビデオを
参加者に見てもらう方法を考えた」という話は有名で
私も『ニューズウィーク』かなんかで創業者2人の写真とともに
読んだことがあるが、これはメディア向けにつくった話で、
実際にはもうひとりの創業者が映像クリップの需要に気づいた上で
ユーチューブを作っていた。ユーチューブはそもそも最初から
著作権問題を背負っていたわけだ。

「ユーチューブの元もとのアイデアは2004年12月に
思いがけない発見をした瞬間にさかのぼる。
『ワイアード』誌の記事でジュード・カリムが目にしたのは、
ジョン・スチュワートの映像クリップをオンラインで視聴した人々が
少なく見積もってもCNNで放送されたときに
スチュワートを見ていた人々の三倍もいたという事実だった。」

グーグル万歳という話ではなく、冷静に見ると
決して開放的でもなく、ビジネスがうまいわけでもなく
天才でもないグーグルの姿が見えてくる良書。

◆読書メモ

マイクロソフトとヤフーの合併について
「百ヤード競争で二位だった男と三位だった男の足を縛り、
これでもっと早く走れるだろうと考えて再び競争させるようなもの」
ダン・ライオンズ『スティーブ・ジョブズの秘密の日記』

サーベイ・ブリンは2002年にあるインタビューの中で、
収集した全情報を一つにまとめたうえに、ブリンの言葉を借りれば
「合理化する」能力に関して、(『2001年宇宙の旅』の)
HALこそが「われわれの目標だ」と答えている。
さらに「HALが宇宙船の乗組員を殺してしまったようなバグは
なくせるはずだ」とも述べている。

一説によると、フェイスブックの社員の十パーセント近くは
元グーグラー(グーグル社員)だそうだ。

単一単語の「言語モデル」を開発する統計的手法は、
あらゆる言語のスペルチェック用ソフトを開発するのにも役立った。
最近になって登場した新しい有名人の名前も含まれているうえに、
人間が編集する必要はまったくなく、辞書さえも必要ない。
発行された大量のテキストをアルゴリズムに処理させれば、
出現頻度の統計解析によって「正しい」スペルが決まってくる。

2002年にペイジとメイヤーがグーグルで書籍をスキャンする件について
話しはじめたとき、2人は書籍一冊をスキャンするのにどのくらい時間が
かかるのか試した。2人がメトロノームのリズムに合わせて
300ページの書籍のページを一ページずつめくったことは、
その後いく度となく語られている。
2人はこの実験で300ページの書籍をスキャンするのに40分かかる
というデータを得た。そこから数百万冊をスキャンするのにかかるコストを
どうにか見積もれると踏み、その額が想像の範囲内に収まると考えたのだ。

シリコングラフィックが本社を引き払うことを余儀なくされたとき、
新たなテナントがそこをグーグルプレックスに変えたのである。

グーグルマップの最初のマッシュアップを開発したのは、
ドリームワークスアニメーションのソフト開発者ポール・ラーデマカーだった。
彼はクレイグリストの住宅広告をグーグルの地図にリンクできると考え
各リストを押しピンの形で地図上の適当な場所に表示するコードを開発した。
彼が立ち上げたウェブサイト、ハウジングマップはすぐにクレイグリストで
アパートを探していた数千人の注目を集め、こうした人々から重宝がられた。
グーグルはこれに気づき、マッシュアップをさらに簡単に開発するための
機能を追加した。手はじめにグーグルはラーデマカーを引き抜いた。

2005年6月にグーグルアースがリリースされたとき、
ほとんどのユーザーが最初に見たいと思ったのは自分の家だった。
(ブリンはその前年にキーホールのソフトをデモンストレーションした際、
同僚の自宅を一人ずつざっと見せたときに、こうなるだろうと予測していた。

ストリートビューで最初にカバーした5都市のうち4都市については、
ボールの形に似ていて11個のレンズが表面に散らばっている
「全方位」ビデオを発明した別の会社、イマーシブメディアの収集した
画像を使っていた。普通車やワゴン車の屋根に据え付けると
球形の動画を記録し、連続的にGPSデータと関連付けられ、
これを再生すると好きな場所からの360度の映像を見ることができる。

グーグルは全地球の高解像度写真が指先で見られるようにするのに
一役買ったが、だれにとってもメリットよりもデメリットのほうが
大きかったとしても、一社だけを非難するわけにはいかない。
世界がこれほど小さく感じられるようになったのは、
コンピュータ技術がそれを可能にしたからなのだ。
そして、その技術に「元に戻す」ボタンはついていない。

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本『ウィキペディア革命』

『ウィキペディア革命
そこで何が起きているのか?』

岩波書店

◆読書メモ

「では、これまでどうやって調べていたのですか」
シアンスポ(パリ政治学院)の学生

ガルニエ(ラルース社「百科事典・辞書」部門部長)は、
自分たちの仕事がアカデミックな知識を中心としていたことと対比して、
オンライン百科事典の貢献を謙虚に評価する。
ウィキペディアがこれまで眠っていたジャンルを目覚めさせているからだ。
「それは一連の項目の中に大衆文化を位置づけ、
伝統的な百科事典には見られなかった項目、熊のぬいぐるみから
TVのリアリティ番組までをもたらしています。
この豊富さをもたらしているのは、明らかに、
それが知識のいかなる階層性も分類もないためです。
とはいえ、百科事典編纂者の役割は知識の境界を指し示すことです。
ウィキペディアでは、誰もこの重要さに触れてはいませんし、
それがないとさえ言っています。」

「ジャン・トュラール(歴史家)が専門家としてナポレオンの記事を書き、
翌日、高校生がその記事を荒らしたとしましょう。
彼が再び記事を書くと思いますか。もはや書かないと思いますよ。」

「知識を得るのはファースト・フードを食べるのとは違います。
知識の取得には時間、考察そして噛み砕くことが必要なのです」

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本『NYLON100%』

NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流
『NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』

著/ばるぼら
アスペクト

『NYLON100%』とは、1978年~1986年まで渋谷にあったカフェ。
パンク/ニューウェイヴの拠点として、
ヒカシュー、プラスチックス、ゲルニカなどがライブを行ない、
アーティストたちが常連として通った。
本書は、当時の店長から常連アーティストたちへのインタビューを通し、
『NYLON100%』とは何だったのかを描き出す。

といっても、私はこの本に出てくる固有名詞がほとんどわからない。
聞いたことがあるのは、ヒカシュー、ゲルニカ、サエキけんぞう、
立花ハジメ、戸川純、大槻ケンヂくらい。
彼らの音楽にいたっては、ちゃんと聞いたことがあるのは、
戸川純の『パンク蛹化の女』とブライアン・イーノ程度で、
ニューウェイヴっつてもどんなの? という感じ。

そんな私でも、この本の膨大なインタビューを通して
'80年代渋谷の風景が見えてくる、ような気がする。
若者たちが集まって、何か新しいこと、かっこいいことを始めようとしていた
その熱さと、対照的にクールでキラキラしたファッションと音楽、
その中心で、人々が集まり、去って行った交差点のような場所が
カフェ『NYLON100%』だった。

私は高校が渋谷沿線だったので、80年代後半は一応、渋谷を通過してるのだが、
せいぜい東急あたりのお店をのぞいたり、部活(代々木織田フィールド)の帰りに
シェーキーズでピザ食べたり、ジェラート食べるのが贅沢だったくらいで、
この本に出てくる人々のように、オシャレしてカフェにたむろしてライブに通ったり
なんて高校生時代は過ごさなかったので、それがちょっとうらやましいなとも思う。
(当時の私がニューウェイヴにハマるとはとても思えないが)
ただ、この本を読んで、当時の渋谷の雰囲気を強烈に思い出した。
私が高校生の頃は、ニューウェイヴ的なものは、一般化されちゃってて
パルコだったり、WAVEだったり、
この本でいうポパイ文化(アメリカ西海岸)的なものは、私の場合、
109のソニプラだったり、オンサンデーズだったり。
あと、この本で「中学生がグループデートで行くような店」と言われている
公園通りのジャック&ベティ。当時、文通していた広島の女の子に
東京を案内して欲しいといわれて、連れて行ったおぼえがあります。
今考えるとずいぶん嘘っぽいアメリカン50sなんだけど、
あの頃はあれがおもしろいと思えた。
そんな風に、ブランドというか店の名前で文化が語れちゃった時代。

著者のばるぼらさんについては
『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』の人、
ぐらいのことしか知りませんが、雑誌の書評のセレクトは
いつもいいなーと思っていて、今や芥川賞作家である川上未映子さんの
『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』もこの人の書評で知ったのでした。
膨大なインタビューには、膨大なアーティストやレコードやライブの名前が
次々と登場するのだが、その話についていけるだけの音楽的知識と
おそらく綿密な下調べがあり、ひとりひとりの様々な証言から
当時の情景がだんだんと見えてくる手法がすごい。

そして、私はバンドメンバーというのはあまり変わらない方が
いいことのように思っていたのだが、この本に出てくるアーティストたちは
ぴょんぴょんとバンドをつくっては解散し、
おもしろいかなと思うとまた違うことを初めてみたり、
その柔軟性がそのまま彼らの作る音楽になってるのかなと。
音楽を作ることと、雑誌を編集すること、ライブをやること、絵を描くこと、
それぞれの境界がほとんどなく、当時バンドをやっていたメンバーが
今や編集者だったり、イラストレーターだったり、写真家だったり、
別々の分野で活躍しているのも、'80年代渋谷文化っぽいといえるのか。

◆読書メモ

「僕はペル・ウブが大好きだったんで、ペル・ウブの話とか。
メンバーのデヴィッド・トーマスに会ったことがあって、
たいへんなインテリな人で驚いたけどね。彼は音楽評論家でもあるけど、
ニューウェイヴ・ロックは文学におけるウィリアム・フォークナーの
レベルに到達したという見解を持っていたね。」
(巻上公一)

「ナイロンには一人でも行くわけで、それはなぜなら
ナイロンには似たようなやつがいたからとか、
いることを確信したからだとかがあって、
そのような確信を持った人が集まる場所というのがあるんですよね。
それは、他のジャンルにもあって、例えばコンピュータの世界なんかでも、
「あのとき、あの場所にいたよね」っていうことがあるわけだし、」
(野々村文宏)

「東京の八十年代初頭にあった空気ってのはその後どこにもないもので、
岡崎京子が『東京ガールズブラボー』で描いたことはまさにその空気なんですよ。
「八十年代はスカだった!」みたい言葉に対して「そんなことはない!」って。」
(KERA)

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本『潜水服は蝶の夢を見る』

潜水服は蝶の夢を見る
『潜水服は蝶の夢を見る』
著/ジャン=ドミニック・ボービー
講談社

脳出血により身体の自由を奪われ、瞼のまばたきで文字をつづり
書かれた手記。ジュリアン・シュナーベルによって映画化されました。

著者は『ELLE』編集長だっただけあって、推敲された文章は
知的で、詩を読んでいるように美しい。
“潜水服”と“蝶”という比喩がすばらしく、
体が動かないことの絶望と過去の日々への想い、
それでも生きていくことの希望が、蝶が舞うようにつづられている。
この文章が書かれたのは、彼が倒れてから6ヵ月~8ヵ月の頃なので、
いくぶん彼の決意表明に似た文章で、若干綺麗すぎるきらいはある。
恐ろしいほどの絶望や苦しみをあえてユーモアや詩的な文章で
描くことで、「僕は大丈夫だ」と伝えたいようにも見える。
逆に言えば、書くことで彼自身、いろんなものを乗り越えようとしていたのだろう。

彼の気持ちがわかるとはさすがにいえないが、
私も手術の後、酸素マスク、点滴、尿管をつけて過ごした時間は
まさに潜水服の気分だった。足元の毛布さえ自分では動かせない。
看護婦さんがやってきて、点滴を取り替えたり、傷口を見てくれるのだが、
俎板の鯉で、もう勝手にやってくれって感じで。
酸素マスクが取れるまで数時間、体が動かせるようになるまで一晩。
それはものすごく長い一晩だった。
著者が医師や看護士にあだ名をつけたり、
彼らの行動を観察している気持ちもよくわかる。
自分では何もできないわけだから、看護のていねいな人、
親切だけど作業が雑な人、クールにてきぱきこなす人、
患者からはすごくよく見えてしまうのだ。
人によってはいじわるな見方だと思うかもしれないが、
彼のユーモアにあふれた病室の描写は、
入院したことのある人なら共感できるのでは。

私程度が言うのもなんだが、生きることって本当に過酷だ。
それでも「僕は生きている」と伝えようとする文章が心を打つ。

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本『1日3時間しか働かない国』

誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国
『誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国』
著/シルヴァーノ・アゴスティ
マガジンハウス

夏休みなので、日曜日から隠居所へ。
といっても、いろいろとかたづけないといけない仕事があるので、
資料やらなんやらいっぱい持ってきて、
会社のメールをチェックしたりなんだりしてる訳で、
しかし、水の音や川風に吹かれたりしながら仕事をする気にさっぱりなれなくて、
読んでみたのがこの本。

著者は70歳の映画監督であり、作家であり、詩人でもある多才な人で、
“キルギシア”という国から書いた手紙、という形式。
キルギシアでは、人々は最高でも1日3時間しか働かない、
残りの時間は、眠ったり、食事をしたり、創作活動をしたり、
自分の人生のために使う。
犯罪は激減したので、警察や軍隊はなく、病気になる人も少ない。
政治はボランティアによって行なわれている。
子供たちは16歳まで好きなように遊び、
勉強ではなく、学びたいときに「哲学の家」や「ことばの家」など
興味のあるところにいって学ぶことができる。

もちろん、キルギシアは架空の国なのだけど、
そんなの夢物語だと笑うのは、
「君たちが今日の西洋的な社会システムしかありえないと思い込まされてる」
からだと著者は書く。
「新しいテクノロジーが生産効率を飛躍的にアップさせたのに、
労働時間は元のまま変わっていないってことに、僕たちの社会では
ほとんどの人が気づいていない」
「働く時間が少ない人ほど、より多くのものをより良く生み出せる。
僕らはそのことにわりと早く気づいたんですよね。」

後半には「我が家に小さなキルギシアを建国したよ」
という友達の手紙も紹介されている。
「1日3時間しか働かない」というのは私にとってまだまだ無理だけど、
とりあえずこの夏休み中は、1日1時間を仕事にあてて、
あとは自分のための時間を過ごしてみようと思う。
そう考えると、わりとキルギシアも夢じゃない気がするのだ。

◆読書メモ

人間の体をきちんと働かせるためには、まず何よりもちゃんと眠るようにするんだ。
これは単に床に就いて目を閉じるということではないんだよ。
眠りにも文化というものがあるのさ。
ぐっすり寝たら今度は、ちゃんと食べるようにするんだ。(略)
それからちゃんと働くようにするんだ。働く時間は最小限に抑えることだよ。
長くても一日に三時間まで。
どんなことでもいいから、純粋に自分の糧になるようなものを毎日ちゃんと
学ぶようにする
べきだね。ただし、それは自分が興味のあることじゃないとだめだよ。
ちゃんと与えるようにすることも大事だね。(略)
それからちゃんと創るようにするんだ。(略)
それから、ちゃんと愛すること、愛し合うこと。(略)
あらゆるものごとには、それを覆っている不思議なベールがある
そのことをちゃんと意識することだね。
人が本質的に求めることや望むことって、概ねこの八つらしいんだ。
これらが満たされれば、たしかに安定した穏やかな毎日が送れるだろうね。

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本『インフォコモンズ』

インフォコモンズ (講談社BIZ)
『インフォコモンズ』
著/佐々木俊尚
講談社

佐々木さんの新刊。
Web2.0がぶちあたっている壁と、それをクリアしたWeb3.0の予言書。

著者的には『フラット革命』の続編に当たる。
『フラット革命』では、素人のブログとマスメディアの記事が対等に扱われる、
Web2.0によって起こった「フラットな」ネット社会が描かれており、
フェースブックやmixiがそれをめざしているように、
やがてリアルな人間関係とネット上の人間関係はイコールになるだろうとしている。
『インフォコモンズ』は、さらにその先。
情報を軸として、人と物が結ばれる新たな共同体(インフォコモンズ)が出現し、
リアルな人間関係はバーチャルな世界にのみこまれていくだろうと予言している。

もうちょっと具体的にいうと、
情報がすべてフラットになったことで情報洪水が起こった。
(ニュース記事も友達のブログに書かれた「映画を見た」というパーソナルな記事も
すべて同じ「情報」としてRSSリーダーに流れ込んでくる。)
大量の情報を消化し、洪水の中から個人にとって有益な情報を取り出すためには、
検索エンジンを駆使したり、速読術を見につけるなど能動的(プル)なスキルが
必要になる。これを解決して、受動的(プッシュ)に情報を手に入れる方法のひとつが
アマゾンのレコメンデーションのような「協調フィルタリング」だが、
アマゾンの「この本を買った人」が誰なのか、ユーザーには見えない。
自分が「この本を買った」という情報が監視されているという不安もつきまとう。
フェースブックのビーコンやソーシャル・アドは
「友達の○○さんがこの本を買いました」、「○○さんはこんな映画を見ました」
という情報を友人たちに配信する機能だが、
これは「ストーカーみたい」だとユーザーの不信をかった。
フェースブックのソーシャル・アドには「友達が薦める本や映画や音楽が、
友達だからといって好みがあうわけではない」という問題点もある。

まだ実現していないWeb3.0では、これらの問題点は解決され、
「フラット化された情報が再集約される」と著者はいう。
たとえば、製薬会社に務めて、テニスが好きで、角田光代ファンの
女性がいたとしたら、彼女は「製薬会社に務めている人のコミュニティ」、
「テニスが好きな人のコミュニティ」、「角田光代ファンのコミュニティ」
という、それぞれは関係のない3つのコミュニティに属していることになる。
でも「角田光代ファンの人であれば、この本も好きじゃない?」という
リコメンドを「角田光代ファンのコミュニティ」では共有できる可能性が高い。
そういう風に人と人、物と物が情報によって結ばれていくのが
Web3.0の世界になるだろうと。

「情報共有圏(インフォコモンズ)」、「中間共同体(マジックミドル)」
といったように、意図的にルビを多用しているのだが、
意味がわかりやすいところと、むしろ読みにくいところがあったり、
『ハイ・フィデリティ』を例として出すなど、
アプローチとして適切なのかどうか悩むところもあったりするのだが、
Web3.0の予言としては、かなりいいところをついているのでは、と思う。

◆読書メモ

フェイバリッドDB、ソーシャルフィード、デクワス

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『70円で飛行機に乗る方法』

70円で飛行機に乗る方法 マイルを使わずとも超格安で旅行はできる [宝島社新書] (宝島社新書 274)
『70円で飛行機に乗る方法
マイルを使わずとも超格安で旅行はできる』

著 高城剛
宝島社

シンガポールからプーケットまで約70円、
ロンドン―パリ間が約160円という激安航空券を提供する
LCC(ローコストキャリア、格安航空会社)を紹介。
大きく変わった飛行機の旅と、
海外から大きく出遅れている日本の空港事情を考える。

高城さんの本はいつもそうだけど、いきおいがいいので、
読んでる間は「うんうん」と楽しく読めるが、ふと我に返ると、
「海外の航空運賃が安くなり、空の旅の敷居が低くなったのはわかった、
でも、だからって誰もがポンポン海外に行けるわけじゃないしねー」
と思ってしまうのだ。

格安航空会社や日本の空港事情を通して
この本で著者が一番いいたいことは、
「閉鎖的な日本から海外へ飛び出せ」
ということであり、それが正しい意見だということも理解できる。
しかし、そこになんとなく違和感を感じてしまうのは、
海外を飛び回り、ロンドンに長期滞在する著者の視点が、
やっぱりどこか自分の日常とかけ離れているからだろう。
いじわるな言い方をすれば、「金があって、
自由業(クリエイター)な人に何言われてもね」と思ってしまうのだ。
「日本にもLCCが登場すべきだ」という主張も
「僕がもっと便利になりたい」と言ってるだけにもみえる。
(ここらへんの違和感は『サヴァイヴ!南国日本』と同じ。)
いまや“エリカ様の彼氏”として有名な著者が
「テレビ画面で空港が映るときは「あの芸能人が海外から帰ってきた」
などのくだらないニュースを流すときくらい。」と書いているのも、ちょっと苦笑。

「成田は深夜23時から早朝6時まで航空機の発着ができない。
夜の9時台で人がいなくなるような主要空港は成田くらいだろう。
今の時代ではありえないことだ。」
と書かれているが、それが騒音問題や長い闘争の結果だということぐらい
当然、著者だってわかっているはずだ。
成田の歴史とこの本の論点が関係ないのは理解できるが、
そこらへんすっとばして、「世界の空港に比べて成田は遅れている」
と主張されても、という気もしてしまうのだ。

まあ、なんだかんだいって、
とりあえず健康にならないことには飛行機にも乗れない
現在の私の恨み言なのかもしれないけど。


◆読書メモ

この「サウスウエストの航空券が安い」という情報を手に入れていれば、
有利な条件のもと移動することができる。しかし、この情報を知らなければ
不利益な条件でのフライトとなってしまう。この情報を手に入れているか否かは、
今後僕らがグローバル化した世界を生きる上において非常に重要なことである。

ラストミニッツ・ドット・コム

グローバリゼーションというのはすべてを世界化することではなく、
ここからここまでをオープンにして世界と協調し、ここからここまでは
僕らのものだから守っていこうと、線引きすることをいうと思う。

最大のネックは日本脱出にある。宇宙へ飛び立とうとするロケットが
重力の抵抗にあうように、僕らは日本から出るところが最大の難関だ。
そこを抜ければ、いろいろなものがつながった世界へ行ける。

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『ケータイ小説的。』

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち
『ケータイ小説的。 “再ヤンキー化”時代の少女たち』
著/速水健朗
原書房

著者の前著『自分探しが止まらない』は、フリーターから
海外ボランティア、あいのり、中田英寿、高橋歩、路上詩人まで、
“自分探し”にのめり込む若者たちを描いてみせた好著だったが、
(以来、本屋にならんでる本のほとんどが自己啓発本に見える)
豊富な事例ゆえに、なんでもかんでも“自分探し”のように
テーマがぼやけてしまった感もあった。
豊富なサブカル知識を駆使した語り口が、
速水さんの本のおもしろさだと思うのだが、
今回は“ケータイ小説”をテーマに、それがピタリとはまっている。

ケータイ小説に見る浜崎あゆみの影響、『NANA』、紡木たく、
ヤンキー文化の復権へと展開していく分析は非常にうまい。
私は『渚のシンドバット』の浜崎あゆみの演技が結構好きで、
場合によってはいい女優になったのに、と思っている。
最近、彼女が『ツインズ教師』でレイプされる少女の役を演じていたことを知って、
たしか『未成年』でも家庭教師によって妊娠してしまう役だったよなー、
浜崎ってB級アイドル時代はそんな役ばっかりだったのね、と思ったのだが、
それが「あゆの擬似レイプ体験とトラウマ語り」として、
すっきり説明されていたのは、わが意を得たりといった感じ。
また、矢沢あいの初期作品が(特に絵が)紡木たくによく似ていたのは
私も覚えているが(というか、あの頃、『別マ』とか『りぼん』って
紡木たくの亜流があふれていた)、それをヤンキー文化の潮流として
浜崎あゆみから遡ってみせるところがおもしろい。

ここらへんまでは、ケータイ小説を1冊も読了していない私でも
読み解けるかもしれないが、そこからさらに、
ケータイ小説の背景が郊外であること(東京の不在)、
デートDV、アダルトチルドレンへと進んでいくあたりは、なかなか。
特に『恋空』のヒロと美嘉の関係がデートDVであるという指摘は、
「こいつらのベタベタと束縛する関係が恋愛なのか?」
と思いながら読んでいた私には、ひとつ謎が解けた気分。

ケータイ小説に見る現代の若者の恋愛観を
「コミュニケーション能力の劣化」と上から目線で批判することは可能だが、
それをせず、「コミュニケーションが変容し、社会が変容したのだから、
恋愛のあり方も変容して当たり前」と、むしろ、
ケータイ小説を許容できない大人たちの無理解を指摘するあたり、
著者らしいというべきか。

◆読書メモ

ここで生まれた物語(『電車男』)は、語り手である著者がこしらえた創作物ではなく、
そこで行なわれたコミュニケーションの過去ログなのだ。

むしろ、現代のヤンキーは、すでに権威や権力、
つまり親や学校といった反旗を翻す対象を失っていると言えるだろう。

文学書全般が大都市でしか売れていないという状況は、
もう何年も前から言われている出版業界での常識なのだが、
ケータイ小説はそれを打ち破ることで大ヒットを生んだのだ。
『ケータイ小説活字革命論』でも、都市部ではなく、
郊外でケータイ小説が売れていることが書かれていたが
本書では具体的なデータが載っている。)

セックスとは、人間関係の中ではもっとも軋轢の少ない
イージーなコミュニケーションである。
互いに体を求め合うだけで承認を得ることを可能にするセックスは、
傷つけ合う可能性のある会話などに比べて、
よっぽど単純なコミュニケーションなのだ。

「つながること」自体が重要で、その中身はたいして意味を持たない
というコミュニケーションの変化が起こっているのなら、
恋愛においても「つながること」にだけ価値が置かれ、
濃密なコミュニケーションは失われていくのではないか。

ディスコ及びディスコ音楽は、1970年前後のニューヨークにおいて、
黒人やイタリア系移民、プエルトリカンといったマイノリティたちの
コミュニティで生まれたものだ。しかも、マイノリティの中のゲイという、
二重のマイノリティたちによって生み出されたものである。
R&Bという黒人音楽が、1950年代から1960年代にかけて行なわれた
黒人の公民権運動の広がりとともに生まれた文化全般を指すように、
ディスコとは、1970年から始まった同性愛解放運動の広がりとともに
発展した文化全般を指す。

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『絶対ハイビジョン主義』

絶対ハイビジョン主義―これからが楽しいテレビ生活 (アスキー新書 68)
『絶対ハイビジョン主義 これからが楽しいテレビ生活』
著/麻倉怜士
アスキー・メディアワークス

ブルーレイ発表会での話が印象的だった麻倉さんの本。
(そのときの感想はこちら。)
“エバンジェリスト”を自称するだけあって、
読んでいると、今すぐブルーレイレコーダーと大型テレビを買って
ハイビジョン生活を始めなければ!という気分になる。
(金銭的問題とスペース問題ですぐには無理ですけど。)

映像を説明する言葉も豊かで、たとえば
「松下の絵作りの特徴は、エンターテイメント志向が強いこと。
きらびやかで、コントラストが強く、色がリッチに乗っている。
一言でいえば豊饒な絵ですね。自発光型ならではの、
特に緑を中心とする色の良さが魅力です。
一般大衆のニーズをしっかり受け止め、
テレビ番組を見る楽しさが際立つ絵作りをしています。」といった感じ。

ハイビジョンの歴史から技術的な説明は勉強になるし、
テレビを買うためのメーカーごとの傾向と対策など、
具体的で役に立つ話も多い。

麻倉さんが画質をチェックするためのリファレンスディスクとして、
『シェイクスピア・イン・ラブ』をあげており、
(邦題『恋におちたシェイクスピア』。原題なのはこだわりなのか?)
その魅力を以下のように語っている。
「映像が非常にクリアで、情報量がきわめて多い。
映像情報が多いというだけでなく、質感もいかにも映画らしく、おいしい。
特に階調に関する情報が豊富で、暗部、中間部、明部と
チェックしたくなるポイントが山ほどある。」

ちなみにオススメBD作品としてあげられているのは、
『パイレーツ・オブ・カリビアン』
『Cine Dion:A New Day Live in Las Vegas』
『プラネットアース』
『イバラード時間』
『オペラ座の怪人』

ニューイヤー・コンサートの中継が、従来はSD解像度(720×480)で、
2004年のリカルド・ムーティの回からフルハイビジョンになったとか、
小澤征爾とアンノンクールの回はハイビジョンと称していたけど、
ヨーロッパ仕様のPAL方式のアップコンバートで甘い映像だったとか、
よく見てるなーと。

「SDとハイビジョンの違いは、技術的には情報量が6倍違うことですが、
私はそんなことより感動量が圧倒的に違うと思います。

ハイビジョンのニューイヤー・コンサートはまったく違うのです。
ハイビジョンでは単に情報を得るだけでなく、映像そのものの美と
臨場感に耽溺できます。大画面一杯に広がるハイビジョンの
ニューイヤー・コンサートは、ムジークフェラインザールの四方八方の金色、
赤と緑の華やかな花たちの光輝くシズル感、
そして聴衆の正装のきらびやかさ……などの極上の映像に、
さらにダイナミックなカメラワークも加わり、
めくるめく幸せな興奮を与えてくれるものです。」


◆読書メモ

映画は、大きな画面に被写体を配置する芸術なのです。
大画面で体感的に見なければ、制作者の意図は正確にはわかりません。
映画のメッセージは、大画面で見て、初めて理解できるのです。

マスタリングプロセス
従来はテレシネという、フィルムの透過光を
カメラで撮る方法が主流でした。
4年ほど前から、デジタルインターメディエイト(DI)といって、
フィルムの1コマ1コマを高解像度でスキャニングして
コンピューター処理する方法が導入されています。

テレシネの場合は、ソニーのHDCAMフォーマット、もしくは
松下電器のD5フォーマットのテープ媒体で収録。圧縮記録方式。
D1は直接ハードディスクに記録。非圧縮。
4K2K(解像度水平4000×垂直2000)の場合、1コマ40MB。
映画1本は約18万コマですから、全部で10テラバイト。
取り込み作業は2週間かかる。1コマのスキャンに2秒。

ドラマ映像で大事なのは情報量より情緒量です。

私はそれは、テレビで「本物」が見られる時代になった、ということだと思います。
本物とは、オブジェクトが持っている本来の色であり、ディテールであり、
質感です。単にきれいに見せるための高画質ではなく、
物の本質を見極めるための高画質。だからこそ、映画であれば
フィルムが持つ特有の質感や映像感が楽しめ、音楽番組では
映像監督の意図や思想が明確に見え、スポーツ番組ではより臨場感が高まる。
そしてジャンルを問わず、そんな制作者の作品に込めた思いまでが
見えてくるのです。

メディアの本当の進化とは、「新しいメディアでなければ絶対に楽しめない」
コンテンツが開発され、登場することではないでしょうか。

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『キャラクターズ』

キャラクターズ
『キャラクターズ』
著/東浩紀、桜坂洋
新潮社

東浩紀と桜坂洋の共著による擬似小説。
昨年の『新潮』10月号に掲載され、一部で話題になった(と思われる)。

この小説の目的とそのための手法は早いうちに宣言されている。
つまり、
「実在のライトノベル作家・桜坂洋が
実在の批評家・東浩紀をキャラクターにした小説を書き、
後者がその合間合間に、キャラクターの東が記したという設定で
虚構的な文芸批評を挟んでいくというもの。
目的は批評のキャラクター小説化。」

「佐藤や桜庭の受賞劇が象徴する状況、つまり出身がラノベだろうが
ミステリだろうがSFだろうが要は「文学」になるためには
「私」の話を書かなければならない、というこの退屈な光景に
カウンターをあてることができるのではないか、と考えた。」

「「テクストの外はない」というデリダの有名な宣言は、
この国では裏返しで実現している。日本の文学にはむしろ
テクストの外部しかない。
以上の認識のうえで、ぼくたちはここであえて文芸誌の規則で
ゲームをしている。一種の私小説あるいは反私小説を記している。
だとすれば、この擬似小説では、たとえ嘘でもいいから、
作家のスキャンダルを演出しなければならない。」

ということで、キャラクター小説の形で反私小説を書き、
「純文学の脱構築」をめざしたもの、ということなのだが、
えーっと、なんていうか、できあがったものは「何これ」という感じ。
たぶん、この“小説”を純粋に楽しめるのは東ファンや文壇オタク(?)なのだが、
私は東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』『東京から考える』
鈴木謙介の『カーニヴァル化する社会』、『ウェブ社会の思想』は読んでいるけど、
この手の哲学的批評をおもしろいと思っているわけではないので、
(視点はおもしろいところもあるけど、何言ってるか基本的にわかんないし)
近代小説はほとんど読んでいないし、それをめぐる文壇のあれこれなんて
もっとどうでもいいわけで。

小説には、東浩紀や桜坂洋の私生活の一部、
桜庭一樹、佐藤友哉への複雑な想い、
そのほか、大塚英志、阿部和重、唐沢俊一、鈴木謙介、公文俊平、鈴木健、
柄谷行人、巽孝之ら実在の個人名が次々と登場し、何人かは小説の中で
悪口レベルの批判を受け、無残な死すら描かれているのだが、
それをもって“私小説”というなら内輪ウケ以上のものではないし、
途中で、東と桜坂が小説の進行についてもめて、
方向転換する場面が書かれていたり、
最初にめざした「批評のキャラクター小説化」は完全に失敗しているのだが、
その失敗すらも、「もしかしたらネタ?」という感じもあったりして。

川上未映子のブログで、東浩紀の小説に対する
宇野常寛のエッセイが紹介されていておもしろい。
『川上未映子の純粋悲性批判』日本文学再生会議
しかし、文学ってこんな頭でっかちなものなのか?


◆読書メモ

ただの人間には興味がない。
宇宙人、未来人、超能力者がいたらやって来い、と。
それは、一ライトノベルのキャラクターの言葉であると同時に
若者たちの気持ちでもあった。子供の頃は誰でも思ったはずだ。
机の引きだしや押し入れにドラえもんを、
箪笥に詰まった服の向こう側にナルニア国を。

そもそも、結婚し子供を儲けたということは、過去のある時点で
あるヒロインを選択済みということだ。人生はたった一度きりであり、
伝説の樹の下で幸せな結末を迎えたければ、
いまさら他の女の好感度を上げている場合ではない。

あらゆるひとが、文学はいまだに下北沢や西荻窪のような
猥雑な街で始まると考えている。

テクストは、書いた人間のそのときの意図とは異なって
読まれるものだ。野坂昭如だって『火垂るの墓』を書いたときは
〆切間際でどうしようもなかっただけと言っている。

小説には三つの層がある。「構造」と「内容」と「文体」だ。
ある内容が、ある構造に入れられて、
ある文章の形式のもとで書かれるのが小説だ。

しかし、近代小説とはそもそも、構造と文体を
(柄谷行人の隠喩を借りれば)「透明」にすることで、
読者が内容に焦点を合わせて読むことができるように作られた、
きわめて人工的な表現形式なのだ。

朝日は文壇と似ている。そして天皇と似ている。
だれもその権威を信じていないが、だれにも信じられないことで
その権威はゾンビのように生き延びる。
北大暁大はかつて『嗤う日本の「ナショナリズム」』で、
2ちゃんねらーは朝日を嗤い、貶め、否定するが、
まさにその行為によって朝日に依存していると分析した。
同じことが純文学とライトノベルにも言える。ライトノベル作家は、
あるいはその周囲に集う編集者は、純文学を嗤い、貶め、否定するが、
まさにその行為によって純文学に依存している。
そうやって、2ちゃんねるもライトノベルも、自分たちが信じないもの、
軽蔑しているものを延命させる。

単に笑わせるのであれば、泣かせるのであれば、それは作劇技術が
補填してくれる。人間の感情はスイッチみたいに押せるし、
言語や文化が違ってもその原始的なスイッチの位置が同じであることは
ハリウッドが証明している。

かつて二十三歳の新井素子が宣言したように、小説とは、
作家のためでも読者のためでもなく、
ましてや編集者や書店員のためでもなく、
なによりもまず、現実という単独性の支えを失い、
可能世界の海を亡霊のように漂っている「キャラクター」という
名の曖昧な存在の幸せのために書かれるのだということ、
そしてそれこそが、文学が人間に自由と寛容をもたらす
と言われていることの根拠なのだ。

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『ウィキペディアで何が起こっているのか』

ウィキペディアで何が起こっているのか―変わり始めるソーシャルメディア信仰
『ウィキペディアで何が起こっているのか
変わり始めるソーシャルメディア信仰』

著 山本まさき、古田雄介
九天社

ウィキペディア日本語版が現在抱える問題点について追求した本。
企業や省庁による編集問題やイオンド大学事件、
西和彦ページ削除など、実際に起こった事例や、
ウィキペディア側、アンチウィキペディア側のインタビューを通して、
変わりつつあるソーシャルメディアを考える。

この本で、ウィキペディア日本語版の一番の問題点とされているのが、
誰も責任をとる者がいないこと。
(英語版には、ウィキペディア財団や創始者ジミー・ウェールズ氏という
代表者が一応いる。)
性善説によるユーザーの自治をめざすウィキペディアは
悪意のある参加者を排除できない。

ウィキペディアに「管理者」はいるが、
彼らは基本的に一般ユーザーのひとりであり、
ブロックや保護の操作ができる権限をもっているにすぎない。
管理者は投票によって選ばれ、
書き込みがガイドラインに違反していると判断された場合、
措置を取ることができるだけで、彼らが積極的に「運営」をしているわけではない。
裁判などの問題に発展した場合は、アメリカのウィキペディア財団に直接、
訴えるしかなく、現実的にはとてもハードルが高い。

そもそも、こうしたウィキペディアの自治の仕組みというのを
初めて具体的に知ったので、「みんなで運営する」という精神が
わりと崇高に流れているのにびっくり(お題目だけだろうと思っていた)。
そして、黎明期ならともかく、ユーザーが増え、
ウィキペディア自体の注目も高くなった現在、
その理想がかなり揺らいでいることもわかった。

「書き込み」は誰かが責任を取らなくてはいけない。
2ちゃんでは匿名性の責任をひろゆきという個人がひとりで負っている。
(この指摘はわりと目からウロコ。
本来、書き込みに問題があった場合、
訴えられるのは書き込んだ本人であるはずだが、
2ちゃんの場合は、ひろゆきが訴えられる。
ひろゆきが責任を負っていることで、2ちゃんの匿名性は維持されている。)
ウィキペディアの場合は、この責任を誰も取らない。

ウィキペディアが抱えてる問題は、
ソーシャルメディア全体を代表するものだとか、
Google版ウィキペディア『knol』の試みとか、
いろいろおもしろい指摘は多いのだが、
著者(2人いるけど中心となっているのは山本氏)の主張が強すぎて、
なぜイオンド大学の事例が、ネット全体の問題になるのか、
いまひとつ説得力が弱いところや理解しにくいところも。

「みんなの意見は案外正しい」けど、「真実」ではなかったり、
「案外正しい意見」では、ジャーナリズムになり得ないとか
そもそも「みんなの意見」って何さ、
ということを考えるきっかけにはなりました。

◆読書メモ

著者がウィキペディアと対照的な例として上げているのが、
ニュースサイトDiggの事件。
次世代DVDの暗号化鍵についての書き込みやリンクを
Diggが削除したところ、ユーザーは「検閲だ」として猛反発。
数日後、Diggの設立者ケビン・ローズは以下のコメントを発表。
問題となった暗号化鍵そのものがコメントのタイトルとなっていた。
はたしてこのような気骨のある態度をウィキペディアは示せるだろうか、
というのが著者の主張。

「けれども今、何百という物語を見て、
そして何千というコメントを読んで、はっきりした。
あなたは大企業に屈服するより
Diggが戦って倒れるのを見たいのだ。
あなた方のいいたいことがわかったので、ただちに我々は
コードを含んでいる記事やコメントを削除することをやめる。
そしてその結果、何が起きたとしてそれを受け入れるだろう。
たとえそれで負けたとしても、我々は戦って死ぬのだから。」

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『オタクはすでに死んでいる』

オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258)
『オタクはすでに死んでいる』
著/岡田斗司夫
新潮新書

オタキング岡田斗司夫による最新のオタク論。
かつてオタクたちが持っていた共通意識、一体感のようなものが
いまや失われてしまった。
SF文化が滅んだように、オタク文化も崩壊しようとしている。
というのが基本的な主張。

この本の分類で行くと、私は第二世代にあたるわけで、
オタクが世間から差別されてきた世代。
実際、私が中学生の頃は、「アニメが好き、マンガが好き」と公言すれば
「暗い」と言われかねなかった。まだオタクという言葉はなかったけど、
アニメ好きの友達は「お宅は~」という呼び方をしていて、
「本当にこういう人たちってこういう呼び方をするんだ」と思った。
(ここで友達を「こういう人たち」って括って、
私は違うと主張しようとするところに、すでに差別意識があるよね)
それが、ひと世代下になると、アニメやマンガが好きだということや、
コスプレすることに、それほど抵抗がない、ように見える。
(まあ、私の会社が変わっているというのもあるけど)

『ハルヒ』や『らきすた』はともかく、
『デスノート』レベルの人気作品だったら、たぶん一般の会社でも
話題にできるだろう。まるで一億総オタク化したみたいで、
あれ、いつの間にこんなことになってるんだろう、
というのは私も思っていたことで、その一方で、
アキバにいて、美少女フィギュアを買って、ダサい格好で
AKB48みたいなアイドルを追っかける“萌え”なオタク像というのが、
いまだメディアでは強調されている。(TBSの初音ミク報道が典型的。)

第一世代である岡田氏の「オタクってもっと知的なものだった。
自分の趣味を自分で選び取った矜持みたいなものがあった。
ミリタリー好きもアニメ好きもSF好きも、好きなものは違っても
同じオタク大陸に住んでいるという共通認識があった。
SFオタクを名のるなら、自分の好きな作家でなくても
1000冊は読んでるべきであり、周辺の趣味についても
ある程度知っているのが常識だった。でももうそれは失われてしまった」
という叫びにも似た主張は、胸に響くものがある。

著者の言うところの「“オタク文化”が失われてしまった」、
「オタクは死んだ」というのが本当なのかどうなのか、
私にはいまひとつわからないところではありますが、
“萌え”で語られてしまいがちな昨今のオタク像や
オタクの歴史的分析、SFとの比較など、非常におもしろかったです。


◆読書メモ

・単に無口で地味なだけ、モテないだけで「おたく」と呼ばれるのは
可哀そうな話です。実際、そういう人もいっぱいいました。
当初、「おたく」というのは差別意識から生まれたグルーピングだったのです。

・何が好きかというのは表面の第一層にすぎない。その底の層に、
全員共通している何かがある。それが何かといえば、
「自分の好きなものは自分で決める」という強烈な意志と知性の表れだと
考えています。私がオタクと言うときには、この意味で使っていたわけです。

・1972年末、南沙織が『少年マガジン』の表紙になった。
『少年ジャンプ』以外のすべての少年マンガ誌、少年週刊誌は
アイドルの写真が表紙になった。
雑誌の売り上げを左右するのはマンガの品質ではなかった。
15、6歳の水着の女の子がグラビアに出るか出ないかで
売り上げが変わってしまう。1980年代あたりから、
日本は美少女好き、もしくは女の子が好きになっていった。
アニメにも変化の波が押し寄せ、性的なものが前面に出てくる。

・「やおい」や「ボーイズ・ラブ」というのは世間で思われているような
「ホモの男性が好き」というのとは少し違う。
「女という雑音(!)が入らない純粋な恋愛=やおい」
と考えている女オタクは多い。
なので「自分にとってのオタクを考える=自分の恋愛観を検証する」
ということにもなってしまう。女子のオタクやっている人というのは、
ちょっとものを考えると、すぐに自分のアイデンティティー問題になる。

・『電車男』以降、爆発的に人数が増え、オタク市場が何十億円、
何百億円と騒がれた。それは、一種の盛大な葬式みたいなものだったのです。

・トンカムというフランスの出版社社長と会食したときに、
「日本にはお小遣いがあるから、オタク文化が根付いた」と指摘されました。
ヨーロッパやアメリカなどでは、子供にお金というパワーを不用意に
与えるようなことはしない。ヨーロッパやアメリカの子供は、
お小遣いがもらえない。欲しいものはプレゼントでもらうしかなく、
大人が同意したもの=よい子向けの商品しか買ってもらえない。
日本では子供にお小遣いをあげるのは常識です。
かなり幼い頃から「自分の趣味に対する自己決定権」を持っている。
欧米人から見ればこの習慣は「まだ理性の弱い子供の害になる」
と受け取られます。

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『携帯電話のデザインロジック』

携帯電話のデザインロジック―電話を超えた万能ツールはどのようにデザインされるのか?
『携帯電話のデザインロジック
電話を超えた万能ツールはどのようにデザインされるのか?』

編著/カラーズ
誠文堂新光社

◆読書メモ

・日本の携帯電話は春、夏、秋、冬、4シーズン展開するが、
世界の標準では「信じられない」。

「あんなに小さなキーを押して長いメールの文章をやりとりする
などということは誰も想像できなかったと思います。
携帯情報機器の進化は人間が持ち合わせた機能やセンサーの優秀さや
精密さをあらためて人間に教えてくれます。予想もできなかった人間の
隠された力や機能がこのような電子機器によって露になるということがいえます。
これからの驚きは、機械の進化ではなく、
それを使いこなす人間の機能に気づくことだと思います。」
(深澤直人)

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『マイクロトレンド』

マイクロトレンド
『マイクロトレンド 世の中を動かす1%の人びと』

著/マーク・J・ペン、E・キニー・ザレスン
監修/三浦展
NHK出版

選択肢が氾濫する現在、誰もが夢中になるような
巨大な影響力を持つトレンド(メガトレンド)などもはや存在しない。
全人口の1%にしかならない個性的なグループ“マイクロトレンド”が
社会に大きな影響力を及ぼす力となる。統計によって
マイクロトレンドを分析することで、社会動向が見えてくる。
として、41のマイクロトレンドグループを分析している本。

グループには、「10歳以上年下の男性とつきあっている女性」とか、
「子育てに積極的な父親」、「プチ整形マニア」、「社交的ギーク」など、
なるほどと思うものもあったり、「子供のベジタリアン」とか、
「学校に行かず自宅で教育を受けるホームスクール」など、アメリカっぽいものも。
(原著では70グループが紹介されており、
極端に日本と違う例は翻訳から外されているらしい。)

わりと受けたのが「DIY Doctors(素人医師)」。
「自分で自分の症状を調べ、病気を診断し、治療する人々。
医療系ウェブサイトで自己診断して、病状がフルカラーで印刷されたものを手に
病院を訪れる」人たちのことなのだが、自分で診断こそしないものの、
医者に行く前にネットで調べて、医者の説明から質問事項まで
わかった気になっている、ってのは私にも当てはまるよなー。
(医者は忙しいので、その場で全部説明してくれる訳じゃないから、
基礎知識ぐらいつけておかないと、「何か聞きたいことはありますか?」
と言われても、質問もできなかったりするからなんだけど。
たしかにネットで中途半端な情報だけ仕入れて、
「私は○○なんだけど、これって○○ですか?」と
教えてgooとか2ちゃんで質問している人っていっぱいいるんだよね。
心配ならさっさと医者に行けと言いたい。)

グループそれぞれには納得できるものも、そうでないものもあるけど、
もうメガトレンドの時代じゃなくて、マイクロトレンドが世の中を変えるんだよ
というのは、その通りだと思う。


◆読書メモ

・最もマイクロなマイクロトレンドとは、自分という個人の中のトレンドであろう。
だとしたら、まず自分の日常生活における意識や行動の小さな変化に対して
自覚的であることが、マイクロトレンドを発見するいちばんの早道であるに違いない。

・クーガー
かなり年下の男性とつきあう女性のこと。

・2007年、ウォールマートは、マーケティング部門の上級幹部同士である
上司と部下が関係を持っていることがわかると、この2人を解雇した。
これによって同社の広報は、カップルの私的メールを同社サイトの
トップページに掲載した。

・人種的マイノリティや宗教的に少数派の人々が
自分と同じ民族や宗教の相手を探すのも簡単だ。
EligibleGreeks.comやEthiopianPersonals.com、Muslima.comなど
マイノリティ向けのデート相手紹介サイトがある。

・LGBT
L レズビアン、G ゲイ、B バイセクシャル、T トランスジェンダー

・アメリカの14のカレッジや大学では、入学願書に「男性」「女性」
「自らの性認識」のどれかにチェックを入れることができるようにしている。

・ユニセクシャルは、「生物学が運命を決めるのではない」という
フェミニストの革命的な信条を、イデオロギー的に受け継ぐ可能性を持っている。

・2004年、イギリスでは親が子供を叩く権利を認める法案を通過させた。

・娘の道(Daughter Track)
専門職に就いていても親を介護するために休職する女性。
20年前には子育てのために休職する女性を
「母の道」(Mommy Track)と呼んだことに掛けている。

・イギリスの平均通勤時間は45分、欧州連合全体では38分、
イタリアでは23分、ドイツでは44分。アメリカは25分。

・トレップ
アントレプレナー(起業家)の短縮語。

・インターネットの父として広く知られるヴィントン・サーフは、
ほかの研究者とうまく会話ができないため(彼も多少耳が悪かった)、
あるいはろうあ者の妻と会話ができないイライラから、
電子通信(のちの電子メール)を開発したといわれている。

・子供であれば聞き取れる高周波音を、40代や50代以上の多くはすでに
聞き取れなくなっている(そのため、「モスキート」リングトーンと呼ばれるこの音を、
学生は授業中の携帯電話の着信音に利用している)。

・ペスカン(ベジタリアンの内、魚だけは食べる)
ヴィーガン(卵、牛乳、チーズ、蜂蜜も含む動物由来の食材をすべて避ける)

・音声補正機能つきテレビ会議システムが開発当時、
女性の声の周波数域が想定されていなかったのは有名な話だ。
文字通り、このカメラは女性の声を聞き取れなかったのである。

・編み物の流行は9.11以降に起こった、外出を控えて家の中で過ごすことを
好む「ネスティング」というトレンドの一環だといわれる。

・2006年の調査によると、インターネットポルノによる収入は
ABCテレビ、CBS放送、NBCテレビの3社の収入を足した額の2倍近くであった。
400万を超えるアダルトサイトが存在し、全体の12パーセントを占める。
検索エンジンで検索される言葉の4分の1がポルノに関する言葉だ。
アダルトサイトのアクセス数は、グーグル、ヤフー、MSNへのアクセス数の
合計の3倍以上である。

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『アーティスト症候群』

アーティスト症候群―アートと職人、クリエイターと芸能人
『アーティスト症候群 アートと職人、クリエイターと芸能人』
著 大野左紀子
明治書院

本来、絵画の芸術家を指していたはずの「アーティスト」という言葉は、
いつの間にか浜崎あゆみからヘアメイク、ガーリーフォトまで、
誰でも彼でもアーティストと呼ばれるようになった。
そこには「アーティストと呼ばれたい」という願望があり、
「アーティスト」という言葉に込められた付加価値がある。
でも、本当の「アーティスト」って、「アート」って何だったんだろう、という本。

ねーさんから借りた本。おもしろかった。
特に、工藤静香、FUMIYART、石井竜也など
芸能人アーティストの作品分析が秀逸。
画家としての片岡鶴太郎に「過去と訣別したかった男の焦心と小心を見る」
という文は、そうそう!よく言ってくれた!という感じ。
誰もが感じているだろう芸能人アーティストへの違和感を、うまく言葉にしている。
それぞれの作品も冷静かつ客観的に評価していて、
批評していながら、意地悪な感じがないのもいい。

著者自身、芸大を卒業し、30年間、アーティストとして活動していた経験があり、
現在のアーティスト飽和状態の中で、
本来の“アート”が置き去りにされていることに疑問を感じていたのだろう。
後半は、彼女がいかにアーティストになって、いかにアーティストを辞めたか
という話なのだが、ここらへんはちょっと個人的かつ観念的すぎて
ついていけないところも。
文章は非常に読みやすくてわかりやすいので、著者が文筆業に転向した(?)
のはまちがいじゃないと思うのだが、著者の言うところの“アート”は、
言葉ではなく、やはりアートでしか伝えられないものなのだと思う。


◆読書メモ

・本田美奈子は「アイドルじゃなくて、アーティストと呼ばれたい」と発言。
それを聞いた松任谷由実は、「彼女がアーティストなら、私は神だ」
と言い放ったという。

・個性的だと言われる彼女達(浜崎あゆみ、倖田來未) のファッションやイメージを
辿っていくと、どうしても全盛期のマドンナに行き着く。日本の女性アイドルは
オリジナリティを出そうと張り切れば張り切るほど、マドンナの呪縛から逃れられない。

・ビル・ゲイツやロックフェラーの邸宅は、日本建築の方法で建てられている。

・小林秀雄の「美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない」は、
「美」は定義できないものであることを示す言葉として有名だ。

・東京にいたのは、芸大の作曲科を出た坂本龍一がYMOを結成し、
東急ハンズ渋谷店がオープンする前年の77年から82年の春まで。
パルコの広告のイラストを山口はるみが描き、浅葉克己がアートディレクションをし、
糸井重里がコピーを書いて話題になっていた頃だ。
その広告戦略は「パルコ文化」と呼ばれていた。

・1週間に2回は、西武美術館と同じフロアにあった
アート関係書籍専門店「アールウィヴァン」に通っていた。
下の階のスタジオ2000では時々実験フィルムや文化講演の企画があって、
いかにも「コンテンポラリー」な感じの「黒づくめの人々」が来ていた。
それはまるで80年代初頭のトンがった文化に集まる黒い虫のようだった。

・十代のころ知っていた美術は、平原を大きく蛇行していく
大河のようなものだったと思う。それは悠々と海に向かって流れている。
実際に出会ったのは、地下水路だった。地下にある細い水路が次々と合流し、
徐々に太くなり勢いを増していく。その最終地点は、高い山の中腹にできた
亀裂のように「外の世界」に向かって突然ぽっかりと開かれており、
水路の水はそこから大きな滝となって水しぶきを上げながらどうどうと落ちている。
私もその水の一滴となって落ちて行き、はるか下にある巨大な固い岩盤に
小さい穴を穿つのだ。そんな妄想で頭の中をいっぱいにしていた。

・料理人から大工まで、陶芸家から映画監督まで、
自分の作ったものを人々に提供する者は、こう味わってほしい、
ここを見てほしい、これを楽しんでほしい、これについて考えてほしい
という願いや意図をもっているものだ。それが伝わらなくては、
他にどんな面白い解釈をされても、作り手は浮かばれない。


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『ケータイ小説活字革命論』

ケータイ小説活字革命論―新世代へのマーケティング術 (角川SSC新書 37)
『ケータイ小説活字革命論 新世代へのマーケティング術』
著/伊東寿朗
角川SSC新書

魔法のiらんどで、『天使のくれたもの』、『恋空』の書籍化に携わった著者が
ケータイ小説のムーブメントについて語った本。

読む側としては当然、こんなプロモーションやこんな苦労をして、
ケータイ小説の大ヒットに結びつけた、という戦略的、ビジネス的な話を
期待するわけだが、著者はあっさりと「ケータイ小説の大ヒットは
仕掛けられたものではない」と言い切る。
そこには「自分のために書いた」著者がいて、著者を支えた読者がいて、
自然発生的な口コミがケータイ小説全体のプロモーションとなり、
書籍化、映画化というビジネスの拡大に結びついたのだという。
(『Deep Love』は、作者Yoshiが女子高生、ケータイ、渋谷をキーワードに、
戦略的に書かれたもので、現在のケータイ小説とは意味が異なるが、
『Deep Love』の大ヒットが、ケータイで小説を読む習慣や
その後のケータイ作家を生み出したという。)

私は、『恋空』をPCで途中(ミカが流産したところ)まで読んで挫折して、
その後、ケータイで再チャレンジして挫折して(ヒロと別れたところ)、
今にいたっているので(まだ半分終わってない)、
「ケータイ小説なんて、波乱万丈な人生でストーリーをひっぱって、
恋人の死で泣かせる程度のもんだろう」ぐらいの認識しかないわけですが、
著者は、「修行だと思って、1冊読んでみてほしい」という。
実話ベースというのも私はかなり懐疑的だったのですが、
(レイプされて妊娠して流産してって話が続けば、
どこからどこまで実話だよという気にもなるのです)
『天使のくれたもの』も『恋空』も、恋人の死を乗り越えようと、
著者たちは「自分のために」小説を書いたという。
時にはユーザーの中傷によって、サイトの更新をやめたりするものの、
ほかのユーザーたちの「続けて欲しい」という声に押されて書き続けた
作家も多いらしい。
そして、実際にケータイ小説によって救われている読者も大勢いるのだと。

ケータイ小説をビジネスとして見る現在の動きは、供給過剰で、
読者を置き去りにしているのでは、という懸念もあるが、
若者たちの生み出したカルチャーとして
ケータイ小説をちゃんととらえてほしいと力説する。

全体を通して、著者の個人的な想いがたらたらと書かれているので、
ケータイ小説がどのように生まれ、どのように書籍化され、
大ヒットになったかという具体的な流れはあまり見えてこないし、
ビジネス本としてはたぶんまったく役に立たない。
しかし、せめて1冊ちゃんと読んでみようかという気にさせる程度に
著者の想いが届く本ではある。

◆読書メモ

・魔法のiらんどは、システム会社ティー・オー・エスの谷井玲氏が
家族で中華料理店に行ったとき、息子がケータイでチャットをしているのを見て、
ケータイを使ったコミュニケーションサービスを始めようと考え、
ケータイでホームページがもてるサービスを開始した。
サービス開始当初は、担当者の足元にサーバーが置かれていた。

・出版社の人間から「本当に売れてるんですか」とよく聞かれたが、
彼らがチェックするPOSデータは、都市部の大手書店のデータを中心としており、
そこにはケータイ小説が売れているという結果は現われにくかった。
『Deep Love』の経験値から、スターツ出版は『天使のくれたもの』を
地方都市などに効果的に商品を投入した。

・『天使のくれたもの』は編集部に泣きながら電話をしてきた女性がいて、
それがきっかけで書籍化された。

・「インターネットの仮想空間でのコンテンツとリアルマーケットを連動する試み」
という謳い文句をインターネットの歴史の中で、しばしば聞いたが、
僕は「また言ってらぁ……」と、鼻で笑う気持ちをよく押し殺したものである。
しかし気づくと、“インターネットの仮想空間でのコンテンツとリアルマーケットを連動”
が、ケータイ小説の世界では、すでにできあがっているではないか。
しかも、誰かが無理やり「仕掛ける」わけでもなく、ユーザーのニーズから
自然発生的に生まれてきているから、これほど強力なものはないのである。

・『恋空』の美嘉さんは、上下巻合計約700ページに及ぶ大作をケータイで、
しかもほとんど右手の親指だけを使って、1ヵ月で書き上げたという。


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『グーグルが日本を破壊する』

グーグルが日本を破壊する (PHP新書 518) (PHP新書 518)
『グーグルが日本を破壊する』
著/竹内一正
PHP新書

グーグルの台頭によって社会はどう変わるのか。
テレビ、CM業界、携帯電話、新聞、マイクロソフト、
はてはグーグルが掲げる理想像から次世代の検索エンジンまで論じた本。

全体的な感想を言うと、「視点は悪くないのだが、論点がなっちゃいない」
という感じ。
たとえば、「ヤフーはなぜ日本ではグーグルに勝っているのか」という話で
「ヤフージャパンの筆頭株主はヤフー本社ではなくソフトバンクで、
日本の利用者のニーズを優先させたから」と説明されているのだが、
全然、納得できない。そもそもヤフージャパンだってかなりヤバいでしょ。

また、「次世代の検索技術や、コンピューターの新しいアーキテクチャーが誕生したら、
ページランクに最適化されたグーグルの巨大なデータセンターの上で、
次世代技術が、最適かつ最速で走る保証はどこにもなく、
グーグルの巨大なデータセンターはお荷物になるだけ」
としているのだが、そんなわけないだろ。
グーグルの検索をいまだにページランクだけで語るのが無理がある。

そのほか、ヤマ場CMとかグーグル八分とか中国における検閲とか
今さらな話題で、グーグル脅威論としても弱すぎる。
ネット広告がテレビCMや新聞を駆逐するって話はもういいでしょ。
(ひとつ思ったのは、グーグルの成功も新聞の低迷もすべて広告費が
握っているのはなぜなのか、ということ。
広告以外の収入がなく、新聞のような“文化的情報”も
広告に左右されてしまうシステム自体に問題があるのでは。)

米国で始まっているGoogle TV Adsや
「グーグルが米国の700メガヘルツ帯域の競売に参加した」話には
興味があるのだが、それがどんな影響を与えていて、どんな意味があるのか
さっぱりわからなかった。


◆読書メモ

・「グーグルは与え、グーグルは奪い去る」
(『ザ・サーチ』に出てくる題名)

・グーグルCEOエリック・シュミットは、2007年株主総会前の記者懇談会で、
会社最大の危機について「われわれがあまりにも早く成長を続けていること」
と語っている。

・フォールト・トレラント(Fault-Tolerant)
個々に問題が起きても、全体のシステムとしては問題なく動く。
従来、フォールト・トレラントは、ハードウェアで実現するのが常識だった。
グーグルはこれをソフトウェアに切り替えることで、一般的なパソコンを使いながら
膨大な処理能力を低価格で実現させた。

・米国トヨタは2006年、NBCと「CMが視聴者の関心を惹かなかった場合、
埋め合わせに無料のCMを放映する」というCM契約を結んだ。

・携帯電話でネットを利用する日本は、むしろ例外的。
米国ではモバイルユーザーの6分の1しかインターネットを利用していない。

・USAトゥデーなどを傘下にもつ新聞チェーン・ガネット社は
ペーパー新聞とネット新聞の編集体制を一元化。
傘下89紙の編集局を統合し、24時間体制で活動する体制に変えた。

・ビル・グロスは13歳で最初の会社をつくり、カリフォルニア工科大学在学中に
ソフト開発会社をつくり、1996年にアイデアラボを設立、イートイズなどを生み出す。
1997年にゴートゥー・ドットコム(のちのオーバーチュア)で、
検索と金儲けを結びつける検索連動型広告を思いつく。

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『宮大工の人育て』

宮大工の人育て (祥伝社新書 (104))
『宮大工の人育て 木も人も「癖」があるから面白い』
著/菊池恭二
祥伝社

◆読書メモ

・もはや日本には樹齢千年、二千年の檜は存在しない。
薬師寺の金堂、西塔の再建には台湾の檜が使われた。
檜は日本と台湾だけに分布する樹種で、同じ緯度であっても
中国にも米国にも存在しない。
自然林の北限は福島県あたり、南限は台湾中央部に連なる阿利山。
阿利山は台湾最高峰の玉山の北西部に連なる山々の総称。
玉山の日本統治時代の名称は「ニイタカヤマノボレ」の新高山。

・檜の寿命は樹齢と同程度とされ、樹齢二千年の檜なら、
伐採してから二千年は持つといわれる。
法隆寺はちゃんと手入れを続ければ、あと千年は持つ。

・韓国は植生分布の関係で松の木がよくとれる。
古い宮殿のような文化財をみても松の建築が多い。

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『宇宙旅行はエレベーターで』

宇宙旅行はエレベーターで
『宇宙旅行はエレベーターで』
著/ブラッドリー・C・エドワーズ、フィリップ・レーガン
ランダムハウス講談社

大気圏から地球に向かって10万キロメートルのケーブルを垂らし、
ケーブルを伝って宇宙空間へ乗り物を上昇させる
“宇宙エレベーター”構想について解説した本。
著者はロス・アラモスやNASAで宇宙エレベーターを研究している人物なので、
建造方法から、安全上の問題点、地球上の発着基地である“アース・ポート”の
建設候補地など、かなり具体的なところまで説明し、
宇宙エレベーターは夢物語ではなく、投資してくれる国や企業、個人があれば、
実現可能なプロジェクトであると強調している。

宇宙エレベーターはエレベーターというより、
ケーブルカーかリフトのようなイメージで、
カーボンナノチューブの発見により、ケーブルの実現が可能になったという
(カーボンナノチューブの実用にはまだ数年かかるらしいが)。
現在のロケットによる宇宙開発は、費用のほとんどが
大気圏外へ飛ばすための燃料にかかっているので、
宇宙エレベーターが実現すれば、95パーセントがカットでき、
人工衛星や宇宙旅行がずっと安く、安全に行なえるという。

著者たちは、この本で投資家を真剣に募集しているようで、
アメリカが中国に先を越されたときの経済的損失や
最初に実現させたものが宇宙開発の富を独占することを強調。
投資可能な企業や個人のリストアップまで勝手にしている。

後半のステーションへの旅行を描いた部分には夢があり、
可能ならちょっと宇宙へ行ってみたい気分にもなる。
早ければ(投資してくれるところがあって、プロジェクトが開始されれば)
2030年には実現可能だという。はたして間にあう?

◆読書メモ

・静止軌道に到着するまでは7日間、
ペントハウス・ステーションまでは、さらに5日間かかる。

・予想では、地球低軌道のツアーが2万ドル(約200万円)、
月面滞在ツアーが100万ドル(約1億円)。
現在の国際宇宙ステーションへの旅行費
4000万ドル(40億円)よりは安い。

・2004年7月号『ディスカバー』の表紙には
「Going Up(上へまいります)」という文字と
宇宙服を着てエレベーターのボタンを押している宇宙飛行士の
写真が載っている。

・筆者たちが宇宙エレベーターの実現に向けて動きだしたとき、
最初におこなった作業は、SF小説を読んで、資料としてスクラップすることだった。

・宇宙エレベーターについての講演で、
エレベーターの全長が10万キロメートルであるというと、たいていの場合、聴衆は笑う。
「つまり、10万キロメートルという長さは、人の想像を超えた数字なのである。」
ところが、つり橋の建築業者の集まりでの講演では、笑いが起こらなかった。
「つり橋の建設をおこなう人たちは、つり橋を作る際に、
実際に10万キロメートル以上のケーブルを扱っているのである。」

・宇宙には、使用済み燃料タンクの破片や、廃棄された人工衛星などの
“宇宙ゴミ(スペース・デブリ)”が分布している。
宇宙基地からは同じ軌道上にロケット打ち上げることが多いので、
ケープ・カナベラ(ケネディ宇宙センター)やバイコヌールなどの上空には
宇宙ゴミが密集している。

・ニンビー(NIMBY)症候群
「Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあってほしくない)」
空港を利用するが、飛行機が自分の家の真上を通過することは望まない。
金属や鉱山資源は利用するが、自宅の窓から鉱山が見えることは望まない
という逆説的心理。

・年間10億ドルの投資を10年間続ける資金的余裕があれば、
民間企業が宇宙エレベーターを建造することも可能。
可能性のある企業リストには、月産10トン規模のカーボンナノチューブ製造施設を
建設した三井物産も入っている。

・中国では固定電話が十分普及しないうちに携帯電話が普及した。

「映画『アルマゲドン』や『ディープ・インパクト』を観たことがある人もいると思う。
映画としてのできばえはともかく、これらは非常に重要な問題を扱っている。」

「ほかの天体に暮らし働き、自分たちの都合でそれを動かしたりすらする
私たちの子孫を考えると、なんとも突飛なSFのようだ。
現実的になれ、と私の頭のなかで声がする。
しかし、これは現実なのだ。私たちは技術の先端におり、
不可能と決まりきった日常との中間点にいるのだ」
カール・セーガン『惑星へ』

・アーサー・C・クラークは、1979年出版の『楽園の泉』で
宇宙エレベーターを描き、本書に序文をよせている。
「この本を契機として一般の関心が高まれば、ひいては国家や
産業界にもその影響が及び、宇宙エレベーター実現に向けての動きが
加速することになるだろう。その勢いに乗って、『楽園の泉』のハリウッドにおける
映画化の話が、できるだけ早く実現するようにと願っている。」

・「宇宙エレベーターはいつ実現するのか」という質問に対して、
SF作家のアーサー・C・クラークは次のように答えている。
「宇宙エレベーターは、人々がそのアイデアを
笑いぐさにするのをやめてから、50年後に実現するだろう」
今や笑い声は聞こえなくなった。

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『デジタル匠の誕生』

デジタル匠の誕生~「ものづくり日本」を再生せよ~
『デジタル匠の誕生 「ものづくり日本」を再生せよ』
著/岸宣仁
小学館

“匠の技”によって支えられてきた日本のものづくりが、
デジタル化によって大きく変わろうとしている現状をリポート。

ベテラン職人が手で加工していた作業が、デジタル化によって
若い女性でも作業が可能になった最新工場。その一方で、
デジタル化によって中国、韓国に追い上げられている日本の製造業。
技術情報が海外に流出している知的財産権の保護の問題。
などが主な内容。

文章が硬いので読むのにちょっと苦労したが、
「日本はものづくりで世界一!」では既になく、
このままでは中国、韓国に抜かれるどころか、
製造業そのものが危ないということは、なんとなくわかりました。
一時期、海外の工場に頼っていた生産拠点が、
アジアの人件費の高騰や、情報流出の懸念などから
国内に回帰しているという話もなるほど。

「匠」とか「ものづくり」とか「暗黙知」って言い方、あまり好きじゃないんだけど、
“暗黙知”を“形式知”にすることによって日本の生産効率を上げよう、
デジタル化によって次世代の職人を育成しよう、
という考えと、
最後までデジタル化できない部分にこそ日本のものづくりの価値がある
という話だと思います。

◆読書メモ

・中国の国際標準化戦略
次世代DVD規格「EVD」
無線LANの独自規格「WAPI」
(「Wi-Fi」とは互換性がなく、情報を暗号化して盗聴を防ぐ)
第3世代携帯電話の通信規格「TD-SCDMA」
標準獲得を左右する重要なポイントが人口にあるとすると、
中国が国際標準を取って市場に製品を投入すれば、
外国企業は巨大な中国市場を無視できない。

・シャープの亀山工場では、生産ラインへの入場制限を厳重にし、
社員ですら担当が違えば原則立ち入り禁止の措置が取られ、
「工場全体を見て歩けるのは社長1人のみ」と言われている。

・漆を加工する際、温度を徐々に上げていき、何時間かその状態を保っているうち、
ピークからわずかに温度が下がる瞬間がある。
ベテラン職人が「取り出すのは今」と感じるのはまさにこの瞬間で、
化学的に分析した結果、「酵素を触媒とする酸化重合反応が起きて
温度が下がる瞬間」であることが判明した。

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『ぼくには数字が風景に見える』

ぼくには数字が風景に見える
『ぼくには数字が風景に見える』
著/ダニエル・タメット
講談社

サヴァン症候群で発達障害のアスペルガー症候群である著者が、
自分の生い立ちと、彼から見た数字や文字の“共感覚”について語った手記。

数学好きの父のためにアマゾンで注文したのだが、
話題になった本だけにおもしろかった。

著者のダニエル・タメットが「普通の人と違う」ということを感じながら、
積み木を積み重ねていくように一歩一歩、自立していく様子が感動的。
高校を卒業してひとりで電車に乗ったこともないのに、
彼は海外にボランティアとして旅立つ。
彼が愛するのは自分の家の部屋と図書館の静けさなのだが、
その安心できる場所から出て、自分の足で歩こうという勇気が感じられる。
また、彼の文章が几帳面な性格をよく現わしていて、
色と数字のディティールに満ち、素直でていねいで読みやすい。

また、彼の成長をささえた両親がとても良い。
たとえば、頭を上げて歩けない彼のために、
母親は「あれはなにかしら」と遠くにある垣根や建物について質問し、
歩きながらそれを見るようにうながしたので、
彼は頭を上げて歩くことができるようになったエピソードとか、
パズルの本を買い与えたり、チェス・クラブや図書館に連れて行ったり、
発達障害の子をどうやって育てたらいいのか何も知識もなく、
裕福でもない両親の努力と地道に注がれた愛情がすばらしい。

彼はサヴァン症候群という稀有な例だけど、誰でも努力や勇気をもって
人生を切り開いていくことができるのだと静かに語っている。

※原題は『Born on a Blue Day』
日本語タイトルといい、かわいいイラストの表紙といい、
講談社はこういう造りがうまいですね。

◆読書メモ

ダニエル・タメットのサイト『Optimnem』

あるとき、ぼくの累乗計算好きを知っている弟のリーが、計算機を片手に
ぼくに問題を出した。23は? 529。48は? 2304。95は? 9025。
それからリーはもっと長い式を出した。82×82×82×82は?
十秒ほど考えた。両手をしっかり握りしめ、その形と色と質感を確かめた。
45212176とぼくは答えた。弟がなにも言わなかったので、ぼくは弟を見上げた。
弟の顔がいつもと違っていた。微笑んでいた。
そのときまでリーとは親しい間柄ではなかった。
リーがぼくに微笑みかけたのを見たのはこれが初めてだった。

「誕生日はいつ?」とフランに訊かれたので、
ぼくは「1979年1月31日」と答えた。
「65歳になる日は日曜日だね」とキムが答えた。
ぼくはうなずいて、キムに誕生日を訊いた。
「1951年11月11日」とキムは答えた。
ぼくはにっこりして「その日は日曜日だ!」と言った。
キムの表情が輝き、ぼくにはふたりの心が通い合ったのがわかった。

グルフォス(「金色の滝」という意味)で一日を過ごしたことがあった。
白河に位置し、幅が32メートルにまで及ぶ巨大な白い滝が、
深さ70メートル幅2.5キロメートルの渓谷まで落ちていた。
細かな霧がひっきりなしに湿り気を帯びた大気へ巻き上がっていき、
それが89という数字を思い浮かべたときの風景とよく似ていた。

ぼくの能力は以前とまったく変わっていないのに、子どものころや思春期には
その能力のせいで同級生たちから疎まれ、孤立を深めたが、
大人になってからはその能力のおかげで人とのつながりや新しい友人ができたのだ。

甥の写真を見ると、生きることと愛することは奇跡だといつも思う。

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『ウェブ時代 5つの定理』

ウェブ時代 5つの定理 この言葉が未来を切り開く!
『ウェブ時代 5つの定理 この言葉が未来を切り開く!』
著/梅田望夫
文藝春秋

『ウェブ進化論』の著者、梅田氏によるビジョナリーたちの名言集。
梅田氏が蓄積してきた金言をセレクトしているだけあって、
「おもしろい」と思ったものに付箋を貼っていったら、あっという間に本が付箋だらけに。
シリコンバレーに流れる思想とか、アントレプレナーシップとか、
グーグルらしさとは何かということが、言葉を通して見えてくる。

例えば、
「私たちはフェースブックをオンラインコミュニティとして認識していない。
実際に存在するコミュニティを強化する名簿として提供している。
フェースブックに存在するのは、リアルライフに存在するものの鏡像だ。」
マーク・ザッカーバーグ
という言葉で、私は初めてフェースブックの本質がわかった気がした。
フェースブックのように、本名を公開し、写真掲載が当たり前って、
日本じゃちょっと考えられないんだけど、ハーバード大学の学生が
学生寮ごとに名簿が分かれているのはめんどうだから、
学内全体でデータを共有しようということから始まった
という経緯を聞くと、それも納得。上の言葉はそれを簡潔に表わしている。

今は100年に一度あるかないかという変革の時代で、
この“ウェブ時代”を私たちは生きているわけですが、
じゃあ、私はどうしたらいいの?ということも思うわけです。

例えば、
「世界を変えるものも、常に小さく始まる。
理想のプロジェクトチームは、会議もせず、
ランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、
ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ。」ビル・ジョイ
なんていうビジネスのあり方は「うらやましいなー」と思うのであって、
酷評?しましたが『謎の会社、世界を変える。 エニグモの挑戦』によると、
創業者2人は、博報堂時代に残業しているときに、
「今、すごいこと思いついた。ちょっと聞いて」って
空いている会議室でビジネスプランを出し合って、
『バイマ』の構想が生まれるのですが、
そういうスピード感とか軽いノリとか、ちょっとした発想が
今のウェブ時代を作っていくのではないかと。

かと思えば、
「Aクラスの人は、Aクラスの人と一緒に仕事をしたがる。
Bクラスの人は、Cクラスの人を採用したがる。」シリコンバレーの格言
なんて言葉もある。

梅田氏の前著『ウェブ時代をゆく』も、今回の本も、
理系思考の若者に勇気を与えるポジティブなメッセージが並んでいますが、
AクラスどころかCクラスであろう私は、この時代についていくのが精一杯で、
企業精神にあふれる若者でもなければ、ベンチャーに投資するだけの金持ちでもない。
それでも今の時代をすごくおもしろいとは思っているわけで。

梅田氏の言葉はシリコンバレーによりすぎてると思うところもありますが、
(2ちゃんねるが生み出した匿名性を日本の特徴として否定的に見ているけど、
ここから日本独自の何かが生まれる可能性もあるはず)
多かれ少なかれネットに関わる仕事をしている人であれば、
本書から何も読み取らないというのは愚かなことだと思う。

というわけで最後にウェブ時代的なことを付け加えておくなら、
本書でもさんざん引用されているスティーブ・ジョブスのスピーチは
日本語訳がここ
英語原文がここ、音声ファイルがここ(iTunes経由)にあります。

「最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。
心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、
もうとうの昔に知っているものだ。」
「偉大な仕事をする唯一の方法は、あなたがすることを愛することだ。
まだ見つかっていないなら探し続けろ。落ち着いちゃいけない。
まさに恋愛と同じで、見つかればすぐにそれとわかる。
そして素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとにもっと良くなる。
だから見つかるまで探し続けろ。探すのをやめてはいけない。」
スティーブ・ジョブズ

◆読書メモ

・これまで集積してきた知識を捨てて、思考を切り替えなければならない。

・今はいい時代になったもので、ビジョナリーの言葉もブログなどを通して
ネット上に溢れ、主要なコンファレンスの音声や映像も
ネット上で見聞きできるようになりました。オライリーだけでなく、
ビジョナリーの言葉に注目して未来を考える可能性は、
知的好奇心あふれるすべての人に開かれています。

・ベンチャーの世界はそれでは駄目なのです。誰かを探す間に自分がやれば終わり
というような仕事は、気付いた人が片付けて、
先へ走っていかなければならないのです。ゴミを捨てたり、ピザを頼んだりするような、
些細でどうでもいいことを、自分でさっとやってしまうか、
それても「これをやる奴は誰なんだ」と人を探すか、という違いは本当に大きい。

・「せっかく来て本まで選んでショッピングカートに入れたのにもかかわらず、
買わずに帰る人を減らせ、ゼロにしろ」(アマゾン)
「検索結果が表示されたとき、検索結果画面から結局何もクリックしないで
どこかに行ってしまう人は、検索結果に不満を持ったと解釈する」(グーグル)
検索結果が出たあとに何もクリックせずに去る人の率を下げることが、
検索結果の品質を上げることだという指標をつくって、改善の数値目標にする。

・シリコンバレーには、テーブルクロスが紙でできていて、
クレヨンがグラスに差して置いてあるレストランがある。
食事をしながらエンジニアたちが、ワイワイ言い合って、
数式やフローチャート、図面を書きたくなるから、レストランが用意している。

・「Information wants to be free.」(情報は自由を求める)
『ホールアースカタログ』著者スチュアート・ブランド

「世界がどう発展するかを観察できる職につきなさい。
そうすれば、「ネクスト・ビッグ・シング」が来たときに、
それを確認できる位置にいられるはずだ。」
ロジャー・マクナミー

「音楽はしばらくその重要性を失ったかもしれないが、
iPodは音楽が人々の生活に
真に意味ある形で戻るのを手助けした。」
スティーブ・ジョブズ

「科学は、何かを10%や20%良くするのではなく
100倍良くする可能性を秘めている。
私はその力に興奮を覚える。」
ビノッド・コースラ

「インターネットは、人間の最も基本的な要求、
つまり知識欲と、コミュニケーションをはかること、
そして帰属意識を満たすことを助けるものである。」
エリック・シュミット

「グーグルは「普通の会社」ではありません。
そしてそうなろうとも思っていない。」
ラリー・ページ
グーグルが株式公開に先駆けて、投資家に宛てたレター。
そのほか、
「ウォールストリート向けに四半期単位の業績予測を発表する考えはない。」
などの言葉が並ぶ。

「「誰かにやれと言われたから」という理由で何かをするな、
という雰囲気がグーグルには浸透している。」
マリッサ・メイヤー

「一からすべて命令してほしいなら、海兵隊に行けばいい。」
エリック・シュミット

「会社は答えによってではなく、質問によって運営している。
イノベーションというものは、ある日朝起きて、
「私はイノベートしたい」と言って生まれるようなものじゃない。
質問として問うことで、よりイノベーティブなカルチャーが生まれるのだ。」
エリック・シュミット

「彼ら(グーグル)の願いは、ウェブ自身と同じスピードで
進化する会社をつくること。」
ゲイリー・ハメル

「でも、グーグルが大成功したから「ゲームは終わり」だなんて、
それは歴史を否定することだ。」
ランディ・コミサー

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『Googleを支える技術』

Googleを支える技術 ~巨大システムの内側の世界 (WEB+DB PRESSプラスシリーズ)
『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』
著/西田圭介
技術評論社

Googleのシステムについて、詳細にわかりやすく解説した本。
非常におもしろい。

第1章は、初期のGoogleのシステムを基に、
クローリング、インデックス生成、ランキングなど
検索エンジンの基本的な仕組みを解説。
プログラミングの知識がなくてもわかりやすい説明で、
グーグル検索の裏側が理解できてわくわくする。
(いや、本当。これくらいわかりやすいと、
自分でグーグル作れるんじゃないかと錯覚するほど)

第2章は、大規模化するにつれ、グーグルがシステムをスケールアウトし、
どのように分散化を実現しているか解説。
安価なPCを大量に使うことで分散化し、
障害が起きてもシステム全体としては動作を続けられるような設計や、
大規模なデータベースをいかに効率よく読み書きできるかなど、
グーグル検索の速度の秘密がわかる。

といってもこのへんから解説はわかりやすいものの、
話がかなりマニアックになってくるので、
(大規模なデータテーブルの作り方とか分散ロックとか)
システム開発者でもなければ、「へー、そうなんだ」みたいな話。
ただ、全体に流れるグーグルの設計思想みたいなものにちょっと感動する。

第5章はデータセンターの話。
PCの消費電力をいかにして削減できるか、
ハードウェアの障害はどんな確率でおきるか、
グーグルはいくつもテストを行なって検証している。

第6章は、有名な20%ルールをはじめ、
グーグルがどんな環境で開発を行なっているかという話。
開発に用いるプログラミング言語は「C++」、「Java」、「Python」で、
使用言語やコーディング規約が定められていて、
コードをほかの開発者にレビューしてもらうとか
ドキュメントを書くことが推奨されているとか、
当たり前だけど、意外とオタク気質なだけじゃない面もあったり。

理系的な内容を文系に落とし込み、
素直に「グーグルってだからすごいのか」と思える内容になっている。
逆にシステム開発者だったら、参考になる話が多いのでは。

◆読書メモ

・クローラを動かし始めた頃はまだ存在が知られておらず、
「うちのサイトをよく見に来てくれてるね」というメールが届くこともあった。

・ハードウェアはなるべく安価に普及しているものを使い、
その性能を十分に引き出すソフトウェアを自分たちで作る。
普段使っているPCを大量に使って、世界規模の分散コンピュータシステムを
作り上げる。それがGoogleの選んだ戦略。

・Googleが2005年に発表した論文では、このままでは
近いうちにハードウェアより電気代のほうが高くなると警告している。
実際、過去にはGoogleがあまりにも電気を使い過ぎるので、
電気代が支払えずに倒産してしまったデータセンターがいくつもある。

・Googleはマシンの消費電力を計測する際に、
実際に一台一台調べる代わりに、CPU使用率と消費電力の相関関係を調べ、
CPU使用率だけを手掛かりに1%未満の誤差で消費電力を調べた。

・Googleによると、もしも世界中の1億台のPCの電源を改良すれば、
3年で400億kWhの電力削減になり、50億ドルが節約できるだろうと試算しています。

・Googleではドキュメントを書くことが重視されており、開発者によっては
コーディングするのと同じくらいドキュメントも書いている。

・ソースコードは全社で単一のリポジトリに格納され、誰でも自由に見ることが可能で、
他の開発者のコードを修正してパッチを送ることも推奨されています。

・開発者が日常的に利用するOSとしては、Ubuntsuを独自にカスタマイズした
Goobuntsuという社内向けディストリビューションがある。

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『パラダイス鎖国』

パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本 (アスキー新書 54)
『パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本』
著/海部美知
アスキー


◆読書メモ

・日本は多くの外国より便利で清潔で暮らしやすい国になった。
 「いつか海外へ」という自然なあこがれはなくなった。

・直接的なビジネスという意味では、ウェブ2.0を期待外れと見る人も多いだろう。
 しかし、ウェブ2.0のもっと深く大きな意義は、“情報”の質と意味合いを、
 従来とはまったく違うものに変えてしまったことにある。

・自分の就きたい仕事が海外にある。海外の友達がふらりとやってくる。
 自分の作品を海外の人が買ってくれる。いまや、グローバルといっても、
 その程度のものなのである。

・コンピューターや通信の技術は、軍需、金融を中心とする企業が
 重要クライアントであり、新しい技術は金持ちのパトロンを出発点とし、
 コストが下がるにつれ、消費者向けサービスに浸透していく、
 というのがこれまでの流れであった。ところが、ここ数年は
 消費者向けサービスが先行して、新しい技術の苗床となるケースが多い。
 「家の中で、最も高度なスペックのコンピュータを必要とするのは、
 ゲームをやりたがる子ども」である。ゲームが映像技術や半導体の技術を牽引し、
 その一部が企業技術に入り込んでいく。

・アメリカでは、企業の統廃合によってコアの人材が大量に流出する。
 90年代半ばのテレコムバブル期に、ものすごい勢いで電話会社が誕生したのは、
 大量に人材が動いたからだ。

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『早わかり世界の文学』

早わかり世界の文学―パスティーシュ読書術 (ちくま新書 712)
『早わかり世界の文学 パスティーシュ読書術』
著/清水義範
筑摩書房

◆読書メモ

・「なぜなら植民地支配というのは武器をもっていないところへ
鉄砲をもっていって族長を殺して、女を犯して、
全員をつかまえて財宝を全部盗んでくることだからである」
『ガリヴァー旅行記』

・夏目漱石は100年前の作家だが、仮名遣いだけ直せば
今の高校生にも読める、奇跡的な小説家。
夏目漱石の時代のほかの作家の小説を今の高校生は多分読めない。
それはおそらく夏目漱石が英文学者であり、
英文学の作法と書き方が頭の中にあったからではないか。

・「―君は他ならぬディドロの模倣をした。
―彼はスターンの模倣をしたのだ……
―スターンはスウィフトを模倣した。
―スウィフトはラブレーを模倣した。
―ラブレーはメルリヌス・コッカイウスを模倣したし……
―コッカイウスはペトロニウスを模倣した……
―ペトロニウスはルキアノスを模倣した。そしてルキアノスも、たくさんの人の
  模倣をした……。いいじゃないか、とどのつまりが、あの『オデュッセイア』の
  作者(ホメーロス)だということになっても。」
  フランスの詩人ネルヴァル『アンジェリック』

・『坊ちゃん』の赤シャツのモデルは漱石自身。
赤シャツはイギリスに行ったことがある。
景色を見て「ターナーの絵のようだな」という場面がある。
「特に赤シャツは誰なんだと聞かれるが、誰と言ったって当時あの学校で
文学士だったのは私だけなのですから、その意味では私ということになるでしょうね」

・若者たちは『カラマーゾフの兄弟』を「カラキョー」と略して呼んでいる。
ある若者は読んだ感想として、
「『エヴァンゲリオン』以来のショックを受けた」と語った。

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『そんなんじゃクチコミしないよ。』

そんなんじゃクチコミしないよ。 <ネットだけでブームは作れない!新ネットマーケティング読本>

最近、『謎の会社、世界を変える。 エニグモの挑戦』を読んだのですが、
エニグモの創業者たちは、まあなんて前向きなんだ、と思うくらい、
「『バイマ』のサービスが始まったら世界が変わる」みたいなことを言ってるんですが、
正直なところ、私は『バイマ』や『プレスブログ』が世界を変えたとはとても思えなくて、
この本が今どきのITベンチャーを描いているという点ではおもしろいと感じましたが、
エニグモという会社がやってることは、それほど斬新さを感じないのです。

ブロガーに企業からリリース情報を流して、記事を書いてもらったら報酬を与えるという
『プレスブログ』のサービスが始まったとき、「これはブログ記事を
お金で買うことになるんじゃないの?」と多少違和感を感じました。
で、その違和感は『プレスブログ』同様のサービスが増加していくとともに大きくなって
たとえば、ある新製品について検索したところ、
リリースの孫引きみたいなブログばかりが引っかかって
実際にその製品を買って使用した感想がほとんど見つからなかったとき、
メーカーの広報担当が「この製品は話題のキーワードランキングで何位になった」と
嬉しそうに話すとき、「今やブログは広告として使われている」ことを感じるわけです。

この本の著者が危惧してることもそれで、
「ネットクチコミとかブログマーケティングなんて嘘。
ブロガーに報酬を払って記事を書いてもらうサービスはいまやスパムと化している。
これは企業とブロガーの関係を悪くするだけで、
マーケティングの原点を問い直すべき」というのが主なポイント。

私自身はネットだから起こるクチコミっていうのは確かにあると思っていて、
クチコミが発生するところと波及するところ、クチコミの内容がうまく合えば
ネットクチコミで大ヒットというのはあながちまちがいでもないと思うのですが、
それを企業が金で買うことはできないし、広告のあり方としても効果がない
(ターゲットとなる消費者にちゃんと届かない、購買に結びつかない)
ってのは納得。

この本のマイナスポイントを上げるとすると、
『そんなんじゃクチコミしないよ。』というラフなタイトルからも感じられるとおり、
ブログをまとめた本なのですが、全編、このラフな書き方なので、
読みやすいぶん、その口調に「友だちじゃないんだから」みたいな気分にもなる。
それから、ブログ記事のURLがたくさん載っているんですが、
これがネットならクリックして参照するかもしれないけど、
本の場合、このURLをわざわざ打ち込んで元記事を読むってほとんどしないよね。
書籍化する段階で、元記事の要約なり、なんなりをもっと載せてもよかったのでは。


◆読書メモ
・クチコミは意図的に起こせない。あくまで結果論に過ぎない。
・ネットの力でヒットしたと言われる『時かけ』の興行収益は2.6億円。
 この程度のヒットなら『アメリ』をはじめ、過去にいくつかある。
 同時期に公開され、批判の多かった『ゲド戦記』の興行収益は76億円。
 ネットのクチコミでバカ売れするなんてありえない。
・企業ブログが炎上しても、それで商品が売れなくなることはない。
 影響が出るとしたら、マスメディアがニュースとして取り上げたとき。
・ネットで話題になったとされるナイキの『Nike Cosplay』でさえ、
 世間の大半の人は知らない。ナイキの売上げに貢献したかどうかも不明。
・テレビCMの効果は10年前と大差なく、崩壊なんかしていない。
「○○を検索」なんて画面に出さなくても、気になる人はCMを見て検索する。
・ブロガーはその商品が本当に好きなら、報酬がなくても紹介する。
 逆に、報酬がなければ書かないという人は企業にとって必要な顧客ではない。
 ブロガーと企業の関係を「広告」でつなぐべきではない。
・ワードサラダ-複数の単語を適当に組み合わせた文章をつくり、
 検索エンジンをだます手法。スパムの一種。
・ネットが日常的な人もいれば非日常な人もいる。
 ネットを使いこなしている人は「一般大衆」ではない。
 ネット環境の普及率は上がったけど、利用率はまだこれから。
 マーケティング関係者はそこを冷静に見るべき。
・CGMはほとんどが二次情報。
 ブログの書き込みの元ネタは4マス(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)。
 広報はブロガーの入手する一次情報のありかを見据えてアプローチすることが必要。
・『伝染歌』のトイレットペーパープロモーションは話題になったけど、
 話題になったことで興行成績に影響したのか。
 このプロモーションのゴールはパルコのトイレに人を集めることではなく、
 映画館に足を運んでもらうことにあるはず。
・企業はCGMを構成する人々を「消費者」ではなく、「パートナー」ととらえ、
 製品開発やブランディングにおいて、彼らとコミュニケーションすべき。

謎の会社、世界を変える。―エニグモの挑戦
『謎の会社、世界を変える。 エニグモの挑戦』
博報堂社員だった若者2人が、『バイマ』のアイデアを思いついて、
会社を辞めて起業し、『プレスブログ』などのサービスを軌道の載せていくまでを
当事者たちが、生き生きと語っている。
アマゾンには「楽しそうに仕事をしているのが伝わってくる」
と好意的な感想が多く、売れているみたい。
たしかに、アイデアを思いついてポンと起業しちゃう
彼らのフットワークの軽さが、いまどきのITベンチャーの姿なんだろうけど、
その楽天的で爽やかな感じに、私はどうもついていけないのだ。

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『結婚しなくていいですか。』

結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日
『結婚しなくていいですか。 すーちゃんの明日』
益田ミリ/著
幻冬舎

ねーさんに強力に勧められた本。
ちまたでも大絶賛中なので、詳しい紹介は省くとして、
35歳独身すーちゃんと、もうすぐ40歳独身さわこさんを中心とした4コマ漫画。

帯に「香山リカ、号泣」とあり、
泣いたりしなかったけど、身につまされすぎるエピソードに胸が痛い。

しかし、なぜ、女性たちはこうまで、
結婚しなきゃとか、幸せにならなくっちゃ、
という重いプレッシャーを抱えて生きているんだろう。
(もちろん男性だっていろいろプレッシャーはあるんだろうけど)
ディズニー(というより少女マンガ?)の呪い?
マスメディアによる暗示?

結婚したり、子供を産んだりすれば、この呪縛から解き放たれるかといえば、
周りを見る限り、そんなことはなく、
自分だけの時間や、あったかもしれない可能性を失ったことを、
多少の諦めをもって嘆く女性たちもまたいるわけで。
(ここらへんの話は、まいちゃんのエピソードが短いながらグサリと効いている。)

私も、もう結婚したり子供産んだりしなくていいよね?
と思いながら生きているわけですが、
そういう生き方がもっと楽だといいのになー。
(昔に比べれば格段に楽になっているとは思いますが。)

順番が逆になったけど、前作『すーちゃん』もあわせて読みました。
前作との大きな違いは、さわこさんの祖母が登場することで、
すーちゃんの老後への不安と介護問題がクローズアップされてることでしょう。
老後の不安と介護問題、どちらも重すぎて、
それこそ簡単に号泣なんてできません。
買ったことないけど、私も宝くじのことを考えたことはあるよ(笑)。
つまり、1億円とか2億円とかあったら、老後の心配なんてしなくていいよなってことで、
すーちゃん風に言うと、「結局、お金の問題!?」ってことになっちゃうんだけど。

正直なところ、老後問題に関しては、私はわりと楽天的で、
私がおばあちゃんになる前に、私より上の世代の女性たちが
すでにこの問題にぶち当たってるはずで、
10年、20年後には、もう少し明るい老人ライフも生まれてくるのでは
と期待しているのです。
(他力本願ですか? 10年後、20年後に
まだ明るい老人ライフがなかったら、私の世代から考えていきますよ。)

すーちゃん
前作『すーちゃん』
これにあった、「まだ間に合いそうな人がいたけど、気づかないふりをして
エレベーターの閉ボタンを押してしまった」という、
“ある日のまいちゃん”のエピソード。私もやります。

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『世界最高額の切手「ブルー・モーリシャス」を探せ!』

世界最高額の切手「ブルー・モーリシャス」を探せ! コレクターが追い求める「幻の切手」の数奇な運命

『世界最高額の切手「ブルー・モーリシャス」を探せ!
コレクターが追い求める「幻の切手」の数奇な運命』

ヘレン・モーガン/著
光文社

1847年、モーリシャス島で初めて発行された切手は
全部で1000枚しか発売されず、
「POST PAID」とするべき文字を「POST OFFICE」
と印刷していたために、稀少さから多くのコレクターを引きつけた。
オレンジ色の1ペニー切手と、ブルーの2ペンス切手は
“ポストオフィス”と呼ばれ、現在、残っているのは26枚
(真贋のはっきりしないものを入れれば27枚)。
本書ではポストオフィスをめぐる、発行の謎、
コレクターとディーラーたちの取り引き、
切手発見にまつわるエピソードをつづっている。

この本を読むまで、ポストオフィスなんて切手が存在することも
知りませんでした。このポストオフィス、どのくらい高額かというと、
1971年、日本人コレクターが、1ペニーと2ペンス切手の貼ってある
封筒を購入したときの価格が1億2000万円、
同じ封筒が1988年、ほかのコレクターに渡ったときの価格が
380万ドル、だそうです。一般人には絶対買えません。

実は、小学生の時に切手収集をしていたことがあるのですが、
単に図柄として綺麗かどうかがポイントで、
ウルトラマンカードか何かと同じように考えていたので、
同じ切手は“ダブり”だと思って、人にあげたりしてました。

ポストオフィス切手自体は図柄がそれほど魅力的だとも
思えないのですが、(実際の写真はここ
当時の総督夫人レディ・ゴムの舞踏会の招待状に貼られていたとか、
モーリシャス切手が有名になって古い手紙の束を探してみたら、
この切手が発見されて高額で売れたとか、
いくぶん逸話もまじったそのエピソードにはわくわくします。

私はめずらしい切手があると、水につけて封筒からはがしていたけど
(それが正しいはがし方だと切手収集の本に書いてあった)
現存するポストオフィスの中で、一番魅力的だと思うのは、
未使用のブルー・モーリシャスではなく、
封筒ごと残っている“ボルドーの手紙”。
モーリシャス島と交易のあったボルドーに届いたこの封筒には
イギリスやフランスを経由してきたスタンプがいくつも押してあって、
(モーリシャスからボルドーまで手紙が届くには85日かかった)
それだけで当時の雰囲気が伝わってきます。
このように切手が貼ってあって、消印が押されている封筒を
“エンタイア”と言って、ものによっては消印が残っている切手のほうが
価値があったりするというのも納得。

たんなる切手収集と区別して、郵趣家、フィラテリスト
という言葉が出てくるが、このコレクターたちの変遷がまたおもしろい。
1900年頃であれば、世界の切手を全てコレクションすることも
現実的に可能だったわけですが、
今となってはポストオフィス1枚とっても超金持ちでないと買えないわけで、
めずらしい切手が市場に出てくるのは、コレクターが死んだ時、ってのがまた。
その中で、日本人コレクター金井宏之が一時期は6枚も
ポストオフィスを所有していたってのがすごい。そんな人もいるんだ。

切手1枚とっても、そこにはいろんな歴史があるわけで、
そこが切手収集の一番の魅力だろうし、
ていねいな取材で、この本はそこをうまく伝えている。
今では家のどこにあるのかわからない私の切手帳を探して、
開いてみようかという気分になりました。

◆読書メモ

イギリス王室に仕える男が、ジョージ皇太子にこう話したという。
「殿下、ご存知ですか。どこぞの大バカ野郎が、たった1枚の切手に
1450ポンドの値をつけて競りおとしたそうですぞ」
するとのちのジョージ5世はこう答えた。
「ああ、その大バカ野郎は私だ」

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『走ることについて語るときに僕の語ること』

走ることについて語るときに僕の語ること
『走ることについて語るときに僕の語ること』
村上春樹/著
文藝春秋

ねーさんをはじめ、私の周囲のランナーたちから
大いなる共感をもって受け止められている
村上春樹が「走ること」について語った本。
この本を読みながら年を越しました。

「なぜ、走るの?」
「走るのって辛いだけで、どこがおもしろいの?」
ランナーであれば、一度や二度、聞かれた経験のある質問。
そしていつもうまく答えられたことがない。
ランニング本を作って、いろんなランナーに会って、よくわかったのは、
結局、私たちは美容とか健康とかタイムとかのために走っている訳じゃない
ということ。じゃあ、何のため?、というのは人によって微妙に異なるので
やっぱりうまく答えられないんだけど、私の場合はひと言でいうなら、
「強くなりたいから」なのかなと、この本を読んで思いました。

「長距離ランナーの孤独」とか、走っているときの自分との対話とか、
努力の結果で得られるタイムとか、ゴールした時に得られる何かとか、
そういう漠然としたものを、村上春樹はちゃんと言葉にしているので、
ランナーにしてみれば「よくぞ言ってくれました」って感じなのでは。
(さすがに100キロマラソンについては、理解の範囲外。
「もう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった」
という素敵なサブタイトルがついていますが、
これが「筋肉の革命議会」のことだとは。うーん、まだまだ経験したくない。)

フルマラソンを人生に例えるランナーってのは結構いるんだけど、
たしかに「生きること」と「走ること」はどこか似ているのかも。
村上春樹が「嫌なことがあるといつもより少しだけ長い距離を走る」
という気持ちはよくわかる(実際にやったことはまだないけど。)
おおげさに言えば、人生の苦しみとか生きることの困難を
走ることで乗り越えようとするわけだ。
あるいは、走ることで乗り越えられる自分になろうとする。
(まあ、私の場合は、「仕事でむかつくことがあった」程度の困難なのですが。)
もちろん、走ることと人生はリンクしているわけではないので、
その距離を走れたからといって、人生の困難が減るわけじゃないのですが、
まあ、それでも走るのがランナーなので。

「少なくても最後まで歩かなかった」というサブタイトルには、
へっぽこランナーでごめんなさいって感じなのですが、
私は村上春樹ほどストイックな人生観のランナーではないので、
とりあえず「歩いたけど、完走しました」というのをめざしたい。


◆読書メモ

一般的なランナーの多くは「今回はこれくらいのタイムで走ろう」
とあらかじめ個人的目標を決めてレースに挑む。
そのタイム内で走ることができれば、
彼/彼女は「何かを達成した」ということになるし、
もし走れなければ、「何かが達成できなかった」ことになる。
もしタイム内で走れなかったとしても、やれる限りのことは
やったという満足感なり、次につながっていくポジティブな手応えがあれば、
また何かしらの大きな発見のようなものがあれば、
たぶんそれはひとつの達成になるだろう。
言い換えれば、走り終えて、自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)
が持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。

昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。
長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、
それは過去の自分自身なのだから。

誰かに故のない(と少なくても僕には思える)非難を受けたとき、あるいは
当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、
僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。
いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。
そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。
いちばん底の部分でフィジカルに認識する。
そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、
ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。

走りながら、自分の身体の組成が日々変化を遂げているという感触があったし、
それは心嬉しいことでもあった。三十歳を過ぎた今でも、僕という人間の中には、
まだそれなりに可能性が残されていたのだなと感じた。
そのような未知の部分が、走ることによって少しずつ明らかにされつつあるのだ。

人は誰かに勧められてランナーにはならない。
人は基本的には、なるべくしてランナーになるのだ。

こういうものすべて「夏バテ対策」というよりは、あくまで身体が自然に
「そうしてください」と求めてくることなのだ。
毎日身体を動かしていると、そういう声が聞こえやすくなってくる。

もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。
走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、
走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。
僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」を
ひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。
暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。

与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に
自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、
それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)
メタファーでもあるのだ。

「苦しい」というのは、こういうスポーツにとっては前提条件みたいなものである。
もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、いったい誰がわざわざ
トライアスロンやらフル・マラソンなんていう、
手間と時間のかかるスポーツに挑むだろう?
苦しいからこそ、その苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ、
自分が生きているというたしかな実感を、少なくともその一端を、
僕らはその過程に見いだすことができるのだ。

そんな人生がはたから見て-あるいはずっと高いところから見下ろしてー
たいした意味も持たない、はかなく無益なものとして、
あるいはひどく効率の悪いものと映ったとしても、
それはそれで仕方ないじゃないかと僕は考える。
(略)少なくとも努力をしたという事実は残る。
効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、
結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、
ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。
そして本当に価値のあるものごとは往々にして、
効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。

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『大奥』

大奥 (第1巻)
『大奥』
よしながふみ/著
白泉社

将軍吉宗は女で、大奥には3000人の美青年、
という男女逆転時代劇。

初めは何のパロディー?と思ったけど、
男女を逆転させるだけで、
ここまで「ジェンダーとは何か」を問いかける作品もめずらしい。
(このマンガを貸してくれたSさんは逆にそこがうるさいと言ってましたが。)

例えば、美青年、祐之進が幼なじみのお信に向かって
「お望みとあれば抱かれてやってもいいんだぜ」
と言う台詞がある。この台詞に感じる違和感がそのまま
じゃあ、この台詞を言うのが女だったら、
どうしておかしくないと言えるのか、という疑問になる。

この世界では、男は希少で、女たちは種付けのために男を金で買うのだが、
それがおかしなファンタジーですまないのが、この作品のすごいところ。
男女の役割は逆転しているのに、
役職につく女性は男名を名のらなければいけないとか、
社会システムとして男の権利が残っている。
(そこがSさん言うところの「ジェンダーくさい」部分なのですが。)

野郎ばかりの大奥がむさくるしくないのは、
著者がBL作家でもあるからなのだろう。
冷静に考えると、将軍(この作品では女性)が妊娠したら
しばらく大奥は必要なくなるよなー、とかも思ったりもしますが。
今、2巻まで読んだところで、この後の展開が楽しみです。

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『過剰と破壊の経済学』

過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか? (アスキー新書 42) (アスキー新書 42)
『過剰と破壊の経済学  「ムーアの法則」で何が変わるのか?』
池田信夫/著
アスキー

「半導体の集積度は18ヵ月で2倍になる」というムーアの法則。
その“破壊的イノベーション”はコンピュータ産業だけでなく、
産業構造や経済システムまでも大きく変えた。
ムーアの法則がもたらした変化と、どのように対応すべきかを説く。

今年読んだ新書の中でもベスト3に入るおもしろさ。
ムーアの法則って私的には「コンピュータが小さくなって速くなって安くなる」、
程度の認識だったんですが、コンピュータ産業に起こった大変化から、
情報の価値、産業構造、世界経済、グローバル化まで、すべての変化を
ムーアの法則で読み解いてみせる手腕はあざやかな手品を見ているよう。
落ち着いて考えると論理に強引なところがあったり、
過激な主張もあったりするんですが、
一気に読ませて納得させてしまう文章力はさすが。

「ボトルネックとなるのは人間であり、著作権法である」とか
現在の日本のやり方では、イノベーションなど起こるわけがない
という主張も納得。

この半世紀に起こった技術の歴史の大変化を、この一冊で理解できる
(理解できたという気になる)点でも、ひいき目なしにオススメです。


◆読書メモ

情報の豊かさは、それが消費するものの稀少性を意味する。
情報が消費するものは、かなり明白である。
それは情報を受け取る人の関心を消費するのである。
(ハーバード・サイモン)

ネットスケープが普及すれば、ウィンドウズはデバグの不十分な
デバイスドライバになるだろう。
(マーク・アンドリーセンが言ったと伝えられる言葉)

数少ない有料サービスだったニューヨーク・タイムズのコラム欄も
アーカイブも無料になり、ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)も、
それを買収するとみられているルパート・マードックは無料化する意向のようだ。
理由は単純である。購読料より広告収入のほうがはるかに大きいからだ。
タイムズの2006年のオンライン購読料は1000万ドルだったが、
今年の広告収入は1億7500万ドルになる見通しだという。
これに対して、WSJの同年のオンライン購読料は6500万ドルだったが、
広告収入は7500万ドルにすぎない。
これはタイムズの1ヶ月のユニークビジターが1200万人なのに対して、
WSJが(有料であるため)260万人に満たないからだ。

ソフトウェアは「アンディ・グローブが与え、ビル・ゲイツが奪う」
といわれるように、ムーアの法則を相殺して複雑化してきた。
マイクロソフトの計算によれば、1975年に4000行だった
BASICのソースコードは20年後には約50万行になり、
1982年に2万7000行だったマイクロソフト・ワードは
20年で約200万行になった。

IBMの社内では、パソコンは「おもちゃ」と見られていたので、
本社ではなく、フロリダ州ボカラトンにある「独立業務単位」で
パソコンを開発することにした。与えられた開発期間は1年半、
開発スタッフはチーフのドン・エストリッジ以下わずか14人。
この少人数で早期に開発を進めるため、
エストリッジはIBMの伝統に反して、外部から調達できるものは
できるだけ調達する「オープン・アーキテクチャ」を採用した。
中でも、運命的な選択は、コンピュータの中核となるCPUとOSを
それぞれインテルとマイクロソフトに外注したことだった。

OSとしては、8ビットで主流だったCP/Mの16ビット版を採用しようとしたが、
その開発元デジタル・リサーチと交渉が成立せず、
マイクロソフトに話が転がり込んだのは有名な話である。
マイクロソフトは、自社ではOSを開発していなかったので、
別の会社のOSを5万ドルで買って「PC-DOS」とした。
しかもインテルやマイクロソフトとの契約は専属契約ではなかったので、
彼らは他の互換機メーカーにCPUやOSを売ることができた。
彼らはその仕様を公開して、他の企業にアプリケーションが開発できるようにした。

スティーブ・ジョブズのビジネスも、数としては失敗のほうが多いが、
一発大きく当たればいいのである。
イノベーションは一種の芸術なので、平均値には意味がない。
1000人の凡庸な作曲家より、1人のモーツァルトのほうがはるかに価値がある。
しかし官民のコンセンサスで1人の作曲家を育てても、
彼がモーツァルトになる可能性はまずない。モーツァルトが出てくるためには、
1000人の作曲家が試行錯誤し、失敗する自由が必要なのだ。

オープンソース(フリーソフトウェア)の元祖、リチャード・ストールマンは
20年前、「ソフトウェアはサービスである」と宣言し、ソフトウェアそのものは
フリーになり、企業はサービスで収入を得るようになるだろう、と予言した。

問題は配信技術でもなければ、ネット配信規制でもなく、著作権法なのだ。

政府や大企業の老人が集まって、急速に変化しているグローバル経済の
方向を正しく予見できるはずがない。事実、アメリカ経済の回復は、
商務省の報告書が言及もしていなかったシリコンバレーから起こった。
日本でも、内閣府が2000年に「IT戦略会議」を設立し、
「高度情報通信ネットワーク社会」にふさわしい産業の育成をめざしたが、
そのe-Japan戦略を見ても、「検索エンジン」という言葉は一度も出てこない。
このころ政府が熱心だったのは「IPv6」や「ICタグ」や
「ITS」(高度道路交通システム)だった。

1990年代前半、だれもが次世代のメディアは光ファイバーによる
「マルチメディア」だと信じ、フロリダでタイム=ワーナーが大規模な
ビデオ・オンデマンドの実験を行なった。同じころ、
イリノイ大学のウェブサイトで、アルバイト学生マーク・アンドリーセンが
時給6ドルで書いた「NCSAモザイク」が公開された。
歴史を変えたのは、タイム=ワーナーではなく、モザイクだった。

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『iPhoneショック』

iPhoneショック ケータイビジネスまで変える驚異のアップル流ものづくり
『iPhoneショック
ケータイビジネスまで変える驚異のアップル流ものづくり』

林信行/著
日経BP社

iPhoneはどこがすごいのか。
タッチスクリーンを生かした操作性、卓越したインターフェース
といった、すぐわかるすごさだけでなく、
ケータイキャリアから上納金を得るなど、
ビジネスモデルでも型破りなiPhone。
製品デザインから、開発、ブランドを作るマーケティング、
販売体制など、アップル流ものづくりを紹介。
同時に、優れた技術力をもっている日本のメーカーが
なぜiPhoneのような製品を作り出せないのか、その問題点に迫る。

ちょっと前に同じ著者の『スティーブ・ジョブズ
偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡』という本を
読んだばかりなので、内容的にはかぶるところも多い。
「iPhoneがなぜすごいのか」という話なのだが、
アップルの開発はユーザー視点だとか、
CMからパッケージングまで一貫してブランド力を高めているとか、
まあ、ある意味、直球のものづくりで、それほど驚きはない。
当然のことながら、「アップルはここがすごい」という論調なので、
(iPod Runは始めましたが)
アンチアップル派の私としては、ちょっと引くところも。

むしろ、日本のメーカーが優れた商品を生み出せないのは、
ケータイキャリア主導で製品づくりが行なわれており、
自由な発想がしにくいといった話が興味深い。
しかし、ここらへんも遠慮があるのか、
「ここをこうすれば日本のメーカーも変われるはず」
といった提案も、当のメーカーにしてみれば、
「言われてできるもんならとっくにやってるよ」という感じなんだろうな。

iPodやiPhoneの大ヒットは
「おしゃれなデザインだけが受けてるわけじゃない」ことは確かなのだが、
iPodを使い始めてみると、絶賛されているその操作性には不満もあったりするわけで。


◆読書メモ

(iPodの)ステンレス鏡面仕上げの背面を見た日本のデザイナーから、
「これだといっぱい指紋が付きそうだ」
という言葉が口をついて出た。
それに対してアップルのデザイナーは、
「指紋が付いたら拭けばいい」
と言い返したという。

ソニーのカセットテープ版のウォークマンが初めて世に出たとき、
その製品発表会に来た記者の一人が、
「こんなのをいつも聞いていたら耳が悪くなりそうだ」
と言ったという。すると、ソニーの幹部の一人が
「そんなの当たり前だ」
と言い返したという有名なエピソードがある。

ジョナサン・アイブ氏はアップルが製作した『iMac G4』の紹介ビデオの中で、
「このもっともシンプルな形に到達するプロセスが、実はものすごく大変な作業だ」
と打ち明けている。
スティーブ・ジョブズCEOもアップルの意志決定システムについて、
「ビジネスウィーク」誌で、次のように語っている。
「システマティックなものは何もない。
イノベーションは人々が廊下ですれ違いざまに話をしたり、
新しいアイデアやなかなか解決できなかった問題の解決策を思いついて
夜の10時30分に電話をかけたりするようなところから生まれる。
それと同時に、イノベーションは間違った路線を進んだり、
何かをやり過ぎたりしないように、
1千のアイディアに対して「NO」と言うことから生まれてくる。
そうすることによって初めて焦点を当てるべき重要なものが見えてくるのだ」

スティーブ・ジョブズ 偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡
『スティーブ・ジョブズ 偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡』
林信行/著
アスキー
スティーブ・ジョブズの写真集、というかファンブック?
著者自ら前置きしているように、書かれている内容に目新しいことはないが、
写真や名台詞満載で、ジョブズファンなら読んでて楽しいと思う。
写真のジョブズがだんだん禿げていくのだが、
小憎らしい青二才顔がディレクターとしての顔に変化していておもしろい。

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『もしもソクラテスに口説かれたら』

もしもソクラテスに口説かれたら―愛について・自己について (双書哲学塾)
『もしもソクラテスに口説かれたら 愛について・自己について』
土屋賢二/著
岩波書店

「わたしはあなたの顔も性格も嫌いですが、あなた自身を愛しています」
というソクラテスの口説き文句は正しいか?
プラトンの対話篇より『アルキビアデス』をテキストにして、
実際に行なったお茶の水大のゼミを基に
テキストに含まれている哲学的問題を検討する。

実際に行なわれた議論なので、語り口は非常にわかりやすい。
著者が冒頭で述べているように、女子大生たちの素朴な疑問に
幼稚な発言はひとつもなく、
「わたしの何を好きなのかよく分からない」
「ソクラテスにダマされたような気がする」
といった発言は、わりと核心をついている。
議論を通して、女子大生たちが、
「魂と身体をわけて考えることができるのか」
「わたし自身とは何か」
「魂とは何か」
「魂を愛することは可能なのか」
というように、いつの間にか哲学的にものを考えている。
日常会話のようでありながら、ここまで議論を引っ張っていく著者の手腕は見事。

最終的に、“ことば”だけで検証することの難しさや、
観察や実験によって解決できない問題を扱うのが哲学である、
といった理解が自然に導かれており、哲学入門としておもしろい。


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『昭和 平成 ニッポ